エディトリアル   Jan - Jun 1998

加藤弘一 Dec 1997までのエディトリアル
Jan20

 新年早々、私小説をにわか勉強しました。来月、文芸文庫から出る中谷孝雄氏の『招魂の賦』の解説をやらせていただく関係でです。
 中谷孝雄といっても、ご存知の方はあまりいらっしゃらないでしょう。ぼくも依頼を受けるまでは知りませんでした。梶井基次郎や三好達治らと同人誌をやっていた方なんですが、新学社のサイトに全集の紹介ページがあるので、そちらをご覧ください。
 歴史小説がおもしろいということなので、軽い気持でやらせていただくことにしたのですが、メインの作品が私小説だとわかって、あわてました。ぼくは石川淳がご本尊、左右に安部公房、丸谷才一がひかえるという文学観の人ですから、私小説はまったく読んだことがなかったのです。
 私小説は自分自身を、ありのままに、一切の虚構をまじえずに書くものくらいの知識しかなかったのですが、実際に読んでみると、自分のことというより、同人誌仲間との交友を主題にしているんですね。この交友が、とんでもなくウェットで、べたべたした代物で、正直いって、不思議な印象をうけました。同人誌は作家予備軍の修行の場くらいに考えていたのですが、実際は地方から出てきた青年たちが、ムラ共同体そのままの裸のつきあいをして、寂しさを癒しあう場だったようです。
 ありのままに、一切の虚構を排するというのも、本人たちは文学的誠実さのためと考えていたようですが、仲間との関係を、仲間にむかって書くわけですから、「ウソがない」ことが人間関係を維持していく上での絶対条件となります。書きにくいことも書く以上、ちょっとでも虚構がまじったら、喧嘩になってしまうでしょうから。
 「招魂の賦」では亀井勝一郎がイヤな奴として登場するのですが、亀井の場合、仲間うちに向けてではなく、広い読者にむけて書いていたわけで、同人誌的なせせこましい人間関係の中では異分子にならざるをえなかったのでしょうね。
 私小説と自伝小説の違いも、同人誌をキーワードにすると説明できそうです。自分自身を題材にするにしても、自伝小説が広い読者にむけて書かれるのに対し、私小説は同人誌仲間にむけて書かれているのです。
 中谷氏の作品には『業平系図』や『京は人を賤しくする』という歴史小説もあるのですが、こちらは一般読者向けに書かれていて、とてもおもしろかったです。これだけ筆力のある人が、私小説にとらわれていたのはもったいなかったと思いました。
 インターネットでも、同人誌をそのまま WWWページにしたようなところが出てきていますが、勘違いしているんじゃないかと思います。インターネットは同人誌的にべたべたまとまる環境じゃないです。同人誌ではなく、異人誌を目指すべきでしょう。


Jan22

 今日は安部公房の命日で、安部公房展を開催中の調布市文化会館たづくりで関係者を集めたレセプションがありました。
 実は同じ時間帯に、半蔵門で文藝家協会の文字コード問題シンポジュウムがあったのですが、レセプションにはドナルド・キーン先生をはじめ、安部公房研究家が一堂に会するというので、途中でぬけて調布に向かいました。
 京王線の乗り換えでうろうろし、調布駅をおりてからは違う建物に迷いこんだりして、やっと会場に着いたときにはレセプションはおわりかけていました(泣)。しかし、展示はすばらしかったです。不鮮明な写真ですが、安部公房展のページを作りましたので、ご覧ください。東京近郊の方はぜひ行かれるといいですよ。 文字コード

 文字コード問題のシンポジュウムは年配の方々の参加が多く、物書きの危機感がひしひしと伝わってきました。今年は相当大きな話題になるでしょう。
 このシンポジュウムに合わせたというわけではないのですが、間もなく店頭にならぶ平凡社の『電脳文化と漢字のゆくえ』という本の見本刷の即売がありました。
 この本の鼎談に参加させていただいたのですが、文科系サイドからの問題提起としてひじょうに中味のつまった本です。メンバーもすごいです。ぜひお読みください。


Jan28

 毎週水曜日にカウンターの数値を記録しているのですが、いつの間にかアクセス数が 3万を越えていました。
 カウントをとりはじめたのは 1995年12月19日ですが、1000アクセスを越えた 1996年3月27日にリセットしているので、22ヶ月で 3万アクセスに達したことになります。Counter Digitのカウンターなので(当時はこれしかなかった)、5%程度数えこぼしがあるようですから、実数はもうちょっといっているでしょう。
 一日で 3万くらいいくページはざらにありますから、別にどうということはないですが、カウントをとりはじめた頃は、週間アクセス数 50程度だったのが、現在は 500前後までいっていますから、いくばくかの感慨はあります。これもみなさんのお引き立てのおかげです。
 閑話休題。土曜日に調布市文化会館たづくりの安部公房展の講演会にいってきました。講師は晩年の安部公房を 9年間取材していた共同通信文化部の小山鉄郎さんで、構想段階で終わったアメリカ論と『カンガルー・ノート』の関係についてふれていました。まだ誰も指摘したことのない内容で、ひじょうに触発されました。
 自分自身もふくめてですが、文芸批評家は何をしていたんだろうと思いました。後期に限らず、安部公房研究は本当に遅れていて、まったく手つかずの状態です。現在、全集が刊行中ですが、新発見ばかりで、毎月ドキドキものです。これだけ新しい内容が出てくると、全集が完結してくれないことには、おっかなくて安部公房論は書けないですが、この全集を基礎に 21世紀早々、安部公房ルネサンスが起こるのは間違いないでしょう。
 ほら貝がその一翼をになえたらと思います。


Feb13

 すでに新着案内に出しましたが、「文芸ホットリスト」を若干模様替えしました。二つにわけて 250件をリンクしていましたが、重くなりすぎたので、三つに分割し直しました。分類と配列もあちこち手直しし、どうにか落ち着きました。来年くらいまではこの線でいこうと思います。
 最初の目次の部分は TABLEタグを使えば見栄えがよくなるのですが、TABLEにするとデータを全部読みこむまで空白がつづくので、あえてプレーン・テキストにしてあります。
 新しい文学系ページは今でも週に数件できていて、チェックはしているのですが、リンクしたくなるものはそうありません。数を増やしても使いにくくなるだけなので、いいものだけ載せる方針をつらぬくつもりです。


Feb16

 昨日、ややこしい校正をしました。書いている途中で、この原稿は低調だなという予感があったのですが、案の定、ゲラ(試し刷り)を見ると、出来がかんばしくありません。
 原稿が印刷物になる途中の作業に、著者校正という段階があって、ゲラが送られてきます。朱筆を入れて返すのですが、真っ赤になるほど直して、別の原稿にしてしまう人もいるようです。ぼくは著者校正は編集部や校閲部のチェックした疑問点を見るにとどめ、原稿そのものにはなるべく手をいれないようにしています。原稿に手をいれると元のファイルの方も直して、整合性をとらなければならないからです。
 朱のはいったゲラを見ながら、エディタでファイルの方を直していくのですが、これが案外疲れるのです。
 ゲラは単行本の場合なら縦書き 41字詰め、雑誌ならレイアウトに応じて字詰めが決まっているのですが、パソコンの方は今まで横書き 40字詰めでした。同じ原稿が違う字詰めで縦書きと横書きになっているのを対照していくのは、やってみるとわかりますが、かなりきついです。
 縦書きのできる QXで楽になるかなと思ったのですが、縦書き・横書きの意識の切り換えは不要になったものの、字詰めが違うので、直した箇所がどこかを探す手間は同じです。
 今回の原稿の場合、出来が悪いので、校正でなんとかしなければなりません。あっちをいじり、こっちをいじり、段落一つ、まるまる書き換えてしまったりしました。
 全集にひととおり目を通すとか、周辺の作家をチェックするとか、原稿を書く上で必要な作業はやったのですが、関心のもてない作家の解説は引き受けるべきではなかったと後悔しました。
 段落一つを新しく書くような場合、推敲したいですから、ゲラの方ではなく、エディタでファイルを直接直すことになります。ゲラ→ファイルだけではなく、ファイル→ゲラという整合作業も必要になります。
 電通テックが Acrobatのプラグインとして動く、校正支援ソフトを作ったという話です。誰がいつ、どんな風に直したか、変更履歴を PDFファイルに残すらしいんですが、そういうものができても、ディスプレイが今のままでは駄目です。縦書き41字詰めが表示可能な大画面の反射型液晶が、早く出てきてほしいものです。


Feb19

 ながらく更新していなかった「批評」ページに、「文芸誌ファイル」を開設しました。毎月の文芸誌からおもしろかった作品や特集を紹介しようというページです。
 自分のサイトで自分の責任でやるわけですから、日本文学がどうのこうのという余計なことは考えず、純粋に自分の好みで書いていきます。
 いつまでつづくかわかりませんが、気長につきあってください。


Feb20

 ほら貝をおいてあるプロバイダは基本料金で 7Mbytesのディスクスペースが使えるのですが、とうとういっぱいになってしまいました。メールの一時保管にも使っているので、このままではメールが受信できなくなるらしいです。
 テキストだけのつもりでしたから、7Mbytesを使いきるのは相当先のことだろうと思っていたのですが、「文字コード問題特設ページ」や「電房具案内」では画像を多用していますし、ページの開設から二年半たっていますから、来るものが来たわけです。
 ディスクスペースの増設を申しこめば簡単なのですが、1995年段階では「安かろう悪かろう」だったこのプロバイダは、現在の相場からいうと「高かろう悪かろう」になっていますし、3月 1日からドメイン・ネームが www.win.or.jpから www.win.ne.jpに変わるので(一年間の移行期間あり)、この機会に引っ越すのも一法かなと考えています。
 URL移転は前から考えていたのですが、200箇所以上からリンクしてもらっているので、二の足を踏んでいました。しかし、www.win.ne.jpに変わるのだから、どのみち移転通知は出さなければならないのです。
 とりあえず不要な画像やページを削除してしのぎ、今後の方針を考えるつもりです。


Mar01

 4月1日にほら貝は新しいドメインに引っ越すことにしました。もう契約も済んで、URLも決まっているのですが、まだなにも準備ができていないので、新URLは4月1日まで内緒です。
 このまま移すだけならページをアップロードする手間だけですむんですが、この機会に背景色を若干薄くしようとか、ページの構成を変えようとか考えているので、準備に一ヶ月はかかるでしょう。
 というわけで、今月は更新が滞るかもしれませんが、新生ほら貝をよろしくお願いします。


Mar26

 この一年半ほど、文字コード問題の批判を展開してきましたが、最近、反批判の動きがあちこちで起こっています。
 JCS委員会の池田証寿氏からは、平凡社の『電脳文化と漢字のゆくえ』を批判する感想文を ホームページで公開したと知らせていただきましたし、山本太郎さんという印刷業界の方からも、同書を批判するページをつくったが、ほら貝の活動自体は評価するという丁重なメールをいただきました。
 ご本人からの連絡はなかったですが(笑)、松岡榮志さんは「中央公論」三月号に「文字コード問題は杞憂にすぎない」という反批判の論文を書いておられますし、芝野耕司さんが調研談話会という朝日新聞社の社内研修組織でおこなった講演も WWWで公開されています(朝日文字をほめ殺ししているところとか、なかなか笑えます)。
 また、日経新聞の 3月22日の「ブックマーク」というコラムには、「コード批判への反論」と題して、先日おこなわれた「日本語の文字と組版を考える会」のパネルディスカッションの模様が肯定的に紹介されているそうですし、某文芸誌の悪名だかい匿名コラムには、文藝家協会の文字コード批判をからかう内容が載り、ほら貝までとばっちりを食いました(わざわざ教えてくださった皆さん、ありがとうございます)。
 悪口を言われてうれしいわけはないですが、これだけ反批判が出てくるということは、文字コード問題批判が一定の影響力を持ちつつある証拠であって、その意味では喜ぶべきことなのでしょう。
 残念なのは文字コード問題批判が「感情的」とか、「規格を理解していない」で片づけられていて、JIS X 0213が外字領域を使う危険性や、ユニコードと JIS X 0213がライバル関係にあるという指摘がマスクされてしまっていることです。
 確かに、文字コード問題批判に賛同されている方の中には、反コンピュータ感情や、反米感情、反マイクロソフト感情から発言しているような方もいらっしゃって、ぼく自身、辟易する場面がないわけじゃないです。
 そろそろ批判を再構築すべき時期に来ているのかもしれません。

Apr01

 やっとほら貝の引っ越しが終りました。アメリカの安いサーバーを借りているので、今までより重くなったと思いますが、ディスクスペースが一気にひろがり、いろいろな試みができそうです。
 どこも変わっていないじゃないかと思う方が多いかもしれませんが、背景色をすこし変えたり、ディレクトリの構成をすっきりさせたり(「書評」コーナーを「本」と改め、「読書ファイル」といっしょにしました)、目立たないところをあちこちいじっています。

Apr04

 早稲田の「高速電脳」というショップに、ドラコという CPUクーラーを買いにいきました。最近、Cooler Masterの風神という巨大 CPUクーラーが評判ですが、ドラコはそのコンパクト版だそうで、CPUクーラー・ベンチマークによると、性能的には風神に匹敵し、音が静かだそうです。これから夏に向かうので、ぜひほしいところですが、秋葉原には Cooler Masterの一般向けの青いやつはよくあるんですが、風神は一部のショップにおいてあるだけで、ドラコにいたってはまったく見かけません。どうも「高速電脳」が輸入の元締になっているらしく、ドラコを入手するにはここへいくしかないようです。
 天気がいいので、気分転換を兼ね、馬場から早稲田まで、古本屋をのぞきながら歩きました。古本の収穫はありませんでした。学生時代に毎日のようにのぞいた店はほとんど残っているのですが、品揃えはさまがわりしていて、手にとりたい本はありません。
 問題のショップは西門通りにあるんですが、場所が場所ですから、FMVか98NVをならべた、まっとうなショップだろうと予想していました。ところが、行ってびっくり。レアものの CPUクーラーや、堅気には縁のない Voodoo2搭載のカード、3Dゲーム、「高速電脳」というエンブレムも怪しいオリジナル・マシンを並べた店でした。一目でその筋とわかる目のうつろな客が数人はいってきたので、早々に退散しましたが、まだ学校がはじまっていないことを考えると、そこそこ繁盛しているようです。
 グランド坂下をおりていくと、球場がなくなっていて、新しい図書館ができていました。大隈通りの食堂・喫茶店はなつかしい店がだいたい残っていましたが、焼肉屋と自然食レストランがずいぶん目立ちました。学生が豊かになったのか、焼肉と自然食が安くなったのか──ぼくらの頃ではちょっと考えられなかったですが。
 せっかくここまで来たのだから、穴八幡でおまいりしたのですが、中門が工事中で、新築したばかりの社殿は見違えるくらい立派になっていました。桜が満開寸前で、学生たちがお花見しているのも、最近の風景です。
 昔、よくいった穴八幡の斜面にへばりつくように建っているカレー屋が健在だったので、遅い昼食をとりました。内装はそのままでしたが、メニューはまったく変わっていて、名物のドライカレーがなくなっていました。
 盛り合わせのカレーを頼んだところ、最初からバターライスにかかっているのはご愛敬として、アジャンタあたりと同じ本場もののカレーが出てきました。浦島太郎の気分で、最初の一口を口に入れたところ……昔の味でした。見てくれは本格的なんですが、洋食屋の尻尾を引きずっているあたり、いかにも早稲田のカレー屋です(笑)。

Apr12

 昨夜、マシンの電源をいれたところ、キーンと甲高い音がしました。ハードディスクからです。この音は過去にも経験があって、その時は一週間後にハードディスクが動かなくなりました。
 現用のマシンにはシステムを入れてある方と、データ専用の二台のドライブをとりつけたあるのですが、多分、データ専用の方でしょう。
 データ専用ドライブは五年前にはじめて買ったショップブランドのマシンについていたものです。最初はシステムもはいっていたのですが、システム専用のドライブをいれてから、データ専用とし、ずっと使いつづけてきました。そろそろ寿命かもしれません。
 もちろん、急いでバックアップにかかりました。原稿やソフトの設定、本、芝居、映画のデータなどは常に三重にバックアップをとってあるのですが、この10年間に蓄積したログやメールまではバックアップしていません。300Mほどあるので、圧縮してシステム側にコピーしました。
 これだけでは不安なので、秋葉原で PDを買ってきました。Zipにしようか、MOにしようか、最近話題の CD-Rにしようかと迷ったのですが、再来年あたりには本命の DVD-RAMをいようと思うので、比較的安価で二台目の CD-ROMドライブにもなる PDにしました。容量的には CD-Rも同じ 650Mですが、CD-Rの使いにくさをいろいろ聞いていたということもあって、PDにしました。
 ところが、売っている店があまりないんですね。CD-Rはどの店にも山積みしてあるのに、PDはぼくののぞいた限りでは、T-Zoneミナミにパナソニックの正規品、Two Topにティアックのバルク(箱なし)があるだけでした。正規品は 29800円、バルクは 22800円と 7000円もちがうので、バルクにしました。
 この選択は正解でした。とりつけは簡単だし、操作性はフロッピーとまったく同じです。xcopyでドライブまるごとのコピーを指定したところ、15分ほどで 500M近いデータのバックアップが終りました。メディアが CD-Rのような剥き出しではなく、Zipを大きくしたようなケースにはいっているのも安心だし、DVD-RAMと同じく 30年持つというのも心強いです。500Mが一枚におさまるなんて、すごいです。
 もうちょと使いこんで、問題がないようだったら「電房具案内」に「PDの勧め」というページを作ろうかと思っています。

Apr27

 夜、家にもどると大量のFAXが吐き出されていました。送り状を確認しようとしたところ、送り状がありません。
 いきなり「****** ******のWebページ」とあり、****という人の「”**********”***** **********************」という、文藝家協会の動きを批判した文章が延々とつづきます。挨拶はおろか、自己紹介もなしで薄気味悪いFAXだなと思いました。
 ヘッダーには「******」とあり、全部で23頁であるようですが、紙が切れたために17ページまでしか受信できていません。
 今日だったからよかったようなものの、一昨日だったら、来月の原稿のゲラが受信できないところでした。緊急性のないこういう文書はメールで送れば十分のはずです。特に今回の場合、送られてきた文書はWWWでも公開しているのですから、URLを書いたメール一本ですむでしょう。
 これまで多くの批判メールをいただき、中にはかなり非常識なものもありましたが、無視したことは一度もなく、すべて返事をさしあげています。「******」の**氏ご本人が関係あるのかどうかはわかりませんが、いきなりこういう長文を送りつけて、仕事に使うFAXを受信不能にするのは嫌がらせとしか思えません。
 文字コード問題にかかわっている人の中には、ストーカーまがいの人が時々いますが、今日のFAXの送り主の非常識ぶりも相当なものです。

May01

 今日の昼過ぎ、FAXが流れてきました。出版関係はすべて休みのはずなのに、どこからだろうと思って文面を見ると、送り状なしでJIS委員の池田証寿さんのWWWページが吐き出されてきます。池田さんとは、以前、メールのやりとりをしたことがありますが、常識をわきまえたきちんとした方でしたから、こんなことをするとは考えられません。送り主は先日の文字コード・ストーカーのようです。
 発信元を確認するために、1ページ目が終わったところでFAXの電源を落とし、すぐに電源を入れ直すと「8**********」という電話番号が印字されました。日本には「8」ではじまる局番はありませんから、電話番号をわからなくする細工をしているのかもしれません。
 この後、何度も電話がかかってきましたが、FAXを切ったまま、電話機の方の「留守番メッセージ」で応対させると、すべてFAX音でした。連休中で、仕事のFAXや電話がくることはないので、音量を落として放っておきました。
 一時半頃、用事で外出し、四時にもどってみると、またFAX音です。試しにFAXの電源をいれてみると、先ほどと同じく池田さんのWWWページが吐き出されてきます。電源を落として電話番号を確認すると前回と同じ「8**********」です。
 どうも三時間以上、FAXのリトライを繰り返していたようです。すぐにまたかかってきましたが、鬱陶しいので、電話機のコードを夜まではずしておきました。これは完全なストーカーですね。
 今回のFAXは前回とは違う機械で送ったらしく、ヘッダーには「P,2/10」とありました。10ページのうちの2ページ目という意味でしょうが、1ページ目が抜けています。正体がばれたら、二度目は送り状をつけたとでも弁解するつもりでしょうか。
 ただ、うちに嫌がらせのFAXを送ってきても、効果はないです。ほら貝をずっとご覧になっていればわかるように、TRONに対する幻想は消えましたし、妙な方向に進みつつある文字コード問題にもうんざりしていて、最新のページも半年前に発表した雑誌原稿の再掲です。ホットリストの更新もずっとやっていなくて、今日送られてきた池田さんのページで、最近できたページの存在を知ったくらいです(かなりおもしろいページがあるので、そのうちホットリストにいれるかもしれません)。
 連休中はずっとFAXの電源を切っておくことにしました。連休明けにFAX攻撃がエスカレートするのかどうか、頭の痛いところです。

付記

 上に「日本には「8」ではじまる局番はありません」と書きましたが、ある方からの指摘で、日本テレコムの加入者の番号は「8」ではじまるというご指摘を受けました。したがって、電話番号をわからなくする云々はぼくの勘違いでした。訂正します。(May08)

May02

 朝、八時に電話のベルで起こされました。起き出して電話のところまでいくと、自動応答音声がはじまっていて、それにかぶさって「ピ〜プ〜」とFAX音が聞こえます。またしても文字コード・ストーカーです。
 電話機のベルの音量をしぼって放っておいたのですが、12時までの4時間、延々とFAXの呼び出しがつづきました。間隔がばらばらだったところをみると、手作業でリトライを繰り返しているようです。いやはや、ご苦労なことです。
 May01でお名前を出した池田さんから丁重なメールをいただきました。FAX攻撃に自分のページが使われたのは残念なことだが、ご自身はまったく関係ないということでした。
 もちろん、池田さんがあんなことをしたと疑ったことは一瞬たりとありません。
 とにかく、FAXによる攻撃は、ぼく自身にだけでなく、各方面に迷惑をかけるのですから、もうこれきりにしてもらいたいものです。

May03

 池田さんのご仲介で、ストーカー氏ご本人から釈明のメールが届きました。
 執拗に FAXしたのは「資料をお届け」するためだとか。WWW環境をもっている人間のところへ、WWWページで公開されている資料をわざわざ FAXしてくれるとは、なんともご親切なことです。
「今後、資料は送りません」ということなので、ストーカー氏の身元がわかるような記述はすべて伏字にしました。
 最後に、ご配慮くださった池田さんに感謝いたします。

May08

 「群像」新人賞の授賞式をのぞいてきました。今年は評論部門に三人受賞者が出て、選評に「大豊作」、「一つの事件」と絶賛してあったせいか、批評家がたくさん来ていました。もともと評論部門をもった新人賞は「群像」だけなので、批評家は多いんですが、今年は例年にまして多く、久しぶりに顔を見る人がずいぶんいました。その代わり、批評家が大集合すると予感したのか、女流作家がすくなかったです。
 選考委員を代表して祝辞を述べた柄谷さんが「批評家は喧嘩をしなければいけない」と檄を飛ばしていましたから、二次会、三次会は恐ろしいことになっているでしょう。血を見なければいいのですが。
 閑話休題。選考委員として出席していた中沢けいさんから、例の文字コード・ストーカー関連の話を聞きました。
 うちにFAXで送ってきた文章は、ストーカー氏本人のWWWサイトで公開しているだけでなく、今月の「ユリイカ」にも全文が掲載されていて、中沢さんのところには掲載頁に付箋をつけた「ユリイカ」を名刺といっしょに郵送してきたそうです。
「資料をお届け」するというのはこういうことを言うわけですが、となると、同じ文章をうちにFAXで延々と送りつけてきたのはなんなのでしょう。しかも、送り状もなしで。
 電話番号をわざわざ調べたのだから、住所だってわかるはずです。もしわからなければ、メールで聞けばいいんです(大体、WWWで公開している文章なんだから、URLを示したメールで十分です)。
 今までは単に常識がないだけだろうと思っていましたが、中沢さんに対しては常識にかなった資料送付をおこなっているところをみると、文字コード・ストーカー氏は、はじめから嫌がらせのつもりで、執拗なFAX攻撃をしかけてきたと考えざるをえません。
 今月の「ユリイカ」は「文字」を特集していて、JIS関係者の文章がならんでいるそうですが、実は外部からのもちこみ企画で、執筆者の人選などは「ユリイカ」編集部でおこなったわけでは必ずしもないようです。
 大手出版社の文芸担当の取締役のところに、JIS関係者がぶ厚い資料を郵送してきたという話も聞きましたが、JIS関係者は JIS X 0213の欠陥を覆い隠そうと必死のようです。


Jun12

 「ユリイカ」五月号への反論ですが、今月末に発売の七月号に載ることになりました。編集部では10ページ分のスペースを用意してくださったのですが、急な話だったので、半分の5ページでまとめました。
 人名異体字はロゴにすぎないとか、通用字体で宛名が書かれた手紙をうけとるなら、異体字に固執する資格はないとか(両方ともJCS委員会の豊島さんの説の受け売りですね)、細かい話に反論するのも馬鹿馬鹿しいので、基本的なことだけを書きました。
 というわけで、ほら貝に反論は書きません。三ヶ月くらいしたら、転載するつもりですが、短いですから、興味のある方は立ち読みしてください。

Jun30

 「文字コード問題を考える」に久しぶりにちゃんとした更新をしました。「国語審議会中間報告と 78JIS回帰」です。
 文字コード関係の取材はほとんどやめていたんですが、嫌がらせを受けてやめたような格好になっては困るので、今月にはいってから再開しました。何人かの方に直接会ったり、電話で話を聞いたり、メールで質問したりしました。新しい情報に接すると、興味がまた出てきました。
 情勢はかなり動いていて、大文字セットへの動きが水面下では確定的になっていましたし、新拡張JIS(JIS X 0213)に対しては、ベンダー側がシステム外字の部分を使わないように要望するなど、行き過ぎを是正する動きがはじまっていて、JCS委員会の中心的な委員が当初意図していたものとは、かなり違ったものになるようです。
 文字コード問題にうんざりした理由の一つは、先が見えないことでしたが、冷却期間をおいたせいか、ぼんやりとながら、十年先が見えてきました。二〜三年先は読めませんが、十年先は ISO 2022で決まりでしょう。
 書けない話もありますが、取材の成果はだんだん出していく予定です。

Copyright 1998 Kato Koiti
This page was created on Jan20 1998.
サロン ほら貝目次