excite.co.jpという新しいサーチエンジンができたので、試しに「安部公房」で検索したところ、182件がひっかかりました。まだバナー広告がすくないので、使いやすいです(笑)。
182件のうちの 2番目に、八木書店が売りだしている安部公房の肉筆原稿のページが顔を出していました。
原稿というより、単なるメモで、作品にならなかった文字どおりの断簡零墨なんですが、15万円という値段がついていました。同じサイトにある石川淳の『 「蜀山断片」 ペン書 四百字詰5枚完』は 88万円でした。こちらは正規の作品の原稿ですし、石川淳は達筆だけに、その業界では人気が高いそうですから、こういう値段がつくのでしょう。
昨年、「群像」が50周年記念の「文学の戦後史展」をやった際、編集長は、ワープロ時代になってしまったし、今までの原稿は、遺族から返却してほしいという申し入れが相次いでいるので、もうこういう展覧会はできないだろうと言っていましたが、作家の肉筆原稿がお宝化しているという現実があるわけです。
作品が評価されてこの値段がついているのならうれしいのですが、必ずしもそうとは言えないのが苦しいところです。葉書などにも驚くような値段がついていて、ほとんど骨董品市場と化しています。
本が売れないのに、肉筆原稿だけ高くなるという状況は釈然としないですが、神保町の古書店街が今でもなりたっているのは、こうしたお宝原稿のおかげだという面も否めません。
神保町は都心の一等地ですから、古本だけで店舗を維持できるわけがなく、多くの古書店は、生原稿や書簡、葉書といったお宝を展示会に出品したり、カタログ販売したりして、利益を確保しているのだそうです。
ここでも、ゆがみがゆがみをカバーしているという、ややこしい事情があるわけです。
肉筆原稿の関連ですが、この数年、地方自治体による作家の記念館や文学館の開設があいついでいます。7月には三沢市が寺山修司記念館をオープンしましたし、先日も岩国市による宇野千代記念館、長崎県外海町による遠藤周作文学館の建設が発表されました。山中湖村による三島由紀夫記念文学館の準備もちゃくちゃくと進んでいるようです。インターネット上の活動も盛んで、文学館リストというリンク集があるくらいです。
公的機関による恒久施設ができて、資料が保存されるのは基本的によいことです。三島由紀夫や遠藤周作を研究するのに、山中湖や長崎県までいかなければならないのはちょっとなと思いますが、東京一極集中よりはましかもしれません。
ただ、文学館を作るというのは、公共事業という面があります。国や県から補助金をひっぱってきて、土木工事をおこない、あわよくば観光につなげようという思惑があるわけです。市民ホールや文化会館はすでにゆきわたっていしまったが、美術館となると県レベルでないとむずかしい。市町村レベルでは、文学館あたりがちょうどいいのです。
すべては学芸員次第だと思いますが、せっかくインターネットがあるのだから、資料を死蔵しないためにも、日本IBMが山中湖村とタイアップして公開している三島由紀夫サイバーミュージアムのようなWWWページを開いて、オンライン展示を充実してほしいと思います。
日経MIXの業務移管作業でメールサーバーが断続的に停止するという通知があったので、メールアドレスを今までの saurus@mix.or.jpから に変更することにしました。日経MIXのアドレスは、来年 9月まで有効ということですが、回線数がすくなくなったり(すでにつながりにくくなっている)、信頼性が下がる可能性があるので、この機会に全面的に移行することにします。
mix.ne.jpというドメイン名で有志で新MIXを作ろうというプロジェクトに期待していたのですが、まだ試験運用がはじまったばかりで、ちょっと間に合わなかったですね。
ほら貝に掲示してあるメールアドレスはすでに変更しましたが、アドレス行をクリックするだけでメーラーが自動的に立ちあがる<mail to:>タグは、SPAMメールを避けるために、やめることにしました。
SPAMメールに迷惑していることは以前にも書きましたが、「これ以上メールを送ってほしくない人は、removeと書いて返信してください」という断り書きを信じて removeメールを送っても、あいかわらず広告メール送りつけてきます。メールボックスが一杯だとか、宛先不明などの理由で、removeメールそのものが返ってくることすらあります。
あきれたことに、「一度に 5000通のメールを送るプログラムと、5万人分のメールアドレスを $100で!」とか、「15万人分のメールアドレスを $199で!」という SPAMメール発生ツールの広告まで来ます。こうしたツールの中には「転売可」と謳ったものもあります。早い話が、メールによるネズミ講ですね。
「15万人分のメールアドレス」の広告メールに「ロボットで集めるより安あがり」とあったところを見ると、公開されているWWWページから、<mail to:>タグを目印にメールアドレスを抜きだしている可能性があります。日本でもそのうちはじまるかもしれません。
せっかく新しいアドレスに引っ越すのだから、もう SPAMメールとは縁切りしたいものです。
かねて予告していた「小は大をかねるか?」という解説を、「文字コード問題特設ページ」にアップロードしました。最初は 8月までに書く予定だったのですが、締切のない原稿だけに、ずるずると延びてしまいました。
締切を設定する意味で、10月13日発売の「本とコンピュータ」第二号に書いた「文字コード問題、この一年」というエッセイの中で、「文字包摂の問題については、『小は大をかねるか?』を参照のこと」と書いたのですが、13日には間に合わず、20日、27日と延ばし、今日までかかってしまいました。
守れない締切なら作らなければいいじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、ぼくのような生来の怠け者は、締切や習慣がないとなにもやらないんですね。締切は、憂鬱ですが、必要です。
あと10日ほどで、ほら貝の創ページ二周年記念がきますが、ページ開設日は動かせないので、いい締切になってくれるでしょう。いくつか新しいページをオープンするので、またのぞいてみてください。
早稲田が学園祭中止でもめているそうです。大学側は、パンフレットの広告収入に不正流用があったことを中止の理由にしていますが、なにを今さらと思いました。
広告収入だけではなく、パンフレットの莫大な売上収入(学園祭中は、早稲田の学生でも、パンフレットを買わないと学内に入れない)や、大学側が授業料天引きの形で代理徴収する自治会費が、□○派の活動資金になっている構造は、今でもつづいていたようです。
学園祭の問題では、過去にリンチ殺人が起こっています。セクトによる学園祭の資金源と化している状態は変じゃないかと見直し運動をおこしたノンポリ学生(セクトに属していないという意味)が、資金源を守ろうとする□○派に拉致され、鉄パイプでめった打ちにされ、なぶり殺しにされたのです。
学生の間では□○派を追いだし、民主的な自治会を再建しようという動きが起こり、激しい衝突がつづきました。ぼくが早稲田にはいったのは、ちょうど学内民主化運動が最高潮をむかえた頃でした。一年の前期は集会、集会で、授業になりませんでしたし、後期は流血事件がつづき、ロックアウトになりました。
□○派は拠点校を死守しようと必死で、民主化運動の集会に襲撃をかけたり、運動のおもだった学生に個人テロをくわえ、孤立化をはかるために威嚇行動をくりかえしました。授業中、コンクリートの床を鉄パイプを引きずる、すさまじい音をたてながら、行進するといった恫喝は定例行事でしたし、数人で教室に押し入ってきて、教師を追いだし、出入り口を固めた上で、延々とアジ演説を聞かせるなんていうこともしょっちゅうでした。
襲撃の現場にいあわせたこともあります。昼休み、中庭で民主化の集会がおこなわれていると、突然、門の方で奇声があがり、ヘルメットに覆面の一団がスロープを駆けあがってきます。そのまま中庭につっこんできて、リーダー格の学生たちを鉄パイプでボコボコにして、マグロにしたのです。
マグロというと、最近はベッドで何もしない女性のことを言うそうですが、当時は血まみれになって、コンクリートの上にごろごろ転がっている重傷者のことを言いました。
あちこちにマグロになってうめいている学生を、四、五人でとりかこんで、執拗に鉄パイプで殴りつづける光景は、今思いだしてもぞっとします。そして、遠巻きにしているぼくたち一般学生を、鉄パイプをふりかざしながら、一人一人首実検していくのです。恐怖支配でノンポリを震えあがらせるとともに、民主化運動のリーダーたちに武装に追いこもうという魂胆です。
この作戦は図に当たりました。民主化側が自衛のために武装すると、マスコミは手のひらを返したように冷淡な論調に変わり、大学当局は□○派黙認にもどってしまいました。当局にとっては、支配セクトは与党総会屋みたいなもので、自治会費の代理徴収という餌をやっておけば、なあなあですんでしまうわけです。
おまえはなにをやっていたのかと言われそうですが、喫茶店でSFとミステリの話にふけっていました。
暴力はいけないがマスコミの決まり文句ですが、この平和な日本で非暴力主義の抵抗が長つづきするわけはありません。英国支配下のインドなら、生活の基盤そのものがおびやかされているので、民衆が体をはった抵抗に立ちあがらざるをえない状況がありますが、大学の場合、授業料で天引きされる自治会費と、学園祭で買わされるパンフレット代をがまんすれば、あとはどうということはないのですから。
民主化運動を体を張って進めていた学生の中には、本当に気の毒な人が何人もいましたが、彼らが学校に出てこれなくなり、退学した後は、政党系や宗教系の学生が運動の主導権争いをするようになり、リンチ殺人で殺された学生のための募金が、霊感商法で有名な宗教団体の施設に化けたなんていうこともあったようです。
□○派は、過激派の例にもれず、資本主義打倒とか、天皇制廃止とかを主張していたようですが、愉快なことが大学三年の時に起こりました。
その頃の学内は□○派の天下に完全にもどっていました。ぼくのはいっていたサークルも早稲田祭に参加することになりましたが、参加サークルは「夫役」と「税金」を□○派の牛耳る学園祭実行委員会差し出さなければなりません。「税金」とはパンフレットを強制的に買わされること、「夫役」とは入場者がパンフレットもっているかどうか入口でチェックする人手を出すことをいいます。
うちのサークルには、「国策研究会」という右翼系サークルの幹事長をつとめている方が会員として在籍していたのですが、この国策研幹事長さんの「顔」で、「夫役」と「税金」をまけてもらったのです(爆笑)。
当時、□○派は、対立セクトと凄惨な内ゲバをくりひろげていましたから、拠点校内では波風を立てるようなことはしたくなく、右翼サークルに対しては平身低頭していたのですね。
□○派の思い出はおぞましいものですが、人生の早い時期に、理想や善意のいかがわしさを学ぶことができたのは幸いだったかもしれません。
ずっと使っていなかった Macintosh Color Classicを親戚の子供にあげることにしたので、久しぶりに起動し、デスクトップを子供向きに改造しました。フォントを大きくしたり、ゲームだけのフォルダーを作ったり、Macintosh Basicという入門プログラムのエイリアスをデスクトップにもってきたりといろいろいじったのですが、マックのおもしろさを再認識しました。江戸時代の蒔絵の弁当箱のように細部まで工夫が凝らされていて、本当に「いい仕事」をしています。言いふるされた言い方ですが、マックには文化があります。
Windowsも95になって、ずいぶん手がこんできましたが、細部が無骨というか、がさつというか、所詮、無知蒙昧なビジネスマンのための機械です。
マックは Actaというアウトラインプロセッサーを使いたくて買ったのですが、9インチの画面では目につらく、Actaも期待していたほど役に立たなかったので、この数年はろくに起動もしませんでした。マックは、よくも悪くも、仕事に使う機械ではありませんね。
Acta7にバージョンアップした時、Acta Wordというワープロがついてきたのですが、インストールしただけで放ってありました。最後なので、立ちあげてみたところ、英文読みあげ機能がついているのを発見しました。発音がなかなかリアルなので、自分で書いた英文を片っ端から読ませてみたところ、ちゃんと英語に聞こえるではありませんか!
声は何種類か選べるようになっているのですが(名前をつけているのが洒落ています)、デフォルトの太い男の声が一番それらしく聞こえます。
アップルの経営陣に復帰したジョブズが、せっかく立ちあがりかけたマックの互換機市場をつぶしにかかっていると批判されています。彼は、互換機はアップルに損失をあたえていると主張していますが、それは口実にすぎず、本音は絹のハンカチを雑巾なみにあつかわれたくないということなんじゃないか……。マックをいじっているうちに、そういう考えが浮かびました。
あたっているかどうかはわかりませんが、そういう考え方には共感できるものがあります。もっとも、ぼくは雑巾みたいなマシンで、せっせと窓拭きですが(笑)。
三田誠広さんからアスキー(AIX)の突然のプロバイダー業務停止により、WWWページの URLを移動したという通知をもらいました。
アスキーはパソコン通信の老舗のアスキーネットを八月に閉鎖した際、会員に AIXへの優待入会を勧めたそうですが、今回、AIXまで閉鎖したわけですから、AIXに移った人は、二重に難民化してしまったわけです。雲仙普賢岳の火砕流で神戸に移住した人が、阪神大震災でまた家を失ったようなものでしょう。ぼく自身、日経MIXの閉鎖のために難民化している状態ですから、他人事ではありません。
老舗だとか、親会社が大きいからという判断基準が通用しないことは、日経MIXとアスキーネット、AIXの閉鎖で明らかになりました。ほら貝をおいてある安かろう悪かろうプロバイダはいつまでつづくかわからないと思い、メールアドレスを日経MIXに統一したのですが、世の中どう転ぶかわからないものです。
幸いなことに、日経MIXは forum.mix.or.jpという telnet接続の後継BBSを用意し、メールも引きつづき受信できるようになっています。telnet接続はぶわぶわして快適とはいえませんが、メールが受けとれるのはありがたいです。
いや、ありがたいなんていってはいけない。通信にかかわる企業として、会員のメールアドレスの維持は当然のことです。プロバイダ業界は過当競争がつづいていますから、今後、閉鎖するところが増えると思いますが、倒産したり解散したあとでも、メールアドレスを使いつづけられるような配慮は必要です。
ちょっと遅れましたが、ほら貝の創刊二周年を期に、「映像」ページに「映画ファイル」を開設しました。最近見た映画の感想を気ままに書くページです。なお、同じような性格の芝居日録」は「「演劇ファイル」に、「読書日記」は「読書ファイル」に改めました。
この際なので、「ですます調」と「である調」のアーティクルが混在していた旧「読書日記」の文体を「である調」に統一しました。かなりの分量があったのですが、手製の「である調」変換 sedスクリプトが残っていたので、書き直しそのものは一瞬ですみました。機械的に直したので、文末に不自然な部分があると思いますが、お気づきの点があったら までご一報ください。
HTMLエディタを使わずに、手作業で WWWページが作れるのも、sedのおかげですが、こんなに便利なものなのに、文科系の人の間ではあまり知られていません。
実はこのあたりの話を紹介するページを、もう一つの二周年記念として準備しています。「文科系のための電房具案内」という題名になる予定ですが、来週あたり公開できそうです。
というわけで、三年目にはいったほら貝をよろしくお願いします。
二周年記念の一つとして、「文科系人間のための電房具案内」をオープンしました。とりあえず、原稿を書くという観点から五本のエディタを紹介しました。エディタ篇は真打ちの Vzファミリーが残っていますし、ワープロ篇や辞書篇もつくる予定です。
「電房具」という言葉は、もともと TRONの坂村先生の造語で、「TRONにもとづく電子文房具」をさしますが、ここでは TRONに限定せず、電子文房具一般をとりあげていきます。
「電房具案内」はソフトの紹介だけではなく、ソフトはこうあってほしいという、物書きの立場からの要望も載せていくつもりです。
まだ公にできませんが、この半年ほど、あるプロジェクトに参加し、いろいろ提言をしました。ひいき目かもしれませんが、わりとおもしろいことを書いたと思うので、その内容を編集し、順次載せていこうという含みもあります。
今回は画面の取りこみ映像を多用したのですが、この調子でソフト紹介を書いていくと、ディスクスペースがあぶなくなってきました。近い将来、消すページや画像が出てくるかもしれません。
昨日、「週刊読書人」で、川村湊さんと 1997年をふりかえる対談をさせていただきました。
川村さんは、御存知のように、『異郷の昭和文学』(岩波新書)や『満州崩壊』をお書きになった日本の植民地文学研究の第一人者ですが、その一方、ミステリもたくさん読んでいらっしゃって、いわゆる純文学の枠にとらわれない話ができました。実は、純文学の枠の消滅が対談の大きなテーマになったのですが、詳しくは 12月19日発売の「読書人」をご覧ください。
ぼく自身は、大学時代に SFとミステリのサークルにいたこともあって、純文学畑の中では最初からはずれた存在だったのですが、最近は、純文学/大衆文学という二分法が消えつつあって、いろいろな意味で生きやすくなっています。
二分法が消えていく理由はいくつか考えられますが、一番大きいのは、日本の読者の知的レベルが高い方で平準化して、昔のような大衆文学では通用しなくなったことがあると思います。
一昨年、講談社から「大衆文学館」という大正期から昭和30年代くらいまでの大衆小説の名作を文庫化したシリーズが出て、直木三十五(直木賞は彼を記念した賞です)などの作品を読むことができたのですが、それなりにおもしろいものの、概してちゃちな作りで、文章もひどく、昔の読者はこの程度で満足していたのかと驚きました。
最近の大学生はマンガばかり読んでいると罵倒されますが、知的レベルの向上と平均化は事実としてあるのです。純文学/大衆文学という二分法は、読者の知的レベルにかなりの格差が見られた時代や社会では、それなりに意味があったでしょうが、現在の日本のような一億総教養人社会には無意味です。
もちろん、個々の作品についてみれば出来不出来があり、通俗なものとそうでないものとがあるわけですが、それは個々の作品について判断すべきであって、どこそこの雑誌に載ったから論じる価値があるとかないとかと決めつける時代は終わっているのです。
ほら貝創刊二周年記念アンケートの結果を報告します。回答総数は 20で、昨年は 14でしたから、1.5倍に増えています(昨年は半年くらいアンケートページを残しておいたので総数は17)。昨年11月の総アクセス数 1049に対し、今年は 1878でしたから、比率的にはやや減っていますが、誤差範囲でしょう。
1.性別
男性 #################
女性 ###
インターネット全体では、女性利用者が増えているそうですが、ほら貝の場合、男性がかなり多いですね。昨年の結果(↓参照)と比べると、この一年で、かなり男性の読者が増えたことになります。
男性 ############
女性 #####
2.年齢
10代
20代 ########
30代 ########
40代 ####
50代
不明
インターネット利用者の年齢構成から考えると、40代の比率が高いですね。去年の結果(↓参照)と比べると、この傾向はいっそう顕著です。上記の結果とあわせると、今年はオジサン読者が増えたようです。
10代 #
20代 #######
30代 ######
40代 ##
50代
不明 #
3.どこで「ほら貝」を知りましたか?
「オーディン」などのサーチエンジン ####
「Yahoo」などの企業系リンクページ #####
「大森望のSFページ」などの個人ページ ##
「西角演劇ページ」などの演劇サイト
文字コード関連ページ ####
雑誌・書籍の紹介 #
友人から聞いて ##
その他 ##
昨年(↓参照)と比べると、サーチエンジン組と文字コード組がいちじるしく増えています。
「オーディン」などのサーチエンジン ##
「Yahoo」などの企業系リンクページ #####
「大森望のSFページ」などの個人ページ ##
「西角演劇ページ」などの演劇サイト
雑誌・書籍の紹介 #
友人から聞いて ##
その他 ##
4. 「ほら貝」をいつ知りましたか?
[95年]
[96年 1〜 6月] #####
[96年 7〜12月] #####
[97年 1〜 6月] #####
[97年 7〜11月] ####
[不明] #
案外、平均しているものですね。
5. どれくらいの頻度で来訪していますか?
[はじめて] ##
[年に 1回] #
[年に 2〜4回]
[年に5〜10回] ##
[月に 1回] #####
[月に2〜3回] ######
[週に 1回] #
[週に2〜3回] ###
[毎日]
この結果は、あくまで、アンケートに答えてくださった方の来訪頻度と受けとらなければなりませんが、週に数回きている方が意外にいらっしゃるようです。更新頻度の参考になります。
6. どのページの充実を一番望みますか?
[作家と語る] #
[石川淳] ###
[安部公房] ####
[批評] #
[SF]
[演劇]
[映画]
[書評]
[読書日記] #
[ホットリスト] #
[サロン]
[文字コード] #########
[電房具案内]
文字コードがだんとつです(ありがたいことですが……)。オジサン読者が増えたのも、このあたりに理由がありそうです。
7. ほら貝の背景色
現在の色 #######
やや薄い色 #
薄い色 ####
かなり薄い色 ######
不明 ##
薄い色の要望が多いです。考えなくてはいけませんね。
8. Acrobat Readerや Expand Bookをインストールされていますか?
入れていない #########
Acrobat Reader ########
Expand Book #
AcrobatとExpand ##
9. レスポンスが遅くなっても、縦書表示をとりいれた方がいいと思いますか?
速さを優先 ##################
縦書を優先 ##
まだ縦書は時期尚早のようです。
というわけで、ご協力、ありがとうございました。
昨日、「小説海越」の鼎談で、批評家の清水良典さん、小説家の川上弘美さんと充実した時間を過ごすことができました。頭痛薬をたくさん飲んでいったので、ぼーっと座っている方が多く、役割がはたせたかどうか心もとないのですが、SFの話や川上さんの新作の『いとしい』の背景など、おもしろい話がつぎつぎと出ました。
「小説海越」は、宮城谷昌光氏を世に出した名古屋の海越出版の季刊文芸誌で、まい清水良典さんを座長にした、質量ともに読みごたえのある鼎談を掲載しています。
地方出版社や地方在住の作家にはいろいろな面でハンデがあるようですが、インターネットの普及はプラスに働くでしょう。今、出版界には急速にメールが広まりつつあります。原稿を送るのはもちろん、座談会の回覧原稿やゲラまでメールですますことが増えています。今年、『電脳売文党宣言』(アスキー)という鼎談本に参加しましたが、ぼくに関する限り、すべてメールですませ、紙媒体は一度も見ませんでした。紙の回覧原稿に赤字をいれていくより、はるかに楽でした。今回の鼎談は、参加者三人ともメールアドレスを持っているので、編集作業はメールでおこなわれると思います。
閑話休題。名古屋市緑区に「ほら貝」という地名があり、川上さんが結婚一年目に住んでいらしたということです。「ほら貝」は、元々は「法螺貝」と書いたそうですが、漢字が難しいので、住民の要望で「ほら貝」に変更したとか。
川上さんはお茶大SF研の出身で、共通の知人が何人もいましたが、大学卒業後、一時、NW-SF社に勤めていらしたというので、またびっくり(NW-SF社の説明は長くなるので、またの機会に)。
「流れる」以降の川上さんの作風の変化は NW-SFにルーツがあるのかもしれません。
この十年ほど、某文芸誌で新人賞の下読みを担当させていただいています。今年は特に応募が多かったらしく、うちにも150本の原稿が送られてきました。今月はほら貝の更新がままならなかったのですが、どうにか年内に終えることができました。
毎日、毎日、質の高いとはいえない応募原稿ばかり読んでいると気が滅入ってくるので、気分転換に、ワープロと手書きの比率を調べてみました。
最初にお断りしておきますが、応募原稿を生の形で読むのは下読み段階だからで、最終選考では、候補作を活字に組み、氏名、性別、年齢、略歴などいっさいふせた形で選考委員にわたされますから、影響のしようがありません。
途中選考の段階で影響する可能性もありません。確かに、氏名などがわかる生原稿で読みますが、おおよそ 1/10にしぼる下読み段階では、誰がやっても似たような結果になります。10本から 1本を選ぶ場合は選者の好みや虫のいどころが影響しますが、100本から10本を選ぶ場合は落ちつくところに落ちつくのです。
正直いって、物理的に読みやすい、読みにくいはあります。しかし、下読みを担当するのは某誌にゆかりのある批評家ばかりで、批評家はいい作品が出てきて文芸誌業界が活気づいてくれなくては商売あがったりですから、どんなに読みにくい原稿であっても、なんとかしていい作品を見つけたいのです。
さて、右のグラフをごらんください。一番多いのはワープロ派で、70%を占めています。手書き派は 25%弱。原稿用紙にワープロでプリントアウト派が 3%弱、印刷物派(自費出版の本など)が 2%というところです。5年ほど前からワープロ派が過半をしめるようになっていましたが、手書き派はいつの間にか 1/4を切っていました。
誤解のないようにお断りしておきますが、手書きは筆勢があるので、極端な悪筆でない限り、読みやすいです。ただし、手書きのコピーはひどく読みにくいのです。下読みをする側としては、コピーは手元において、肉筆の方をおくってもらいたいです。
しかし、さらに読みにくいのは、原稿用紙+ワープロの原稿で、他の担当者も編集者も、みんな読みにくいとこぼしています。ごく稀に、原稿用紙+ワープロをコピーしたものにぶつかることがありますが、これは最悪で、読み終わる頃には頭痛がしてきます。
もちろん、いい原稿を発見して文学を活性化するためにやっているのですから、どんなに読みにくくても、公平に判断するようにしていますが……。
下は男女別の年齢分布です。