今月から「エディトリアル」を若干変更する。「映画ファイル」の開店休業状態がつづいているので、映画の感想も「エディトリアル」に書いておき、一ヶ月分まとまったところで「映画ファイル」に移動させることにする。
映画ファン感謝デーなので、バカ映画を見ようと思い、「キング・アーサー」を渋谷東急で見てきた。
渋谷東急がまだあったのかと驚いた人がおられるかもしれない。わたしも昨日まで知らなかったのだが、東急文化会館が取り壊された後、元の東邦生命ホールを改装して渋谷東急にしていたのである。東邦生命ビルは売却されて、クロスタワーという名前に変わっていた。
多分、東急文化会館跡地に建つビルが完成するまで間借りしているのだろうと思うが、音響・スクリーンともに渋谷で一番いいのではないかと思った。全席指定で、上映中、誘導灯を消すところも好ましい。
駅から離れているし、移転したことがまだ知られていないこともあるのか、感謝デーの18:50の回だというのに、客席はガラガラだった。ここは狙い目である。
山下書店の前を久しぶりに通ったが、ずいぶん安っぽくなっていた。山下書店には宝くじコーナーができていたし、まん前にあった安くておいしいハンバーグ専門店とパスタ屋は薬局のチェーン店になっていた。
アーサー王ものということになっていて、主要な人物にはアーサーやランスロット、グウィネヴィア、マーリンという名前がつき、エクスカリバーという剣や円卓も出てくるが、中味はブラッカイマー版「七人の侍」である。
アーサーはブリタニアに駐屯するローマ帝国の将軍で、配下には15年間の兵役でブリタニアに配属されたサマート人の騎士6名がいる。サマート人はローマに征服された遊牧民の末裔という設定だ。
ウォードと呼ばれる土着のケルト人や、ゲルマニアから来襲してきたサクソン人の勢力に押され、ローマはハドリアヌスの城壁を維持するのが難しくなっている。サマート騎士団の除隊証明書をもってきた司祭はブリタニアの放棄を通告する。
アーサーとサマート騎士団は自由の身になるが、サクソン人の侵略と戦うウォードの指導者、マーリンと、ウォードの村長の娘、グウィネヴィアはアーサーにウォードを助けてくれと頼みこむ。ブリタニアに愛着を感じるようになったアーサーはサマート騎士団とともに、ウォードを率いてサクソン人と戦う決心をする。
サマート騎士団=七人の侍、ウォード=村人、サクソン人=野武士と対応がつき、まったく「七人の侍」なのである。「七人の侍」のクライマックスでは野武士を少人数づつ冊の中にいれ、括弧撃破していったが、この映画でもハドリアヌスの壁の門を使って、同じことをやっていた。
ブラッカイマー作品だけに、テンポがよく、メリハリの効いた演出で一瞬もあきさせない。あえてCGを使わなかったという合戦場面は一見の価値がある。
菊千代のようなトリックスターがいないのは物足りないが、その分、グウィネヴィアが女戦士となって大活躍する。野蛮人の扮装のグウィネヴィアにアーサー王伝説ファンは卒倒するだろうが、弓を引きしぼる女戦士ぶりはどうにいっている。
グウィネヴィアを演ずるのはキーラ・ナイトレイだが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のお転婆娘よりも断然よかった。「ベッカムに恋しては」は未見だが、見なくては。検索したところ、「ドクトル・ジバゴ」のリメイクや「ロビンフッドの娘」が見つかった(アメリカ版DVD)。「ロビンフッドの娘」ではまた弓を引く姿が拝めるのだろうか。
映画ではサクソン人は全滅したことになっているが、史実は違う。英国にはサセックス、エセックス、ウェセックスという地域があるが、すべてサクソン人の支配地域だったところだし、なによりも英語がケルト系ではなく、ゲルマン語系の言語だという事実がサクソン人の勝利を物語っている(渡部昇一『講談・英語の歴史』参照)。
なお、アーサー王伝説を知らない人はブアマンの「エクスカリバー」も見た方がいい。ブラッカイマー版は名前を借りただけで、伝説上のアーサー王とは関係がない。
香港の英字経済誌Far Eastern Economic Reviewの9月9日号にジェンキンス氏の独占インタビュー「裏切者? 北朝鮮で暮らして40年、あの米兵が口を開く」が掲載された。同誌のサイトで全文を読むことができるが、急ぐ人は読売新聞の記事を御覧になるとよい。
曽我さんと結婚した経緯や小泉首相の申し出を断らざるをえなかった裏事情は読売の要約の通りだが、脱走米兵4人で小さな小屋に押しこめられていた7年間、小柄なジェンキンス氏をよく殴ったのはドレスリク上等兵だというように、原文では実名を上げている。
この間の生活はひどかったらしい。あてがわれた小屋は一間きりで、ベッドがなく、床に寝るしかなかった。水道がなかったので、毎日、200m下の川まで水をくみにいかなくてはならなかったそうだ。猜疑心の強い国だけに、偽装脱走を疑っていたのだろう。
読売の記事ではふれられていないが、脱走米兵の子供たちが北朝鮮のスパイにされている可能性があるという条がある。ジェンキンス氏以外の3人の米兵は中近東や東欧から北朝鮮に拉致された女性と結婚しており、複数の子供が生まれている。今では20歳近くになっているが、外見上は欧米人で通るそうで、はじめからスパイにするつもりだったらしい。
ジェンキンス氏は北朝鮮の秘密工作員に英語を教えており、この面でも重要な情報をもっているとみられている。
小泉再訪朝の際、ジェンキンス氏は無理でも美花さん、ブリンダさんだけは日本に連れ帰ろうと説得したが頑として承知せず、週刊新潮などは洗脳教育で強硬な反日派に育っていると書いていたが、その後の経過を見ると、北朝鮮当局を油断させるために、一家で芝居していたように思える。それくらいのことをしなければ、一家で北朝鮮を出ることはできなかったのだろう。
田口ランディの同名の小説の映画化。「コンセント」が面白かったので期待したが、自己満足的ゴミ映画だった。
1970年代、80年代の自主製作映画そのままで、陰々滅々な映像がだらだらつづくだけ。主人公の新人も存在感ゼロのデクノボウ。唯一期待したSMの女王様もセリフ棒読み女。低予算映画の悪いところが全部出ている。二本立てでなかったら映画館を出ていたところだ。
昔、「ウルトラ・ファイト」という番組があった。ウルトラマンと怪獣のバトル・シーンだけを見せる5分間の帯番組で、プロレスの実況のようなアナウンスがつき、なんともトホホな番組だった。
サム・ライミ監督がリメイクするとか、「ジャパン・ホラーの最高峰」という宣伝文句がついているが、この映画は要するにホラー版「ウルトラ・ファイト」である。恐怖を盛りあげる前段階なしに、いきなりクライマックスだけ見せられても、ギャグとしか思えない。特に母親の亡霊には失笑した。
奥菜恵、伊東美咲といった有名どころが顔を出しているが、ジャパン・ホラーはブームだし、拘束時間が短くてすむので、箔づけに出たというところだろう。
南北戦争物で、南部の銃後の社会を背景にした純愛ドラマ。フレイジャーの原作は新潮文庫から邦訳が出ているが(未読)、かなり評判がよいようだ。
冒頭、ピーターズバーグの戦いが描かれる。北軍は南軍の立てこもる陣地の防衛戦の下にトンネルを掘り、爆薬をしかけて吹っとばすという作戦で、「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」のヘルム峡谷の戦いを思わせるが、生身の人間が殺しあいをするだけに、迫力はこちらの方がある。
主人公のインマン(ジュード・ロウ)は一命をとりとめるが、病院で恋人のエイダ(ニコール・キッドマンが父を失い、困窮に陥っていることを知ると、脱走して故郷のコールドマウンテンを目指す。行く先々で義勇軍が脱走兵狩をしていて、人里はなれた山を抜けていくしかない。
一方、コールドマウンテンでは、かつて一帯の地主だったティーグが義勇軍を牛耳り、脱走兵を匿った者は全財産を没収するという南部連盟の決議を盾に、容赦ない脱走兵狩をおこなって元の所有地を奪いかえしている。
牧師の父に「南部の貴婦人」として育てられたエイダは生活力皆無で、食べるものにさえことかくようになる。あわやティーグの餌食か思われたが、隣家の主婦の世話で、ルビー(レニー・ゼルウィガー)という百姓娘が手伝いにやってきて、二人で農場を立て直していく。
「風と共に去りぬ」のスカーレットは持ち前の勝ち気な性格で自力で農園を立て直すが、あまりにも無力なエイダにはルビーの助けが必要だった。ルビーにすこしでも狡いところがあったら救いようがなくなるが、ゼルウィガーの天然の笑顔のおかげで帰るべき故郷が守られている。
それにしても、脱走兵狩は悲惨だ。南北戦争の暗部は「楽園をください」でも描かれたが、同郷人どうしの内訌だけに救われない。
ニコール・キッドマンは今さら娘役でもないだろうとは思うが、彼女特有の自己抑圧的な表情は世間知らずの牧師の娘という役柄に合っている。
ダニエル・ウォレスの同題の小説をティム・バートンが映画化した作品。
封切時、評判が悪かったので見なかったが、これは傑作である。「シザーハンズ」を越えたと思う。
評判が悪かった理由はわかる。従来のバートン作品がファンタジーの世界に没入していたのに対し、この映画はファンタジーの世界の半ば外側に立ち、ファンタジーに没入する人間を距離をおいて描いているからである。ヲタク的なバートン・ファンが拒絶反応を示したのは当然だが、その代わり、バートン作品になじめなかった人をも感動させる作品に仕上がっていると思う。
映画会社に勤めるウィル(ビリー・クラダップ)は父エドワード(アルバート・フィニー)のほら話にに辟易している。エドワードは旅まわりのセールスマンで、ほら話をでっちあげて皆を楽しませるのが得意だったが、ウィルの結婚式でもほら話で満場をわかせ、主役であるはずのウィルの存在をかすませてしまう。ウィルはエドワードに腹を立て、父子断絶の状態になる。
初孫の誕生を前にして、エドワードは死の床につく。母(ジェシカ・ラング)から余命いくばくもないと知らされたウィルは妻のジョセフィーン(マリオン・コティヤール)とともに実家にもどる。ウィルは父にほら話ではなく本当のことを教えてくれと迫るが、父はすべて本当の話だとつっぱねる。
ウィルは書斎をさがし、父の本当の人生をさぐりはじめるが、意外にもほら話には根も葉もあったことがわかってくる。ウィルは父のほら話を受けいれ、父に代わって話に決着をつける。
ラストは泣かせる。
ロシア北オセチア共和国ベスランの学校立てこもり事件は最悪の結果をむかえた。当初、犠牲者は100人といわれていたが、200人、300人と増え、500人を越えるのは確実と見られている。重篤な負傷者が多いことから、最終的に700人に達するという見方まである(Mainichi INTERACTIVE)。
犠牲者がだんだん増えたのはロシア当局の情報操作のためだが、このあたりの話は神浦元彰氏のJ-RCOMの9月2〜5日の項が頼りになる。もちろん、一番悪いのはテロリストだが、鎮圧側も無茶苦茶なことをやっていたようである。
東京新聞の「なぜ防げない相次ぐテロ ロシア情報機関の実情」は、テロが続発する背景にはロシア情報機関の弱体化があると指摘している。ソ連崩壊でKGBは5の機関に解体され、優秀な職員が民間に流出してしまった。その後、「連邦保安局」(FSB)と、要人警護の「連邦警備局」(FSO)の二つに再編され、全体の職員数も増やされたが、質の低下が著しく、テロリスト側に買収され、二重スパイになるケースまであるとか。チェチェン共和国の式典で、親ロシアのカディロフ大統領らが爆殺された事件では爆弾は大統領の席の真下にしかけられていたというから、情報漏れは確かにあったらしい。
ロシア国民は無政府状態よりは強権体制の方がましだとして、KGB復活を待望しているそうである。テロによって国民生活が窮屈になるという構図がここにもある。
NTVの「NNNドキュメント '04」で「日本国へ侵攻せよ!〜スターリンの野望と自衛隊〜」が放映された。津波情報で一部の字幕が見えなかったり、中断されたりしたが、意外な秘話があかされた。
スターリンが日本の降伏に際し、北海道の割譲を要求したのは有名である。沿海州の艦隊を太平洋に展開させるには宗谷海峡を自由に通行できる必要があり、スターリンは北海道の北半分でもいいからとアメリカに食いさがったが、トルーマンは一蹴した。
ここまでは御存知の通りだが、その先があったのだ。ワシントン・ポスト紙のアン・アップルバウム記者はソ連の強制収容所の歴史を調べて『Glag: A History』という本を書いたが、取材の過程で、スターリンが大陸からサハリンに鉄道を通そうとしていたことをつきとめた。506計画、通称スターリン鉄道である。
追記: 『Glag』の邦訳は2006年に白水社から出た
極東の軍需産業都市であるコムソモルスク・ナ・アムールを起点にアムール河に沿って北上、海岸のラザレフという町から間宮海峡をはさんだ対岸のポギビという村まで7kmを海底トンネルで結び、サハリンの中央を縦貫して、南端のコルサコフ(大泊)まで達するという極秘の計画で、第二次大戦で疲弊したソ連には不釣合なほどの巨費が投じられていた。
ラザレフとポギビにはそれぞれ1万人近い政治犯・刑事犯が集められ、24時間体制で工事をおこなった。政治犯には、ヨーロッパ戦線でドイツ軍の捕虜になった軍人が多かったが、ラザレフ側だけで3千人が亡くなっている。ポギビは、鉄道が竣工したあかつきにはスターリン・クラーブ(スターリンの栄光)と改称し、交通の要衝になるはずだった。
しかし、例によって手作業で永久凍土に挑んだために作業は進捗せず、1953年のスターリンの死で中止されるにいたった。番組ではラザレフに今でも残っている直径10m、深さ50mの縦坑を映したが、記録によれば、縦坑の底部から水平に700m掘りすすんでいた。また、アムール河沿いには、橋梁跡など、スターリン鉄道の名残が点々と残っているという。
アップルバウム記者は、当時、スターリン鉄道は経済的にはまったく無意味だったが、極東ソ連軍に兵器・弾薬を供給するコムソモルスク・ナ・アムールと直結することによって、サハリンの軍事力が飛躍的に増大すると語っていた。スターリンは本気で北海道に攻めこむつもりだったのだ。
いくら極秘とはいえ、これだけの大工事である以上、アメリカが察知していないはずはない。日本の非軍事化を進めていたマッカーサーは、朝鮮戦争勃発後、方針を転換して警察予備隊の創設を命ずるが、その決定にはスターリン鉄道が影響していたと考えられる。
左翼は自衛隊に反対してきたが、自衛隊の誕生には左翼のご本尊だったスターリンの野望がからんでいた。これが歴史である。
北朝鮮の建国56周年にあたる8日深夜と9日昼頃、中朝国境に近い北朝鮮の両江道金亨稷郡で大爆発があり、直径数kmの雲が観測されたと韓国の聯合ニュースが報じた。爆発規模は竜川駅の列車爆発よりも大きく、アメリカは偵察衛星で爆発の痕跡を確認しているという(朝鮮日報、Sankei Web、YOMIURI ON-LINE)。
当初、「きのこ雲」が目撃されたという報道があり、地上核実験という推測が広まったが、自己顕示欲の強い北朝鮮側がいまだに発表していないし、放射性物質も検知されていない以上、その線は消えたといってよい。
アメリカのライス補佐官は山火事の可能性を示唆しているが、韓国でマグニチュード2.6の地震波検知が観測されているので、山火事とは考えにくい。
朝鮮日報の「単なる事故か、意図的な爆発か」は軍需工場(ミサイル工場?)ないし弾薬庫の事故と、反体制派による破壊工作の二つの可能性があるとしている。建国記念日というタイミングからいうと、どちらかといえば、破壊工作の可能性の方が高いと思われる。爆発のあった金亨稷郡は金日成の父親の名前を冠した機密性の高い山岳地帯であり、核施設やミサイル基地、軍需工場、緊急司令部が地下に作られているといわれている。もし、そんな最重要の軍事地域で破壊工作がおこなわれたのだとしたら、金正日体制はいよいよ風前の灯である。
しかし、神浦元彰氏はハッタリ説とでも呼ぶべき、もう一つの可能性を指摘しているJ-R.COMの9月12日、13日の項)。
神浦氏は11日付ニューヨークタイムスが「北朝鮮が最初の核爆発実験に向けて準備をしている可能性
」を報じた点に着目する。核実験の準備などという物騒な表現をする以上、大量の物資が動いたのは間違いあるまい。
しかし、爆発したのは核爆弾ではなかった。J-R.COMから引く。
おそらく地上の核実験のやり方は多くの人が知らないと思う。それは地上に大きな櫓(やぐら)を組むことから始まる。なぜ櫓を組むかといえば、完全な球体の火球を作り、爆発の熱や爆風を正確に計りたいからである。爆発物を地面に置いたものでは、火球半分のエネルギーがクレーター(地面の爆発口)を作ることに奪われ、爆発の持つ全エネルギーを正確に計測できないからである。そして今回は最大の爆発力を得ることに目的があった。
米国の情報機関はこの櫓作りの段階で、北朝鮮が核実験を行う可能性を分析したのだ。おそらく櫓の高さは50〜100メートルぐらいである。北朝鮮軍はその櫓のトップに、TNT火薬(高性能軍用火薬)を20〜30トン程度仕掛け、あと1時間で独立記念日になる8日午後11時に爆発させた。
なぜそんなことをしたのか。それは世界で1番を目指したからである。たとえば湾岸戦争やアフガン戦争で使われた米軍の世界最大の気化爆弾(レィージ・カッター)はTNT火薬で6トン程度である。4月に起きたリョンチョン駅での爆発事故では、貨車に積まれていた硝酸アンモニュームはTNTで10〜15トンの爆発程度といわれている。そこでもしTNT20トン以上を爆発させれば、核兵器ではなく通常爆薬で世界最大の爆発量を一時に爆発させたことになる。これを北朝鮮は独立記念日の祝賀用「打ち上げ花火」にしたかったのではないか。
面白すぎるようにも思うが、もし、この見方があたっているとしたら、北朝鮮はなぜ実験の成功を大々的に発表しないのだろうか? 神浦氏は数日でも世界が本物の核実験と勘違いして、騒いでくれることを期待しているからだと断定する。半村良の『闇の中の系図』のような話だが、こんな形でしか建国記念日を祝えないとしたら、みじめの一語に尽きる。
神浦説は「核実験」の準備がおこなわれていた地点と爆発地点が一致するかどうかで検証できるが、単なる事故や反体制派の破壊工作だとしても、金正日体制は先は見えているだろう。
北朝鮮北部で起きた謎の爆発事件が妙なことになっている。事故説、反乱説、嘘部説が飛びかっていたが、パウエル国務長官が北朝鮮のダム工事発破説を追認したと受けとれる発言をおこなって以降、爆発そのものが怪しくなってきているのだ(YOMIURI ON-LINE)。
韓国のアリラン1号が9日午前に撮影した「きのこ雲」の衛星写真は朝鮮日報に掲載されたが、韓国側は自然現象の可能性があると発言を後退させた。15日になって撮影された金亨稷郡の衛星写真にも、大規模爆発の痕跡は見られなかった。観測された地震波については震源が百キロ以上はなれた白頭山であることが判明し、「爆発」と無関係であることがわかっている。
こうなると、韓国の嘘部が自国の核開発疑惑から目をそらすために仕組んだ謀略という見方が俄然説得力をもってくる。
そんな中、平壌駐在の7ヶ国の大使と国際機関代表が現場とされる場所を、訪れた。共同電を載せているところが多いが、YOMIURI ON-LINEはスウェーデン大使とポーランド大使に独自取材しており、日本のサイトでは一番詳しい。
YOMIURI ON-LINEによると、現場とされる場所は山中にある川沿いの砂地で、北朝鮮側は深さ110メートル、貯水能力百万立方メートルのダムを建設するために5万人が働いており、8日深夜と9日早朝の2度、ダイナマイト150トンの爆破をおこなったと説明したという。スウェーデン大使は「爆発の痕跡は、はっきりわからなかったが、地形は変わっていた
」と語り、 ポーランド大使は5万人かどうかはわからないが、実際に数万の人々が土砂の運搬作業をしているのを目撃したと語った。
これで一件落着かと思われたが、そうではなかった。朝鮮日報の「平壌駐在外交官の訪問地は三水郡 金亨稷郡行かず」によると、外交団が連れていかれたのは金亨稷郡から80キロはなれた 三水ダムの工事現場だったという。
もちろん、金亨稷郡の「きのこ雲」が自然現象だったとするなら、金亨稷郡に連れていく必要はないわけだが、「きのこ雲」=自然現象だとするなら、8日深夜と9日朝に「爆発」が起きたという根拠はまったく存在しなくなる。
ところが、北朝鮮は「爆発」は二度ともダム工事の発破だったと発表した。「爆発」はなかったが、「爆発」と誤認させるような「事実」はあったというのだ。
だが、朝鮮日報の「【依然残る疑問】山を一つ崩したのに地震波の検知なし?」によると、8日と9日には白頭山の地震波以外は記録されていない。ダイナマイト1トンを爆発させただけでも地震波は記録されるそうで、北側のいうようなダイナマイト150トンの爆発があったとは考えられないというのだ。建国記念日の当日、北朝鮮がいうような発破はおこなわれていなかったと考えるのが順当だろう。そもそも、深夜に爆破をともなう工事をするなんて考えにくいことである。
北朝鮮が「爆発」は韓国のでっち上げと発表していれば、すっきりしたのだが、なまじ韓国発の「誤情報」に調子をあわせたとものだから、謎が深まる結果となった。
衛星写真に映った金亨稷郡の「きのこ雲」ははたして自然現象だったのか。小さな嘘によって隠さなければならないようななにかが起きていた可能性はないのだろうか。
まったくわけがわからないが、韓国・北朝鮮双方の嘘部が暗躍していることだけは確かだ。
小泉訪朝二周年にあたる昨日、九段で「北朝鮮への経済制裁の発動を求める緊急国民集会」が開かれた。マスコミでは小さなあつかいだったが、1200人収容の会場に3500人以上がつめかけて盛況だったようである。拉致問題支援サイトに詳しいレポートが出ている。Sankei Web、「殿下のお館」、西村幸祐氏のページでもとりあげられている。
韓国の李鳳朝統一部次官は北朝鮮北部の「謎の大爆発」が「自然現象」の誤認だったと公式に認めた(朝鮮日報、Mainichi INTERACTIVE)。しかし、どんなささいな事件にも罵詈雑言をあびせかけるのが常の北朝鮮が今回は妙にしおらしいし、爆発場所すら特定されない時点でアメリカが北朝鮮側発表を追認したのは変である。大統領選挙中とはいえ、アメリカはものわかりがよすぎるのではないか。裏がありそうな気がする。
アメリカがものわかりがよすぎるといえば、韓国の核兵器開発疑惑もそうである。韓国は「一部科学者による実験」と主張し、アメリカはすぐに追認したが、その後、1980年代にもウラン転換実験をおこなっていたことが判明した(Sankei Web)。
この件については西村幸祐氏の日記の9月3日と 9月5日の項がわかりやすい。韓国による日本核攻撃を描いてベストセラーになったという「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」というトンデモ小説が紹介されているが、なんと邦訳が出ていた。ご苦労なことである。
今やB級映画監督となったポール・シュレイダーによる低予算B級メロドラマだが、意外にも面白かった。
マイアミの豪華なリゾート・ホテルでビーチ係のアルバイトをしているアラン(ジョセフ・ファインズ)は白い水着の人妻、エラ(グレッチェン・モル)に恋をする。エラの夫は政界進出を目指すやり手の実業家で、休暇中も仕事に熱中している。ほったらかしにされたエラはアランと一夏の情事にふける。
エラが自分と変わらない貧しい生まれだと知ったアランは本気になり、ニューヨークまでエラを追いかけていく。エラもアランを愛するようになるが、貧しい生活を知っているエラは駆落に踏み切れない。思い余った彼女は夫のマーク(レイ・リオッタ)に悩みを告白する。
まるで「クレーヴの奥方」だが、マークはクレーヴ公のようにヤワではなく、物語は暗に転じ、俄然「モンテ・クリスト伯」的な展開を見せはじめる。
と書くと大時代的なメロドラマだが、エラを演じたグレッチェン・モルの気品ある美しさのおかげで、奇跡的にメロドラマ以上のものに仕上がっている。大胆なシーンも魅力的だが、今どき、カトリックの告解室の似合う女優なんて彼女以外にはいないだろう。
重厚な中世絵巻で、これは傑作である。
コロンブスの航海に資金を出したのはスペイン両王と呼ばれたフェルディナンド王とイサベラ女王で、スペインはアメリカ大陸に広大な植民地帝国を築くことになった(正確にはフェルディナンドはアラゴン王、イサベラはカスティーリャ女王)。フェルディナンドとイサベラには5人の子供がいたが、フランドルのハプスブルク家に嫁いだフアナ以外は夭折したために、スペイン帝国はフアナの息子のカルロス一世が継ぐことになった。カルロス一世は父のフェリペからハプスブルク家領と神聖ローマ帝国皇帝の称号も受け継いだので、日の沈むことのない広大な領地を相続することになった。
ここまではよく知られているが、イサベラ女王逝去後の一時期、フアナがカスティーリャ王位についたのは知らなかった。しかも、フアナは狂気を理由に王権を停止され、28歳から75歳で亡くなるまでの47年間、修道院に幽閉されていたのだ。
映画はなぜフアナが狂人とされるにいたったかを描いていく。直接の理由は夫のフランドル皇太子、フェリペの浮気だが、嫉妬に狂うフアナは鬼気迫るばかりで、彼女の名前がfanaticの語源になったというのもうなずける。
もちろん、色恋沙汰だけで一国の女王が幽閉されるなどという政治事件が起こるはずはない。フェリペが連れてきたフランドル貴族や、妻の領地を相続できなかったフェルディナンド王の陰謀があったわけで、ドロドロした宮廷劇が展開される。
フアナを演ずるピラール・ロペス・デ・アジャラは、デビュー当時のペネロペ・クルスを思わせる美少女で、「ハモンハモン」のペネロペ同様、色情狂すれすれの女を体当たりで演じている。フアナは早逝した夫の血膿にまみれた死体にむしゃぶりつくが、あの病気は梅毒だろうか。
この時期のスペインは新大陸がからんで、かなりおもしろそうだ。原作が訳されているので、そのうち読んでみよう。
ZAKZAKによると、ドイツの公共ラジオ局、ドイチェ・ウェレは自社のニュースサイトにクリンゴン語版を設けたそうである(クリンゴン語がどういう言語か、ご存知ない方は「板橋クリンゴン資料館」参照)。
クリンゴン語の略称は今年の2月、ISO 639に「tlh」として登録されたが、クリンゴン文字の方はISO 10646にまだはいっていないはずだ。サイトを御覧になればわかるように、アルファベットに翻字した上での公開である。
ドイチェ・ウェレのサイトはクリンゴン語をふくめて、宇宙の31の言語に対応しているが、なぜか日本語版がない。中国語版、インドネシア語版、ヒンディー語版、ベンガル語版、ウルドゥー語版、アフガニスタンのダーリ語版まであるのに、なぜ日本語版がないのだろう。ドイツ人には日本人よりクリンゴン人の方が重要らしい。
アメリカのベトナム介入前夜のサイゴンを舞台にした重厚なラブ・ストーリーで、原作はグレアム・グリーンの『おとなしいアメリカ人』。グリーンがベトナム戦争物を書いていたとは知らなかったが、グリーンの生誕百周年記念作品と銘打ってある。監督のフィリップ・ノイスは名作「裸足の1500マイル」と「ボーン・コレクター」の人。
前半はロンドン・タイムスの老特派員トーマス(マイケル・ケイン)とベトナム人の若い愛人フォン(ドー・ハイ・イェン)、二人の間に割りこんでくるアメリカ人のNGO、パイル(ブレンダン・フレイザー)の三角関係をみっちり描きこんでいくが、中盤からきな臭い話がからみはじめ、実はスパイ物でもあったとわかってくる。この展開は絶妙である。
トーマスはカトリックの妻に辟易し、単身赴任して女遊びをしたり、阿片を楽しんだりする享楽的な男だが、フォンには一途で、恋敵のパイルに対して闘志を剥きだしにする。マイケル・ケインは生臭い老人を演じさせたら天下一品だ。
フォンはダンスホールでダンサーをやっているところをトーマスにひろわれたが、元は没落した名家の娘で、凜とした美貌がすがすがしい。フォンを演じたドー・ハイ・イェンは「夏至」に出ているそうだ。
ブレンダン・フレイザーはケインの前では小僧っ子だが、フォンのような不幸な娘のために働いているのだと本気で信じこんでいるアメリカ人のナイーブさがあふれ出している点で合格だ。
先日、「ミス・サイゴン」を見たばかりなので、動乱を予感させる幕切れがよけい切なかった。ノイス監督の次回作が楽しみだ。
TBSの「世界ふしぎ発見」の「パプア・ニューギニア貝紀行」はおもしろかった。貝貨幣とクラ交易をとりあげていたが、なんとクラ交易でやりとりされる貝でできた
クラ交易はトロブリアンド諸島で三千年前からおこなわれている儀礼交換で、クラを隣の島に贈与することを通じて友好を保っている。クラにはソヴラヴァ(首飾)とムワリ(腕輪)があり、ソヴラヴァは時計回りに、ムワリは反時計回りに島から島へうけわたされていく。海をわたってクラを運んできた勇者には村をあげてもてなすという。交易の根源には儀礼があるのだ。
クラ交易を有名にしたのはマリノフスキーの「西太平洋の遠洋航海者」だが、素人が読んでも面白く、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』とならぶ名作だった(どちらも『世界の名著 59』にはいっている)。
ニューブリテン島の東ニューブリテン州では、トーライ族伝統の貝貨幣、タブを法定貨幣にする方向で検討しているそうだ(詳しくは深田淳太郎氏の「貝貨をめぐる二つの新しい動向」参照)。
トーライ族の間では通常の貨幣よりもタブの方が信頼されていて、物が買えるばかりか、税金の納入にも使える。
貝が素材ではいくらでも作れるわけで、インフレになるのではないかと心配になるが、実はインフレ抑制の仕組があるのである。
トーライ族は赤ん坊が生まれると、タブを連ねてロロイという環を作る。トーライ族はタブを手にいれると親からもらったロロイに追加していき、どんどん大きくしていく。そして、死んだらロロイをばらし、葬儀の参列者にタブを配る。後の人にずっと憶えていてもらえるように、ロロイを大きくしていくのがトーライ族の生きがいだという。つまり、タブはロロイという形で退蔵されるので、インフレが防げるのである。
一時、地域貨幣が話題になったが、住民にあまり信用されていないだけでなく、インフレ抑制の仕組が不完全という致命的な欠陥があり、騒がれたほどには広まっていない。貨幣には呪力というか、ありがたみが必要なのだろう。
エロチック・サスペンスの傑作! カイエ・デュ・シネマの2002年度のベスト1になったそうだが、うかつにもまったくノーマークだった。
クラブでバーテンとして働いていたサンドリーヌはオーナーから売春を強要され、店を辞める。部屋代の払えなくなった彼女はいっしょに辞めたヌード・ダンサーのナタリーの部屋に同居することになる。ナタリーは男のあやつり方を手ほどきし、悪女にしたてあげていく。
二人は大企業に勤めるようになり、サンドリーヌはナタリーの指導通りに上役をたらしこんでいき、ついに社長の右腕のドラクロワの個人秘書となって彼を夢中にしてしまう。
ドラクロワを自由にあやつれるようになったサンドリーヌは古株の秘書を追いだし、ナタリーを後釜にすえる。ドラクロワはサンドリーヌとナタリーの二人を相手に情事ににおぼれるようになっていくが、社長のどら息子に現場を見られてしまう。ドラクロワは病牀にある社長からどら息子の後見役を託されていたが、どら息子はナタリーを使って、ドラクロワを罠にはめたのだ。
ここから物語は思いがけない方に進んでいくが、ネタバレになるので控えよう。
サンドリーヌのサブリナ・セヴクは東欧的な顔だちで、質素な育ちがにじみでている。下層階級の成りあがり物語という一面をもつこの作品には適役といえる。
チェスの勝負を思わせるような硬質の語り口は単なる悪女物を越えていて、官能による精神の陶冶の領域に達している。サドや『O嬢の物語』の伝統につらなる作品といっていい。
オペラ版ではなく、メリメの原作に忠実な映画である。大昔に読んでいたので、見ているうちに、ああ、こういう話だったと思い出した。
ロマン派小説をなぞっているだけに、オペラ版と較べるとまだるっこしい。カルメン役のパス・ヴェガは好みでないせいか、この程度の女にいれあげるホセに共感できなかった。かなりかったるい映画だったが、闘牛士の館に踏みこむ場面あたりからどんどんテンションが高まっていき、ラストは感動的だった。ロマン派作品の底力というべきか。
第二次小泉内閣が発足した(Mainichi INTERACTIVE、YOMIURI ON-LINE)。郵政改革シフト内閣といわれているが、北朝鮮への密使になった山﨑拓前議員と、北朝鮮寄りの姿勢が批判されていた川口順子前外相の二人が首相補佐官として官邸入りした点からいえば、北朝鮮国交をねらった布陣でもあることは明白だ。実際、山﨑拓氏は記者会見で外交は官邸主導でやっていくと言明している。
その一方、北朝鮮に対して筋を通してきた中山恭子内閣参与が辞任した(Mainichi INTERACTIVE、Sankei Web)。
曽我ひとみさんとジェンキンス氏の再会場所は、当初、曽我さんの希望に反して北京に内定していたが、中山前参与の抵抗によってインドネシアに変わったといわれている。もし北京で再会していたら、今ごろ曽我さんは北朝鮮に連れもどされていたかもしれない。
追記: 週刊新潮10月14日号によると、中山前参与は官邸と外務省から蚊帳の外におかれている状況を逆転しようと、慰留されることを見こして辞任を申しでるという賭に出たのだという。
ところが、小泉首相は慰留するどころか、これ幸いと辞表を受理してしまった。官邸も外務省も拉致問題はジェンキンス氏来日で幕引きにしようとしているのだ。ひどい話である。(Oct06 2004)
25日と26日に北京で開かれた日朝実務者協議では、日本側が提出していた150の疑問点は無視し、横田めぐみさんについて1993年3月死亡としていたのを1993年10月まで入院していたと訂正し、その後の安否についてはなにも情報を出さなかった。
北朝鮮側がこんな中途半端なことしか言えなかったのは、1993年3月以降にめぐみさんと会っているという蓮池薫さんの発言のためだろう。
ヨーロッパで日本人拉致に関与した「よど号」犯については、北朝鮮側は「秘密工作機関員は日本語を習得しており、よど号グループメンバーを通じて拉致を行う必要はなかった
」としている(Sankei Web)。
関係者の証言でヨーロッパでの拉致のもようがかなりわかってきているが、外国で心細い思いをしている被害者に、よど号犯とその妻たちは親切ごかしに近づき、数ヶ月間親身に世話をやいて、十分親しくなってから拉致している。いくら日本人教官(多くは拉致被害者)から個人教授を受けても、北朝鮮の工作員が日本人になりきることはできないし、すぐにボロが出ただろう。拉致にはよど号犯とその妻が必要だったのであり、「秘密工作機関員は日本語を習得しており、よど号グループメンバーを通じて拉致を行う必要はなかった
」などという言い訳は通用しない。
北朝鮮側の対応はふざけているとしか言いようがなく、金正日擁護の姿勢が目立つ毎日新聞ですら29日付社説で「首脳会談から4カ月が過ぎたのに、10人の消息についてなお「調査中」だというのは納得できない
」と匙を投げている。
さすがに食糧支援の第2弾は見あわせるらしいが(東京新聞)、見逃せないのは、第3回の実務者協議を平壌で開催する方向で本格的な調整にはいったという報道である(Sankei Web)。
町村新外相は「調査した人が出てきた方がまどろっこしくなくていい
」と平壌での開催に積極的だそうだが、北朝鮮側が本当に調査しているとでも思っているのだろうか。
帰国した蓮池・地村さんや、脱北した秘密工作機関関係者の証言から、拉致被害者は常時、秘密工作機関の監視下におかれていることがわかっている。北朝鮮側は被害者の日常を、プライバシーもふくめて、すべて把握しているはずである。調査したと称する人間に問いだだしても、秘密工作機関が出すと決めた以上の情報が出てくるはずはない。
今必要なことは、北朝鮮を経済制裁で締めあげることである。ロシアと中国が援助するから経済制裁の効果はないと主張している人がいるが、ロシアと中国の援助がどんどん細っているからこそ、北朝鮮の今日の窮状があることを忘れてはならない。日朝実務者協議の直前に、わざわざ偵察衛星に見えるように、ミサイルの発射準備をしたことからいっても、北朝鮮が日本の経済制裁を恐れていることは明白だ。
また、経済制裁には効果がないと主張している面々がいずれも北朝鮮擁護派であることからも、経済制裁には一定の効果があると推定できる。
だが、第二次小泉内閣は逆の方向に進みそうだ。橋本派総崩れに乗じて、これまで橋本派が独占してきた北朝鮮利権を森派が奪おうとしているといわれているが、私利私欲のために北朝鮮のような国との国交樹立を急ぐのだとしたらとんでもないことである。
「買っとけ! DVD」をのぞいたら、15日に発売されたばかりの「イノセンス」が入手難とあった。18日時点ではスタンダード版はすぐに見つかったが、リミテッド版は新宿、中野とまわって、渋谷でようやく買えたという。
これを知ったのが21日夜。初回限定で「ガイドDVD」がつくというので、翌日、何軒かまわったが、どこにもない。定価でもしょうがないかと思い、近所のレコード店にいったが、やはり売りきれ。「ゴースト論」という評論を準備していることもあるが、こうなると俄然欲しくなる。
帰宅してからもしやと思い、Amazonで調べてみた。リミテッド版は売り切れだが、スタンダード版は24時間以内に発送、しかも20%引きとある。「ガイドDVD」の有無はわからなかったが、即、注文した。
23日は祝日なので24日発送になり、品物は25日に到着した。「ガイドDVD」はついていた。
まだ「ガイドDVD」しか見ていないが、「観る前」篇と「観た後」篇にわかれていて、「観る前」篇は『攻殻機動隊』を見ていない人には役に立つだろう。「観た後」篇は押井守監督のインタビューで既出の話ばかりだが、実物の映像を例にとりながら説明していくのでわかりやすい。おまけにしてはよくできているが、こういうDVDは初回分を買うような人に配ってもあまり意味がないのではあるまいか。
本篇は冒頭部分しか見ていないが、我が家の貧弱な設備では画も音も寂しい。やはり映画館で見たい作品だが、映画館はガラガラだった。「イノセンス」ファンはみなさん立派なホームシアターをもっているのだろうか。
丸の内東映で劇団☆新感線の「髑髏城の七人」アカドクロ篇を見た。
この映画は、6月に新国立劇場で上演された舞台をデジタル録画したもので、12チャンネルのWBSで映画館のコンテンツを多角化する試みとして紹介されていた。
どうせ録画なのでニューメディアの味見のつもりで出かけたが、これが外連味たっぷりの傑作だった。
上映は19:10分から1回のみ。定刻になると主演の古田新太のあいさつが宝塚風に流れる。「録画だから、あんまりわくわくしないかな〜。でも、すぐはじまるよ」というアナウンス通り、予告編も、タイトルもなしに、いきなりはじまった。
最初からチャンバラ大立ち回りの連続で、合間合間にギャグをはさみ、緩急自在、みごとというしかない。映画というより舞台のノリで、客席から歓声や笑い声が盛んにあがる。よく聞くと、収録時の歓声や笑い声も混じっている。同じ場所で受けているのである。
舞台は秀吉の北条征伐直前の江戸で、天魔王をいただく関東髑髏党が跋扈し、江戸城となる場所には鉄壁の髑髏城がそびえている。
物語は髑髏党に追われた沙霧(佐藤仁美)を、玉ころがしの捨之介(古田新太)が助けるところからはじまる。捨之介は沙霧を遊郭をいとなむ無界屋蘭兵衛(水野美紀)に託す。沙霧は髑髏城の絵図面をもちだしていたことがわかり、捨之介は髑髏党と一戦まじえる決意をするが、ここからはどんでん返しにつぐどんでん返しで、世界史スケールにまで拡大していき、まるで時代物の歌舞伎である。市川染五郎が驚嘆したというのもうなづける。小説版もおもしろそうだ。
歌舞伎と異なるのは女優陣がすばらしいことだ。美しい殺陣と女形ばりの凄艶美を見せる水野美紀。野性味あふれ、愛らしい佐藤仁美。コケティッシュなコメディエンヌとして蘇った坂井真紀。三人とも見違えた。こんなはじけた芝居ができるなんて、TVからは想像もできない。
しかし、なんといっても主演の古田新太がいい。軽妙にして凄絶、かっこいいのである。
画質は暗めで、色はこってり乗っている。もっとくっきりしているとアラが見えてしまうので、このくらいに抑えておいた方が集中できるかもしれない。
音はあまりよくない。台詞ははっきり聞きとれるし、体に響いてくる重低音の迫力も満点なのだが、定位がよくないので、性能のよくないPAを使った上演のように異和感があった。
この作品はすばらしかったが、すべての芝居が映画館上映で成功するかとなると疑問である。なまじ細部まで見えるだけに、リアリズムの作品ではアラがでてしまうのではないだろうか。