エディトリアル   December 2003

加藤弘一 Nov 2003までのエディトリアル
Jan 2004からのエディトリアル
Dec01

 殺された二人の日本人外交官は熱心で、できる人だったようである(外務省のサイトで奥参事官の「イラク便り」が公開されているが、アクセスが殺到しているのか、まだ読むことができないでいる)。二人は現地情報の収集では抜きんでた働きをしていたそうだから、同じ日に起きた情報収集衛星の打ち上げ失敗とともに、日本は情報的にアメリカ依存から抜けだせない状況がつづくことになる。

 ティクリートという最危険地帯に護衛なしで出かけたのは軽率だったと批判する人がいるが、神浦元彰氏は護衛をつけられない状況があったはずだと指摘する。

 それは日本政府が「イラクは安全」という説明を繰り返していたからだ。日本政府がそのように言う安全なイラクを移動するのに、大使館員が武装警備員を同行させることはできない。そのような異常な対応をとらした挙げ句、政府は国民に「テロに屈するな」と叫ぶ。自分の責任を感じないのか。

 真相はまだわからないが、こういう面がなかったとはいえないだろう。

 東京新聞に「『アラブ親日』はもう壊れている」という解説記事が出ている。

 アラブ人は親日感情をもってくれているのに、自衛隊を派遣して反発を買うべきではないという主張があるが、親日感情の貯金は湾岸戦争の時に底をつき、今ではマイナスに転じているというのだ。

 日本アラブ協会理事の最首公司氏は、この7月、親日家で知られるサウジアラビアの有力者からイラク戦争の対応にふれて「これほど日本が卑屈な国とは思わなかった」と言われたそうで、「アラブ世界で親日感情が崩れたというのが、日本のアラブ関係者の間では共通した認識だ」という。

 北朝鮮がらみで奇怪なニュースが流れている。地村さんの長女と、漁船から「救助」されたことになっていて、現在は朝鮮労働党幹部となっている寺越武志さんの長男の縁談がもちあがっているというのだ。地村さんは「事実なら北朝鮮の揺さぶりだと思うが、正直言って不安」と語っているそうだが、もともとあの国は男女ペアで拉致してくるとか、よど号犯のお嫁さん探しに日本の主体思想研究会を動員するとか、縁談に異常な関心を示している。

 そういえば、文鮮明の統一協会も集団結婚式を売物にしていたし、教義もやたらと男女関係にこだわっていた。

 儒教や陰陽論の影響かとも思うが、それだけだろうか?

Dec02

 ZDNetに「情報保存量、3年で倍増の500京バイトに」という記事が出ている。500京バイトは5エクサバイト、すなわち50億ギガバイトにあたる。

 まったく実感のもてない数字だが、有史以来、2001年までに人間が作りだした情報は6エクサバイト(ZDNet)だそうだから、情報量が爆発的に増加していることがわかる。

 この調査をおこなっているのはピーター・ライマンとハル・ヴァリアンの主宰する「情報計量化計画」で、日本版のサイトもある。

 サマリーによると、推計は記録媒体別に「紙」、「フィルム」、「光ディスク」(CD、DVDなど)、「磁気媒体」(HDD、テープなど)の四部門にわけておこなわれ、それぞれの最大推計値と最小推計値を算出している。あくまでオリジナルの情報であって、コピーは含まれない。

単位:テラバイト
媒体最大値最小値増加率
240232%
フィルム427,21658,2164%
光ディスク833170%
磁気媒体1,693,000577,21055%
2,120,539635,48050%

これで見ると、「紙」媒体で記録された情報はわずか0.01%にすぎない。電子メールの年間生産量は11,285テラバイトだそうだから、メールの1/4以下である。

 「紙」媒体の内訳は以下の通り。

媒体最大値最小値増加率
812%
新聞252-2%
定期刊行物1212%
書類195192%
240232%

 「本」は年間100万点が発行され、「新聞」は2万紙、ジャーナル類は4万誌、雑誌は8万誌、書類は7億5千万件と推計されている。このあたりでようやく実感がわいてくる。

 「書類」が圧倒的に多いが、紙の消費量ではどうだろうか。「本」は平均印刷部数、平均ページ数ともに「書類」の数十倍と思われる。紙の消費量という点でいえば、「書類」と「本」は同じくらいではないか。

 しかし、「本」と異なり、ほとんどの「書類」は作られるそばから棄てられてしまう。KICSで公開されている「ネットワークを「紙」から考えてみよう」によると、環境庁では年間110トン、霞ヶ関全体では8千トンの紙が消費されているそうである。資源保護の観点から紙の「本」を問題視する人が電子書籍関係にいるようだが、「本」の前にオフィスの紙の浪費を問題にすべきだろう。

 数字の示すとおり、今日の情報生産において、活字媒体はきわめて小さな部分しか占めていない。質という点では依然として活字媒体が抜きんでていると思うのだが、希望的観測だろうか。

Dec03

 電子書籍について某紙から取材を受け、普段、ここに書いているようなことを話してきた。

 今、話題の松下v.s.ソニーの電子書籍専用端末は、どちらも読者の支持をうるのは難しいだろう。Book Offと図書館で満足している読者に4万円は高すぎる(一桁違う)。マニアックな読者なら4万円出すかもしれないが、彼らは本や雑誌というモノに引かれているのであって、中味だけではそそられないだろう。研究者や物書きはパソコンと連携しないシステムでは納得しない。専用端末を携帯電話のようにただ同然で配るなら別だが、出版の産業規模は豆腐産業と同じくらいしかないそうなので、無理ではないか。

 紙の浪費と資源保護をうたう人がいるが、それをいうなら本よりもオフィスの書類の方が問題だ。保存される書類はごく一部にすぎず、ほとんどは作られるそばから捨てられてしまうのだ。

 長期的に見た場合、電子書籍に移っていくのは間違いないが、10年、20年というスパンで見た場合の話だ。

 新しい動きとしては、オンラインで発表する原稿の方が多いというジャーナリストが出てきているし、携帯電話向け小説というジャンルも生まれている。携帯電話向け小説は通常の小説よりも、ゲームに近い独立したジャンルかもしれない。ゲームは設定と粗筋しかなく、描写にあたる部分はゲームをやる人間が空想で補うが、携帯電話向けの小説の読者も同じような享受の仕方をしている可能性がある。そうなると、小説の概念自体が変わり、通常の小説は伝統芸能化してしまうかもしれない。

 おおよそこのような話をしたのだが、記者氏からオンライン・ジャーナリストの間に分けもたれている不安の話を聞いた。

 紙媒体に書いた記事なら自分の仕事が残るが、オンライン・ジャーナリストの場合、一定期間がすぎて記事がサーバーから削除されたら、仕事が消えてしまうというのだ。記事のバックアップはとってあるにしても、一般読者に読めなければ、世の中に存在しないのと同じである。

 自分のホームページに転載すればいいではないかという人がいるかもしれないが、記事の著作権はメディア側にある。社員記者はもとより契約記者であっても、勝手に転載するわけにはいかないのだ。

 archive.orgに記事が保存されていれば、そのメディアに書いたという証が残るが、archive.orgはすべての記事を網羅しているわけではない。

 記事自体が残っていても、内容が改変される場合があるという。たとえば、執行猶予期間を満了した被告から、過去の記事から自分の名前を消してくれという申しいれがある場合などだ。紙媒体なら消すことは不可能だが、電子媒体では跡形もなく消えてしまう。

 人権の見地からいえばやむをえないケースもあるだろうが、過去の事件を再検証する必要が生じた場合、固有名詞が消されていると再検証が困難になるし、不可能という場合だってなくはないだろう。

 オンライン・ジャーナリズムがそういう問題をかかえているとは気がつかなかった。過去の記事の改変にはいろいろが議論があるだろうが、すくなくともオンライン・ジャーナリストの仕事が消えるという問題は、執筆者だけでなく、読者にとっても大きな損失である。

 国会図書館が日本のWWWサイトを保存しようというプロジェクトを準備しているという話があったが、著作権がネックになって進んでいないと聞く。著作権はいつかは消滅するのだから、とりあえずWWWページの収集・保存を先行して進めるわけにはいかないだろうか。そうでないと、日本のWWWとオンライン・ジャーナリズムの歴史に空白期間ができてしまう。ことは急を要する。言論団体はただちに声をあげるべきだ。

Dec04

 Hotwiredに「静かなブーム:道端で『iPod』を共有するユーザーたち」という記事が出ている。iPodで音楽を聴きながら散歩をする人たちの間で、道端で見知らぬ者どうし、互いの曲を聞かせあうのがブームになっているというのだ。

 ソースはニュージャージー州バスキングリッジ在住のクランドール氏がblogに書いた「ipod greetings」で、8月のある夕方、iPodで音楽を聞きながら散歩していると、やはりiPodユーザーの女性が近づいてきて、自分のiPodからイヤホンジャックを引きぬき、彼に自分のiPodにイヤホンジャックを挿すようにうながした。クランドール氏は面食らいながらも彼女のかけている音楽を聴き、お返しに自分の音楽を彼女に聞かせた。

 クランドール氏はコンピュータ企業の51才になる技術責任者だが、以来、自分から進んで見知らぬ人と音楽交換をするようになり、気に入った曲はタイトルをメモすることにしているとのこと。学生ならともかく、いい年をしたオヤジがやっているところがおもしろい。

 iPodで音楽を聞かせあうことをジャックシェアリングというそうである。ジャックシェアリングは各地で自然発生的にはじまっているらしく、クランドール氏のblogのトラック・バックには多くの反響が寄せられている。

 ほのぼのとした話ではあるが、iPodユーザーだというところがポイントだろう。ウォークマンで同じことがおこなわれているなどと聞いたことはない。多分、iPodユーザーであることが一種のステータスとなっていて、仲間意識が生まれているということではないか。「iPodは世界を変える!」というblogを読むと、その感を強くする。

 iPodは2001年11月に発売されたが、MP3プレイヤーとしてはかなり割高な399ドルで、iTunes Music Storeから曲を買うするにはネット環境が必要である(Windowsからでもおろせないことはないが、Macintoshの方が使い勝手が格段にいいらしい)。完全に大衆化したウォークマンとはユーザー層が違うのだ。

 ジャックシェアリングはP2Pのファイル交換と同じだという人や、将来的にはブルートゥースでiPodから音楽を飛ばして、イヤホンジャックを挿しこまなくても曲を共有できるようにしようという人までいるが、いろいろな意味でMacユーザーらしいなと思う。

Dec05

 イラクで殺害された奥克彦氏と井ノ上正盛氏の御遺体が4日午後、成田に帰国した。奥氏は参事官から大使に、井ノ上氏は三等書記官から一等書記官に昇進した。二階級特進とは「戦死」のあつかいなのだろう。

 ただちに警視庁によって司法解剖がおこなわれ、奥氏は十数発、井ノ上氏は五発被弾していることがわかった。

 両氏が乗っていたのは高速が出せる軽防弾車だったが、犯人グループは三台の車でとりかこんでスピードを落とさせ、真横を併走して装甲を打ち抜ける機関銃で掃射した。テロの訓練を受けた者が、事前に情報をつかんで犯行におよんだのは明白だ。イラク暫定内閣のジバリ外相は、旧フセイン政権の情報機関「ムハバラト」の犯行で、米主導のイラク占領統治に協力する日本人外交官とわかった上で狙ったと言明している(Mainichi INTERACTIVE)。

 神浦元彰氏は5日付J-r.comで、次のように解説している。

 だから車の車体に厚い防弾板を取り付けるとか、厚い防弾ガラスを取り付ければ解決する問題ではない。それでは車体が重くなり、高速性能を落とすことになる。それならゲリラはRPG-7ロケット砲を使って襲撃することになる。すなわち日本大使館員車の襲撃グループは、最高度の襲撃テクニックを使ったことを意味する。同時にそのことは、襲撃の目的は日本大使館員の奥参事官を狙ったことを意味することになる。

 朝日の夕刊(本日)によれば、小泉首相は「日本大使館員を狙ったテロ」と認めたくないようだが、この程度のことは情報機関の基礎知識があればだれでも気がつくことである。

 フセイン政権の情報機関はほとんど無傷で地下に潜伏してしまったのだろう。暫定統治機構内部に協力者がもぐりこんでいることも十分考えられる。もういい加減、子供だましはやめてほしい > 小泉総理

 東京都神経科学総合研究所の斉藤実氏は、蠅にも老人ボケがあるという研究をアメリカの専門誌「Neuron」に発表した(asahi.com科学技術振興機構報 第14号)。

 ショウジョウバエの寿命は40日だが、その半分の生後20日頃から老人ボケがはじまるという。記憶には短期記憶、中期記憶、長期記憶の別があるが、老化で阻害されることが確認されたのは1〜7時間の中期記憶で、人間でいうと、買い物に出たのになにを買うのか忘れるような事例にあたる。短期記憶と長期記憶は影響されないという点も、人間の老人ボケと同じである。

 これまでは学習記憶全体が老化で阻害されると考えられていたが、amnesiacという遺伝子により作られる記憶のみが年齢とともに障害され、加齢性記憶障害(老人ボケ)を引き起こすことがわかった。今後はマウスで同様の検証をおこなうという。

 人間の老人ボケ治療が実現するのはまだまだだが、人間と蠅の記憶メカニズムが同根だったというのは驚きだ。『ザ・フライ』は絵空事ではなかったのかもしれない。

Dec06

 「HERO」でまた注目の集まっている秦始皇帝関係のニュースがつづいている。

 項羽によって火がかけられ、三ヶ月間燃えつづけたことになっていた阿房宮のはじめての大規模な発掘が昨年から5ヶ年計画ではじまっていたが、20万平米以上調査したが、火災の痕跡は見つからなかったという。壁の土台から銅の矢尻が見つかっているから(人民网日本版)、戦闘があったことは間違いないが、略奪だけで火は放たなかったわけだ。

 この調査では、前殿だけで東西1270m、南北426m、総面積54万1020平米だったことが判明した。東京ドーム12個分である。「HERO」や「始皇帝暗殺」に登場する阿房宮には壮麗な建物がびっしり建ちならんでいたが、実際はどうだったのだろう(追記参照)。

 Mainichi INTERACTIVEには、始皇帝陵の地下宮殿の規模がハイテク探査で判明したという記事が出ている。

 地下宮殿は地下30mに存在し、東西170m、南北145mの規模で、中央には石灰岩でつくった墓室(東西80m、南北50m、高さ15m)が確認された。墓室は16〜22mの壁で囲まれており、どういう調査をしたかはわからないが、内部は破壊を免れているという。大量の水銀の存在もあらためて確認された。

 『史記』には地下宮殿には水銀の川や海が作られ、阿房宮は三ヶ月にわたって燃えつづけたと書かれている。確実視されていた阿房宮炎上が誤りで、伝説あつかいされていた水銀の川や海が事実だったことになる。

 始皇帝の薨去はBC210年。その70年後のBC140年に、5才の司馬遷は父の司馬談にしたがって長安にはいっている。途中、咸陽や阿房宮の近くも通っただろう。阿房宮ほどの巨大な宮殿であれば一部が残っていただろうし、すくなくとも、司馬談は阿房宮に項羽が火をかけなかったことを知っていたはずである。漢王朝の太史令として、情報操作でもしたのか。

追記:中国通信社にもっと詳しい記事が載っていた。項羽が焼き払ったのは阿房宮と渭河をはさんで相対していた秦の都、咸陽宮の方で、こちらでは大面積にわたる焦土遺跡が発見されている。三ヶ月かどうかはわからないが、長時間、燃えつづけたのだろう。

 阿房宮前殿遺跡からは版築基址が60ヶ所見つかったが、一部は完成していなかった。未完成の土台があったということは、前殿自体が未完成だったことを意味するだろう。項羽が火を放たなかったのは、火を放つまでもなかったからということになる。また、阿房宮は高所にあったので、旅人は通らなかったとも考えられる。(Dec10 2003)

 YOMIURI-ONLINEに中国のネット人口が7800万人を越え、日本を抜いてき世界第2位になったという。今年6月末は6800人だったから、わずか半年で1千万人も増加したことになる。全世界のネット人口は7億といわれているから、ネットワーカーの9人に1人は中国人という勘定だが、中国の人口は13億人だから、人口比では6%にすぎない。

 これだけ増えると政治的影響力も大きくなる。先日の西安寸劇事件で、ネットの流言飛語が騒動を煽ったことは記憶に新しい。

 中国公安による外国サイトの閲覧制限もつづいている。人民网日本版によると、中国外交部の劉建超スポークスマンは4日の記者会見で、アクセス制限問題について、次のように語ったという。

 中国政府はインターネットの国民経済・社会的進歩に対するプラスの影響を重視しているが、同時に、インターネット上に不健全なコンテンツが多く存在することにも留意しなければならない。邪教の布教活動、ニセ情報、わいせつ・暴力的な内容などの有害な情報は、社会に対する害が大きい。中国を含む多くの国が、こうした問題の深刻さを認識しており、適切な管理方法を模索しているところだ。これについて必要な措置を取ることは、中国の社会的発展、中国の人々にとって利益になる。

 ハイテクだ、なんだといっても、あいかわらずである。

Dec07

 遅ればせながら、新文芸座の「勝新太郎映画祭」にいってきた。60代以上の人で混んでいたが、若い人も結構来ていた。

 46本上映ということだが、もう座頭市シリーズを含む38本は終わっていて、見ることができたのは「不知火檢校」と「釈迦」の2本。

 「不知火檢校」は宇野信夫の「沖津波闇不知火」という戯曲(井上ひさしの「藪原検校」はこれを換骨奪胎したもの)を映画化したもので、杉の市という貧しい盲目の若者が悪逆の限りを尽くして検校位にのぼりつめていく姿を描く。日本映画史に残るピカレスク時代劇の傑作である。

 「不知火檢校」が1960年、「座頭市物語」が1962年ということからすると、「不知火檢校」が座頭市シリーズの原点なのだろう。偶然とはいえ、この一作を見ることができたのは本当に幸運だった。

 この映画はまた勝新太郎と中村玉緒のなれそめでもあって、まだ松たか子のように清楚だった玉緒が、杉の市=勝にレイプされる場面は、その後と考えあわせると、なんとも意味深長だった。

 「釈迦」は大映の総力をかけた日本初の70mm大作で、1961年当時の大スターがずらりと並ぶ。本物のインド映画が当たり前に上映されている今日の目からみると、日本人がインド人を演ずる不自然さはいかんともしがたいが、CG一切なしで、巨大なオープンセットに大量のエキストラを動員した画面は引きつけるものがある。

 勝は釈迦に敵愾心を燃やす提婆達多ダイバダッタで、釈迦は本郷功次郎。

 映画の中味については「映画ファイル」に書くが、後半が阿闍世アジャセ物語になっていたのでおやおやと思った。阿闍世王は川口浩、母の韋堤希は杉村春子で、それに勝の提婆達多がからむ。

 阿闍世は仏典の「阿闍世王経」などで語られる釈迦と同時代の王で、母の韋堤希イダイケを殺そうとした罪悪感から悪病にかかり、仏陀に救われるが、今では阿闍世コンプレックスで知られている。

 日本の精神分析の草分けである古澤平作は父殺しのエディプス・コンプレックスでは日本人の心性は説明できないとして、母殺しの阿闍世コンプレックスを提唱した。1970年代になって、弟子の小此木啓吾氏は師のアイデアを『日本人の阿闍世コンプレックス』などで世に広めた。阿闍世コンプレックス論についてはさまざまな議論があるが、境界例を理解する理論的枠組として一定の評価をうけており、数年前、『阿闍世コンプレックス』という論集が出ている。

 わたしが阿闍世王物語を知ったのは小此木の紹介のはじまる1970年代だったが、その十数年前から、阿闍世物語はこの映画で知られていたわけだ。

Dec08

 Sankei WEBに、東欧のモルドバ共和国で、ロケットに搭載可能な「汚い爆弾」が多数行方不明になっているという記事が出ている。

 「汚い爆弾」は爆薬といっしょに放射性物質をつめた爆弾で、核爆発を起こさせるものではないので簡単に作れるが、爆発とともに死の灰が飛び散るので、放射能汚染は核兵器並みである。

 恐ろしいことに、「汚い爆弾」を搭載できるように改造したALAZANという気象観測ロケットが、すくなくとも38基、行方不明になってもいるそうである。ALAZANは射程12kmで、郊外から都市中心部を狙うにはちょうどいい。こんな兵器がテロリストの手にわたったら大変なことになる。

 CNNに「遺伝子組み換えペット第1号 「光る魚」めぐり論争」という記事が出ている。白黒のしま模様の熱帯魚にイソギンチャクやクラゲの遺伝子を組み込み、赤や緑の蛍光色に作り変えた「グローフィッシュ」がまもなく米国内で発売されるが、その是非をめぐって論争が起きているというのだ。

 部屋を暗くし、ブラックライトをあてると、熱帯魚が蛍光を発して浮かびあがるという趣向らしい。

 5〜6年前、日本でカラーテトラという「新種」の熱帯魚が店頭に並んだことがある。透明な魚体の背骨に沿って、緑色やオレンジ色の帯が出ているのだが、蛍光ポスターカラーのようにのっぺりした毒々しい色で、ぞっとしない代物だった。いかにも作り物めいていたが、果たして、アルビノ種のブラックテトラの体内に蛍光性の染料を注入して作った「新種」で、半年もすれば色が消えてしまうということだった。

 今回の「グローフィッシュ」はそういうインチキ新種ではなく、遺伝子の異なる正真正銘の人工新種だが、よけいぞっとしない。

 低水温では生きられないので、生態系に影響はあたえないというのだが、そんな保証はあるのか。日本でも一部地域で熱帯産のグッピーが野生化しているという事例がある。また、一度前例をつくってしまうと、ほかの遺伝子組み換え生物への歯止めがきかなくなるという懸念もある。

 これから遺伝子組換ペットがどんどん出てくるだろう。バチカンは遺伝子組み換え作物の倫理性を討議しているそうだが(Hotwired)、ペットも問題にすべきだろう。過去にも品種改良によって、チワワのような野生では生きていけそうもない品種を作りだしているのだから、遺伝子組換だけを問題視するのはおかしいという議論もあるかもしれないが、正真正銘の新種を作りだすのは同一種内の品種改良とは違うと思うのだ。

Dec09

 小泉政権は9日、臨時閣議を開き、自衛隊のイラク派遣を閣議決定した。小泉総理は国民に理解をもとめるために記者会見をおこない、TVで生放送された。

 ニュースで抜粋を聞いただけだが、憲法前文に言及しただけで九条は避けているそうで、あいかわらず子供だましである。日本はアメリカの属国だから、御主人様のいうとおりにするしかないのだとは口が裂けても言えないわけだが、貧弱な装備で送りだされる自衛隊員はやってられないだろう。

 かつてない「重装備」とマスコミは騒ぐが、重装備の中味は無反動砲と装甲車だという。無反動砲というとすごい武器のようだが、なんのことはない、ただのバズーカ砲である。装甲車にいたっては、機関銃くらいしか防げず、RPG(肩担ぎロケット弾)を打ちこまれたら全員玉砕だ。こんなもの、どこが「重装備」なのか。

 戦争ゲームをやったことのある人なら、部隊の規模が小さいほど、被害が大きくなることを知っているはずだ。戦場では大部隊の方が安全なのである。たった500人やそこらでは、陣地にこもって、亀のように首をすくめているのがせいぜいだろう。オリンピックなみに、参加することに意義があるということか。

 自衛隊は現地の人に水道管や発電機、電線といった復興資材だけわたして、陣地にじっと閉じこもり、半年すぎるのを待つしかない。

 火星観測のために打ちあげられた日本の探査機「のぞみ」の主ロケット故障が治らず、火星周回軌道にはいることを断念した(asahi.com)。数日前、「火星探査、「のぞみ」薄 エンジン直らねば星くずの運命 」という記事が出ていたが、心配していたとおりになってしまった。火星に衝突するのを避けるために、姿勢制御エンジンで進路をそらすので、太陽を周回するようになるらしい。

 先日のH2Aロケットの失敗といい、科学行政の朝令暮改が日本の技術力の信頼性を疑わせる結果をまねいている。

 小柴昌俊氏のノーベル賞受賞で世界中から注目されているスーパー・カミオカンデを、来年度概算要求の優先度でCランクにしたという信じられない事件もあった。Cにした経緯というのが、またあきれる。共産党のサイトの「ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊さん大いに語る」から引く。

 僕は井村議員もお気の毒な立場だと思うんです。つまりね、本来あの方は医学が専門ですから、ニュートリノ振動なんて知ってるはずがないわけ。その人に判定を委ねるということ自体がおかしな話なんです。

 格好つけるために、内閣府の役人が、いわゆる専門の委員を二人くっつけたんです。二日前にその人に書類を渡して、これに対する意見を述べよと、やったわけなんですよ。ところが、その役人が選んだ二人の専門委員っていうのがニュートリノ振動に関してはずぶの素人で何も知らん人だったんですよ。そういう人の意見を得た上で、井村さんに判定しろっていったって、もともと無理です。それをやらなきゃならない立場に追い込まれたから、ああいうふうな結果になったんですね。

 共産党からさえ馬鹿にされるようでは、この国の科学政策はもうお終いである。

追記:ニュートリノ実験施設建設で、財務省は文部科学省要求をほぼ認め、6億円をつけた(Mainichi INTERACTIVE)。世論の力だろう。(Dec20 2004)

Dec10

 9日、ホワイトハウスで中国の温家宝首相と会談したブッシュ米大統領は台湾の住民投票に「反対する」と明言し、「台湾指導者の言動は、我々が反対する現状変更に向けた決定を一方的に行おうとしている可能性を示すものだ」と述べた(Mainichi INTERACTIVE)。台湾の陳水扁総統は来年3月の総統選挙と同時に、台湾を標的とするミサイルの撤去を中国に求めるかを問う住民投票を計画している。台湾独立に直接つながるテーマでこそないが、独立に向かう動きとして中国はかねてから非難していた。温首相はブッシュ大統領が台湾の独立の動きに反対する考えを明確にしたことを評価し、今回の訪米は「成功だった」と語ったという。

 陳総統は「歴史的な住民投票は(中国との)統一か独立かを問うものではない。民主、人権という人類共通の価値を高めるためだ。台湾海峡の現状を変えるものではない」と語り、投票の意味づけを微調整しながら実現を目指すという(Mainichi INTERACTIVE)。

 台湾は東アジアで最重要の日本の友人である。過去の経緯から、アメリカは中国によるあからさまな武力併合は許さないだろうが、あからさまでなければ目をつぶるのではないか。最近の米中接近を見ていると、そう疑わざるをえない。

 台湾の独立があやうくなることは、日本の安全にもひびいていくる。西尾幹二氏のインターネット日録の11月30日(「日本の香港化(八)」)の項に、高田雄二という人が掲示板に投稿した「日本の「香港化」は現在進行中です」とう書きこみが引用されている。日録から孫引きする。

「香港化」ですが、いろいろな示唆があると思います。中国という国は、現在13億の人口がいて、経済成長する必要があるのですが、そのときに真っ先に利用されているのが「香港」だと思います。実際のところ、香港の膨大な貿易赤字のおかげで、中国は外貨を稼いでいます。対日貿易も中国側の輸出超過なのですが、香港を加えると、なんと中国側の輸入超過になるのです。

これが言わんとしていることは、中国が国内を発展させるために、香港400万人の富が中国内陸に移動しているということです。もちろん、400万人の富では足りません。次に中国が目標にしているのは、台湾2200万人の富を、中国内陸部に移転することです。そして、最後に1億2000万人の富が中国の東部に転がっているのをご存知でしょうか?

 どう受けとるかは難しいが、念頭においておくべき論説だと思う。

Dec11

 Sankei Webに、2003年には日本の平均寿命は100歳を越えるという記事が出ている。ソースは国連経済社会局が9日に発表した2300年の世界人口見通しで、総人口は現在の63億人が90億人に増えるとしている。推計トップ10と日本は以下の通り(単位100万人)。

順位国名人口
1インド1372
2中国1285
3アメリカ493
4パキスタン359
5ナイジェリア283
6インドネシア276
7バングラディシュ243
8ブラジル223
9エチオピア207
10コンゴ183
18日本101

 意外に増えていないという印象だが、世界的に高齢化が進み、出生率が下がるためだという。現在26歳の年齢中央値は50歳にあがる見こみ。

 日本は2050年1億1000万人、2100年に9000万人と減っていくとしているが(人口減少はもっと急ではないのか)、2300年には増加に転じることになっている。平均寿命が男104歳、女108歳にのびるとしているが、それだけではこんなに増えない。厚生労働省あたりの希望的観測で計算したのだろう。

 Hotwiredには「地球温暖化の影響でヨーロッパが寒冷化?」という記事が出ている。

 ミラノで開かれた国連気候変動枠組条約第9回締約国会議で発表されたシミュレーションで、ヨーロッパの気温は今後50年以上徐々に上がった後、急激に下がるとする。北極の氷が融けてできた、冷たい水塊(塩分濃度が低いので、下に沈まない)がメキシコ湾流の北上をさまたげるからだという。ヨーロッパが緯度的には北海道と同じなのに、温暖なのはメキシコ湾流のおかげである。

 大西洋の冷水塊のためにヨーロッパが寒冷化した例は過去にもあった。前回の氷河期の終わった直後、北米大陸にできた巨大な湖から淡水が一気に流れだし、長期にわたって北大西洋にいすわったのだ。

 温暖化の影響は南の島が沈むだけではなかったのである。50年後としているが、もっと早くても不思議はない。長生きはしたくない。

Dec12

 NASAは火星では氷河期が終わり、気温が上昇しつつあるらしいと発表した。

 SFではCO2を放出して気温をあげるというテラフォーミングものの作品があるが、どういう原因で気温が上昇したのだろう。地球温暖化は人為的な原因ではなく、人間の力ではどうにもならない長期的な要因によるものだという説があるが、火星が温暖化しているとなると、無視できなくなる。

追記:元ネタはジェット推進研究所の「Odyssey Studies Changing Weather and Climate on Mars」だった。(Dec15 2003)

 人民网日本版に、チベット自治区は地熱発電の宝庫だという記事が載っている。地熱露出地区は706カ所で、中国全体の8割を占めるという。そのうち開発可能な地区は342カ所、80度超の高温地区は53カ所。利用可能な地熱資源総量は標準石炭量の315億2500万トンに相当し、発電に利用できる高温資源総量は298.8メガワットにのぼる。

 西蔵自治区地熱地質工程勘察院の胡先才院長は「青海・西蔵鉄道建設予定地の沿線を調査した際、駅予定地のほとんどは相応規模の地熱田がその付近に確認された。この資源を開発すれば鉄道完成後、沿線の経済建設に必要なエネルギーを十分提供できる」と語っているという。

 採算的に疑問視されている青海・西蔵鉄道計画を正当化するための発言かもしれないので鵜のみにはできないが、無駄に放出されているエネルギーを有効利用できるのなら、それにこしたことはない。

 asahi.comに、各地の高校の理科室で、トキやアホウドリなど、貴重な標本が続々と発見されたという記事が出ている。

 山階鳥類研究所が「歴史の長い高校には希少鳥類の標本が残っているのでは」と思いつき、600校に調査用紙を郵送したところ、230校ほどから回答が寄せられ、トキの標本が8校に保存されていることがあらたに判明した。アホウドリ、ライチョウ、ルリカケス、オオワシの貴重な標本も確認されている。

 同研究所では学校の統廃合で処分されることを防ぐために、調査範囲を小中学校にも広げ、サイトに「鳥類標本保有状況についてのアンケートのお願い」というページを作って、協力を呼びかけている。

 そういえば、理科室や理科準備室の奥には埃の積もった標本があったなと思いだした。

Dec13

 NTVの「報道特捜プロジェクト」が架空請求書問題をとりあげていた。請求書を送ってきた業者に記者が1日半執拗に電話をかけつづけて、取材にもちこんでいた。架空請求業者は電話が商売道具だけに、回線を一本ふさがれてしまっては「仕事」にさしつかえるという事情もあったろうが、記者の粘りは立派だ。

 これだけ話題になっているのに、まだ引っかかる人がいるのが不思議だったが、うっかり問い合わせの電話をかけてきた人間を徹底的に追いこむのだという。一度払いこんだ人間には名義を変えて何度も請求書を送りつけ、払えなくなったらサラ金を紹介し、借金させてまで払わせるのだそうだ。500万円以上払った被害者までいたというから、世の中は広い。

 架空請求書一通に100円かかるとしても、被害者が平均30万円払いこむなら、3000人に1人引っかかるだけで採算がとれる。100人に1人引っかかるなら、大儲けである。取材に応じた業者は月1億稼いだことがあると豪語していたが、1日10人引っかかれば、それくらいの金額になるだろう。

 後半では「スクープ・徹底取材これが議員の海外視察の実態だ」と題して、公費による議員の観光旅行をとりあげていた。昔から問題になっていたのに、まだやっていたのである。しかも、この不景気の御時世に、通訳つきの貸切バスで五つ星ホテルを泊まり歩く大名旅行を既得権と考えているのだから、なにをかいわんやである。

 ミラノで地場産業を「視察」した都議会議員様御一行様もあきれたが、タイとカンボジアを訪問した埼玉県会議員の「産業防災アジア行政視察団」御一行様の方は、昼間と同じ通訳つき貸切バスでマッサージ・パーラーにくりだしたところをしっかりビデオに撮られていた。

 NTVの番組なのに、なぜかMainich INTERACTIVEで記事になっているが、問題の場面はこう記されている。

 入店後の模様は日本テレビの「報道特捜プロジェクト」で13日に放送された。この中で、6人の県議がひな壇に並ぶ女性の中からそれぞれ1人を指名して男女2人ずつで別室に移る様子や、1人の女性を宿泊先に連れて帰る県議の姿が映し出された。県議のうち3人は毎日新聞の取材に「別室では一緒にカラオケを歌っただけ」「ホテルの廊下でみやげを渡しただけ」と釈明した。

 NTVの取材にはそんな店には行っていないと答えていたが、証拠になる映像が放映されてしまったので、店にはいったことをあわてて認めたのだろう。

 番組では議員名は明かさなかったが、じきにわかる。他の議員もやっているからなどというのは理由にならない。一罰百戒で落選させた方がいい。

 埼玉県といえば、桶川女子大生ストーカー殺人事件の実録ドラマがテレビ朝日の「土曜ワイド劇場」で放映された。猪野詩織さんは内山理名、父憲一さんは渡瀬恒彦、母京子さんは戸田恵子という配役、原作は鳥越俊太郎

 事件のあらましは文字で読んでいたが、絵になると正視できない。これはひどすぎる。

 猪野詩織さんが刺殺された後がまたすさまじい。事実無根の警察リークを裏をとらずに信じこんだマスコミのバッシングと、嫌がらせ電話が、娘を亡くした遺族をさらに打ちのめしたのだ。一部マスコミの努力によって真相が明らかになり、詩織さんの名誉が回復された後も、嫌がらせ電話は執拗につづく。一体、誰がかけているのか。警察関係者か? そう疑いたくなるようなストーカー的な対応を埼玉県警はつづけている。

(清水潔『遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層』によると、捜査サボタージュや埼玉県警の対応にはもっと疑惑があるのだが、ドラマはそこまでは踏みこんではいなかった。それでも、これだけひどいのだ)

 田中康夫長野県知事は、長野県警によって松本サリン事件の「犯人」にしたてあげられた河野義行さんを県公安委員に選任し、田中知事に敵対していた長野県議会も承認した。田中県政にはさまざまな評価があるだろうが、すくなくとも、この人事で田中康夫という名前は歴史に残ったと思う。民主警察を担保するはずの公安委員会が形骸化したといわれて久しい。残念なことだが、公安委員会による警察の監督を実効性のあるものにするには、警察から被害を受けた人に公安委員になってもらうのが一番なのだ。

 埼玉県議会は猪野詩織さんの父の憲一さんを県公安委員に推薦すべきだ。バンコクのマッサージ・パーラーで女の子と個室に消えた県会議員は、落選したくなかったら、率先して動いた方がいい。

Dec14

 フセインがアメリカ軍に生け捕りにされた。バグダッドは歓喜にわきたっているそうだ。記者会見場で白髪まじりの髭面で健康診断を受けている映像が流れたが、きょとんとした目で、医師に口の中をかきまわされていた。普通の犯罪者なら人権蹂躙だが、こうやってさらし者にするために生け捕りにしたのだろう。

 つかまった状況もみっともない。75万ドルの札束といっしょに、野菜小屋の下に掘った穴の中から引きずりだされたのだ(Mainichi INTERACTIVE)。

追記:フセイン逮捕の状況が明らかになってきた。Sankei Webの「元大統領拘束ドキュメント」に詳しいが、穴蔵を発見した米兵が穴の底に横たわる男に誰何すると、男は「撃つな、私は大統領だ」と答えたという。

 最後の一兵まで戦えと吠えていた独裁者が命乞いをしたわけで、イスラム圏では幻滅が拡がっているという。しかも、武装勢力の情報まで供述しはじめているそうである。(Dec15 2003)

 12月14日なので、炭小屋から引きずりだされた吉良上野介を連想してしまう。札束をかかえて髭面だったというと、麻原彰晃そのまま。こっちの人も、つかまる時は米ドルの束をかかえていそうである。

 一般のイラク人はお祭り騒ぎをするとして、バース党の残党やアラブのテロリストはどう反応するか?

 イスラム圏は映画を通してしか知らないが、イランを中心に20本近くみた映画をあれこれ思いかえしてみると、可哀想な子供の映画が異常に多いと気づいた。先日見たウィンターボトム監督の「イン・ディス・ワールド」まで可哀想な子供が主人公だ。

 検閲のがれのために子供ものが多くなるという事情があるようだが、輸入の段階でかなりバイアスがかかっていそうである。インド映画だって、「ムトゥ 踊るマハラジャ」がヒットする前は、格調高い文芸映画しかはいってこなかった。イスラム圏のB級映画が見てみたい。

 日経新聞のSunday Nikkeiに「権利者を探せ」という特集記事が出ている。レコードのオリジナルそのままの復刻版を出したり、過去のTV番組を放映しようとすると、著作権や肖像権の許諾におそろしく手間がかかり、そのためのビジネスが生まれているそうだ。

 作詞家や作曲家の著作権はJASRACが仕切っているが、レコードジャケットのデザイン等々になると、誰が権利者かを突きとめるだけでも大変である。TV番組の場合も、ドラマなら窓口になる団体があるが、ドキュメンタリーとなると一般人が大勢出ているので、取材地の町内会に問い合わせるとか、気の遠くなるような作業が必要になる。NHKが8月に再放送した「昭和万葉集」(1979)では、権利関係の処理に二人の専従スタッフで実働54日かかったとか。

 国会図書館は「近代デジタルライブラリー」で明治期に刊行された本をネット公開しているが、ここまでこぎつけるには「日本最大級の著作者探し」をおこなったという。調査は入札で丸善が一括受注し、10人の専従スタッフで作業中だが、これまでの3年間に16万冊を調べ、5万3千冊が著作権なし、4千冊が著作権あり、10万冊が著作権不明と判明した。

 「著作権不明」とは、できる限りの調査をしたが、とうとうわからなかったということだ。これが大事なのだそうである。というのは、しかるべき努力をしても発見できなかったと証明できれば、文化庁長官の裁定で公開できるからだ。具体的には問い合わせた機関に一筆書いてもらうようなことをしているそうだ。

 書籍でこれだけ大変なのだから、広告や読者投稿の載っている雑誌となると桁違いの作業が必要になる。しかし、雑誌は情報の宝庫であり、公開には大きな意義がある。現実的な解決法を見つけられないものか。

Dec15

 ZDNetに「Microsoft、ソフトからカギ十字を削除」という記事が出ている。

 なにごとかと思ったら、MS Officeに同梱される「Bookshelf Symbol 7」のフォントにカギ十字(逆卍)のグリフが含まれていると抗議され、MSがあわてたというもの。微妙な話なので、ZDNetから引こう。

 このフォントは日本語フォントセットに由来するとMicrosoft Officeプロダクトマネジャー、サイモン・マークス氏は語っている。

 「顧客の1人が数週間前にこれを発見した」とマークス氏は語り、「(この記号が含まれていたことに)悪意はない」と言い添えた。

 Microsoftは、さまざまなユダヤ人団体にこのフォントについてコンタクトをした上で、このフォントをシステムから削除するユーティリティをすぐにWebサイトで提供開始したとしている。

 「悪意はない」だなんて、天下のMSがすっかり怯えているではないか(苦笑)。果たして、microsoft.comにはBookshelf Symbol 7 Font Removal Tool: KB833404が早々とアップロードされていた(ウィルスのパッチはなかなか出さないのに、こういう対応だけは早いな。 > MS)。

 卍はJIS基本漢字(JIS X 0208)にはいっているが、逆卍の方はなく、台湾のCNS 11643の第3面と中国のGB 7590に収録されている。UCSにはU+5350としてはいっており、ユニコード・コンソーシアムが公開しているUnihan Databaseで検索すれば、今のところちゃんと出てくる。念のためにUnihan.txtから抄出する。

U+5350 kCNS1992 3-232D
U+5350 kDefinition swastika fourth of auspicious
U+5350 kGB5 1630
U+5350 kIRGHanyuDaZidian 10051.090
U+5350 kIRGKangXi 0156.221
U+5350 kIRG_GSource 5-303E
U+5350 kIRG_TSource 3-232D
U+5350 kJapaneseKun MANJI
U+5350 kJapaneseOn BAN MAN
U+5350 kZVariant U+534D

 当たり前だが、逆卍はArial Unicode MSなどのMS提供のユニコード・フォントにも含まれている。WindowsXPか、Arial Unicode MSのはいっているレガシーWindowsをお使いの方なら「」がちゃんと見えるはずである。

 問題のツールはMS提供のユニコード・フォントまで削除してしまうのだろうか? (わが愛機はモルモットにしたくないので、試した方は御一報を)

 それにしても、長い歴史があり、国際規格にも収録されている文字を使えなくしてしまうなんて紅衛兵なみだ。日本工業標準調査会は、このような政治的横暴にきちんと抗議してほしい。

Dec16

 今日はアフガニスタン復興を願うアフガン・デーである。東京都写真美術館の一階ホールで開かれている第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバルで、セディク・バルマク監督の「アフガン・零年:オサマ」と、アフガニスタンの5人の監督のオムニバス、「アフガン・ショート・フィルムズ」を見てきた。

 「アフガン・零年:オサマ」は、6月に放映されたNHKスペシャル「マリナ」が製作過程を追っていた作品で、期待にたがわぬ出来だった。イランやパキスタンのアフガン難民を描いた映画を見て、難民はこんなに大変なのかと思っていたが、難民になれるのはまだ恵まれた人たちだった。難民にすらなれない本当の弱者は、タリバン支配下のカブールに残り、息を殺して暮らしていかなければならなかったのだ。

 上映後、バルマク監督のティーチインがあった。例によって、意味不明のモノローグで貴重な時間を空費させた質問者が二人いたが(質問する能力のないバカは手をあげるべきではない)、実のある質疑もあった。

 少年になりすましたマリナが、風呂で女の子だと発覚しそうになる場面があるが、ここで剥きだしの肩が映っているのである。日本の感覚からすればどうということのないシーンだが、イスラムの戒律で、あの場面は大丈夫なのかという質問に、監督は「現在のアフガニスタンには宗教的規制はなく、カブールで現に上映されている」とのこと。日本で恵まれた暮らしをしている自分たちは、アフガニスタンの人のためになにができるのかという問いには、「今、必要なのはお金を送るとかそういうことではなく、お互い理解しあうことだ。アフガニスタンの人間がなにを考えているか、なにを感じているか、わかってほしい」と答えていた。

 バルマク監督は渡米の準備のために会場を去ったが、その後、アフガン・デーということで、NHKスペシャル「マリナ」と、5人のアフガニスタンの監督による「アフガン・ショート・フィルムズ」というオムニバス映画が無料上映された。

 「アフガン・ショート・フィルムズ」は5本ともかわいそうな子供を主人公にした作品だが、どれもユーモラスなタッチなのだ救いだ。技法的には拙い部分もあるが、心のゆとりは賞賛すべきだ。4本目の「いけにえ」はマリナの主演だったが、これも宗教指導者を痛烈に批判した作品である。タリバンが復活したら、彼女の一家は亡命しなければならなくなるだろう。

 二作品ともすばらしかったが、ハイビジョンによるプロジェクター上映だったために、画質・音質とも最低だった。全体にVHSなみのぼけた、のっべりした映像で、見にくいことおびただしい。ブロック・ノイズが出たり、動きの止まる箇所まであった。色も浅く、安っぽかった。音質はキンキンして、聞きにくかったし、大音量のシーンでは音が割れた。ハイビジョンを宣伝するために、フィルム作品をわざわざプロジェクター上映したのだろうが、装置・調整ともお粗末で、これでは逆効果だ。

 こういう作品をハイビジョンの宣伝材料で終わらせてしまってはもったいない。ぜひ普通の映画館でフィルム上映してほしい。

Dec17

 長野県が住基ネット侵入テストの結果の一部を公開した。Oct08の項では住民票の改竄が可能ではないかと書いたが、案の定、可能だった。データの盗みだしはいわずもがなである。

 報道は毎日新聞が独走状態で、Mainichi INTERACTIVEの住基ネット特集ページには、16日から17日にかけて、7本の記事が掲載されている。すべてに目を通してほしいが、師走であるし、どうしても時間がないという方は「住基ネット侵入実験 長野県が結果を公表 安全性に疑問呈す」で発表の概要をつかみ、「住基ネット侵入実験 識者「脆弱性の存在、厳粛に受け止めるべき」で、政府の電子政府評価・助言会議メンバーである山口英氏のコメントを読むといいだろう。

 ごくごく単純化して説明すると、長野県の侵入実験は住基ネット本体ではなく、自治体の既存システムを標的にしておこなわれた(本体にアタックするのは違法行為)。一度、既存システムにはいりこめば、正規の職員になりすまして、自由に住基ネットにアクセスできてしまう。Mainichi INTERACTIVEから引く。

 関係者によると、CSの操作が可能になったことで、総務省の外郭団体「地方自治情報センター」が運用する全国サーバーにも正規の操作者を装ってアクセスし、全国民の個人情報を検索・閲覧できる状態になった。侵入は3日半に及んだが、検知されなかった。

 また、既存住基システムへの侵入で当該自治体住民の個人情報を改ざんし、全国サーバーに誤ったデータを送信することも可能だった。

 総務省側は「肝心のファイアーウォールは破られていない。(他市町村への)影響はない」と、おなじみの反論をくりかえしている。ファイアーウォール、ファイアーウォールと念仏のように唱えているが、クラッカーはテロリストと同じで、一番弱い部分を狙うものだ。万一、市町村の既存システムから情報漏れが起こった場合、自己保身しか頭にない総務省の役人は市町村の側に責任を押しつけるのだろうか。

 総務省住民基本台帳システムネットワーク調査委員の伊藤譲一氏は「平均的コンピュータ・ネットワークエンジニアなら誰でも侵入することが可能」としているが、これはきわめて重大なポイントである。

 「住基ネットの過剰な検索機能」で指摘したように、完備した検索機能のおかげで、エンジニアはもとより、普通にパソコンのあつかえる程度の人間でも、大雑把な住所や生年月日(春夏秋冬や「不明」という選択肢まである)から個人を特定し、住民票を引きだすことが簡単にできてしまうのである。セキュリティの強化も大事だが、その前に過剰な検索機能を削除し、完全な生年月日と住所、氏名(読みによる検索は不可にすべき)、性別の四情報が完全に一致しなければ、住民票にアクセスできないようにシステムを改めるべきだ。

 最後に、ZDNetの「住基ネット――食い違う意見の中で見えてきた2つの隔たり」の論評を引く。

 総務省は、ZDNetの電話に対し、「セキュリティに100点ということはありえない」と述べている。そうであるならば、今回の実験に対し、「物理的な侵入を伴う実験としての的確性を完全に欠いた方法で行われている」とは断言できないのではないだろうか。侵入者は、こちらの裏をかき、狙って欲しくないところを狙ってくるものだからだ。

 上記のように、総務省と長野県の議論には、前提に大きな隔たりがあり、かみ合わないままだ。何より残念なのは、互いが互いの主張の論破を試みようとしている中、本来最も最初に考えるべきこと――住基ネット情報を、規模や事情がさまざまな各市区町村で実効ある形でどうやって守っていくか、そして改めて脆弱さが指摘された市区町村LANのセキュリティをどう強化するか――が抜け落ちているように見えることだ。

 基本的には同感だが、喧嘩両成敗にしてはいけない。総務省は長野県と意地のはりあいをする前に、もっと根本的な欺瞞をおこなっている。わたしが言うのは、電子政府構想以前に設計の固まっていた、住基ネットという時代遅れのシステムをごり押しで稼働させたことである。残存外字を引きずった欠陥システムが本当に電子政府の基盤にはなりうるのかどうか、そこから議論し直すべきだ。

Dec18

 先日の地村さんの長女の縁談話につづいて、またしても北朝鮮が揺さぶりをしかけてきた。「レインボーブリッヂ」の小坂浩彰氏が拉致被害者5人の子供たちの様子を写したビデオと写真をもちかえったのだ。ビデオと写真は政府の拉致被害者・家族支援室を通じて被害者に届けられたが、地村さんは「ありがた迷惑」と北朝鮮の不誠実なやり方を批判したという。

 映像は平壌のホテルで撮影されたとみられるが、

 政府関係者によると、このビデオには、小坂氏が子供らに向かって「近いうちにお父さん、お母さんに会える」と話し、両家の長女に「結婚する気はないか」とたずねる場面もあったという。

 外交の手づまりを打開するために個人の結婚問題をちらつかせるとはあきれるしかないが、結婚問題を取引材料にするしかないところまで、北朝鮮は追いこまれているともいえる。

 平壌にハンバーガー・ショップが開店したというニュースがあったが、実はハンバーガーは金日成総合大学の学生の給食になっていたことがわかった(朝鮮日報日本版)。

 2000年9月、将軍様は「私はそれ(引用者注:マクドナルドのこと)にひけをとらない高級食パンと揚げジャガイモをわれわれ式に生産して大学生や大学教員、研究者らに食べさせるという決心をした。これは私が重視する問題なので徹底的に実現させる」と語り、ハンバーガー工場の建設を指示したという。Sankei Webから引く。

 そして「偉大な将軍はこのことを単純な経済実務的な問題とは考えていなかった」とし、金総書記はさらに「どんなに金がかかろうとも何としても設備、原材料、調味料を供給し大学生らに“肉挟みパン”を食べさせなければならない」と述べたという。

 この計画は「経済幹部」からすると「いつ戦争が起きるかも分からない厳しい情勢の中でこのような(事業に)莫大(ばくだい)な資金を振り向けるというのは想像もできないこと」であり「純粋に財政的計算からすれば国家の負担は莫大」だったにもかかわらず「わが将軍の愛情はいささかの打算もない無限大の愛情」であり「後世のための高貴な恩情」ということで実現されたとしている。

 慢性的に国民が飢えているのに、エリート学生にだけは「莫大な資金」を使ってハンバーガーの給食を食べさせているわけである。「いささかの打算もない無限大の愛情」だとか、「後世のための高貴な恩情」というなら、給食は孤児院の子供たちに振りむけるべきなのだが。

 いつも思うのだが、政治問題に「愛情」だの「恩情」だのを持ちだすのは薄気味悪い。そういう発想の延長で、よど号犯に配偶者を世話したり、地村さん、蓮池さんのお嬢さんの縁談を取引材料にしたりするのだろうか。

Dec19

 学生のレポートを採点していて、「多様される」という誤表記に目がとまった。二回も出てくる。

 昨今のレポートは誤変換だらけなので、ちょっとやそっとでは驚かないが、これには「おや」と思った。「たようされる」と打ちこんで変換すると、「多用される」か「他用される」しか出てこないはずだからである。「多用」と「他用」は「する」と結びついて動詞になる「サ変名詞」なのに対し、「多様」は「な」と結びついて形容動詞になる名詞であり、かな漢字変換アルゴリズムでは截然と区別されている。

 「多様される」というありえない間違いをなぜくりかえせたのだろう? 「多様」を「サ変名詞」として登録しているのだろうか?

 と考えたのには理由がある。パソコンやワープロ専用機なのに「弘一」を「引一」と誤表記してきた人が過去に複数いたからである。手書きの頃は「引一」と書いてくる人が1割程度いたが、かな漢字変換では「引一」は絶対に出てこない。ところが、「引一」という誤表記でメールや年賀状を寄こす人が何人かいるのである。本人に確認したわけではないが、「引一」をわざわざ単語登録してあるのだろうと思っている。

 レポートの講評で、この話を枕にかな漢字変換のアルゴリズムについて話しはじめたところ、学生が口々に異論を出してきた。携帯電話の影響で、「たよう」で変換・確定し、その後「される」と打ちこむ入力法がパソコンでも普通だというのだ。つまり、単文節変換である。

 単文節変換なんて神代の昔のことだと思っていたが、携帯電話で復活していたとはへえ〜である。

 「サ変名詞」と形容動詞名詞の区別のような文法の約束は、かな漢字変換のアルゴリズムによって守られていると思っていたが、単文節変換てはなんでもありになってしまう。最近、「小説する」「小説な人」などという表現が蔓延するのは、携帯電話のせいかもしれない。

 誤変換がらみというわけではないが、atok.comに『明鏡国語辞典』の編集委員の矢澤真人氏のインタビューが載っている。

 矢澤氏は「私が目指したのは「パソコンを使っているときに側に置いて、必要なときに引く辞書」です」とアピールしている。大修館の紹介ページの組み見本には載っていないが、語釈の最後に類語との使いわけを説明した「用法」という項目があり、これが売りになっている。

 日本にもようやく欧米の中辞典なみの辞書がでてきたのかとそそられたが、来年出るCD-ROM版は「「一太郎2004」と連携」とあるのに気がつき、白けた。atok.comもやるなと思っていが、なんのことはない、タイアップ記事だったのだ。

 もちろん、悪い辞書ではないのだろうが、atok・一太郎とは縁がないので二の足を踏むし、今さら紙の辞書は買う気がしない。

 今、気になっているのは『日本語大シソーラス』である。いいという評判を聞くし、各紙の書評やAmazonのカスタマー・レビューでも絶賛されている。こちらがCD-ROM版かDVD版になったら、即、買いなのだが。

Dec20

 Nov07でもふれたが、文化審議会国語分科会は「これからの時代に求められる国語力について」という答申案をまとめた。

 国語は感じる力、考える力、想像する力、表す力の基礎であり、現在の日本が直面している価値観の多様化、都市化、少子高齢化、国際化、情報化といった社会変動に対応していくには国語力を養うことが必要だとしている。国際化といっても、外国語を学び、外国語で表現するためにも国語力が必要という点を強調しており、外国人に日本語を教えるために国語を簡略化しようなどといった馬鹿なことはいっていないので安心した。方言について、「地域での意思疎通の円滑化と地域文化の特色の維持のためには,方言についても十分に尊重されることが望まれる」とあるのは、時代の流れを感じる。

 報告案は子供の本離れに警鐘を鳴らしている。

 全国学校図書館協議会と毎日新聞社が毎年行っている全国の小・中・高等学校の児童生徒の読書状況の調査によれば,平成15年度における5月の1か月間の平均読書冊数は,小学校では8.0冊であるのに対し,中学校では2.8冊,高等学校では1.3冊という結果が出ている。また,1か月に1冊も本を読まなかった者の割合は, 小学校では9%にすぎないのに対し,中学校では32%,高等学校では実に59%に達している。

 原因としては「学校教育において読書が十分に位置付けられていないことや受験などのために子供たちに読書のための余裕が十分にないこと,大人の「読書離れ」によって,身近な大人が読書をする姿を見ることが少ないこと」をあげているが、電子メディアの浸透もあげるべきだろう。

 対策としては学校図書館の充実(本だけでなく、専任の司書をおく)と、国語のみならず「すべての教科で「読書活動」に取り組む」こと、さらに漢字に対する抵抗感をなくすために、漢字教育に力をいれることをあげている。特に「漢字指導の在り方を考える」という節は注目に値する(強調:引用者)

 常用漢字の大体が読めるようになれば,本を読むことに対する抵抗もかなり小さくなると考えられる。国語科の授業時間を増やして,小学校の6年生までに常用漢字の大体が読めるように,現在の「漢字学習の在り方」について検討することも考えたらどうか。

 なお,読める漢字を増やすには,教科書に出てくる「心ぱい」「せい長」「こっ折」などといったいわゆる交ぜ書き表記を,振り仮名を活用して「心配(しんぱい)」「成長(せいちょう)」「骨折(こっせつ)」と表記し,早い段階から漢字表記のまま子供たちの目に触れさせていく配慮も大切であろう。

 漢字を目の仇にし、ルビ全廃を主張した国語審議会の後身機関が、半世紀の間の混迷の末に、ようやくまともな答申案を出すようになったのである。遅きに失っしたとはいえ、過ちを正すことはいいことだ。

Dec21

 常用漢字といえば、白川静の『常用字解』が出た。

 常用漢字1945字を字源的に解説したもので、『字統』を平易にしたものといっていいだろう。一文字あたり半ページ程度にまとめていて、用例は省かれている(「用例」という項目はあるが、熟語の例であって、古典の用例ではない)。

 造本は辞書らしい堅牢な作りだが、活字は辞書としては大きめで読みやすい。『字統』同様、本書は読むための字典だから、紙メディアの方がいい。

 平凡社サイトの紹介文には、

 漢字研究70余年の白川静氏が中・高校生以上の読者に向けて平易に書き下ろした常用漢字の基本字典。字形・字源・用法について漢字の基本構造から正確に解説している。

とあるが、中学生はもとより、高校生にも敷居が高そうである。『字統』よりは見通しがよくなっているけれども、風格のある凝縮した文章を味読できる生徒はそんなにいないだろう。

 この造本と内容で2800円は安いが、若い読者を想定するなら、ルビはもっと増やした方がよかったと思う。

Dec22

 CNETに「輸入盤を「非合法化」する著作権法改正」という注目すべき記事が載っている。著作権法改正案に「輸入権」という妙な項目がはいっているというのだ。

 改正案では「輸入権」となっているが、海賊盤対策の名目で、レコード会社に外盤の輸入禁止や、「輸入権料」を課す権利をあたえるわけで、実際は「輸入阻止権」である。CNETから引く。

 これは日本からアジアに輸出されたCDが安い価格で日本に「還流」することを防ぐための措置とされているが、この報告書によれば、海外から還流しているCDは68万枚と、全体のわずか0.4%である。しかも日本製のCDだけを特別扱いすることはできないので、輸入権を創設すると、海外のレコード会社の日本法人が洋盤の輸入を禁止することもできるようになる。

 当面はCDやMD、音楽テープだが、いずれDVDやビデオに拡大されるのは火を見るより明らかだ。

 外版を買うのは値段が安いということもあるが、それ以上に音質・画質が国内盤よりすぐれているものが多いからである。

 LP時代は外盤の方が音がいいというのは常識だった。CDになれば差はなくなるといわれていたが、差は依然としてあって、故長岡鉄男氏が海外の優秀録音版を定期的に紹介してくれていた(長岡氏は毀誉褒貶はなはだしいが、すくなくとも『外盤A級セレクション』は読む価値のある本である)。

 オーディオの場合、環境が整わないと差がわかりにくいが、DVDでは並の機械でも違いがはっきり出る(タルコフスキーの『惑星ソラリス』を各版で比較したDVDBeaver.com参照)。海外にはCriterionのように、高画質と丁寧な作りで定評のあるメーカーが多いし、PAL版にいたってはフォーマット自体が優位性をもっている。ひでPAL通信に教えられて、PAL版のディスクを何枚かもっているが、本当にきれいだ。

 また、『千と千尋の神隠し』日本版は色が赤っぽいと批判が出たが、US版はそんなことはない。もちろん、外盤にもピンからキリまであるが、外盤は消費者にとって重要な選択肢だし、外盤という風がはいってくることによって、国内メーカーの横暴が明らかになるという効用もある。

 せっかくインターネットで外盤が簡単に入手することができるようになったのに、著作権法の妙な改正で外盤という選択肢をつぶされたら、日本のメーカーは品質・価格でいよいよ怠慢を決めこむのではないか。

Dec23

 明治生命が恒例の「名前ランキング」2003年版を公開した。明治生命の加入者812万人を集計したもので、そのうち2003年1〜11月の生まれは男の子3,068人、女の子2,853人。今年の出生数はまだわからないが、2002年度は115万人だったので、およそ0.5%にあたる。

 男女のベスト100が出ているが、10位までを以下にあげる。

男の子
順位 名前 人数
1 大輝 23
2 22
3 大翔 19
翔太 19
5 17
6 太陽 15
拓海 15
8 14
9 悠斗 13
10 海斗 12
12
女の子
順位 名前 人数
1 陽菜 24
2 七海 21
3 さくら 20
4 19
5 美咲 16
16
7 15
8 美月 12
彩花 12
10 真央 11
菜月 11

 問題は読み方である。男の子の一位の「大輝」は「ダイキ」「タイキ」「トモキ」「ヒロキ」、女の子の一位の「陽菜」は「ヒナ」「ハルナ」「ハナ」という読みがあるのだ。「大輝」で「トモキ」は無理だし、「陽菜」は三つとも無茶だ。「大翔」の「ヒロト」「ダイト」「ハルト」「マサト」も苦しい。

 個性的な名前をつけようと、ない知恵をしぼった結果だろうが、昔は名前に「個性」をもとめる人は多くはなかった。生まれ年別の集計を見ると、1959年まではオーソドックスな一字名前がベスト10を占めていたことがわかる。二字名前は大正元年の「正一」、大正二年の「正二」、昭和二年の「昭二」、国家社会主義時代の「勝利」くらいである。1960年代にはいると二字名前が上位に進出してきて、選択肢が拡がる。1973年に「大輔」、1974年に「大介」がベスト10にはいるあたりから、個性志向が顕著になりはじめる。女の子の名前でも「〜子」がずっと上位を独占していたのに、「〜美」が多くなる。ちょうど第二次ベビーブームの頃である。2000年には平仮名名前の「さくら」がベスト10入りし、読み方に困る名前が一気に増える。

 第二次大戦後、「個性尊重」が教育界のスローガンになっていたが、「個性尊重」のお題目を聞かされて育った世代が親になってつけた名前が「個性」あふれる難読名前だったわけだ。

 戸籍法では「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」と定めているが、限られた文字で個性的な名前をつけようとすると、クイズまがいの命名に走らざるをえない。国民は「常用平易な文字」で難読人名を作ってしまったわけである。

 これから日本語情報処理ではルビ機能がいよいよ重要性を増していくだろう。

Dec24

 ハリウッドでは目の敵にされているKazaaだが、インドでは先月、Kazaaによる映画配信がはじまった(ZDNet)。映画産業のメッカとなっているボンベイを「ボリウッド」と呼ぶそうだが、ボリウッドの35もの映画製作会社が参加しているというから本格的である。

 配信第一号作品は大衆スリラー映画の「Supari」(英題「A Contract for Killing」)で、2ドル99セント。インドの物価からいって、この値段は法外だが、もともと思うように自国映画を見ることのできない海外のインド人を対象としているらしい。インドは人口10億といっても、国内のネット利用者はわずか1000万人。海外居住者は2000万人だから、海外居住者市場の方がパイが大きいわけだ。所得も海外居住者の方が多いだろう。

 話は飛ぶが、日本の電子書籍も海外の日本人をターゲットにすべきではないか。

 ネットのおかげで、国内にいる限り、本の入手に困るということはまずなくなった。専門書はオンライン古書店で見つかることが多いし、公立図書館は蔵書をネットから検索できるようになっているので、無駄足をはこばずにすむようになった。

 はっきりいって、4万円もする読書専用端末は国内の読者には魅力がない。しかし、海外の日本人は別であろう。拙サイトにも海外からのアクセスがかなりあるが、その多くは海外在住の日本人らしい。海外の日本語書籍需要はかなりあると思うのだ。

Dec25

 東京大学美術博物館の「色の音楽・手の幸福―ロラン・バルトのデッサン展―」を見てきた。ちょうどみすず書房から著作集の刊行がはじまり、「現代思想」の特集号が出たにしても、思ったより人がはいっていた。最終日ということもあったかもしれない。

 50点ほどのデッサンが展示されていたが、学校のレターヘッド入りの便箋に描いたものが多く、中にはカラーのフェルトペンを使ったものもあった。デッサンといっても、こんな感じで、よくいえば抽象、悪くいえばペンの試し書きだ。

 これまでにも本の表紙や雑誌の挿図で見たことはあったが、オリジナルをまとめて見ていくと、アラビア文字の影響があるような気がしてきた(アラビア文字そっくりの書体で書いた私信も展示されていた)。バルトは若い頃、アレクサンドリアで語学教師をしていたし、有名になってからは、アルジェリアにお忍びでボーイハントに出かけていたそうだから、アラビア文字は見慣れていたはずである。イスラムとバルトという視点はおもしろいかもしれない。

 バルトは構造主義ブームの波に乗って有名になった人で、構造主義の代表者の一人と目されることが多かったが、実際は早い段階で構造主義批判に転じているし、ポスト構造主義にははじめから距離をおいていた。

 構造主義とポスト構造主義の流行が過去のものとなった今、ようやくバルトをバルトとして読み直す条件が整ったといえるだろう。

Dec26

 三菱総研が「ソフトウェア開発事業者のオープンソースへの取り組みに関する調査」を公開した。サーバーが今後3年間でLinuxにシフトすると、技術者不足が起こるという例によって例のごとしの結果が出ているが、目新しかったのは「FLOSS-JP オープンソース / フリーソフトウェア開発者オンライン調査日本版」」である。

 主にオンラインで540人余の回答があったというが、単純集計結果をながめていると、オープンソースをめぐるお寒い現状がよくわかる。

 「開発に参加する動機」は「新たなスキルを学び、開発したいため」が2/3、「知識とスキルを共有したいため」が1/2に達している。「他人のOS/FS開発に参加する動機」と「他のOS/FS開発者はあなたに何を期待していると思いますか」でも同様の結果が出ており、オープンソース開発は高邁な動機に支えられていることがわかるが、実は開発によってなんらかの見返りのあった人は2割にとどまり、大半の人は現実的な見返りを期待できない状態にあるのだ(「過去5年間で、どこから支援を受けましたか」という設問に3/4の人が「支援は受けていない」と答えている)。

 当然なのかもしれないが、「開発に関する知識を学んだ場所」という設問では6割以上の人が「独学」と答えていて、「コミュニティ」と答えた人と合わせると7割に達している。

 オープンソースはよくも悪くもアマチュアリズムで支えられているわけだが、社会の基幹とするにはこのままではまずいだろう。

 オープンソースにはライセンス問題がつきまとうが、「あなたの立場」という設問にオープンソース派は43%、フリーソフトウェア派は26%、気にしない派が29%となっている。「FSコミュニティとOSコミュニティは違うものか」という設問には「考え方も仕事の仕方も違う」が39%、「原則は違うが、仕事の仕方は同じ」が33%、「気にしていない。私はプログラムを書くのが好きなだけだ」が27%となっている。ライセンス問題に自覚的な人は半分以下らしい。

 オープンソースが基幹業務に使われるようになると、アマチュアリズムとばかりはいっていられないケースが出てくるだろう。

 たとえば、CNETに「GPLは契約として成り立つか---日本法との整合性を検証する」という記事がある。

 民法では契約を承諾するという意思表示をして、はじめて契約が成立する。意志表示なしの場合は一方的な宣言であって、法律上の契約とは見なされない。

 GPLの場合、「プログラムの改変や配布を行った人は承諾の意志を示したと判断でき、GPLは契約と見てよいと考えられる」が、単にプログラムを使用するだけの場合、GPLは著作権者の一方的宣言にすぎなくなる。

 これが問題になるのは、プログラムを使用するだけの人が、プログラムのバグによって損害を被った場合である。GPLには免責の項目があるが、

 ここではGPLの契約が成立したとは判断されない。したがって、免責事項についても合意があったとは認められない。「これはGPLにとってつらい話かもしれない」(小倉氏)。もしGPLの下で公開されたプログラムにバグがあって、利用者が損害を受けた場合、訴訟を起こされる危険性があるというのだ。

 また、プログラムの改変についても、人格権の侵害に問われる場合があるという。アメリカの著作権法には著作者人格権という概念がないので、GPL策定にあたっても問題にならなかったが、日本は「世界でもまれなくらい著作者人格権が強く守られている」ために、ソースをいじると同一性保持権に触れる可能性があるというのだ。

 オープンソースはこれから一波乱も二波乱もあるだろう。

Dec27

 テレビ朝日の「ワイドスクランブル」の年末スペシャルで北朝鮮問題を特集していた。

 北朝鮮亡命でお騒がせの北川和美氏の現地インタビュー、山本監督の平壌ルポ、大韓航空機爆破謀略疑惑の三本立てだったが、最初の二本は「ユウコの憂国日記」のユウコ氏がうまくまとめており、つけくわえることはない。

 三本のうちで一番興味があったのは、最後の大韓航空機爆破謀略説である。

 こういう説は昔からあったが、最近、謀略説にもとづく『背後』という小説が韓国で話題になり、金賢姫の取調べにあたった元安企部の職員が名誉毀損で告訴するという騒動があって、それ以来、金賢姫一家は行方不明になっているのだそうである。

 番組では金賢姫の行方を探して「金賢姫の実家」の実家を訪ね、「金賢姫の兄」にインタビューして、「金賢姫の父の葬式」に彼女に会ったのが最後という発言を引きだしている。

 ナレーションは金賢姫が北朝鮮公民だという証拠は幼い頃の写真一枚しかなく、しかもその写真も信憑性が疑わしいと「疑惑」をあおりたてる(写真の件は、二列目の隣の少女だったことが判明し、とっくに決着がついているはずなのだが)、そういう文脈で「金賢姫の実家」、「金賢姫の兄」、「金賢姫の父の葬式」という言葉が出てくると、彼女は実は韓国生まれで、北朝鮮の工作員だったというのは全部でっち上げで、大韓航空機爆破は韓国の自作自演ではないかという印象がかもしだされる。

 ところが、コーナー半ばで早くも馬脚があらわれる。金賢姫の居所を探すために、金日成の母方の従弟で韓国に亡命した康明道氏(『北朝鮮の最高機密』の著者)に取材にいくのだが、康氏は金賢姫は大学時代から知っている、みんな彼女と結婚したがっていたと明言したのである。

 しかも、「金賢姫の実家」、「金賢姫の兄」、「金賢姫の父の葬式」が実は「金賢姫の夫の実家」、「金賢姫の夫の兄」、「金賢姫の夫の父の葬式」であることが明らかになり、スタジオのトークでも「義理の兄」という言い方に変わる。これで、UFO番組なみに盛りあげた疑惑はあっけなくしぼんだ。

 『背後』という小説が裁判になった背景には与野党対決という政治がからんでいるそうで、かなりややこしい事情があるらしい。裁判では金賢姫の証言が予定されているが、大韓航空機遺族の手前、ひっそり暮らしてきた彼女はこういう形で再び脚光を浴びることになってしまい、夫の親族に迷惑がかからないように、身を隠さざるをえなかったというわけだ。

 普通の作り方をしていれば、それなりのルポルタージュになったのに、金賢姫が北朝鮮の工作員ではなかったという「疑惑」を演出しようとしたために、すべてが電波になってしまったというお粗末。

追記: この特集をもとにした特番「緊急SP!!世界を股にかけた女スパイ金賢姫」が2004年3月23日に放映された。Mar23 2004参照。(Mar23 2004)

Dec28

 馬鹿馬鹿しいとは思いながら、フジテレビの「みのもんたSOS緊急特別番組」を最後まで見てしまった。

 「「消えた引田天功の謎を追え!空白の3時間に何があったのか?愛と絶望の訪韓ミステリー工作員の名刺!盗撮!家の中に謎のスープが無言電話の暗号の意味は?北朝鮮か?悪夢の4年間のすべての謎を天功が激白!完全密着スペシャル」という長い説明がついているが、この通りの内容だった。

 プリンセス天功は将軍様のおぼえめでたく、1998年と2000年の二度訪朝し、国賓なみの歓迎を受けたが、公にできない怖い経験をしたために、三度目の招待を断ったところ、さまざまな怪事件が身辺で起こりつづけていることはよく知られている。最近、日本のマスコミに露出が増えているのは、世間の注目を集めることで身を守ろうとしているのだという。

 怪事件の中で特にあきれたのは、毎日午後2時16分にかかってくる無言電話。宮塚氏によると2.16は将軍様の誕生日であり、ロイヤルファミリーがお使いになる自動車のナンバーには必ず216が含まれているなど、北朝鮮では神聖な数とされているのだそうだ。わざわざ2時16分にかけてくるということは、やはりあの関係だろう。伊集院光のいうように、これでは国家ストーカーだ。

 プリンセス天功はこの11月、はじめての韓国公演をおこなった。不測の事態を避けるために、フジテレビの密着取材を承諾したが、訪韓一週間前になって、突然取材クルーと連絡を絶ち、公演会場にも厳重な規制をしき、カメラの持ちこみを禁止してしまった。

 明らかな背信行為の上に、プリンセス天功は取材クルーの目を成田の第二ターミナルに引きつけている間に、第一ターミナルから釜山行きの飛行機に乗りこんでいる。取材クルーはすこしも怒らず、天功側にふりまわされるままになっていたが、このあたりはヤラセで、フジテレビ側はすべて承知の上で騙されたのだろう。

 問題は韓国での彼女のあつかいである。明らかに韓国当局の手配したと思われるSPが厳重にガードしているし、釜山では三時間の空白の時間があり、どうも韓国政府の要人と会っていたらしい(本人は「今は答えることができません」とくりかえすだけ)。

 プリンセス天功は平壌では金日成邸をはじめとして、なみの国賓でははいれないような場所にまで招きいれられているし、将軍様ばかりかロイヤルファミリーとも非公式に会っている。当然、韓国の政府高官はじきじきに話を聞きたいだろう。

 みのもんただし、おふざけのバラエティ番組だろうとたかをくくっていたが、思いがけず重い内容が出てきてしまった。プリンセス天功は大丈夫だろうか。

Dec29

 『ラスト サムライ』を見た。評判通りの盛況で、立見が出ていた。新渡戸稲造の『武士道』がAmazonランキングで7位に浮上したのもうなづけるところだ。

 ビジュアル的にはよくぞここまでやってくれたと感心したが、映画としては今ひとつだった。

 出来はともかく、日本文化をここまで礼讃した作品がアメリカでどのように受けとられているか気になり、調べてみた。

 まず、MSN Entertainmentを見てみると、一般人の平均評価が4.5星、専門家の平均評価が4星と、どちらも高い点数がついている。

 Yahoo! Moviesでも一般人の評価は絶賛に次ぐ絶賛で、悪い評価を見つけるのがむずかしいくらいだ(現時点の平均評価はA-)。たとえば、「心躍る叙事詩」と題したakp0027氏の書きこみを引いてみる。

 思うに今年最大の驚きは『ラスト サムライ』だった。信じてほしいが、トム・クルーズが19世紀日本を舞台にした映画に出ると聞いても、ぼくは期待なんかしなかった。正直いって、この映画は不意打ちだった。

 ……中略……この映画の精神的な中心はケン・ワタナベである。彼とトム・クルーズの会話は興味深くて引きこまれた。異なる文化の出会いは魅力的であり、この映画全編のテーマでもある。もう一つのテーマは、不断につづく近代化の流れの中で、ぼくたちはぼくたちが育ってきた伝統を見失うべきではないということだ。

 上映中、『ラスト サムライ』はなんて美しいのだろうと目を見はりつづけた。多彩でゴージャスな撮影技術によって、輝かしい日本があますところなくとらえられている。戦闘場面は叙事詩的だが、個々のキャラクターが見えなくなることはない。日本語の台詞(字幕がつく)が多いが、それでリアリティが生まれているし、ユーモラスなところもある。一番大事なことは、この映画の中の人々のことをぼくは決して忘れないということだ。ズウィック監督がみごとに作りあげた作品にぼくは興奮し、戦慄し、悲嘆し、そして魅惑された。物語には精神的なメッセージがこめられているが、それは今日の忙しい世界でもまだ有効だと思う。最高の映画とはこういう作品をいうのだ!

 Aをつけた書きこみをいくつか読んでみたが、どれもこんな調子である。

 EとかFをつけた書きこみは感情的反発ばかりで中味がないが、B〜Dくらいをつけた人は『ダンス・ウィズ・ウルヴス』や『ブレイブ・ハート』との類似を指摘しており、『ダンス・ウィズ・サムライ』が批判の決まり文句になっている。

 IMDBでも7.9という驚くほど高い平均点が出ている。書きこみも熱烈だ。「『ラスト サムライ』はすごい」というスレッドを引く。

LamontSmith氏

 この映画が語っていることはさまざまなレベルにわたる。名誉、忠誠心、自分の周囲に対してだけでなく自分自身にも敬意をはらうべきだということ……そして、人間は金のためではなく、大義のために生きるべきだということ。
 間違いなく、これは最も偉大な映画の一つだ。

young_to_rice氏

 100パーセント賛成。でも、悲しいことに、この映画は予定の収益をあげていないんだ。口コミが拡がって、採算がとれるといいんだが。

Firefly55氏

 とてもいい映画だと思うけど(でも、もうちょっと短かった方がよかった)、今年は手ごわいライバルばかりだからね。おまけに、「大根役者トム・クルーズ」という不名誉な看板まで背負っている。これじゃ採算をとるのは難しいよ。

 Box Officeで興収を調べてみた。公開25日目でアメリカが7600万ドル、日本が4150万ドル、合計1億1750万ドルまでいっている。製作費1億4000万ドル、宣伝費3000万ドル、合計1億7千万ドルだが、今後、他の国でも公開されることを考えると、採算割れはないだろう。

 比較のために『マトリックス レボリューション』を見ると、製作費1億5000万ドル、宣伝費3500万ドル、合計1億8500万ドルでほぼ同規模といえるが、公開55日目でアメリカ1億3700万ドル、海外2億7800万ドル、合計4億1500万ドルで、黒字を確保している。『キル・ビル』は製作費5500万ドル、宣伝費2500万ドル、合計8000万ドルで半分の規模だが、公開80日目でアメリカ6900万ドル、海外9400万ドル、合計1億6300万ドル。とんとんというところか。

 プロはどう見ているのだろうか? Yahoo! のムービー・マム氏はBという辛い点をつけている。彼女は勝元の敵は腐敗した悪玉だとしても、近代化の側にいるのに対し、勝元は戦って死ぬしかないと、ストーリーの弱点を指摘し、ラスト20分を紋切型と斬ってすてている。彼女の評価はそんなにはずれていないと思うが、どうだろうか。

Dec30

 アメリカの狂牛病騒動の余波で、吉野家が牛丼の販売を中止するかもしれないという(Mainichi INTERACTIVE)。ちょうど牛肉の値段が国際的に上がっていたので、2ヶ月分ストックしておくはずの在庫が一ヶ月分しかないので、本当にやばいらしい。

 公式サイトの「お知らせ」によると、1月1日から全店舗で特盛がなくなり、朝だけだった鮭定食を一日中販売するようになる。元アルバイト氏のページによると、牛肉は並盛85g、大盛115gに対して、特盛は170gだそうだが、気休めという気がしないではない。1月中旬からカレー丼、いくら鮭丼、焼鶏丼をメニューに追加していくそうだが、丼以外の食器がないのだろうか。

 昔の日本人は(すくなくとも関東では)、牛肉はそんなに食べていなかった。吉田健一は人間の基礎体力は10才までにどれだけ牛肉を食べたかで決まると書き、石川淳は晩年になっても、300g以上あるステーキをぺろりとたいらげたと書いている。牛肉の話をことさら書くのは、牛肉が特別な食べ物で、食べると体力だけでなく、精神力も充実すると考えられていたかららしい。

 かつてはありがたい食べ物だった牛肉が、牛丼やハンバーガーという形で格安のメニューになった。それはそれで結構なことだが、なくなったからといって、困ることでもない。日本人は案外簡単に牛肉離れをするのではないだろうか。

Dec31

 今日で2003年は終りなので、今年公開された映画のベスト10を選んでみた。

  1. 『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』
  2. 『イン・ディス・ワールド』
  3. 『アフガン・零年:オサマ』
  4. 『裸足の1500マイル』
  5. 『めぐりあう時間たち』
  6. 『めぐり逢う大地』
  7. 『アイリス』
  8. 『戀の風景』
  9. 『グレースと公爵』
  10. 『ウェルカム! ヘヴン』

 一応、番号がついているが、飛び抜けた作品がなかったので、固定した順位は決めにくい。

 今年の公開ではなかったのでいれなかったが、新文芸座のイラン映画特集で見た『カンダハール』と『キシュ島の物語』もよかった。ベスト10にはとどかなかったが、『少女の髪どめ』も忘れがたい。イスラム圏の映画は今、一番熱い。

 邦画は別枠でベスト5を選んでみた。

  1. 『阿修羅のごとく』 森田芳光
  2. 『たそがれ清兵衛』 山田洋次
  3. 『座頭市』 北野武
  4. 『blue』 安藤尋
  5. 『青の炎』 蜷川幸雄

 どれもレベルは高いが、DVDを買いたくなるほどではない。TVを見ていなかったので十分楽しめなかったが、『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』がDVD化されたら、買うかもしれない。

 ワースト10は次の通り。

  1. 『魔界転生』
  2. 『陰陽師Ⅱ』
  3. 『壬生義士伝』
  4. 『西洋鏡』
  5. 『英雄』
  6. 『アレックス』
  7. 『ドリームキャッチャー』
  8. 『007/ダイ・アナザーデイ』
  9. 『クリスティーナの好きなコト』
  10. 『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』

 DVDも含めると、二日に一本見ている計算になる。その割には充実感がない。来年はもうすこし控えよう。

最上段へ
Nov 2003までのエディトリアル
Jan 2004からのエディトリアル
Copyright 2003 Kato Koiti
This page was created on Dec02 2003.
サロン ほら貝目次