エディトリアル   Feb - Jun 2000

加藤弘一
December 1999までのエディトリアル
July 2000からのエディトリアル
Feb22
 今日の午後三時台に、トップページのカウンターが十万を越えたようです。カウンターを設置したのは1995年12月ですが、1996年3月27日に千を越えたところでリセットしているので、正味四年で十万に達したわけです。アクセスログがとれるようになってから、カウンターの数にはあまり興味がなくなったのですが、切りのいい数字を越えると、なにがしかの感慨があります。
 昨年は三万六千ほどのアクセスがあったのですが、今年は半減するかもしれません。文字コード関係の更新をすくなくするからです。インターネット人口の拡大で、アクセス数は年々増えているのですが、ほら貝の場合、「文字コード問題特設ページ」の割合が多いのです。
 文字コードのページを1996年9月に開設して以来、いろいろなことがありました。来月、新書判の小著とはいえ、この三年半の集大成といえる本を上木するはこびとなって、今、卒業論文を書きあげた気分です。  「月刊ほら貝」の読者の方なら御存知のように、昨年九月から十二月にかけて、文字コードの世界ではさまざまな事件があり、今、一区切りついたという状態です。もちろん、問題はなにも片づいたわけではありませんが、一過性のアピールとは別に、一般の関心がすこしづつ高まってきており、ぼくにできることは終ったかなと考えています。
 サポート・ページは作りますし、本のために書きながら、使わなかった原稿(もう一冊作れるくらいある)は順次掲載していく予定ですが、これまでのようにインタビューをとったり、長い文章を書いたりということはすくなくなるか、まったくなくなるかもしれません。
 アクセス数は確実に減るでしょうが、文学ページとしての本来の形にもどるだけのことです。
 昨年の石川淳生誕百年にはなにもできませんでしたが、近々『安部公房全集』が完結する模様ですから、ここで安部公房に全力を注がなかったら、この時期に生れ合わせた意味がありません。今年のほら貝は文学サイトとして再出発します。


Mar18
 拙著『電脳社会の日本語』(文春新書)が昨日、ようやく店頭にならびました。昨日は新宿の本屋の中の劇場に芝居を見にいったのですが、同時に出た四冊の本といっしょに平積みになっているのを見て、感慨深いものがありました。よく出版にこぎつけたなというのが正直なところです。
 文字コードの世界は動きが速くて、執筆中にどんどん新しい情況が生まれて、何度も書き直した上に、もともと細かい話なので、校正に通常の何倍も神経を使いました(それでも見のがしがあるのですが)。担当者もあきれていましたが、こんなに面倒くさい本は二度とやりたくありません。本当にやれやれです。
 取材させていただいた方など、拙著をお送りした方々から受けとったという葉書やメールが届きはじめています。今朝は和田弘先生からわざわざ電話をいただいて、恐縮しました。
 和田先生からは取材でものすごい特ダネをいただきまして、拙著の前半の山場になっています。手前味噌になりますが、この話以外にも特ダネに近い事実をいくつか載せています。
 この本の取材で歩いてみてわかったのですが、文字コードはまったく手つかずといっていい処女地で、特ダネに類する話がごろごろしています。アーキテクチャ上の知識が必要になるので、取材力をもった一般のジャーナリズムの死角になっていたからだと思うのですが、仲間内にむかってしか発言してこなかった専門家の姿勢にも原因があります。文字コードは、これからノンフィクションを書こうという人にはお勧めです。
 ただし、怖いというか、ぼくの手には余る部分があって、書かなかった話がいくつかあります。拙著が刺激となって、ノンフィクションライターやジャーナリストが乗りだしてくれればと思っています。
 頭を重箱の隅モードから文学モードに切りかえなければならないので、今月いっぱいはリハビリに専念するつもりですが、インタビューの申しこみが来てしまったので、完全に忘れるわけにはいかないようです。


Apr27
 歌人の仙波龍英さんの訃報を聞き、愕然としています。
 仙波さんはSF短歌というディープな世界で活躍されていた方なので、ご存知の方はあまり多くないと思いますが、わたしにとってはワセダ・ミステリ・クラブ時代の先輩で、思い出の多い方です。学生時代にいっしょに馬鹿なことをした仲間が泉下の人になってしまうというのはショックです。
 日曜にお別れの会があったのですが、急な話だったので出席できませんでした。訃報はワセダ・ミステリ・クラブのメーリングリストで流れていたのですが、自動振りわけにして、ずっと読んでいなかったので、電話をもらうまで気がつきませんでした。電信八号は未読のメールが一通でもあるフォルダーは赤い色になり、新しいメールが来てもわからないのです。
 現在、八つのメーリングリストにはいっていて、赤くないのは安部公房MLくらいですが、これとても来たメールをすべて読んでいるわけではありません。かったるそうな表題だと、読まずに既読扱いにすることがままあります。
 インターネットの流行がはじまった頃、メールを出しても返事が来ないので、電話したという笑い話がありましたが、毎日チェックしていても、自動振りわけ機能で似たようなことが起こるわけです。まったく盲点でした。
 お別れの会で不義理をしたバチがあたったのか、ハードディスクがクラッシュしてしまいました。
 これまでは音がおかしくなるなどの前兆現象があり、バックアップを頻繁にするとか、新しいハードディスクに早目に移行するとか、対処のしようがあったのですが、今回のクラッシュはヘッドが突然異常動作をするという事故で、二週間分のデータが吹っ飛びました。
 記憶を頼りにどうにか復旧したのですが、先週までにいただいた『電脳社会の日本語』のアンケート二通が消えてしまったのは取り返しのつかない損失です。
 楽な環境を整えすぎると、油断が生まれるという見本です。パソコンは面倒くさいくらいがちょうどいいのかもしれません。


Apr30
 『電脳社会の日本語』は売れ行きの方は今一つですが、ネット上では書評がかなり出ています。アクセスログから未知のリンク元を抜きだすようにしているのですが、一昨日、『エル・ジャポン』という雑誌のリンクページに町田康氏の「お勧め」として、当サイトへリンクをはっていただいていることを発見しました。
 先日までは「「超漢字」の「多言語」と称する機能について」がらみで、TRON関係のページや掲示板からの来訪者が多かったのですが、いわゆる「罵倒リンク」だっただけに、久々に好意的なリンクをいただけるのはうれしいです(TRONが嘘をついていたということで、信者の皆さんにとってはかなりショックだったようですが)。
 このところまた新しいリンク元が増えているのですが、大体は『電脳社会の日本語』を書評してくださったページからのリンクです(「『電脳社会の日本語』紹介」にリンク元を掲載しておきました)。
 厳しい評価もありますが、文芸批評という狭い特殊な世界で書いてきただけに、こんなに広い範囲の方々に読まれたのははじめてで、どれもなるほどなと思いながら読ませていただきました。
 拙著を取りあげていただいたのは書評サイトが多いのですが、書評サイトを結ぶWebringが盛況なことに遅ればせながら気がつき、早速「本」と「映画」のコーナーを登録することにしました。
 どちらかというと、拙著の宣伝をしたいという動機が強いのですが、読者がこういう発言の場をもったことは大きな力になっていくでしょう。出版の危機がいわれていますが、最終的に不利益をこうむるのは読者です。読者の意志表示が危機克服の鍵になるのではないでしょうか。


May08
 「I love you」というウィルス(正確にはワーム)が大流行しているそうです。幸いうちにはまだ来襲していませんが、つい一ヶ月ほど前、以前流行した「Happy Park」ウィルスが届きました。Outlookのアドレス帳に載っている人に勝手にウィルスを送りつけるのは今回の「I love you」と同じです。
 「送り主」は文字コード問題で数回メールのやりとりをした方なのですが、サブジェクトが「Happy Park」になっていたので、すぐに気がつきました。DOSのエディタで中味を見たところ、本文は空白で happypark.exeというウィルス本体が添付されていました。即、削除して、念のためにレジストリをチェックしました。
 サブジェクトでウィルスと名乗るなんて馬鹿なウィルスだなと思ったのですが、今回の「I love you」ウィルスはその点を改良したのでしょう。「l love you」はすっかり有名になってしまいましたから、多分、次はサブジェクトをころころ変えるウィルスが出てくるような気がします。サブジェクトが感染ごとに変わったら、ウィルスに名前をつけようがなく、報道が疑心暗鬼を拡大し、感染以上に深刻な影響をおよぼすのではないでしょうか。
 この数年、「優等生」のおこした凶悪事件が相次いでいますが、連休中に同様の事件が二件、立てつづけに発生しました。どちらも挫折した17歳の元「優等生」です。
 一人の方は「電波に命令された」と供述したそうですが、今どき「電波」はリアリティがないなと思いました。犯人たちが供述した「殺人の経験をしてみたかった」とか「目立ちたかった」という動機は、案外、あたっているんじゃないかと思いますが(単純明解じゃないですか!)、マスコミや警察はそれでは納得しないわけで、取り調べではがんがん追求されているのでしょう。追求がうるさくなって、古典的な「電波」を持ちだしたという線もありそうです。
 無線やラジオが驚異だった時代、以前だったら「神の声」と表現した幻聴を「電波」と表現した「天才」がいて、「電波」の時代がはじまったと思うのですが、今だったら「DNA」に命令されたとか、「コンピュータ・ウィルス」に命令されたとか表現するような気がします。
 気の滅入る話ばかりですが、連休中、すばらしいル番組を見ました。5月5日にフジTVが放映した「小さな留学生」というドキュメンタリーです。
 単身、日本に留学し、卒業後、日本の会社に就職して生活の場を確保した父親が北京から妻子を呼び寄せ、小学三年生の娘さんは西八王子の普通の小学校に入学します。彼女は中国では優等生で、成田から東京に向かう列車の中では日本なんてどうってことないわと意気軒高だったのですが、いざ学校に通いはじめると、日本語がまったくわからず、途方にくれてしまいます。
 そんな彼女をクラスメート、担任、校長、行政があたたかくむかえる様子を二年間追跡します。日本の教育現場にこんな懐の深さがあったのかと、驚きました。このところ、マスコミに登場する学校当局者は組織防衛と自己保身に汲々とし、ぶざまな醜態をさらす手合いばかりだったので、こういう学校があったというのは救いになります。
 この番組でもうひとつ驚いたのは、製作したのは既成のTV局ではなく、やはり中国から留学し、日本の会社に就職した張麗玲という若い中国人女性だということです。
 彼女は日本で頑張っている仲間の生活を中国に知らせようとドキュメンタリーの製作を思いたち、四年前、アポなしでTV局に出かけ、プロデューサーにカメラを貸してくれと直談判したのだそうです。TV局側の支援と日本人ボランティア・スタッフの協力で二年間、取材をつづけ、全部で10本の番組にまとめ(そのうちの一本が「小さな留学生」です)、中国で放映したところ、大反響を呼び、中国人の日本人観を一変させたそうです。
 番組では前半で張麗玲さんの四年間の奮闘を描き、後半で「小さな留学生」を張さん自身の日本語ナレーションで放映しました。四月の番組改変で定評のあるドキュメンタリー番組が打ち切りになったり、見にくい時間帯に移されたのですが、連休中のゴールデンタイムにこういうすぐれた番組を放映した局の英断にエールを送ろうと思います。
 ただ、西八王子の小学校のすばらしさを手放しでよろこんでばかりいていいのか、とも思います。番組に登場した校長さんはカメラの前でいい面を出していましたが、もし生徒のいじめ問題や自殺問題で取材を受けたなら、今までにマスコミに登場した校長たちのように、組織防衛と自己保身以上のことができたかどうかは疑問です。
 中国からの転校生をあたたかくむかえた地域社会も、オウムの子供が転校してきたらどういう態度をとるかはわかりません。
 また、張麗玲さんが若い美人でなかったとしたら、TV局側があんなにあたたかい対応をしたかどうかも疑問です。応対したプロデューサーは途中から懸命に企画を説明する張さんの姿を途中から録画しはじめるのですが、この辺り、彼女のドキュメンタリーが不発でも、ドキュメンタリーを作ろうとしている美人中国人留学生という売りで番組が作れるという計算が働いていなかったとはいえないでしょう。

付記
 週刊ポスト5月26日号に「『朝日』が絶賛! 中国人留学生感動ドキュメンタリーにヤラセ告発」という記事が載りました。読んでみると、全10回のうちのパチンコ偽造カードをあつかった回に捏造に近いことがおこなわれていたことを問題にしていて、今回、フジTVで放映された「小さな留学生」については、主人公の一家がプロデューサーの親族だったことを隠して放映したという点の指摘にとどまっています。
 記事としては、日本で放映された番組にヤラセがあったという方が絶対においしいわけで、当然、ポスト側は関係者に取材したと思うのですが、プロデューサーの親族だったという以外の攻撃材料が見つからなかったということでしょう。
 「ヤラセ」があったというと、それだけで判断停止してしまう人が多いようですが、それもまたマインドコントロールされているわけであって、自分の頭で考える必要があります。


May27
 『電脳社会の日本語』のサポートページの「補足と訂正」で余計なことをしていたようです。詳しくは同ページに掲載した「不必要な訂正で混乱をまねいたことについての謝罪文」をご覧ください。
 文字コードは技術的な問題とはいえ、謀略と陰謀と利害関係とどろどろした人間関係がからみ、いろいろな経験をしてきているので、予防措置をしたつもりだったのですが。それにしても、JIS X 0213(JIS拡張漢字)の変則的実装を応援していたはずの人が、突然、態度変更と見えるようなことをおやりになり、そんなつもりで書いたのではないと言いだすとは、なんらかの変化でもあったのでしょうか。
 その一方、JIS X 0213の変則的実装がとどめをさされ、本の方の訂正の必要がなくなったことに安堵している自分がいて、おやおやと思いました。
 これからの社会では活字ではなく、電子テキストが正本になるというのが拙著のテーマの一つなのですが、そう書いている本人が活字信仰を引きずっているというのはほとんど笑い話です。頭で考えていることが「実感」になるには、それなりの時間が必要なのでしょう。
 閑話休題。
 今、村上龍の『共生虫』論を書いています。文芸批評といえるようなまとまった文章を書くのは二年ぶりで、書きだしが決まらず、試行錯誤を繰りかえしています。
 『共生虫』がインターネットの話で、メールや掲示板が重要な小道具として登場するということもありますが、文字コード問題の後遺症からか、つい文字の形が気になったり、頭が重箱の隅モードになったりすることも、執筆が思うように進まない原因になっています。
 何をするのも面倒くさいとか、すべてが無意味に見えてくるという燃えつき症候群もあって、頭のリハビリがもう少し必要なようです。


May29
 トップページの新着案内から「不必要な訂正で混乱をまねいたことについての謝罪文」の項目をはずしました。この二週間ばかり睡眠不足がつづき、水曜ぐらいから風邪をひいていたのですが、昨夜、よく寝て汗をかきました。
 頭がどうにか働きだしてみると、新しいページではないし、トップページに載せるほど重要なものではないと思うようになりました。27日に「謝罪文」を公開した後も、あちこちいじっていたのですが、幹と枝葉の区別がつかなくなる重箱の隅症候群でした。
 そもそも、『電脳社会の日本語』に問題の訂正をくわえたこと自体、重箱の隅症候群でした。訂正文を載せる際、文春新書の担当氏に相談したところ、神経過敏になっているんじゃないかと言われたのですが、まったくそうでした。
 文字コード問題は細かい知識が要求されるだけに、はまっていくと、幹と枝葉の区別がつかなくなって、距離をおいて全体をクールにみわたすことができなくなっていきます。広い視野から見るというのが目標で、従来にない視点をいくつか追加できたとは思いますが、四年もかかわっていると距離がとりにくくなっていきました。
 本の打ち合わせで、文字コード業界の最新情勢やゴシップを担当氏に話すと、「どうしてそんなことでテンションが高くなるんですかねえ」とおもしろがっていて、それが一種の気付け薬になっていたのですが、そういう外部の目をもった人と接触がとぎれてしまうと、ちょっとした体調の悪化で重箱の隅症候群がぶりかえしてしまいます。
 リハビリにはもっと時間が必要のようです。


May31
(この日は風邪で熱が高かった上に、わたしに対する不本意な批判記事が出るということで、心身ともに最悪のコンディションでした。こういう状態で書いた文章なので、判断力が怪しくなり、混乱に輪をかける結果となりました。自戒のために小さな文字で残すとともに、こういう文章を書くにいたった経緯を6月3日6月6日項に書きました。Jun06 2000)

 「不必要な訂正で混乱をまねいたことについての謝罪文」を読んだ方から、次のようなメールをいただきました。
 そちらの謝罪文を読んで、……
 だいたい、間違ったのは加藤さんじゃなく、小形さんたちとアップルでしょ。
 
> MacOS Xで2000JISを実装
 
 なんて文句が例のページにある。これが証拠だ。
 
 ある文字コード規格を「実装」という言葉は、文字集合を取るだけではな
く、符号位置をそのままにすることを言う。
 たとえばシフトJISの文字集合だけ取って、別の符号位置に文字を置けば、
そのようなものは「シフトJISを実装した」とは言わない。
(小形ページでも part1_5.htm では、その意味で使っている。当然。)
 
 だから、「実装」という言葉を使った時点で、「符号位置も踏襲」と理解す
るのが当然だ。
 なのに「実装」と述べて、「文字集合だけ収録」という意味だ、なんてのは、
用語の使い方の間違いである。
 自分で間違ったことを書いておいて、そのまま字義通りに理解されたから困
る、というのは、責任転嫁である。
 
 「おまえは馬鹿だ」
 と言っておいて、「馬鹿」というのは「利口」のつもりなんです、と弁解し
てもダメだ。言葉を自己流に使って、それを自己流に解釈してもらおう、な
んて、とんでもない。言葉は、世間共通で使うものだ。小形流・アップル流に
使うものではない。
 
 しかも、だ。                 .................
 「文字集合として2000JIS」というのはおかしい。2000JISの独自文字は、
unicode にはないから、アップルにもたぶん収録されない。となると、収録す
るのはunicode にあるものだけ。つまり 「補助漢字のうち、2000JISと共通す
るもの」だけだ。 ^^^^^^^^^^^^^^
 だから、アップルは「2000JIS(の文字集合)を実装する」というのは
不正確な表現であって、「補助漢字のうち、2000JISと共通する文字集合
を、補助漢字の枠内で実装する」つまり「補助漢字の一部を実装する」
と言うべきだった。
自分が用語を間違っている。それでいて、字義通りに解釈されたと言って、
文句を言う。文句を言う相手を間違えている。本末転倒。
 
 
 結局、ほら貝の謝罪文は、謝りすぎ。私なら、こう書く。
 
 間違った記述があったのを、そのまま字義通りに解釈してしまいました。本
人が自己流の間違った言葉遣いをしているとは理解できませんでした。そのた
め誤解が生じました。
 専門語を正しく理解できない素人の文言を、そのまま信じてしまったため、
読者のみなさんには誤った推測を流し、ご迷惑をおかけしました。今後、素人
および素人メーカ技術者のデタラメな用語は、そのまま信じないように、努め
ます。お許しください。

まったくその通りで、小形氏からこの件で問い合わせをいただいた時点で、なぜこのように説明しなかったのか、悔やまれます。文字コードはもううんざりだし、この一週間、38度を越える熱がつづいているので、頭が働かず、小形氏の記事をろくに読みかえしていませんでした。
 文字コードについては、わたしは文字化けの嵐をまねきかねないシフトJIS隙間方式の実装と、ユニコードの漢字包摂に一貫して反対してきました。このうち、前者については、「独自路線」に走るのではという「噂」の流れていたアップル社(拙著の原稿をわたした後は情報収集をやめていたので、知りませんでした)すら採用しないとしたら、最終的につぶれたといってよいでしょう。
 後者については、『電脳社会の日本語』の最後に述べたように、すでに包摂の一角が崩れており、IRGのある委員のお話によれば、台湾や中国の動向によっては、なし崩し的に有名無実化していく可能性があるということです。
 この二点に一応の見通しがついたのだから、文字コードにこれ以上かかわって、余計な恨みをかったり、時間を取られたりするのは懲り懲りというのが正直なところです。多言語の問題が残っていますが、それは他の人が追いかけてください。
 拙著の悪夢のような校正作業が終わって以来、文字コードなんてもう見るのも嫌だという状態がつづいているということもありますが、面倒くさいからあやまっちゃおうという安易な姿勢をとっていたのも事実です。
 しかし、言うべきことを言わないで終わってしまっては、かえって文字コード問題に禍根を残します。メールをくださった方に感謝するとともに、その示唆をとりいれ、「不必要な訂正で混乱をまねいたことについての謝罪文」を「不必要な補足と訂正でまねいた混乱について」とあらため、加筆した次第です。お読みいただければ幸いです。
 



Jun01
 昨日、久しぶりに医者にいってきました。風邪は時々引いているのですが、これまでは二、三日で汗が出て、次の日、なるべく安静にしていると自然に通りすぎてくれました。
 今回も風邪薬の類は飲まず、自然に経過するのを待ったのですが、日曜に39度まであがり、かなり汗をかいたものの、熱が下がりきらず、火曜日にまた39度まであがりました。やはり汗をかきましたが、38度を切りません。
 38度を超える熱が一週間以上つづいたのははじめてだったので、ただの風邪ではないのではないかと不安になりましたし、金曜に用事があるので、熱を下げるのが急務と思い、医者の門をたたくことにしました。
 時々前を通りかかる医院に行ったのですが、当たりのやわらかな、温厚な先生で、患者を安心させるような雰囲気をもっています。このあたり、町医者のよさですね。
 不必要な注射はしない主義らしく、いくつかの検査の後、風邪でしょうということで薬をもらいました。薬袋の裏にどの錠剤が何の薬と説明が書きこんであって、時代は変わっていたのだなと思いました。この医院が特別なのかもしれませんが、そうだとしたらいい先生に当たったわけです。
 久々に飲む医者の薬は実によく効いて、夜中まで昏々と眠りつづけました。熱も下がりました。しかし、どうしようもなくだるく、意識に一枚幕がかかった感じが今もつづいています。
 昔、健康法をあちこち遍歴していた頃、熱が上がるのは上がる必要があるからで、無理に下げてはいけないという考え方と出会い、それに魅力を感じてきました。風邪をこまめにひくことで、大きな病気を小出しにするということでしょうか。一面の真理があると思うのですが、今のようにあわただしく、殺気立った社会に生きていると、自然治癒を待っていられないこともあります。難しい世の中です。


Jun03
 5月31日の項で、小形氏とアップル社側が「実装」という用語を間違えて使ったと指摘したメールの内容について、「まったくその通り」と書いたばかりか、その示唆にしたがって、最初の版の「謝罪文」に変更をくわえるという迷走をしてしまいました。あらためて確認したところ、小形氏の記事に「文字集合としての実装」という表現がありました。上記の項目と「不必要な補足と訂正でまねいた混乱について」を書く前に、読み直しているのですが、熱があがって注意が散漫になっていた時だったので、読み落としていたわけです。
 なんでこういう結果になったのか、経緯をできるだけ書いてみます。
 直接の理由は、紙媒体なら、間に編集者と印刷プロセスがはいるので、頭を冷やす時間と第三者の目がはいるのですが、一人でやっているページなので、本人がパニックに陥るとチェックが効かなくなったということです。
 このサイトをはじめて以来、自分で自分をチェックするように心がけてきましたが、今回の文章の場合、批判記事が公開されるまでの限られた時間に、真意をできるだけ多くの来訪者に読んでもらおうというあせりにかられ、最初は誤字・脱字の直しだったのが、表現の微調整になり、語句を入換え、段落単位の変更にいたるというように、自制がなし崩しになっていきました。ちょうど、書けない原稿がずっと行き詰まっていた時だったので、「推敲」が本命の原稿から逃げる口実になっていたということもあるかもしれません。
 しかし、今日付の版をもって正式版とし、以後の変更はすべて記録することにしました。
 問題が起きたそもそもの原因は、わたしが文字コードの世界から逃げようとしていたことにあるような気がします。文字コードと今後もかかわりつづけるつもりなら、本の記述と現実の間に万一、ズレが生じた場合は、インタビューとか独立のページで対処したはずで、「補足と訂正」のような中途半端なページでお茶を濁すようなことはしなかったでしょう。もし「補足と訂正」という形で書くとしても、アップル社に取材を申しこんでいたと思います。
 しかし、文字コードのような、いろいろな意味で難しい世界にかかわりつづける気力はもうなくなっていました。そこからすべてに逃げの姿勢に終始しました。
 今回の一件は5月23日に小形氏からとどいた「質問があります」というメールからはじまりました。「補足と訂正」でふれた「ある基本ソフト」とはMacOS Xのことではないか、そうだとしたら、その根拠はなにか、という問い合わせでしたので、「お尋ねの点ですが、こちらが驚いております。というのは、あの補足をつけたのは、小形さんがPC Watchに連載された記事が直接のきっかけだったからです……」という返事をさしあげました。
 翌日、小形氏から、自分の記事はそういうつもりで書いたのではないが、もし、そう読みとれる部分があるなら、直すから指摘してほしいという返信が来ました。
 ちょうどこの日、風邪のひきはじめだったのか、頭痛がきつかったので、「どうもぼくの深読みだったようですね……」という内容のない返事ですませてしまいました。今にして思えば、小形氏に対して失礼だったし、非常にまずかったです。すぐに詳しい返事の送れない事情を説明し、数日待ってほしいと書くべきでした(待ってくれるかどうかはともかく)。
 翌日、小形氏から、わたしに対する5月31日付の批判記事を添付した内容確認をもとめるメールが届きました。うかつな話ですが、この時点ではじめて、小形氏の接触が覆面取材だったと気がつきました。
 些末な部分からこちらの人格を云々するような記事(文字コードにかかわる方の一部には、こういう論法に走る方が少なくないのですが)に対する不満もありましたが、それ以上に、重箱の隅が気になって、誤解をまねくような「補足と訂正」をつけてしまった自分に腹が立ちました。文字コードに係わる人の中には異様にテンションの高い人たちがいて、ちょっとした間違いを見つけては、人間失格のように言い立てる癖があり(出版関係者の間では、文字コードはわからないながら、異様と感じている人が多いようで、持ちこみ企画をうっかり受けてしまった「ユリイカ」の編集部はあの剣幕に驚いたそうです)、この四年間、そういう中でもまれているうちに、だんだん重箱の隅症候群に感染していったようです。
 重箱の隅症候群が高じて自己嫌悪的な「謝罪文」を書き、5月27日に公開しましたが、表現の細部が気になり、当面の仕事が手につかなくなり、「謝罪文」を一日のうちに何度も直しているうちに、小形氏の記事に対する不満や、取材であることを隠した接触法に対する憤りが勝ってきて、悪循環に陥ってしまいました。(今、気がつきましたが、これではまるで『共生虫』的世界です)
 以前にも書いたように、拙著は文春新書の担当者からほとんど逐行的なチェックを受けて原稿を練っていったもので、技術的な説明の不足点だけでなく、取材不足や根拠の曖昧な点も細かくチェックを受けました。こういうことを書くと、いよいよ誤解をまねくことになるかもしれませんが、『電脳社会の日本語』は、このサイトでだけ公開する文章とは違う精度でできているというというのが実際のところです。出版ないし雑誌掲載した文章と、Web公開にとどまる文章は、有料か無料かということではなく、編集者が介在したかどうかという点で、やはり決定的に違うのです。
 小形氏のわたしに対する批判記事が公開された日、両方を読みくらべた方から5月31日の項に引用したメールが届きました。意図を隠した取材法から、なにか裏があるのではともやもやしていたところだったので(これはこれで、バイアスになりますが)、その内容に飛びついてしまいました。
 オカルトめいた言い方ですが、文芸誌の世界への復帰を賭けた批評を書こうと七転八倒しているこの時期に、悪い偶然がいろいろ重なったものだと怖くなってきます。文字コードに興味をもち、積極的にかかわっていた頃には、取材の助けになるような不思議な偶然にいくつも恵まれましたが、文字コードから関心を移し、縁を切ろうとしたとたん、こういうことになると、文字コードの世界には情の深い女神様が棲んでいるのか、などと思いたくなります。
 ともあれ、文字コードの女神様ともこれでお別れで、その意味ではほっとしています。


Jun06
 風邪も抜けたことだし、急ぎの仕事を一本片づけ、やれやれということで、一連の小形氏問題の記述を読み直しましたが、弱気になったり、強気になったりの振幅がそのまま出ていて、みっともない限りです。
 感情の振幅は解熱剤で体温を下げ、精神安定剤で眠りをとってから、だんだんおさまってきていますが、6月3日の項はまだ弱気に振れすぎていました。事態を早く収束して、月曜締切の仕事を片づけなくてはという焦りがあったのだと思います(それ以前に、本命の原稿が進まないという切羽詰まった状況があったのですが、こっちはまだ解決の目途が立っていません)。
 アップルに確認を取らなかったことを大事のように考えていましたが、そもそも問題のページは拙著の読者のためのおまけ情報であって、固有名詞を出していませんし、「可能性」にすぎないことを明記していますし、未確認の業界情報であることは明白だったわけです。
 小形氏の元の記事にしても、わたしのような「深読み」をした人は、記事の存在を教えてくれた友人以外にも複数いまして、「深読み」を誘導するような曖昧な書き方がしてあったことは争えないと思います。
 それにしても、今回の騒動で、「一人でできる」とか「スピードが速い」というインターネットのメリットは、体調を崩しただけで、恐るべき脅威になると思い知りました。
 わたしは一般の平均からいえば、精神が不安定な方にはいるでしょうが、物書きの平均からいえば、特別不安定というわけではないと思っています。多くの物書きが体面を保っていられるのは、編集者が盾になって、守ってくれているからだといっては言いすぎでしょうか。
 欧米の場合、作家には版権を管理する個人エージェントがついていて、あらゆる場合に相談相手になるということですが、これからの時代、日本にも個人エージェントが必要になるのではないかという気がします。

 閑話休題。元オウムの井上嘉浩被告に無期懲役の判決がくだりました。この人はオウム時代も、逮捕されてからも、一途に突っ走る性格がそのままあらわれているように見え、報道される麻原批判は、麻原傾倒時代の単細胞ぶりを裏がえしただけではないかと感じていました。
 彼の一途で一所懸命の姿勢が、オウム時代も逮捕後もファンを生んだらしいのですが、わたしは一途とか一所懸命ということに抵抗をおぼえる方なので、控訴審で彼がどう変わっていくか、注目したいと思います。


Jun16
 昨日、某誌の担当者から電話をもらったのですが、『共生虫』論についてあれこれ喋っているうちに内容がどんどんまとまっていき、新しい論の骨格ができあがっていたことに気がつきました。
 短編小説と長編小説が長さだけでなく、質的に別物だということはよく知られていますが、同じことは文芸評論にもいえて、書評と批評はまったく違います。石川淳は「精神の運動」と言っていましたが、書いているうちに「精神の運動」が起こり、当初、考えていた構図が壊れ、五里霧中の状態をくぐらないことには、長い書評で終わってしまうのですね。
 長いブランクを作ってしまったので、ここで復帰しないと文芸誌の世界に居場所がなくなるということは自分でもわかっていて、昨日の電話でも脅かされたのですが、一番苦しい時期は抜けたようです。
 10年後には、オンデマンド印刷を除くと、紙の本として文芸批評を出版するのはほぼ不可能になっていると思います。新人の小説の出版もきわめて困難になるでしょう。芥川賞のようなメジャーな賞をとらないと、紙の形で出版できないという事態もありえます。文芸誌自体、いつまでつづくのかもわかりません。
 紙の形で発表できる今のうちに、書けるだけのものを書いておかなければと考えています。
 
付記
 シンクロニシティというか、上の項目を書いた夜、意外な注文が飛びこんできて、『共生虫』論で重要なヒントがえられました。文学の方の女神様は浮気ぐらいは許してくれるようです。まだ詳しくは書けませんが、八月を楽しみにしていてください。




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