映画ファイル

2001年12月までの映画ファイル
2002年 3月からの映画ファイル
加藤弘一

January 2002

*[01* 題 名<] シュレック
*[01* 原 題<] Shrek
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] アダムソン,アンドリュー
*[05*    <]@ジェンソン,ヴィッキー
*[05* 原 作<] スタイグ,ウィリアム
*[08* 出 演<]濱田雅功
*[09*    <]藤原紀香
*[10*    <]山寺宏一
*[11*    <]伊武雅刀

 吹替版がいいという評判を聞いたので、吹替版と字幕版が連続する時間帯を選んで出かけたが、これが大当り。

 濱田のシュレックは絶品。ぼやきまじりの声はまさにシュレックのキャラクターそのもので、オリジナルのマイク・マイヤーズよりもいい。フィオナ姫の藤原紀香は最初は声が浮いていたが、だんだんさまになってくる。

 隣に10歳くらいの男の子がすわっていたが、シュレックがフィオナ姫とドンキーの内緒話を立ち聞きして誤解し、フィオナ姫と仲たがいするシーンで突然泣きだした。大人向きと思っていたが、子供にもわかるのだ。

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*[01* 題 名<] リリイ・シュシュのすべて
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 岩井俊二
*[08* 出 演<]市原隼人
*[09*    <]忍成修吾
*[10*    <]伊藤歩
*[11*    <]蒼井優
*[12*    <]市川実和子

 傑作。

 青々とした水田を前にひょろりと立った主人公の蓮見雄一(市原)がCDウォークマンでリリイ・シュシュの催眠的な歌を聞いている。反抗とか若さの誇示ではない、受身の異和感が新鮮だ。

 田舎町で暮らす少年の日常を描くという枠組は「花火」の世界に近いが、13歳から15歳まで――中学入学からの三年間――をあつかうので、もはや牧歌的ではありえない。万引、カツアゲ、イジメ、援交、レイプ、殺人と現実が押し寄せ、さらにリリイ・シュシュの歌が異世界からのメッセージのようにはいりこんでくる。

 しかし、なんという映像の美しさ。のどかな風景だからこそ、主人公の日々がよけい痛ましい。

 親友の星野修介(忍成)が突然荒れだし、番長になる。沖縄体験が原因のように観客をリードしておいて、久野陽子(伊藤)が廃工場でレイプされる場面で、星野の親のやっていた工場が倒産し、一家離散したことを暗示する。

 陽子はピアノがうまく、合唱の伴奏に選ばれたために、嫉妬した女生徒たちの策略でレイプされ、髪を切られる。しかし、彼女は逆にスキンヘッドにして、黙って登校をつづける。こういう形でしか未来が示せないくらい、今の中学校はすさんでいるらしい。

 星野に援交させられる津田詩織(蒼井)のエピソードは水際だっている。客をとらされ、金を巻きあげられても、詩織は傷ついた風もなく、ヘラヘラしている。

 雄一は星野に家に送っていけと命じられ、跡をついていくが、詩織は家の前の農業用水に制服のままはいっていく。庭先でホースで水を浴び、制服の汚れを落とす彼女を雄一は門の外で心配そうにうかがう。ヘラヘラしていても、内心はズタズタに傷ついているのだ。

 詩織はカイトをあげて、うれしそうにはしゃぐが、次の場面では鉄塔の下で死体になって横たわっている。

 代々木体育館でのリリイのライブ場面がまた痛い。列に並んでいると星野に声をかけられ、飲物を買いにいかされるが、その間に星野は雄一の切符を捨て、中にはいってしまう。雄一は会場の外でふるえながら、もれてくる音楽を聞くしかない。

 星野はどうしようもなく底意地が悪いが、タタリ神のように深手を負った被害者なのだ。被害者が美しいなどというヒューマニズムをはねつける強さがこの映画にはあって、それがポエジーを深くしている。

 脚本がうまい。男二人の兄弟の名前が「一」で終わるところから、両親が再婚だと暗示する。日本の映画は全般に説明過剰だが、洋画の方がよく見られているのだから、この映画のように、洋画なみに説明を削っても成立するはずだ。

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*[01* 題 名<] 彼女を見ればわかること
*[01* 原 題<] Things you can tell just by looking at her
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ガルシア,ロドリゴ
*[08* 出 演<]クローズ,グレン
*[09*    <]ハンター,ホリー
*[10*    <]フロックハート,キャリスタ
*[11*    <]ディアス,キャメロン
*[12*    <]ベイカー,キャシー

 ロスアンジェルスに住む自立した女性たちを描くオムニバスで、綺羅星のようなスターが並んでいる。これだけの大物を集めることができたのはガルシア・マルケスの七光かもしれないが、みごとにさばききった手腕はみごとで、長編第一作とは思えない。

 冒頭、カルメン・アルバが赤いドレスで自殺し、女刑事が駆けつける。二人は知りあいなのだが、それが明かされるのは最後のエピソードでだ。

 女医のキーナン(クローズ)は痴呆の母親と暮らしていて、病院で知りあった年下の恋人がいるが、うまくいっていない。友人の紹介で占い師クリスティーヌ(フロックハート)を自宅に呼ぶ。クリスティーナは新しい出会いがあると告げる。

(フロックハートは細い! アリーの印象が強いので、眉根を寄せて、英語で喋ると異和感がある)

 銀行の支店長(ハンター)は年の離れた黒人と不倫をつづけているが、孤独は埋らない。職場ではいいところを見せなくてはならず、本音はまいっている。そんな時、駐車場でホームレスのインディアン女に親しげに話しかけられる。明らかに頭のネジがゆるんでいるのだが、なごむものを感じる。

 中絶した夜、人恋しくなり、部下と一夜をともにしてしまう。(ホリー・ハンターをはじめて色っぽいと感じた。この映画の彼女は美しく撮れている)

 息子と暮らしている童話作家(ベイカー)の家の向かいに小人が越してくる。スーパーから小人が買い物をかかえて帰るところを見かけ、声をかけ、家まで乗せてやる。小人はお礼に盆栽(!)を玄関においていく。庭の雛菊をお返しにもっていくが、出てこない。庭にこっそり忍びこむが、ベッドで寝ている彼と目があってしまい、思わず逃げ帰る。(ベイカーはオバサンだが、かわいい一面を出している)

 占い師のクリスティーナは癌で死にかけている女友達と暮らしている。向かいのアパートのベランダにカナリアの籠が見える。女友達ははじめて出会った時のことを話してくれという。(フロックハートの方が細くて、病人っぽい)

 カルメン・アルバの死体の検死に立ちあう女刑事。彼女はカルメンの旧友だが、そのことは言わない。

 家に帰ると、盲目の妹(ディアス)がいる。妹は点字を教えている女の子の父親(銀行の支店長の部下)からデートに誘われる。女刑事は化粧してやり送りだすが、結局、遊ばれるだけだった。女刑事は旧友と会うといいながら、検死の医者とデートする。(ディアスはまたまたブス・メイクだが、盲目という設定はエロチックだ)

 どのエピソードの主人公も一人肩ひじ張って生きている「できる」女たちだ。彼女たちが一時でも鎧を脱げるのは占い師、ホームレス、元サーカスの小人、盲人といったのけ者にされている者たちの前だけだが、それも本当のつながりではない。

 寂寥感がそくそくと伝わってきて、完成度が高いが、上品にまとまりすぎているかもしれない。マルケスの息子がこんなに洗練された映画を作っていいのだろうか。

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*[01* 題 名<] 
*[01* 原 題<] Maelstrom
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] カナダ
*[05* 監 督<] ヴィルヌーヴ,デニ
*[08* 出 演<]クローズ,マリ・ジョゼ
*[09*    <]ペロー,ジャン・ニコラ
*[10*    <]スターン,ステファニー・モーゲン
*[11*    <]ルポー,ピエール
*[12*    <]ぺシュロ,ボビー

 暗い船倉(?)で男がグラインダーで包丁を研いでいる。これから料理されるまな板の上の怪魚が「ノルウェイの猟師は網の代わりに音楽で魚をとる。わたしはグリークの調べで捕まえられたのだ」などと、人を食ったことを言いだす。怪魚は娘が真理を探す旅をはじめる物語のはじまりを宣言するが、そこで頭を切り落されてしまう。

 ビビアンは大女優の娘で、親の七光りでスマトラ・グループというブティックを展開しているが、赤字つづきで、兄のフィリップ(ペシュロ)から事業の打ち切りを通告される。

 彼女は憂さ晴らしに踊りにいき、酔っ払ってしまう。帰り道、魚市場の近くで老人をはねるが、朦朧としたビビアンはそのまま家に帰り、はねられた老人は自力で自宅にもどり、ひっそりと死ぬ。

 ビビアンは二日酔いの頭で事故現場を見にいくが、事故の痕跡はなく、新聞にも事件は報じられていない。だが、車には人をはねた跡があり、魚の臭いまで残っているから、事故があったのは間違いない。

 ビビアンは女友達のクレール(スターン)に打ち明け、車を洗浄し、へこんだボンネットを修理させるが、罪の意識にさいなまれ、埠頭から車を落とそうとする。ところが、前輪が落ちたところで、腹がぶつかり、宙吊りになる。ビビアンは遮二無二エンジンをかけ、車もろとも海に転落する。

 ビビアンは車から脱出し、九死に一生をうるが、ここから、彼女の再生の物語がはじまる。

 ビビアンとクレールはチャイニーズ・レストランにはいるが、蛸があまりにも固いので苦情をいう。クレームは魚問屋までいくが、魚の目利の仕入主任が休んでいて、新米が仕入れたことがわかる。連絡がつかないので、アパートを訪ねたところ、主任はビビアンが轢き逃げした老人で、死んで何日もたっていた。

 自宅で謎の轢死と新聞記事になり、ビビアンはやっとことのなりゆきを知る。

 ノルウェーで潜水夫をしている老人の一人息子、エビアン(ペロー)が呼ばれ、葬儀場で火葬された灰を受けとる。

 そこへビビアンが受付に訪ねてくる。ビビアンはエビアンに隣人だと嘘をつき、コーヒーをつきあい、遺品の整理を手伝う。職場に挨拶にいき、仕事仲間と轢き逃げ犯人を詛いながらウォッカで乾杯するが、ビビアンには針の蓆だ。

 翌日、ビビアンはノルウェーに帰ろうとするエビアンをひきとめ、一夜を友にする。翌朝、彼が乗るはずだった飛行機が墜落したことがわかる。命の恩人といわれたビビアンは真相を告白する。エビアンは苦悩し、酔って父の骨の粉を部屋にばらまくが、ビビアンは掃除機で粉を吸いあげ、あらためて二人は船で散骨にいく。

 ケベックの映画だが、どんどん内向していく作風はアトム・エゴヤンに通ずるものがある。底が見えないというか、催眠的な魅力があり、何度でも見直したくなる。

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*[01* 題 名<] 仄暗い水の底から 
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 中田秀夫
*[05* 原 作<] 鈴木光司
*[08* 出 演<]黒木瞳
*[09*    <]菅野莉央
*[10*    <]水川あさみ

 雨と水ばかりの冷たくじめじめしたホラーで、離婚調停中の母子が因縁のあるマンションを借りてしまい、屋上のタンクに落ちて死んだ少女の霊に振りまわされるという話。

 親にかまってもらえない寂しさがライトモチーフになっている。幼稚園で一人ぽつんと母親の淑美(黒木)を待つ郁子(菅野)の姿に、淑美の過去と、同じマンションで死んだ少女の過去をオーバーラップさせる重層的な構造は成功していると思う。母性愛をもとめる少女霊は『スイートホーム』以来、ジャパニーズ・ホラーの伝統となって観があるが。

 淑美はもともと想像力過剰の上、親権の争いで精神病院の通院歴を指摘されてナーバスになっているというヘンリー・ジェイムズ的なもりあげ方で、黄色いレインコート、赤い幼稚園の鞄、行方不明になった女の子の手がかりを求める古びた立て看板といった小道具が決っている。水浸しの部屋と、水道の蛇口から髪の毛が出てくる場面は怖かった。

 よくできているのだが、結末は不可解。なぜ10年後に飛ぶ必要があるのか。

 郁子をやった子役はいかつい顔をしていて、必要以上に神経をいらだたせる(殴りたくなった)。設定よりも年が上だそうで、実際、幼稚園の場面では一人だけ目だっている。あえてこの子役を使う必要があったのだろうか。

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*[01* 題 名<] スパイ・ゲーム
*[01* 原 題<] Spy Game
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] スコット,トニー
*[08* 出 演<]レッドフォード,ロバート
*[09*    <]ピット,ブラッド
*[10*    <]マコーマック,キャサリン
*[11*    <]ジャン=バティスタ,マリアンヌ
*[12*    <]ディレイン,スティーブン

 ロバート・レッドフォードとブラッド・ピットの「師弟関係」を観客が知っているという前提で作られた映画だと思うが、小憎らしいくらいうまくできている。

 CIAエージェントのトム・ビショップ(ピット)は蘇州刑務所からアメリカ人女性を救出しようとして、逆に捕らえられてしまう。

 ちょうどその日、トムをスパイ稼業に引っぱりこんだネイサン・ミュアー(レッドフォード)は定年退職することになっていたが、香港大使館のダンカンからトム逮捕を内密に知らされ、トムを救うために大博打を打つことを決断する。

 出勤すると、まずトムの資料を隠し、自分抜きでは事態が進まないようにしてから、秘書のグラディス(ジャン=バティスタ)の協力で、トム救出作戦を密かに立案し、架空の命令をでっちあげていく。

 CIAの官僚機構を熟知し、中国政府内部にまでコネをもったベテラン・スパイだからできることだが、IDカードを返したので、一歩でも本部の外に出たら、なにもできなくなってしまうという縛りがサスペンスを生む。

 現在の物語はCIA本部と蘇州刑務所という密室で進むが、その間にミュアーとトムの世界を股にかけた師弟関係が語られる。目配りよく、結果的に冷戦史になっているのは話ができすぎているが、緩急がうまいので納得させられてしまう。

 作戦のコードネームは「外食作戦」で、同僚を食事に誘う「Dinner Out Go!」という言葉が実行の合図になる。成功したからよかったものの、作戦をやらされた兵士はたまったものではない。

 見ている間は没入したが、時間がたつと、ほら話のように思えてこないではない。動機が陰謀がらみではなく、個人的なものだという点がぎりぎりのところで映画のリアリティを支えている。

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February 2002

*[01* 題 名<] ジターノ
*[01* 原 題<] Gitano
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] スペイン
*[05* 監 督<] パラシオス,マヌエル
*[05* 原 作<] ペレス=レベルテ,アルトゥーロ
*[08* 出 演<]コルテス,ホアキン
*[09*    <]カスタ,レティシア
*[10*    <]ベラウステギ,マルタ

 雨の日、刑務所から長髪のアンドレ(コルテス)が出所してくる。門の前には黒塗の乗用車が待っていて、子分らしい男たちと親分らしいかっぷくのいい老人が出むかえる……と、ヤクザ映画もどきの出だしに戸惑う。ジプシー映画のはずではなかったのか。

 舞台はすぐにグラナダに移り、殺された従弟の復讐話がもちあがる。スペインのヤクザ映画という先入見のためか、アンドレが二年前に売り出し中だった「カルデラ」というフラメンコ・バンドのパーカッショニストで、大物音楽プロデューサーのマンフレデイにはめられ、妻のルシア(カスタ)を奪われ、バンドをつぶされ、麻薬の冤罪で二年間刑務所にいれられたという、徐々に明かされていく背景が呑みこみにくかった。

 母親がジプシーではなく、フランス人で、夫を裏切ったことから、ルシアは一族から「フランスの売春婦」と罵られている。姉のロラ(ベラウステギ)は「カルデラ」のボーカルだったが、今はソロの歌手として舞台に立ち、マドリッドに進出しようとしている。

 ルシアのカスタは髪を漆黒にしているものの、ジプシー系の濃い顔ではなく、周囲から浮いている。台詞もあきらかに吹替だ。体当たりのラブシーンは迫力がある。

 フンコ家の当主が一人息子のためにパーティを開く。一人息子はフラメンコを披露し、一族の喝采を受けるが、その直後、アンドレを狙った殺し屋に誤って殺される。

 荒っぽい作りだが、フラメンコとコルテスの濃厚な存在感で力押しに押して、おもしろい作品にしあがっている。

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*[01* 題 名<] シビラの悪戯
*[01* 原 題<] 27 missing kisses
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] グルジア
*[05* 監 督<] ジョルジャーゼ,ナナ
*[08* 出 演<]クヒアニチェ,ニノ
*[09*    <]イアシュヴィリ,シャルヴァ
*[10*    <]シディチン,エフゲーニ
*[11*    <]ゴギベダシヴィリ,
*[12*    <]リシャール,ピエール

 コーカサス山中の避暑地を舞台にしたひと夏のメルヘン。ふわふわした味わいは得がたい。

 日蝕の太陽と月食の月の映像に、大人になったミッキー(イアシュヴィリ)のナレーションがかぶさり、シビラ(クヒアニチェ)との恋を回想する。100回キスしたかったのに、73回しかできなかった。自分とシビラは14歳、父のアレクサンドル(シディチン)は41歳だったと年齢を告げる。『初恋』型の三角関係の暗示だ。

 1980年頃のグルジア。ずんぐりしたおんぼろバス(猫バスっぽい)をトランクをもったシビラが追いかけ、乗りこむところからはじまる。カーリー・ヘアのせいか、「モモ」の女の子を思い出した。彼女はすぐに裸になるが、妖精のようにチャーミングで、コミカルだ。

 バスは山道をよたよた走っていくが、美しい牧草地には軍隊が駐屯していて、定時に砲撃している。乗客は慣れっこになっていて、どうせあたらないよと、へらへらしているが、近くに着弾し、車輪が路肩から落ちてしまい、みんなでバスを押すことになる。

 そこへサイドカーつきバイクに乗ったアレクサンドルがあらわれ、押すのを手伝う。サイドカーに乗っていたミッキーはシビラに一目惚れするが、シビラの方はアレクサンドルにぞっこんだ。

 町に着いたバスはブレーキが壊れていて、乗客は広場をぐるぐるまわるバスから飛びおりなければならない。意味不明ののどかな軍隊といい、これは御伽噺だよと最初から目配せしているのだろう。

 アレクサンドルは医師で、妻を亡くして以来、天体望遠鏡で星ばかり見ている変り者だが、町の女たち(多くは人妻)と見境なく関係を結んでいる。

 シビラはアレクサンドルに情熱的に迫るが(迫り方が笑える)、まったく相手にされない。ミッキーはやきもきするが、どうにもならない。

 町の公会堂で「エマニュエル夫人」(1977)の上映会が開かれる。この映画が上映できるのは、スターリン同志のアコーディオン演奏を聴いたことに匹敵する「奇跡」と町長が演説する。町民は「エマニュエル夫人」のテーマを口ずさみながら、色情狂状態に陥り、謹厳実直な校長がフランス語の教師のベッドで腹上死する。巨根にボールベアリングをはめてしまい、とれなくなった男のエピソードとか、女性監督なのにオヤジ・ギャグがけっこう多い。

 おもちゃ箱をひっくり返したようなにぎやかさで、どう収拾をつけるのか心配になった。はたして突然の悲劇で終わらせた。余韻を引っぱるのはいいが、この結末は好きではない。

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*[01* 題 名<] ヴィドック
*[01* 原 題<] Vidocq
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ピトフ
*[08* 出 演<]ド・パルデュー,ジェラール
*[09*    <]カネ,ギョーム
*[10*    <]サストレ,イネス
*[11*    <]マースクリ,ムサ
*[12*    <]デュソニエ,アンドレ

 1830年、7月革命前夜の物情騒然たるパリを舞台にしたオカルト・ミステリ。

 監督のピトフはフランスのディジタル映像の第一人者だそうで、「デリカテッセン」、「ロスト・チルドレン」、「エイリアン4」など、ジュネの作品のSFXを手がけてきたという。今回は初監督だが、果たして作りこんだギンギラギンの映像をこれでもか、これでもかと繰りだしてくる。

 いきなりガラス工場のヴィドック(ド・パルデュー)と金色仮面の大立回りからはじまる。宇宙服のヘルメットのように、ガラスの仮面の裏側から金が蒸着してあるらしく、不気味な光沢である。ヴィドックは追いつめられ、炉に転落する。ヴィドックはフランスでは鼠小僧治郎吉のような人気のある人物で、その死は新聞で大々的に報じられる。

 ここからが本篇。ヴィドックの事務所に、伝記を書く許可を本人からもらっていると称するジャーナリストのエチエンヌ(カネ)があらわれる。相棒のニミエ(マースクリ)はうさんくさげだが、ヴィドックが落雷による連続変死事件を追っていたことを教え、エチエンヌは調査をはじめる。

 ストーリー自体はめちゃくちゃだが、クメール人ダンサーに扮した美女のブレア(サストレ)、アンバリッドの屋根裏の大立回り、怪しげなガジェットが所狭しとならぶヴィドックの隠し部屋、不老長寿を売物にする錬金術師等々が次から次へと登場し、飽きさせない。最後はヴィドックが登場し、真犯人を退治してめでたし、めでたし。濃厚な味つけの大衆料理といったところか。

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*[01* 題 名<] ピアニスト
*[01* 原 題<] La pianiste
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ハネケ,ミヒャエル
*[05* 原 作<] イェリネク,エルフリーデ
*[08* 出 演<]ユペール,イザベル
*[09*    <]マジメル,ブノワ
*[10*    <]ジラルド,アニー

 オーストリア人の原作でウィーンが舞台だが、フランス人がフランス語で演じている。カンヌ国際映画祭でグランプリ、主演女優、主演男優賞とトリプル受賞しているが、陰々滅々な変態女の話で、二度と見たくない。

 エリカ(ユペール)はウィーン国立音楽院のピアノ教授だが、独身で母親と二人暮しだ。ピアノの英才教育を受けたが、コンサート・ピアニストにはなれず、母親の期待にこたえられなかったという鬱屈をかかえている。

 母親の干渉がきつく、いまだに異性を知らず、密かにポルノ映画館やポルノショップののぞき部屋に出没して発散するしかない。

 エリカは名家のホーム・コンサートにピアニストとして招かれるが、次に弾いたワルター・クレメール(マジメル)という青年が彼女に興味をもつ。

 ワルターは建築学科を卒業し、音楽院の大学院ピアノ科を受験する。エリカだけが年齢を理由に彼の合格に反対するが、無事入学し、エリカのレッスンを受けるようになる。エリカは気のないふりをするが、ワルターを尾行したり、彼が親切にした女学生のコートのポケットにガラスの破片をいれて、ピアニストにとって命というべき手に怪我をさせる。

 ワルターはエリカのしわざと気づき、トイレで愛を告白する。ここから自虐マゾヒズムの支配・被支配ゲームに突入していく。ユペールに官能のかけらでもあればいいのだが、あの通りの貧弱な体と貧乏臭い顔なので、汚らしいだけだ。

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*[01* 題 名<] バニラ・スカイ
*[01* 原 題<] Vanilla Sky
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] クロウ,キャメロン
*[08* 出 演<]クルーズ,トム
*[09*    <]クルス,ペネロペ
*[10*    <]ディアス,キャメロン
*[11*    <]ラッセル,カート
*[12*    <]リー,ジェイソン

 アメナバール監督の「オープン・ユア・アイズ」にトム・クルーズが惚れこみ(本当はペネロペ・クルスに?)、再映画化したということだが、贅沢な素材を使ったものの、所詮B級。現実と幻想がいりくんで、ごちゃごちゃしているが、要するにSFだった。

 主人公のデヴィッド・エイムス(クルーズ)は雑誌王のどら息子で、編集責任者としてばりばり実務をこなし、「市民ケーン」ならぬ「市民ペニス」と自称するほどの猟色家だ。モデルのジュリー(ディアス)とつきあっているが、ブライアン(リー)がパーティーに連れてきたソフィア(クルス)に一目惚れする。彼の心変わりを見抜いたジュリーはドライブに誘い、車ごと高架道路からジャンプする。

 デヴィッドは一命を取りとめるが、顔はめちゃくちゃになり、特製のマスクをかぶることになる。ソフィアとつきあいはじめるが、悪夢に悩まされるようになり、謎の人物がつきまとう。実は……という話。

 心中する時のキャメロン・ディアスの目は気味が悪い。この人はどうしてゲテモノの役をやりたがるのだろう。

 ペネロペ・クルスはスペイン映画に出演する時と違い、ぶりっ子をしていて、陰性の魅力を出している。

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*[01* 題 名<] オープン・ユア・アイズ
*[01* 原 題<] Abre los ojos
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] スペイン
*[05* 監 督<] アメナーバル,アレハンドロ
*[08* 出 演<]ノリエガ,エドゥアルド
*[09*    <]クルス,ペネロペ
*[10*    <]レーラ,チェテ
*[11*    <]ニムリ,ナイワ
*[12*    <]マルティネス,フェレ

 「バニラ・スカイ」公開と同時期にぶつけた早稲田松竹の好企画に感謝。立見の出る盛況で、この寒いのにならぶ破目になったが、こういう行列なら歓迎だ。

 スペイン語で「目を覚ましなさい」という意味のAbre los ojosという囁きからはじまるのは「バニラ・スカイ」と同じで、要になる場面ではカット割までそっくりだ。医者がいならぶ半円形のテーブルやLE社の内装まで同じなのは苦笑したが、それだけに差は歴然で、正真正銘の傑作である。

 画面が暗く、「バニラ・スカイ」と較べると野暮ったい印象がある(ペネロペ・クルスまで野暮ったく見える)。低予算見え見えだが、一つ一つのショットがビシッビシッと決まり、はらはらしながら見た。

 主人公のセサール(ノリエガ)は25歳という設定で、父親から引きついだ事業については、口うるさい共同経営者がいるという以外、まったく説明していない。しょうもないどら息子で、金に不自由しないということだけわかればよいのである。未熟で、エゴイストで、残酷であるからこそ、死体の冷凍保存を選ぶという突拍子もない選択に説得力が生まれる。「バニラ・スカイ」のようにいっぱし会社を切りまわしていたら、顔を破壊された後の絶望が別のものになってしまう。これは青春映画なのであって、主人公を自信たっぷりの壮年にしてしまっては嘘になってしまうのだ。

 ソフィア(クルス)も未熟で残酷な小娘だ。彼女が顔を白塗にし、ピエロの扮装をして、公園でパフォーマンスをしているところに、セサールが醜く変わった顔を見せにあらわれる場面には目を見張った。雨にぬれ、ピエロのメイクがとれかかったソフィアの哀切な顔は目に焼きついた(「バニラ・スカイ」にはなぜかこの場面はない)。

 夢の場面は夢と暗示するように作ってあって、「バニラ・スカイ」のように過度に混乱を誘っていない。最近のアメリカ映画は現実と幻想の境目をとりはらったものが多いが、よしあしだろう。

 セサールを父親のように庇護していた精神科医のアントニオ(レーラ)が虚構の人物にすぎないとわかる場面もすんなり呑みこめ、一種の父親殺しの話だったことがはっきりした。

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*[01* 題 名<] フロムヘル
*[01* 原 題<] From Hell
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ヒューズ兄弟
*[05* 原 作<] ムーア,アラン
*[08* 出 演<]デップ,ジョニー
*[09*    <]グラハム,ヘザー
*[10*    <]ホルム,イアン
*[11*    <]フレミング,ジェイソン
*[12*    <]コルトレーン,ロビー

 ジョニー・デップがキセルで阿片を吸う場面からはじまる。光量をおさえた絵で、目が慣れたところで、ロンドンの夕焼に切り替わる。ドームや塔、煙突のシルエットが夕空にぼうっと浮かび、煤煙がけぶる。ドイルやマッケンの世界ではないか。

 タイトルの後、貧民街ホワイトチャペルでメアリ・ケリー(グラハム)と仲間の街娼四人の話になる。彼女たちは地回りのヤクザに所場代を要求されているが、安娼婦の稼ぎでは払えない。そこに元の仲間で、画商のアルバートの世話になっているアンがやってきて、赤ん坊のアリスを預け、所場代はアルバートにねだってみるという。

 ところが、二人が逢瀬を楽しんでいる部屋に紳士風の男たちが押し入ってきて、二人を拉致してしまう。

 その夜、最初の殺人が起きる。犠牲者は街娼仲間の一人、マーサで、喉を切り裂かれた上に陰部をくりぬかれていた。

 ここからアバーライン警部(デップ)とゴッドレイ巡査部長(コルトレーン)の捜査がはじまるが、アバーラインは阿片のもたらす夢うつつの中で事件のヒントになるビジョンを見る特殊能力の持ち主で、警視総監も一目おいている。「スリーピー・ホロー」の怪しげな科学捜査と似たりよったりなのが楽しい。

 ユダヤ人か屠殺人の仕業と見られていたが、アバーラインはビジョンで見た手術用の刀と、子宮を正確にえぐりだしていることから、医者を疑いはじめる。なぜか王室侍医のウィリアム・ガル卿(ホルム)が協力を申しでるが、警視総監はエスタブリッシュメントに捜査をおよぼそうとするアバーラインを牽制する。

 ここから話は王室スキャンダルに向かい、フリーメイソンまで登場するが、マンガにならず、リアリティを維持しているのはみごとだ。

 ホラーとしては中途半端だが、世紀末のロンドンに思いいれをもっている人間にはたらまらくおもしろい。ちらと見える腑分けされた屍体よりも、原始的なロボトミー手術(金属の杭を額に三ヶ所打ちこむ)と、それで廃人にされてしまった患者の方がよほど怖い。

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*[01* 題 名<] ベン・ハー
*[01* 原 題<] Ben-Hur
*[02* 製作年<] 1959
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ワイラー,ウィリアム
*[05* 原 作<] ウォレス,ルー
*[08* 出 演<]ヘストン,チャールトン
*[09*    <]ハラリート,ハイヤ
*[10*    <]ボイド,スティーブン
*[11*    <]ホーキンス,ジャック
*[12*    <]グリフィス,ヒュー

 映画史上に名高い作品だが、テアトル銀座の特別上映で見ることができた。なんとイエス・キリストの登場する宗教映画だった。

 四時間近い長尺だが、悠々と進み、まったく飽きさせない。大画面でこういうものを見た後では、「グラディエーター」はせかせかしていて、安っぽかったなと感じる。

 ポンテオ・ピラトの時代、ユダヤの有力者のベン・ハーが、幼なじみのローマ駐屯軍司令官のメッサラ(ボイド)によって奴隷の境遇に落される。ベン・ハーはガレー船の漕手にされるが、海戦直前、アリアス(ホーキンス)将軍によって鎖をはずされる。船は沈没するが、ベン・ハーはアリアス将軍の命を救って凱旋し、将軍の養子になる。

 ベン・ハーはエルサレムにもどるが、母ミリアム(マーサ・スコット)と妹ティルザ(キャシー・オドネル)は長い牢獄生活で癩病にかかり、隔離地区でひっそり暮らしていた。

 ベン・ハーは戦車競技で復讐を遂げるが、癩者にされた母妹の恨みは消えない。ここでイエス・キリストの出番となる(例によって、後姿だけだが)。

 競技場の群衆も、戦車競技も本物だが、CGと違うのはゆとりというか、微妙に隙間があることだ。作りこみすぎないよさをCGで出せるようになるにはもうすこし時間が必要なのだろう。

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