白川静氏が亡くなった(Sankei Web、asahi.com)。氏の業績と生涯についてはここで屋上屋を架すまでもあるまい。今後、白川漢字に対する批判が出てくるだろうが、学会の白眼視の中で鍛えあげられた学説だけに、枝葉が訂正されることはあっても大本は揺るがないと思う。
白川氏の著書を読んだことのない人は平凡社から出ているムック、「白川静の世界」か、岩波新書の『漢字』がお勧めである。若い読者向けに書かれた高校の国語教師の山本史也氏との共著『神さまがくれた漢字たち』も評判がいい。『常用字解』が売れているようだが、元になった主著の『字統』を読んだ方がいい。現在、書店に並んでいるのは2004年の新訂版で、200字追加された上に本文が改訂されているという。白川氏は最晩年までつづけた改訂をつづけられたわけだ。
オゾンにしては話題にならなかった作品でノーマークだったが、これは傑作である。
マリオン(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)とジル(ステファン・フレイス)の離婚の手続きの場面からはじまる。判事が離婚条件を淡々と読み上げる。重苦しい雰囲気。だが、二人はその後、ホテルに部屋をとり同衾する。別居したものの、お互いにいいことはなかったらしい。夫婦のだれた雰囲気が生々しい。マリオンは途中で拒むが、ジルは強引に行為をつづける。二人はしらけきって別れる。
次の場面では倦怠期にさかのぼる。二人はジルの兄でゲイのクリストフ(アントワーヌ・シャピー)と、その同居人の若いマチュー(マルク・ルシュマン)を夕食に招く。食後の歓談でクリストフはマチューの浮気を許していると語ると、ジルはマリオンと乱交パーティーに出かけた話を披露する。マリオンの見ている前で、他の女と次々とセックスしたと自慢しはじめる。クリストフに対する対抗心かと思ったが、どうもマリオンに対する対抗心らしい。二人の間にはなにかあるぞという謎かけ。
次はマリオンの出産の日。早産で病院にかつぎこまれるが、マリオンから連絡を受けたジルは秘書にもう電話をつなぐなと命じて仕事をつづける。病院ではマリオンの母のモニク(フランソワーズ・ファビアン)が立ちあって帝王切開に。ジルがやっとあらわれた時にはもう生まれていて、モニクになじられる。ジルは我が子を見せられても気がなく、タバコを吸いに外に出たまま、マリオンに会わずに帰ってしまう。最初は父親になる心の準備が出来ていないのかと思ったが、だんだんそれだけではないらしいとわかってくる。
次は結婚式。教会ではなく市役所でやる結婚式で、市の職員が民法の条文を読み上げ、法の下の結婚を宣言する(離婚の場面と照応させたのだろう)。郊外のホテルに移り、披露宴でジルは大騒ぎ。二人はスイートルームに宿泊するが、初夜なのにジルは酔いつぶれ、マリオンは不満げ。彼女は一人で夜の散歩に出るが、同宿の英国人と意気投合し、行きずりの関係を結ぶ。朝、部屋にもどったマリオンは大袈裟にジルに抱きつく。
最後は二人の出会いの日。ジルはガールフレンドのヴァレリー(ジェラルディン・ペラス)とカリプソにヴァカンスに。同じホテルにマリオンが一人でやってくる。ジルは仕事で知りあったマリオンに気がつき、食事に誘う。翌日、浜辺で二人は再会し、しだいに引かれあっていく。それまでの場面とは違って景色は明るく美しく、二人も見違えるように若々しい。
しおらしく見えたマリオンは略奪婚の上に、結婚初夜から浮気をしていて、ジルは息子が自分の子供かどうかも疑っていたのだろう。怖い女である。マリオン役のブルーニ=テデスキは美人ではないが、表情に味があり、ずっと見ていたくなる。
話題になった作品だが、あまりおもしろくなかった。評判のかなりの部分は主演のメルヴィル・プポー人気ではないかと思う。客席はプボーのファンと思しい女性客が多かった。
若手写真家でゲイのロマン(プポー)は全身に癌が転移しており、医者から余命三ヶ月を宣告される。彼は両親や姉、同居人のサシャ(クリスチャン・センゲワルト)に病気を打ちあけようとするが、どうしても言いだせず、かえって相手を傷つけるような態度をとってしまう。
ロマンが唯一打ちあけたのは祖母のローラ(ジャンヌ・モロー)だったが、帰路にはいったカフェで、ウェートレスのジャニイ(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)から子種をくれといわれる。ジャニイの夫は子種がなく、相談した結果、後腐れのない行きずりの男から子種をもらうことにしたという。金まで払うと言われるが、ロマンは断る。
病気は進行していき、荒れたロマンはサシャを侮辱して追いだしてしまう。
酒びたりになったロマンはもう一度祖母を訪ねる。祖母は夫を亡くした後、夫の面影のある息子を見るのが辛くて、子供を捨て、愛人の間を転々としたと語る。世間からは後ろ指をさされたが、生きる本能がそうさせたと堂々と語る。
その言葉にロマンは気力をとりもどし、家族やサシャと和解し、ジャニイに子種をあたえ、生まれてくる子供に全財産を譲るという遺言書を作成する。
プポーは絶食して撮影に望んだらしいが、回心にもうひとつ説得力がない。ジャンヌ・モローは迫力だが。
事前の評判通り、アメリカ中間選挙で共和党が敗れた(MSN、Sankei Web)。敗因がイラクでの失敗にある以上、残り二年のブッシュ政権はイラク政策で大きく舵を切っていくだろうが、イランや北朝鮮政策がどうなるかはまだわからない。
中間選挙一色の中、「報道ステーション」は中国が金正日追放のクーデタを準備しているという「スクープ」を報じた。基本的には10日ほど前にZAKZAKに載った「中国が構想…金王朝崩壊後、親中派政権を樹立か」と同じだが、クーデタの主体を朝鮮人民軍内部の中国留学組、時期を来年秋の全人代で胡錦濤が権力基盤を盤石にした後と明確にした点が目新しい。
しかし、本当にそんな動きがあったら、ニュースになるはずがない。中国と北朝鮮の関係はいよいよ悪化しており、中国留学組の軍人は厳重な監視下におかれているはずである。中国留学組のクーデタは不可能と見た方がいい。
なぜこんな「スクープ」が中間選挙のに日に、よりによって「報道ステーション」で流れたのだろう? 金正日を疑心暗鬼にさせようというアメリカ側の情報操作かもしれないし、手詰まりにおちいったブッシュ政権の悲鳴かもしれない。ひょっとしたら北朝鮮に近い筋がブッシュ政権の苦境を印象づけるためにしかけた可能性もないわけではないだろう。
わたしが注目したいのは10月27日の「朝まで生テレビ」で葉千栄氏が中国は経済成長をつづけるために金正日を切り捨てると断言した件である。姜尚仲氏、吉田康彦氏、ピースボートの櫛渕万里氏らは血相を変えて中国が金正日政権を見捨てるわけがないと怒鳴りだしたが、葉氏は満面の笑みを浮かべ、中朝蜜月発言を一蹴した。
葉氏はこれまでたびたび中国の動きについて予言してきたが、妙に的中している。葉氏が中国共産党の代理人だとは思わないが、中国共産党の対外宣伝部門からブリーフィングを受けている可能性はあるだろう。
もう一つ気になるのは先週の週刊文春に載った「開戦前夜「中朝国境」もの凄い修羅場」という記事である。
中味もすごい。昨年末以来、北朝鮮から武装強盗団の越境が頻発しており、党と軍の幹部やその家族を誘拐し、身代金を要求した例まであるというのだ。しかも武装強盗団には特殊部隊がまじっているらしく、改革解放で弱体化した中国兵を圧倒しているという。
中国側は誘拐を防ぐために国境に近い党・軍の宿泊施設を全面閉鎖するとともに、瀋陽軍区の佐官以上のポストから朝鮮族をはずし、越境者の射殺を許可した。例の国境の鉄条網も武装強盗団対策だったという。
北朝鮮との「血の盟約」は建前で、中国側は金日成の恩知らずな振る舞いに前から腹を立てていたとか、先日、唐家璇国務委員が平壌入りした際は、南京軍区から瀋陽軍区に移駐させた最新鋭のスホーイ27戦闘機を一晩中スクランブル発進させていたとか、興味深い話がいろいろ書かれている。
次の条は特に注目したい。
中国指導部は、「一向に緊張緩和に向かわない金正日は、まるで北京五輪を道連れにしようとしている節がある」と警戒。安全保障上の致命的な国益と、北京五輪を選択しなければならない最悪の事態になれば、「五輪を中止する客語もある」と当局筋は断言する。
この記事の冒頭には「中国の信頼できる情報筋」がソースだと断ってある。おそらく中国共産党の対外宣伝部門あたりからの情報だろう。
ブッシュ政権の中間選挙敗北を見透かしたかのように、中国も北朝鮮の被害者であり、北朝鮮に対しては厳しい姿勢で臨んでいるという報道が出てくる背後には何があるのだろうか。
1970年に公開されながらビデオ化もDVD化もされず、幻の作品といわれてきた映画である。今回、ジャック=ドゥミ夫人で自身も監督として活躍しているアニエス・ヴァルダが監修しデジタル・リマスターしたとのこと。
ペローの童話を全盛期のドヌーヴと本物のお城で撮っていて、絢爛豪華だが、エスプリが効いていて、スフレのような軽い口当たりだ。かなり遊んでいて、忠誠の話なのにアポリネールの詩が出てきたり、クライマックスでヘリコプターが飛んできたりする。
ドヌーヴは完璧すぎるので、お姫様の衣装よりロバの皮をかぶって身をやつした時の方が魅力的である。ドヌーヴもいいが、ぐれた妖精役のデルフィーヌ・セイリグがすばらしい。
最終回なのに仕事帰りの若い女性がつめかけ、ほぼ満員になった。
フィルムの状態がよくないという断りがあり、実際、フィルムのはじまりと思しい部分に傷があったが、色は鮮かで、冒頭の雨傘の場面の美しさに見とれた。
当時、ドヌーヴは20歳で、輝くばかりに美しい。台詞はゆっくりで、フランス語は何年も読んでいないのに、結構聞きとれる。仏和対訳シナリオが出ているから、もう一度勉強しようか。
最後の再会の場面の哀切さは何度見てもいい。あの雪が塩だと知っても、傑作は傑作である。
マフマルバフ監督夫人のマルズィエ・メシュキニが初監督したオムニバス映画。ペルシャ湾に浮かぶ風光明媚なキシュ島が舞台で、少女、若妻、老婆を主人公にした三話からなる。マフマルバフ映画で見たような場面が出てきて、オリジナリティ的にはいまいちだが、作品の完成度は新人とは思えないくらい高く、しかもおもしろい。
第一話「ハッワ(イヴ)」は9歳の誕生日をむかえ、チャドルをかぶらなければならなくなった少女の話。
近所のハッサンという少年がハッワを遊びに誘いに来るが、祖母は今日で9歳の誕生日だから男の子と遊んではいけないと宣告し、母親とともにハッワのチャドルを縫いはじめる。ハッワは自分はお昼に生まれたから、お昼までは遊べるはずだと理屈をこねる。母親は棒をわたし、棒の影が消えるまでに帰ってくるようにいう。
ハッワはハッサンの家にいくが、今度はハッサンが宿題のために遊びを禁止されている。ハッサンは鉄格子のはまった窓ごしにお金をわたし、アイスクリームを買ってきてくれと頼むが、アイスクリームは売り切れだったので、ハッワは飴と梅菓子を買ってくる。二人は鉄格子ごしに一つの飴をやりとりし舐めあうが、棒の影が消え母親がハッワをむかえにくる。ハッワを見送る少年のまなざしが切ない。
第二話「アフー(鹿)」は海岸沿いの舗装道路を黒いチャドルをかぶった女たちが競技用自転車で疾走するという超現実的な光景からはじまる。自転車の一団を馬に乗った男が追い、アフーの名を呼ぶ。彼はアフーの夫で、女だてらに自転車レースに出た妻を連れもどしに来たのだ。
しかし、アフーは離縁の脅しをかけられても家にもどらない。夫はいったんは姿を消すが、仲人の老人を連れてもどってくる。仲人の老人は懸命に説得するが、アフーはレースをつづける。つづいてアフーの父と一族の長老が馬であらわれるが、アフーは聞かない。最後にアフーの兄弟が行く手に立ちはだかり、アフーを腕ずくで自転車から降ろし、家に連れもどす。
自転車で走りつづけるアフーと女たちの姿は現実のレースとはとても思えない。おそらく、女の立場をあらわしたシンボリックな絵なのだろう。
第三話「フーラ(妖精)」は免税店のあるキシュ島に買物に来た老婆の話だが、第二話に劣らず超現実的な光景が繰りひろげられる。
飛行機から降りてきた老婆はポーターの少年の押す台車の上に陣取り、片端から家財道具を買っていくのだ。老婆の乗った台車の後ろには家電製品や家具、食器を載せた台車の列ができていく。
老婆の指には色とりどりのリボンが結んであり、一つ買物をするたびにリボンを解いていくが、最後に残ったオレンジ色のリボンが何を意味するのか、どうしても思い出せない。老婆はリーダーの少年に命じて荷をほどかせ、買った物をならべさせる。海を臨む砂漠が居間のようになるのだから、これまた超現実的な光景である。
老婆は電気ポットが気にいらず、リーダーの少年に台車を押させて取り替えにもどるが、彼女の姿が消えると、荷物運びにやとわれた少年たちは電気製品や家具をいたずらしはじめる。砂の上で電気掃除機をかけたりするのだから、たまったものではない。
もどってきた老婆はドラム缶の筏に買った物を載せさせ、沖に停泊する船まで運ばせる。海の上を居間が移動していくような、これまた超現実的な光景である。
フェミニズムの映画ということになるのだろうが、映像は洗練をきわめていて、しかも豊かな情感がこめられている。こいつ、ただ者ではない。
イランの抑圧された女性たちの一日を描いたオムニバス映画で2000年にヴェネツィアで金獅子賞を受賞したが、祖国のイランではいまだに上映できないそうである。
出産の場面からはじまる。無事生まれるが、女とわかって妻の母親はうろたえ、分娩室の小さなのぞき窓ごしに何度も確かめる。超音波検査では男といわれていたのに、女では離縁されるかもしれないからだ。
カメラは病院の外に出て、わけありの若い女三人組を映しだす。人探しをしているようだが、警官を見かけるとあわてて姿を隠す。彼女たちはその朝、刑務所から仮出所してきたばかりなのだ。仮出獄の証明書は持っていたが、なにかあればすぐに刑務所に逆もどりなのでビクビクしている。
アズレー(マルヤム・パルウィン・アルマニ)という娘は故郷の村にもどろうとしているが、警官騒ぎで頼みの金の鎖をなくしたために途方にくれている。仲間の女は男を誘って金を工面し、彼女を長距離バス発着場に向かうバスに乗せる。長距離バスの切符は身分証明書がないと買えないが、アズレーは学生と偽り、泣き落としでなんとか切符を買うが、恋人のための土産を買ってバスの乗り場に急ぐと警官が手荷物検査をしていた。彼女は結局、仲間と別れた街の中心部にもどるしかなくなる。
アズレーはパリ(フレシテ・ザドル・オルファイ)という刑務所仲間の家を探しあてるが、父親に追いかえされてしまう。
パリの家にはパリの帰宅を知った兄弟が怒鳴りこんでくる。「私が女になった日」の第二話にもあったが、イランの女性にとっては父親以上に怖い存在らしい。かばおうとする父と兄弟が件かをはじめた隙にパリは家を逃げだす。
パリは映画館の切符売場で働いている刑務所仲間を訪ね、看護婦をしている仲間の勤め先を聞く。パリは彼女が働いている病院を訪ね、妊娠していると打ちあけ、堕胎してくれる医師を紹介してくれと頼みこむ。看護婦はそんなことは不可能だと、金だけわたして帰そうとする。彼女が前歴を隠して医者とつきあっていることを知ったパリは、恩知らずとなじって病院を飛びだす。
パリは宿を探して街を歩くが、途中、娘を捨てようとしている女と知りあう。パリは女をなじるが、女は女でパリだってまともな身分じゃないだろうと図星を指す。身分証明書のないパリがホテルに断られたことを知っていたのだ。
最後は二人とすれ違った街娼のエピソード。彼女は車に乗った男に拾われるが、途中、検問にひっかかる。男は警察幹部で、自分から彼女を買ったくせに、部下に引きわたし、しゃあしゃあとしている。街娼は護送車に乗せられ、留置場に運ばれる。真っ暗な留置場に一瞬光が横切ると、仮出所してきた三人の女たちがうずくまっていた。
重苦しい映画だが、インパクトがある。イランで上映できないのはテーマもさることながら、警察の日常的な腐敗を描いているからではないかという気がする。最後のエピソードだけでなく、警官の不道徳な行為を随所にさりげなくちりばめているのだ。
今年はイプセン没後100年にあたる。ノルウェー大使館は「イプセン・イヤー2006」というプログラムを進めているが、その一環として早稲田大学演劇博物館で9日から11日まで「我々にとってのイプセン」というイベントが開催されている。二日目をのぞいてきた。
今日はイプセンと映画がテーマで、小松弘氏の「イプセンからシェーストレームへ−映画『波高き日』の映画史的意義」という講演につづいて、1917年公開のスウェーデン映画「波高き日」と2005年公開の「人民の敵」が上映された。「波高き日」は見たが、「人民の敵」は時間の関係で見ることができなかった。
小松氏は北欧映画のフィルムを個人的に収集しているそうで、見るからに北欧映画オタクだった。蘊蓄話についていけない部分もあったが、北欧の映画事情がわかったという点では有益だった。
現在、北欧映画=スウェーデン映画だが、第一次大戦まではデンマーク映画が北欧を代表していた。しかし、第一次大戦でデンマークが苦境に陥ったために、中立をたもち、経済的に漁夫の利をえたスウェーデンが映画でも脚光を浴びるようになった。スウェーデンはもともとは貧しい国だったが、第一次大戦の特需で今日の繁栄の基礎を築いた。
ただ裕かになったとはいえ人口がすくないので、映画人は演劇人を兼ねているそうである。そういえば、ベルイマンは演出家としても著名である。
イプセンの叙事詩「タリエ・ヴィーゲン」を1917年に映画化した作品で、ベルイマンの「野いちご」の老教授役で知られるヴィクトル・シェストレムが監督・主演している。2005年のニュープリントなので、一部傷があるものの画質は悪くない。モノクロの無声映画だが、場面ごとに青やセピアに着色されている。字幕はスウェーデン語だが、英語字幕が重ね焼きされている。
シェストレムは企画が来たのが妻に逃げられた離婚騒動の最中だったこともあり、当初興味がなかったが、傷心旅行で生まれ故郷を訪れたところ、父親が一旗あげようと単身アメリカにわたったために、幼いシェストレムをかかえた母が苦労していたことを知らされ、英軍に抑留されたタリエ・ヴィーゲンの家族の境遇と似ていると思い、熱心に映画にとりくむようになったそうである。ロケを増やしたので、撮影には当時としては異例の3ヶ月を要し、予算は通常の3倍かけたということである。
という前振りで期待したのだが、カメラ・ペン説を地でいくというか、原作通りの展開で、説明的な映像に終始した。世界的に大ヒットした作品だそうだが、今見ると映画というより絵物語で、距離を感じた。
「ほら貝」は創刊11年目をむかえる。10周年にはいろいろやろうと思っていたが、ちょうどネットに対する関心が最低に下がる時期に重なってしまったためか、何もできずにすぎてしまった。11年目の今年は公約を立てておく。
まず「芥川賞はニート文学なのか?」と「十人の批評家 世界編」を掲載する。RSS配信も開始した。
あまりかわりばえがしないが、こんなところである。
「我々にとってのイプセン」の三日目を聴講した。雨でおっくうだったが、行ってよかった。
まず、先日まで国際イプセン学会会長だったブリティッシュ・コロンビア大のエロール・デュルバック氏の講演「イプセンと不確実性」。レジュメには不確定性原理がどうのこうのと書いてあったので警戒したが、中味はイプセンの現代性を論じたまっとうな議論だった。
デュルバック氏はイプセンの肖像画を依頼された画家が眼がうまく描けないので、イプセンに眼鏡をとってもらったところ、左右の眼がまったく違っていたというエピソードからはじめた。
イプセンは「人形の家」があまりにも有名なので、社会的メッセージをもった古いタイプの劇作家と見られがちだが、実はメッセージを相対化し、結末を不確定にしようとしているとデュルバック氏は指摘する。「人形の家」にしても、去っていくノラとは対照的にリンデ夫人は安定を求めて家庭にはいろうとしている。自由の礼賛とともに、それに反するベクトルも描いている。
「野鴨」は主人公が友人の家庭の秘密を暴いたために、友人の娘が自殺に追いこまれる話だが、暴露された秘密が事実かどうかはわからない。すべては思いこみだったかもしれない可能性も暗示されている。
「ゆうれい」は母親が息子を安楽死させるかどうかを宙づりにしたまま終わるが、最初に英訳したウィリアム・アーチャーがあれからどうなるのかとイプセン本人に尋ねたところ、イプセンは「そんなことはわからない。君はどう思う?」と反問したという。
わたしがイプセンに関心をもったきっかけはルヴォー演出の「エリーダ 海の夫人」だったので、ベケットのような不条理劇につなげて考えようというデュルバック氏の問題設定はよくわかる。
休憩後、パネルディスカッションがおこなわれたが、これがおもしろかった。参加者はデュルバック氏、今年、円で「ロスメルスホルム」を演出した安西徹夫氏、その「ロスメルスホルム」でレベッカを演じた佐藤直子氏、「民衆の敵」を翻案・演出した燐光群の坂手洋二氏で、司会はイプセン研究者の毛利三彌氏(毛利氏の翻訳・演出による1997年の「ゆうれい」は見ていた)。
自己紹介が一通りすんだ後、「ロスメルスホルム」の安西演出をめぐっていきなり議論になる。「ロスメルスホルム」のレベッカは近親相姦という罪を犯しているが、最終稿では近親相姦を暗示する台詞がすべて消されており、後に初稿が出てくるまでは近親相姦の芝居だったことはわからなかった。しかし、フロイトだけは芝居の中にしかけられた近親相姦を見抜き、それを指摘した論文を書いているという、いわくつきの芝居である。
安西演出では近親相姦があえて省かれているという。その点を批判された安西氏はイプセン自身が最終的には近親相姦を暗示する台詞をすべて削除していること、レベッカはロスメルの前妻を死に追いやるという罪を犯しており、それに近親相姦が重なると焦点がぼやけることをあげ、作劇術の観点から近親相姦はいれない方がいいと考えたということである。
それに対して、毛利氏はイプセンの専門家の見地から、台詞は削除したが近親相姦という事実は残っていること、台詞を削除せざるをえない外的事情があり、削除がイプセンの真意とは考えにくい点をあげて反論した。
クライマックスでのレベッカの台詞、「わたしは精神は気高くなったが、幸せは捨てた」も問題になった。レベッカは北から来た女と紹介されているが、ノルウェイでは北は異教の地であり、キリスト教におさまりきらない野生の女として設定されているのだという。今から見ればレベッカは本能を抑圧した女であり、イプセンは女性のセクシュアリティの問題を先取していたといえる。デュルバック氏によれば、ノルウェイではレベッカはルッカ(happiness)を捨ててグレーダー(joy)を選んだと評されているそうである。
毛利氏は現代社会、特に日本では happiness が最高の価値とされているが、はたしてそうかと問題提起した。イプセンは happinessを越えるような価値を認めないニヒリズムに対して距離をとっているのではないかというのだ。
坂手氏は「民衆の敵」の主人公のストックマン博士を女性に変えた意図を聞かれ、ストックマン博士は民藝の初演以来、孤高の英雄として描かれてきたが、虚心に読んでみるとお調子者で独りよがりな人物だと気がついた。博士が本当に家族のことを思い、町のことを思ったらどうなるかと考えたが、男が主人公では独善的なヒーローにならざるをえない。そこで女性にしてみたのだという。
この発言をデュルバック氏は我が意をえたりと歓迎し、イプセンは「民衆の敵」の結末で、独善性の犠牲になった家族の前でストックマン博士に理想を語らせることで、理想を相対化しているのに、これまでは博士を単純なヒーローに仕立てる演出ばかりだったと語った。
こうなると安西演出の「ロスメルスホルム」も坂手演出の「民衆の敵」も見逃したことが悔やまれる。知っていれば、見たのだが。
ちなみに、「民衆の敵」は最晩年のスティーブ・マックイーンが1978年に自ら主演して映画化しているそうである。不思議なことに、この作品は日本で2週間だけ上映されたのが唯一の公開で、DVDにもビデオにもなっていないそうである。マックイーンにとっては抹殺したいフィルムらしいが、そもそもアクション・スターのマックイーンがなぜイプセンを映画化したのだろう。
「我々にとってのイプセン」の会場となった小野講堂の一階の早稲田ギャラリーと、演劇博物館の二階ではイプセンに関する展示がおこなわれている(12月17日まで)。ギャラリーの方はパネルが主で、資料が数点ならんでいるだけだが、演劇博物館の方は初版本や当時の新聞、ポスターなどにくわえて、築地小劇場以来の日本での上演資料が展示され、見ごたえがあった。日本の演劇史ではイプセンは大きな柱なのである。
うっかりしていたが、演劇博物館の一階と三階で「清水邦夫と木冬社−劇作家と演劇企画の30年−」という企画展が開かれていた(来年2月3日まで)。
ポスターやパンフレット、賞状、手書き原稿、初版本などがならんでいるだけだが、30年間の内、まんなかの20年間はほぼすべて見ているので、懐かしかった。
15日に急に39度の熱が出てメールボックスを4日間、チェックできなかった。旧アドレスに521通、新アドレスに35通のメールが溜っていた。新アドレスに届いたものは明かにspamとわかるものを削除してから受信したが、旧アドレスのものはメールサーバー上で全削除した。19日、20日に届いたものも同じ措置を取った。もし、上記期間に旧メールアドレスにメールをいただいた方は、大変申し訳ないが、新アドレス(ページ最下部に掲示)に送り直していただきたい。
まだ熱が引かず、画面は30分程度しか見つめていられない。旧アドレスの全削除は当分つづけざるをえない。旧アドレスは今はメルマガの購読用にしか使っていないので、もともと95%はspamだった。しかし、名刺に刷りこんでいた時期があるので、まれにちゃんとしたメールが届くこともある。
39度を越える熱がつづくというと大変な病気のようだが、医者によると喉の腫れだった。小学校の時にさんざんやった病気である。
喉の奥をヨード剤で焼かれ、尻に注射を打たれたが、今回も同じ処置で笑ってしまった。
喉は脳にゆく血管が通るところである。喉の発熱は思考力を奪う。ボーっと時が過ぎていく感覚を何十年ぶりかに味わった。
中学にはいってからは体力がついてきて、喉の腫れで高熱ということはなくなったが、年をとって、小学校時代なみに体力が落ちてしまったらしい。これからはだましだまし暮らしていくしかない。
喉の腫れですんだのは不幸中の幸いだが、受講してくれている学生には迷惑をかけてしまった。16日の「タリエ・ヴィーゲン」、17日の「シラノ・ド・ヴェルジュラック」の切符を無駄にしてしまったことも悔やまれる。
アズナールといううがい薬を処方されたが、この薬、メチレンブルーに似ているのである。
メチレンブルーは熱帯魚の感染症に用いる薬だが、もとは染料なので原液は毒々しい青色をしている。熱帯魚は濾過細菌が命綱だから抗生物質は使えず、メチレンブルーが唯一の治療薬である。
こちらは人間なので抗生物質の恩恵に浴している。熱は生活に支障のないところまで下がった。喉のイガイガは残っているので油断はできないが、明日の「タンゴ――冬の終わりに」は大丈夫だろう。
ほぼ一週間ぶりにネットをほっつき歩いたが、何も変わっていない。「書評空間」に中山元氏が『フーコー・ガイドブック』ほか3冊の書評を書いておられるくらいか。
中山氏の書評は「書評空間」の中では群を抜いておもしろく、参加させていただく前から愛読していたが、4月以来、ずっと書いておられなかった。今月から再開されたようで、よろこばしい限りである。『フーコー・ガイドブック』と『キリスト教の伝統』はいずれ読むつもりだが、まさか「書評空間」に感想は載せられない。こちらに書くか。
ちょっと目を引いたのは「「漢字発明は韓国人」 「荒唐無稽」と中国憤激」という記事である。
バカバカしいとしか言いようがないが、中国が本気で怒るだけの理由がある。韓国は昨年11月、端午の節句を自国の無形文化遺産として世界遺産に登録してしまい、目下、漢方医学まで「韓医学」の名称で登録申請しているのだ。次は漢字や孔子まで韓国に盗られるのかと警戒するのは当然といえよう。izaによれば、韓医学申請批判の記事は華僑向けの中国新聞が配信したものだったが、「広州日報」や「安徽日報」など多くの地方紙が転載した。中国人ネットワーカーの注目度も高く、短期間に30万ものサイトが記事を転載したという。
さて、漢字韓国発明説批判だが、いきなり人民網に載った点がこれまでと違う。元記事は「可笑! 韓国人発明了漢字?」で、「無恥!」「自卑!」「意淫!」などの激しい言葉がならぶ。これはただごとではない。胡錦濤政権は反韓感情を誘導する決定をしたのだろうか。
国を挙げて発狂しているとしか思えない今の韓国で、ただ一社、まともな記事を載せ続ける朝鮮日報は今日の社説で「米国の対北政策、パートナーを韓国から中国に変更」と悲痛な叫びをあげている。
米国はすでに韓国を北朝鮮の核問題を解決する上でパートナーと見なしておらず、だからこそ韓国に否定的な話をする必要さえ感じていないのだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の関係者は中国と手を握り、米日両国による北朝鮮圧迫政策に対抗するとしたが、中国は韓国が差し出した手には目もくれないまま、米日両国と手を握ったのだ。
正確な事実認識である。そして、次の懸念もおそらく当たっている。
さらには米国と中国の間で「米国が在韓米軍を撤収させ、韓米同盟を解消する代わりに、中国は金正日政権を転覆させ、親中国政権をたてて非核化を保障する」という「取引説がある」との話まで出回っている。
多分、金正日後の親中政権は韓国に連邦制を申しいれ、中国は親中政権を使って韓国をリモコン操縦するだろう。そして技術と富をことごとく吸いあげてしまうだろう。朝鮮半島は中国の属国という本来の姿にもどるのである。
日本は何か理由を見つけて、韓国人のビザなし入国を打ち切りなど、韓国没落に向けた対策を大急ぎで整えるべきだ。
清水邦夫の代表作の十年ぶりの三演である。この芝居は「無名戦士たちの方へ」(「群像」1986年5月号)という清水邦夫論の中心にすえたので、台詞を暗記するくらい何度も読んでいる。そういう意味でも思いいれのある作品である。
キャストは一新されたが、演出は初演、再演をそっくり踏襲している。しかし、意味あいはまったく変わってしまった。
冒頭、幻の観客たちが「イージーライダー」のラストシーンに息を呑み、暴れだすが、どう見てもJリーグのサポーターにしか見えない。ヘルメットの学生や黒旗を振りまわす若者も混じっているが、政治臭はみごとにないし、仮に政治臭があったとしたら、今の時代、ウソになる。
この芝居は吟の語りで進んでいくが、吟役の秋山菜津子は松本典子に酷似している。秋山は蜷川カンパニーに初参加だが、松本に似ているという理由で選ばれたとしか思えない。しかし、声はソプラノではない。
主役の清村盛はぐっと若返って堤真一。堤はこの作品と表裏の関係にある「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」の将門をやっているが、平幹二朗にあてて書かれた役だけに、若いという条件が引退の意味を変えてしまった。
堤は熱演しているが、熱演すればするほど、内面の葛藤の結果の狂気には見えない。どう見ても、器質的変化による精神錯乱にしか見えない。はっきり言うと、若年性認知症と戦う家族のドラマになってしまったのだ。
政治的共同幻想が成立しない現在、幼年期の記憶ばかりが妖しいリアリティをともなって立ち現われる。過去と現在のバランスでできていた芝居は過去の側に一方的に傾いてしまった。
現在を代表する水尾が下手すぎたということもある。今回は常盤貴子がやっているが、高いレベルの舞台の中で、一人で平均値を下げていた。名取裕子も技術的には拙かったが、盛を恋する一途さにリアリティがあった。常盤貴子はなぜ水尾が盛に引かれているのか、納得していないだろう。
水尾の夫の段田康則は塩島昭彦と較べると暗いが、異様に明るい盛とくむにはこの方がよかったかもしれない。
技術的には完成度が高いだけに、複雑な気分である。戯曲が古びたとは思えない。過去と決別した、まったく新しい演出で上演すべきではなかったか。
浅田次郎の小説の映画化で、よくある死者のよみがえりものであるが、生きている人間に正体がわかってはまずいので、西田敏行が伊東美咲の姿になってよみがえってくるところがミソである。子分の暴発を止めたいヤクザの親分と実の親に会いたい少年が一緒によみがえるが、親分はぐっと若返って成宮寛貴、少年は性別転換し志田未来の姿になる。
予想通りのストーリーなので、安心して見ていられる。椿山の父役の桂小金治、椿山の親友役の余貴美子、少年の実の母役の市毛良枝が泣かせ要員で、実にうまい。
和久井映見が霊界の世話係で登場するが、衣装も喋り方も風邪薬のCMそのままなのは笑った。
P.D.ジェイムズの近未来小説の映画化である。原作は未読だが、主人公や社会情況の設定の変更点をみると、映画の方がリアルに作ってあるようである。
時は2027年、子供が生まれなくなってから18年たった終末論的な社会が舞台である。ヨーロッパは荒廃しているが、英国は難民を締めだすことによってかろうじて社会秩序を保っている。
主人公のセオ(クライヴ・オーウェン )はエネルギー省の役人だが、難民の人権擁護を主張するテロ組織に誘拐されてしまう。テロ組織のリーダーは20年前にわかれた妻(ジュリアン・ムーア)で、彼に妊娠している黒人女性キーを託す。
警察とテロ組織の両方を向こうに回し、キーを難民地区に連れていくが、ちょうど難民地区では蜂起が起きていて、市街戦の描写がすごい。
陰々滅々たる映画であるが、最後まで破綻しないのは立派。
11月27日、電気通信事業者協会やテレコムサービス協会など、プロバイダ四団体は「インターネット上の違法な情報への対応に関するガイドライン」を公開した。これまでは明らかに法律に違反したページだけが削除の対象だったが、今回のガイドラインは違反したかどうか微妙なグレイゾーンのページにまで削除の範囲を広げたので、言論の自由に抵触する可能性がある。
日本ペンクラブ電子メディア委員会ではガイドラインの取りまとめにあたった関係者に来ていただき、背景事情を聞く機会をもった。オフレコということで来ていただいたので、内容について書くわけにはいかないが、いろいろ問題が出てきそうである。
実は最近、ペンクラブ会員の個人サイトが引用を著作権侵害と誤認され、まるごと削除されるという事件がおきている。この事件はやや複雑な背景があり、すぐに一般化はできないが、著作権法の許容する引用の範囲だったことは間違いなく、プロバイダの担当者に著作権法の知識があったかどうか疑われる事例である。
ネット上には問題のあるページが夥しく存在し、プロバイダ側には抗議やタレコミが多数来ているという。あまりにも削除要求が多いために、一部のプロバイダは機械的に対応している傾向がなくはないらしい。
批評には引用は不可欠である。許容される範囲の引用まで著作権侵害にされてしまっては言論の自由の侵害だ。プロバイダ側は担当者にきちんとした著作権教育をほどこしてほしい。
電子メディア委員会では今後もこの問題を研究していくことになった。何らかのアクションを起こすこともあるかもしれない。
上野の国立博物館で「仏像
われわれにとっては仏像が木でできているのは当たり前だが、インドやシルクロード諸国、中国では石仏や金属仏が一般的で、木の仏像は珍らしいそうである。中国では白檀のような香木で一木造りにすることはあったが、榧や杉のような針葉樹の大木で一木造りにすることはなかった。木の仏像、特に一木造りの仏像は森林の豊かな日本で発達した独自の様式だったのだ。
日本でも最初は仏像といえば、きんきらきんの金属仏だった。古代日本人は当時のハイテクの産物である金属の仏像をありがたがっていた。そんな日本人に普通の木で仏像を造ってもいいと教えたのは鍳真がつれてきた中国人仏師だったという。
会場では第一室の最初のセクションに香木作りの渡来仏や日本の最初期の仏像が展示され、つづいて日本に渡来した中国人仏師や、中国人仏師の指導で日本人仏師が造った大型の仏像に移る。中国人の造った仏像は顔の違いですぐにわかる。平安期にはいると、完全におなじみの仏像である。お不動様がすくなく、十一面観音像と地蔵菩薩像が多かったが、一木で造れる大きさにちょうど適っていたということだろうか。
第二室は前半が鉈彫り仏、後半が円空と木喰である。一見手抜きに見える鉈彫りは日本で生まれた独自の様式で、仏が仮現する瞬間を表現しているのだという。顔が真ん中から割れて、観音様が出てきたという宝誌和尚立像が鉈彫りなのは理屈にあっているわけだ。
円空仏は感動した。マンガに通じるような簡潔な表現だが、そこにはまったく日本人の顔がある。
木喰仏は妙にバタ臭い。真円で幾何学模様の彫りこまれた光背がついているせいもあるが、目がぎょろっとしていて、ルソーや東欧の聖者像のような愛敬があるのだ。十六羅漢坐像や十二神将像、三十三観音菩薩坐像は日本の感覚を飛び越えたエキゾチックなパンテオンになっている。江戸時代によくこんな発想があったものだ。
以前はプリントアウトするにはプリンタを押入からひっぱりだすところからはじめなければならず、一仕事だったが、FAX兼用の多機能プリンタMFC-425CNをつなぎっぱなしにするようになって、映画の時間表から、電車の経路、地図まで気軽にプリントアウトするようになった(この機械は安いのに、本当によくできている)。
これはこれで便利なのだが、失敗もある。
池田信夫氏が主宰するICPFセミナー「経済産業省はWeb2.0にどう対応するか」に日の丸検索エンジンの担当者が登場するというので申しこんだが、別の地図をプリントアウトしたために、夜の神田をうろうろする破目になった。
ICPFセミナーはWinnyの作者、金子勇氏が講師となった第12回を聴講していたのではじめてではなかったが、地図の場所に着いてみると、須磨学園がベンチャービジネス・スクールに使っているビルで、前回と明らかに異なる。中にはいってみると、セミナー会場ではなく、ICPF事務局の方だった。ドアは閉まっていて、誰もいなかった。会場ではなく、事務局の方の地図をプリントアウトしてしまったのだ。手帖に手で書き写していたら、ありえないミスである。
夕食を食べて帰ることにしたが、帰り、見覚えのある通りに出た。まさかと思って付近を探すと、会場のビルが見つかり、遅刻したが聴講することができた。
レクチャーしたのは経済産業省商務情報政策局情報政策課課長補佐の久米孝氏だが、大体、予想通りの内容だった。Google一人勝ちの状況は危険だとか、フランスやドイツも独自の検索エンジンを国家事業としてはじめているとか、おなじみのバスに乗り遅れ論で、出口があるのかどうかもわからない状態で走りだしていた。
アメリカではGoogle以前にも多くの検索エンジンがあったが、検索広告というビジネスモデルを創出したGoogleだけが勝ち残った。検索広告に代わるビジネスモデルの見通しはあるのかというと、まったくないのだ。
質疑応答ではΣ計画や第五世代コンピュータの二の舞だとか、財閥系企業を中心にしている時点でもう失敗が決まっているとか、Googleとはカルチャーが違うので駄目だとか、全否定するような質問が相次いで、吊るし上げ状態だった。
Σ計画や第五世代コンピュータの轍を踏まないように、3年で事業を見直すということだったが、最悪の場合、文化事業ということにして逃げる用意をしているような印象を受けた。
どうせ失敗するに決まっているのだから、最初から文化事業と割り切り、民間ベースでは採算のとれない古い雑誌の電子化など、何か後世に残るようなものを作ってもらいと思う。