遺伝子治療や出生前診断が話題になると、優生学がどうのこうのという話になりやすい。優生学とくればナチズム、ナチズムとくればアウシュビッツと紋切り型でつながっていくが、本当に優生学=ナチズムだったのかと本書は問うている。
第二次大戦前にさかのぼると、いや、ニュールンベルク裁判時点でも同じだが、意外な拡がりが見えてくる。
考えてみれば当たり前の話だが、優生学は当時、最先端の科学的真理と見なされていたわけで、進歩を標榜する党派が無関係だったはずはないのだ。それどころか、反戦平和主義や私有財産廃止論に優生学は論拠をあたえていた。。
たとえば、戦争が起こると、頑健な身体と勇敢な精神をもった若者は死地に送られるのに対し、徴兵検査で失格するような虚弱な人間は銃後で安全に暮らし、繁殖の機会をより多くもつ。これは「逆淘汰」であり、平和時に「人種衛生学が全精力を傾けておこなうことのすべてを、一瞬のうちに、何百倍、何千倍の規模で無にしてしまう」というわけだ。
また、私有財産制による貧富の拡大は厳しい労働に耐える屈強な労働者を貧困におとしいれて、繁殖の機会を減らす一方、労働者を搾取して富を蓄える資本家階級では虚弱な者でも生きのびることができ、より多くの繁殖の機会をもたらす、云々。
本書にはこの手の奇怪な言説が紹介されていて、さながら危険思想展覧会の観がある(著者たちは不本意だろうが、こんなにエキサイティングは本はめったにない)。
こと優生学に関する限り、もっとも進歩的とされていたワイマール共和国や、いち早く福祉国家を実現した北欧の社会民主党政権はナチズムと五十歩百歩だった。ヒューマニストや人権屋がいかがわしいのは今も昔も同じである。
皮肉なことに、優生学の歯止めとなったのは人口の質より量を重視する軍国主義者、堕胎絶対反対の頑迷固陋なカトリック、そしてダーウィニズムに破れ、迷信あつかいされたラマルキスムだった。
現在、脳死臓器移植は最先端の医療ということになっているが、あと何年かしたら、優生学同様、医学の顔をした野蛮と指弾されることになるのではないか。
シルクロードでおなじみの西域一帯は乾隆帝の征服事業で清朝の版図にはいり、新疆(新しい領土)と呼ばれるようになった。古代から多くの民族が興亡をくりかえした土地だけに、清朝の支配がはじまっても動乱がつづいた。本書は西域の近代史を概観した貴重な本である。
著者は信長と朝廷の関係に新しい光をあてたことで著名な日本史畑の学者だが、ヘディンらのシルクロード探検記に引かれ、現地を何度も訪れるうちに、この地域の歴史をあつかった概説書がないのに気づき、本書を書いたという。
期待して読みはじめたが、本業の日本中世史のような具合にはいかなかった。専門外という遠慮があるのか、事実の羅列が延々とつづき読みとおすのが一苦労である。『中国の火薬庫』などという一般向けの題名をつけるなら、紀行の要素をもりこむとか一工夫すべきではなかったか。
ただ、西域の近世史がおもしろいのは事実のようである。
乾隆帝がもっぱら名誉欲のために征服事業をはじめた当時、天山山脈一帯にはトルコ系のオイラート人とウイグル人が住んでいた。オイラート人は降伏しては裏切り、乾隆帝を翻弄した。聖王を気どった乾隆帝も三度目の裏切りに堪忍袋の緒を切らし、オイラート人のジェノサイド(準部剿滅)を命じた。ある推計によれば、60数万人のうち、四割は疫病で死に、三割は清軍に虐殺され、二割はカザフスタンに逃がれ、一割は奴隷として売られた。
ウイグル人も叛乱を繰りかえしたが、もともとが温和な商業民族だったので、イスラム教の宗教貴族を北京に抑留し、農奴を解放するという政策があたり、懐柔に成功した。
清朝末期から民国初年にかけての混乱期にロシア領になりかけるが、左宗棠の活躍と楊増新という天才的な行政官の力で、乾隆帝の版図をたもつことができた。
楊増新は日本ではなじみがないが、1912年の新疆省主席就任から1928年に暗殺されるまでの16年間、中国本土の内戦をよそに、ただでさえ物騒な新疆を平和におさめつづけたのは奇跡である。スヴェン・ヘディンをはじめとする西欧の探検家、外交官も彼だけは絶賛しているという。
『グラディエーター』の背景を知りたくて手にとったが、面白くてすぐに読み終わった。
皇帝制の濫觴から、五賢帝最後の黄帝であり、『グラディエーター』にも登場するマルクス・アウレリウス帝までを最新の知見を動員して語っているということだが、著者自身の創見もはいっているらしい。
この時代あたりまでは『ローマ帝国衰亡史』を読んでいて、皇帝の権力基盤は軍だと思いこんでいたが、実際は元老院だったようである。元老院のイメージも本書で一新された。元老院内部の暗闘を分析し、「養子皇帝制」の神話をばっさり切ってすてるあたり、小気味よい。『グラディエーター』ではマルクス・アウレリウス帝が実の息子をさしおいて主人公を養子にし、帝位をつがせようとしたが、そんなことはありえなかったのである。
『グラディエーター』では全盛期ローマをCGによる空撮で見せたが、圧巻は五万の観衆がどよめくコロッセウムの全景だった。
ローマはパンと見世物で堕落したといわれるが、見世物を提供する場がコロッセウムである。人気とりとか、不満のガス抜きと言ってしまえばそれまでだが、ローマ帝国以外であのような巨大な恒久的娯楽施設が作られ、莫大な費用をかけて維持された例はない。なぜ、ローマはコロッセウムを必要としたのか?
本書によれば、共和政末期から帝政前期にかけて、ローマ市民の集会場であり、直接民主制の舞台でもあったローマ広場とマルスの野に大規模公共建築が次々と建設された。帝政に向かう流れの中で、権力者たちは大衆的示威の場になりかねない広場の政治を嫌い、決定や立法を屋内で開かれる元老院に移していったのだ。その一方、市民とのつながりを維持するために、非政治化した見世物を提供するようになった。
アウグストゥスは内戦で混乱した階層秩序を再建しようとしたが、莫大な報酬と名声に引かれて、自由民ばかりか騎士身分の者までが剣闘士となって、剣をまじえた。成功した解放奴隷と通婚する権門もすくなくなかった。頽廃した旧来の有力者が没落し、質素な生活習慣をもった属州出身者が元老院にはいるようになると、ギリシア的教養が支配階級の条件となり、ようやく新たな秩序が定着した。コロッセウムはこの時期に建設された。
『グラディエーター』はコロッセウム建設から百年後のコモドゥス帝時代の話だが、史実のコモドゥス帝も、映画の通り、剣闘士としてアリーナに立った。ギリシア的教養の最高の体現者だったマルクス・アウレリウス帝の息子が、帝政前期の荒っぽいローマ市民に先祖返りしたのだから、皮肉といえば皮肉である。本書は後半は帝国の社会分析になり、コロッセウムから離れてしまったのは残念だ。
中世騎士物語には決闘で潔白を証明する場面がよく出てくる。決闘と裁判はあいいれないものと思っていたが、西欧では近世にいたるまで、決闘による裁判がおこなわれていたという。
決闘裁判はゲルマン社会でおこなわれていた神判(日本のクガタチのようなもの)として歴史に登場する。狭義の神判は13世紀以降すたれるが、決闘裁判だけはしぶとく延命する(最後のアシフォード=ソーントン事件は19世紀)。なぜ決闘裁判が生き残ったのかが本書のテーマで、西欧封建社会の自力救済の精神が背景にあるという。
自力救済といっても、原告が障害者だったり、老齢だったり、女性だった場合は決闘を申しこむことができない。当初は原告の親族や家臣が決闘したが、やがて決闘代行業が生まれた。彼らはカンピオン(英語のチャンピオン)と呼ばれ、本書では「決闘士」と訳しているが、一般的な訳語では「選手」である。決闘士はもともとあぶれ者の仕事だったが、近世になってローマ法が普及するようになると、ローマ法の剣闘士の規定が適用され、賤民としてあつかわれたという。
原告・被告双方の決闘士が黒白をつけるために裁判官の前で戦う……というと、なにかを連想しないだろうか? そう、アメリカの裁判制度である。
エピローグではアメリカの裁判制度と決闘裁判の系譜関係にふれているが、ここが本書の白眉である。イングランドは大陸諸国よりもゲルマン社会の遺風を色濃く残していたが、絶対王政が成立すると、ローマ法の影響がはいってくる。ピルグリム・ファーザースは絶対王政成立前夜に新大陸にわたり、自力救済を第一とする社会を作りあげた。アメリカの自力救済の精神と武装権への固執は開拓者精神と結びつけて説明されることが多いが、ゲルマン社会の名残という面も無視できないのかもしれない。
フロイトの精神分析創出以前の仕事としては『ヒステリー研究』と『心理学草稿』が知られているが(どちらも人文書院版著作集に訳されている)、最初に出版したのは失語症の研究だった。本書はフロイトの失語症論文のドイツ語からのはじめての邦訳に、ラカン研究者である石澤誠一氏が長い解題を付して一冊とした本である。
フロイトの論文の方は解剖学用語が頻出する純医学論文で、しかも百年前の知識で書かれているので、読みとおすのに苦労する。現在の医学から見たら、失語症の病因論としておかしな点が多々あるのかもしれない。
そんな本がなぜ今頃になって邦訳されたのだろうか? 理由は簡単。ここには精神分析の原型が言語論の形で素描されているからである。フロイトは「言語装置」というモデルを提出しているが、この「言語装置」が「無意識」の概念だったのだ。
ラカンもこの論文から大きな示唆を受けていた。ラカンのいうシニフィアンはソシュールのシニフィアンとは違い、それが批判されてもいるが、フロイトの「言語装置」に起源があるなら、違って当たり前なのである。
フッサールの先生であるブレンターノを通じて、英国の心理学者、認識論学者の影響を受けていたとか、なるほどという話が多い。石澤氏の解題は目から鱗の連続である。フロイトとラカンを云々するなら、本書は必読の文献であろう。
『失語論』に長文の解題を書いた石澤氏の著書で、1896年にフロイトがフリースに宛てて書いた書簡を端緒に、精神分析の土台を掘りさげていく。
「無意識は言語のように構造化されている」というラカンのテーゼは毀誉褒貶はなはだしく、精神分析の正統派だけでなく、ソシュール研究者の中にも、こじつけとする人はすくなくないが、著者はフロイトの知覚理論の読み直しを通して、ラカンの「シニフィアン」概念がフロイトの核になる認識に根ざしていることを論証する。
読み直しはソシュールにもおよぶ。遺稿や学生のノートの研究から、ソシュールはラングだけを研究対象にしていたわけではなかったという見方が出てきているが、どうも一理あるらしい。
『科学的心理学草稿』のあの無味乾燥で機械論的な記述の中に、こんな宝が埋もれていたとは!
最後に語られるラカンとハイデガーのからみあいも実に興味深い。
前世紀の変わり目に、人間と言語の係わりの深部にこれだけ深く測深鉛が降ろされていて、その意義が百年を隔ててようやくあきらかになりつつあるらしい。
精神分析が精神医学界の片隅で一つの学派として知られつつあった1906年、フロイトはユングから「グラディーヴァ」という短い小説を教えられて、惚れこんで、ほぼ同じ分量の長文の論文を書いた。本書は元の小説とフロイトの論文を種村季弘氏が邦訳し、一冊にまとめた本である。
「グラディーヴァ」はローマ時代のレリーフに描かれた女性に恋した考古学者が、ポンペイの遺跡で生きている彼女に出会うという幻想小説風の物語で、大島弓子の少女漫画を思わせるところがある。
フロイトは考古学趣味からこの小説にいれこんだという見方があるが、それだけだったら、こんなに長い作品論は書かなかったろう。この物語には「抑圧」と「夢の検閲」の例証となるような結末がついているのである。
フロイトの論文の方は大昔に読んでいたが、例によって辻褄が合いすぎているような印象を受けたものだった。今回、元の小説と読みくらべてみて、フロイトはこじつけわけでもなんでもなく、テキストに即して、きちんと読んでいるのだと確認した。
『夢判断』は「グラディーヴァ」の書かれた三年前(1900年)に刊行されていたが、1909年までに351部(!)しか売れなかったそうで、シュトゥットガルトで活動していたイェンゼンが読んでいたとは考えにくい。この『夢判断』を裏書きする愛すべき小品が時を同じくして書かれていたというのは時代精神のいたずらだろうか。
「グッバイ・モロッコ」の原作である。「フロイド」と英語読みになっているが、著者はあのフロイトの曾孫とのこと。
著者は五歳の時、ヒッピーだった母親に連れられてモロッコにわたり、安ホテルで耐乏生活を送り、スーフィズムにかぶれてアルジェまで引きまわされる。本書はこの波乱万丈の幼年時代を描いた自伝小説で、子供の強みだろうか、ひどい生活でも平然としている。
実話なのでごちゃごちゃしているが、映画は人物を絞りこんでいる。母親の恋人のビラルはかなり違う。映画の方は一家の帰国費用を作るために、身の危険を冒してアトラクションの衣装を売るという人情話にしてあるが、原作ではきわめてトリックスター的である。ビラルはなんと一家に物乞の看板をもたせて、バザールの裕福な商人をまわらせるのだ。イスラム教では乞食は職業として認められているということもあるが、多くの喜捨が集まり、帰国の旅費ができる。
テンポの早い淡々とした文章は悪くないが、描写が簡潔すぎる。映画の場面を思い起こしながら読んだが、映画を見ていなかったら、物たりなく感じたかもしれない。
精神分析医によるラカン論で、精神分析の誕生神話であるアンナ・Oの症例のスキャンダル、ラカンが教育分析を受けたレーベンシュタイン、コジェーヴのヘーゲル講義とバタイユ、妻殺害にいたったアルチュセールの個人生活、デリダの『郵便葉書』におけるラカン批判と、さまざまな話題が取りあげられている。
レーベンシュタイン以外はどこかで読んだことのある話が多いが、取りあげ方が一味違うように感じた。どこが違うのだろうと思いながら読み進めたが、最後の二章にいたって、臨床家の視点から書いているのだと気がついた。著者は臨床経験からフロイトを読み直した点においてラカンを評価し、臨床経験から離れた点において批判しているのである。
ラカンが第一級の臨床家であることはよく知られているが、自分があつかった症例については初期を除くとまったく言及していない。ラカンには精神分析医におなじみの症例研究がないのだ。
だから、臨床と理論のからみがうかがいしれないのだが、著者によると、1960年代後半、おそらく1968年と69年の間に断絶があり、それ以降、ラカンは臨床経験からはなれて、理論のための理論をもてあそぶようになったという。
精神分析を受けたことがないので、雲をつかむような話だが、それでも本書にはかなりの説得力を感じた。
著者の東氏の名前は通信傍受法の可決が強行された際、メール傍受について唯一まともな批判を述べていたので記憶に残っていたが、本書はデリダ、それもわけがわからないので有名な第二期デリダを論じているというので、おいそれと手にとる気になれなかった。
第二期デリダはラカン批判を柱にしているので、ラカン関係をつづけて読んだついでに読んでみたが、なかなかの本である。脱構築を論理的脱構築と郵便的脱構築にわけ、第二期にいたって郵便的脱構築が全面にでてきたという指摘は世界的なレベルの業績といっていいと思う。
問題は郵便的脱構築のもつ意義と射程が十分明らかにされていないことだろう。
著者は郵便と電話のズレを例にあげているが、むしろ電子メールやBBSを例にすべきだったのではないか。本格的な電子テキスト時代をむかえようとしている今日、本書はきわめてアクチュアルな問題提起をおこなっている。
『存在論的、郵便的』がよかったので期待して読みはじめたのだが、いきなり業界の話がでてきて、がっくりした。処女作にあたる「ソルジェニーツィン試論」も「確率論的死」という観点はおもしろいが、絵に描いたような文芸評論のスタイルで書いてあって、途中、何度も放りだしそうになった。古い皮袋にいれたために、新しい酒が腐ってしまったようなものだ。
パロディでやっているわけではなく、どうも本気で業界標準のスタイル(と著者が考えるもの)に合わせようとしているらしい。そのことは無視していいような三流・四流のライターの発言にいちいち神経質に反応していることにもうかがえる。
はっきり言うと、この10年の文芸評論は末期的段階に来ていて、わざわざ仲間入りする必要はない。ゴミを相手にするのは才能の浪費である。もっとまともな仕事に取り組んでほしい。
うっかりしていたが、新潮文庫の宮澤賢治の本は一新されていた。三冊から五冊に増えただけでなく、天沢退二郎氏が作品を選びなおし、解題と注解をつけ、本文は筑摩書房の『校本 宮澤賢治全集』に拠っている。旧版の「銀河鉄道の夜」などは明らかに校訂が怪しかったが、日本を代表する文庫にようやくまともなテキストがはいったわけである。
本書は拾遺的な短編集で、一種のユートピア小説といえる「ポラーノの広場」、小品ながら神話的な悠久の時間を感じさせる「竜と詩人」、なんとはなしにおかしい「とっこべとら子」など、知られざる傑作を集めていて、宮澤賢治の底知れない深さを再認識させてくれる。
「銀河鉄道の夜」の第三稿がはいっているが、ここには最終稿では消されてしまったブルカニロ博士が現実世界で生きぬくように教える一節がある。「風の又三郎」の初校が「風野又三郎」として収録されているが、こちらはストレートなファンタジーで、やはり又三郎は超自然的な存在だったのかと納得した。
三島由紀夫の評伝である。第一章「原敬暗殺の謎」は原敬の懐刀だった祖父平岡定太郎を、第二章「幽閉された少年」は無能な農林官僚だった父平岡梓と陰々滅々な三島の少年時代を、第三章「意志的情熱」は『金閣寺』で頂点をきわめる小説家としての三島を、第四章「時計と日本刀」は疑似政治活動にのめりこんでいく晩年を描く。
一、二、四章は伝記、三章は評論にあたるが、伝記部分の方が圧倒的におもしろい。単に一小説家の生涯の記述にとどまらず、著者のライフワークである官僚独裁制批判につながるモチーフを三島の一族に見いだしているからである。
原敬は藩閥以外で最初に首相になった政治家であり、平民宰相といわれていたが、政官癒着の原点でもあった。戦前、知事は中央の任命制だったが、原は藩閥がらみの無能な知事を一掃し、帝大出身の優秀な内務省官吏を任命したが、その見返りに、政治献金をもとめた。原に見こまれた官僚知事は利権あさりに励まなければならなかった。
三島の祖父の定太郎も例外ではなかった。大阪府書記官から福島県知事に引きあげられ、樺太開発庁長官に抜擢されたものの、政友会のために多額の選挙資金を要求され、ついに疑獄事件で失脚する。定太郎は巻き返しをはかるが、植民地の利権がらみのダーティな仕事をまかされ、阿片の密輸にまで手を出してしまう。その後は踏んだり蹴ったりである。
三島は定太郎については『仮面の告白』でわずかに言及しているにすぎないが、『花ざかりの森』の刊行にあたっては定太郎の人脈の世話になっているらしい。定太郎は樺太に王子製紙を誘致し、同社の発展に大きく寄与したが、戦時中の物資不足の時代、19歳の新人が本を出せたのは王子製紙から紙の提供があったからだというのだ。もちろん、そのことと『花ざかりの森』の評価は別であるが。
父の梓はまったく無能な官吏だった。本書にはいろいろエピソードが集められているが、よくもこんな男が本省の局長まで出世したものだとあきれる。農地改革につながるような画期的な法案を、不用意にリークしてつぶしてしまったという。一高、帝大、農商務省の同期に岸信介がいたというは皮肉だ。
『仮面の告白』の舞台裏は興味深い。先日、書簡が発見された式場隆三郎もS博士として登場する。
最後の章では楯の会にいたる疑似政治活動を追跡している。楯の会は政治的ままごとだろうと思っていたが、ままごととばかりはいえない動きが裏にあったようである。
本書は1996年末に「文藝春秋」に集中連載されたが、連載中から評判になり、行政改革の方向に大きな影響をあたえたとされている本である。本書が出た後、新聞やTVが後追いで公益法人の出鱈目ぶりを特集するようになったが、遅ればせながら読んでよかったと思う。オリジナルの気迫にくわえて、事実が積み重なって一つの絵となっていく衝撃力は無類である。
表題に「日本国の研究」とあるが、この「日本国」とは一般国民の目に隠されてきたもう一つの日本国である。表向きの日本国の中心は霞ヶ関と永田町にあるが、もう一つの日本国の中心は虎ノ門にある(虎ノ門には各省庁の外郭団体や公益法人が集中)。著者の第一の功績は虎ノ門に国会の国政調査権すらはねつける底知れない闇がわだかまっている事実に光をあてた点にある。
意外だったが、虎ノ門は永田町や霞ヶ関よりもはるかに日常生活に密着した存在である。JAF、高速道路、林道、農道(意外な道路が林道や農道になっている)、水道、郵便(ポストから郵便物を集めるのは郵便局職員ではなかった)、公団住宅、老人ホーム、公営保養施設、なんとかホール、さらには○○士というような権威ありげな資格等々。虎ノ門のネットワークは行政サービスの毛細血管にあたる領域にはりめぐらされていたのである。
本書が出た時点で日本国の累積債務は440億円。四年後の現在は660億円に増えているが、それを尻目に、虎ノ門のネットワークは怪しげな補助金や協賛金、一般国民を対象にした会費、受講費、受験料等々を吸いあげているのである。国民の生血を吸う寄生虫以外のなにものでもないが、その上前をはねているのが永田町と霞ヶ関なのである。
恐ろしいのは、本書があらわれるまで、当の役人をふくめて、事態がここまでこじれていたことに誰も気がつかなかったらしいことである。大東亞戦争時、陸軍と海軍は互いに本当の損害を隠したために、作戦がいよいよ現実離れしていき、無益な犠牲が増えたといわれているが、各省庁と外郭団体は同じ轍を踏んでいるらしい。
日本はもっと悪くなるだろう。
「週刊文春」の連載コラムを集めた本なので、『日本国の研究』のような深さはないが、幅広くフィールドワークしており、公益法人という癌腫はこんなにもはびこっていたのかと、暗澹たる気分になる。病巣の全貌を明らかにするには『日本国の研究』クラスの本が百冊くらい必要なのではないか。
各所で披露される数字がおもしろい。日本の国有財産は87兆円あり、そのうち、処分可能なのは簿価で8兆円、時価で16兆円分の国有地だそうである。47都道府県のうち、32府県には議会に予算委員会がないという。アメリカの格付機関がBaaとした企業の債務不履行率は10%、Baは40%だそうだ。最高のAaaでも2%というから、Aaaだからといって安心はできない。
『日本国の研究』の後日譚ものっているが、組織の名称を替えたり、とりあげられた区間の工事を中止したりしただけで、実質はなにも変わっていない。あれだけの本でも、永田町、霞ヶ関、虎ノ門のトライアングルは微動だにしなかったわけである。
『蜻蛉日記』に材をとった王朝ものの長編だが、主人公は道綱の母として知られる『蜻蛉日記』の作者ではなく、「町の小路の女」である。著者は道綱の母に「紫苑の上」、「町の小路の女」に「冴野」という名前をあたえている。紫苑の上が紫の上なら、道兼の正妻の時姫は葵の上、冴野は夕顔の見立てだろうか。
「町の小路の女」は原作にはほんの十数行言及されるにすぎない。著者は道兼に捨てられ、姿を消す「女」に、行方不明になった生母を重ねて見ずにはいられなかったと「あとがき」に書いているが、本書のモチーフは生母の霊をなぐさめることにあったとは必ずしもいえないと思う。最初の動機は慰謝にあったのかもしれないが、書きすすめていくうちに、冴野はすべてをわきまえた、悟りきった女性像に理想化されていき、著者の不幸な生いたちとは別の源からエネルギーを汲んでいる観がある。
それが何かといわれたら、答えにくいのであるが、どろどろした世俗の世界を描きつづけてきた著者は晩年にいたって一つの諦観に達したということではないか。そこがこの小説の弱さであり、おもしろさでもある。
鷗外がドイツ留学から帰った直後の1888年9月12日、Elise Wiegertというドイツ人女性が横浜におりたった。鷗外一家は華族の令嬢と縁談のすすんでいる跡とり息子をベルリンから恋人が追いかけてきたというので慌てた。妹婿の小金井良精(星新一の祖父)らが説得にあたり、一ヶ月後彼女はおとなしく帰国することになる(この間の事情はマンガにもなっている)。
彼女は「舞姫」のエリスのモデルと考えられているが、Wiegertがドイツでは珍らしい姓であること、香港の英字紙に残る船客名簿にたまたま Miss Elise Weigertとあったこと、ライプチヒ大学関係者の縁者でエリーゼ・ヴァイゲルトなる女性がベルリンに実在していたことで、エリス=ヴァイゲルト説がほぼ定説となっていた。
『『舞姫』―エリス、ユダヤ人論』によるとテレビ朝日系列で1989年5月に放映された「百年ロマンス・舞姫の謎」で提唱されたものだが、5歳年上の人妻がエリスのモデルだとするテレビ朝日説自体は定説どころか鷗外研究者の間ではまったく相手にされていないという。しかし一部の研究者の思いこみにすぎなかったエリスをユダヤ人とする説が研究者の間で話題になり、テレビ朝日のエリーゼ・ヴァイゲルトのサロンに奉仕していた娘ではないかとか、未発見の別のエリーゼ・ヴァイゲルトという女性がいるのではないかといったさまざまな妄想がうまれ、エリスをユダヤ人とする説を研究者の間で常識化させてしまったのは「百年ロマンス」の責任であろう。(Jul31 2012)
だが問題は年齢である。エリスは15、6歳の少女として描かれているのにエリーゼ・ヴァイゲルトは31歳の人妻で鷗外より5歳年長、子供が二人いたらしい。鷗外は子持ちの人妻と不倫をしていたというわけだろうか。
著者は法学者だが、在外研究員としてベルリンに滞在した機会にエリス探しに挑んだ。従来の探索はベルリンの壁にはばまれ伝聞と二次資料に頼るしかなかったが、著者は本職の法律知識をいかして新たに公開された東ベルリンの記録を博捜し、エリーゼ・ヴァイゲルトの実像を明かにし彼女がエリスとは考えられないことをつきとめた。たまたま名前が似ていたという理由でひっぱりだされただけで、彼女は鷗外と会ったことすらなかっただろう。ヴァイゲルト説にはなんの根拠もない。
著者はさらに探索をつづけ、ついにエリスとおぼしい女性をつきとめる。鷗外の第二の下宿とフランス語を習いに通っていたベック宅のほぼ中間の位置に住んでいた16歳のアンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトである。
「舞姫」のエリスは仕立屋の父親を亡くした寄る辺ない踊り子だったが、ヴィーゲルト嬢は裕福な仕立屋の娘だった。鷗外のベルリン滞在中に祖父を亡くして不動産を相続しているから旅費をまかなうことは不可能ではない。
出国記録は第二次大戦で燃えてしまったらしく状況証拠にとどまるが、これまでで最も有力な説と言っていいだろう。鷗外晩年の子供である次女と三男の
エリス探しにどれだけ文学的な意味があるかはともかくとして、往事のベルリンを一次資料によって明らかにした功績は大きい。
関連リンク : 「舞姫」探訪
追記1: 上記中、「香港」を「上海」と誤記していた点を冨崎逸夫氏からご指摘いただいた。
メール中に興味深い一節があったので以下に引用せていただく。詳しくは冨崎逸夫「ゲネラル・ヴェルダ−号の一等船客」(「鷗外」42号 1988))参照。(Jun08 2001)
ちなみに、同紙が乗船者として Miss Elise Weigert
の名前を挙げているのは、エリーゼ来日途上の1便
(香港到着− Braunschweig号)だけで、あとの3便
(横浜向け香港出航・帰国途上香港到着の往復2便
General Werder号・最終 香港出航ーNeckar号)
の船客名簿では、何れも Miss Elise(E.).Wiegert と
なっていました。エリーゼが来日した際の横浜はもと
より、帰路に出航または寄航した横浜、神戸、長崎でも
同様でした。つまるところ、ここでいうエリスは、本来ヴァイゲルトで
はなく、ヴィーゲルトであったわけです。
追記2: 2010年11月19日にNHKで放映された「鴎外の恋人―百二十年後の真実」というドキュメンタリも植木説にもとづいていた。(Nov19 2010)
追記3: 六草いちか氏の『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』によってエリス問題に最終的な決着がついた。植木説は結果的に間違っていたが、六草氏の探索は植木氏をうけつぐ形で遂行されたので植木氏の著作には十分意義があったといえる。(Jul29 2012)
鷗外は本名の森林太郎としては軍医総監にまでのぼりつめた陸軍官僚だった。従来の鷗外論は役人森林太郎を無視するか、視野にいれればいれたで、役所の実態に無知なために、的外れな憶測と深読みに終始していた。政官界を舞台に多くの作品を書いてきた松本にはこのあたりが歯がゆくてならなかったのだろう。本書では有名どころの鷗外論がばっさばっさと斬り捨てられていく。
最も槍玉にあげられているのは鷗外が小倉「左遷」を不服として、山県有朋をかついでクーデタを計画したという奇説を出した唐木順三と、唐木説を踏襲した中野重治である。
クーデタ説が文壇内部で政治ごっこに明け暮れていた私小説評論家の空想でしかないのはわかりきったことだが、松本は小倉赴任が「左遷」ではなかったという最近の研究を参照し、明治官界における旧幕テクノクラートと陸軍における軍医コースのからみに筆を進めていく。どちらも出世に見えるが、実際は傍流にすぎない。鷗外は長州閥に連なっていたとはいえ、隣国津和野の出身であり、陸軍で出世するには山県に接近する必要があった。
石川淳については澀江保が鷗外に提供した抽齋資料が原型に近い形で『澀江抽齋』に使われていることを考證した研究が昭和八年に出ていたにもかかわらず、『澀江抽齋』が鷗外の全面的な創作であるかのように評価した点を怠慢と批判している。
しかし、結末に近い部分では石川の『北條霞亭』論の一節を引き、最大級の賛辞をささげている。
これは石川淳鷗外論の白眉だろう。いまから五十年近くも前に書かれたのだ。石川淳氏壮年時の眼力である。
後進の研究者は、石川氏の「抽齋」論をよく援用するが、この「霞亭」論には一顧もしない。鷗外の肺腑を衝いたこの五百字は、他のいかなる大著の鷗外論にもよく拮抗し得よう。
松本がここまで絶賛するのは鷗外を生涯尊敬した石川が、鷗外の俗人の部分を見抜き、文学者であり官僚でもあるという「両像」を正確に押さえていたからにほかならない。
以上は幹にあたる論旨だが、本書は鷗外の史傳を意識していて、掃苔記、紀行、随筆、考證になるというように存分に枝葉を繁らせている。離婚後、西周に破門されたという定説を疑い、自嘲とされてきた「空車」を白樺派への諷刺と解くなど、刺激的な見解が多い。
『国民の歴史』を礼讃する対談本である。笑ってしまうような題名だが、『国民の歴史』はおもしろかったので、読んでみた。
仲間ぼめの域を出ないが、ところどころおもしろい指摘がある。
イザナギ、イザナミの男女神の国産みのくだりで、最初、蛭子が生まれたので、占いをしたとある。そこに注目して、西尾は「神がいることはいるのです。だが、その神は占いをするような神なのです。……中略……日本の最高超越神である天津神は自己決定力を持っていないのです」と語る。
丸山眞男にいわせれば、日本の無責任体制の根源ということになるのだが、長谷川は「科学的態度」と評価し、仏教と同じ地平にあるとする。贔屓の引きたおしだが、着眼点はおもしろい。
漢字仮名交じり文の発明で日本人は漢字という異質な存在を飼い慣らしたが、そのことによって外部を失い日本語内部に閉じこめられたとする論考である。日本文化のなんでもとりこむ雑食的性格を指摘した論者は多いが、その原因を民族性のような抽象概念ではなく、日本語の表記法という目に見えるルールにもとめた点で従来の日本人論とは一線を画す。
似たような論点は柄谷行人氏が『日本精神分析』で提出していたが、初出は1984年の『中央公論』だから著者の方が早い(政治的に正反対なので、柄谷氏が長谷川論文を読んだ可能性は多分ないと思う)。字喃と仮名の比較などきわめて犀利である。
西尾氏との対談でも感じたが、著者は構造主義のコの字も出してはいないものの、間違いなく構造主義の洗礼を受けた人である。日本人には自己がなく、「世間」しかないという点を逆手にとって谷崎を評価した『細雪』論が出色だが、こういう文章はフランスの批評を相当読みこんでいなければ書けない。
発売直後に購ったものの、厚さが厚さだけにずっと積ん読にしていた本だったが、読みはじめると滅法おもしろい。
副題に「ヤハウィストの冒険」とある。ヤハウィストとは「創世記」の元になったJ資料の作者として想定されている人物である。もちろん、J資料は多くの宗教者の手によって、徐々に書かれたとする説もあるが、著者は個人によって書かれたと断定する。きわめて特異で、過激な神学思想と、明確な構成意識が見られるからだ。
ヤハウィストの神学思想が見えなくなってしまったのは『聖書』の編纂過程で、もう一つの創世譚であるP資料と巧妙に継ぎあわされ、パッチワークにされてしまったからである。著者はP資料の作者はJ資料を知っていたばかりか、ヤハウィストの神学思想に反駁するためにP資料を書いたとする。巻末にJ資料とP資料に分離した「創世記」が載っているが、なるほど、こうして読んでみると水と油である。
著者によれば、ヤハウィストは一切の土着性を切断して、抽象的な言葉だけによって確認できる神を確立しようとしたが、言葉そのものの土着性のために、みずから企てを放棄せざるをえなくなったとする。その思想劇のクライマックスがバベルの塔の説話だというが、言語の土着性に着目するあたり、『からごころ』とモチーフが共通している。
今回の本ではフーコーの名前がちらと出てくるくらいで、構造主義とは名乗っていないが、本書の論証の手口は構造主義批評そのものである。構造主義批評とは何かという講釈をする人は多かったが、構造主義批評の方法論を自家薬籠中におさめて、実践した批評家はほとんどいなかった。著者は本書でそれをやってのけている。みごとである。
昨年、NHKで放映された同名の番組をもとにした本で、「根源からお金を問うこと」と副題にあるように、エンデの資本主義批判と世界各地で実践されている地域通貨を紹介している。エンデとは、もちろん、『モモ』や『終りのない物語』の作者のミヒャエル・エンデである。
エンデはルドルフ・シュタイナーの思想に深く依拠していた。シュタイナーはオカルティストないし教育家として有名だが、ブリュッゲの『シュタイナーの学校・銀行・病院・農場』あたりを読むとわかるように、現代社会をトータルに批判した思想家であり、シュタイナー思想にもとづく銀行や病院、農場は半世紀以上つづいている。
『モモ』に登場する時間泥棒が経済人の戯画であることは見やすいが、エンデはもう一歩踏みこんでいて、自己増殖するお金(資本)そのものを批判していた。その背景には「お金も年をとらなければならない」とするシュタイナーの資本主義批判と、シルビオ・ゲゼルの自由貨幣の思想があるという。
ゲゼルの名前は番組ではじめて知ったが、お金も一般の商品同様、時間がたつにしたがって減価していかなければならないというマイナスの利子(!)を提唱した経済学者で、その過激な経済思想と生涯をとりあげた部分はおもしろい。こういうややこしい話はTVでは無理である。
ゲゼルの自由貨幣は大恐慌時代、ドイツとオーストリアの一部で地域貨幣の形で実践され、かなりの成果をあげた。ドイツとオーストリアの試みは国家の介入でつぶされたが、その思想はスイスやアメリカに移植されていて、後半はそのルポルタージュである。
地域通貨イサカアワーで有名なイサカは「地球に乾杯!」という紀行番組でもとりあげていた。コーネル大学を中心とする東部の大学町で、もともとリベラルな土壌があったわけだが、植民当初はイロコイ連邦の貨幣を使っていたという。アンダーウッドの本に登場した、あのイロコイ連邦である。
イサカのファーマーズ・マーケットののんびりした買物風景を見ると、物々交換の補助にオモチャのお金を使っているといった方が実情に近い気がするが、物々交換的な制約が貨幣の過剰発行=信用崩壊の歯止めになっているらしい。中堅銀行にまで成長したスイスのWir銀行も、物々交換の素朴さを残しているようだ。
日本でも不況打開のために地域通貨が注目されているようだが、大部分の地域通貨はマイナス利子ではなく、ゼロ利子に後退している。日本は八月まで実質的にゼロ利子だったが、効果はさっぱりだった。地域通貨の意義は利子よりも、素朴な交換を促進するところにあるのかもしれない。
先日、朝日新聞の書評欄に「パロディで撃つ資本主義
」という惹句でとりあげられた本である。
白いコート紙に印刷された本篇と、クリーム色の普通紙に印刷されたNAM結成総会報告論篇(地域通貨、生協のバナナ輸入、生産協同組合について論じる)にわかれる。本篇はNAMのホームページで全文が公開されている。
朝日の書評子がパロディとうけとったのも無理はなく、プロレタリアート独裁、生産協同組合による共産主義等々のお宝的文言がならび、最後の部分ではなんとNAM(新協同組合運動)への「結集」を呼びかけている。悪い冗談というしかない。
しかし、漏れ聞くところによると、(すくなくとも)柄谷氏は麻原彰晃の衆院選立候補と同じくらい本気らしいのである。
柄谷氏の自信の背景は「世界商品」と題された一節を読めばわかる。マルクスの当時小資本で経営できる軽工業の時代で、綿製品が「世界商品」だったが、レーニンになると重工業の時代になり、「世界商品」が機械製品や化学製品に交代した。巨大資本でなければ競争に参加できなくなり、国家が経済に介入するようになった。しかし、IT革命によって「世界商品」が情報に代わり、小資本の出番がまためぐってきた、というわけだ。
鬼面人を驚かすマルクス主義用語で語られているので、パロディと誤解する人が出てくるわけであるが、具体的な主張としてはスモール・ビジネスとアウトソーシングの勧めにすぎない。
スモール・ビジネスとアウトソーシングだけなら日経のビジネス書と変わらないが、NAMのNAMたる所以はくじ引きによる代表選出を提案しているところにある。くじ引き制は柄谷氏のオリジナルで、くじ引き制こそ真の「プロレタリアート独裁」だとしている。
今回のアメリカ大統領選挙では投票用紙にうまく穴があいたかどうかという偶然の要素が結果を作用していたことが暴かれた。ブッシュ氏はくじ引きで選ばれたようなもので、今後四年間、柄谷氏流にいえば、アメリカはプロレタリアート独裁国家となる。
この点に関しては日本の方が進んでいて、過去20年間の首相は密室のくじ引きで選ばれたに等しく、プロレタリアート独裁政権がつづいていたわけだ。
冗談はともかくとして、社会主義は個人を抑えるために官僚機構を強大化せざるをえないが(本書はその点については口をつぐんでいる)、くじ引きによって官僚機構をかきまわせば特権階級化が防止できるとでも考えているのだろう。だが、官僚機構はそんなに甘くはなく机上の空論にすぎない(本気で官僚をコントロールするつもりなら、小室直樹氏の提唱するように、宦官制度かスターリンの粛清なみの暴力装置を創設する必要がある)。
スモール・ビジネスとアウトソーシングは方向としては正しいから、協同組合はある程度拡がるかもしれないが、資本主義体制の補完物以上のものにはなりえない。強いて利点を探すなら、左翼人間が自暴自棄になると「従軍慰安婦」のような飛び道具に走りかねないので、NAMという「希望」で防止する効果があるかもしれない。
犯罪少年の親が「世間」から責められるのは不当だという話からはじまっているが、そういう境遇の人が本書を読んでもうるところはないだろう。表題に「倫理」をかかげてはいるが、中味はマルクス主義の護教文書にすぎないからだ。カント流に「倫理」は実践的立場を選ぶという態度変更から生まれるとしているが、本書の「倫理的であれ」は「マルクス主義者であれ」というに等しい。
未来のすべての世代のために生きることが「倫理」だというが、『優生学と人間社会』は、まさにその未来の世代のためという美名のもとに障害者に断種が強制された過去をあきらかにしている。優生学の「倫理」に対抗できたのは頑迷固陋な保守主義者だけだった。
柄谷氏は『マルクス、その可能性の中心』で、学問的に破綻した労働価値説を排撃することによって、マルクス主義の再生をはかったが、今度は「倫理」以外のすべてを切り捨てて、潰走しようとしている陣形を建てなおそうとしているのだろう。だが、その「倫理」が腐っている以上、どうしようもないのである。
同題の映画の原作である。以前、映画を「悪魔的」と評したが、原作は映画よりもさらに「悪魔的」である。巧妙さと巧緻さにおいてまさるだけでなく、桁違いに意地が悪い。著者は鬼畜である。
映画の方は功なり名を遂げた出版人という設定で、薄幸のうちに死んだ恋人のための仇討ちという大義名分が救いになったが、原作では作家に対する編集者の嫉妬というか、やっかみというか、ふつふつ煮えたぎるどす黒い感情が見えてしまうのだ。
映画はみごとな犯罪を見とどけた爽快感があったが、原作は後味がよろしくない。しかし、十年に一つの傑作であることは否定できない。
1996年に『呪いのデュマ倶楽部』という題名で訳されたが、同題の映画の公開にあわせて文庫化されたもの。原題は『デュマ倶楽部、あるいはリシュリューの影』。
ポランスキーの監督した映画の方はいまひとつだったが、原作が気になって手にとったところ、はたして段違いにおもしろい。映画版は主人公のブックハンターが『九の門』という魔道書の謎を解く話に単純化されていたが、原作ではもう一つ、デュマの『三銃士』の自筆原稿が登場する。主人公が行く先々で出くわす事件はどちらの本が原因になのか、二つの本は関係があるのかないのかという謎がくわわっている。書巻の気が立ちこめていて、『三銃士』を読みかえしたくなった。
映画版ではボリス・バルカンが悪役で、マンの町で開かれる黒魔術の集会(ここで白けた)に闖入し、大演説をぶったが、原作では彼はデュマおたくの文芸批評家で、マンの集会は黒魔術の集まりではなかった。原作は映画とは違って、洒落た話である。
映画版ではリアナ・タイリェフェルは黒髪のレナ・オリンが演じていたが、本当は金髪でなければいけない(理由は読んでのお楽しみ)。エマニュエル・セニエが演じた謎の女にはイレーネ・アードラー(!)という名前がついていて、学生風の服装は原作通りだった。どうせ原作からはなれるなら、セクシーな衣装にした方が、彼女の魅力を活かせただろう。
訳文は4章までは稚拙である。主人公はパソコンを使っているが、QWERTY配列のキーボードを「クォーティ社製のキーボード」とするくらいは御愛敬として、現実のファイル、フォルダーと、パソコン上のファイル、フォルダーを混同しているのはまずい。また、「連載小説」と訳すべきところを、4章までは「連作小説」と訳している。5章からは急に読みやすくなり、「連作小説」は「連載小説」に直っている。下訳者が変わったのか。
「グリーン・デスティニー」の原作が読みたかったのだが、日本人の書いた粗悪なノベライゼーションしかなかったので、以前から気になっていた金庸を読んでみた。
中国語圏のベストセラーになるだけあって、確かにおもしろい。狄雲という純朴な剣士が冤罪で捕らえられ、獄中で出会った謎の男からから秘術を伝授される。脱獄するものの、宝探しに巻きこまれる。笑いあり、涙あり、サスペンスあり、謎解きありで、一瞬も飽きさせない。人物造形は類型的だが、ところどころで人間観察の深さを感じさせる。あるいは、これもテクニックか。
狄雲は師父から必ず相手を屍にするという意味の「躺死剣法」を仕込まれるが、その流派は正式には「唐詩剣法」と書き、型を唐詩選の詩であらわしていた。「哥翁喊上来、是横不敢過」(大声で慌てて叫ぶ)と教えられた型は本当は「孤鴻海上来、池潢不敢顧」だったというように、師父は表面的な技しか伝授しなかったのだ。なぜそんなことをしたのかが伏線になるが、詩に要訣を隠すという衒学的ないやらしさは剣法に限らず中国門派でまま見られることである。
善人面をした小悪党がうじゃうじゃうごめく中、血刀老祖という正真正銘の悪僧が異彩を放っている。こういうスカッとした悪人は好きだ。
中国には「恋愛」、なかんずく「プラトニック・ラブ」がないという説があるが、この作品も、「グリーン・デスティニー」もプラトニック・ラブが柱になっている。西欧思想の影響なのだろうか。それとも、通俗小説のレベルではプラトニック・ラブがあったのか。
今年出た新しい文庫版である。藤島武二による初版の装丁を活かした表紙と色刷の八葉の木版画、大きな活字でゆったり組んだ本文、代表歌の現代語訳と注解、60ページの評伝、田辺聖子のエッセイとよく考えてあって、これで400円なのだから、無料の電子テキストに対抗できると思う。こういう文庫が増えてほしい。
はじめて読んだが、構成がよく考えてあって面白い。冒頭の「臙脂紫」には「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」のような有名な歌がならぶ。情熱のほとばしる若々しい詠みぶりで押しまくった後、「蓮の花船」で乙女の空想にもどる。ライバルで親友だった山川登美子に寄せた親密な歌を集めた「白百合」につづき、プライベートな「はたち妻」と物語的な「舞姫」で雅びやか世界に遊んだ後、「春思」の思いっきり官能的な歌で圧倒する。一時間で読める分量だが、二時間、三時間かけてゆっくり楽しみたい。
印象深い歌を書きうつしてみる。
ゆあみする沈みの底の小百合花二十の夏をうつくしと見ぬ
ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清瀧夜の明けやすき
乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き
うながされて汀の闇に車おりぬほの紫の反橋の藤
ひとまおきてをりをりもれし君がいきその夜しら梅だくと夢みし
たけの髪をとめ二人に月うすき今宵しら蓮色まどはずや
夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘
歌の手に葡萄をぬすむ子の髪のやはらかいかな虹のあさあけ
21歳から32歳にかけて書かれた前期短編10編を集めている。三番目にくるべき「日輪」が長さの関係で最後におかれている点を除けば、執筆年代順にならべられているようだ。新感覚派の僚友だった川端康成が解説を書いている。
同人誌時代の「火」、「笑われた子」は田舎の純朴な子供をくっきり描きだしている。昔はこんな子供がいたなとなつかしく思ったが、文章の的確さは尋常ではない。あくまで簡潔でありながら、志賀直哉よりも解像度が高い。こんなすごい文章を20歳前後に書いていたとは。
「日輪」は古代史もので、生田長江訳の『サランボー』の影響で書かれたという(直訳調の文体もふくめて)。卑弥呼が主人公だが、邪馬台国ではなく、不弥国の王女として登場する。どうやって邪馬台国の女王になったかがストーリーのポイント。純朴路線とはまったく違う才気ばしった作品だ。
「春は馬車に乗って」と「花園の思想」は病妻ものだが、新感覚派の実験的な文体で書かれており、私小説とは一線を画す。「花園の思想」の方が実験度が高く、しかも成功している。「小説の神様」という評価は伊達ではない。
「機械」は文学史上有名な一篇。「花園の思想」よりもさらに実験的な作品だが、筒井康隆の実験小説と同じで、山場もあれば、オチもある。こなれているというか、いろいろな意味でプロの仕事である。
言及しなかった作品もふくめて、どれもすごい才能の産物だが、最初の二篇をのぞくと、感動とは別の方向に向かっているような気がする。
32歳から34歳にかけて書かれた長編小説だが、文句なしの傑作である。『日輪・春は馬車に乗って』所収の短編だけだったら、横光は忘れられるべくして忘れられたで片づけてかまわないが、こういう作品を書いていたとなると別である。
奈奈江というはねっかえりの若夫人を中心に、猟銃がうまいだけの婿養子の夫、株で失敗して身代を傾けた元恋人、奈奈江が後見している義理の妹、片端からちょっかいを出している不良大学院生がそれぞれ心の波紋を交差させていく。「通俗小説にして純文学」とか「第四人称」といったスローガンで横光を敬遠してきたが、あの不器用なもの言いは横光が理論的な頭をもっていなかったためであって、実作ではフランスの心理小説を日本語で実現していた。なんという瑞々しさ、新鮮さだろう。横光、恐るべし。