映画ファイル   September - October 1998

加藤弘一
1998年 8月までの映画ファイル
1998年11月からの映画ファイル

September 1998

*[01* 題 名<] レインメーカー
*[01* 原 題<] The Rainmaker
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] コッポラ
*[05* 原 作<] グリシャム,ジョン
*[08* 出 演<]ディモン,マット
*[09*    <]デビート,ダニー
*[10*    <]デーンズ,クレア
*[11*    <]ボイト,ジョン
*[12*    <]クローバー,ダニー

 くさそうな話なので敬遠していたが、面白いではないか!

 主人公のルーディは、ロースクールは卒業したが、なんのコネもないため、アルバイトしていたカフェテリアのオヤジの口利きで、最低の弁護士事務所に就職する。ここのボスは暗黒街につながりのあるストーンで、司法試験を落ちつづけているデックという助手がいる。「メンフィスは弁護士が多すぎる」という言葉通り、ストーンの事務所は病院で貧乏そうな患者に声をかけて客引をしており、ルーディも病院のカフェに詰めて司法試験の勉強をするはめになるが、ここで夫の暴力で重傷を負ったケリーと知りあう。

 ルーディはロースクールの法律相談にもちこまれた保険金訴訟を手土産代りに入社するが、公判当日になって、ストーンが脱税を受けて逃亡したために、彼が法廷に立つことになり、敵方の弁護士の立ち会いで宣誓をすませる。

 法廷のイロハも知らない彼が、人権派裁判長と万年助手のデックに教えられて、貧乏人から掛金だけ巻きあげて、支払をしない悪徳保険会社を追いつめていくのだが、この主筋と平行して、ケリーとの愛が進行していく。彼女は夫を恐れてなにもできず、まだるっこしいほどだったが、ルーディと服を取りに家にもどったところを夫に見つかり、ルーディが誤って殺してしまうと、彼女は毅然と罪をかぶる。

 裁判はルーディ側が勝つが、悪徳保険会社は自己破産し、保証金は一銭もとれない。名声だけ勝ちえた彼は、弁護士を廃業し、おんぼろ車で正当防衛で無罪になったケリーとともに旅に出る。マット・ディモンにはおんぼろ車が似合う。

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*[01* 題 名<] ヴィゴ
*[01* 原 題<] Vigo
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] テンプル,ジュリアン
*[08* 出 演<]フレイン,ジェイムズ
*[09*    <]ボーランジェ,ロマーヌ
*[10*    <]スコット=マッソン,ウィリアム
*[11*    <]カーター,ジム
*[12*    <]フォークナー,ジェイムズ

 「新学期 操行ゼロ」と「アタラント号」は見ているが、山口昌男の紹介以上のことは知らなかった。短編三本と、ミシェル・シモンを使った長編を撮ることができたのだから、それなりに評価されていたのだろうと思いこんでいたが、こんな逆境のうちに死んだとは。

 映画はアルプス山中のサナトリウムに向かう列車からはじまる。前の座席にすわった子供相手にふざけてみせるが、次の場面では「ジャン・サル」という名で迎えの馬車に乗り、入院するが、父親の親友が見舞いにあらわれ、アナーキストで対独協力の汚名を着て死んだアルメレイダ・ヴィゴの息子だとわかると、完全に危険分子あつかいになる。彼の口から、父親が自殺ではなく、官憲に殺されたと知ったヴィゴは、自分を里子に出した母親を憎み、父親の姓にもどる。

 同じ患者のリデュ・ロジンスカと恋仲になり、サナトリウムを逃げだし、彼女の両親が別荘を持っているニースで盛大な結婚式をあげる。義父からカメラを贈られ、撮影所で知りあったカメラマンと記録映画を作るが、上映会は右翼に目茶苦茶にされる。

 ヴィゴはリデュをニースに置いたまま、映画の協力者のいるパリにゆき、馬主をスポンサーにすることに成功する。結核が進行するのもかまわず、「操行ゼロ」を撮りあげるが、検閲にひっかかり、公開不能になる。彼が本当に撮りたかったのは、悪魔島からの脱出譚だったが、資金的に無理なので、ミシェル・シモンを主役にしたラブストーリーを撮るように勧められる。これが「アタラント号」で、病床で編集するさまは鬼気せまるものがある。

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*[01* 題 名<] アンの青春 完全版
*[01* 原 題<] Anne of Green Gables - the Sequel
*[02* 製作年<] 1988
*[03*   国<] カナダ
*[05* 監 督<] サリヴァン,ケヴィン
*[05* 原 作<] モンゴメリ
*[08* 出 演<]フォローズ,ミーガン
*[09*    <]デュハースト,コリーン
*[10*    <]クロンビー,ジョナサン
*[11*    <]ヒラー,ウェンディ
*[12*    <]コンバース,フランク

 55分増えた完全版。増えるとテンポが崩れる場合がほとんどだが、この映画は「赤毛のアン」同様、断然よくなっている。もともとTVのミニシリーズとして作られたわけだから、本来のテンポをとりもどしたというべきだろう。元版を見たのは90年9月で、ちょうど9年前で、どこが増えたかよくわからないが、学院のエピソード、特に老婦人関係がかなり増えてそうな気がする。

 アンの勤務する学院を私立のお嬢さん学校にするなど、原作を相当いじっているが、二十台でいきなり校長になるなどの学校制度のずれをうまく解決してあって、抵抗をおぼえずに見ることができる。

 ミーガン・フォローズはいよいよアンになりきっている。ここまで役にはまって大丈夫かと思い、検索したところ、けっこういろんな役をやっていた。

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*[01* 題 名<] 不夜城
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 李志毅
*[05* 原 作<] 馳星周
*[08* 出 演<]金城武
*[09*    <]山本未来
*[10*    <]椎名桔平
*[11*    <]郎雄
*[12*    <]曾志偉

 歌舞伎町の裏側にうごめく中国人マフィアの抗争を描いたギラギラした映画。舞台は歌舞伎町だが、とても日本の風景とは思えない。

 冒頭、モノクロの画面に靖国通りから桜通りにはいっていく金城武の後ろ姿が映しだされる。カメラは彼の背中を追って、ストリップ劇場の楽屋を抜け、路地を通って、王城の裏あたりとおぼしいビルにあるねぐらにはいっていく。ケバケバしいネオンと観葉植物を目隠しにして、デッキチェアが置いてあり、街路の喧噪が立ちのぼってくる。

 金城は昔から勢力を張る台湾グループに属しているが、父親が日本人で、台湾語が喋れないことから、微妙に疎外されている。

 物語は後半になって、どんでん返しにつぐどんでん返しになるが、作り物めいているのに、緊迫感はすこしも緩むことがない。マフィアどうしのだましあいだけなら、途中で底が割れるところだが、ナツミ=小蓮の素性がすこしづつ明らかになっていくプロセスがないまぜになっているので、最後まで手に汗を握った。中国残留孤児や近親相姦をからませたあざとさも、画面のテンションが高いので、不自然ではない。

 ナツミの山本未来は恐ろしいほどの名演である。自分の男を笑って殺せる女を、平然と演じていて、「愛の新世界」の鈴木砂羽以来の感動をおぼえた。東京の夜景をのぞむ桟橋のラストシーンはかっこいい。TVにスポイルされなければいいのだが。

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*[01* 題 名<] ダライ・ラマ
*[01* 原 題<] The Dalai Lama
*[02* 製作年<] 199
*[03*   国<] 中国
*[05* 監 督<] 白丹
*[08* 出 演<]

 中国のチベット侵略を正当化するプロパガンダとしてつくられたルポルタージュだが、ダライ・ラマの即位式やハラーの本に出てくる国事神託(p292)など、貴重な映像が次々と出てくる。

 カラー映像もあるが、昔のカラー映画の赤みをおびた色合いとはちがって、黄色の勝ったケバイ色だ。彩色かもしれない。

 記録映像の間に、チベット自治政府の高官になっている当時の関係者や、中国側関係者、ダライ・ラマ一家の荘園の農奴の証言がはさまるが、中にはいやいや喋っているような人もいる。

 過去の条約文書などを映して、歴代皇帝がダライ・ラマの継承に口出ししてきたことをあげて、ダライ・ラマ政権が「地方政府」だと主張するが、そんなことをいったらモンゴル、韓国・朝鮮、ベトナム、沖縄だって、みんな中国領になってしまう。

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*[01* 題 名<] ボンベイ
*[01* 原 題<]
*[02* 製作年<] 1995
*[03*   国<] インド
*[05* 監 督<] マニラトナム
*[08* 出 演<]コイララ,マニーシャー
*[09*    <]アラヴィンドスワーミ
*[10*    <]ナーザル
*[11*    <]キッティ
*[12*    <]ベンドレー,ソーナーリー

 1992年12月のアヨディア事件をきっかけにした各地の暴動と、翌年1月に再発した暴動をクライマックスにして、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を描いたシリアスな映画なのだが、噂のミュージカル・シーンはちゃんとあった。これが普通のインド映画だとすると、サタジット・レイやミーラ・ナイールの映画はなんだったのか。

 船着き場で見そめたベールをかぶったムスリムの娘と、村の結婚式で再会するシーンで、いきなりミュージカルになる。花嫁をさしおいて、純白のベールをかぶったヒロインを中心にきらびやかに歌い、踊る。昔の少女マンガによくあった、花に囲まれた目に星のヒロインみたいなものか。

 主人公はボンベイの大学を卒業する村の名門バラモンの次男で、ジャーナリストになる勉強を続けるために、新聞社の校正係をやりながらボンベイに残りたいと言いだして親と対立。さらにムスリムのレンガ屋の娘と結婚するとあっては、両家が反対。ボンベイにもどった主人公は、ヒロインに切符を送り、結婚生活をはじめる。やっと初夜をむかえると、主人公たちとは別のセクシーな美女とマイケル・ジャクソン風の男を中心にしたミュージカル・シーンに。神様に見立てているのか。

 アヨディア事件の余波でボンベイにも暴動がおこり、村から主人公の父親と、ヒロインの両親が心配して訪ねてくる。最初は双子をとりあったりしてはりあっていたが、1月に暴動が再発すると、ムスリムの自警団に捕らえられたバラモンの方の祖父を、ムスリムお祖父が助けたことから和解したのもつかの間、主人公の住んでいる家が放火され、逃げ遅れた親たちはプロパンガス爆発で死んでしまう。

 混乱の中、両親と離れた双子は、別れ別れになって、殺戮のつづく無法地帯を逃げ惑う。このシーンは本当に恐い。ヒンズー、ムスリムの両方の自警団は刀とかナイフぐらいしか武器を持っていないのだが、原始的な武器の方が恐い。

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*[01* 題 名<] ビョンド・サイレンス
*[01* 原 題<] Jenseits der Stille
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] リンク,カロリーヌ
*[08* 出 演<]トゥリープ,タティアーナ
*[09*    <]テステュー,シルビー
*[10*    <]ラボリ,エマニュエル
*[11*    <]キャノニカ,シビラ
*[12*    <]シーゴ,ハウィー

 聾唖者夫婦の間に生まれた娘がクラリネット奏者になる話を、九歳と十八歳の二つの時点で描くが、少女時代をやったタティアーナ・トゥリープも、娘時代をやったシルビー・テステューもすばらしい。

 同じ聾唖者の話でも「愛は静けさの中に」は男女の話で、悲劇的な緊迫感があったが、こちらは親子関係の話で、はるかに人間くさい。

 少女時代の主人公は、電話をかけたりするにも、手話通訳で両親から頼りにされている。銀行に行くために早退させるのはともかく、父親はラジオいじりを手伝わせるし、母親はTVのメロドラマの通訳をさせる(TVの前にすわって台詞を通訳するのを、母親が大きな目に涙をいっぱいためて見いっている図はけなげである)。

 学校の勉強が遅れがちになり、両親に呼び出しがかかるが、彼女はわざと穏便に通訳し、自分一人で負担を抱えこんでいる。

 父親は新聞社の印刷部門で働いているが、障害をもっていたために、母親に過保護に育てられ、親離れ・子離れができていない。叔母がクリスマス・プレゼントにくれたクラリネットに、主人公は夢中になるが、父親は娘が自分の知らない音楽の世界に打ちこむのが気にいらない。

 ギムナジウム卒業の年になり、主人公は叔母の勧めで、ベルリンの音楽学校の受験を決め、夏休みの間、ベルリンの叔母の家に泊まりこみ、練習をすることになる。

 夏の間に聾学校の教師との恋愛があり、叔母の別居がある。主人公は支配的な叔母と口論になり、家を飛びだし、別居中の義理の叔父の家に転がりこむが、母親が自転車で交通事故を起こし、亡くなったと知らせを受ける。

 葬儀の後、母親といくことになっていたクラリネットのコンサートで、彼女はジオラ・ファイドマン(本人が出演)のユダヤ音楽を知る。音楽学校の試験では彼の曲を演奏するが、会場の後ろには父親が聞きに来ていた。

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*[01* 題 名<] パーフェクト・サークル
*[01* 原 題<] Savrseni krug
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
*[05* 監 督<] ケノヴィッチ,アデミル
*[08* 出 演<]ナダレヴィッチ,ムスタファ

 真新しい墓標がぎっしり立ち並ぶ墓地に、枝を縦横に広げた樹が立っている。その枝にロープをかけ、頭の禿げた初老の男が首を吊っている。がに股でぶらさがっているのが、なんとも滑稽。老婦人がこともなげに樹の脇を通りすぎていく。

 というのは夢で、首を吊っていた男はハムザというモスレム人詩人で、セルビア軍に包囲されたサラエボに住んでいる。口うるさい妻と娘のミランダはバスで国外に脱出するが、ハムザは有名人なので、セルビアの検問にひっかかるのは間違いなく、町を出ることが出来ない。

 ある日、彼の家に孤児の兄弟がはいりこんでいる。追いだそうとするが、家族を亡くし、叔母を探しているところだという。兄のアディスは聾唖者で、弟のケリムがけなげに世話を焼いているので、ハムザは泊めてやり、狙撃兵があちこちに陣取っている街をいっしょに探し歩くが、負傷者として出国していて、ドイツで健在なことがわかる。

 二人をドイツに行かせるためには、飛行場の滑走路を横断するルートを通るしかないが、滑走路は遮るものがなく、狙撃兵の標的になる一番危険なルートだ。ハムザは二人を案内人とともに送りだすが、彼らが隠れた滑走路脇のビルの廃墟に、セルビア兵がはいっていくのを目のあたりにする。ハムザは思わず駆けだし、廃墟に飛びこんで兄弟を探すが、セルビア兵に発見され、あやういところを兄の方に助けられる。しかし、弟はすでに殺されていた。

 ハムザは飲んだくれで、首を吊った自分や妻、娘の幻をしょっちゅう見ている。セルビア軍の砲撃が迫り、アパートに残った住民はみんな地下室に避難したが、酔ったハムザは街路に出て、NATO軍がそこまで助けに来ているという幻覚を喋りだす。「世界がこんなことを許しておくはずはない」という彼の言葉に、老婆が地下室から出てくるが、そこに砲撃があり、老婆は死んでしまう。

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*[01* 題 名<] 鳩の翼
*[01* 原 題<] The wings of Dove
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] ソフトリー,イアン
*[05* 原 作<] ジェイムズ,ヘンリー
*[08* 出 演<]カーター,ヘレナ・ボナム
*[09*    <]ローチ,ライナス
*[10*    <]エリオット,アリソン
*[11*    <]ランプリング,シャーロット
*[12*    <]マクガヴァン,エリザベス

 今年のはじめ、「群像」に『鳩の翼』論を書いたところ、配給会社から試写会の案内が来た。この映画は英米で評価が高いが、果たして期待にたがわぬ出来だった。ただ、原作とはかなりおもむきが違う。

 ジェイムズの原作はちょうど百年前、19世紀末に設定しているが、映画はその十数年後の第一次大戦前夜に時代をうつしている。画面を飾る衣装や装飾、美術は、けだるい世紀末様式ではなく、クリムトに代表される不安の色濃い、ベルエポックの様式である。暮れなずむヴェネツィアの情景は、胸騒ぎがするほど美しい。

 単に背景を代えただけなら趣味の問題だが、ソフトリー監督はベールが何重にもかかった後期ジェイムズの曖昧模糊とした世界を、身も蓋もないあからさまな自然主義的世界に置きかえている。

 こんなのジェイムズじゃないと言いたいところだが、そうとは言い切れないところがジェイムズの懐の深さだ。

 原作ではこの世ならぬ美しさをもったミリー・シールが主人公だが、映画では世俗の垢にまみれたケイト・クロイを主人公に代えているのだ。ケイトを中心に物語を見れば、自然主義的な世界になっても不思議はなく、そうであれば世紀末より、第一次大戦前夜の方が舞台にふさわしいのである。

 後期ジェイムズの世界はもともと映画になりっこないのかもしれず、その意味では、ソフトリー監督の確信犯的改竄は成功しているといえる。

 ケイトのヘレナ・ボナム・カーターはいわゆる「体当り」の演技でがんばっているが、アリソン・エリオットは天女のようなミリーを涼やかに演じて、主役を食っている。

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October 1998

*[01* 題 名<] 天使は、この森でバスを降りた
*[01* 原 題<] The Spitfire Grill
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] ズロートフ,リー・デヴィッド
*[08* 出 演<]エリオット,アリソン
*[09*    <]バースティン,エレン
*[10*    <]ハーデン,マルシア・ゲイ

 題名が題名だったので、封切時に見なかったが、これは傑作に近い。アリソン・エリオットがすばらしいのだ。サンダンス映画祭の観客賞は納得できる。

 若い娘たちが電話のヘッドレストをつけて、パソコンに向かっている。客からの問い合わせの電話に、メーン州観光局と名乗って受け答えしているが、鉄格子のようなものがちらちら映る。はたして、そこは女子刑務所で、保釈が決まったパーシーは、観光写真をはった自室で荷物を箱に詰め、看守にせかされて出所していく。

 彼女は長距離バスに乗り、夜、山の中のギリアドという村でおりて、保安官事務所を訪ねていく。保安官は本当に来たのかと困ってしまい、向かいのスピットファイア・グリルという食堂に彼女を連れていき、拝み倒して雇ってもらう。

 翌朝、物見高い客たちは、新顔のパーシーのことをああだこうだ噂している。彼女は自分から刑務所に五年間いたことを、みんなに聞こえるように言う。

 陰々滅々のはじまりだが、食堂を一人で切り盛りしていた女主人のハナ(眼鏡をちょこんと鼻の上にのせたバースティン)が椅子から落ちて怪我をしたことから、手伝いに来た甥の妻と親しくなる。

 ハナには秘密がある。ベトナムに志願兵として出征した一人息子は戦争神経症で、山の中で一人で暮らしているのだ。彼女は親戚にも秘密にして、缶詰を麻袋に入れて出しておき、彼にわたしていたが、怪我のためにパーシーにやらせるしかない。彼女は姿を見せない彼にジョニー・Bと名前をつけ、しだいに心を開いていく。

 十年たっても売れない食堂を売るために、パーシーが観光局時代に聞いた申こ金付き作文コンテストを提案したところ、全国から応募が相次ぎ、二十万ドルも集まってしまう。甥の不動産屋は彼女が人気者になったのが面白くなくて、銀行に預金にいくことになっている前夜、食堂に忍びこみ、金を麻袋に移してしまう。彼女はそうとは知らず、麻袋に缶詰を入れ、いつものように切株の横に出しておく。甥は刑務所の仲間が金を奪いに来たと勘違いし、翌朝、山狩をはじめる。

 パーシーは義父にレイプされつづけ、妊娠した過去がある。お腹の中の赤ん坊は義父に撲られて流産する。退院した彼女はまた義父にホテルに連れこまれ、乱暴されそうになって殺してしまい、刑務所にはいる。

 大金がなくなり、前科者と疑われたパーシーを、馬鹿呼ばわりされてきたシェルビーと、ジョニー・Bだけが信じつづける。

 食堂はパーシーのものになるのかと思っていたら、彼女の死という結末が用意されていた。村民あげての葬儀に、ハナの甥は自分が金を金庫から出したこと、彼女を誤解していたことを懴悔する。この終わり方でよかったと思う。

 パーシーのアリソン・エリオットでもっている映画だが、繊細でピュアな魅力はアメリカの女優とは思えない。喋り方が独特だが、ニュアンスはわからないものの、声がいいことはわかる。

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*[01* 題 名<] ニューヨーク・デイドリーム
*[01* 原 題<] Newyork Daydream
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] チン,ウォンスク
*[08* 出 演<]金城武
*[09*    <]ソルヴィーノ,ミラ
*[10*    <]レクナー,ジーノ
*[11*    <]ギャザラ,ベン
*[12*    <]インペリオ,マイケル

 ニューヨークに映画の勉強にきているらしい日本青年が、美貌の死神(ソルヴィーノ)に明日死ぬと宣告され、残された時間をどう過ごすかという話。

 映画の勉強といっても、なにをしているのだかわからないし、半分は親の仕送りで遊びにきている感じで、ニューヨークでおしゃれに暮らしてますといった感じ。もとより、リアリティがどうのという作品ではない。死を宣告されても、とり乱すわけでも、考えこむわけでもなく、一所懸命になれない自分に疑問をもつわけでもなく、最後に招待されたパーティでちょっと無礼をやるだけで、フワフワとした日常の延長で死んでいく。

 モノクロの無声映画仕立ての冒頭の夢のシーンで、バビロンで死神から逃げた男が、現在のニューヨークに登場するという趣好など、小技の部分はよくできている。トンネルズがやっていた軽口の深夜ドラマを思わせる。

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*[01* 題 名<] アルテミシア
*[01* 原 題<] Artemisia
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] メルレ,アニエス
*[08* 出 演<]チェルヴィ,ヴァレンティナ
*[09*    <]セロー,ミシェル
*[10*    <]マノイロヴィチ,ミキ

 画家オラーツィオ・ジェンティレスキの娘として1593年に生まれた最初の女流画家、アルテミシアの若い日を描いた映画。

 女が絵を描くこと、まして男の裸体を描くことが顰蹙を買った17世紀の話だけに、当時の美術界の裏話や絵画技法(天使に扮装させたモデルを宙づりにしたり、マスで仕切った木枠でデッサンする)といった文化史的興味もあるが、アルテミシアを演じたチェルヴィの強い目と強烈なオーラが最大の魅力だ(スチールだと瀬戸朝香に似ているが、スクリーンでは気品といい、りりしさといい、格が違う)。

 母を早く亡くしたために、修道院の寄宿舎にはいっているが、夜、盗んだ蠟燭で自分の身体をデッサンするシーンは、エロチックというより、ほほえましい。砂浜でセックスしているカップルを丘の上から盗み見て、彼らが去った後、砂の凹みに自分の体をあわせてみるシーンも同じ。こういう絵画一筋の娘が、弟子入りした師匠のアゴスティーノ・タッシに処女を奪われ、怒った父親が裁判を起こすが、深刻さよりも人間くさいユーモアが印象に残った。女性の自立を描いた映画ではあるが、演出にはフェミニズムがどうのこうのとは別次元の、深い人間的成熟が感じられる。

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*[01* 題 名<] オースティン・パワーズ
*[01* 原 題<] Austin Powers
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] ローチ,ジェイ
*[08* 出 演<]メイヤーズ,マイク
*[09*    <]ハーレー,エリザベス
*[10*    <]ロジャース,ミミ
*[11*    <]ヨーク,マイケル
*[12*    <]バカラック,バート

 最初の30分は苦しかった。60年代のサイケ調も結構だが、くどすぎるのだ。舞台が現代に移って、冷凍されていたパワーズが解凍され、浦島太郎になるあたりも、コテコテのギャグがつづいて食傷。マイク・メイヤーズは最初から最後までハイテンションだが、最初は空回り気味。

 ラスベガスにゆくあたりから調子が出てくる。ミセス・ケンジントンの娘のバネッサが、最初、馬鹿にしていたパワーズを認め、魅かれていくのに平行して、映画が面白くなってくる。夜のラスベガスの大通りを、天井をはずしたロンドンの二階建てバスで走るシーンになると、完全にペースに取りこまれる。

 バネッサのエリザベス・ハーレーがすばらしい。ゴージャスなプロポーションと知的な鋭さをかねそなえている。彼女のおかげで、この映画はパロディの域を越えた。

 お祭り映画というか、宴会映画だが、終わりが近づくと名残惜しくなった。

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*[01* 題 名<] ネイキッド
*[01* 原 題<] Naked
*[02* 製作年<] 1993
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] リー,マイク
*[08* 出 演<]シューリス,デビッド
*[09*    <]カートリッジ,カトリン
*[10*    <]シャープ,レスリー
*[11*    <]スキナー,クレール
*[12*    <]クラットウェル,グレッグ

 冒頭、夜の街路で、低所得者アパートのレンガの外壁に女を押しつけて、男が腰を動かしている。女は嫌がっていて、男を突き飛ばして逃げていく。デートの途中で無理なことをしたという感じだが、男は逆方向に歩きだし、車を盗んで去っていく。

 彼は主人公ではない。主人公は殺風景なアパートの階段の上り口で座りこんでいる、バッグを背負った貧相な男だ。彼はジョニーといって、ルイーズ(シャープ)という昔の女を頼って、マンチェスターから出てきたのだ。

 ルイーズのルームメイトのソフィー(カートリッジ)が彼に声をかけ、住居にいれてやる。ジョニーは人なつっこく、ソフィーを笑わせて、たちまち同衾してしまう。ルイーズが帰ってくると、マンチェスターにいられなくなった事情を問いつめられ、彼は住居を出ていく。

 彼はロンドンの街をあてもなくほっつき歩き、夜、警備員に呼びとめられると、得意のお喋りで意気投合し、向かいのアパートの一人暮らしの女ののぞき見につきあい、女の部屋に押しかけてしまう。

 翌朝、金のない彼は警備員に朝食をおごらせるが、安食堂の貧相な女になれなれしく話しかけ、彼女の下宿に押しかける。大家が留守で、彼は久しぶりに風呂にはいるが、夜になって、彼女を怒らせるようなことを言い、追いだされてしまう。貧相な女に向かって、おまえの子供は呪われろと言い捨てて出ていく姿はやりきれない。

 街路で見かけたポスター貼りの男に例によって話しかけ、車にのせてもらうが、男を怒らせ、殴り倒されて置き去りにされる。彼はまた夜の街を歩きだすが、通りかかった若者の一団のオヤジ狩にあい、ボコボコにされる。

 負傷した彼は、やっとのことでルイーズとソフィーのアパートにたどりつく。その夜は、冒頭の場面に登場した女たらしのジェレミーが、もう一人のルームメイトである看護婦のサンドラの友達だと称して入りこんでいて、二人はしかたなくサンドラの部屋に彼を運びこむ。

 翌朝、サンドラがジンバブエから帰ってくる。清潔好きの彼女は乱れ放題のアパートを見て怒るが、看護婦として怪我人をほうってはおけず、ジョニーの手当てをする。

 ルイーズはジョニーに会社を辞めるから、一緒にマンチェスターに帰ろうと申しでる。ルイーズが外出し、サンドラが風呂にはいっている隙に、ジョニーはジェレミーがソフィーに投げつけた札束をもって、家を抜けだし、ぴっこを引きながら行方をくらます。

 登場人物はみんな歪んでいる。ジェレミーは女に暴力を振るい、金をあたえるという形でしかつきあえないし、ソフィーはすぐに男と寝てしまう。サンドラだって、ジェレミーとつきあっていたのだから、まともではないだろう。

 ジョニー役のシューリスは寂しくてたまらないのに、気持ちが通いはじめると、相手を怒らせずにはいられない男のみじめさを切なく演じている。

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*[01* 題 名<] モンタナの風に抱かれて
*[01* 原 題<] The Horse Whisperer
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] レッドフォード,ロバート
*[05* 原 作<] エヴァンス,ニコラス
*[08* 出 演<]トマス,クリスティン・スコット
*[09*    <]レッドフォード,ロバート
*[10*    <]ヨハンソン,スカーレット
*[11*    <]ニール,サム
*[12*    <]ウィースト,ダイアン

 167分という長尺で、最初の雪の斜面の事故をのぞくと、特に見せ場もなく、淡々と撮ってあるが、最後まで居眠りせずに見通した。いい素材を不器用に料理していて、あざといところがすこしもない。素人くささがあって、重厚とか風格という感じにはならない。

 高級女性誌の編集長の母親は、事故で傷ついた娘の愛馬の安楽死を断り、娘の心を癒すために、馬と娘を連れて、モンタナにいるホース・ウィスパーラーの元に向かう。母親を演じるクリスティン・スコット・トマスは、シンボリックな意味を理解しているものの、インテリの狭さと、強い女の傲慢さももっている。心の問題をあつかうと、えてして地に足のつかないフワフワ映画になるが、この作品がリアリティをもったのは、彼女の性格設定と、トマスの演技のおかげだ。

 モンタナの自然は雄大で、パワーがあるが、ホース・ウィスパーラーのロバート・レッドフォードはやや影が薄い。しかし、彼が出過ぎなかったのがよかったともいえる。

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*[01* 題 名<] マスク・オブ・ゾロ
*[01* 原 題<] The mask of Zorro
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] キャンベル,マーティン
*[05* 原 作<] マッカリー,ジョンストン
*[08* 出 演<]バンデラス,アントニオ
*[09*    <]ホプキンス,アンソニー
*[10*    <]ゼタ=ジョーンズ,キャサリン
*[11*    <]ウィルソン,スチュアート
*[12*    <]レッシャー,マット

 年老いたゾロが盗賊あがりの新しいゾロを育てるという設定は悪くないし、老ゾロのホプキンスが喜々として剣を振りまわしているのと、娘のエレナ(ゼタ=ジョーンズ)のゴージャスな女っぷりは収穫。

 ぞくぞくするシーンはいくつかあるが、137分は長すぎる。剣戟シーンも多すぎた。英雄像を語りつぐ民衆に注目したのはいいとしても、脚本は考えすぎ。老ゾロを監獄に閉じこめた元スペイン総督がアルタ・カリフォルニアにもどってきて、独立を画策するという筋は説明的。おバカ映画に撤すれば、もっと面白くなっていただろう。

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*[01* 題 名<] ブラス!
*[01* 原 題<] Brassed off!
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] ハーマン,ヨーク
*[08* 出 演<]ポスルスウェイト,ピート
*[09*    <]フィッツジェラルド,タラ
*[10*    <]マクレガー,ユアン
*[11*    <]トンプキンソン,スティーブン
*[12*    <]カーター,ジム

 最近の英国映画の例にもれず、この作品もほろ苦さと物悲しさにみちている。そして、オヤジが輝いている。

 舞台は炭鉱閉鎖問題にゆれるヨークシャーのグリムリーという炭鉱町。労働者は割増の退職金か、いつまで続くかわからない存続かという二者選択を迫られ、労組の中では疑心暗鬼が渦まいている。

 百年以上つづいてきたグリムリー・クリアリー・バンド(モデルは実在のグライムソープ・コリアリー・バンド)も例外ではない。全国大会の準決勝を目前にしているのに、メンバーは練習どころではないし、やめようとする者も出てきている。

 指揮者のダニー(「ジュラシック・パーク2」の悪役のポスルスウェイト)は動揺するメンバーを叱りつけ、引っ張っていくが、決勝進出が決まった後、倒れてしまう。ロンドンまでの三万ポンドの遠征費がないので、一度は出場辞退を決めるが、紆余曲折の末、出場し、優勝する。

 危篤のダニーに聞かせるために、ヘッドランプとヘルメットのメンバーが演奏するシーンとか、優勝のスピーチでダニーがぶつ政府批判の演説とか、見せ場がいくつもある。紅一点のグロリアが加入する時に演奏する「アランフェス協奏曲」、最後の「威風堂々」と、ぶ厚い響きの音楽もすばらしい。

 グロリアのタラ・フィッツジェラルドは凜々しくて、「ウェールズの山」のいも娘とはとうてい思えない。

 ユアン・マクレガーはさえなかったが、ダニーの息子のフィルのスティーブン・トンプキンソン、次席指揮者のハリーのジム・カーターがよかった。

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*[01* 題 名<] バタフライ・キス
*[01* 原 題<] Butterfly Kiss
*[02* 製作年<] 1995
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] ウィンターボトム,マイケル
*[08* 出 演<]プラマー,アマンダ
*[09*    <]リーヴス,サスキア
*[10*    <]トムリンソン,リッキー
*[11*    <]ドウイ,フリーダ
*[12*    <]マッカリー,デス

 オヤジ系の英国映画はすんなり共感できるが、若者の絶望を描いたパンク系英国映画はついていけない部分がある。「GO NOW」、「日蔭の二人」のウィンターボトムの作品なので期待したが、これはパンク系。作品として完成度が高いのはわかるが、見ていて嫌悪感をおぼえた。

 ハイウェイ沿いのガソリン・スタンドの売店に、貧相な女(プラマーのユーディットがはいってきて、ジュディスという娘を知っているかとしつこく聞き、しまいには、あんたがジュディスだと言いだし、店番の女を殺してしまう。

 次のガソリン・スタンドでも同じような問答をくりかえすが、追いだされる。

 三番目のガソリン・スタンドで店番をしていたミュリエルという陰気そうな女(サスキア・リーヴス)は、ユーディットに親身に相手をし、祖母といっしょに暮らす自分の家で泊めてやると言いだす。

 翌朝、ユーディットは挨拶もなく出ていくが、ミュリエルはユーディットが心配になり、彼女の後を追い、二人でジュディス探しの旅をはじめる。

 店番やら、トラック運転手やら、簡単に殺すのもうんざりするが、ユーディットが裸になると、貧相な身体にチェーンが巻いてあり、垂れた胸の乳首にはピアスをしている。絶望を剥きだしにしたような裸体で、存在感は認めるが、目を背けたくなる。

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Copyright 1998 Kato Koiti
This page was created on Oct18 1998; Updated on Nov11 1998.
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