エディトリアル   Augst 2003

加藤弘一 Jul 2003までのエディトリアル
Sep 2003からのエディトリアル
Aug01

 電子本出版のパピレスが個人出版本の委託販売をはじめるという(Mainichi INTERACTIVE)。

 見出しを見た時はJaGraの「自費出版ネットワーク」の電子版かなと思ったが、記事を読んでみると、コミケのネット版を意図していることがわかった。コミケの市場規模は年間十数億円だそうで、今や「同人誌」という言葉の意味が完全に変ってしまった(昔は「同人誌」といえば、文学青年が費用を負担しあって出す雑誌のことをいったのである)。

 コミケの繁盛はイベント的要素が大きいにしても、同人誌や同人ソフトを常備する書店が増えているから、ネット上の委託販売は成功するかもしれない。

 同人誌をやっている人たちはDTPのスキルが高く、版下まで自分たちで作るくらいはざらだそうだから、電子本など朝飯前だろう。出版というより、単なる委託販売という範疇で考えた方がよさそうだ。

 似たような動きはアメリカではすでにあって、Adobeの肝煎で「レッドペーパー」という電子本委託販売サイトがオープンしている。

 値段を見ると25¢が一番多く、1$を越えるものは数えるほどしかない。こういう少額決済にはクレジットカードは向かない。「レッドペーパー」はどのような決済システムをとっているのか? Hotwiredから引く。

 レッドペーパーでは少額決済システムを使って寄稿者への支払いを行なっている。著者は自分の著作に対して2セント以上の好きな値段をつける。そのうちの94.75%を著者が受け取り、5.25%がレッドペーパーの取り分となる。新規ユーザーは会員登録をする際、記事の購入に使われるアカウントに預託金として3ドルを入れる。

 こういう話題になると、必ず出版業界の「中抜き」の話になる。取次だけでなく、出版社、書店もいらなくなるというわけで、先日もペンクラブの電子メディア委員会でもお決りの議論になった。

 「コピーライト・マーケット」という新語が出てきているが、要するに少額決済システムをどうするかという話であって、5年くらい前だったか、『電脳売文党宣言』という対談本に参加した頃と状況は変っていない。

 iModeが通話料金に加算する形でコンテンツ販売に成功したのを手本に、NTT系企業や電力会社系企業がインターネット上の少額決済システムを準備しているというのだが、それが実現すれば、パピレスの「委託販売コーナー」や「レッドペーパー」のような電子本販売サイトが族生し、取次+出版社+書店の代りをするようになるかもしれない。

 そうなった場合、次の三点が問題になるだろう。

1. 委託販売なので玉石混淆になる

 出版社の場合、出版する価値がある内容かどうかを必ず篩にかけ、それが出版社のブランド価値となっているが、単なる委託販売では玉石混淆になり、読者が本を選ぶ手がかりがなくなる。

2. 外部の規制に対して無防備になる

 一連の2ちゃんねる訴訟に見られるように、掲示板管理者の責任が判例として確立しつつあることから考えて、委託販売側にも著作者との連帯責任が求められるようになるだろう。自らの責任で出版するかどうかの価値判断をおこなう出版社なら、著者とともに裁判で戦う覚悟がある(はずだ)が、単なる委託販売業者では及び腰になり、危ない本は最初から排除しかねない。

3. 新人を育成できない

 出版社は新人を育成できるような人材とノウハウをもっているが、委託販売業者にはそんな力も意欲もはないだろう。

 1の玉石混淆問題については、書評サイトで十分解決されると思う。Amazonの読者レビューなどには、プロの目から見てもいい書評が出てきている。レビュアーや書評サイトが出版社ブランドに代わる選択基準を提供するだろう。

 2は表現者側の覚悟でしか解決できないと思う。少額決済システムが使えなければ、無償公開すればいいという考え方である。

 究極的にはそうした覚悟がなければ表現者になれないのであるが、実際問題として、多大な時間と取材費をかけた仕事を無償公開しなければならないのでは本格的な仕事が出にくくなる。個人の覚悟だけでは限界がある。

 3は現在、出版社に勤めている編集者が独立して、版権エージェントを兼ねた電子本販売サイトをはじめることで、ある程度解決できるのではないかと思う(技術的な問題は、電子本販売サイト用ソフトウェア・パッケージが出てきて解決されるだろう)。ただし、幻冬舎をはじめた見城徹氏のように、何人か人気作家を押さえていないと、新人を育てる余裕はないかもしれない。

 既存出版社の将来について否定的な見通しを書いたが、実はそれほど悲観していない。既存出版社には紙の本が出せるという絶対的な売りがあるからだ。

 紙の本として採算のとれない学術的な出版は嫌でも電子本に移行していかざるをえないが、詩や小説、童話、絵本は紙の本が圧倒的に読みやすく、紙の本優位がつづくと思うのだ。

Aug02

 1日のニュース・ステーションの「環境立国」シリーズで、鳥取大の津野幸人氏が開発した、田植も除草剤も草取りもいらない「水溶性布マルチ水稲栽培法」が紹介された。うまい話ばかりならべてマルチ商法みたいだが、実績のあるちゃんとした農業技術である。

 この農法は、綿花を加工する際に出る落ち綿という綿くずをフェルトのように固めた水溶性布を使う。水溶性布二枚の間に種籾をはさんで、ロールに巻いたものを工場で作っておき、水田に運んで、この布を絨毯のように敷きつめる。布といっても、脱脂綿のように手でちぎれるほどやわらかいので、棚田のような不規則な形の水田でも無駄なく敷くことができる。

 敷き終ったら、土と水溶性布の間に水を注入する。布は水面に浮かび、数日で種籾が発芽してくる。芽と根は上下の水溶性布を突きぬけて伸びていく。布は太陽光を通すので、雑草も発芽するが、稲が三葉という段階にはいった時点で水を抜くと、水溶性布が土に密着し、育ちかけた雑草を押しつぶしてしまう。その後は普通に水を張るだけである。水溶性布は放置しておけば、腐敗して、植物性の肥料になる。

 山間の棚田で実験していたが、水溶性布マルチの田は本当に雑草がなかった。水溶性布は原料が綿くずだからコストは安く、田植の手間や除草剤の費用ととんとんだという。

 この農法は最初、「再生紙マルチ水稲栽培法」といい、再生紙を使って、ある程度の実績をあげていたが、紙のために不規則な田では無駄が出ること、専用の田植機が必要なことから、あまり普及していなかった。再生紙を安価で、あつかいやすい水溶性布に代えたことで、問題が解決されたわけである。

 「マルチ水稲」で検索すれば関連ページがヒットするが、農林水産省東海農政局津統計・情報センターの「水溶性布マルチで水稲直まき栽培(名張市)」と農林水産省統計部の「農林漁業現地情報」、OZ-aki氏の「再生紙マルチ栽培」がまとまっている。

 『朝まで生テレビ』の「若者の“暴走・獣性”と“無責任”大人で日本沈没?!」を見た。この数年、見ても1時間足らずで切っていたが、今かかえている原稿と関係がなくもないので、半ば逃避モードでTVをつけつづけた。

 大した内容はなかったが、型の復権というところまでは、ほぼ共通の認識になりつつあるようである(宮台真司氏が西尾幹二氏に同調し、「しごき」擁護で意見が一致する場面は笑ったが)。

 1960年代半ばから、受験戦争批判の具体面として、暗記ものと反復練習が日教組・文部省両方から攻撃された。暗記と反復練習をやめれば、「個性尊重教育」ができるかのような幻想が蔓延し、ついには円周率を「3」と教えるところまできてしまった。

 基礎ができていないのに、「個性」を発揮しろといっても無理である。漢字を廃止すれば、一挙に欧米なみの社会が実現するという暴論がはびこったことがあるが、「進歩主義」インテリの妄想という点で、「個性尊重教育」も根は同じである。

 最近話題の隂山メソッド(『徹底反復「百ます計算」』)や斎藤メソッド(『声に出して読みたい日本語』)はいずれも失われた型を再生しようという試みである。

 暗記や反復練習を必要としない子供が少数いるのは事実だけれども、あくまで例外的な存在であって、ほとんどの子供には暗記と反復練習が必要なのだ。

 先日、民主党の岡田克也幹事長がTVで「暗記教育」を批判していたが、時代遅れの「進歩派左翼」教育観はまだまだはびこっている。「進歩」が「退歩」にすぎないことを、これからも言いつづけなくてはならない。

Aug03

 NHKでイギリスのプロダクションが製作した朝鮮戦争のドキュメンタリー前後編90分が一挙放映された。当時の記録フィルムとCGによる戦況図、ナレーションだけで構成されていたが、手に汗握る展開で、一時も目を離せなかった。

 前篇の「北朝鮮軍とプサン攻防戦」はソ連の対日参戦から、トルーマン提案による38度線を境界とした南北分割占領、北側の統一選挙拒否、韓国・北朝鮮それぞれの建国、開戦、北朝鮮の軍事行動を侵略と認定した国連決議、アメリカ軍の敗退につぐ敗退、凄惨な釜山攻防戦まで。

 緒戦でアメリカが苦戦したくらいは知っていたが、ここまでボコボコにされていたとは。

 アメリカ軍が大きな犠牲を出したのは不意を突かれたからだ。対日戦終了後、アメリカはこれからの戦争は核中心になると考え、歩兵を削減していた。日本に駐留していたのは練度の低い部隊で、装備は貧弱だった。トルーマン政権がアジア政策を固めていなかったことも大きい。

 一方、北側はスターリンと毛沢東の支持のもとに、周到に戦争準備を整え、T-34を中心とする機甲師団で怒濤の南進を開始した。練度が低く、能力よりも情実で抜擢された士官の多い韓国軍は総崩れとなり、前線に急遽投入されたアメリカ軍は重火器をろくにもたず、丸腰で立ち向かうようなものだった。兵器の不足はその後もつづいて、1/3が戦死したり捕虜になった師団まであったという。

 後編「中国軍の介入 そして休戦」は戦況を一変させた仁川上陸作戦と北側の退却、アメリカ軍の38度線越境、中国の参戦、38度線でのもみあい、マッカーサー解任、中国の企てた春期大攻勢の失敗、戦線の膠着、休戦協定締結まで。

 休戦交渉で一番問題になったのは、南に残りたいと意志表示した北側の捕虜を北に送還するかどうかだったという。最終的には本人の意志にまかされることになったが、この時のゴタゴタが『JSA』のヒロインに影を落している。

 萩原遼氏の『朝鮮戦争』は読んでいたが、あの本は鹵獲文書の分析が中心で、それはそれでおもしろかったが、基本的な知識をもった上で読むべき本だった。

 金日成が開戦を決意したのは、南に浸透させたゲリラ部隊の撹乱活動はある程度の効果をあげたものの、それだけでは半島の赤化統一が無理と判断したためだという。北朝鮮暴発論では必ず特殊部隊の韓国潜入という話が出てくるが、開戦前の共産ゲリラの活動がトラウマになっているのだろう。コードウェナー・スミスに無数の中国人が宇宙から降ってくるという変な話があったが、人海戦術をとる中国軍はどんなに犠牲が出ても部隊を投入しつづけ、一日二万の死者が出たという史実を踏まえているのだろう。無知だといわれたらそれまでだが、「そういうことだったのか」という発見が多数あった。北朝鮮問題に関心のある人は、最低限、この番組に出てきた知識くらいは押さえておくべきだ。

 残念なのは、この番組はイギリスから買ってこなければならなかったことである。NHKはなにをしていたのかと言いたくなったが、きちんと事実を描いたなら、抗議が殺到したに違いないことを考えると、望むだけ無駄かもしれない。

 若い人は信じられないだろうが、NHKが『あの時世界は』というシリーズで、冷戦の原点となった「カチンの森」事件をとりあげたところ、「進歩」的なマスコミが一丸となって攻撃し、「市民」を自称する集団が抗議を繰りひろげたことがあった。岩波新書の『昭和史』の276ページにはこう書いてある。

 そして二十五日、北朝鮮軍が攻撃してきたという理由で、韓国軍は三八度線をこえて進撃を開始した。二十六日、北朝鮮軍は韓国軍に反撃、逆に三八度線をこえた。

 この記述は岩波の社会主義盲従体質を示すものとして有名だったが、いまだに店頭に並んでいるとは。

Aug04

 精神科医の風野春樹氏が公開されている「私家版・精神医学用語辞典」を読んでいたら、「睾丸有柄移植事件」という項目があった。

 大正14年6月に東京の戸山脳病院で実際にあった事件なのだが、あまりにもとんでもない事件なので、興味のある方はぜひオリジナルを読んでいただきたい。ただただ唖然である。

 戸山病院の事件もさることながら、睾丸移植が本当におこなわれていたことがわかって(ロジャー・ゴステンの『老いをあざむく』という本が詳しいらしい)、疑問が一つ解けた。

 エイズが話題になり出した頃、エイズのルーツについて生物兵器説をはじめとする奇説珍説が乱れ飛んだことがあった。そうした中に、ヨーロッパの富裕な老人の間では、回春のためにチンパンジーの睾丸(人間の数倍ある)を移植する手術が流行っていたが、たまたまエイズに罹ったチンパンジーの睾丸を使ったためにエイズに罹患した老人が出て、ゲイのネットワークを通じて感染が広まったという説があったのである。

 チンパンジーのエイズ・ウィルスと人間のエイズ・ウィルスは塩基配列がかなり違うということがわかり、この説は否定されたが、本当にそんな馬鹿な手術がおこなわれていたのか、ずっと引っかかっていたのである(種の違う動物の臓器を移植したら、激しい拒絶反応が起こるのではないか)。

 ところが、風野氏のページから引くと

 1916年、シカゴのフランク・リズトン博士は同僚をわきに連れて行き、自分の陰嚢のこぶを見せて彼を唖然とさせたそうだ。博士は自分自身の一対のそばに別の男性の睾丸の一部を縫いつけていたのである! 博士は54歳で手術を行うまでは元気がなくなったと感じていたが、手術後はめきめき体調がよくなったし、セックスも順調になったのだとか。

 カリフォルニアのサン・クウェンティン刑務所の医師スタンレーも、睾丸移植の実験を行っている。彼は処刑された囚人から睾丸を取り出し(人間のものが手に入らないときはヤギやブタで代用したとか)、どろどろにすりつぶしたものを太い注射器で腹部の筋肉に注入。数週間のうちに、被験者たちのニキビ、喘息、リウマチ、老衰は顕著に改善、囚人運動会でも目立って成績がよくなったという。

拒絶反応については依然として不明だが、実際に睾丸移植がおこなわれていたことだけははっきりした。イェイツもこの手術を受けたことがあるそうである。

 エイズの睾丸移植説にふれているページがあったらリンクしようと検索したが、どうも見あたらない。まさか妄想だとは思えないのだが、不安である。

 関係ないが、2ちゃんねるの「真・新潟大学医学部医学科(・∀・)スッドレ!! 」で、こんな記事を見つけた

コラムは老人医療を扱った内容で、最終回のこの回は病理解剖の話。

「私も医師の端くれで、医学の進歩のためなら、病理解剖は喜んで受けたいと思っている。…私の病理解剖で、一つだけ変更していただきたい点がある。それは解剖の最終段階に、お腹の中から睾丸を引っ張り出す作業がある。あれをやらないで睾丸をそのまま体内にのこしておいていただきたいのである。洋風の天女はムチムチした体には似合わない、小さな羽が生えているらしい。和風の天女は、空気力学的には絶対に飛べない、羽衣で空を舞うようだ。…もし万一、運良く天国に行って、そんな天女を見たとき、美しいなあと思ったり、後を追っかけたりするには、やはり睾丸がなければその気にならないのではなかろうか。天国までいって、ただ蓮の葉の上でのほほんとしている手はないだろう。…幸せで活動的な天国を楽しむには、私は睾丸が必要だと信じている。『死しても、ますます』である。」

 医者という人種は……。

Aug05

 4日、漫画家、作家、出版関係者らで作る「貸与権連絡協議会」(藤子不二雄A代表)が出版物を貸与権の適用除外としている著作権法の改正を訴える声明を出した(Asahi.com)。

 この件で漫画家や推理作家の団体が数年前から積極的に動いていて、文化庁も前向きだという。文化審議会著作権分科会でも審議されているし、あまり影響のないペンクラブなどにも呼びかけがあった。

 貸与権はビデオやDVD、CDではすでに確立していて、レンタル店は一般向けよりも価格の高いレンタル専用の商品を使わなければならない。一般商品との差額分が著作権者にいくのである。

 本の場合も貸与権は認められているが、貸本屋()は零細なところが多かったので、暫定措置として適用が除外されていた。

 ところがマンガ喫茶(複合カフェ)の流行と、一部のレンタルビデオ店が貸本に進出しようとしているので、本も貸与権を行使できるようにしようという動きが加速化したのである。

 なぜレンタルビデオ店が貸本に食指を伸ばしたのかというと、DVDのせいなのである。今、ビデオは急速にDVDにシフトしているが、レンタルの世界も同様で、都市部の店では新作はDVDの方が多くなっている。DVDはビデオの1/3〜1/5の容積しかないので、DVDが増えていくと、棚に空きができてしまう。そのスペースに貸本を置こうというのである。

 将来的には新古書店や図書館にも貸与権をおよぼそうという思惑がある。

 貸与権で潤うのは漫画家と推理作家が中心で、純文学畑はまり関係はないが、反対する理由もない。わたしの出た話しあいも原則賛成で進んだが、ただ一つ、初版刊行後、一定期間は図書館をふくめて貸与を凍結するという案には異論が出た。

 一部のCDが発売後一定期間をレンタル禁止にしているのを真似たわけだが、本でそんなことをしたら、読者の反発まねくのは必定だし、それで利益を売るのはごくごく一部ではないか(推理小説でも数人程度)というのが理由だ。

 想像だが、レンタルの対象になるような本は、レンタル専用本向けのカバーを別に刷って、かぶせることになるのではないか。そうなると、図書館はどういう形になるのだろう。

追記:昔ながらの貸本屋なんてもうないと思っていたが、ちゃんと生き残っていて、全国貸本組合連合会という団体があるそうだ(理事長は「現代マンガ図書館」の内記稔夫氏)。若い人は貸本屋なんて見たことがないだろうが、1960年代まで、小さな家族営業の店がたくさんあったのである。有名出版社の中にはルーツが貸本屋だったというところがすくなくなく、日本の書籍文化にはたした役割は大きい。

Aug06

 5日、長野県の長野県本人確認情報保護審議会と総務省の間で住基ネットの安全性をめぐる公開討論会が開かれた。Mainichi INTERACTIVは討議の内容を詳しく紹介している。

 住基ネットはセキュリティをもっと高めなければならないし、費用をかければ高めることは可能だが、総務省は十分安全と言いはるだけで、費用の話を避けている。

 総務省が費用論議から逃げるのは、住基ネットのコストが現在でも予想の倍を越えているからだろう。長野県側の出した数字を引く。

 総務省は自治体が望んだ結果として住基ネットができたと言う。しかし多くの自治体は、自治事務なのに決定権は市町村にはなく、国の押し付けで、地方分権とはほど遠く、行政事務量や事務経費は削減されるどころか従来よりかかるという。総務省は住基ネット構築費用は391億円としているが、実際は2倍強の約805億円がかかっており、1年当たりのランニングコストは190億円。長野県ではシステム維持のために5億3300万円かかっている。

 長野県側がもとめているような安全対策をしたら、いくらかかることか。

 政府側パネラーがこんなことを言っている。

安田 FWで守っても、とおっしゃいませんでしたか。守っているのにどうして入れるんですか。設定をきちんとしていれば、守れるはずです。

 設定をきちんとすればといっても、実際に設定するのは自治体の職員である。予算があれば、外注するという手もあるが、貧乏自治体は職員がやるしかない。外注にしても、セキュリティ情報に詳しい技術者がどれだけいるのか。

 この手のセキュリティ論議をながめていると、司馬遼太郎がよく書いていた旧日本軍の戦車の話を思いだす。第二次大戦時、各国の主力戦車の最大装甲は100mm前後だったが、日本は一部に75mm装甲の戦車があったものの、大半は25mm装甲の九七式中戦車だった。こんなヘナヘナの装甲で戦車戦をやったら、「ブリキの棺桶」になるのがおちだ(ノモンハンではそうなった)。

 大半の自治体のセキュリティは九七式中戦車並だろう。戦車戦なら、「ブリキの棺桶」で突撃して死ぬのは戦車兵だけだったが、住基ネットは一ヶ所でも破られたら、不必要に充実した検索機能によって、自由自在にデータを抜けるようになっているのだ。コスト論議を逃げている総務省とその御用学者は精神力でセキュリティが守れるとでも思っているのだろうか。

 住基ネットについてはスラッシュ・ドットの議論が盛んだが、長いので読んでいない。住基カードのセキュリティについては、岩手大の山根信二氏の「住民基本台帳カードをベースとした連携IC カード導入の技術的問題点」が一読の価値がある。

Aug07

 アメリカ国防総省は個人の全経験を記録し、データベース化する「ライフログ」というプロジェクトを開始したが、その目的はTIA(テロ情報認知)プログラムのような個人の監視ではなく、人工知能の構築にあるという記事がHotwiredに出た。

 クォリティにもよるが、生まれてから死ぬまで、すべてを動画にとり、録音し、読み書きした文書を保存し、感想をメモしたとしても、数百テラバイトでおさまるという試算があったと思う。自主的に全経験保存を実践しているこういう人とか、ああいう人もいるわけである(このあたりの話は『本の未来はどうなるか』に詳しいが、題名と内容に随分ズレがあるなぁ)。

 人工知能が目的という話は、「ライフログ」を最初に伝えたHotwiredの5月20日付「あらゆる個人情報を記録する米国防総省の新プロジェクト」でもすでに触れられている。同記事から引くと、

 「この技術により、戦闘員や司令官にとって、より効果的なコンピューターによる補助システムを開発できるかもしれない。使用者の過去の体験に容易にアクセスできるためだ」。DARPAの広報、ジャン・ウォーカー氏は電子メールでこのように述べている。

 「補助システム」については同時に掲載された「米国防総省、士官を補佐するデジタル・アシスタントの開発に着手」に概要が載っている。

 今回の記事は5月20日の記事を敷衍したもので、「デジタル・アシスタント」について多少肉づけされたものの、新味はない。反対論が燃え上がったので、国防総省は火消しに躍起になっているのだろう。

 5月20日の記事には次のような疑念が紹介されていた。

 確かにライフログは、補助システムの開発に使用されるかもしれない。だが同時に、テロ容疑者の身元の割り出しにも用いられる可能性がある、と『電子フロンティア財団』(EFF)のコリー・ドクトロー氏は指摘する。たとえば、オサマ・ビンラディン氏の率いるアルカイダのメンバーが、毎朝10時にある通りに姿を見せ、売店でベーグルと新聞を買い、母親に電話をかけていたとする。仮にこれと同じ行動をとれば、おそらくそれだけでアルカイダのメンバーにされてしまうことだろう。

 「より多くの個人に特有の行動パターン――日課、人間関係、習慣――がデジタルフォームで示されれば、集団の中から個人を区別したり、その個人を監視したりすることが容易になる」と、アフターグッド氏は電子メールに書いている。

 今回の記事は上の疑念に対する回答とはなっていないように思う。

 日本版Hotwiredの「デジタル虎の穴」では「批判の中「LifeLog」始動へ」という議論の場が設けられているが、高間剛典氏は「ただタイミングを考えると、LifeLogの話題がTIA予算カットが話題に上ってきた後に出てきたのは、名目変更してでもTIA的なものを存続させたいという意向もあるかもしれません。」と指摘している。もっともな疑問である。

Aug08

 「西尾幹二のインターネット日録」の8月4日の項に、8月1日の「朝まで生テレビ」の出場者側からの感想が出ている。

 Aug02の項に書いたように、型の重要性を説く西尾氏に、宮台真司氏が同調したのが意外だったが、一番驚いたのは西尾氏本人だったようだ。西尾氏はこう書いて、あきれている。

 宮大真司氏が柔道部や空手部のシゴキは必要なのだ、などとにわかに言い出した。えっ?あんたが?と私は目を剥いた。「もともとシゴキが厳しいと知られている運動部に覚悟して入って、間違って死んでもそれは仕方がない。」などとたしか彼が言うと、宮崎哲弥がそうだ、そうだ、と相槌を打った。えっ?どうなっているの、君達は?!

 また、左翼であるはずの宮台氏が「左翼」を他人事のように批判しはじめたとして、「思想のスタンスを狡猾に変え始めている」と指摘している。宮台氏は旧来の左翼とは一線を画していると思うが、西尾氏から見れば、伝統の破壊者はすべて「左翼」になるのだろう。

 文部省でゆとり教育を推進している寺脇研氏は、局側から参加を要請されたのに出席を拒んだということだが、四面楚歌を見越してのことだろう。しかし、まだ風見鶏が向きを変えた段階にすぎず、大勢が動くところまではいっていない。議論に負けたくらいで、役所が既定方針を変更することもない。

 左翼・文部省はともかく、アウトローの側も少年犯罪の凶悪化に頭をかかえているという話にはゾクリとする。宮崎学氏は「相次ぐ少年犯罪 すべては「護送船団社会」に起因する」で、昔の少年犯罪者は若気の至りだったから、一度徹底的に叩き直せば更正させることができた。若い時分は悪さをしたが、立派な社会人になった例は多い。

 ところが、今の犯罪ではそうした転換は、まずありえない。こんなヤツが社会にいたらマズいよね、と言いたくなるような犯罪者ばかりだ。しかも、社会にも彼らを許容し.更正させるパワーがない。こんなとんでもないガキが社会に出てきたら、俺たちがヤバい、と多くの大人がおびえているのが現実である。それゆえ"少年の更生"を基本とする現行少年法には無理がある。より厳罰を科すことが必要との意見が頻出するのもこうした現状からだ。

極道にびびられたら、堅気はどうしたらいいのか。

 宮崎氏自身は少年法の厳罰化を小手先の対策であり、犯罪を陰湿化させるだけだという。では、どうしたらいいのか? このまま放置しろと宮崎氏は突きはなす。「行き着くところまで行かないかぎり、何も気づかないし、何も生まれない。悲しいかな、それが結論である」というのだ。

 安吾風の断言はかっこいいが、行きつくところまでいくには何年かかることか。

Aug09

 Hotwiredによると、アメリカでは空港のボディチェックの代わりに「搭乗客の裸体まで映し出すボディースキャナー」の導入を準備しているという。弱X線を使うそうだが、英語版Wiredに掲載されている透視写真はちょっと驚く(被写体は開発責任者のハロウェル女史)。

 ボディチェックよりいいという意見もあるだろうが、ここまで生々しいと反発は必至で、局部をぼかしたり、身体の線を歪ませるような処理が検討されている。

 この機械は刑務所の面会所やダイヤモンド鉱山ですでに使われているが、携帯電話やデジカメに偽装した武器をもちこむケースが懸念されているだけに、導入は早いかもしれない。

Aug10

 「あるある大事典」で安全運転を特集し、利き目と足裏の問題点を紹介した。

 車の運転は興味がないが、利き目問題は他人事ではなかった。パソコンやTVのような距離の固定された平面画面を長時間見つめていると、利き目でばかり見るように脳の回路が形成され、立体視ができなくなるというのだ。車体をしょっちゅうこする人をテストすると、本当に距離感覚がわからなくなっていたし、利き目でない側は視野が狭くなっていた。

 「自分の利き目チェック法」「右利き、左利き」の回のしたの方に紹介されている。利き目偏重かどうかのチェック法を試したところ、正真正銘の利き目偏重人間だった。

 利き目偏重では眼精疲労もひどくなるだろう。Jul12の項で、コンピュータのディスプレイで眼精疲労が起こる一番の原因は、画面と目の距離が変えにくい点にあるという面谷信氏の説を紹介したが、これにも利き目偏重問題がからんでいるのではないだろうか。

 利き目でない側を使うトレーニングを実践しなくては。

Aug11

 国立国語研究所の外来語委員会はわかりにくいカタカナ語の第二回「言い換え提案」を発表した(ZDNetと「「外来語」言い換え提案(中間発表)」)。

 一覧をながめると、イノベーション=技術革新、ケーススタディ=事例研究のような既知のものもあるが、大半は造語である。データベース=情報集積体は使ってみようという気になるが、インセンティブ=意欲刺激剤は覚醒剤みたいで、まずいのではないか。

 ログイン=接続開始は意味はその通りにしても、語感が相当ずれる。アイデンティティ=自己認識は意味の幅が狭くなりすぎている。オンライン=回路接続となると、オンライン・ショッピングは回路接続購買か。

 すべて漢語で、和語による言い換えがないのは寂しい。

 漢字の造語だと、どうしても劇画的になる。ユビキタス=時空自在のような中途半端に劇画的な造語を提案するくらいなら、士郎正宗氏のような本物の劇画作家を委員にした方が早い。

追記:すべて漢語というのは言いすぎで、もう一度、見直したら和語が三つあった。(Aug13 2003)

  • キャッチアップ=追い上げ
  • フレームワーク=枠組み
  • ミスマッチ=不釣り合い
Aug12

 ZAKZAKの夕刊フジ「追跡」連動ページに「暴走空間〜怪しいネットの魔力〜」という題で、ファイル交換ソフトによる映画の海賊版流通の実態が紹介されている。

 映画の海賊版はどうせ画質が悪いだろうと思っていたが、最近はそうではないらしい。封切前に、公開版とは若干異なる版が流れる場合があり、観客の満足度調査用に作られたテスト版が流出している可能性があるという。

 海外から入手した版に、ボランティア(?)でわざわざ字幕をつける人がいるという話には驚いた。映画一本分を訳すのは大仕事である。映画関係者は「1円の得にもならず、逮捕のリスクさえあるのに、なぜ。違法行為に手を染めるのか」と首をひねっているそうだが、複数の日本語字幕の流通している作品が結構あというから、ますます「!」である。「アナル男爵」と名乗るカリスマ的な字幕職人がいて、裏の世界の戸田奈津子になっているなどとあると、どんな出来か見てみたくなる。

 アメリカではRIAA(全米レコード協会)がファイル交換ソフトを摘発する動きを本格化させている(ZDNet)。「RIAA、ファイル交換運営の学生と和解」によると、訴えられていた四人の学生は1万2000〜1万7500ドルの和解金を払うことになった。

 著作権侵害で個人を訴えるには、プロバイダや大学に個人情報を提供してもらい、身元を特定しなければならないが、RIAAの訴訟戦術を行き過ぎとして、抵抗するところが出てきている。大学は手続問題を理由にしているが(「一筋縄ではいかないRIAAの個人ユーザー攻撃」)、ベル系大手プロバイダのSBCは、会員のプライバシー保護を理由に、RIAAを逆に提訴した(「RIAAの個人追及は「やりすぎ」とISPが提訴」と「SBC、レコード業界へのファイル交換ユーザー情報提示を拒否」)。

 著作権保護は重要にしても、RIAAは千通以上の召喚状を出しているそうである。警告なしに、いきなり金を出せというのはひどい。

Aug21

 昨日から今日にかけて、14通のウィルスつきメールが送られてきた。サイズは100Kバイト前後と、とても大きく(So big)、サブジェクト欄は「Re:Details」「Re:My Details」「Thank you」「Your Application」などとなっている。今、蔓延中のSobig.Fのしわざである(「メールはSobig.Fだらけ――前代未聞の感染規模」)。

 こんな見え見えのウィルスにひっかかることはないが、資料を添付して送られてきたメールがたまたま同じくらいのサイズだったので、開くのに逡巡した。やはり迷惑は受けるのだ。テキストですむのに、わざわざWordのファイルで送ってくる人が多いが、テキストで送れるものはテキストで送ってほしい。

 MSBlastはSobig.Fよりも騒がれているが、実際の被害はそれほどではなかったようだ(「ブラスターと後続ウイルスの教訓  電子政府・電子自治体は大丈夫?」)。あれだけ事前に騒がれていたのに、対策せずに放っておいたのだから、感染する方にも責任がある。

 今回の騒動では、善玉を気取るワームが登場するというおまけがついた(「感染を広める新ワーム「Nachi」、日本語版Windowsでは脆弱性はそのまま放置 」)。

 NachiはMSBlastと同じ手法で感染するが(したがってUpdate済みのマシンには感染しない)、感染するとMSBlastが感染しているかどうかチェックし、感染していたらMSBlastを退治した上に、再び感染しないようにWindowsのUpdateまでしてくれるというのである(ただし、日本語版Updateには未対応)。Nachiに感謝している感染者までいて、Hotwiredによると、

 マンハッタンのテキスタイル・デザイナー、ナディン・ラベルさんは「私のコンピューターは先週感染してから調子がよくなかった。でも、今日の午後からは完璧な状態に戻っている」と話す。

 ラベルさんのマシンのシステムをスキャンすると、確かに新しいMSブラスターの変種に感染していることが確認された。

 「ワームさん、ありがとう!」とラベルさん。

 Nachiはpingを大量に送り、LANなどは麻痺してしまうそうだから、善玉とばかりは言い切れない(技術的に稚拙なだけで、悪意はないのかもしれないが)。梅毒を治すのに、マラリアや腸チフスの高熱を利用するという荒っぽい治療法があったそうだが(モーツアルトの早過ぎる死はそのためだという説がある)、それに似ているかもしれない。

 Windowsのセキュリティホールがこれだけ話題になっているのに、未対策のまま放置し、マシンを感染させる人が多いことを考えると、こうした善玉ワームは、今後、真面目に検討されることになるのではないか。現在でも、こういう感想をもつ人がいるくらいなのだ(「『MSブラスター』を削除する変種ワームが登場(下)」)。

 「だが、新種ワームに注意するよう従業員たちに今日話したとき、1人の秘書が、『セキュリティー対策のあれやこれやに閉口させられる』くらいなら、新種ワームに自宅のコンピューターを直してもらいったほうがいいと私に言った」

 Updateを怠って感染するのはある程度自業自得といえるが、住基ネットの場合、LASDECがパッチの安全性を検証してからでないとUpdateしてはいけないことになっているので、21日まで無防備状態を強いられていた。Mainichi INTERACTIVEの「住基ネット:ウイルス対策「放置」 修正ソフト検証中 」から引く。

 同省によると、ウイルス対策ソフトの情報更新は15日から20日までかかり、21日から一斉に利用が開始される。

 また、ウイルスの攻撃対象となるOSの弱点は、7月17日にマイクロソフトが対策を公表したが、住基ネットを管理・運営する「地方自治情報センター」は、1カ月以上たった現在も、修正ソフトが住基ネットで正常に動くかどうか検証中だ。このため、地方自治体は修正ソフトを適用できないまま。お盆休み明けの18日も感染拡大が懸念されたが、住基ネット対策は行われなかった。

 こんなことをしていたら、そのうちに大きな事故が起こるだろう。低能LASDECを損害賠償で訴える準備をしておこう。

 神奈川県は8月8日付で「住基ネットに関する市町村実態調査の結果について」を公開している(37市町村にアンケートを送り、35市町村から解答)。

 27市町村が請負業者と記録媒体の交換をおこなっているが、暗号化しているのはわずか3市町村だという。「セキュリティ上の重要な課題、早期に解決すべき課題」は以下の項目があがっている。

  1. 国の責任の明確化
  2. 制度及びシステムに精通した職員の養成
  3. 住基ネットを操作する職員や本人確認情報を利用する職員の個人情報保護意識の醸成
  4. 国の機関等の本人確認情報利用機関への調査権等市町村側からのチェック制度の構築

 ついでながら、オリジナルにはWindows外字の丸付数字が使われている。こういう文書を書く人は残存外字に疑問をもつことはないだろう。

 「従事職員としての住基ネットに関する自由意見」にはあきれた。

全員参加に関しては、不参加自治体等の存在が、住民の不安感等の助長や市町村の事務処理の煩雑化などを招くことから、そうした団体への県の積極的な関与や強い姿勢を望む意見が寄せられた。

県の姿勢に関しては、第二次稼働を控えたこの時期の調査が、現場に無用の混乱を招くことに関して憂慮する意見や長野県のような離脱問題の発生を危惧する意見が寄せられた。

 不参加や希望選択制の市町村があると「住民の不安感等の助長」をするから取り締まれというのは、護送船団方式を徹底しろといっているに等しい。公務員は本質的に社会主義者なのである。

Aug22

 来週、発行が開始される住基カードはICカードだが、一足早くICカードを身分証明証として使っているマレーシアのNGOメンバーが来日し、住基カードの危険性を訴えた。

 CNETによると、マレーシアでは1957年から氏名、住所、写真、国民番号、指紋を記載した国民カードの携帯を12歳以上の全国民に義務づけているが、2001年からはICチップを搭載したMy Kardへの切替を推奨していて、現在、全人口の1/4の570万人がMy Kardをもっている。

 My Kardはパスポート情報、運転免許、健康情報はもとより、銀行のキャッシュカード機能や電子マネー機能、政府関係の手続機能も兼ねたオールインワンのICカードだが、My Kardの保有者の大部分はこうした機能を使いこなしていないという(このことはMy Kardの発行を受けもつ国民登録庁のアジザン・アヨビ長官も認めている)。

 今のところ、My Kardへの切替は任意だが、住所変更や紛失などで国民カードを再発行を願いでる場合は、強制的にMy Kard化されてしまう。マレーシア政府は2007年までに全国民をMy Kardに移行させる予定という。

 Mainichi INTERACTIVEによると、来日したスワラ・ラヤ・マレーシアのヤップ氏は「民間のビルの出入りなどの際にも提示を求められるため、住所などが流出し、若い女性がストーカー被害に合うことも多い」と語り、さらに現状を以下のように報告する。

 デモや集会の参加者に対して、警察がカードの提示を求め、IDナンバーを控えることなどが行われており、「自分自身について回るIDナンバーが記録されることで、心理的な圧迫を与え、民主主義の実現にもマイナスに作用している」と指摘している。

 総務省の社会主義役人も、将来的にはこのあたりを狙っているのだろう。

 住基ネットについては国の機関による個人情報の漏洩が懸念されているが、片山社会主義大臣は、漏洩の疑いがあった場合、市町村長が国などに対して調査の実施や、調査結果の報告を求めることができるように、省令か告示で明文化する方針を示した(「市町村の住基ネット調査・報告請求権を法制化」)。

 しかし、これは外部への漏洩であって、防衛庁が資料請求者の個人情報をリスト化したようなケースまでカバーするのだろうか。

 そもそも国民の側から申請のあった場合以外に住基ネットで個人情報を引きだすべきではないのに、住基ネットに不必要な検索機能が実装されていて、不完全な情報から個人の情報にたどりつけるようになっているのが問題なのだ。住基ネットの検索機能は直ちに凍結するべきである。

Aug23

 NHKの「地球に乾杯」で「ピョートル大帝・謎の宮殿 − 荒俣宏がたどる“ロシア”の夜明け −」を放映した。5月にBSで放映した同題の番組の短縮版だが、おもしろくてまた見てしまった。

 ロシア最初の科学博物館クンストカーメラの珍奇な展示物も興味深いが、ペテルゴフ宮殿に残るグロッタ(洞窟の間)とエルミタージュのバチカンの回廊は、マニエリスムからグロテスクへの移行に関心のある者には見のがせない映像である。

追記:『迷宮としての世界』をリンクしようとしたら絶版だった。現代美術用語集でもわかるように、おもしろい本である。なんということだ!

 しかし、一番の見ものはペテルゴフ宮殿の噴水で、水力学を駆使し、水の高低差だけでこんなに凝ったものを作っていたとは感嘆するしかない。

 荒俣宏氏は最後に、噴水はどんなに巧緻を尽くしても遊びでしかないが、水をお湯に変えると蒸気機関が生まれ、産業革命につながったと指摘した。噴水の技術は産業革命を準備したのである。

 冷たい噴水から熱い蒸気機関への移行は、フーコーが『言葉と物』で指摘した、18世紀の博物学的な知から19世紀の歴史学の知への移行にぴたりと符合する。噴水といえども、深いのである。

 12chの「WBS土曜版」の「銘品礼讃」でサクマ式ドロップスをとりあげていた。

 サクマ式ドロップスは明治41年に和菓子職人だった佐久間惣次郎が発明したもので、気温が高くなってもべたつかないので人気が出た。それまでの飴は水飴を主原料にしたが、サクマ式は砂糖とクエン酸だけで作るので、融けないのである。

 サクマ式ドロップスは大ブランドに育っていったが、昭和になって国家社会主義と食糧難のご時世になると会社解散に追いこまれた。戦後の混乱期、元社員、元株主がサクマを名乗る会社を続々と興したが、倒産・吸収・合併があいつぎ、最終的に赤缶のサクマ式ドロップスを販売する池袋の佐久間製菓と、緑缶のサクマドロップスを販売する恵比須のサクマ製菓の二社が残った。佐久間製菓は商標権を受け継いだ元大株主、サクマ製菓は元祖佐久間製菓の二代目社長の息子の創業だそうである。

 「ああ懐かしのサクマ式ドロップス」には缶の写真がずらりと並んでいて楽しい。

Aug24

 「あるある大事典」で足裏マッサージをとりあげた。足裏マッサージには英国式と台湾式があるが、両方ともルーツはアメリカのリフレクソロジーだという(英国式を広めた藤田真規氏本人が、「英国」の方が高級感があるからと話していた)。アメリカにはおびただしいリフレクソロジー関連サイトがあるが、reflexology.orgRAAあたりが有力らしい。

 身体の表面を刺激して内臓を活性化させるという発想はカイロプラクティックと似ているが、カイロプラクティックにはインディアンの伝統療法にヒントをえたというロマンチックな伝説があるのに対し、リフレクソロジーの方は血なまぐさい。麻酔のない時代、手術を受ける患者は掌を手術台の手すりに押しつけて苦痛に耐えたが、押しつける場所と手術の場所に関係があることに気がついた人がいて、掌と内臓の相関関係が体系化されたのだそうである。『華岡青洲の妻』に出てきた麻酔以前の手術の情景はホラーに近かったが、ああいう修羅場で患者が掌のどこを押しつけているかを観察する余裕があったとはすごいことだ。その後、掌よりも足裏の方が効果があるとわかり、足裏マッサージが生まれたわけである。

 番組では反射区とされる場所を刺激すると、本当に内臓が活性化されるのかを実験したが、1/2から2/3の人に実際に効果があった。例によってサンプル数は一桁だが、効果がある場合ははっきり出ているから、どこかできちんとした追試をしてほしい。

 効果のない人が半数近くいるが、そうした人は刺激を苦痛とだけ感じているという共通点があった。そこで、足裏の刺激は脳を経由して内臓に影響するのではないかという仮説を立てて、第二段階の実験をしたところ、マッサージで効果のあった人は、足裏の刺激を受けると、大脳皮質の血行が減り、脳幹に血液が集まることがわかったという(これもきちんと追試したらおもしろいだろう)。

 痛いのは効いているからだといわれていたが、この実験が正しいなら、単に痛いのは逆効果ということになる。実感に近い結論である。

 ハイテク機器で民間療法の効果を実証していくというアプローチは重要だが、その前に民間療法の全貌がよくわかっていないという問題がある。明治以来の日本には民間療法の膨大な蓄積があるのだが、民間療法家は唯我独尊の教祖タイプが多く、すべて自分で考え出したように吹聴するので、本当の歴史は藪の中である。

 7〜8年前だったか、整体のルーツを調べようと思いたち、調べはじめたことがあるが、団体間の反目や行政の逃げなど、生臭い話がたくさん出てきて、手をつけかねているうちに文字コード問題がはじまり、それきりになってしまった。あの時点だったら、関係者に直接話が聞けたはずだが、浪越徳次郎は2000年に亡くなってしまったし、もう無理だろう。

Aug25

 今日は住基ネット第二次稼働の初日だが、万景峰号入港騒動で住基ネット関係のニュースは小さなあつかいだ。同じ社会主義者の誼で総務省を助けたわけでもないだろうが、住基ネットは明日に回すことにしよう(広域交付で文字化けが起こるかもしれないという未確認情報がはいっている)。

 ニュースサイトは万景峰号一色だが、保存用にはSankeiWebの「万景峰入港ドキュメント」と「写真特集 万景峰号92新潟入港」がいい。後者はクリックで大きくなる20枚の写真に船内構造図、来訪数のグラフがついている。埠頭に接岸する左舷側は真っ白に塗装してあるのに、見えない右舷側は汚いままだというのは、あの国らしい。

 今回の入港は9月9日の建国55周年式典のための物資と資金の調達が主目的といわれており、7トンの霜降牛肉と260万円分のメロンが積みこまれたという。北朝鮮の貨物船は年間延べ1200隻ほどが来航しているが、冷凍庫をそなえているのは万景峰号だけなので、どうしてもこのタイミングで来る必要があったわけだ。

 メロンと牛肉くらい、中国でも調達できると思うのだが、建国記念日に将軍様から功労者に下賜されるメロンと牛肉は日本産でないと具合が悪いのだそうだ。

追記:ZAKZAKの26日付「万景峰、意外に質素な積荷は“将軍サマ隠し”」によると、今回、高級メロンとキャビアは積みこまれなかったそうだ。公安関係者は日本の世論を配慮した結果と見ているというが、9月9日の式典に配るなら、メロンは9月4日に運んだ方がいいということだろう。

 PSCで見つかった欠陥の方はどれも基本的なもので、専門家は「考えられない欠陥ばかり」と唖然としていたという。

 脱出経路の非常標識や持ち運び式の消火用泡放射器については「今や船に限らず、多くの人が集まる施設では、この程度の設備は常識的で一見してすぐに不備がわかるようなモノ」(国交省関係者)だという。

 また、「捜索救助用の無線電話が設置されていなかったことも、普通の客船ならあり得ないこと」(同)。

 これまで特別あつかいして、こういう基本的な欠陥をお目こぼししてきた経緯は検証されるべきだと思う。(Aug26 2003)

 韓国はあいかわらず美女応援団で浮かれているが、金正日政権を批判する保守系団体の集会に北朝鮮記者団が乱入し、フォラツェン氏ら三名を負傷させるという事件が起こった。日経の25日付「春秋」から引く。

事件は一昨日午後、メディアセンター前で反北の市民団体のデモ活動中起きた。「金正日(キムジョンイル)を打倒し、北朝鮮住民を救出せよ」などと書かれたプラカードや横断幕を掲げた市民団体が、北に対する盧武鉉(ノムヒョン)大統領の弱腰や、韓国マスコミが北の選手団と美女応援団ばかり集中報道することに抗議していた。

▼見とがめた北の記者が仲間数人と来て、暴言を吐き、プラカードを奪うなどしてもみ合った。テレビ画像では北の記者らしき男が市民を追いかけていた。集会や言論、表現の自由が保障された民主主義国で市民団体の示威活動は正当な権利行使だ。実力で妨げるのは許されない。謝罪を迫るのは韓国側ではないのか。

あきれたことに、韓国当局は北朝鮮の理不尽な要求にまたも従ったという(「北の新聞が韓国当局の謝罪を要求」)。

 これにはさすがに韓国のマスコミも政府の勢を批判している。朝鮮日報日本版の社説「北に「批判耐えられる」学習させるべき」から引く。

 デモに不満があるなら大会組織委員会などを通じて抗議するべきで、その場で“肉弾突撃”に走るのは北朝鮮では称賛に値するかもしれないが、韓国や国際社会では通用しない。

 にもかかわらず、大会組織委員長が北朝鮮記者団の行動より、むしろデモを嗜める遺憾表明を行ったのは、事態の取り繕いに集中したとの批判をを避けることはできない。

 明らかに間違った北朝鮮の行動まで、政府が包み込もうとすれば、北朝鮮は更に意気揚揚となり、これにより、韓国内の「反・金正日」の雰囲気も高まる悪循環に陥るほかない。

 北朝鮮に比較的甘い東亜日報も「北朝鮮をなだめることに神経を使う時か 」という社説で、「いわゆる「党性(党への忠実性)が強い」北朝鮮記者らに、「韓国は国民が公の場で政府はもとより、多国に対しても不満を吐露できる自由の地」であると言ったところで、無駄なことだろう」としながらも、こう韓国政府を批判している。

政府は北朝鮮をなだめることに汲々とし、国民の不満に背を向けているという批判に耳を傾けなければならない。北朝鮮選手団と応援団にだけ配慮するのではなく、徐々に深刻さを増す「南南かっ藤」への対策づくりを急がなければならない。保守系団体の反北朝鮮デモは、北朝鮮国旗焼却に対する大統領の適切でない遺憾表明によって触発されたのではないか。韓国内部のかっ藤をなだめることこそ、大会成功に劣らず重要なことだ。

 北朝鮮はこれだけ問題のある国なのに、中国を訪れている野中元幹事長は曽慶紅国家副主席と戴秉国外務次官との会談で「六カ国協議で拉致問題をテーマにすることは日本にとって賢い選択ではない」という発言をわざわざ引きだしている。

 北朝鮮以外でも野中氏は暗躍していて、「中国の警察人員を日本常駐へ 中日政府」というニュースが人民网に載っている。

唐家セン国務委員は24日、中国を訪問中の自民党の野中広務前幹事長らと北京で会談を行った。会談の席上双方は、日本での中国人による犯罪増加に対処するため、中国公安局の警察人員を、東京の中国大使館近くに常駐させる方針を決定した。

 外国の警察官の常駐を許すなど、主権上の問題があるだろうに、背に腹は替えられないということか。この調子だと、歌舞伎町に中国租界ができる日は近い。

Aug26

 25日から住基ネットの第二次稼働がはじまった。希望者に住基カードが発行され、現住所以外の自治体の窓口から住民票の交付を受ける広域交付が可能になった。

 日経BPの「住基ネットが本格稼動、一時アクセス集中」によると、全国サーバーにアクセスが殺到し、一時、アクセスしにくい状況が生まれたという。

 広域交付を受ける場合、同一都道府県内の窓口からなら全国サーバーを介さなくてよいが、他都道府県の窓口からだと、全国サーバーを経由しなければならないようになっている。常識的に考えれば、全国サーバーに過大な負荷がかかったということは、他都道府県の窓口からの広域交付が多かったということになりそうだが、そうではなかった。

 今回の住基ネットの“全国サーバーへのアクセス集中”は、都道府県を越えたアクセスが多かった訳ではないようだ。住基ネットは、「個人名」と「生年月日」、もしくは「個人名」のみで(住所を入力しなくても)本人の検索ができるように柔軟につくられている。その結果、住所を入れないで本人を検索すると、「むやみに全国サーバーにつながってしまい、想定以上の負荷がかかってしまう」(総務省住基ネット担当者)。

 今回のアクセス集中は、役所からの利用で、個人の「住所」を入力しなかったことが引き金になって生じたようだ。

 ある方が住基ネットの操作マニュアルを見せてくださったが、それを見ると生年月日の検索オプションに「春・夏・秋・冬」があるだけでもあきれるのに、「不明」という項目まであった。住所でも「不明」は使えるから、氏名(読みだけでもよい)と生年月日の二条件だけで個人のデータが出てくるのだ(一応、50件までという制限はあるが、地名は選択式なので、簡単に絞りこめる)。

 役所が過剰な検索機能を過剰に利用したことが原因なのだ。住基ネットのポイントは過剰な検索機能にあるのではないかとかねがね指摘してきたが、やはりそうだったようである。

 住基カードについては、カード関係に詳しい森山和道氏の「独断と偏見のSF&科学書評」の日記の8月26日の項に次の指摘がある。

▼いま現在の住基カードを購入すると、あとで再購入しないといけなくなると思う。住基カードをどんな用途に使うべきなのか、未だにはっきりした方針が決まっていないのが各自治体の現状。だが遅かれ早かれ、住基カードは多用途カードになる。ICカードにあとからアプリをインストールすることも可能なのだが、券面まで書き換えられるわけでもない。というわけで、取りあえずはマルチアプリになるのを待つほうが無難。

 つくり直すといえば、残存外字を使った現在の住基ネットはいずれ根本からつくり直さざるをえないと思う。住基ネットとは関係ないというのだが、経済産業省は昨年9月、「電子政府文字情報データベース」というプロジェクトを立ちあげ、行政機関で使われているすべての外字(住基ネットの残存外字を含む)を網羅した漢字セットを構築しつつある(このプロジェクトについては、2002年5月段階までにわかった概要を『図解雑学 文字コード』で紹介したが、ほぼ予想通りの展開だった)。

 最終的には6万字種程度になるらしいが、これが完成すれば、セキュリティホールになりかねない残存外字は必要なくなるはずである。

 最後に、未確認だが、あるメーカー関係者から、一部の文字について広域交付で文字化けが発生する可能性があるという情報をもらった(この話を知らされたのはまだ寒い頃だったが、明々白々の欠陥なので、すでに対策はすんでいるかもしれない)。

 どういうメカニズムで化けるのか、なぜそんなことになってしまったのかは、ニュースソースの秘匿にかかわるので書けないが、もしこれが事実で、問題が放置されていたとしたら、おもしろいことになるだろう。

Aug27

 Sobig.Fつきのメールがあいかわらず届いている。届くだけでなく、オーストラリアの大学からウィルス感染を警告するメールまで来た。

An Email you sent to xxxxxx@popeye.latrobe.edu.au contained the virus WORM_SOBIG.F. Please check you PC or contact your IT support.

 念のために調べてみたが、感染はしていなかった。Sobig系ウィルスはできるだけ長く感染メールを発信しつづけられるように、本当の発信元を隠蔽するようになっているから、こういう警告自体、無意味になっている。

 ゴキブリを1匹見かけたら、30匹いると思えという金言があるが、1通でもこういうメールが来たということは、うちのアドレスを詐称したSobig.Fメールが何十通もネットに流れているということだろう。実害はないにしても、いや〜な気分である。

 Sobig系ウィルスはまだまだつづくという見方が有力である。Jul03の項で述べたように、Sobig系は感染したコンピュータをspam発信マシンに変えてしまう。Sobigは金儲けに使えるウィルスなのである(「Sobigは「F」で終わらない?」)。

 Sobigの作者がこれからもSobig系ウィルスを作りつづけるのは迷惑なことだが、そのことによって、足がつくかもしれない。「ウイルス作者が捕まらない理由」はこう指摘している。

 Sobigの作者はこのワームが出現するたびに金もうけができるが故に、何度も同ワームをばらまきたいと考えているからだ(別記事参照)。Sobigは自ら機能を停止しては、その少し後にわずかに形を変えて再登場する傾向がある。Sobigのサンプルが多く手に入るほど、私たちの手元には証拠が増えることになる。そうなれば、ワームの作者につながる証拠が出てくる可能性は高くなるだろう。

 ウィルスで稼げることがわかった以上、Sobigの作者がつかまったとしても、手のこんだウィルスがこれから続々と登場しそうである。

 ユニバーシアード大邸大会で訪韓している北朝鮮の代表団は、保守系団体の活動を非難するとともに(殴りかかったのは北朝鮮「記者団」なのだが)、美女軍団の宿舎に部外者が侵入したとして美女軍団を引っこめていたが、韓国の李滄東文化観光部長官が「スポーツ精神を傷づける事態が再発しないように、治安当局と協調し強力に対処して行く」と事実上の謝罪というか、言論弾圧宣言をおこなったのを受け、29日から「韓国市民のために」応援に復帰するそうである。

 そもそも宿舎侵入事件は本当にあったのか? ZAKZAKの「北朝鮮「美女軍団」宿舎に侵入し“赤面文書”」によると、かなり眉唾のようである。

 「赤面文書」といっても、A4の紙に韓国の人気詩人の詩の一節をパソコンでプリントしたもので、昨年7月の日付がはいっていたそうだから、美女軍団にあてたものとするのは無理がある。

 この文書とともに、10ウオン硬貨(約1円)1枚、花札3枚が寝室のトランクとベッドの中に押し込まれていたといい、セクハラ目的にしては、どうも不自然だ。

 大邸銀行研修寮を利用した宿舎は山を切り崩した場所にあり、検問所から長い階段で徒歩約10分の距離。周囲は高さ3メートルのフェンスで囲まれ、24時間の警備体制が敷かれ、侵入は容易ではない。大邸市当局者は「文書などは、過去の利用者が残していったもの」と北朝鮮側に説明しており、「セクハラは誤解」とみている。

 侵入したことをアピールするのだった、わかりにくい場所に押しこむのではなく、テーブルやベッドの上など、目につく場所においていくだろう。せっかく危険を冒して忍びこんだのだから、隠しカメラとか隠しマイクをしかけるとか、美女軍団の持物を盗むぐらいのことはするはずだ。

 文化の違いによる誤解なのか、ゴネるネタを見つけようとて、これくらいしか見つからなかったのかはわからないが、花札でピリピリするようでは、下のゲームを見たら、泡を吹いて卒倒するのではないか。

SUR KIM JONG

 作ったのはフランス人らしいから、北朝鮮はフランスに謝罪を要求したらいい。

Aug28

 大阪教育大付属池田小乱入殺傷事件の宅間守被告に死刑判決が出た。宅間被告は「どうせ死刑になるんや。最後に言わせてくれや」と裁判長に発言を迫り、かなえられないとわかると暴言を吐いて遺族を侮辱しはじめたので、強制的に退廷させられた。Mainichi INTERACTIVEによると、拘置所にもどってから「本当なら4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」と、まったく反省の色がなかったという。宅間被告がなにを主張するつもりだったのか気になるが、便箋3枚の原稿をもっていたそうだから、いずれ、どこかの週刊誌に載るだろう。

 職員に連行されながら、後ろを振り向いて遺族を恫喝する凶暴な姿を描いたスケッチがTVで映しだされたが、NTVの阿部リポーターは、実際は細いうわずった声で、恫喝というよりは、子供がだだをこねているようだったと印象を語っている。

 宅間被告の幼稚さは、手記に描かれた子供の落書きのような絵や、「池附小ブスブス事件」という言い方を見てもわかる。あの血腥い事件を「池附小ブスブス事件」と表現してしまう言語感覚は実に興味深い。

 相田くひを氏が公開している「宅間守資料」の年譜によると、20歳の時に母親とともに家出していて、父親は近親相姦をほのめかしているという(母親は後の精神病院に入院)。また、最初の結婚相手は19歳年上の看護婦、二度目の結婚相手は20歳年上の小学校の恩師だったそうである。31歳の時には、職場で知りあった44歳年上の老婆と養子縁組をしている。

 宅間被告は年上の女性を引きつける独特のパーソナリティの持主といえる。おそらく、精神を病んだ母親にべったり依存しながら、特異な育ち方をしたのだろう。行為としての近親相姦があったのかどうかはわからないが、近親相姦的な母子癒着があったことは間違いあるまい。

 弁護団は近親者や知人に情状証人になってくれるように頼みこんだが、ことごとく拒絶されたという。裁判長は矯正不可能と断じたが、どうしてここまで放置されてきたのか。

 幼児的な全能感を断念することを去勢というが、宅間被告は去勢を経験しないまま成長したと考えられる。普通なら、少年院や刑務所にはいった時点で全能感をつぶされるはずだが、宅間被告の場合、高校時代から暴力事件や強姦事件をくりかえしながら、22歳になるまで収監されることはなかった。精神病ということで免責されたからである。

 TBSのNew23では死刑廃止を主張する死刑囚連絡会の代表の「死刑にしてもすべてが解決するわけではない」というコメントを流していたが、まったく改悛の情を見せない凶悪犯では、さすがに死刑が不当とまではいえなかったわけである(本音隠しは左翼の常套手段だ)。

追記:左翼の論客と思っていた大谷明宏氏は「とても書けない宅間被告の暴言」に次のように書いている(文中の吉富は裁判を傍聴した大谷事務所のスタッフ)。

 一体、宅間はどんな暴言を吐いて退廷させられたのか。私がまず吉富に聞きたかったことはそれだった。だが、その内容を聞いて、怒りで手がぶるぶると震えてきた。一体、こいつはどこまで遺族を傷つけたら気がすむのか。弁護団は「お詫びの言葉を用意していたのではないか。陳述させられなかったのは、残念だ」としているが、果たしてそうだろうか。

 法廷に入った吉富と私の考えは弁護団とは違う。宅間はそう言って判決前日、弁護団に陳述の要請を裁判所に出させ、当日は遺族に対する暴言を用意してきていたのではないか。だからこそ裁判長に退廷を命じられた直後、間髪を置かず遺族を傷つけるあんな暴言が口をついて出てきたのではないか。とことん汚い奴なのではないか。

左翼には弱者の味方を称しながら、ソ連崩壊で傷ついた自尊心を守るのに汲々としている社会主義ゴロがうじゃうじゃいる。そういう左翼ばかりではないとわかり、すこし安心した。

 死刑廃止論者には宗教的な立場の人もいるが、多くは犯罪者を資本主義社会の犠牲者とみなす社会主義者である。いわゆる人権派弁護士が後ろ盾にするのも、犯罪者=資本主義社会の犠牲者説である。

 宅間被告にとって、犯罪者=資本主義社会の犠牲者説は、自己を正当化するかっこうの理論だった。前科11犯とも13犯ともいわれているが、まったく反省しなかったのは、特異なパーソナリティもさることながら、犯罪者=資本主義社会の犠牲者説によって、理論武装していたからであろう。その挙げ句が、児童殺傷事件である。虐げられた底辺の人間が、資本主義社会のエリートを養成する名門小学校を襲うという構図は、犯罪者=資本主義社会の犠牲者説とぴたりと符合する。

 宅間被告のような人格を生んだ責任の何パーセントかは、犯罪者=資本主義社会の犠牲者説にあると思う。宅間被告に矯正の可能性があったかどうかはわからないが、犯罪者=資本主義社会の犠牲者説のために、矯正の機会をうしなった犯罪者はすくなくないだろう。

Aug29

 北京でおこなわれていた北朝鮮をめぐる6者協議が閉幕した。普通なら共同声明が出るはずだが、議長総括に後退し、しかも北朝鮮が文書化に反対したために口頭での発表にとどまり、次回日程も未定のままである。Mainichi INTERACTIVEによると、日本政府筋は「北朝鮮代表団は金正日総書記から次回日程設定や共同文書化を決める権限を与えられていなかった」と見ているという。

 会談では北朝鮮側が「核実験の用意がある」と言いだし、中国の王毅外務次官が色をなす場面があったというが、アメリカはいつもの恫喝と無視し、総括には状況を悪化させる行動を取らないという文言がはいった。議長総括にどこまで拘束力があるか疑問視する見方もあるが、北朝鮮側はごねながらも、席を立って協議を決裂させることまではできず、枠をはめられてしまった。中国はこの3月、パイプラインの故障と称して、3日間北朝鮮への石油供給をストップしたとされるが、あの時の脅しがきいているのだろう。

 金正日体制の終りが一歩近づいたといっていいと思うが、韓国は美女軍団騒動にあらわれているように迷走していて、統一朝鮮がすんなり成立するとは考えにくい。

 金正日後に暫定政権が樹立されるとしたら、黄長燁氏が首班になる可能性がなくはないが、この人物に関する興味深い情報が「西尾幹二のインターネット日録」にある。ニュース・ソースは長年拉致問題にとりくんでこられた自由党の西村眞悟衆院議員だそうである。7月28日の項から引く。

 西村さんの話によると、北のNO2の亡命者黄長はアメリカの権力、日本の資金力を背中に背負って金正日の代替役を買って出ようとしきりに画策しているらしい。外国の力で凱旋将軍になろうとしているのはいかにも朝鮮の人らしい発想である。

 しかし、北に置き去りにされた黄の糟糠の妻、子供たち以下一族はすでに処刑されて、地上にいない。連座制にはまるで鎌倉時代を見る思いがする。それでいて、黄は哀れな死にものぐるいの亡命者でもないらしい。韓国政府は発言を封じる代りに彼を保護している。すでに若い美人の妻がいて、80歳を過ぎて2歳の児をもうけているともいう。

 日本の国会で彼を証人として呼ぼうと企てたことがあった。日本政府が求めれば、韓国政府も出国許可証を出さざるを得ない。しかし、企ては日本側の事情で成功しなかった。個々の議員の力でも日本に彼を呼んで発言させることはできなくもないが、黄は若い妻と子供のほか五人の「大名旅行」をほのめかして、どうにも話にならないらしい。

 儒教の考え方では子孫を残し、先祖の祭祀をつづけられるようにすることが絶対の義務だから、族滅にあった黄長燁氏が80歳で新たに子供をもうけたことは賞賛されこそすれ、非難されるような筋合ではないのかもしれない。しかし、日本的な感覚ではどうしても嫌悪感を感じてしまう。黄氏は金日成・金正日親子と同じ穴の貉だったとしか思えない。

 引用の中の「いかにも朝鮮の人らしい発想」というくだりに差別的という印象をもつ人がいるかもしれない。一年前だったら、わたしもそう思っただろうが、朝鮮半島の歴史に多少の知識をもつようになった今はなるほどと納得する。呉善花氏の『韓国併合への道』あたりを読むとわかるけれども、李朝末期の朝鮮はロシアをバックにする勢力と日本をバックにする勢力が足のひっぱりあいを演じて、滅茶苦茶だった。あの国は事大主義(大につかえる)が骨の髄まで染みついているらしい。

Aug30

 東京藝術大学大学美術館で開かれている「ヴィクトリアン・ヌード」展を駆けこみで見てきた(東京は31日まで。9月6日から神戸市立博物館)。

 ヴィクトリア朝というと偽善的な道徳で有名だが、この展覧会にも「19世紀英国のモラル」という副題がついている。説明を読んでいくと笑ってしまうのだが、当時はギリシア神話や殉教、聖女の献身等々を口実にしないと、女性の裸体が描けなかったのである。

 企画はおもしろいが、絵そのものは今一つだった。子供のヌードはかなりよかったし、大人のヌードは全体に安っぽく感じた。ルーセルの「読書する少女」は写真で見ると悪くないが、実物は大味で平板だった。ただし、ビアズレーは別格だった。当時はビアズレーは通俗あつかいされていたと思うが、今ではハイアートの方が通俗になっている。

 むしろおもしろいのは、写真の方である。絵を描くための素材として撮られたものもあれば、プライベートな秘蔵写真として撮られたもの、芸術写真を意図して撮られたものもある。ルイス・キャロルが撮影し、画家に彩色させた少女のヌード写真も二葉あった。

 映画が生まれたのもこの頃で、会場では覗き穴からストリップまがいの映画が見られるようになっていた(松田聖子の衣装のようなフリフリのドレスを着た太めのオバサンが一枚づつ脱いで、ペチコート姿になるだけだが)。ニューメディアはポルノで普及するという法則はこの時代から有効だったのだ。

 美術館の手前に、先年話題になった奏楽堂がきれいに修復されていたが、周囲はホームレスの青テントだらけだった。ニュースにはまず映らない光景である。

 週刊文春によると、TBSの夏のドラマは総じて不振で、「ひと夏のパパへ」、「愛するために愛されたい」、「高原へいらっしゃい」の三本は11回の予定のところ、10回で終了することになったという。

 他の二本は見たことがないが、「ひと夏のパパへ」は傑作だと思う。シングルマザーに育てられた上戸彩が母親を失って、一度も会ったことのない父親を頼っていくが、その父親というのがその日暮らしの探偵稼業をしているチンピラだったという意表をつく設定で、父親役の北村一輝がいい味を出している。変質者とか強姦魔といったクセのある役が多かった北村を、アイドルの父親役に抜擢したプロデューサーはすごいと思う。頼りない役が多かった柳沢慎吾に、若いダンサーを引っぱっていくリーダーをやらせたのも成功している。小日向文世、松重登という小劇場出身者に父親世代をやらせる趣向もいい。上戸彩は「高校教師」や「あずみ」の無理な芝居よりも、よほど自然である。

 なぜこんなにおもしろいドラマが視聴率をとれないのだろう。理解に苦しむ。

Aug31

 朝鮮日報日本版に6者協議についての対談が載っている。話しあったのは金瓊元社会科学院長と鄭鍾旭亜洲大学教授である。金氏は元駐米大使、鄭氏は元駐中国大使だそうだが、大使をつとめたのが金永三政権時代だったのか、金大中政権時代だったのかはわからない。

今回の成果は継続協議することが確認されたくらいしかないが、これは事前の予測通りだとしている。このあたりは日本の新聞の座談会と同じである。

 中国が北朝鮮に焦だっているという点で両氏は一致していて、

鄭=「米国との協力を基盤に、国際社会で主導的な役割を果たす」という中国指導部の態度変化が、今回の6カ国協議でも如実に表れた。胡錦濤・中国国家主席も、「北朝鮮核問題をこれ以上中国の負担として残してはならない」と強く考えているように見える。

とまで言っている。

 ロシアと日本のスタンスについても、身もふたもない見方をしている。

鄭=ロシアはよく言えば「煽り役」、悪い言い方をすれば「邪魔者」だ(笑い)。ロシアは、何があっても北東アジアの新しい秩序の形成に参加しようとするはずだ。

 日本の場合、国内政治的に小泉首相が自分の人気のため、北朝鮮問題を利用しようとしているうえ、拉致問題を考えれば強硬な対応を取るほかない。

 また、米国と役割分担をする可能性もある。協議の序盤、米国は余裕な姿勢を取り、日本の方が強硬に出たり、経済支援部分と関連して日本が“えさ”で北朝鮮を誘引することもあり得る。

金=(日本に対しては)私も同じ考えだ。国内の政治的要素も重要で、日本からすれば、自国の国民が拉致されたのに我慢することはできない。日本が強硬な姿勢を取っているのは十分理解できる。

日本の元外交官はここまであけすけな発言はしないだろう。

 その一方、ヨーロッパと東アジアの歴史的背景にからめて、興味深い指摘をおこなっている。

金=とにかく、今回の6カ国協議という多国間体制を上手く活用しなければならない。欧州は19世紀に作られた欧州協調体制をこれまで北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合の形で上手く受け継いでいる。

 反面、アジアは中国中心の朝貢関係だけだった。今回の機会を上手く生かせば、北朝鮮核問題を越え、真の意味での韓半島平和体制、東北アジア全体の力のバランスの安定化問題など、東北アジアの平和体制へと発展させることができるのではないか、と考える。

 北朝鮮が崩壊すれば、アメリカは東アジアから兵力を引きあげ、中国中心に再編成されるのは間違いない。中国中心の体制を朝貢秩序の再来と見る発想は日本にはあまりないだろう。

 例の美女軍団が金正日の写真のプリントされた横断幕が道路の上に張られているのを見とがめ、泣きわめきながら外しに走った光景は日本のTVでも流れたが、カメラ小僧はともかくとして、一般の韓国人の目にはどう映ったのだろうか? 朝鮮日報日本版の「泣きながら「将軍様」の写真をまつる北の応援団」ででは「国民の気持ちは複雑だった」としている。

 多くの韓国国民は、美しく純真な女性たちというイメージで見つめていた「美女応援団」の行動に驚く一方、「一体どんな事情があって、あそこまでしなければならないのか」という憐憫まで感じたはずだ。

 北朝鮮住民は分断から50年経った現在まで、唯一思想と主体(チュチェ)思想の教育を受け、「偉大なる首領」、「偉大なる指導者」と毎日叫びながら生きているうちに、今回の事件で見せたような“異質な人間”になってしまったのだ。

 そのような意味で、今回の事件は韓国側の国民に北朝鮮体制の現実を教える衝撃的な契機でもある。敵として対峙する一方で、同じ民族として抱きかかえるべき北朝鮮の国民と、統一まで、そして統一の後まで共に過ごすには、想像もつかないような峠を越えなければならないことを、改めて実感させられる。

 北朝鮮が美女軍団がらみでちょっとゴネると、ぺこぺこ謝ってばかりいる韓国当局の対応に疑問を感じていただけに、一般の韓国国民の中にこういう見方があると知って多少安心した。

 有田芳生氏の「酔醒漫録」の8月29日の項に石原新党の情報が載っている。秋の総選挙に向けて、櫻井よしこ、テリー伊藤、小林よしのり、蓮池透氏らが候補者として名前があがっているそうだが、この四氏だけでもかなりの呉越同舟ではないか。石原慎太郎氏は住基ネット推進派だが、そこに櫻井よしこ氏がはいるとなると、石原新党は住基ネットに対してどのような姿勢をとることになるのだろう。まだ眉に唾をつけておいた方がいいと思う。

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