著者は寧辺のウラン精製工場で働いていたが、1994年に韓国に亡命している。ウラン濃縮の実態や「テポドン」と呼ばれることになるミサイルの情報をもたらしたが、混乱を恐れた韓国当局から口止めされ、危険を世に知らせることができなかった。本書も韓国では公刊できず、日本版が最初の出版だという。
ウラン精製工場で働いていたといっても、技術者ではない。もとは人民軍の兵士で、核施設の建設にかりだされ、完成後、工場の廃液処理部門で働くようになった。秘密保持のために、作業にあたった兵士をそのまま従業員にしたらしい(形式的には除隊している)。
貧弱な設備と幼稚な技術のために、工場にはウランの粉塵がたちこめ、時に廃液を頭から浴びたというが、危険を共にしているだけに団結心が強く、愛と友情の熱血青春核工場とでもいうべき熱っぽい語り口で、仲間と働いた日々を回顧している。
核開発は国家の最優先事業だけに、従業員は特別待遇を受けていた。浴びる放射線量によって特別の食券が支給され、酒、肉、油、砂糖の特別配給を受けることができたし、構内には平壌と同じ商品を並べた売店があり、月間ノルマを達成すると、ビールがふるまわれた。
著者は兵士あがりながら、腕っぷしの強さと統率力で出世していき、アメリカの締めつけで資材の調達がままならなくなると、外貨稼ぎ担当に抜擢される(北朝鮮では各組織がばらばらに外貨稼ぎをおこなっている)。外貨担当は羨望の的だけに、ご多分にもれず失脚し、強制収容所送りになってしまう。幸い、中国との合弁会社の話が進んでいたので、特別に釈放されて仕事に復帰するが、再逮捕の危険が迫り、亡命を決意する。
技術的な話はあまりなく、職場づきあいや親戚づきあい、親分子分関係、配給や報償の実態といった卑近な話題が多いが、重村智計の『最新北朝鮮データブック』や『日本国民のための北朝鮮原論』の記述にいちいち符合している。
本書は1989年の発行で、すでに絶版になっているが、北朝鮮関連書、特に「主体農法」の破綻をあつかった本ではよく言及される本である。国中の山を段々畑にした結果、水害が頻発するようになったとか、全国一斉の田植やトウモロコシ栽培の画一的な強制が食糧難に輪をかけたという指摘は本書をもって嚆矢とするらしい。
追記: 北朝鮮への関心の高まりから復刊され、現在は一般書店で入手可能である。(May01 2007)
著者は在日朝鮮人の技術者で、三重の朝鮮総連支部で部長職を歴任し、「共和国功労メダル」を受賞したというから、朝鮮総連のばりばりの活動家だったといえるだろう。
1981年の最初の訪朝以来、1985年までの5年間、元山農大に水耕栽培用の特殊温室をつくる事業と石炭微粒子化の技術指導にとりくみ、日朝間を何度も往復している。エネルギーと農業という二大問題にかかわっていただけに、専用車をあたえられるなど特別待遇を受け、一般訪朝者の立ちいれない場所にいけたり、科学院と元山農大の幹部から内部情報を聞くことができたという。単なる観光や訪問ではなく、現地でモノ作りをしただけに、記述はきわめて具体的かつ論理的であり、どんなあきれた話にも有無をいわさぬ説得力がある。
稲やトウモロコシを三倍の密度に密植したら、どうなるかくらいは素人にもわかる。白菜やキャベツの収穫重量を増やすために、花軸が出るまで放置したら、トウがたって味が落ち、食べられる部分が減るらいは想像できる。首領様が現地指導されたという「主体農法」を、著者は「独特」、「独自」と婉曲に批判しているが、素人から見ても信じられないような愚行のオンパレードで、これでは食糧難になって当然である。
重要なのは、本書が1980年代前半の見聞にもとづいて書かれたということだ。北朝鮮が窮乏したのはソ連崩壊以後だといわれているが、実際はそれ以前からおかしくなっていたのだ(それを裏書きするのは、WHO(国連世界保健機構)が1979年に発表した、北朝鮮の平均寿命は54歳(北朝鮮側発表では73歳)、女子の平均初潮年齢は20歳という数字である)。
最近、金一族と高級幹部のための食材をつくる特別な農場があると話題になっているが、本書は「首席府農場」の存在にすでに言及している。
『どん底の共和国』の続編で、前者が農業編なのに対し、本書は工業編で、副題に「北朝鮮工業の奇怪」とある。農業も相当奇怪だったが、工業は農業に輪をかけて奇々怪々で、にわかに信じがたい記述もある。
李佑泓の著書を探してでも読もうと思ったのは、橋爪大三郎の『こんなに困った北朝鮮』に、北朝鮮の唖然とするしかない電力供給システムが本書をもとに紹介されていたからだった。いくつか疑問点があったが、要約の過程で生じた誤解と判明した。この項に関する限り、本書の記述は充分説得力がある。
まず、「一地域・一発電所」政策。普通、電力は数万ボルトに昇圧してから送るが、高圧送電には高い鉄塔と大きな碍子が必要になるので、金日成はこう指導したという。
「わが共和国においては、偉大な首領様の賢明な指導により、久しい以前から一地域・一発電所政策が堅持されています。この政策は、独創的な『主体技術』の産物、すなわちわざわざ遠いところにある発電所からの長距離送電で生じる電力のロス、資材の浪費を防ぐという天才的な考案によって実施されたものです」
実際、北朝鮮には鉄塔は見あたらず、やっと見つけた咸鏡=興南間のコンクリート電柱の高さでは6600Vが限界だという。送電効率が悪い上に発電所に障害が発生すると、他地域からまわしてもらえないので、停電が長時間つづくことになる。
次に、配電線の「主体的地下埋設」。1954年着手の戦後復興3ヶ年計画時に、首領様の指示によって、電線は地下埋設された。これ自体は結構なことだが、先進国の技術ですら困難な配電線の地下埋設を1950年代に強行したのは「蛮勇」以外のなにものでもなく、老朽化とあいまって、地下で大量の漏電が起きていると見られている。著者の推計によれば、発電した電力の7割が漏電で失われている。
さらに、トランスなしの「たこ足配電」。普通は数十戸ごとにトランスを設置して各戸に配電するが、元山ではたった一ヶ所の変電所から企業所、家庭等へ直接配電している。そのため電圧の規定は220Vなのに、実測すると180〜130Vの間を揺れうごいており、日本からもちこんだマイコン制御の機械(家電製品から最新の生産施設まで)はすぐに故障してしまう。蛍光灯も電圧が10%下がると点灯しないので、在日朝鮮人が祖国訪問で土産にもっていった蛍光灯は無駄になる。
こういう状態なので、首領様の宮殿やミサイル工場などの特別な施設は自家発電か、変電所から専用線を引いて電力をまかなっている。
重村智計の『最新北朝鮮データブック』にも簡単だが同様の記述があったので(本書にはない情報があったので、別ソースと思われる)、多分、あたっているのだろう。
北朝鮮には石炭乾留工場がなく(日本統治時代の工場は老朽化で操業できなくなった)、したがって化学工業が存在しないという記述にも絶句した。石炭ガスやコールタールからつくられる化学薬品はもとより、コークスすら輸入なのだそうである。
私からコークスの配給要請を受けた大学党委員会は当惑した。初めのうちは、言を左右して配給を拒んだ。驚いた私は、それがなければ特殊温室の建設は不可能であると頑張った。特殊温室の建設には党委員会も魅力を感じていただけに、党幹部たちも困り、ついに共和国ではコークスが生産されないことを認めた。外貨で購入するものであるから、外貨を稼ぐ生産施設でないと配給されないことも明らかにした。
ここまででも充分あきれるのだが、まだ本書の1/5にすぎない。第二次大戦前のレベルの設備しかない炭鉱(事故が頻発)、素人の大量動員によって作られた欠陥道路と欠陥巨大建築群、コークスがないためにネジ釘、鉄筋すら満足に作れない冶金工業(鉄筋なしのコンクリートで高層建築!)、中味は日本製の「国産カラーTV」、汚染物質の垂流し(金大虎の『私が見た北朝鮮核工場の真実』と符合するので、信憑性は高いと思われる)と、あきれかえる話がこれでもか、これでもかとつづく。
なぜ、こんな滅茶苦茶な国ができてしまったのか。指導者を神のようにまつりあげた結果、「無知の蛮勇」がまかりとおったためだと著者はいう。
個人神格化を統治の基本とする体制は、換言すれば徹底した上意下達だけで、下からの建設的な一切の意見を閉ざす。これこそ「主体思想」や「唯一思想体系」を誇示する「主体の国」の特質である。このような体制が支配している国においては科学技術の発展は望めるわけがない。ことのほか猜疑心の強い体制が時々展開する「技術神秘主義者退治」のキャンペーンもあって、科学技術者が権力の侍女になるほかに生きのびる手だてがないからだ。かりに、ひとりの良識的な電気技師がいて、先にみたような「"タコ足配電"を是正しなければ」という至極もっともな苦言を呈しただけで「資本主義思想毒素」に染まった「技術神秘主義者」とやっつけられ、炭鉱に追放されたり、強制労働収容所に送られる体制のもとでは、もはや真の意味での科学技術は存在しないのである。
金正日体制は遠からず崩壊するだろうが、崩壊以後を考えるなら、本書の指摘はきわめて重要である。
内容が多方面にわたっているので、細部には若干の誤りもあるかもしれないが、大筋において正しいなら、いや、一割でも二割でも正しい部分があるなら、北朝鮮のインフラ整備には東ドイツの何倍もの資金が必要になる(東ドイツでは送・配電線をはりなおすところからはじめる必要はなかった)。韓国一国に背負えるとは考えにくく、結局、日本が負担させられるのだろう。
軍事的視点から書かれた北朝鮮崩壊論で、類書やTVには出たことのない情報が多い。
従来、周辺国はどこも北朝鮮の崩壊を望んでいないとされてきたが、著者は最初の章で情勢が変り、北朝鮮崩壊を待望する動きが出てきたとする。
素人には説の当否はわからないが、ソ連崩壊後、居住制限が撤廃されたために、シベリアから人口の流出がつづき、労働力不足を補うために中国人労働者がはいりこんでいるという指摘には虚を衝かれた。シベリアの中国人人口は250〜500万人に達しており、2010年には800万〜1千万人になるというのだ。これが事実だとすれば、ロシアが中国にシベリアを乗っとられるのではないかと危惧するのは当然だし、第三勢力として朝鮮人をいれたがっているという推測もうなづける。
経済危機を脱した韓国が中国市場に食いこもうとしており、マスゲームのできるような北朝鮮の単純労働力に注目していること。2008年北京オリンピックを控えた中国が、北朝鮮をなんとかしたがっていることは、すでに多くの人が伝えている。
第二章では北朝鮮人民軍の実態について純軍事的に分析しており、ここが一番の読みどころである。マスコミでは北朝鮮の特殊部隊が日本海沿岸の原発を襲うとか、ノドンが日本に向けて発射されるといった危機を煽る報道が花盛りだが、著者によれば北朝鮮にはそんな力はなく、特殊部隊が日本に侵攻しようとしても、自衛隊のP3Cと潜水艦に発見され、領海にはいった時点で撃沈され、万一上陸できたとしても、すぐに全滅するという。
核開発については、ミサイルに搭載できるような弾頭を作るのが技術的に難しいという以前に、中国が許さないとしている。純軍事的にいえば、北朝鮮の核武装は、即、日本の核武装をまねくし、北朝鮮崩壊後に生まれる統一朝鮮に核兵器がわたってしまうからだ。
最終章では、北朝鮮崩壊にむけた周辺国の対応策を紹介している。韓国は1997年7月に「30日計画」を作成し、崩壊後、3年で統一を実現する準備をはじめているというし、中国は中朝国境近くに10万人を収容できる難民収容所を建設している。アメリカはモンゴルの旧ソ連軍用アパート群に難民を収容するために、8千万ドルの支出を議会で審議しているそうである。
日本でも、武装難民がやってきた場合を想定した訓練が、いろいろな名目ではじまっているが、それよりも留意しなくてはならないのは、北朝鮮消滅後の軍事バランスだという。ソ連がなくなり、北朝鮮がつぶれるとすると、自衛隊は極東で突出した軍事力となり、中国はもちろん、統一朝鮮の警戒心をまねく。自衛隊の軍備をいかに削減していくかが、日本にとって最重要の課題になるというのが本書の結論である。
なお、著者のサイトには最新の情報が日々掲載されており、とてもおもしろい。ずっと読んでいると、マスコミ人がいかに軍事知識がなく、感情論に終始しているかがよくわかる。
題名だけ見ると中立的なブックガイドのような印象だが、編者が拉致否定で有名になった和田春樹氏であることからわかるように、北朝鮮擁護派の組織防衛のために出された本のようである。
読み進むにつれ、著者たちの必死の形相が目に浮んでくるが、ボクシングでいうとダウン寸前で、もはやパンチをくりだすことはかなわず、クリンチにもちこむのが精一杯といったところだ。
クリンチ戦法の第一は人格攻撃である。本書がとりあげる北朝鮮に批判的な言論人は二つのカテゴリーにわかれる。転向者と奇人変人である。前者には佐藤勝巳、萩原遼、黄長燁、金賢姫、安明進の各氏が、後者には李英和、フォラツェン氏らがはいる。
北朝鮮には怖いというイメージがあったから、わざわざ関心をもつのは社会主義にかぶれている人か、奇人変人に限られていたのは確かだろう。北朝鮮ウォッチャーに社会主義からの転向組と奇人変人が多いとしても不思議はない。
だが、転向者だから信用できないというのは組織内部の理屈である。いまだに麻原彰晃を盲信しているオウム信者と、誤りに気づいて『オウムからの帰還』を書いた高橋英利のような脱会者のどちらが一般社会で信用されるかといえば、これはいうまでもないことである。
李英和氏とフォランツェン氏が、著者たちが決めつけるような奇行の持主なのかどうかは、判断の材料をもたないので保留しておく。しかし、仮りに奇行の持主だったとしても、北朝鮮の惨状を紹介したり、脱北者の救援に尽力した彼らの活動が無価値ということにはならない。著者たちはこれでもか、これでもかと北朝鮮批判派の転向と奇行をあげつらい、彼らがいかがわしい人物だという印象をあたえようとしているが、信者はともかくとして、一般読者には説得力はない。
追記: 本書の記述に対する萩原遼氏の反論が公開されている。和田氏、哀れ。(Apr24 2004)
また、重村智計氏のようなビッグネーム(新聞記者として北朝鮮問題にかかわってきただけで、転向者でも奇人変人でもない)に、独立した章をたてることができず、皮肉と当てこすりに終始したのも、著者たちの本質を示している。
クリンチ戦法の第二は北朝鮮批判本の売上にこだわることである。一つ一つの本について、どれだけ売れたかを執拗に問題にしている。著者たちは、北朝鮮批判本はすべて売らんかなのためだけに書かれた、信用できない本だという印象を作りあげたつもりだろうが(架空戦記物をわざわざとりあげるのも、商業主義の印象を強化するためだろう)、第三者的には羨んでいるようにしか見えない。
クリンチ戦法の第三は北朝鮮批判派の主張を否定する材料があるかのようにほのめかすが、材料の詳細には決して立ちいらないことである。
たとえば、金賢姫氏の著書というか、著書の売上をねちねちつついた後、大韓航空機事件そのものを否定する本があるとして野田峯雄氏の『破壊工作―大韓航空機「爆破」事件』や朝鮮総聯・KAL機失踪事件特別取材班の『謀略は暴かれた――KAL機失踪と「真由美」の謎』をあげる。ただし、内容にはまったく触れていない。
そういう本が出版されていたというだけで、北朝鮮のスパイが大韓航空機を爆破したというのは怪しい、金賢姫は贋物かもしれないという印象をもつ人がでてくるのを期待しているのだろう。拉致否定の際にも使われた事実相対化の手口である。
わたしはたまたま野田氏の本の旧版をながめたことがあるが、あの本は几帳面な上に海外情報とふんだんに接することのできる日本人の感覚でああだこうだ言っているとしか思えない。本書の著者たちも、野田氏の本に信憑性があるとは見ていないと思う。もし、すこしでも信憑性があると考えたら、金正日の甥で韓国に亡命した李韓永氏の殺害事件を謀略と書いているとしている成恵琅氏の著書(未確認)と同じように、野田説を詳しく紹介したことだろう。
和田氏は本書でも、拉致を否定したことはないと繰りかえしているが、同じ「進歩派」陣営の藤井一行氏ですら「和田春樹氏の「拉致疑惑検証」を検証する」という決定的な批判を発表しており、今さら胡麻化そうとしても、無駄な努力というほかはない。
著者たちはなぜ、こんなに北朝鮮擁護に死物狂いになるのか。
金正日政権が崩壊し、平壌の秘密文書館の封印が解かれるのが楽しみである。
普請中
国際交流基金が出している「国際交流」という雑誌の特集「漢字という文明」を本にしたものだという。各分野の専門家が蘊蓄を傾けているだけあって、漢字に関する雑学の宝庫であり、おもしろく読んだ。
目についたところをメモしておく。
江森一郎「寺子屋と漢字教育」は江戸時代の手習の実際を紹介した好文章だが、明治の近代教育以前は御家流が普通で、楷書はまったく普及していなかったという。幕末の長州藩で、漢学者が楷書で届出を出したところ、書体違式のために却下されたそうである。
川本邦衛「ベトナムの漢字文化」は字喃よりもクォック・グーの話が多いが、漢語語彙とベトナム語の切っても切れない関係を語っていて興味深い。
クォック・グーの普及で見た目には漢字が消えたが、漢語起源の近代語彙が流入した結果、むしろ漢語語彙の比率が増えたという。大学入学資格者は「秀才」、大学卒業者は「挙人」、「学位取得者」は「進士」のように、古典的な文化の香りの残る科挙時代の称号をそのまま使っているそうである。もちろん、反撥もあって、ロケットは「火箭」のベトナム字音で呼ばれていたが、ベトナム戦争期に「火の矢」を意味する民族語彙に置きかえられた。
ベトナムにここまで漢字文化がはいりこんだのは科挙の影響だという。朝鮮の場合、科挙を受験できたのは両班に限られていたが、ベトナムの場合、ほとんどすべての国民に科挙の門戸が開かれていたので、漢字教育が庶民レベルにまで浸透したのだ。
田中恭子「東南アジア華人と漢字文化」は、第二次大戦後、独立した東南アジア諸国のナショナリズムと漢字文化の軋轢を語っている。
華人と華語の扱いは、常に重大な政治問題であったが、漢字も例外ではない。華人が使う漢字の字体は、中国大陸で使われている簡体字と、台湾で使われている繁体字の分けられるが、東南アジア各国がどちらを使うかは政治的に決められている。冷戦下で台湾と台湾と国交のあったタイ、フィリピンは繁体字を使い、シンガポール、マレーシアは簡体字を使っている。もっとも、シンガポールは一九六九〜七六年に三つの簡体字表を制定して切り換えを行ったが、マレーシアは八〇年代半ばになって切り換えた。マレーシアは中国がもはや脅威でないと見極めてから簡体字を採用したのである。
高田時雄「中国の漢字の伝統と現在」は表音文字表記の中国語の歴史をとりあげている。注音字母・拼音以前の表音文字というと、黄文雄が幼児に習ったという教会ローマ字くらいしか頭に浮ぶが、なんと8世紀に敦煌ではチベット文字による中国語表記がはじまり、10世紀頃までおこなわれていた。また、イスラム教徒は民国期までアラビア文字で中国語を表記していたが、清朝時代、キルギスに追われた東干族はロシア革命後、アラビア文字をキリル文字に代え、今でも中国語を使っているそうである。
松浦友久「詩歌芸術としての漢字・漢語」には訓読漢詩は文語自由詩だというコロンブスの卵のような指摘がある。
漢字で作る俳句、漢俳も興味深い。五言七言五言の三句仕立てだが、百聞は一見に如かず、実作を引こう。
惜時不遇春 (惜しむらくは時に春に遇わず
不見満天爛漫雲 満天爛漫の雲を見ず
無酒杏花村 酒無くして杏花の村)
林林が1995年に出版した『剪雲集』に見える作だという。
『日本語に主語はいらない』につづく本である。単行本の内容を薄めてリライトしただけの安易な新書がすくなくないけれども、本書は違う。『日本語文法の謎を解く』という表題は決してはったりではない。
前著の後半で可能と使役が「ある」と「する」の対立の上に成立しているという説が出てきたが、十分展開されずに終わっていた。本書は「ある」と「する」の対立を日本語の原質といえるようなレベルにまで掘りさげている。
「ある」と「する」に注目した論者は著者がはじめてではないが、言語プローパーの議論に固執して掘りさげた結果、透徹した認識につきぬけ、日本語のみならず、日本文化全般をも「ある」と「する」の対立で照らしだすことに成功している。
結論を先回りして言ってしまえば、日本語は現実を「人間の積極的な行為」として表現しない。それよりも「何かがそこで自然発生的に起こる」、あるいは「ある状態で、そこにある」という発想を基本として言葉を組み立てているのである。そのために、日本語は行為を起こす人間よりも場所、空間にこだわる。英語はその反対で、現実を可能な限り「人間の積極的な行為」として表現しようとする。だから人間そのものの表現にこだわる。歌舞伎のイメージで言えば、日本語は「舞台」を、英語は「役者」を表現する傾向が強いのだ。
前著のテーマだった主語否定論は、「ある」と「する」の対立という展望に置きなおされ、より強固に基礎がすえられた。尊敬語は相手を「ある」の領域におくこと、謙譲語は自分を「する」の領域のおくことという敬語の理解も説得力がある。
三上章生誕百年をむかえた今年、本書によって、日本語文法の歴史に新たな一ページが切り開かれたといってよい。
おなじみのコンビによる対談本で、言語という切口から世紀の変り目をながめ直している。
20世紀は「革命と戦争の世紀」といわれてきたが、本当は「言語の世紀」だったのではないかという問題提起から話をはじめている。
革命と世界戦争がおきたのは、言語によって大衆動員が可能になったからだという指摘はほかの人でもできそうだが、19世紀後半にモダニズムと国家主義が手をたずさえて登場したという指摘になると、この二人の本領発揮である。国語と国家が確立したので、フロベールのような過激な文学者は国語をあやつろうとし、国家主義者は国家をあやつろうとしたというのだ。似たようなことはクリステーヴァも言っているけれども、ものものしい理論武装で固めてあって、こんな風にあっさり語られてしまうと拍子抜けする。
総力戦が大衆社会を作ったという指摘もおもしろい。
山崎 戦争をやるたびに国家は国民を動員します。国民を動員すると、人々の社会参加、政治参加、情報への関心が強まるんですね。二つの世界大戦のあとも典型的でしたが、その戦争が終わると、一気に大衆化が進むんです。
わかりやすい例を一つ挙げれば、女性の社会進出は、必ず戦争が背景にありました。というのは、男は戦争に行きます。あとの工場は誰が守るのかというと、女性が守るわけですね。つまり女性は家庭から社会に出るわけです。
それに似た現象は、男が軍隊に入るということにも伴っていて、戦争に行ったがためにいろいろな近代兵器を学んだり、共通語や最低限度の社会常識を学んだりする人たちが増えてくるわけです。
江戸時代の参勤交代には経済効果だけではなく、教育効果があったという説が出てきているが、参勤交代が戦争の代りだったとすれば、戦争に教育効果があってもおかしくないわけだ。
西欧では国語(共通語)は民間の努力で作られ、サロンや文学者が権威になったのに対し、日本では国家が上から広めたというのはよく言われることだが、それにつづいて、国語改革は書く速度を速くすることを意図しただけで、書く以前の考える力は改良しようとしなかったという指摘にはうなった。
山崎氏は阪大で入試を担当したことがあるが、平凡な写真を「見たとおりに記述せよ」という問題を出したところ、予備校や新聞から囂々たる非難が巻き起こったという。客観的な記述をさせると、「意見も主張もできないから個性の否定」だというのだが、客観的な記述を軽視し、他愛もない感想を重視してきたところに、近代日本の病弊があるというのは、まったく同感である。
丸谷 怒鳴るのが文章だという錯覚、あるいは泣き落しが文章だという錯覚、それでいくと散文は成立しないんです。
山崎 左翼文学は怒鳴り散らし、「私小説」は泣き落す。文壇そのものが、隠語の世界だったんですね。
客観的な記述のないところには、仲間内でべたつき合う隠語の世界しか成立しない。子供に読書感想文や詩などを書かせる暇があったら、記述の練習を指せるべきなのである。
通俗科学解説書だろうと思って読みはじめたが、期待はいい方に裏切られることになった。著者はλ計算を創始したアロンゾ・チャーチに教えをうけた数学者で、大学で教鞭をとったこともあるそうだが、なかなかの才人で、アラビアン・ナイト風、カフカ風、ボルヘス風等々のコントをまじえながら、アルゴリズムというジャンルの前史を語っていく。ホフスタッターほどかっこよくはないが、部厚い教養を感じさせる。
アルゴリズムの前史だから、当然、ライプニッツが前半の主役になる。ライプニッツはニュートンのライバルだったが、著者は本書の前にニュートンと微積分学の歴史をあつかった『Newton's Gift』という本を書いているそうである。ニュートンは物理的世界を記述する数学の創始者、ライプニッツは記号的世界をあつかう数学の創始者というのが著者の考える位置づけで、ニュートンとライプニッツを押さえることで、近現代社会をまるごと包みこんでしまおうという企みである。
後半にはフレーゲ、カントル、ヒルベルト、ゲーデル、ポスト、テューリング、シャノンというおなじみの名前がならぶが、師にあたるアロンゾ・チャーチに大きなスペースを割いているのは麗しい師弟愛だろうか。
原文はかなり凝った文章らしいのだが、訳文は衒学味皆無で味も素っ気もなく、といって、あまり読みやすいともいえない。わかりやすくするならするで、もっと割りきった方がよかったのではないか。
表題は「病気」となっているが、内容的には「症状はなぜ、あるのか」について書いた本である。
答えは生体の防御に役立ち、適者生存に有利に働くから、だ。
最近、ようやく知られるようになった発熱が病原体の増殖をおさえるのに役立つという事実にはじまり、下痢や嘔吐、鉄分不足……と、400ページ近い分量にさまざまな事例をてんこ盛りにしている。
著者は自分の立場を進化医学(ダーウィン医学)とものものしく呼んでいるが、一見、不快に見える症状が適応戦略に役立っているということは、野口晴哉が80年前から指摘している。
もう30年近く前になるが、『風邪の効用』を読んだ時の衝撃は忘れられない。野口晴哉の直観に、科学は半世紀以上たって、ようやく追いついたのである。
死がなぜ誕生したかを細胞レベルから考えようという試みである。
ということは、死は無性生殖で増える細菌類にはまだなく、有性生殖とともに生まれたという考え方を前提としている。
役目を終えたり、病原体に感染した細胞が自殺をとげるアポトーシスという現象はよくしられているが、著者はアポビオーシス(寿死)という概念を新たに提唱する。
アポトーシスは細胞分裂をおこなう再生系の細胞にしか見られないが、神経細胞や心筋細胞のような非再生系の細胞も、時間がたって、機能が果たせなくなると、アポトーシスとよく似た整然たるプロセスで自死するからだ。
アポビオーシスがある以上、個体が永遠に生きるということはありえない。神経細胞か心筋細胞の寿命が尽きたら、死ぬほかはないのだ。
では、死にはどのような意味があるのか?
アポトーシスもアポビオーシスも、いずれも遺伝子によって制御された細胞死であり、きちんとしたプロセスを通って完結する。ここで重要な点は、いずれの細胞死においても、生命の設計図であるDNAが切断されることである。死の間際にエネルギーを消費してDNAを積極的に断片化するという事実は、細胞死の本質が、「遺伝子によるゲノム消去」であることを意味していると考えられる。
遺伝子が、新しい遺伝子の組み合わせからなるゲノムとして恒続していくためには、細胞および個体レベルで古くなったゲノムを確実に消去することが、必要不可欠であったにちがいない。さもないと、遺伝子は新しいゲノムとして生を更新できなくなってしまうはずである。遺伝子の存続をもっとも効率よく確実にする手段が、いずれの細胞にも死をプログラムして、細胞および個体ごとゲノムを消去することであったと考えられる。
この結論自体には意外性はないが、原核生物やゾウリムシ、腫瘍など、多くの事例をあげながら、薄い絵具を塗り重ねていくようにしえ、死の意味に迫るプロセスは一読に値する。
立花隆の『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本』に秘書募集の顛末が書かれていたが、著者はその時、500人の応募者の中から採用された人である。
『捨てる技術』を批判した文章の中で、立花隆は資料は捨ててはいけないと力説していたが、資料を持ちつづけるために猫ビルを建て、秘書まで傭ってしまったわけである。
隙間という隙間に本を詰めこんだ猫ビルの中で、資料探しと整理に没頭し、編集者の催促の電話や読者からの電話(脅しもあるが、弁護士が投げだすような切実な相談事が多い)をさばくという多忙な日々が語られるが、田中角栄死去のような突発事件がしばしば起こり、著者は裏方としてきりきり舞いさせられる。楽屋裏をのぞく興味で読んだのだが、同時代としてももおもしろく読める。
立花は東大先端研の客員教授になり、インターネットに開眼するが、捨てられない性格がここでも発揮され、デスクトップはすぐにアイコンで一杯になってしまうという。
先端研に死蔵されているお宝をさがすために、立花は先端研探検団を結成し、その成果の一部が『謎のフィルム発見と白鴎会資料』としてまとめられているが、学生との交流は立花にとっても、著者にとっても刺激的だったようだ。
著者の多忙で充実した日々は、立花隆バブルの崩壊によって、あっけなく終わる。雇主側の事情で辞めなければならなくなっただけに、最後の5ページには恨み節がまじっているが、このくらいはやむをえないだろう。
立花に見こまれた著者だけあって、筆の方もなかなかたち、おもしろく読んだ。立花の前にはなんと小松左京の秘書をやり、立花事務所退職後はスタジオ・ジブリの企画部門で宮崎駿に仕えたというから、何十年か後に書かれるであろう回顧録が楽しみである。
アスパンという架空の大詩人(シェリーあたりがモデルらしい)の恋人ジュリアーナがまだ生きていると知った文芸批評家が、アスパンの遺文を手に入れるために、彼女が姪と住むヴェニスの屋敷に、偽名を使って下宿するという話である。詩の中で美しく歌われたジュリアーナは強欲な老婆(と主人公には見える)になっていて、一筋縄ではいかない。ひょっとしたら、はもう燃やしてしまったかもしれず、主人公はかすかな手がかりに一喜一憂する。
はたして主人公の文芸批評家が恋文を読むことができるかというサスペンスで、一気に読んでしまった。ジェイムズの作品にしては珍らしいことだ。もし、ヘンリー・ジェイムズを初めて読むという人がいたら、本作を推薦する。
多分、多くの人は読み終った直後、ジュリアーナは嫌な婆さんだという印象をもつだろうが、時間がたつにしたがい、彼女に同情的になっていくはずだ。嫌な婆さんと見えたのは、あくまで主人公の目を通したからで、そうではないかもしれない材料を周到に埋めこんであるのである。記憶の中で読後感が化学反応をおこし、色合いが変っていくというのが、ヘンリー・ジェイムズの小説の妙味なのだ。
比較的短い作品ながら、ヴェニスの頽廃とジェイムズ小説の骨法が味わえるという意味でも、本作はお勧めである。
1985年にポルトガルで映画化されているそうだが、ビデオにもDVDにもなっておらず、IMDbにも評が出ていないので、まったく見当がつかない。ジュリアーナとミス・ティータをフィリダ・ロー、エマ・トンプソンの母子にして、再映画化したら、おもしろくなると思うのだが。
ジェイムズの中期の作品、『ワシントン・スクエア』の新訳である。訳文は最初の2ページを除くと、かなり読みやすい。
なんで今頃と思ったが、キネマ旬報社から1999年に出たということは、ジェニファー・ジェイソン・リー主演、アニエスカ・ホランド監督のリメイクに当てこんだのだろう。
残念なことに、この作品はウィリアム・ワイラー監督による最初の映画化(『女相続人』)のようには話題にならず、日本では公開されなかった。公開どころか、ビデオ・DVDの日本語版すら出ていない(US版のDVDで見たが、決して悪い作品ではない。ただ、暗すぎた)。
『アスパンの恋文』もそうだが、ヘンリー・ジェイムズは老嬢の純情を描くのが残酷なくらいうまい。ジェイムズは生涯独身だったから、老嬢という境遇に屈折したシンパシーをもっていたのかもしれない。
後味のいい作品ではないが、読後感が後を引く。強すぎる恋愛願望をもった未婚女性が増えているというから、日本ではヘンリー・ジェイムズの読者は減ることはないのではないかという気がする。