戦前の上海を舞台にした小説だが、日本人作家が描いた外国の街にありがちの和臭がない。日本離れしていて映画版「不夜城」の歌舞伎町を思いだした。
ストーリーも戦前の日本小説とは思えないくらい派手である。日本資本の紡績工場のストライキに中国共産党や軍閥や各国のスパイがからみ暴動に発展していく。「不夜城」のように中国人監督で映画化したら当たるのではないかと思う。昭和7年にこんなにおもしろい小説が書かれていたとは驚きだ。
上海の裏社会はハイカラで今読んでも新鮮である。女性が個室でサービスする「トルコ風呂」が出てくるが、日本のソープランドのルーツは上海なのだろうか。
周囲から変人あつかいされるほど一途に魚醤の研究に打ちこんでいる男と思考力過剰でなにも行動が起こせなくなっている男を軸に、官界、学会、実業界の人間模様を描いた小説である。意識の重層的で微細なからみあいを追っている点では「機械」の発展といえるが、はるかにダイナミックでぐいぐい引きこまれる。
信じられないのは、こんなにややこしいことをやっているのに、面白いことだ。その意味でこれは前衛小説ではなく本格小説である。同時代のジイドに匹敵するかもしれない。戦前の日本文学はここまできていたのである。
妻と離婚し会社も辞め、一人の生活を楽しんでいる主人公のところにかつて関係のあった人妻の夫がおしかけてきて「友情」を押しつける。二人を結びつけていた女は娘を一人遺して亡くなったが、寝とられ夫は娘の本当の父親は主人公だとほのめかす。
と書けばおわかりのように、本作はドストエフスキーの『永遠の夫』の本歌どりである。主人公はそのことにいらだつが、寝とられ夫のストーカー的な接近にはなすすべがなく自分の娘かもしれない女の子の行く末も気になってくる。
一人一人の人物像と背景がぶ厚く描かれており「いい小説を読んだ」という満足感を味わった。
幅一キロもある河によって分断された町の物語である。五世代前は小さな川だったが、しだいに流量が増え堤防を築くと堤防に挑戦するようにいよいよ流量が増していく。堤防工事と競いあった末についに茶色の濁流が轟々と流れる大河になってしまった。
町の左岸と右岸は一本の橋で結ばれている。もう一本橋を作る計画があったが、地元選出の代議士が野党だったために国を動かすことができず、一本の橋の上に追加の橋を乗せるという弥縫策を繰りかえし、複雑怪奇な構造物が出来あがっていった。
河の両岸にはさいづち頭の一族が住んでいた。四つの姓にわかれていたが、代をかさねるにつれて、頭のでっぱりは目立たなくなったが、時々おでこと後頭部の飛び出した子供が誕生した。左岸と右岸の間には格差が生まれ、左岸は金持ちの町に、右岸は貧乏人の町になっていった。
本書はこういう都市を魔法的リアリズムで描いた作品で、街が本当の生き物のように立ち上がってくる。『百年の孤独』の手法を借りて土俗的な村共同体を描いた作品はこれまでもあったけれども、資本と官僚制の論理で成長していく近代都市の運動を本の中に封じこめたのは著者の発明に違いない。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉を思いだした。
飛行機事故に遭いながら、奇跡の生還をとげた男の物語である。男は名を服部さんという。
座席ごと海に放りだされた服部さんは気絶していた隣席の男を助け、二人で救命ブイにつかまって漂流する。たまたま通りかかったクルーザーに救助されるが、乗員がわけありだったために警察に連絡してもらえず、漁船に移されて場末の港に上陸する。二人は一躍マスコミの寵児となる。
クルーザーの不人情なあつかいを隣席の男がマスコミでばらしたことから話がこじれてきて、マスコミを避けていた服部さんにまでとばっちりがおよぶ。ストーリーは思いがけない方向に転がっていくが、それは読んでのお楽しみとしておこう。
題名の「幸福な日」は反語ではなく、本当に「幸福」が描かれている。この殺気立った時代に、しかも「純文学」の枠を借りながら「幸福」を書くのは難事中の難事だが、著者はそれをさりげなくおこなっている。
『濁った激流にかかる橋』とどちらがおもしろいかと聞かれたら迷うが、今日の気分としてはこちらをあげたい。この二作品は著者の代表作として長く読みつがれるだろう。
ピュリッツァー賞、アメリカ国家科学賞などを受賞し、世界的なベストセラーになった本である。ヨーロッパ人の世界制覇は人種的優越性によるものではなく、地理的な条件が文明を発達させるのに有利に働いただけだという強力な環境決定論である。なにを今さらと言いたくなるが、本書が注目されたということは欧米人は本音のところではいまだに自分たちの人種的優越性を疑っていないのだろう。
アフリカやニューギニアもとりあげているが、軸となるのはユーラシア大陸と南北アメリカ大陸の対比である。最初の二章で環境決定論の地ならしをした後、第三章ではピサロのインカ帝国征服の物語が色彩ゆたかに語られる。ピサロはわずか168人の手勢で四万のインカ軍の精鋭を殲滅し、皇帝アタワルパを生け捕りにする。奇跡というしかないが、ダイアモンドは勝因をこう要約する。
ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。
ヨーロッパ人は銃・病原菌・鉄の力でアメリカ先住民を圧倒できたというわけだ。つづく500ページでは銃・病原菌・鉄をもたらしたものがユーラシア大陸という地理的条件であったことを南北アメリカ大陸との対比で説明する。ユーラシア大陸は地つづきのアフリカ大陸と合せると8400万平方キロあり、南北アメリカ大陸(4100万平方キロ)の二倍以上の面積がある。家畜化可能な動物や栽培可能な穀物に出会える可能性が高い上に、縦に細長い南北アメリカ大陸に対して東西に広がっているので同じ緯度の面積が大きい。緯度が同じなら気候も似ているわけで、農業技術が伝播しやすくなる。
ずいぶん大風呂敷を広げたものだという印象がなくはないが、これぐらい大がかりな仮説をぶつけないと欧米人の固定観念は揺るがないのだろう。
もっともこれは南北アメリカ大陸に対するアフロ・ユーラシア大陸の優位性を説明しただけであって、ヨーロッパの優位性の説明にはなっていない。ヨーロッパの世界制覇の要因は環境決定論だけでは無理で、文化論に踏みこまざるをえないのではないか。人種間に生得的な能力差はなくても、文化的な差はあるはずである。年末にドイツ文化センターのヘルツォーク特集でクラウス・キンスキー主演の『アギーレ・神の怒り』と『フィツカラルド』を再見したが、あの征服慾にとりつかれた狂った姿こそヨーロッパ人だと思った。
伝染病と家畜がリンクしているという指摘はコロンブスの卵だった(検索したら「人獣共通感染症講義」という学術サイトを発見)。天然痘が牛、インフルエンザが豚の病気だったことは知られているが、麻疹や結核、百日咳、マラリアももとは家畜の病気だったのである。コロンブス以前のアメリカ大陸には家畜化可能な大形動物がリャマくらいしかいなかったので、幸か不幸か家畜由来の伝染病にかからずにすんだ。アステカとインカが天然痘で崩壊したのはよく知られているが、北米でも海岸地帯やミシシッピー河沿いの人口稠密地帯が壊滅的な打撃を受けている。
下巻は文字に一章をさいている。チェロキー人のセコイアがヨーロッパ人の文字を参考に考案した音節文字(セコイア文字)のくだりはおもしろい。セコイア文字はチェロキー人の間にたちまち広まり、ほぼ全員が読み書きできるようになった(同時代はもちろん、現在の白人よりも識字率が高いかもしれない)。セコイア文字による新聞が発行され、憲法まで発布された。
読みごたえのある本だが、首をかしげざるような記述も散見する。
日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字ではなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。
著者の夫人は日本女性だそうだが、彼女がそう思いこんでいるということだろうか。
素人くさい書き方で記述が錯綜しているが、素材がいいのでおもしろく読んだ。
従来のインカ帝国像は手柄を自慢したいスペイン人と過去を美化したいインカ貴族の合作であり、実態は違うという趣旨の本であるが、本の大半は従来のインカ帝国像の紹介に費やされている。従来のといっても、同時代文献を使った紹介なので素人には十分新鮮である。
前半にはインカ帝国は過大評価されているという指摘が多いが、過大評価というより「帝国」という言葉でローマ帝国を連想するヨーロッパ人の誤解と受けとった方がいいのかもしれない。
インカ帝国の「実像」については最後の章で触れているだけだが、互酬性にもとづく社会で皇帝(王)に絶対権はなく、双分性組織にもとづく二重王朝だったという説が有力だそうである。レヴィ=ストロースが描きだしたインディオ社会そっくりではないか。なるほど、「帝国」とはいえまい。
ピサロから後の話は知らなかったが、インカ貴族や地方豪族はスペイン人の支配体制の中にとりこまれクラーカと呼ばれる特権層を形成したそうである。クラーカたちが国王に出した嘆願書や訴訟文書が残っていて、その一端が本書に引かれているが、これがおもしろいのである。
カナダ・ケベック州のジャーナリストが1992年のコロンブスのアメリカ「発見」500周年に出した本だが、題名からわかるように、コロンブスの「偉業」を讃えた本ではない。
コロンブス後の500年間を語るにあたって、著者はアステカ、マヤ、インカ、チェロキー、イロコイの五つの部族というか、文明圏に的をしぼり、それぞれの「遭遇」、「抵抗」、「再生」をたどって、壮麗なタペストリーを織りあげた。実に読みごたえがあり興味がつきないが、これでもまだ南北アメリカ史のほんの一部なのだ。
スペイン植民地で旧支配層は統治機構に組みこまれたが、その様相は地域によって異なる。
アステカは首都のテノチティトラン(現在のメキシコ市)がそのまま新イスパニアの首都になったこともあって、旧アステカ貴族はスペイン人の下で地位を保ちつづけた。他の地域では土着文化は軽蔑されたが、メキシコではアステカ文化とスペイン文化が混淆した独自の文化が生まれた。
マヤは新イスパニアの一部になったために、バダブと呼ばれる旧マヤ貴族は教師や書記など、末端の役人にとどまった。マヤ文字で書かれた古代の写本は数冊を除いて焚書にあったが、アルファベット表記のマヤ語で書かれた「チラム・バラムの書」という預言書が書写され、増補されていき、それがアメリカ先住民最大の反乱といわれるカースト(カスタ)戦争へつながっていった。バダブたちの王国は半世紀にわたって独立を保った。
ペルーではクラカ(クラーカ)と呼ばれる旧インカ貴族とインカ以前からつづく豪族は特権を保持した。18世紀にはいって人口減少がとまり、ゆとりがでてくると、インカ文化復興の気運が生まれた。『インカ帝国の虚像と実像』に紹介されたようなインカ帝国を理想化した年代記が広く読まれ、インカ貴族の正装が流行したが、トゥパ・アマルー二世が反乱をおこすと、スペイン側は民族文化を徹底的に弾圧しクラカ層を解体した。ペルー独立にあたって先住民が主導権をとれなかったのは、この時、先住民の指導層が絶滅させられたためだという。
北米の場合、海岸部は繰りかえし襲った伝染病で全滅に近い打撃を受けた。メイフラワー号が到着した時、ニューイングランドはマサチューセッツ人やデラウェア人の生き残りが内陸部に退去した後で、ゴーストタウン化していた。ピルグリム・ファーザーズは何もないところに入植したのではなく、先住民が残していった家や耕地を横領したのである。
アパラチア山脈南のチェロキー国と北のイロコイ連邦は内陸部だったので、打撃がすくなかった(といっても、人口が十分の一になったらしい)。
チェロキー人の栄光と没落の物語は本書の一番の読みどころである。チェロキー人はすすんでヨーロッパ文明をとりいれ、わずか20年で立派な町を建設しセコイア文字の新聞の発行や、自主憲法制定、白人に先駆けた女子高等教育など、みごとな成功をおさめた(経済基盤が奴隷農場だというのは皮肉であるが)。しかし、南北戦争で南軍に加担したために町は焼きはらわれ、またもや土地を奪われる。荒野の新居留地に護送される間、老人と子供が死に、強壮な者も民族派と妥協派の抗争で命を落としていく。なんという歴史だろう。
イロコイ連邦はポーラ・アンダーウッドや星川淳氏の本にも登場したが、精神世界的メルヘンに終始していて、要領をえなかった。本書でようやく輪郭が見えてきた。
「連邦」や「共産社会」の概念を白人に教えた話は本書にも出てくるが、アンダーウッドや星川氏があまりふれなかった白人の卑劣な行いがすさまじい。ポンティアク戦争でイロコイ側が優位に立つと、合衆国は講和を申しいれ、天然痘患者の使った毛布を贈る。イロコイ人の間には天然痘が流行し、形勢は逆転してしまう。世界最初の生物兵器である。
合衆国独立後、英国はカナダ植民地と合衆国の間にインディアン居留地を作り、緩衝地帯にしようとする。合衆国に圧迫を受けていたイロコイ人は大挙してカナダ側に移住し、国境の向こうにもう一つのイロコイ連邦ができあがる。カナダに自治政府が成立すると、イロコイ対カナダの対立が激化し、紛争は現在までつづいている。カナダは国連の平和維持活動や人道援助に熱心で、国際的には紳士的な国というイメージがあるが、先住民に対してはまったく違う顔を見せている。
島国に生まれたわれわれは文化的アイデンティティに無自覚であるが、欧米ではアイデンティティの問題はきわめて政治的で、クリティカルだということがよくわかった。
これも1992年のコロンブスのアメリカ「発見」500周年にぶつけて上梓された本である。著者はカナダ・ブリティッシュコロンビア州の法律家で、連邦議会議員とコロンビア州最高裁判事をつとめる一方、早くから先住民の権利擁護にかかわってきて、アラスカ・パイプライン問題でも活躍しているという。
そういう経歴の人つきものの偽善的なところがまったくなく、本書はきわめてクリアに書かれたアメリカ先住民史である。この本と較べたら、『奪われた大陸』でさえ、ヒューマニズム的潤色で視界が曇らされていたことがわかる。星川淳氏やアンダーウッドの本を読んで以来、ずっとひっかかっていた疑問にようやく得心がいった。
著者は最初の章で、スペイン人はなぜあのように、なんの罪悪感もなく残虐行為を犯すこっとができたのかという問題にいきなり切りこみ、答えは「その勝利の唐突さにある」としている。
コルテスやピサロは神の恩寵を受けていると感じていたはずである。たった数百の寡兵で、数万の精鋭を破ったばかりか、数千万人の人口を擁する帝国を手中におさめてしまったのである。「奇跡」、「神の嘉するところ」と感じない人間がいるだろうか。後につづいた者たちも同じである。
『奪われた大陸』でかわいそうな犠牲者として描かれていたチェロキーとイロコイは剽悍なインディアンの容貌で登場する。チェロキーもイロコイも、18世紀前半までは英国対フランス、英国対アメリカの戦局を左右する強大な軍事勢力であり、実際に多大の戦果をあげていたのだ。こうでなくてはいけない。
バージニア植民地で英国がインディアン奴隷の輸出をおこなっていたという指摘はコロンブスの卵だった。西インド諸島やブラジルの奴隷需要をまかなうのに、手近な北米から調達しないはずがないではないか。伝染病の蔓延で打撃を受けていた低地のインディアンは、英国の奴隷狩りによってとどめをさされ、わずかに生き残った者は黒人の中に吸収されたという。
奴隷狩りにはインディアン自身がかかわっていた。獲物にする部族がいなくなると、英国はより遠方の部族を手なずけ、今まで奴隷狩りをやらせていた部族を奴隷にするという手口をくりかえした。先住民側もさすがに英国の卑劣さに気づき、ヤマシー人とクリーク人が連合して英国に戦いをいどみ、あと一歩で大西洋に追い落とすところまでいくが、チェロキー人が裏切ったために、戦線は崩壊する。
チェロキーはイギリスの交易商品に依存していた。結局、このことがチェロキーに反乱参加を思いとどまらせた。チェロキー・インディアンがカロライナ人に語ったように、彼らがクリーク族と戦争状態にない限り、「クリーク・インディアンを捕らえて奴隷として、それで白人の奴隷商人から鉄砲弾薬や衣類を手に入れる」方法がないのであった。またしてもヨーロッパの交易商品が入手できるかどうかについてのインディアンの甚大な関心が事態を左右した。
本書の白眉は合衆国最高裁主席判事ジョン・マーシャルが1820年代と1830年代にくだした一連の判決を分析した部分である。マーシャルはトーマス・ジェファーソンの同時代人だそうだが、先住民の土地の権利をいちはやく認めていたのである。もちろん、全面的に認めてしまっては、合衆国が存在できなくなる。そこでインディアン・ネーションを合衆国の保護国と見なすことで、調停をはかった。インディアンは合衆国にしか土地を売れないという形で、インディアンの権利侵害に歯止めをかけたのである。
マーシャル理論は先住民の権利を法的にあつかう上での基礎理論になっているそうで、最後の章では著者自身が手がけたニスガア人とブリティッシュ・コロンビア州の訴訟を論じている。インディアン問題は現在の問題なのである。
イロコイをイロコワとフランス語読みしているのが気になったが(どちらが正しいのだろう)、訳文はきびきびしたリズムがあって読みやすく、明晰である。名訳といっていいだろう。
著者は熱帯医学の世界的な権威だそうだが、軽妙な才筆をふるい楽しい読み物にしあげている。
題名(『誰が聖マリアに梅毒をうつしたか?』と訳せないこともない)からすると梅毒の話のようだが、コロンブスがアメリカ大陸に持ちこんだ病気の方が主で、黄熱病とマラリアの防疫対策の話題が大半を占めている。野口英雄も登場する。カユガ湖でマラリアが蔓延していたとあるが、イロコイ連邦のカユガン人の故地でイサカのあたりである。
伝染病撲滅ではロックフェラー財団の活躍が大きいが、著者は大功労者のロックフェラーに対し、こんなことをちょろっと書く。
フランス、ドイツ、英国はすでに医学研究のための機関を設立していた。合衆国も後れをとってはならないとゲイツは確信した。ロックフェラーはその考えを喜んで受けいれた。なんといっても、彼は医学と縁の深い家の出身だった。彼の敬愛する父親は、医者を自称して各地を巡回し、「手遅れでなければ」どんなガンでも二五ドルでなおすと宣伝して、家族を養っていたのだ。
アメリカ先住民の人口激減については麻疹、百日咳、水疱瘡などの小児疾患が大人に猛威をふるった可能性をあげるが、同時に病原菌だけで人口が1/60になることはないと疑問を呈している。では、何が起こったのか。
私個人としては、決定的な打撃となったのは、絶望と意気阻喪という統計にはあらわれない要因だったと確信している。アメリカ先住民はまったく突然に、ヨーロッパ人から残忍な仕打ちを受け、奴隷にされた上に、えたいの知れない恐ろしい病気につぎつぎと襲われたのだ。文化は崩壊し、長い間信仰してきた神々は、十字架に磔にされた白人の奇妙な神にとってかわられた。そんな苛酷な状況下で民が栄えるはずもなく、子供をつくれる環境ではないし、生まれたにしても無事に成人することはなかったろう。そして、人々はパニックに陥ったのだ。
スペインの圧政下におかれた先住民が子供を作らなくなったり、天然痘が治ったものの、あばたを苦にして自殺した例が多かったという話は『奪われた大陸』にも出てきた。民族的アイデンティティは重要である。
『17歳のカルテ』の原作だが、映画とは似ても似つかない退屈な本である。ドラマチックなエピソードは一つもなく、18歳当時を回顧した散漫なエッセイにすぎない。こういう本からあのような映画ができたのだから、脚色がよほどうまかったのだろう。
著者が自分のカルテを見たのは退院の25年後、本書の準備のために病院から入手してからだという。文書のコピーが随所に挿入されているが、そのおかげで多少臨場感が生まれている。
映画ではクレイムア病院となっていたが、実際はマクリーン病院という有名な精神病院で、シルビア・プラースやレイ・チャールズも入院していたことがある。入院費は高額で部屋代だけで一日60ドルもかかった(1967年の物価で!)。あの映画に出てきた娘たちはみな裕福な家庭のお嬢様だったのである。
舞台とTVでおなじみの作品で筋は知っていたが、なんてあざといと思いながらも引きこまれて一気に読んだ。
小説より芝居向きという気がするが、華岡家、姑の於継の実家の松本家、嫁の加恵の実家の妹背家の家格の違いをきっちり書きこんであるのは小説の強みだ。
加恵は於継の使った糠袋を自分から請うて肌に揉みこむようにして全身を洗っていたが、いったん関係がまずくなるとなぜ婢のような真似をしたのだろうと悔しがる。加恵が自分用の糠袋を縫っているところに於継が来あわせて意地を張りあうくだりがつづくが、芝居にいれこんでいないとこういう修羅場は思いつかないだろう。
血瘤で死を目前にした小陸が結婚しないまま死ねて幸せだと加恵に告白する場面は、舞台では見せ場になっていたが、小説で読むとあられもない印象を受けた。舞台化粧をした役者は近くで見ない方がいい。
阿部の最後の本となった作品集である。万年大佐で終わった父を描いた自伝的作品四編を集めているが、「未成年」は最初の本の表題作、「大いなる日」は二番目の本の表題作、「司令の休暇」は三番目の本として出て、出世作となった。初期の阿部は節目節目に父親を主題とする作品を書いていたのである。
「未成年」と「大いなる日」は敗戦後の海軍軍人の零落した生活をユーモラスに書いているが、「鵠沼西海岸」には前二作では触れられることのなかった、知恵遅れの長兄が登場する。父親が酒で失敗を繰りかえし、出世できなかったのは、屈託をかかえていたからなのだが、この作品は父親の心情に、主人公である息子のかなえられなかった初恋という迂路から接近しようとしている。まだ手をつけかねているのか、無理に小さくまとめた印象があり、成功作とは言いがたい。
「司令の休暇」は死にゆく父親をみとりながら、大戦中、長兄にある手術をほどこすために、休暇をとって帰郷したことを回顧している。中編にあたる長さだが、長めの短編小説というより、短い長編小説と呼ぶべき堂々たる作品で、文体からして前三作とは違っている。
毎日出版文化賞を受賞した『千年』に、単行本未収録の「あの夏」と「贈り物」をくわえて一冊としている。
表題作の「千年」がすばらしい。例によって著者自身の生いたちに取材した自伝的作品だが、かなり虚構をくわえているらしく父をめぐる連作では描かれなかった官能的な世界が展開されている。二人の従姉の対比があざやかで、子供の頃は軽んじていた姉娘の方に尊敬を感じるという結末に説得力がある。
「桃」と「沼」は戦時中の少年時代を回顧した短編で、珠玉の作品。うまい!
「父と子の夜」は、父同様、三人の息子の父親となった語り手が、とろい長男に知恵遅れだった長兄を思いだし、さらに一族の変わり者の系譜に思いをいたしていく。
阿部は「司令の休暇」で注目を集めた後、勤めをやめて作家専業となるが、『無縁の生活』は作家としての声望が確立された時期の作品集である。小説というより身辺雑記で、早い話が私小説である。
住宅地にかまえた仕事部屋にこもり、昼過ぎに起きだして、夜なべするという高等遊民的日常をおくることの後ろめたさをとぼけた文体で書いていて、ノンシャランな味がある。
私小説と高等遊民的「退屈」の隠微な関係を著者はこう書いている。
勤めをやめてよかったと思うのは、退屈を知ったことだ。どうもそれ以外にはない。あの頃だった、私は退屈してはいた。つまり、しょっちゅうそれをかこっていたわけだ。今おもうと、それは本当の退屈と向き合うことがなかったからだということがわかる。現在では、目下のこの退屈こそ本物のそれであり、この中には私の知らなかった甘美な滋養分さえ含まれているようだ。この言葉の秘密がわかる人には私の書くものはきっと面白いだろう。そうでない人は、やはり退屈するだろう。(「災難」)
世間は「退屈」を理解せず、まっとうな市民にあるまじき生活を送る人間をうさんくさい目でながめる。その疎外感は著者を不幸な子供に対する共感へ向かわせ、「人生の一日」では「エホバの証人」の母親に連れまわされる男の子を、「天使がみたもの」では病死した母親の後を追って自殺した新聞配達の少年を描いている。
『人生の一日』におさめられているのは彫心鏤骨の名品ばかりだが、息苦しく感じないわけではない。『無縁の生活』のノンシャランな文章の方が好きだ。
1997年から2年間、日本版「ペントハウス」に連載された時事放談をまとめた本である。wad's book reviewで絶賛されていたので読んでみたが、確かにおもしろい。風俗現象をものものしい文章で論じた『ハイイメージ論』あたりから、老人ボケがはじまったかと疑っていたが、本書を読むとぼけてはいなかった。好奇心旺盛で矍鑠としたものである。老人ボケという印象を受けたのは、風俗現象を語る文体をもっていないせいかもしれない。
共同幻想論や対幻想論を思いっ切り噛みくだいて説明したくだりもあるが、著者の思考法が発展段階説であることを再認識した。
麻原彰晃を「宗教家」として評価するという発言も修行によってなんらかの体験をし、付随的に能力をもっているだろうと推定しているだけで、親鸞とは一線を引いていた。そこまではわかるが『生死を超えて』を持ちあげている点はいただけない。精神世界関係の本をある程度読んでいればあちこちからつまみ食いした本にすぎないことは明白なのだが。
インターネットを云々した章はおかしい。ネットワーク設営者とコンテンツ提供者を混同しているし、無形物と有形物の交換になっていないから「贈与経済」とはいえないという批判もピントがずれている。自分で認めているように著者はインターネットの世界を直接経験しているわけではなく、概説書による伝聞をもとに妄想しているだけなのだ。知らないことは偉そうに論じるべきではない。
他にも勘違いが目につく。上巻でいうとメルロ=ポンティとロラン・バルトが「クルマをぶつけて死ん」だとあるが、メルロ=ポンティは書斎で心臓発作を起こしたはずだし、バルトは路地で車に跳ねられた傷がもとで亡くなった。自動車を運転していて事故死したのはカミュだ。
下巻に中沢新一の『虹の理論』が「オウム信者によく読まれ、教典的な扱いをされていた」とあるが、『虹の階梯』の間違いである。『虹の理論』は幻想小説とオカルト的なエッセイを集めた本で、修行法や修業にともなう体験にはほとんどふれていない。村上春樹の『約束された場所で』で元信者が語っていたように、『虹の階梯』の修行がしたくてオウムに入信したという例が多かった。こうした間違いは編集者がチェックすべきだろう。
元スプーン曲げ少年のジローがアメリカに招かれ、ニューエイジの拠点を巡りあるく話である。映画でいえば、ロードムービーで、ニューヨークを振りだしに、SETIの電波望遠鏡に近いアリゾナの沙漠、恐龍の発掘現場、インディアン居留地、ニカラグアのジャングル、太平洋に臨むカリフォルニアに足跡をしるす。最後の章では旅で出会った風景と人びとの思い出をSETIの電波に乗せて宇宙に発信する。
純度の高い散文に圧倒される。冒頭のジェット機から見た天空の青にはじまり、透明感のある原色の風景が活写される。この小説の空気は希薄で乾燥していている。日本人の書いた小説でこういう風光に出会ったのははじめてだ。帯にある「日本語で書かれた世界文学」という惹句に偽りはない。
一つ一つの場面は鮮明で記憶に焼きついているが、その割りには物語の衝迫力は強くない。ジローは積極的に土地の人びとにかかわってはいるが、その行動は他動的なものという印象がぬぐえないのである。その意味でジローは客人にとどまる。傍観者とまではいわないが、これだけ材料をそろえたのにジローを動かす「縁」がもう一つ見えてこない。そう感じたのはこのテキストがぎりぎりまで凝縮されているからかもしれなくて、再読すれば見えてくるのかもしれない。
アメリカのニューエイジ運動に詳しい著者がオウム真理教を総括し、批判した本である。「精神世界」と総称されるジャンルにおけるオウムの位置づけや、オウムの教理の再検討という抽象的な話が主だが、村井秀夫が刺殺された直後、TVの取材で青山総本部にはいり、上祐史浩氏と対談した模様を描いた臨場感あふれるくだりもある。
オウムをただの詐欺師集団と考える人は、オウムの教理など問題にするに足りないと決めつけるが、あれだけの犯罪が単なる詐欺師に引きおこせるはずはない。
最初、著者はオウム信者との距離をはかりかねていたが、共通の尺度となる経験をする。上祐氏との会見をセッティングしたパイプ役の青年(「A」の荒木広報部長?)は、著者の訳した『クリシュナムルティの日記』を読んでいたことがわかったのだ。著者はそのことに驚き、クリシュナムルティに引かれる人間がなぜオウムに入信したのかと問わずにはいられない。
青年はちょっと逡巡していたが、意を決したように、これまでの穏やかな表情をかなぐり捨てて、
「この日本に、なにがありますか?」
「見てくださいよ、この日本を」
と、低く吐き捨てるように言った。それから顎を上げて、地上をざっと睥睨するように、問い返してきた。
とっさに答えようがなく、黙っていると、
「金と、セックスと、食い物だけじゃないですか」
著者は青年の現代社会批判に同意し、共感するが、それだけに一層、オウムの偏りに敏感にならざるをえない。著者のオウム批判のエッセンスは次の一節によくあらわれている。
こうした美意識の欠如は、オウムの教義そのものに深い影を落としている。いや、美の欠如こそが教義の本質であると考えられる。仏教のなかにある慈悲や、優美さ、共感共苦など、最もデリケートな心的部分を削ぎ落として、(美や芸術と通底する心性を排除して)、世界をマーヤーとみる現世否定の部分だけを過激に突きつめていったのがオウムの思想であった。
この批判は正しいと思うが、オウム信者は馬耳東風だろう。
麻原の「教祖としての力量」を認める点には同感するが、仏典の知識については過大評価ではないかという気がする。著者はタントラ・ヴァジュラヤーナの説法に船上の盗賊のエピソードが引用されていることをとりあげて、麻原の通暁ぶりを評価しているが、この点には異論がある。
オウム騒動の際、誰も言及しないので不思議に思ったのだが、1970年代前半に、毎日新聞に「宗教を考える」という連載があり、そこで「公害企業主呪殺祈祷僧団」というグループが紹介されていたのである。
環境を破壊し、住民を苦しめている企業の経営者は恐ろしい悪業を積んでいる。これ以上、悪い業を積んだら、何回生まれ変わっても地獄を抜けられなくなる。そうならない前に殺してやるのが慈悲だ、というのがこのグループの主張だった。
殺すといっても、サリンを使うわけではない。公害企業の工場を行脚して歩き、調伏護摩を焚いて経営者を呪殺する儀式をおこなったのだ。刑法では呪いは不可能犯であるから罪に問われることはなかったし、宗門も問題にすることはなかった。
すくなくともわたしの年代の「精神世界」に関心をもつ者の間では、この僧団は有名だった(十代で読んだだけに、記憶に鮮烈に焼きついたのだろう)。記事に載っていたのか仏典に詳しい友人から聞いたのかは失念したが、船上の盗賊のエピソードも知っていた。
もう一つ気になったのは純密を中期密教、雑密を後期密教としている点だ。雑密は初期密教とするのが一般的だと思うが、わたしの知識が古いのだろうか。
宮崎氏は、学生時代、東京湾に炎上したタンカーを突っこませ、その混乱に乗じて臨時革命政府樹立を宣言するという夢想をあたためていたという。それだけに、オウムが霞ヶ関を標的に地下鉄サリン事件をおこした時、「ある種の「期待感」」をいだいたと告白している。
宮崎氏の「期待感」とは裏腹にオウムはだらしなくつぶれた。「お前らいったい何やっとんねん!? 」と怒りたくなるのも無理はない。
出所してきた上祐氏と行き場のない「期待感」をいだいた宮崎氏が対談した結果がこの本であるが、最初から最後まですれ違いに終始した。人選を間違えたというしかない。
裁判や新聞には絶対に登場しないアングラ情報で追ったオウム事件である。アングラ情報であるから、固有名詞はぼかしてあって素人にはさっぱりわからないが、オウムがヤクザと外国諜報機関に利用されたという指摘は真に迫っている。本当かもしれないと思った。事実だとすれば、警察はオウムの背後にわだかまる底知れない闇にふれずに事件の幕引きをしたことになる。
アングラ情報に通じているはずの宮崎氏が『オウム解体』で本書に書かれているような話題にまったく触れていないのは不思議である。上祐氏が猫をかぶるのは当然として、宮崎氏も猫をかぶっていたのだろうか。
最後の章では、坂本弁護士一家殺人事件の検察側ストーリーの疑問点を指摘し、アングラ情報で語られているもう一つのストーリーをぶつけている。もう一つのストーリーが真相に近いのかどうかはわからないが、検察側ストーリーに綻びがあるのは確かだ。こういう子供だましのストーリーがマスコミや裁判の場で「真実」として語られているのである。何を信用したらいいのか。
カナリヤの会とはオウム脱会者でつくっている相互扶助の会だそうである。ホームページを見るとわかるが、脱会通知の書き方から送り先の住所、事件で亡くなった人たちの命日リスト、刑事裁判の日程と傍聴方法の説明といった実用的なページもあれば、「懐かしい資料」という部外者でも興味を引かれるアーカイブもあって、間口の広い集まりのようだ。
本書はカナリヤの会がまとめた本で、事件の展開をなぞるように六つの章が立てられているが、各章は滝本弁護士(空中浮揚したり、脱会テープをつくった人)のコメント、カナリヤの会会報に掲載された会員の手記、会員の座談会で構成されている。
オウム関係の本は途中で放りだしたものも含めていろいろ読んだが、不謹慎を承知で言うと、本書が一番面白かった(二番目は『オウム帝国の正体』)。
会員の多くは余人には想像のつかない悲惨な体験をしてきているし、現在も元オウム信者として世間からつまはじきされているようだが、「同窓会」的ななごやかさがあって、そのなごやかさが他の本にはないリアリティを生みだしているのである。村上春樹の『約束された場所で』の画一的な信者像とはまったく違う。場の力について語りあった箇所(64ページ)はなるほどと思った。「精神世界」関係の集まりに属したことのある人で似たような経験をしている人はすくなくないと思う。
脱会した以上、基本的には「反オウム」だが、「半オウム」的な部分を残している人が多い。教義がそう簡単に抜けるはずはないのだ。
最初の章では1995年のオウム一斉捜査の直後、100人余の子供たちを預かった児童相談所のてんやわんやが描かれる。偏ったオウム食と愛情不足で発育が著しく遅れ、風呂のはいり方や爪の切り方を知らない子が多かった。しかも、ことあるごとに大人の信者の口まねをして「コンキョホウレイは?!」などと反問したりする。関係者の苦労が察せられる。
だが二章以降を読むと、オウムの子供たちはまだラッキーだったという思いを禁じえない。オウムは確かにひどかったが、基本的に子供には関心がなく短期間でつぶれたので、子供の心に残る傷はそれほど深くなかったらしい。子供の教育に強い関心をもった宗教、20年、30年と存続した宗教では、教団内部で純粋培養された二世信者が大量に発生し、心に致命傷を負わされ、一般社会に出ようとしても暗黙の常識が欠落しているので精神的においつめられるという。
悲惨な実例が次から次へと出てくるが、カルト宗教特有の問題ですませるわけにはいかない。カルト宗教にはまりこんでいる家庭の愛情不足や児童虐待は極端であるが、昨今の痛ましい事件を考えると似たような問題は程度の差はあれ一般の家庭にも広まっているらしいからだ。本書はカルトという枠にとらわれず、多くの読者に読まれるべき本だと思う。
石川啄木というとどうしても既成のイメージがあり、今さらと思わないではなかったが、本書を開いてみて不意打ちに近い驚きをおぼえた。
百聞は一見に如かず。巻頭の六首を示そう。三行わかち書きで主題の近い歌を配置してあるので、おなじみの歌がほとんど近体詩として読めるのだ。
東海の磯の小島の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず大海にむかひて一人
七八日
泣きなむとすと家を出でにきいたく錆しピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしにひと夜さに嵐来たりて築きたる
この砂山は
何の墓ぞも砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
歌を独立の作品としてだけでなく、流れの中でも読めるようにしようという工夫は勅撰集の昔からあるし、連歌や歌仙もそこから派生したが、正統にせよ俳諧にせよ、季節の循環に典型的にあらわれる予定調和が透けて見えていた。
三行分かち書きで歌壇をあっと言わせた啄木が歌の並べ方に心を用いなかったはずはないが、そこにあらわれているのは古代的な予定調和の世界ではなく、近代的なドラマ、自己意識のドラマである。独立の歌として読んだ時はあざという印象が強かったが、流れの中で読むと心の揺れがあざやかに浮かびあがってくる。
この趣好は死を前にして編んだ第二歌集『悲しき玩具』で、さらに研ぎすました効果をあげている。啄木の歌にはこういう対し方をすべきだったのだろう。
夜おそく何処やらの室の騒がしきは
人や死にたらむと、
息をひそむる。脈をとる看護婦の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅き日もあり。病院に入りて初めての夜といふに、
すぐ寝入りしが、
物足らぬかな。何となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。ふくれたる腹を撫でつつ、
病院の寝台に、ひとり、
かなしみてあり。目さませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて、夜明くるを待つ。
著者50歳の時に上梓した自伝小説で、小樽高等商業に入学した17歳から23歳で父の死にあうまでの6年間を描いている。著者は三年間の中学教師生活をへて上京し、梶井基次郎が住んでいた下宿にはいったのが縁で、『青空』の同人たちと親交を結ぶ。小林多喜二、三好達治、小野十三郎、北川冬彦、島崎藤村らが実名で登場し昭和文壇史としても興味深い。
私小説でなく自伝小説と呼びたいのは英国小説に学んだ骨格の太い構築された小説だからである。題名と田舎町に埋もれることを嫌って奮闘するという主題はジョイスの影響を思わせ、北の商都小樽はダブリンの見立てといえなくもないが、むしろロレンス的な官能の世界に接近しようとしているかに見える。
性の経験が通し柱のように作品を貫いているが、ロレンスのような豊かな世界に突きぬけられず、うじうじと低回する。主人公の恋人はつまらない女としてしか描かれておらず、主人公も爺むさいのである。多分、それは本書が中年になってから書かれたからではなくて、昭和初年のインテリ青年が女性に対して、爺むさい接し方をしていたからではないか。爺むささにリアリティがあるのである。
読んで心が洗われるという種類の作品ではないが、細密に描きこまれた青春図は読みごたえがある。
著者久々の南北朝ものである。
南北朝もの第一作にあたる1989年の『武王の門』と、第二作にあたる翌年の『破軍の星』は文句なしの傑作だったが、その後は一作ごとに質が落ち、1995年の『道誉なり』にいたっては緩みきって、読みとおすのに苦労した。
多分、著者は南北朝に飽きたのである。楠木正成にとりかかるのに、五年の冷却期間をおいたのは、当人自身、それを自覚していたからではないか。
だが、満を持した、という具合にはいかなかった。
正成が大塔宮とともに、武士の世に代わる、悪党の世を夢見ていたという網野流の解釈は結構なのだが、状況説明をすべて会話ですませる書き方は手抜きだ。『武王の門』の重厚な描写に感嘆した者としては、座布団を投げたくなった。
作中の正成は千早城の攻防で燃えつきて、腑抜けのようになるが、著者自身もガス欠に陥ったらしい。あのままずるずると湊川を書かなかったのは正しい選択だった。
1980年代に発表された論文をまとめた本で、例によって網野史観で、どこかで読んだ話が多いが、民俗学の知見をとりこむだけではなく、民俗学の畑に踏みこんでいる点は目新しいかもしれない。
著者の研究は超歴史的と考えられがちな「常民」の世界を歴史的世界に接合したところに成立しているが、本書第四章の「中世「芸能」の場とその特質」はその最良の成果といえるだろう。
鎌倉期まで「市場」は「市庭」、「売場」は「売庭」と書かれたように、「場」は古くは「庭」であり、それは「朝廷」が日本書紀では「朝庭」であったことにまで遡る。この「庭」は検非違使を通して天皇に直属していた「禁裏御庭者」に通じ、忍者でおなじみの幕府「御庭番」につながっていく。
「庭」の考察から、関所が「通せんぼ」であるという洞察を導き、さらに縄張としての「庭」の系譜を洗いだしていき、いつもながら鮮かである。
第五章「日本の文字社会の特質」も刺激的だ。日本語は仮名漢字まじり文で表記されるが、片仮名漢字まじり文と平仮名漢字まじりはどう違うのかという意表を突く設問を、著者は歴史的に解明するのである。
文書史的に見ると、片仮名漢字まじり文は、宣命体の文書で使われてきたという。宣命体は、祝詞・起請文など神に訴えかける文書や、訴人の告訴状、犯人の自白や証人の昌玄を記録した文書で使われたという。著者によれば、片仮名は「口頭で語られた言葉」を表現する文字であり、今日、外来語が片仮名で書かれるのは本質にかなっているということになる。
では、平仮名漢字まじり文の方はどうか。著者は平仮名が譲状、置文といった財産関係の文書や、下知状や奉書といった公文書に使われており、しかも、方言差がはなはだしかったはずなのに、文体に地域差がまったくなく、おどろくべき均一性を見せていたことを指摘した後、こう結論する。
この事実は、平仮名が片仮名と同じ表音文字でありながら、無文字社会の音声の世界を表現する記号としてでなく、おもに書きかつ読む文字として機能していたことを、鮮かに示しているといえよう。平仮名の文字としての特質はまさしくここにある、と私は考える。
片仮名は口語的表音文字、平仮名は文語的表音文字ということになろうか。いや、挑発的な言い方をするなら、平仮名は表音文字ではなかったのである。
こういう洞察に接すると、心がざわざわしてくる。日本語と文字の関係に重要な光をあててくれたことは間違いない。
昨秋から刊行のはじまった講談社版『日本の歴史』の00巻として出た本で、網野史観の集大成である。これまでにも『日本の歴史をよみなおす』と『日本社会の歴史』を書いていて、五番煎じ、六番煎じなのだが、ひときわ気合がはいっていて、おもしろく読んだ。
70歳を越えて、この元気はなんだと思ったが、どうも『国民の歴史』に対する危機感というか対抗意識ゆえのようである。著者にとっては、敵を見つけるのが第一の健康法なのだろう。
歴史学界ではいまだに鬼子あつかいされていることも、元気の源になっているようだ。戦後史学の大前提だった唯物史観を根柢からくつがえし、新しい日本史像を樹立したのだから、すぐに認められるはずはなく、それを考えるなら、十分評価されていると思うのだが、著者としてはまだ不満らしい。
一つ、おもしろかったのは、能登の旧家で見つかった文書の中に手習の帳面があって、そこに「此三四年打続餓死及人民共難儀仕候」とあったというのだ(笑)。その帳面が使われた元禄13年の前後には、能登に饑饉など起こっていない。
上梶家にはこの本のように、村の肝煎として身につけておかなくてはならない文例や地名・人名を自前の手習本の形にまとめて、子供たちを教育していたと見られるが、このような範例にもとづいて、百姓たちの訴状の書かれていることを、われわれは十分に計算に入れて文書を読まなくてはならない。
子供にわざわざ「餓死」という字を憶えさせるとは、江戸の百姓(農民にあらず)もなかなかやる。貧農史観をとなえている学者たちは、おめでたいというしかない。
哲学の入門書というと、学説史の紹介からはいるのが常套だが、本書はアポロ月着陸の時に頭に浮かんだ、「なぜ人間の計算したとおりにロケットは飛ぶのか?」という疑問からはじめている。哲学的に表現すると、主観と客観はなぜ一致するのかということになるが、早い話が子供の疑問である。
子供の疑問はしばしば根源的で、だからこそ、答えるのが難しい。著者はこの疑問をかかえて、いろいろな本を読み、ついに『純粋理性批判』に出会い、以後、30年間、この本とつきあいつづけたという。
若くして哲学に志す人の多くは、子供の疑問からはじめるのだろうと思う。だが、学説史の小暗い森にわけいるうちに、いつの間にか初心を忘れ、重箱の隅をつつきはじめる。哲学の研究者として一家をなしてなお、子供の疑問をもちつづけた著者には感動をおぼえた。
本書は子供の疑問という視点を最初から最後まで貫いている。問題意識がはっきりしているので、道に迷う心配はないが、これから『純粋理性批判』を読もうという人のための入門書であって、この本だけでカントがわかったつもりになれる本ではないのは念を押しておきたい。
中盤では『純粋理性批判』一日見学ツアーとして、重要箇所を解説していく。わたしは哲学の素人なので断言はできないが、本書の選び方はかなりオーソドックスなのではないかという気がする。大学三年の時に『純粋理性批判』の要所要所を購読する授業に出たことがあるが、本書でとりあげている箇所と大体重なっていたようなのである。「ここは授業でやったぞ」と思いだすたびに、教室の情景や教師の声が脳裏に浮かんできた。年をとってしまったが、もう一度、チャレンジしてみようか。
金庸の最初の長編だそうだが、第一巻はよくない。語り口がぎこちなく、読むのがつらかった。
滅満清興漢の秘密結社、紅花会の幹部の
その中で、
そこで、男装して家を抜けだし、身分違いの恋をし……といったら、「グリーン・デスティニー」そのままではないか。「グリーン・デスティニー」の原作は1930年代に書かれた武侠小説の古典だそうだから、パクったとすれば、金庸の方がパクったのである。あるいは、武侠小説では使い古されたパターンなのか。
第二巻、第三巻になると、乾隆帝が実は漢族で、紅花会の総帥、
『中国の火薬庫』にちらと出てきた黒水営の包囲戦をウイグル側の視点から描いているが、史実では清軍の矢面に立ったのはウイグル族ではなく、ジュンガル族だったはずだ。確認するまで、騙されてしまった。
第四巻がまたうまい。前半、砂漠のゴーストタウンが舞台になるが、怪奇趣味といい、迷宮の趣向といい、バローズの火星シリーズを思わせる。金庸はバローズの愛読者だったのだろうか。
大団円の結末がすばらしい。史実にことよせた宮廷の陰謀劇といい、思いっ切り派手な幕切れといい、堪能させてもらった。
帯には「明清両王朝の歴史を描く」とあったが、全九話のうち、明は第一話だけで、後は清朝による紫禁城接収から、辛亥革命までをあつかう。擁正帝には一話、乾隆帝には一話半さいていて、二頁だけだが、香妃と乾隆帝のロマンスも出てくる。『書剣恩仇録』の背景を知るためには、この方がありがたい。
断片的に知っている話柄が多いが、一つの流れで読むと実に興味深い。文章に含蓄があり、読んでいて気持が広々としてくる。
雍正帝は吝嗇で陰険とはなはだ評判が悪いが、帝が残した『雍正硃批諭旨』の研究に打ちこんだ著者は、綱紀粛正を断行して乾隆期の繁栄を準備した謹厳実直な皇帝と高く評価している。豪華な副葬品に囲まれて葬られた乾隆帝は盗掘者に遺体を冒瀆されたが、雍正帝は副葬品まで節約したので、盗掘をまぬがれたというから、皮肉である。
抗清復明の軍を起こした鄭成功旗下に、鉄人部隊という全身を装甲で覆った軍団があって、清軍を蹴散らしたとあるが、『書剣恩仇録』第三巻でホチントンの詭計にはめられた清の精鋭部隊と似ている。鄭軍に懲りた清は、自軍にも鉄人部隊を編成したということか。
これも『書剣恩仇録』の背景が知りたくて読んだのだが、あまり関係なかった。ただ、いい本であるのは確かである。
西域を旅した法顕、宋雲、張騫、ここで近代に飛んで、探検家スウェン・ヘディンと、新疆に波乱を巻き起こしたヤクブ・ベクをとりあげているが、おもしろいのは20世紀にはいってからの二人である。
ヘディンはロプノールの謎を解いた人くらいしか知らなかったが、19世紀の探検隊の略奪行為のためにナショナリズムの沸きおこった中国で調査をつづけるために、中央政府の鉄道顧問を引きうけるなど、あの手この手を使い、ついには調査隊を西域に残したまま、地球を三周してしまったという。
『中国の火薬庫』にも登場した楊増新にかなり紙幅をさいているが、いよいよおもしろい人だ。楊増新を暗殺した樊耀南の動機について、理解を示しているのは注目に値する。楊増新は黄老の術を標榜する旧派の人物だったが、困ったことに、とびきり有能だった。
樊耀南はたしかに野心家であったが、国民党員で革新派を自任する彼にとって、楊増新の存在が革新への嘲笑に思え、許してはならぬものとされたのであろう。新疆の七月事件に似た事件は、規模は小さいながら、各地に発生したり、未発のままに終わったりしたにちがいない。
無能な革新派が実権を握ったために、新疆は乱れに乱れ、ヘディンはいよいよ苦労することになる。
ひとつ気になったのは、東干(漢回)についてである。新疆の動乱は、十全武功の時代から東干が主役だったというから、『書剣恩仇録』で清軍を壊滅に追いやったホチントンのような女性がいたとしたら、東干ということになる(作中では純粋なウイグル族として描かれていたが)。『中国の火薬庫』では東干を漢族回教徒としていたが、、本書では「漢化したウィグル族」で、アリーやハサンではなく、馬仲英のように漢族名を名乗り、ターバンを巻かずに弁髪を結っていたとする。東干とは漢族のような風体のウィグル族なのか、イスラム教に改宗した漢族なのか。いずれの著者も現地を踏んでいるが、民族がからむと難しい。