川端康成かわばたやすなり

加藤弘一

生涯

 小説家、批評家。1899年6月11日、大阪市天満此花町に医師、栄吉の長男として生まれるが、一歳の時に父を、二歳の時に母を亡くし、祖父母に引きとられる。七歳の時に祖母を、十六歳で祖父を亡くして、孤児となる。この時期につけた日記は後に「十六歳の日記」として発表される。1915年、茨木中学の寄宿舎にはいる。1917年、伯父の援助で一高に入学。翌年、はじめて伊豆に旅行し、旅芸人と道連れになる。

 1920年、東京帝大英文科に入学。今東光らとともに第6次「新思潮」を発刊。菊池寛と知りあう。

 1921年、文芸批評で最初の原稿料を受ける。翌年から「時事新報」の文芸欄を担当し、敗戦まで時評家として辣腕をふるう。1924年、菊池寛の創刊した「文藝春秋」に同人として参加。英文科から卒業の楽な国文科に移って、翌年、卒業。

 横光利一らとともに「文藝時代」を創刊。「新感覚派の弁」を発表して、文学的立場を鮮明にする一方、「掌の小説」群を書きつぐ。1926年、最初の伊豆旅行を題材にした「伊豆の踊子」を発表。衣笠貞之助のために『カリガリ博士』の影響をうけたシナリオ『狂った一頁』を書く。

 1930年、浅草のレビュー通いの総決算というべき『浅草紅団』を刊行。「水晶幻想」、「水仙」などの実験的な短編で新感覚派の先頭に立つ。1936年、『雪国』の原型を発表する。

 1945年、久米正雄、高見順らとともに貸本屋「鎌倉文庫」を開くが、製紙会社の出資で出版社となり、雑誌「人間」を創刊するほか、多くの本を送りだす。

 1948年、日本ペンクラブ会長に就任。『雪国』完結版を刊行。1952年、『千羽鶴』、『山の音』を刊行。1957年、東京で国際ペン大会を開催。副会長の芹沢光治良と青野末吉とともに尽力。1961年、「眠れる美女」、1962年、『古都』、1965年、「片腕」を発表。1968年、ノーベル文学賞を受賞。

 1972年4月16日、ガス自殺をとげる。

作品

Copyright 1999 Kato Koiti
This page was created on Nov01 1999.
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