例年、大手出版社は年頭の新聞広告でその年の大型企画を発表するが、今年は久々におもしろそうな企画があった。
第一に、岩波書店のフロイト全集。全22巻で初訳が多数あって、本格的なフロイトの全集がやった出るといえる。第一回配本は昨年末に出ているが、訳注の分量が多い。全巻で訳語を統一するというのも、今回の売りである。ベストの訳語になるという保証はないが、統一すること自体は結構なことだろう。
河出書房は今年が創立120周年にあたるそうで、伝統の翻訳文学に気合いがはいっている。秋から刊行される池澤夏樹氏個人編集による世界文学全集がまず楽しみである。ロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』が改訳・再刊される上に、未訳だった『アヴィニョン五重奏』が刊行される。『アヴィニョン』の方の訳者は宮脇孝雄君である。
最近、長らく塩漬けにされていた文学書が出るようになったが、団塊の世代の一斉退職と関係がなくはないらしい。暇になって若い頃に親しんだ文学書をもう一度手にとってくれるのではないかという期待があるらしいのだ。退職後に大学に再入学しようという人も出てきているようだ。
何であれ市場に本が出まわることが重要である。若い人も関心をもつようになるかもしれない。
昨日はテレビ東京恒例の正月10時間時代劇「瑤泉院の陰謀」をずるずると見てしまった。稲森いずみ演じる瑤泉院とは、忠臣蔵の浅野内匠頭(高嶋政伸)の未亡人で、討ち入りの仕掛人は彼女だったという新解釈だ。今さら忠臣蔵なんてと思ったが、なかなかおもしろかった。
湯川裕光という人の原作だそうで、浅野内匠頭は被害妄想の理想主義者、吉良上野介(江守徹)は親切な好々爺という設定だが、この方が無理がない。瑤泉院が夫の無念を晴らそうと吉良にいじめられたというデマを流すと、生類憐れみの令で鬱憤のたまった江戸市中に吉良憎しの声が高まっていく。悪政のスケープゴートにされた吉良さんが可哀想である。
瑤泉院は裏工作のために頻繁に外出するが、その時に着ていく被布の房飾りがなんとも愛らしい。
夕方外出したので、切腹と赤穂城明け渡しの場面は見なかったが、帰ると、瑤泉院が大石内蔵助に会うために京都へ旅立つところだった。しかも、彼女には遊女の妹がいて、その妹が留守中の身代わりになる。相当なトンデモだが(討ち入り直前にはもっとすごいエピソードもある)。愁いをおびた未亡人と妖艶な遊女という稲森いずみの二面が見られたのでよしとしよう。
後半はだれ気味だった。6時間にまとめていたら傑作になったかもしれない。しかし、津川雅彦と高橋英樹がコミカルな綱吉と柳沢吉保を演じたし、大石以下四十七士が瑤泉院ファンだったとか小技がきいている。おなじみの手垢のついた場面をばっさりカットしたのも小気味いい。マンネリの極致の忠臣蔵でも、新機軸はまだまだ可能なのである。
新年早々、北朝鮮が核実験準備を完了したというアメリカABC TV発のニュースが世界中をかけめぐった(asahi.com)。アメリカ、日本、韓国の当局者は切迫しているわけではないと否定したが、前回の実験が失敗に終わったことからいって、再実験は時間の問題だろう。もっとも、再実験に成功したところで、ミサイルに搭載可能な弾頭が完成するわけではない。ミサイル核弾頭が完成するまで金正日政権が持つだろうか。
1990年代後半、北朝鮮専門家は明日にも崩壊するような予測をしてはずした。慎重になるのはわかるが、崩壊の徴候が出てきている点は見逃すべきではない。
昨年、北朝鮮はBDAで凍結された金正日のお手元金に相当する額の金塊をタイで売ったが、12月29日の時事電によるとロンドンでも金塊売却の準備をしている。北朝鮮は産金国であるが、虎の子の金塊に手をつけるとはよほどのことである。
当のBDAとマカオ政庁は「米政府がマネーロンダリング(資金洗浄)主要懸念対象指定を取り消しても、北朝鮮に資金を返還する意思がない
」とアメリカ財務省に正式に伝えている(朝鮮日報)。北朝鮮は凍結解除の訴訟をおこす動きを見せているが、判決には1年以上かかるようだ。BDAとマカオ政庁の決定の背後には中国の意向があると見ていい。中国は北朝鮮国家存続のための援助はつづけても、金正日個人の事情は放置するつもりなのだろう。
不調に終わった6者協議後、北朝鮮の日本非難のトーンが一段とあがっている。「倭」、「島国」という「侮蔑語」を使って日本を挑発したつもりになっているのが笑えるが、朝鮮労働党の機関紙、労働新聞は金正日の「日本の反動らが現在、反共和国(北朝鮮)策動とともに反総連(在日本朝鮮人総連合会)策動をますます露骨化させている
」という発言を引用した。asahi.comによれば「北朝鮮メディアが日本を非難する金総書記の発言を伝えるのは異例
」のよし。
弱い犬ほどよく吠えるということだろうが、実はもっと重要な事態が起きているらしい。
12月28日、日本TVは「スクープ!緊急生SP「お前は誰だ」金正日が怖れる男…リジュン」という特番を放映した。年末のため見た人がすくなかったのか、ほとんど話題になっていないが、驚くべき内容だった。
リ・ジュン氏とはアジアプレスの石丸次郎氏の支援で北朝鮮の潜入取材をつづけている元脱北者で、闇市場や公開処刑、コッチェビなど、TVで流れる北朝鮮の隠し撮り映像のほとんどは彼によるものである。
番組の前半では脱北したリ・ジュン氏が石丸氏と出会い、取材のために北朝鮮へもどる決意をした経緯を再現ドラマで描いていたが、後半で映しだされた最新の北朝鮮映像に瞠目した。警察の抑えがきかなくなっているのである。
まず、清津駅の風景。貨物列車からトラックに肥料の袋を積みかえているが、その周囲に鋭い目をした民衆が集まっている。警察が追い散らそうとするが、まったく無視。トラックが出ていった途端、地面にこぼれた肥料を拾おうと一斉に突進。仲買人の女が金と引換に肥料を集めていく。
次に清津の河原の風景。中国からはいってくる闇物資の流通基地になっている清津には成金が多いそうで、河原では成金のグループがそこここでバーベキューを囲んで馬鹿騒ぎしている。ひもじそうな軍人たちがちらちら見るのが哀れだ。糾察隊が巡回して注意するが、成金たちは適当に受け流すだけ。すぐ横では別のグループが馬鹿騒ぎをつづけている。
最後に平壌近くの幹線道路。窓ガラスの割れたトラックの横で、運転手が警官の一団に食ってかかっている。酔った警官らがトラックを止めて乗りこもうとしたが、拒絶されたので石で窓ガラスを割った。商売道具を傷つけられた運転手が怒って食ってかかったが、人だかりができていて、警官たちは何もできない。
スタジオには日本に定住している脱北者が十人ほど来ていたが、皆、唖然としていた。
北朝鮮では肥料は貴重品なので、こぼれた肥料を拾うことは昔からあったが、彼らが北朝鮮にいた頃は警察の目を盗んでこそこそやっていたそうである。河原のバーベキューも昔からあったが、あんなに多くの人間がおおっぴらにやるようなことはなかったし、糾察隊は絶対だった。警官が自動車を止め私用に使うのは日常茶飯事で、それを断るだけでも大変なことなのに、警官に食ってかかるなど考えられなかったという。
警察がここまでなめられるようになった最大の理由は配給制度の廃止にあるらしい。北朝鮮政府は国民を食べさせていくことを公式に放棄し、国民は自分の力で食べていかなければならなくなった。警察に刃向かっているのは困窮している最下層の民衆ではなく、闇商人など余裕のある階層のようである。おそらく、彼らは日常的に韓流ドラマのビデオを楽しみ、携帯電話を通じて外国情報に接しているはずだ。配給制度の廃止は警察の統制のきかない階層を生みだしてしまったのだ。
これまで、北朝鮮は儒教国家だから崩壊しないという説が有力だった。1990年代後半の未曾有の飢饉でも金正日体制がもちこたえた事実を説明できるのは儒教国家説くらいしかなかったのも事実だ。しかし、リ・ジュン氏の最新映像を見ると、金正日体制を支えてきたのは儒教ではなく、配給制度だったのではないか。
番組では警察を恐れぬ闇商人の台頭を資本主義の萌芽と評価していたが、このまま経済開放に進み、金正日体制は軟着陸できるだろうか。
生産手段を私有できなければ、闇商人はどこまでいっても闇商人でしかなく、資本家に転化することはない。2006Jul31に書いたように、「放権譲利」を前提とする中国流の改革解放は「首領経済」の解体を意味している。「首領経済」が揺らげば、金正日体制は維持できない。27億円の預金凍結で北朝鮮があわてふためいているのは「首領経済」を直撃したからだ。
それに金正日は人を殺しすぎた。中国の場合、四人組をスケープゴートにすることで中国共産党の悪行が棚上げにされたが、北朝鮮では金正日しかいない。金正日体制の軟着陸はありえないのだ。
エルロイの傑作をデ・パルマが映画化するというので期待したが、並の出来だった。エルロイの原作が難物なのは確かだが、もっと複雑で多層的な『L.A.コンフィデンシャル』がみごとに映画になっていることからすると、本作は見劣りがする。
ロサンジェルス市警のミスター・アイスことブライカート刑事(ジョシュ・ハートネット)とミスター・ファイアーことブランチャード刑事(アーロン・エッカート)のコンビと、ブランチャード刑事の同棲相手のケイ・レイク(スカーレット・ヨハンソン)の三人を軸にしているが、ケイが弱い。守ってやりたくなる女ということで彼女をキャスティングしたのだろうが、ケイは闇の世界をくぐってきた娼婦あがりの女なのである。スカーレット・ヨハンソンはミスキャストだ。マデリン・リンスコット役のヒラリー・スワンクも違う。生活力旺盛すぎて、頽廃美が出ていない。
便乗出版で『ブラック・ダリアの真実』というドキュメンタリーが翻訳されたが、評判がすこぶるよいので読んでみようと思う。
リドリー・スコット総指揮というので期待したが、単なる歴史アクションだった。こんなのトリスタンとイゾルデではない。
知財本部と経産省が進めている著作権改正で気になる記事が二つ出ている。
まず、検索エンジン関連から。asahi.comの「ネット検索業者育成 著作権の許諾不要に」で、検索サービスのサーバーにネット上の著作物の複製を保存できるように例外項目に追加しようというもので、MSNが昨年12月9日に報じた「検索サーバー:国内に設置 実現へ著作権法改正方針」の続報といえる。
検索エンジンはロボットで収集したネット上の著作物をインデックスづけした上でサーバーに蓄積しておき、利用者が検索する場合はサーバー内に蓄積したデータに対して検索をかけるが、現状ではこの蓄積が「複製」、インデックスづけが「編集」と見なされ、著作権法違反になるそうなのである。
「千里眼」や昔の「goo」など、実験時代の検索サービスはアバウトにやっていたようであるが、現在のGoogleやYahooの日本法人は著作権をクリアにするために、日本のデータはアメリカのサーバーに蓄積しているという(現在の「goo」はGoogleのデータを利用している)。
Googleいうところの「キャッシュ」も考慮した改正になるようである。asahi.comから引く。
著作権への影響について経産省は、検索結果のネット上での表示は著作物の無断利用などと異なり、著作権者の権利の切り下げにはならないとみている。「米国発」の検索サービスを日本国内の利用者が日常的に使っており、日本の著作権法の規定がすでに形骸(けいがい)化しているという事情もある。
日の丸検索エンジン(笑)はともかくとして、このままでは日本独自の検索サービスが育たないから、この改正は妥当だと思う。
さて、想定外の方である。NIKKEI NETの「絶版書籍、ネット閲覧可能に・政府が著作権法改正へ」という記事で、こちらは前の記事とは別の話で、紙の出版物が対象である。NIKKEI NETから引く。
政府は絶版になった出版物をインターネットで閲覧できるようにするため著作権法を改正する方針を固めた。国立国会図書館などの公的機関が専門書を非営利目的で公開する事例などを想定している。著作権者に一定の補償金を支払えば許諾がなくても文書をネットに保存・公開できる仕組みを検討する。入手困難な出版物を利用しやすくし、研究活動の促進などにつなげる狙いだ。
Google Printのようなサービスを日本でも可能にしようという趣旨の改正だろう。
国会図書館はGoogle Print以前から著作権切れ書籍のオンライン公開を準備していたが、著作権切れの確認がネックになっていた(「電子図書館の胎動」参照)。現在、国会図書館では著作権の切れた明治期の本を「近代デジタルライブラリ」として公開しているが、著者がどうしても確認できなかったり、没年が不明な場合は著作権法第67条にしたがって処理しているという。第67条を引く。
公表された著作物又は相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、著作権者の不明その他の理由により相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないときは、文化庁長官の裁定を受け、かつ、通常の使用料の額に相当するものとして文化庁長官が定める額の補償金を著作権者のために供託して、その裁定に係る利用方法により利用することができる。
「相当期間にわたり公衆に提供され
」とか「著作権者の不明その他の理由により相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないとき
」とあるように、この条文は著作権が切れたと推定される半世紀以上前に出版された本を想定している。
これに対して、NIKKEI NETの伝える改正方針では「絶版になった出版物」、すなわち著作権保護期間内の本をも対象としている。著者が生存し現役で活動している場合でも、「絶版」と認定されれば、「著作権者に一定の補償金を支払えば許諾がなくても文書をネットに保存・公開できる」ようにするというのだろうか。そうだとしたら、著者以上に出版社が黙ってはいまい。「絶版」と「品切」の線引きだけでも侃々諤々の議論になるだろう。
すべての著作物を対象に、こういう議論をするのは時期尚早だと思う。提案なのだが、雑誌、それも学術雑誌のバックナンバーに限定してはどうか。学術雑誌は一般図書館にはなく、大学の図書館や国会図書館、各分野の専門図書館にいかなければならない。国会図書館の雑誌部門は時々利用するが、閲覧に来ている人は技術者風のが多く、論文一本調べるのに半日仕事になっている現状は無駄というほかはない。学術雑誌の公開なら、理解されやすいと思うのだ。
関連して、ITmediaが転載している産經新聞の「国会図書館、Webアーカイブに本腰」にも注目しておきたい(Sankei Webには今のところ未掲載)。これまでにもお伝えしてきたが、国会図書館のWebアーカイビングは腰くだけになり、官公庁のサイト限定でお茶を濁してきた。しかし、ここに来てもう一度本格的にとりくもうとしているという。なぜか?
国会図書館で調査したところ、これまで定期的に納本されてきた雑誌のうち、すでに約300タイトルが紙媒体からネット上に移行。ネット上での刊行が続いているにもかかわらず、その時点で納本はなくなり、館の所蔵が途切れてしまっているという。
また、学術論文でも参照した文献としてネット上のアドレス(URL)が付記されているものが急増。国会図書館では「HPを保存しておかないと、論文が何を論拠として書かれたものか分からなくなってしまう」と危機感を募らせた。
ここでも著作権法が壁になっている。archive.orgなどと違い、担当職員がサイト管理者に1件1件収集許諾依頼文書を送付し、許諾の回答があったものだけを収集しているそうである。
しかし、その間にもネット上の著作物はどんどん失われている。早急にWeb納本制度を議論すべきだ。
小川洋子の中編をフランスの女流監督が映画化した作品。主演のオルガ・キュリレンコはウクライナ出身のスーパーモデルで映画初出演だそうだが、圧倒的な存在感で目を引きつける。まったくノーチェックだったが、ただただ美しい。これは傑作中の傑作である。「ふたりのベロニカ」に感動した人なら、この映画にも惚れこむはずだ。
原作は標本工房につとめる娘がさまざまな顧客と出会い、不思議な体験をする話だが、映画ではヒロインを森の中の静謐な工房とは対照的な、ガントリークレーンの立ちならぶ港町のホテルに住まわせ、毎朝、渡し船で通勤させている。ホテルの部屋はドックで夜間勤務をする工員と朝晩交互に使っている。ガラスのように繊細で密室的な工房の中の世界と、喧噪の渦まくガテン系の世界の対比が上手くいっていて、原作を越えていると敢えて言おう。
ヒロインをガテン系の世界につなげた結果、彼女は官能的な肉体をもつことになった。小川洋子ファンは反発するかもしれないが、オルガ・キュリレンコの美しさは尋常ではない。彼女の顔はいつまで見ていても見飽きない。最初は官能美に惹かれていても、見つめているうちに精神性にふれているのだとわかる。
「ふたりのベロニカ」とのもう一つの共通点は音楽がすばらしいことだ。公式サイトで一端を聞くことができるが、蠱惑的な調べが耳について離れない。こういう映画こそサントラを出してほしい。
「彼女を見ればわかること」のロドリゴ・ガルシアが女優のオムニバス映画にもう一度挑戦した。今回は前回ほどの大物はならんでいないが、最後はグレン・クロースで締めている。
前作は社会的に成功した女たちの話だったが、今作に登場するのは平凡な女ばかりである。みんな精神的に追いつめられていて、突発的な行動に出てしまう者もいる。切れるというやつだ。
ドラマチックではあるが、8本もつづくとうんざりしてくる。最後は救いのあるエピソードで終わるが、前作にはとてもおよばない。
9日に意味不明の北朝鮮入りをした山﨑拓氏が昨日帰国した。今日の報道番組は競って山﨑氏を生出演させていたが、「対話の必要」を抽象的に強調するだけで、会談相手も宋日昊氏以外の名前を明かさず、さっぱり要領をえない。核問題を協議しにいくというのが表向きの理由だが、「前副総裁」という有名無実の肩書きしかない山﨑氏にそんな権限はないし、北朝鮮は核問題はアメリカとしか話さないという原則を崩していない。核問題はただのめくらましである。ゼネコンにせっつかれて、復興利権の唾をつけにいったと見た方がいいだろう。
山﨑訪朝でかすんだ形だが、今日は北朝鮮に関する注目すべき番組が二つ放映されている。一つは「サンデープロジェクト」の「緊急追跡 北朝鮮秘密録音テープ」、もう一つは「報道特集」の「北朝鮮に大逆流! 覚醒剤に大揺れの独裁体制」である。
まず、「サンデープロジェクト」である。Jan05で日本テレビの年末特番「スクープ!緊急生SP「お前は誰だ」金正日が怖れる男…リジュン」を紹介したが、この番組もリジュン氏の潜入取材で、経済制裁が北朝鮮の独裁体制の根幹を揺るがしている現状を映しだしていた。
核実験後、多くの国が食糧援助を中止し、中国も1/3にしたが、その直撃を受けたのは軍だった。軍は援助物資をすべて自分のものにしていたからだ。軍の各レベルの幹部は食料を横領し、市場場に流していたが、食糧援助がはいってこないので現金収入まで途絶えてしまった。食料の闇価格が高騰したことはいうまでもない。それに追い打ちをかけたのが日本と中国の経済制裁である。海産物の輸出は軍の重要な外貨獲得手段だったが、日本だけでなく中国も海産物を買わなくなったので、軍の財政は逼迫している。宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使は山﨑氏に松茸料理をふるまい、「日本人はおいしいハマグリやマツタケが食べられなくなってかわいそうだ
」と、北朝鮮からの全品目輸入禁止措置を解除するように暗に求めたというが(sanspo.com)、軍から突き上げられているのだろう。
石丸次郎氏が指摘していたが、300万人の餓死者を出した1990年代後半の飢饉の時代でも外貨はあったので、飢えたのは一般国民だけで、支配層は贅沢がつづけられた。今回は外貨がないので、支配層が打撃を受けている。
北朝鮮のTV局は核実験「成功」を祝って盛大に集会を開いている映像を流しているが、地方幹部や軍人は関心のない者が多く、批判を口にする者までいた。地下核実験をミサイルを地下に向けて発射することと誤解している地方幹部がいたのは笑ったが、もらえるはずの援助をもらえなくなるようなことをするべきではなかったと発言する幹部がいたし、別の幹部は「強盛大国」とは核保有国になることだとは知らされていなかった、「強盛大国」というスローガンに騙されたと語っていた。公務出張なのか、中国に来ていた軍服姿の人民軍将校は士気について聞かれ、自分たちが生きていくのに精一杯なのに、士気も忠誠心もあるものかと言った。
幹部や軍人がこの状態なのだから、国民の方も勝手をはじめている。市場で薬を一錠単位でこそこそ売っている女がいたが、彼女はなんと女医で、勤務先の病院からくすねてきた薬を売って食いつないでいるのだという。自宅で靴を作っている靴職人も映しだされた。工場から盗んできた材料で作り、市場で売るのだそうである。
配給制度が廃止され、自分で食い扶持を稼ぐしかなくなった以上、電力不足で休業状態の職場に出ずに自分の商売に精を出す国民が増えるのは当然だが、あまりにも職場放棄が増えたので、出勤状況を毎日警察に報告させる制度や「生活総話」という反省会を復活させ、風紀を取り締まる糾察隊を町に巡回させている。糾察隊は当番制でかりだされるので、本音では嫌々やっているそうだ。
北朝鮮当局は核実験以後、「飢えて死ぬ覚悟」「凍えて死ぬ覚悟」「撃たれて死ぬ覚悟」という「三大覚悟」キャンペーンをはじめたが、配給制度という縛りがなくなったのに、かつてのような効果を上げるとは考えにくい。富裕層と見られる人物が配給制度について聞かれると、配給なんていらないから、自由に商売ができるようにしてほしいと言っていた。鉄の独裁体制はもはやボロボロである。
番組の終了直前、石丸氏からの最新情報として、平壌と中朝国境地帯で猩紅熱、腸チフス、発疹チフス、パラチフスの流行がはじまったと伝えた。猩紅熱は昨年秋から流行の話があったが、案の定、防疫に失敗したわけだ。栄養状態が悪く、医療体制が崩壊しているのだから、防疫どころではあるまい。
食糧事情がもっとも逼迫し、人の移動が活発化する5月には気温が上がっているから、チフスが大流行するかもしれない。チフスは潜伏期間が長いうえに、北朝鮮は上下水道が完備しておらず、シラミもはびこっているようだから、本格的に流行したら止めようがない。一番危険なのは集団生活をしている軍で、兵舎から逃亡した兵士がさらに感染を拡げることになる。
韓国は38度線があるので大丈夫だが、中国側には感染が拡がる危険がある。中国側は早い段階で貿易を全面的に停止し、国境に軍を展開するだろう。その時点で金正日体制は終わる。
「報道特集」の方も深刻な事態を伝えていた。麻薬の蔓延である。
北朝鮮は覚醒剤、阿片、ヘロイン、MDMAなど、さまざまな麻薬を国家ぐるみで製造し重要な外貨獲得手段としてきたが、金融制裁や日米の取り締まり強化で海外の販路を失ったために、国内に逆流しているというのだ。特に「オルム」(氷)と隠語で呼ばれる覚醒剤の蔓延がひどいらしい。
密輸できないのなら製造をやめればよさそうなものだが、北朝鮮は麻薬の製造を依然としてつづけている。理由は二つある。
第一の理由は麻薬輸出を民営化して外貨稼ぎをつづけること。これまでは麻薬は工作員や外交官が独占的に国外に持ちだしていたので、国家ぐるみの犯罪と国際的非難をあびる結果になった。そこで麻薬を民間に流し、中朝国境に張りめぐらされた密貿易ルートに乗せて、間接的に外貨をえようというわけだ。
第二の理由は国内の外貨を吸いあげること。北朝鮮では闇商売で儲けた富裕層が誕生しているが、麻薬を民間に流せば、国外に出ていく前にまず富裕層が消費し、彼らが貯めこんだ外貨を吸いあげることができる。あきれたことに北朝鮮政府は麻薬関係の罰則を大幅に緩和し、麻薬が蔓延しやすい状況をわざわざ作ったのだそうである。罰則が軽くなった結果、罪の意識が薄れ、富裕層や幹部の間にすごい勢いで広がっているという。ほとんど強壮剤の感覚で覚醒剤を使いだし、客を自宅に招いていっしょに覚醒剤を楽しむ「オルム接待」まで流行しているというから末期的だ。半年か一年もすれば、幻覚で事件を起こす重篤な中毒患者が出はじめるだろう。
今、金正日体制が倒れても、麻薬の蔓延という大変な禍根が残ると田丸美寿々がコメントしていたが、体制が延命すればするほど中毒患者が増えていくのは間違いない。日本テレビの「バンキシャ」では咸鏡北道の人口の5%は覚醒剤中毒だといっていた。5%とはにわかに信じにくい数字だが、金正日体制がつづけば5%を越える日は遠くはあるまい。
北朝鮮の麻薬輸出民営化で、中国も被害をこうむっている。中朝国境を越えた麻薬は中国国内に一度プールされるため、麻薬に手を出す中国人が急増しているらしい。いくら国境警備を厳重にしても、地続きなので限界がある。麻薬の供給源を潰さなければ防ぎようがない。阿片戦争を経験している中国である。麻薬工場閉鎖をめぐって中朝の衝突が起こってもおかしくない。
ITmediaに「「世界最小国家」買収にBitTorrentサイトが名乗り」という記事が出ている。P2Pソフトの一つであるBitTorrentのトラッカー(ダウンロードしたいファイルの識別符号)を提供する Pirate Bayという会社が、著作権を逃れるために、英国沖に存在する自称独立国のシーランド公国の買収を計画しているという。Pirate Bay社は著作権違反の警告を「法律的脅迫」と称してネットで公開しているくらいだから、危ない会社かもしれない。
Pirate Bayという会社も興味深いが、シーランド公国はもっと興味深い。公式サイトに掲載されている沿革によると、第二次大戦中、ドイツ空軍の編隊とV1、V2ミサイルを迎撃するために、英国東海岸の沖合いに数百の人工島が作られた。人口島といっても、BBCの記事の写真からわかるように、コンクリートの二本の柱の上にデッキが載っているだけで、海底油田の櫓よりも小さい。
大戦終了後、英軍が引きあげ、人工島はすべて無人になったが、1967年9月2日、元英国陸軍少佐のロイ・ベイツ氏が家族を連れて人工島の一つに上陸し、万民法にもとづき独立を宣言したそうなのである。ロイ・ベイツは自らをロイ一世に叙爵し、以後、ロイ・オブ・シーランド一世となった。
当時、領海は3海里とされていたが、シーランド公国は英国の海岸から7海里離れていたので、独立してかまわないというのがロイ一世の言い分だったが、英国がそんな理屈を認めるはずはなく、翌年、英国の国籍をもっていたロイ一世はエセックス州の州都チェルムスフォードの裁判所に召喚されたが、裁判所が英国領海外のシーランド公国には管轄権はおよばないと宣言したために、公国の独立は事実上認められることになった。1975年には憲法を発布し、国旗や貨幣を作り、パスポートや爵位を販売している。
1978年にはドイツ人実業家に雇われたオランダ人グループが上陸し、王子を人質にとって島の乗っ取りをはかったが、ロイ一世は英国から手下を連れてもどり、みごと島をとりかえした。
上記はシーランド公国側の見解だが、東ブログブルク公国によると、ドイツ人実業家はロイ一世に宰相に任命されていたそうである。
1987年には公国に最大の危機が訪れる。英国が領海を3海里から12海里に拡大したのである。ロイ一世は英国の先手を打って公国の領海をやはり12海里に拡げると宣言したので、シーランド公国は英国領海に取りこまれずにすんだ。その後、偽造パスポートがでまわるなどの苦難に見舞われたが、ロイ一世の賢明な統治によって乗り切ってきた。1999年にはロイ一世が高齢になったために、世継ぎのマイケル公が摂政に任じられている。
インターネット時代がはじまると、シーランド王室はHavenCoというデータ保管サービス会社に独占営業権をあたえた。HavenCoは他国の法律がおよばず、シーランド王室と同社の社員以外立ちいれない公国の領土にサーバーを設置していることを最大のセールスポイントにしている。先のBBCの記事だけでなく、ニューヨーク・タイムスやWiredに「データの聖域」としてとりあげているから、英米ではかなり有名らしい。
この由緒ある公国が6500万ポンド(15億万円)で売りにだされているというのである。うっかりしていたが、売却話は1月9日にFujiSankei Business Iや産経新聞が報じていた。昨年の火災で国土全体が壊滅的な被害を受けたことが理由らしい。Pirate Bay社は買収資金の寄付を募っており、寄付した人にはシーランドの市民権をあたえるそうだ。続報が気になるところである。
田舎出の若者たちの群像劇だが、おもしろかった。舞台となった「世界公園」は縮小したエッフェル塔やピサの斜塔、ピラミッド、ロンドン橋等々がならぶ北京郊外のテーマパークで、「北京を出ずに世界を回ろう」をキャッチフレーズにしている。ヒロインの
賈樟柯監督の作品ははじめてみたが、これまで故郷の山西省の田舎町で鬱々とする若者を描いてきたそうである。「世界」では故郷を脱出し、都会に出てきた若者群像を描いているが、作り物の「世界」の中に閉じこめられていて、依然として世界に飛びだすことはできない。
監督の意図としては若者の閉塞感を描こうとしたのだろうが、わたしは違った印象を受けた。
「世界公園」はこぎれいで、ショーはきらびやかだが、舞台裏は生活感あふれる昔ながらの中国で、魔法瓶一つとっても博物館ものだ。舞台の表と裏で差があるのは当たり前にしても、落差が激しいのである。タイシェンの弟分が工事現場の事故で死に、両親が太原から出てくるが、父親は人民服を着ていて文革時代そのままだ。この映画を見ると中国の繁栄は大都市の上っ面だけで、実は上げ底だということがよくわかる。その上げ底の下の空間で精一杯生きているのがタオやタイシェンをはじめとする地方出身の若者たちだ。
地方出身者は同郷のネットワークでつながっていて、他所者とは上っ面の付き合いだけで心を開かない。タオが同郷以外で心を開くのは言葉の通じないロシア人ダンサーのアンナだけだ。彼らにとって北京の表通りは「世界公園」のミニチュア同様、作り物にすぎず、リアルなのは故郷だけなのかもしれない。
説明を節した抑制したタッチで、誰かに似ているなと思ったが、ラストでわかった。北野武に似ているのだ。オフィス北野が出資しているが、たけしは賈樟柯監督を弟分と思っているのだろうか。
山西省大同で鬱々と日々を送る若者たちを描く。ストーリーはデュモンの「ジーザスの日々」に似ている。故郷を舞台に素人をキャスティングするという作り方はデュモンそのものだが、テイストとしては淡々としていて北野武の「キッズ・リターン」に通じるものがある。
主人公はシャオジイ(ウー・チョン)とビンビン(チャオ・ウェイウェイ)の二人で、ともに19歳無職。大同は京劇を見せながら食事をさせるような店が残っている田舎町で、二人は都会に憧れているが、故郷を飛びだす勇気がなく、バイクに乗ったり撞球場でたむろしたりして無為な日々を送っている。シャオジイは「モンゴル王酒」でダンサーを募集しているといわれ、会場に出向くが、オーディションではなくキャンペーン会場だった。プロのダンサーのチャオチャオ(趙濤)の踊る姿にシャオジイは一目惚れしてしまう。チャオチャオの踊りのバックに流れる「任逍遥」は台湾の気歌手リッチー・レンのヒット曲で、原題になっている。手の届かない外部の象徴か。
シャオジイはチャオチャオにつきまとうが、奔放な彼女に適当にあしらわれ、あげくに彼女を囲っているヤクザのチャオサン(リー・チュウピン)の取りまきに痛い目に遭わされる。シャオジイは国営の紡績工場に勤める母親の脛を齧っていて、自信の無さが全身から滲みでている。このキャラクターはかなり痛い。
ビンビンにはユェンユェン(チョウ・チンフォン)という、高校生の恋人がいて、ビデオルームでアニメを見るような不器用なデートを繰りかえしているが、ユェンユェンが北京の大学を受験するから、もう誘わないでくれと引導をわたされる。茫然とするビンビン。彼は自分も北京に出ようと兵役に志願することを考えるが、そんな意気地はなく挫折する。
八方ふさがりの中、シャオジイの母親が国営の紡績工場を馘になる。シャオジイは母親のわずかばかりの退職金を元手にCDVを売る商売をはじめるが、うまくいかない。ビンビンはシャオジイに銀行強盗をやらないかと持ちかける。シャオジイは腹に爆弾を巻いて銀行に行くが、警備員に軽くいなされ、公安に引きわたされる。外に待機していたビンビンはバイクで逃げだす。
ビデオで撮影した画像をフィルムに焼いたそうで、彩度の低いざらっぽい映像が乾いた詩情を生んでいる。切なく描こうとしたら、もっと切なく描けたろうが、賈樟柯は二人を突きはなしている。それがデュモンとも北野武とも違う彼のオリジナリティだろう。
毎日新聞と日本テレビが山﨑拓議員の訪朝を拉致被害者家族会副代表の蓮池透氏が評価し、家族会に「内部の路線対立
」が生まれたという報道をおこなった。事実だとしたら重大であるが、報道の仕方がちょっとおかしい。
透氏と山﨑氏の面会は17日に都内のホテルでおこなわれ、平沢勝栄議員が立ちあったが、毎日新聞は「複数の関係者
」からの情報と断った上で、次のように伝えている。
複数の関係者によると、透さんは「『圧力をかける一方で、対話の窓口を開けている』とする政府のやり方では解決できない。まだ目に見える成果はないが、ただ時間だけが過ぎる中で風穴を開けた。弟も喜んでいる」と訪朝を評価。さらに「会談結果を官邸に伝えるなど、政府と協調しながら一枚岩で解決してほしい」と要請した。
「複数の関係者」とあるところを見ると、毎日の記者は透氏に取材していないのだろう。取材したが、透氏から記事にしたような発言を引きだせなかったという可能性もあるが、通常は考えにくい。透氏の発言については腰の引けた伝え方をしているが、記事の冒頭では「安倍政権の対北朝鮮「圧力」強硬路線に、被害者家族から疑問符が付けられた
」と威勢がいい。
日本テレビはさらに露骨である。「電脳補完録」で夜のニュースを見ることができるが、北朝鮮に対する圧力一辺倒の安倍政権に対して、政権の「後ろ盾
」である家族会からも疑問の声が上がったと、北朝鮮に対する譲歩を求めている。
透氏は「弟も喜んでいる」と語ったことになっているが、当の薫氏は日本テレビと毎日の報道をただちに否定している(SponichiAnnex、電脳補完録)。
昨日の兄(透)と山﨑拓議員との会談では、兄は、「あくまでも拉致問題解決には、政府として一体となって対応してもらいたい。北朝鮮に利用されることのないようにしてもらいたい」ということを強調しました。
にもかかわらず、その趣旨が的確に伝えられていません。
一部では、山﨑拓議員の訪朝に対し、自分(薫)が喜んでいるとの報道もなされていますが、そのような事実は一切ありません。それは北に利用されるだけであると考えています。
日本テレビのニュースには透氏の発言の一部が流されたが、そこには弟がよろこんでいるという文言はなかった。もしにそう語っていたなら大ニュースである。カットするはずはないだろう。
実際、薫氏がよろこんでいるという話は毎日新聞と日本テレビが報じただけで、朝日新聞も読売新聞もそうは書いていない。朝日新聞は「拉致被害者や帰還事業で北朝鮮に渡った日本人妻を含む在朝日本人全員をいったん帰国させることを提案
」したが、一蹴されたと書いている。読売新聞の「「訪朝理解も二元外交に懸念」蓮池透氏、山﨑氏と会談」という記事になると、ニュアンスがかなり違う。
蓮池氏は「対話の努力の一環として今回の訪朝を理解し、評価する」と述べた。その上で、「(北朝鮮に圧力をかける)日本政府の方策と対立し、二元外交と言われることがないよう、政府との間でよく話し合ってほしい」と山崎氏に要請。山崎氏も「肝に銘じたい」と答えた。
これだとほとんど儀礼の範囲の「評価」であるが、実は透氏は「評価」という表現すら使っていなかった。家族会事務局長の増元照明氏は透氏に電話して確認した内容を19日の東京連絡会で報告しているが(「増元照明からのメッセージ」の1月18日の項。音声は「話の花束」で聞ける)、透氏は「山﨑議員の動きを全否定はしないが、政府として一致した動きをして欲しい」と語っただけだそうである。
透氏は2004年に山﨑・平沢両氏が宋日昊氏と大連でおこなった会談の経緯を両氏から直接聞きたいと、かねてから申し入れていたが、平沢氏から山﨑氏といっしょに会うと連絡があったのでホテルに行ったところ、日本テレビ政治部のクルーが待ち構えていた。しかも、拉致問題をずっと担当してきた社会部ではなく、政治部だったことに異和感を持ったという。増元氏が山﨑氏に政治的に利用されたのではないかと訊くと、透氏はその感が否めないと答え、迷惑をかけたと謝罪したということである。
一連の経過を見ていくと、山﨑氏側は透氏の発言を歪曲し、家族会が割れているかのような情報操作をおこなったと見て間違いあるまい。日本テレビ政治部は情報操作の共犯で、毎日新聞はそれに乗せられた格好だが、「複数の関係者」からの伝聞だという言い訳を挿入したことからすると、情報操作と知っていた可能性もある。
こうなると、山﨑訪朝には核問題の解決という目的(山﨑氏にはそんな権限はないのだが)とは別の国内向けの狙いがあったのではないかという疑問が出てくる。
この疑問に真っ正面から答えた番組がある。関西TVの「スーパー ニュース アンカー」の「ニュースDEズバリ」というコーナーで、17日に青山繁晴氏が語った「テロ国家と組む倒閣運動」である(テキストに起こしたものが「ぼやきくっくり」で読める)。
青山氏によれば山﨑訪朝は昨年7月、山﨑氏と平沢氏がアメリカにゆき、北朝鮮に近い新聞社の在米韓国人の社長と会ったところからはじまっている。青山氏は名前を出していないが、統一協会系のワシントン・タイムズ紙の朱東文社長であることは明白である。山﨑・平沢両氏は今回の訪朝にはアメリカの了解があるとしきりに宣伝していたが、その「アメリカ」とはアメリカ政府ではなく、ワシントン・タイムズの朱社長のことだった。
9月の安倍政権発足直前の時期だったが、朱社長は北朝鮮は安倍政権は相手にしないと言った。それに対して山﨑氏が安倍政権は長続きしない、安倍政権が倒れたら、自分たちが加藤紘一氏を首班とする「リベラル政権」を作るといったところ、朱社長が乗ってきて北朝鮮に仲介したということである。
北朝鮮側は山﨑氏が変態行為を暴露されて落選した経緯をよく知っているが、山﨑氏は小泉前首相に3回目の訪朝を働きかけることができる立場にいるので、北朝鮮は今回の訪朝を受けいれたらしい。
小泉氏は自分が調印した平壌宣言と、5名の拉致被害者とその家族の帰国が十分評価されていない現状に不満を持っている。そこで北朝鮮は新たに2名の拉致被害者を帰国させるかわりに、拉致問題はそれで打ち止めにして、一気に日朝国交樹立に持ちこもうともくろんでいるというわけだ。
もしそういう話が進んでいるなら、蓮池透氏が山﨑氏に面会にいった理由もわかる。
青山氏は帰国の可能性のある拉致被害者の名前をあきらかにした。田中実氏と松本京子氏である。政府が認定した拉致被害者17名のうち、12名が帰国できていないが、田中氏と松本氏だけは小泉氏の二度目の訪朝後に認定されている。小泉氏の二度の訪朝において、金正日総書記は他の10名の認定拉致被害者は死亡したか入国の形跡がないと明言している。もし10名の中から帰国させたら、金正日総書記の言葉はウソということになってしまう。田中・松本両氏の帰国が北朝鮮にできるぎりぎりの譲歩だというのだ。
しかし、小泉氏は2名の帰国では世論が納得しないと見て、今のところ消極的になっている。山﨑氏が帰国直後、盛んに言っていた3月再訪朝を引っこめたのは小泉氏が消極的なためだという。
青山氏は今後北朝鮮の意を受けた政治家やメディアが、田中さんと松本さんは帰れるのに、安倍首相が邪魔しているので帰れないというキャンペーンをしかけてくる可能性があるが、騙されては駄目だと締めくくった。
倒閣のための山﨑訪朝という見方は説得力があるが、重村智計氏はさらに突っこんだ見方をしている。こちらも関西ローカルの「Move」という番組だが、YouTubeで見ることができる
重村氏は山﨑氏が会った宋日昊氏は大物でもなんでもなく、工作機関の通訳をしていただけの人物と喝破する。「大使」という肩書きがついているが、外務省に人がいないので出向しているだけで、なんの権限もない。大物と会ったかのように臭わせているのもはったりだそうである。本当に会っていれば「会ったけれども言えない」というはずだが、「会ったかどうかは言えない」という言い方をしている。
また、拉致被害者の家族の帰国を実現させたのは大連で行なった山﨑・平沢両氏と宋日昊氏の会談だという山﨑氏の宣伝もウソだと斬ってすてる。大連会談は北朝鮮側から帰国した5人の拉致被害者をもどせと怒られに行っただけだそうである。
宋日昊氏が山﨑訪朝に動いたのは自らの保身のためだという。宋日昊氏は日朝関係が止まっているために、なにもやっていないじゃないか、小泉氏を二度も招いたのに、拉致被害者をとられただけでなんの見返りももらえなかったじゃないかと毎日怒られ、針の筵なのだそうである。そこで、なにもしていないわけではないという実績作りのために、山﨑氏の訪朝話に乗った。日本の外交官と接触するには成果をあげなければならないが、外交官ではない山﨑氏なら駄目でもともとですむというのだが、馬鹿馬鹿しすぎて笑うに笑えない。
ここで宮崎哲弥氏が質問する。12日夜にマスコミ各社から、山﨑氏の関係者が山﨑氏は有本恵子さんを連れて帰国すると言っているが、どう思うかと問い合わせが相次いだ、なぜそんなウソ情報が流れたのか。重村氏はマスコミに注目させるために山﨑氏周辺がさまざまなウソ情報を流したが、その一つだと笑っていた。
山﨑氏の関係者は山﨑訪朝はワシントン・タイムズの朱社長から金正日総書記からの招待状を受けとったからだという話を流しているが、重村氏はそんなことはありえないと言下に否定する。北朝鮮の方から招待するのなら、朝鮮総聯から招待状をわたすはずで、わざわざワシントンでわたす必要はない。実際は逆で、山﨑氏の側から朱社長に訪朝したいと働きかけたと見るべきだという。
山﨑訪朝の目的だが、重村氏は二つの説を紹介した。一つは安倍首相のスキャンダル情報をもらいにいったという説。安倍首相は以前、北朝鮮側に接触しようとして動いたことがあり、その時の記録をもらいにいったというわけだ。
もう一つは北朝鮮利権に唾をつけるためという説。北朝鮮に対する経済制裁で砂利や海産物の輸入などがすべて止まり、従来の利権構造がご破算になった。貿易が再開される時は新しいパイプが作られるので、そのための準備にいったというわけだ。貿易だけでなく、日朝国交樹立後の二兆円ともいわれる経済協力利権もあるわけで、山﨑氏の背後にはもっと大物の政治家がいるという噂もあるようだ。大連で北朝鮮入りの機会を狙っていたゼネコン訪朝団が世論の批判を恐れて引きかえしたなどということがあったから、十分ありうる話である。
青山氏の話も重村氏の話も関西の番組なのでネットがなかったら見ることができなかった。両氏とも東京の番組にも出演しているが、ここまでたちいった話はしていない。していないのではなく、できないのかもしれないが。最初に紹介した毎日新聞と日本テレビの捏造に近い報道からしても、左翼マスコミを巻きこんで蠢く巨大な利権集団の影を感じる。
トルコ人青年がクルドの友人と知りあい、クルド問題に目覚めていく物語。EUに加入しようという国が今時こんなあからさまな差別をやっていたとは思わなかった。
主人公のメフメットはトルコ西部のティレからイスタンブールに出てきた若者で、水道局で水漏れを探す仕事をしているが、肌の色が濃いのでクルド人に間違えられる。
メフメットはサッカーの試合で興奮した群衆にクルド人と間違えられて追われるが、本物のクルド人のベルザンに助けられる。二人は親友になるが、ベルザンは活動家で警察にマークされていた。
メフメットにはクリーニング店に勤めるアルズという恋人がいる(日本でも受けそうなかわいい女優だ)。デートの帰り、バスに乗っていると、隣席の男が突然バスを止めて降りてしまう。その直後検問があり、降りた男が残していった荷物から拳銃が出てきたことから、メフメットが疑われ、拘留されてしまう。水漏れ探しの金属パイプと、クルド人に似た容貌が災いしたのだ。
アルズが警察に日参したおかげでメフメットは釈放されるが、共同で借りている部屋の扉にクルド人であることを示す赤い×印を書かれたために部屋を追いだされ、水道局の仕事も失う。ベルザンの世話で駐車場の仕事につくが、またも扉に赤い×印を書かれて仕事を失う。彼はベルザンと粉塵の舞うゴミ捨て場の仕事をするようになるが、抗議デモにいったベルザンが警官隊に殺されてしまう。
身寄りのないベルザンは無縁墓地に葬られることになるが、故郷のゾルドゥチ村と恋人の話を聞かされていたメフメットは遺体をゾルドゥチに葬る決意をする。家族でなければ遺体を引きとれない決まりだが、アルズが頼みこみ、なんとか遺体を引きとる。メフメットは世話になった駐車場から車を盗み、棺桶を載せてゾルドゥチに出発する。髪をゴミ捨て場で拾ったスプレーで金色に染めるのはクルド人に間違えられないようにするためだろう。
後半はロードムービーになるが、クルド人地区が近くなってくると、子供が反政府系新聞を運んでいたり、町の広場に戦車部隊がはいってきて威圧したりと、きな臭くなってくる。途中、車が故障し、メフメットは列車でドルドゥチ村を目指す。やっとゾルドゥチ村に着くが、しかしそこはダムで水没した廃墟だった。
メフメットをクルド人ではなく、クルド人に間違えられるトルコ人にしたのは、トルコの観客に受けいれやすいように配慮したのだろうか。メフメット役のバズは実際はクルド人で、日本人からみてもトルコ人とは違う。
アルズがメフメットのために献身するが、彼女はドイツ生まれという設定である。ドイツで育ったので、クルド人に対する偏見がないということなのかもしれない。アルズ役のミズギン・カパザンは日本でも受けそうな可愛らしい女優で、彼女が頼みこむと無理が通ってしまう。彼女がクルド人だったら、ああはいかなかったろう。
トルコではクルド問題がやばいということがよくわかった。
母を失い、孤児になったヘジャル(ディラン・エルチェティン)を同じ村出身のエブドゥ老人(ハック・シェン)が遠縁の弁護士の高級アパートメントに連れてくるところからはじまる。その夜、武装警官隊が弁護士宅を襲い、一家は皆殺しにされる。弁護士はクルド独立運動に係わり、警察にマークされていたのだ。ヘジャルは奇跡的に生き残り、隣家の元判事のルファト(シュクラン・ギュンギョル)宅に匿われる。
「レオン」のようなはじまりだが、アクション場面は最初だけで、後は孤独な老人に、トルコが話せない少女がどう心を開くかという話になる。通いの家政婦が隠れクルド人で、ヘジャルの言葉がわかるというのがポイントである。クルド人であることを隠して働いているケースはかなりあるのだろう。
トルコではクルド語が禁止されているので、ルファトはヘジャルにトルコ語を教えようとするが、まったく憶えようとせず、逆にクルド語に固執する。ルファトは「頑固なクルド人め」とあきれる。
ヘジャルのポケットからエブドゥ老人の連絡先が出てくるが、いくら電話をかけてもつながらない(料金未払で止められていたことが後でわかる)。ルファトはヘジャルを福祉局にわたすことにするが、直前で考えを変え、ヘジャルを連れてエブドゥ老人の住所を訪ねる。クルド人の集まるスラムだったので、ヘジャルを途中で預け、様子を見るために一人でエブドゥ宅にゆくが、狭い家に年端のいかない孫が10人以上いて、ヘジャルを預かっているとは言いだせなくなる。
母が死んだことを知らずに泣きつづけるヘジェルをなだめるために、ルファトはクルド語を憶えようとする。クルド語で話しかけると、ヘジャルははじめて心を開き、トルコ語も憶えようとするようになる。
ルファトはヘジャルを引きとる決心をするが、そこに弁護士一家の死を知ったエブドゥ老人があらわれる。ヘジャルはエブドゥ老人に引きとられ、ルファト宅を去っていく。
クルド語が隠しテーマになっていて、この映画のヒット後、トルコではクルド語が解禁されたそうだ。
いい映画だが、唯一の難点はヘジャルが日本人的感覚からすると可愛くないこと。クルド人は非常に濃い顔をしているが、ヘジャルも特濃ソースなみに濃い顔で、クルド人を差別するつもりはないが、可愛いとはとても思えない。
「素敵な宇宙船地球号」が好適環境水をとりあげていた。
好適環境水とは岡山理科大専門学校の山本俊政アクアリウム学科長 が開発した人工海水だが、従来の人工海水が天然の海水の成分をそのまま再現しているのに対して、好適環境水はナトリウムとカリウムを主成分に、数種類の微量成分(番組では伏せられていた)だけから作られている。魚が誕生した頃の太古の海水は血液と同じくらいの塩分濃度しかなく、成分が単純だったらしいが、好適環境水は太古の海水を参考に電解質を減らしているのだ。従来の人工海水は50種類以上の成分を含んでおり、3トンあたり6万円もかかるが、好適環境水はわずか1000円だという。
電解質を減らしたことはコストを下げただけでなく、魚の発育にも好影響をもたらした。海水魚も淡水魚も浸透圧調整のために全消費カロリーの30%を費やしているが、好適環境水は血液に近い浸透圧なので調整がいらず、その分発育がいいのだそうである。
熱帯魚店には自然の海水を忠実に再現したことを謳い文句にした人工海水の素が売られているが、自然の海水が魚にとって最良の環境というわけではなかった。コロンブスの卵である。
また、病原菌は海水か淡水に適合しているので、好適環境水の中では増えることができず、白点病の魚などは好適環境水に移すだけで治癒してしまう。
うまい話ばかりでいかがわしいと感じる人がいるかもしれないが、熱帯魚を飼った経験がある人なら十分根拠のある話だとわかるだろう。
番組では海水魚と淡水魚を同じ水槽にいれていたが、そのこと自体は驚くほどのことではない。感染症の治療法として淡水魚は塩水にいれる塩水浴、海水魚は淡水にいれる淡水浴があるくらいで、好適環境水以外でも海水魚と淡水魚を同居させている水槽は何度か見たことがある。
海水魚を飼育している人の中には人工海水代を節約するために、標準の濃度の半分程度にしている人がかなりいる。1/3程度でも大丈夫だと聞いたことがある。
番組では魚資源の減少と山村振興のために海水魚の陸上飼育が切札になると結んでいた。これまでにも陸上飼育はおこなわれてきたが、人工海水の費用がネックとなっていた。好適環境水は1/60の費用ですむし、発育が促進されるのだから、非常に有望な技術である。
熱帯魚ファンにとっても好適環境水は朗報である。海水魚は人工海水が高いので、換水がしにくいという難点がある。換水で水温が下げられないので夏には水槽用クーラーが必要だし、臭いが出やすく、なかなか飼えなかった。好適環境水が提供されれば、海水魚飼育の敷居が低くなるだろう。
「大奥」シリーズの映画化だが、TVとはお金のかけ方が違い、衣装と装置は絢爛豪華。
男を知らない優等生の絵島(仲間由紀恵)は、間部詮房(及川光博)への愛に狂う月光院(井川遥)を理解できずにいたが、火事の中で生島新五郎(西島俊彦)の真心を知り、月光院を守るためにすすんで犠牲になるという話になっている。ストーリーの都合上、絵島を町方の生まれにしたり、生島を磔にしたりするのは許容範囲だと思うが、天英院(高島礼子)に歌舞伎役者を部屋に引っぱりこませるのはいかがなものか。
全体にあっさりしているが、唯一、天英院の手足となって動く中臈の杉田かおるが女の業を感じさせた。
007シリーズ第一作の二度目の映画化である。今さら007なんてと思ったが、これは文句なしの傑作である。
最初の映画化は映画史に残るハチャメチャなパロディだったが、こちらは舞台を現代に移して大真面目に作っている。原作にはもともとマンガ的な部分がかなりあるが、半世紀たって社会全体がマンガ化しているので、国費を使ってカジノで勝負をするというような話にもリアリティが生まれている。
冒頭、モノクロームで00課昇進試験の事案が描かれるが、殺し方が荒っぽい。洗練される前のジェームス・ボンドが新鮮だが、なにより、財務省からお金のお目付役として派遣されてくるヴェスパーのエヴァ・グリーンがすばらしい。「キングダム・オブ・ヘヴン」もよかったが、今回のヴェスパー役で駄目押しである。「ドリーマーズ」と「ルパン」は未見である。DVDで見てみよう。
よくできた映画だ。ベートーヴェン(エド・ハリス)の殺伐とした晩年をアンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)という架空の女弟子の目から描いている。「アマデウス」以降の作品なので、天才の奇人変人ぶりを遠慮なく描いているが、実際はもっと偏執的で、もっと不潔だったはずだ。天才は周囲の人間にとっては天の災だということがよくわかる。
アンナはウィーンの音楽学校を主席で卒業した才媛で、作曲家を目指している。第九初演の四日前に写譜師としてベートーヴェンに仕えるようになり、初演時には耳の聞こえない彼のために、バイオリンの間にはいってリズムをとっている。二人の協力で初演が成功する場面のが前半の見せ場だ。ここは本当に感動的で、二人とも当てぶりではなく、ちゃんと指揮をしている。第九の聞かせどころを10分くらいにまとめた手際もみごと。
ここで終わっていれば「いい話」になっていたが、この映画はその先も描いている。晩年のベートーヴェンは音楽的思考を追いつめ、後の無調性音楽の地点まで突き進むが、その成果である「大フーガ」は同時代人には理解されず不評に終わった。アンナは大フーガの写譜をするが、彼女にもやはりわからなかった。ベートーヴェンは嫌な奴であるが、アンナに去られた後の彼はちょっと可哀想である。
アンナのダイアン・クルーガーは凛としてかっこいい。ベートーヴェンのエド・ハリスは神がかりの名演である。
MSNに「神戸・六甲山の遭難男性、やはり冬眠状態? 体温22度、24日ぶり生還…なぜ」という記事が出ている。
昨年10月、六甲山のバーベキュー帰りに崖から転落して遭難した打越三敬さん(35歳)が24日後に救出されるという事件があった。六甲山のような開けた山でなぜ3週間以上もと思ったが、打越さんは一人暮らしのために、同僚が出勤してこないのに気づいて捜索願いを出したのは遭難3日後のことだった。山狩りもしたということだが、それ以外の可能性を考えていたのかもしれない。
所持品で食べられそうなものは瓶詰の焼肉のタレしかなかったので、当初はタレを舐めてしのいだのではないかといわれていた。しかし、タレは塩分が強く舐められたものではないし、タレ1瓶は200カロリー程度にすぎず、1食分にも満たない。意識をとりもどした打越さんも否定している。なぜ3週間も飲まず食わずで生きのびることができたのか謎は深まり、冬眠説まで飛びだした。まさかと思ったが、この記事によると冬眠説は案外あたっているらしい。
打越さんは崖から転落し骨盤を骨折した直後に意識を失い、病院で意識をとりもどすまでずっと昏睡状態をつづけたという。救出直後の直腸体温は22度しかなかったが、心臓は1分間に40〜50回鼓動していた。この体温で鼓動をつづけていたこと自体、奇跡的らしい。病院に搬送直後、心肺停止状態におちいり、その後も多臓器不全を起こしたが、現在は後遺症もなく職場に復帰しているということである。
治療にあたった神戸市立中央市民病院の佐藤慎一救急部長は「体温の低下が(外気温より高い)22度で止まったのが不思議だ。冬眠という言葉が一番、当てはまるのかもしれない
」とコメントしているが、恒温動物の冬眠は外気温よりも高い体温を維持するのが特徴である(変温動物の場合は外気温と同じになるので、冬眠ではなく「休眠」と呼ばれる)。
実は20日にNHKの「サイエンスZERO」が「驚きの冬眠パワーに迫る」という最新の冬眠研究を紹介する番組を放映していた。哺乳類の島民を引きおこす冬眠特異的タンパク質(HP)複合体を発見した三菱化学の近藤宣昭氏の研究や、フィールドでヤマネの冬眠を観察している山梨県のやまねミュージアムの活動を紹介していた。
近藤宣昭氏の研究は冬眠しない系統のシマリスの発見が突破口となった。冬眠する普通のシマリスと冬眠しないシマリスでタンパク質の季節変動を調べたところ、HPと名づけられることになるタンパク質が見つかった。普通のシマリスの体内のHP濃度は春夏は上昇し、秋冬は低下するのに対し、冬眠しないシマリスでは一年を通じて高いままだった。近藤氏は冬眠期間中、HPが脳内に取りこまれることを実証したが、驚くべきことに気温を高いままにしておくと、冬眠状態にならなくても、HPの脳内取りこみは冬眠する場合と同じように起こっていた。
普通のシマリスは十数年生きるが、冬眠しない系統のシマリスは3年前後しか生きない。冬眠には寿命延長効果があるが、気温を高いままにして冬眠状態にしなくても、HPの脳内移動がおこれば寿命延長効果があることがわかっている。
これだけでもわくわくするが、近藤氏によればHPに似た物質を人間ももっている可能性があり、将来、人間も冬眠の恩恵を受けられるようになるかもしれないという。
ここまでくれば打越さんが冬眠していたのかどうかを知りたくなるが、番組ではそこまでは踏みこんでいなかった。
今回の記事は近藤氏とやまねミュージアムに取材していることから考えて、「サイエンスZERO」に触発されたものだろう。近藤氏にずばり打越さんは冬眠したのかと聞いてくれたのはありがたい。近藤氏は「人間でも冬眠できる人はいると思う
」と答えている。
もちろん、打越さんが本当に冬眠していたのかどうかはまだわかっていないが、冬眠していたのだとしたらすごいことである。打越さんに協力してもらって、冬眠研究を大々的にできたらすばらしいと思う。
鈴木忠志演出の初演を見ているが、今回はソンドハイム・ミュージカルに通じた宮本亜門の演出。
初演は20年以上前なので記憶がおぼろげだが、パイ屋の女将役の鳳蘭の陽気で豪快な演技で、笑いころげたことを憶えている。鈴木忠志の舞台で笑うなんてありえなかったので、外部演出では喜劇もやるのかと思ったものだ。
今回の宮本亜門版ではほとんど笑いがおこらなかった。すっかり記憶から抜け落ちていたが、これは血みどろの復讐劇であり、市村正親のスウィニーも大竹しのぶのパイ屋の女将も陰惨な殺人鬼なのだった。客席にわいたのは職業別の人肉味較べで、ケーキ職人=賞味期限切れと時事ネタをふったところくらいか。
舞台はスウィニー・トッドことベンジャミン・バーガーが15年ぶりにロンドンにもどったところからはじまる。彼は腕の立つ床屋で美人の妻とジョアンナ(ソニン)という娘がいたが、妻に横恋慕したターピン判事(立川三貴)が彼女を寝取るために、ベンジャミンを無実の罪におとしいれ、島流しにしてしまった。ベンジャミンは水夫のアントニー(城田優)に救われ、いっしょにロンドンに帰ってきたが、かつての店にいってみると、一階のパイ屋の女将が彼を憶えていて、妻が判事に凌辱され気が狂って死んだこと、娘のジョアンナが判事に引きとられたことを教える。
水夫のアントニーはジョアンナと知りあって恋に落ち、彼女がタイピー判事と結婚させられようとしていることを知る。ベンジャミンはスウィニー・トッドと名前を変え、かつての店で床屋をはじめ、たちまち評判になるが、彼の秘密を知っているイタリア人が恐喝に来たために、最初の殺人を犯す。死体の始末に困ったトッドがパイ屋の女将に相談すると、女将はパイの原料にしようと言いだす。彼女のパイは猫の肉を使っていたので、不評だったのだ。
そこへタイピー判事がトッドの店の評判を聞いて客としてやってくるが、トッドが剃刀をかまえ、復讐を遂げようとした瞬間、アントニーがあらわれ機会を逃す。ジョアンナも行方不明になる。
二幕では女将のパイ屋は人肉のおかげで大繁盛し、イタリア人の従者だったトバイアス(武田真治)が給仕として働いている。アントニーがジョアンナが精神病院にいれられていることをつきとめると、トッドは鬘屋に化けて潜入すればよいと教える。鬘屋は精神病院から髪の毛を買っているので、ジョアンナの髪の色を指定すれば、彼女のところへ行けるのだ。
アントニーを送りだすと、トッドはジョアンナを餌にして、タイピー判事を店におびきよせる算段をする。計画は順調に進んでいるかに思われたが、トバイアスに殺人を知られてしまい、女将は彼を地下の厨房に閉じ込める。アントニーはジョアンナを救いだし、トッドの店で待っているように言うが、トッドは娘が長椅子の中に隠れていることを知らずに、小役人のビードル(斉藤暁)とターピンを殺してしまう。ジョアンナはトッドが実の父だとは知らず、殺人を知らせるために警察に走る。
ここでもうひとつどんでん返しがあって、血みどろの結末になだれこんでいく。
宮本亜門はブラック・ユーモアを暗鬱に、しかも苦く演出している。とても笑えたものではない。音楽のぶ厚い塊は都市の闇の深さを思わせる。
「父親たちの星条旗」と二部作をなすクリント・イーストウッドの戦争映画である。
アメリカが日本の心を描いたと評判が高いが、そうは思わなかった。あくまでアメリカ側の視点で描かれた映画だということは押さえておいた方がいい。
それは擂鉢山の戦いの脚色の仕方に端的にあらわれている。この映画では擂鉢山は1日で陥落し、自暴自棄におちった守備隊は栗林中将の命にそむいて、勢いで自決していったことになっている。中村獅童演ずるこわもて将校は擂鉢山奪還を叫んだものの、死に場所を失い捕虜になってしまう。実際の擂鉢山守備隊は孤立した状況の中で4日間死闘をつづけ、アメリカ海兵隊の立てた旗を二度までひきずりおろして日章旗を掲げている(あの旗がひきずりおろされたという史実は『父親たちの星条旗』でもスルーされていた)。
海岸線防衛から地下陣地に重点を移した戦術転換はアメリカ帰りで合理主義的な栗林中将の独創で、頑迷な将官たちに妨害されように描かれているが、これも違う。地下陣地中心への戦術転換を提唱したのは大本営陸軍部参謀だった堀栄三であり(『大本営参謀の情報戦記』参照)、新戦術はペリリュー島ですでに成果をあげていた。硫黄島司令部内部に異論があったのは確かだが、大本営は陣地構築の専門家と資材を送りこんで短期間に地下要塞を作りあげていた(そうでなかったら、艦砲射撃で潰れていた)。
栗林中将とバロン西(伊原剛志)はアメリカ帰りであることが強調されている。アメリカを知っている人間だけがまともな人間だということだろうか(松岡洋右はどうなのか)。アメリカ軍が西を名指しして投降をうながす放送をしたのに、西が拒否したエピソードをスルーし、西がアメリカ兵を助ける虚構の場面をいれている。あの場面は白々しかった。イーストウッド監督は栗林中将に敬意を払ってはいても、本心から共感しているとは思えない。
それに対して下級兵士側のパン屋の西郷(二宮和也)と元憲兵の清水(加瀬亮)の人物像は共感をこめて描かれている。西郷は優しくもあれば狡くも立ちまわるしたたかな庶民で二宮の演技は評判通りすばらしいが、インテリの弱さ、いじましさをさらけだす加瀬の清水もいい。類型的な描かれ方しかされてこなかった憲兵をこんな風に登場させた脚本には脱帽するし、イーストウッド監督の演出も冴えている。イーストウッド監督が本当に描きたかったのはこの二人だったのではないか。
白旗を掲げた日本兵が気まぐれに殺される場面にショックを受けた人もいるかもしれないが、これは事実だったし国際法違反でもない。アメリカ軍はある程度の捕虜を確保した後は白旗を掲げて出てきた日本兵をどんどん殺した。小室直樹の本(『日本国憲法の問題点』、『封印の昭和史』など)を読めばわかるが、投降した兵士が国際法で保護される捕虜にしてもらえるかどうかは相手の胸先三寸にかかっているからだ。
映画から離れるが、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』の著者の梯久美子氏が今月の文藝春秋に発表した「硫黄島・栗林中将衝撃の最期――ノイローゼ・部下による斬殺説の真相」という記事についてふれておく。
広告や表紙だけを見ると栗林中将の最期は「硫黄島からの手紙」に描かれたようなものではなく、ノイローゼになって指揮がとれなくなっていたとか、アメリカ軍に降伏しようとして部下に惨殺されたと主張しているかのような印象をもつだろう。実は逆で梯氏は一部で流れているノイローゼ惨殺説を全否定しているのだ。
ノイローゼ惨殺説は昨年SAPIOに載ったが、その典拠となった防衛研究所戦史部の硫黄島生還者の部外秘の証言録(現在は秘密解除)を梯氏が閲覧したところ、問題の説は師団参謀だった堀江芳孝元少佐が生き残りの小元久米治元軍曹から聞いたとして語った内容であることがわかった。しかし、堀江証言の後には聞きとりをした編纂官の但し書きがついていて、堀江参謀は父島で補給の任にあたっていたこと、硫黄島に最後に行ったのはアメリカ軍上陸の半年前であり、上陸後の話は戦後生還者から聞いた伝聞にすぎないことが注記されていたという。編纂官は堀江氏にノイローゼ惨殺説を語ったとされる小元氏にも聞きとり調査をおこなったが、小元氏はノイローゼ惨殺説を言下に否定し堀江氏は1952年の毎日新聞の硫黄島探訪記事と混同しているのではないかと語ったそうである。
梯氏が調べたところ、毎日新聞は1952年に朝日・読売と共同で硫黄島に戦後初の取材チームを派遣し、大々的に硫黄島特集をやったのが、その時の記事の一つが硫黄島に駐留しているアメリカ軍将校から聞いた話として次のようにつたえている。すなわち終戦の日に玉音放送を聞いた栗林中将が幕僚二人を連れてアメリカ軍司令部に降伏の交渉に来た。交渉条件がまとまり栗林中将は帰っていったが、その後、連絡がなくなったので降伏に反対する部下に殺されたのではないかという噂が流れているというわけだ。
栗林中将はアメリカ軍上陸一週間後の2月19日には戦死したとみられているし、硫黄島の抵抗も3月中には終わっている。終戦まで栗林中将が生きていたなどというのは都市伝説にすぎないが、大々的な特集の中にまぎれこんでいた与太話が十数年たつうちに堀江氏の記憶の中で事実にすりかわってしまったらしい。
いささか気になるのは、栗林ノイローゼ説は自衛隊内部、それも将官クラスの間で根強く囁かれているという記述だ。梯氏は立派すぎる先輩がいることの重圧感をノイローゼ説を語ることでまぎらわしているのではないかと推測しているが、そうだとしたら嘆かわしいことである。