エディトリアル   August 2005

加藤弘一 Jul 2005までのエディトリアル
Sep 2005からのエディトリアル
Aug01

「電車男」

 2ちゃんねるの掲示板を本にして、ベストセラーになり、映画もTVもヒットというメディアミックスの見本のような展開になっている。元の掲示板も、書籍版も読んでいないが、映画版はリアリティがない。TV版も似たようなものだが、白石美帆の演ずるわがままなOLにリアリティがあるので、どうにかもっている。

 秋葉系ヲタクのラブストーリーと宣伝されているが、これは世に虐げられたヲタクの救済物語であり、宗教映画である。エルメスというヒロインは何があっても超然としていて、あれでは恋愛対象ではなく観音様だ。秋葉原に新しいシンボルが必要なら、エルメス観音を建立すればいい。

 パンフレットを見ると、電車男氏と脚本家のチャット・インタビューが載っていて、すべて実話という前提で話が進んでいた。新手の私小説か。

Aug02

「アイランド」

 全体の設定はディックで、前半は「ガタカ」、後半は「マトリックス」。最後の30分間は大技のアクションが連続するが、メリハリがなく、一本調子。疲れた。

Aug09

「亡国のイージス」

 阪本順治監督だし、防衛庁前面協力だし、巡回するブログが軒並み絶賛していたので、大いに期待して見たが、なんだ、これは。アクションが盛りあがりかけると、情緒ベタベタの浪花節がはじまり、白ける。イージス艦のメカが生かされているわけでもない。くだらなさにおいては『ローレライ』といい勝負だ。

ダイハード』型の話で、直接的には『ザ・ロック』に酷似している。イージス艦を北朝鮮工作員と、それに協力する将校グループが乗っとり、東京を攻撃すると日本政府を脅迫するが、イージス艦に残った先任伍長(真田広之)と若い対敵諜報員が孤軍奮闘する。北朝鮮工作員に協力する副長(寺尾聰)と、その部下の将校グループは、司令所で突っ立っているだけで、なぜテロに協力したのか不明のまま、映画は進む。最後に種明かしがあるが、あまりにも個人的な動機にあきれる。しかも、その後に、もう一つ因縁話が出てきて、また唖然。家庭内のゴタゴタをテロに持ちこむな!

Aug10

「ヒトラー 最期の12日間」

 ヒトラーの秘書だったトラウデル・ユンゲの視点から、ヒトラーの最期の12日間を描いた映画だ。彼女は亡くなる直前に『私はヒトラーの秘書だった』という回想録を出版していて、これが映画の原作だと思うが、それとは別に映画と同じ題名の本が出ている。どういう関係なのだろう。

 映画自体は傑作である。一分の隙もない、緊迫した画像に圧倒された。今年のベスト3にいれていい。「アドルフの画集」なんかとは較べものにならない。

 ヒトラーを血の通った人間として描いているので、批判されているそうだが、ジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』を読んで以来、従来のヒトラー像は一面的だと感じてきた。やはり、そうだったのかというのが、映画を見た感想だ。

 ナチス関係の本を読んでいないと、面白さがわからないかもしれないが、ヒトラー周辺の人物も、実に的確に描かれている。ナチスの母を体現したゲッベルス夫人は感動的だ(ゲッベルス夫人については『炎と闇の帝国―ゲッベルスとその妻マクダ』という本が出ている)。

 もちろん、ヒトラーを一人の人間として見ることと、ナチス肯定とは別の問題である。半世紀という時間が流れて、ようやくナチス時代を冷静にふりかえる余裕が出てきたということだ。

Aug12

「トニー滝谷」

 村上春樹の同題の短編(『レキシントンの幽霊』所収)を、市川準監督がイッセー尾形と宮沢りえで映画化した作品。

 傑作である。小品といった方がいい短い作品だが、洗練を極めており、日本文化の現在の水準を示すものとなっている。低い声で語られる物語は記憶に深くしみこんでいく。

 主人公のトニー滝谷を演ずるイッセー尾形はもちろんすばらしいが、トニーの神経症的な妻と、はつらつとしたアルバイトの女の子の二役をさりげなく演じわける宮沢りえも特筆したい。

 映像は細部まで神経がはりつめており、右から左へ、本を読み進むように展開していく趣向も成功している。見るべし。

DVD

「ZOO」

 乙一の同題の短編集から五つの短編を選び、五人の監督によって映画化したオムニバス作品。いずれもまぎれもない映画になっていて、見応えがあった。今年の日本映画のベスト3にいれていい。

 まず、「カザリとヨーコ」に感嘆した。未婚の母(松田美由紀)に育てられる双子の姉妹(小林涼子が一人二役)の話だが、妹のヨーコが溺愛されるのに対し、姉のカザリは虐待され、ろくに風呂にはいれず、服も汚いので、学校でいじめられている。

 カザリは迷い猫を見つけたことから、一人暮らしの老女(吉行和子)と知りあい、はじめて自分の価値に気づくが、老女が亡くなってしまい、危機が訪れる。ラストはある程度予測できるが、小林涼子が絶品。

 「SEVEN ROOMS」は変質者に誘拐された姉弟の話。二人は一番奥に排水路のある地下室に閉じこめられる。姉(市川由衣)は体の小さい弟を排水路に潜らせ、脱出させようとするが、七つの部屋が横に並んでいて、部屋から部屋へは排水路を通って移動できるが、外には出られないことがわかる。各室には若い女性が一人づつ監禁されていて、毎日、順番に殺されていることがわかり……。

 これも結末は予想できるが、語り口がうまく、最後まではらはらしながら見た。気の強い姉を演じる市川由衣がいい味を出している。

 「陽だまりの詩」は一転してSFアニメ。ネタバレになるので、詳しくは書けないが、『天空の城ラピュタ』のロボットのエピソードを思わせる。余韻がいい。

「SOーfar そ・ふぁー」は両親を交通事故でなくした少年(神木隆之介)が、両親の幽霊と暮らす話。少年には父(杉本哲太)と母(鈴木杏樹)が見えるが、父には母が見えず、母には父が見えないので、少年が通訳をすることになる。

 神木隆之介で成立している作品で、確かに天才子役だ。

 最後の「ZOO」は廃園となった動物園で腐敗していく恋人(浜崎茜)の死体の写真を、毎日、一枚づつ撮りつづける男(村上淳)の話。表題作なのに、これだけ平板で、見劣りがした。

DVD
Aug20

 すべてのプリントが焼却処分され、幻の映画といわれてきた『憂國』がDVD化され、来春刊行される『決定版 三島由紀夫全集』の別巻として発売されることになった(Yomiuri ONLINEZAKZAK)。

追記:『憂國』のDVDは2006年4月、東宝から2枚組の単体商品として発売された。

 『憂國』は1961年に発表された同題の短編を、三島自身が主演・監督・製作した作品だが、2.26事件に参加できなかった青年将校が、妻の介添えで割腹するというストーリーで、市谷自決事件と重なるため、瑤子夫人がすべてのプリントとネガを焼却処分したといわれてきたが、実は共同製作者の藤井浩明氏の助言を受けいれ、ネガを秘かに保存していたのだという。

 最近発見されたように報じているメディアもあるが、ネガは瑤子夫人が亡くなった直後の1996年に三島邸で発見されていた。10年近くたった今になって明らかにされたのは、公開のめどがたったからだろう。

 このニュースを聞いた時、1985年に世界公開されながら、遺族の強い反対で国内公開が見送られたポール・シュレーダー監督の『Mishima』のことが頭に浮かんだ。しかし、『憂國』のDVD化が瑤子夫人の遺志にそったものだとしたら、『Mishima』解禁は別問題ということになる。

 『Mishima』は北米版DVDで見たが(見るにはリージョンフリーのDVDプレイヤーが必要)、緒形拳ら、日本の俳優を使って日本で撮影しただけに、日本人から見ておかしな点はなく、よくできている。

Aug24

 ジャストシステムは来月、「文芸活動ユーザー」向けに、「一太郎 文藝」というワープロソフトを発売するという(ニュースリリース)。

 以前、似たようなプロジェクトに、ほんのすこしだけ係わったことがあるので気になったが、ITmediaに記事を見て、これは駄目だと思った。ITmediaの写真を見ればわかるように、400字詰原稿用紙の画面を標準モードにしているのである。

 原稿用紙の枠線は手書き文字をそろえるための必要悪であり、パソコンの画面では見にくいだけであり、百害あって一利もない邪魔物でしかない。紀田順一郎氏が監修しているということだが、紀田氏は本当に原稿用紙画面で仕事をしているのだろうか?

 もっとも、実用性はなくとも、商売としては原稿用紙画面はいれた方がいいのかもしれない。そもそもターゲットの「文芸活動ユーザー」とは何なのか。ニュースリリースではこう説明されている。

小説、俳句・短歌、自分史などの文芸活動に取り組み、プロを目指している方、自費出版に興味を持ち、趣味で積極的に活動されている方

 要するに「作家」という肩書きに憧れる人向けということだ。

 作家志望者の間では原稿用紙に対する憧れが根強く残っていると聞く。彼らに四万円以上する買い物をさせるには、原稿用紙画面は不可欠なのだろう。

 もし、実質本位の執筆ツールが欲しいのなら、QXエディタをお勧めする。QXは縦書が実用になる数少ないエディタであり、「一太郎 文藝」の1/10以下の値段である。

Aug31

 ITmediaに「「Vista」新フォントは「国語政策的にも正しい」」という記事が載っている。

 これから起こるであろう混乱についてのマイクロソフト社側の予防的弁明と受けとったが、次の一節には笑いころげた。

 JIS委員の南堂久史氏は、Webサイト「2004 JISをめぐる混乱」で、「従来のJISでは、略字が大幅に取り入れられ、日本の伝統的な文字遣いが犠牲になってしまっていた」などと、新JISで正字体を採用した経緯を説明。略字を使っていた一部機関などに犠牲が出ることを詫びつつも、正字体の必要性を訴えている。

 南堂氏はこの世界ではJIS批判派として知られた人である。彼がJIS委員だなんて、坂村健氏をマイクロソフトの社長というようなものだ。多分、ググって出てきた南堂氏のページに「発案者:南堂久史」とあるのを見て、文字コードに不案内な記者がJISの委員と早とちりしたのだろう。JIS改正の「発案者」という書き方で、あのページ全体がギャグだと受けとるのが普通だと思うのだが。

 ITmedeiaの記事には、まだ突っ込みどころがある。「略字を採用済みの地名や名前など、固有名詞で混乱が起きる可能性も指摘されている」として、以下の三字をあげているが、

鴎(←鷗)、祷(←禱)、涜(←瀆)

皆さんの機械でちゃんと表示されていることからわかるように、「鷗」、「禱)、「瀆」は最初からUCSにはいっており、Windowsでは以前から使える字なのである。もちろん、コードポイントが分離されているから、Vistaの導入で字体が変わるということもない。

 2004年改正で例示字体の変わった字の元の略字体(拡張新字体)については「そのままでは打ち出せなくなる」という書き方をしている。「そのままでは」と留保しているのは、後を読むとわかるが、OpenTypeによる「字体切り替え機能」で印刷・表示が可能だからだ。

 OpenTypeというか、CIDフォント対応のソフトなら、字体情報を含めて情報交換できるが、CIDフォント未対応のソフトや電子メールはどうなるのだろう。現在でもユニコード対応ソフトのウィンドウから、シフトJIS対応ソフトのウィンドウへ字句を貼りつけると、一部の文字が「?」に化けるが、それにCID対応・未対応の違いが重なるとしたら、相当ややこしいことになる。「ネの榊」が出せるといっても、プラスαの操作をしなければならない。一般ユーザーは頭をかかえ、Vistaで略字体を出すためのハウツー本が売れたり、データ変換業者が潤ったりすることになりそうだ。

 Vistaの変更は2000年の表外字字体表が発端と報じられているが、根はもっと深い。

 1978年に制定された最初のJISコード(78JIS)では「示の榊」、「人の葛」だったが、1983年の改正で「ネの榊」、「ヒの葛」に字体が変更されたのだ。83改正の前々年、当用漢字表に代わって常用漢字表が告示され、漢字制限政策が緩和の方向に向かった。漢字制限派は国語政策の転換に反発した。83改正もこの反発と関係がある。物証が見つからなかったので、本には書かなかったが、83改正の中心にいた委員は国語学関係の集まりで、保守反動の動きを阻止するためにJIS改正を使うと公言していたという。実際、人名用漢字の拡充でJISに追加された拡張新字体は、将来の増補のためにあけてあった47区の後ろを使わず、「いわゆる康煕字典体」の字を玉突き移動させるなどの不可解な増やし方をして、混乱を広げてしまった。

 表外字字体表は「ネの榊」ではなく、「示の榊」を正式の字体としたことからもわかるように、83改正の後始末という方向性をもっている(「常用漢字表と83改正に関する文化庁の見解」)。2004年のJIS改正は83改正の否定であり、その過ちの一部は正されたことになる。

 ただし、混乱はすこしでもすくない方がよいので、わたしは1-26-71は「ネの榊」のままにしておいて、「示の榊」を別字として追加した方がよかったと考えている。UCSの漢字統合は「インターネットと漢字」で述べたように事実上崩壊しており、一度統合した漢字の分離がはじまっている状況だから、別字としてUCSに登録することは可能である。BMPの空きが足りないという人がいるかもしれないが、WindowsNT系はすでにサロゲートペアに対応しているのだから、第二面でもかまわないはずである。

 しかし、JISはCIDフォントの普及を期待してか、「示の榊」を追加せず、例示字体を変更する選択肢を選んだ。

 Vistaにアップグレードするだけで、これまで書きためた文書の「ネの榊」が「示の榊」に変わってくれるのは、物書きとしては歓迎すべきことだが、行政事務やデータベースに係わっている人は戦々恐々としていることだろう。

 特に、自治体の住基ネット担当者は大変である。住基ネットと、既存の住基システムは変換テーブルを介してつながっているが、そこにVistaがはいってくるのだ。庁舎内のすべてのパソコンを一斉にVistaにいれかえることができるなら、一時的な混乱ですむかもしれないが、そんな余裕のある自治体は多くはないだろう。

 住基ネットの稼働前に、某関係者から、総務省は住基ネット=既存住基システムの変換テーブル作りの統一的な指針を示していないので、業者間の解釈の違いから、住民票の広域交付で文字化けが起こる可能性があるという情報をいただいたことがある。せっかく教えていただいたのに、裏をとる手だてがなかったので、なにもしないまま時間がたってしまった。

 そうした文字化けが現に起こっているのかどうかはわからないが、住基ネットの変換テーブルはかなりの難物のようである。Vistaでどうなるのかは、わたしの知識では判断がつかない。詳しい人がいたら、教えてほしい。

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