Hotwiredに「影響力高まる、ウェブ上の映画批評」という記事が出ている。ネット上の映画評は中小の活字メディアに匹敵するくらい読まれているものがあるのに、映画会社には無視されているという趣旨で、「ウェブで活動する映画批評家たちは、正当な敬意を勝ち取ろうと戦いを続けている
」とまで書いている。
最初に出てくるのがReelviewsというアマチュアの映画評サイトだったで、アマチュアに試写会案内を送れという話かと思ったら、slateのようなマイクロソフトがスポンサーになっている有名サイトや、当のHotwiredの映画ライターまで軽くあつかわれているとあって、おやおやである。
映画会社から無視されているからこそ、信頼できる批評になっている面があると思うのだが、記事の筆者はオンライン映画評論家の地位を上げることにばかり目がいっているようだ。
オンライン映画評論家は、自分たちの存在をアピールするために、オンライン映画批評家協会という団体を結成し、独自の映画賞を出しているそうである。そんな賞があるとは知らなかったが、このサイトは会員批評家の映画評を横断的に検索できるので便利だ。
日本でもネット上の映画評の影響力はかなり大きくなっていると思う。わたし自身についていうと、この数年、活字の映画評はほとんど読んでいなくて、映画を見るかどうか、DVDを買うかどうかを決める上で参考にするのはもっぱらネット上の評価だ。映画瓦版、m@stervision、べんさんのシネ・トーク、それからIMDBとallcinema ONLINEの投票結果を頼りにさせてもらっている。
今のところ、ネット上の映画評はかなり信頼できると思う。特に、投票結果は、バイアスはあるものの、なるほどという数字が出ている。
だが、映画会社がオンライン映画評の影響力に注目しはじめたら、どうなるかわからない。映画会社がその気になれば、投票結果など、簡単に操作できてしまうだろう。注目されない方がいいということもあるのである。
「月刊しにか」が3月号をもって「休刊」した(出版界では休刊は廃刊に等しい)。「月刊しにか」は中国学・アジア学の啓蒙誌で、誌名はラテン語で中国をあらわすSinicaにちなんでいる。中国と東アジアの文化に切りこんできたが、『大漢和辞典』の大修館が版元だけに、年に数回、漢字の特集を組み、文字コードに関する記事もよく載ったものだった。
年に一、二回しか買っていないので、「惜しい」などという資格はないが、中国学・アジア学の専門家と一般読者を結ぶほとんど唯一の常設の場所だっただけに、休刊は残念である。
残念は残念なのだが、この数年、あまりおもしろくなかったのも事実だ。
兄貴分の「月刊言語」同様、特集と連載を柱にしているが、一つ一つの記事が短く、幕の内弁当的なのである。読みごたえのあるまとまった論文が一本載っていれば印象が随分違うのだが、総ページ数128ページでは無理なのだろう。
「月刊言語」の場合は言語学という、一般人とは接点のないディープな世界を相手にしているので、短くても徹底してディープで、雑学的におもしろいのだが、「月刊しにか」の場合、なまじ中国という一般受けしそうな分野なので、ディープに徹しきれていないのだ。特にこの数年は中途半端で、入門的なありきたりの記事が多かったような気がする。
最後となった3月号は「漢字の将来――どうなる? どうする?」と「中国学・韓国学の《十年後》」という二本の特集を立てているが、どこかで読んだような内容ばかりで、マンネリズムは否めない。その傾向は中国学の先生方に顕著で、むしろ「前座あつかい」されているという韓国学の先生たちの方が元気がよく、これからおもしろくなりそうだという印象を受けた。
中国学・アジア学という分野にはもっといいネタがあるはずである。それは、メールマガジンの「月刊しにか通信」の方が本誌よりもおもしろいことでも明らかだ。一般受けしようとして、内容を薄めたからつまらなくなったのであって、ディープな世界に徹するなら、つづいたような気がする。幸い、「月刊しにか通信」は休刊後も不定期発行されるそうなので、興味のある人は購読を申しこむとよい。
日本と中国・アジアとの関係はこれからますます深くなっていく。文化的背景をディープに探ってくれる雑誌の必要性はこれからいよいよ増していくだろう。「月刊しにか」の一日も早い復活を待望する。
「SAPIO」の「金王朝の恥部 危ない話30」という特集はおもしろい。
北朝鮮関係の情報はガセが多く、後でひっくり返ることがしょっちゅうで、専門家か北朝鮮マニアでもない限り、すべてをフォローするのは不可能である。この特集のおかげで、気になっていたニュースのその後がわかった。
まず、ロシア舞踊団鑑賞でガセとわかった将軍様重病説だが、ヨーロッパから医師団が平壌に呼ばれたところまでは事実。ところが、誰が病気なのかわからないので、韓国の情報機関が北側の反応を見るために、わざと将軍様病気説を流したもの。週刊文春など一部メディアはそれを真に受けて、「激震スクープ」と報じてしまった。重病なのは高英姫という説も間違いであることが判明し、現在は将軍様の最愛の妹、金敬姫説が有力。
金正男復活説もガセで、まだロシアをうろうろしているらしい。警護総局の責任者に就任したといわれていたが、ディズニーランド事件前には格上の保衛司令部の責任者だった。格下のポストで復活することなどありえないとのこと。
もっとも、北朝鮮の体制が代替わりまでもつわけはない。今、一番ホットな話題は将軍様の亡命だ。
将軍様一家を受けいれる国なんてあるのかなどと心配するにはおよばない。将軍様は130億ドル(1兆3千万円)という莫大な財産を現金や金塊という形で保有していらっしゃるので、歓迎する国はすくなくないのだ。一番有力視されているのは、金ファミリー子弟の留学先に選ばれてきたスイスだが、中国の南陽辺地区やロシアの名前もあがっている。
将軍様後の北朝鮮だが、ワシントンでは一気に体制をつぶすのではなく、別のトップにいれかえて、体制そのものは当面残す案が健闘されている。ニューリーダーの候補としては、以下の人物の名前があがっている。
黄長燁氏は、昨秋訪米した際、中国に脱北者村を作れば武力を使わずに金正日体制を内部崩壊させることができると提言した。アメリカ議会で「北朝鮮難民支援法案」が間もなく成立するという。アメリカの資金で難民キャンプが設置されれば、脱北者村と同じことになるが、中国が難色を示しているので、キャンプはモンゴルに建設されるらしい。脱北者は中国領内を通らなければならないが、北京オリンピックをひかえて、アメリカとの対決は避けるという見方が有力。
先日の6者協議でもあきらかなように、アメリカが北朝鮮に厳しく臨む一方で、韓国はますます親北的な傾向を強めている。それを象徴するのが、大韓航空機爆破は韓国安企部の自作自演とするトンデモ説の流行だ。
大韓航空機爆破自作自演説はもともと北朝鮮の主張で、日本でも朝鮮総連系のジャーナリストがその手の本を書いているが(保守系の「月刊朝鮮」の2004年2月号には、自作自演説を主張していた在日ジャーナリストが懴悔したそうな)、韓国では昨年11月以来、MBC、SBS、KBSという三大TV局が自作自演説にもとづく特別番組を放映し、あたかも事実のようにあつかわれるようになってしまったという。いわゆる反日法は、こういう親北的風潮を背景にして復活してきたわけだ。
しかし、いくら北朝鮮を擁護しようとしても、将軍様がいなくなれば、真相は表に出てくる。この期におよんでトンデモ説をかついでいたら、引っこみがつかなくなるだろうに。それとも、盧泰愚政権はあくまで将軍様の体制を支えるつもりなのか。
北朝鮮は国家事業として米ドルと日本円の紙幣を偽造しているといわれているが、なんと北朝鮮ウォンの贋札が出回っているという情報がある。米ドルや日本円の贋札と較べると粗雑な出来なので、どこかの部署が将軍様への上納金を稼ぐために、偽造しているという見方がもっぱらだとか。近々、贋ウォンがらみで大粛正か、民衆の反乱がおこるとの見方がある。
最後は美女軍団の話。
例の美女軍団、見る人が見ると、昨年のユニバーシアード大邱大会組は、一昨年の釜山アジア大会組よりかなり劣るのだそうだ。美女の質が落ちたのは、親の経済力がものをいいだしたかららしい。韓国観光したさに、賄賂でもぐりこんだ党幹部や金持ちの娘が多かったとか。地獄の沙汰もなんとやら。
昨日もふれたが、韓国の国会で「日帝強占下親日反民族行為の真相究明に関する特別法案」、通称「反日法」が2日に可決された(中央日報日本版)。
この法律は日本統治時代に親日的な活動をおこなった人物の歴史的罪を断罪するためのもので、大統領は「親日反民族行為真相糾明委員会」を設置し、過去の「親日・反民族行為」を調査させるそうである。
「親日・反民族行為」には以下が含まれる。
韓国の発展が日本の残したインフラと人的資産をもとにはじめて可能となったことは、世界的な共通認識となっているといってよい(エッカートの『日本帝国の申し子――高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876−1945』など)。史実から目をそむけ、親日=悪という図式を法律にまでしてしまうとは、隣国だけに嘆息せざるをえない。
そもそも、こんな曖昧な規定で、60年以上前の行為を裁こうというのは無理がありすぎる。韓国は儒教社会だから、「親日」のレッテルを貼られた人物の子孫は体面を失い、すくなくとも政治的活動は出来なくなるだろう。あるいは、文革時代の孔子批判のようなものか。
韓国でも、この数年、金完燮氏の『「親日派」のための弁明』や卜鉅一氏の『死者たちのための弁護−二十一世紀の親日問題』のような日本統治を評価する一般読者向けの本が出版されるようになったが(学術論文の世界では、かなり前から同様の研究が出ていたそうだ)、反日法はこうした歴史の再検討を封じこめ、親日=悪という図式を今後何十年も温存させることになるのではないかと心配である。
朝鮮日報日本版によると、VANKと称する「1万2000人のネチズンからなるサイバー民間外交使節団
」は全世界の教科書出版社と学校図書館を相手に、韓国史の「誤謬」を訂正させる運動に着手したという。
彼らが神経をとがらせる「誤謬」とはなにか。
VANKは、「全世界の学生の韓国に対する認識を形成させる外国の教科書に、東海(トンへ)を日本海に、また韓国を中国や日本の属国で貧しい農耕国家に記述している」とし「こうした教科書の間違いを指摘し、韓国を正確に理解するために必要な資料を伝え、大々的な改善を求める計画」とした。
韓国の人の多くはソウルの独立門は、日本からの独立を記念して作られたものと信じこんでいると聞く。
本当かどうか知らないが、ソウル市の公式サイト日本版の西大門独立公園の記述を見ると、そこが京城監獄のあった場所で「独立運動家(愛国烈士)たちが逮捕・投獄され、ひどい辱めを受けた所
」と縷々紹介した後、・西大門刑務所歴史館、殉国先烈追念塔、3・1独立宣言記念塔とならべて、独立門と迎恩門柱礎という名前がさりげなくつけくわえられている。日本から独立する話ばかりつづいた後に、独立門という名称が何の説明もなく置かれている以上、読んだ人は日本からの独立を記念して作られたと思いこんでしまうだろう。誤解を誘導する書き方と言わざるをえない。
実際は違う。もともとそこには宗主国、清の使節を、朝鮮王が土下座して迎えた迎恩門があったが、日清戦争後の1897年、清から大韓帝国が独立すると、独立協会が一般から募金をつのり、属国の象徴である迎恩門を破壊し、パリの凱旋門を模して建設したのが独立門なのだ。もし、李朝朝鮮が清の属国でなかったのなら、独立門を作る必要はなかったはずである(参考:「韓国の歴史教科書拝見」)。
高麗も李朝朝鮮も中国の属国だったのは明々白々たる史実なのに、それを否認するから、何ごとにも神経質に反応せざるをえないのだろう。韓国が歪んだ歴史認識を改めない限り、日韓関係にはこれからも無用の混乱がつづくはずだ。北朝鮮が崩壊した後に、なにを言ってくるやら。
体調を崩して更新が滞っていたところに、大きな事件がつづいた。収拾がつかなくなったので、エディトリアルは今日でリセットさせていただく。
心覚えのために、この2週間の主な出来事を列挙しておく。
今日は、田中眞紀子代議士の長女の離婚を報じた週刊文春に、東京地裁がは販売を禁止する仮処分命令を出したニュースが波紋を広げた(Mainichi INTERACTIVE)。
「発禁」になったおかげで、店頭に並んだ週刊文春はすぐに売り切れてしまった(ZAKZAK)。「発禁」効果で通常の号くらいは売れたにせよ、記事の公益性に問題ありという見方が多いから、損害賠償訴訟は難しくなるだろう。
仮処分命令は文藝春秋社に対して出されたものであって、書店を拘束するものではないという論理は屁理屈に聞こえるが、東京地裁の「切除または抹消しなければ、これを販売したり、無償配布したり、または第三者に引き渡したりしてはならない」の方が屁理屈度ではまさる。まるで『ベニスの商人』の人肉裁判ではないか。
今回の記事では週刊文春側に油断があったのは間違いないが、発売前の雑誌に販売禁止命令が出た影響は大きい。70万部を越える出版物が廃棄処分になるかもしれない決定が、たった一人の裁判官の判断にゆだねられていることが知れわたっただけでも、報道側には大変なダメージだ。今後、東京地裁の保全部は忙しくなるだろう。
スキャンダルだからといって馬鹿にしてはいけない。『噂の眞相』の休刊といい、スキャンダルが封じられることは、調査報道の根が痩せ細ることにつながる。
今、出版界全体の体力が落ちてきている。雑誌も例外ではない。雑誌は広告でもっている部分が大きく、それだけに脆弱なのだ。
最近のパソコン雑誌には広告があまり載っていない。数年前までは半分近いページが広告でびっしり埋め尽くされていたことを考えると、隔世の感がある。一般誌に広告がなくなることは考えられないが、ネット広告の比重が高まるにしたがい、雑誌の台所は今以上に苦しくなっていくだろう。「田中角栄の金脈と人脈」のような長期にわたる大掛かりな取材はできなくなる。将来的にネット・ジャーナリズムが雑誌の代わりになるのだろうか? ネット・ジャーナリズムは小さな所帯で切りまわせるだけに、調査報道は難しいような気がする。
追記: 東京地裁は3月19日、週刊文春の記事には公共性がないとして、文春の異議申し立てを却下した(Mainichi INTERACTIVE)。仮処分を出した鬼沢友直判事は次代を期待される人物といわれていて、東京地裁の裁判官の勉強会、「マスメディア研究会」でも中心になっているそうである。一人で判断したとはいえ、背景には東京地裁全体の意志が働いていたという見方が有力だ。それにしては2日半も決定に時間がかかったのは興味深い。輿論の動向を見ていたのだろうか。なお、背景事情については勝谷誠彦氏の日記の3月18日と3月19日の項に突っこんだ記載がある。(Mar20 2004)
3月31日、東京高裁の根本真裁判長は「記事には公益性がなく、長女らのプライバシーを侵害するが、事前差し止めを認めなければならないほど、重大な損害を与える恐れがあるとまでは言えない
」として、週刊文春の販売差し止めを却下した(Mainichi INTERACTIVE)。これは輿論の力だと思う。(Apr01 2004)
田中眞紀子長女側は期限の4月5日までに抗告をおこなわず、差し止め取り消しが確定した(Mainichi INTERACTIVE)。
オウムの麻原彰晃被告の三女が和光大学に合格したが、入学は拒否された(Mainichi INTERACTIVEとZAKZAK)。三女とは麻原にもっとも可愛がられ、マスコミにたびたび登場したあのアーチャリー正大師である。
報道だと和光大学だけが拒否したような印象だったが、滝本太郎弁護士の日記の3月17日の項によると、アーチャリーは昨年と今年、いくつかの私立大学に合格したが、すべて入学を断られていたという。他の大学は電話一本で断ってきたのに対し、和光大学だけが「現時点では諸般の事情により本学に迎えることができないという結論になった。ご寛恕ください
」という礼を尽くした文書を郵送し、ニュースになったということらしい。アーチャリー側は特に強い抗議をしなかったという。
和光大学は「2004年度入試における合格者の入学不許可について」というページで、「本人の自由な学習を守り切れないと同時に、在学生の学習環境を維持できないと考え、入学不許可という苦渋の選択をした
」と説明している(上記ページは現在は削除され、削除の経緯を説明したページが掲出されている)。
滝本弁護士は和光大学に同情的だが、紀藤弁護士はアーチャリーは「カルトの子として、生まれてから、まったく社会の風や常識を教えられていないという、悲劇の子
」であるとし、「和光大学の職責放棄に抗議する!」と、厳しく批判している。
あと法的には、いろいろ言いたいことはありますが、引用が大変なので後日にしますが、補助金の返納もありうる事態です。国、自治体が、和光大学に対する指導を放棄するなら、国、自治体の責任も大きいと思います。
いかにも「人権派」弁護士らしい居丈高な物言いだが、彼女が合格した大学が他にもあった以上、和光大学の責任をそこまで問うのは無理がある。
麻原の娘だからといって、それだけで授業の出席を拒否する教員はほとんどいないと思う。在学生も拒否はしないだろう。しかし、教団のボディガードがキャンパスをついてまわったり、マスコミや興味本位の学外者が彼女を追いまわすような事態になったら、授業に支障が出る。警備員を増員せざるをえなくなる。教育設備の充実にまわされるべき予算が警備費に回されるようなことになったら、他の学生に不利益がおよぶ。よほどのブランド校でない限り、受験生に敬遠されることになるだろう。一私学にそこまでもとめるのは無理だ。
昨年時点で複数の私立大学に入学を拒否されていたというから、どうしても大学で学びたければ、国公立大学を受験すべきだったし、さらに言えば、本当に勉強したいのなら、大学にこだわる理由はない。
今の大学は至れり尽くせりで、昔とは比較にならないくらい学生の便宜を図っていて、能率的に勉強することができるけれども、大学でしか学べないことがあるとは思えない。独学には限界があにせよ、熱意さえあれば、限界を乗り越える方法はいくらでもある。また、同年代の学生との交流をあげる人がいるが、本当に友達をつくりたいなら、サマナに取り囲まれた生活から抜けださなくては無理である。
学力はあっても、経済的な理由や健康上の問題などで大学にいけない人はすくなからずいる。オウムの信者の子供の中にだって、一家離散で学費はおろか、高等教育を受ける余裕のないケースだってあるだろう。今なおサマナにかしずかれている教祖の子供に同情する理由はない。
久々に文学ネタをとりあげよう。
まず、森鷗外が歩く姿を撮影したフィルムが発見された(Yomiuri ONLINE)。
1921年、皇太子時代の昭和天皇は軍艦香取でヨーロッパ各国を歴訪し、9月3日に横浜にもどったが、旅の模様を記録した日本映画社の『皇太子殿下御外遊実況』の最後の部分に、横浜港で出迎えた大勢の中の一人として、3秒間映っていたもの。これまで文学者を映した動画は1927年の芥川龍之介のものと考えられていたので、6年早いことになる。
発見したのは文京区立鴎外記念本郷図書館記念室担当の大沢恵子氏で、鷗外の次女の故小堀杏奴氏の『回想』の記述をヒントに探したとのこと。
神奈川県平塚市の隆盛寺では、松尾芭蕉の俳文「更科姨捨月之弁」の原本が発見された(神奈川新聞Webと東京新聞)。
「更科姨捨月之弁」は貞享5年(1688)、信濃国更科で中秋の名月を鑑賞した際に書かれたもので、上矢敲氷らの筆写本が伝わっていた。今回発見された稿本は昨年、京都の古美術商から購入したもので、縦28.7cm、横55.8cmの紙に書かれ、軸装になっていた。本物と認められる「芭蕉」などの押印が三ヶ所にあり、「耳」「月」「夜」などの文字が芭蕉の筆遣いと類似していることから、早稲田大学の雲英末雄氏が真筆と鑑定したという。
神奈川新聞には
今回発見されたのは敲氷が筆録した原本で、友人で旅を共にした越人(えつじん、本名・越智十蔵)に気を配った表現が盛り込まれていることから、旅の後に越人に贈ったものと推定される。
雲英教授は「俳文の成立過程や芭蕉と越人との関係などの研究が進むとともに、敲氷のほかの筆録の信ぴょう性も高まる」と話している。
とあるが、伝来本と異同があるのだろうか?
芭蕉とは関係ないが、検索していたら、「修復家の集い」というサイトにぶつかった。ディープな世界である。
長崎県多良見町では、天正の遣欧少年使節の一人、
供養碑は高さ約180センチ、幅約120センチ、厚さ約27センチ自然石でできていて。裏側に施主としてミゲルの四男、玄蕃の名が刻まれていたことが決め手となった。
4人の少年使節のうち、ミゲルだけが棄教し、清左衛門と改名したことが知られているが、供養碑には寛永9年(1632)没とあり、発見が正しければ、帰国の42年後、63歳前後で死去したことになる。
天正の少年使節については、最近、若桑みどり氏の『クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国』という本が出ている。気になっていたが、この機会に読んでみようか。
最後になったが、谷村志穂氏の『海猫』が主演伊東美咲、監督森田芳光、脚本筒井ともみで映画化されるそうだ(ZAKZAK)。
函館とその近くの漁村を舞台に、ロシア人との混血の美女が義弟と愛に落ちるという大時代的なメロドラマだが、伊東美咲はぴったりかもしれない。
この数日、ウィルス入りメールが増えている。タイトルや差出人はいろいろあって、なんと、過去に使っていた自分自身のメールアドレスから届いたメールまであった。しかし、頭隠して尻隠さず。今回のウィルスは24Kバイトという中途半端なサイズなので、受信前に消すことができる。
ウィルス入りメールから機械を守るには、疑わしいメールは読まずに消すのが一番だと思う。トップページで断っているように、未知の人から来たHTMLメールは無条件で消すことにしている。返事が来なくて、無礼だと怒っている人がいるかもしれないが、今どき、HTMLメールを送りつける方がよほど問題である。
(というか、HTMLメールを出す人のほとんどは、HTMLメールが何かがわかっておらず、自分がHTMLメールを出していることすら気づいていない。困ったものだ)
ワクチン・ソフトは1980円の製品まであらわれ、かなり普及してきているが、新ウィルスが発見されてから、ワクチン・データが更新されるまでに何時間かかかるし、さらにユーザーに更新データが行きわたるまでには数日単位、うっかりすると数週間単位の遅れが生ずる。ワクチン方式(記事中では「シグネチャー方式」)ではウィルスを根絶させることは原理的に不可能なのだ。
ワクチン方式以外にウィルスを防ぐ方法はあるのだろうか?
Hotwiredの「ウイルス対策企業、ソフトの性能より売上を優先?」という記事では、チェックサム方式とヒューリスティック方式で防げるという立場を紹介している。
ワクチン方式はウィルスの人相書きがなければお手上げだが、チェックサム方式やヒューリスティック方式は、妙なふるまいをするプログラムやファイルがないかを常時監視することによって、人相書きのないウィルスであっても影響を封じこめることができる。いわば北朝鮮的なプログラム管理といえよう。
ワクチン方式を批判する人は、ウィルス対策ソフト会社がワクチン方式に固執するのは、ワクチン・データを有償提供するというビジネス・モデルをつづけたいからだとしている。ユーザーは購入二年目から会費を払わなければ、ワクチンが無意味になるのだから、会社側としてはおいしい商売である。
一方、ウィルス対策ソフト会社側はチェックサム方式やヒューリスティック方式はチェックを厳しくすると誤判断が増えるなど、使い方が難しくなり、ワクチン方式の方が無難だと反論している。難しい云々はともかくとして、水際で食いとめるのでなく、感染してからどうこうしようという発想は精神衛生上、あまりよろしくない。どちらの言い分が正しいのかはわからないけれども。
ただ、ウィルス対策会社の前途が洋々かというと、そうでもないようだ。ITmediaの「ウイルス対策ソフトは無料にするべきだ」は、マイクロソフトが数年以内に、Windowsにウィルス対策ソフトを無償で組みこむことになるのではないかと観測している。マイクロソフトはセキュリティ重視に向けて大きく舵を切った。WindowsXPにはファイアーウォール機能が不完全ながらついたし、昨年はルーマニアのウィルス対策ソフト会社、GeCad社を買収している。デフラグをWindowsに標準で組みこんだように、ウィルス対策ソフトを組みこむようになる可能性はかなりあると思う。
しかし、そうなるまでは、Windowsをこまめにアップデートし、疑わしいメールは片端から削除するしかないと思う。しんどいことである。
テレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」は特集枠で、昨年11月にイラクで起きた奥参事官と井ノ上二等書記官の殺害事件の犯人はテロリストではなく、米軍の誤射によるものではないかという説をとりあげていた(「イラク戦争開戦1年 日本人外交官殺害の真相は?」)。最初はトンデモ説かと思ったが、実験を見せられるとそういうこともあるかなという気がしてきた。
米軍誤射説をとなえているのは民主党参院議員の若林秀樹氏で、すでに2月5日の参院イラク復興支援・有事法制特別委員会で川口外相と小泉首相に疑問をぶつけている。
今回、番組に同席した自民党参院議員の舛添要一氏も若林氏の疑問に合理性があることを認めていたし、受けにまわった外務副大臣の逢沢一郎氏はほとんど答えることができず、目をきょときょとさせるだけだった。
若林説の根拠になっている物証とは、二人の外交官が銃撃を受けた四輪駆動車である。この車は事件から3ヶ月以上もたった3月4日に成田空港に到着した。
四輪駆動車の左側ドアの窓には多数の弾痕があり、当初、併行して走る車の窓からマシンガンで水平に掃射されたと見られていた。水平に撃たれたのなら、右側ドアの窓にも多数の弾痕が残っているはずだ。ところが、実際には二ヶ所、それも下縁ぎりぎりのところに残っているだけだったのだ。
これはどう考えても、水平に撃たれたのではない。高い位置から斜め下に撃たれたのである。計算によれば伏角10度で掃射されたという。
テロリストは、米軍のハンビー(装甲ジープ)のように、屋根の上に銃座をすえた車を用意していたのだろうか? そんな車で国道を走っていたら、テロリストだという看板を掲げるようなものだ。
ところが、もっと決定的な証拠が残っていた。四輪駆動車は正面から二発、被弾していたのだ。フロントグラスとボンネットの真ん中を射抜かれていたことからいって、運転手をねらったとは考えにくい。威嚇射撃だったと考える方が自然だろう。しかし、はじめから暗殺するつもりのテロリストが威嚇射撃などするだろうか?
ここから若林氏は「推論」と断った上で、米軍誤射説を展開する。
あの日、ティクリートで開かれる復興支援会議に出席するために、多くの車がバグダットから北上したが、屋根に銃座をしつらえたハンビーに護衛された車列は、ハンビーの最高速度が時速100キロなので、それ以下の速度でしか走れない。奥参事官らの乗った四輪駆動車は時速140〜50キロで走ることができたので、先をいく車列に追いついてしまった。
車列最後尾を守るハンビーは、後ろから接近してくる、ナンバープレートのない四輪駆動車を不審に思い、威嚇射撃をおこなった。ところが、四輪駆動車は勢いがついているので、急には速度を落とせず、追い越し車線でハンビーと並んでしまった。ハンビーの屋根の銃座についていた射手はパニックにおちいり、四輪駆動車の左側を重機関銃で掃射した……。
実はティクリート近辺では、似たようなシチュエーションで誤射事件が相次いでいるという。イタリアの外交官の乗った車が誤射を受け、イラク人通訳が死亡したことまであったそうだ。
若林氏はさらに、事件当日の情報の錯綜と遅れを状況証拠としてあげる。詳しくは2月5日の質問を参照。
追記:30日付東京新聞に「深まる謎 イラク・邦人外交官殺害」という記事が載った。上記の疑問にくわえて、現場ではなぜか薬莢が発見できず、カラシニコフということになっている銃器の種類は銃弾の成分分析待ちだという。(Mar30 2004)
4月5日の参議院イラク復興支援・有事法制特別委員会で、警察庁の瀬川勝久警備局長は四輪駆動車の検証結果を報告した。銃弾は水平か、やや下の位置から発射されており、米軍誤射の可能性は低いということだった。使用された銃器は銃弾の成分からは特定できなかった。
新たにはじまった古舘伊知郎の「報道STATION」では同型車をもってきて解説したが、ガラスの場合、銃弾が水平に貫通すると、衝撃で周囲に真円のヒビがはいるが、上からだと下膨れの円に、下からだと上膨れの円になる。窓ガラスに残った弾痕はほとんどが真円のヒビをともなっており、いくつか上膨れのヒビがあった。上膨れのヒビは、車が道路から落ちかけて傾いた時にできたものだろう。(Apr05 2004)
20日、台湾の総統選挙で陳水扁氏がわずか3万票、得票率にして0.22ポイントの僅差で再選された(Mainichi INTERACTIVE)。敗れた国民党は選挙の無効の訴訟を起こし、総統府前で座りこみをつづけている。
投票前日に銃撃事件があったにしては、陳水扁候補の得票は伸びなかったといえる。銃弾はオープンカーのフロントガラスを貫通して、陳水扁氏の臍下に長さ11cmの傷を作り、もう一発は呂秀蓮副総統の右膝に食いこんだが、どちらも正規の銃弾ではなく、手作りだった可能性があるらしい。
パレード中の銃撃には偶然的な要素が多すぎて危険なので、自作自演とは考えにくいが、本当に命を奪うつもりだったら、それなりに威力のある武器を使うのではないだろうか。陳水扁氏の知らないところで、謀略があった可能性は排除できないと思う。
選挙の不正なら、国民党がひどかった。陳水扁氏は直接選挙で総統に選ばれ、中国史上ではじめて平和的な政権交代を実現し、中華民国というフィクションを終わらせ、台湾を大陸とは別個の国家として独立させようとしていた。その意味で好意的に見ていたが、国民党的な部分も多分に受け継いでいるということだろうか。
国民党の腐敗体質は孫文にはじまることを、最近、黄文雄氏の『中国が葬った歴史の新・真実』で知った。『宋家の三姉妹』などで、神格化された孫文しか知らなかったので、黄氏の本を読んで唖然とした。
明治維新の連想から、中国革命も幕末の志士のようなインテリがはじめたのだとばかり思っていたが、孫文の最初の支援者は太平天国や白蓮教に集まったのとさしてかわらないヤクザだったという(幇会とか秘密結社と呼ばれているが、実態はヤクザだ)。
組織が大きくなるにつれて、指導者も成長していけばよかったのだが、孫文は最後までヤクザ体質から脱皮できなかったし、民主主義のなんたるかも理解していなかった。議会を嫌い、独断専横をつづけ、優秀な人材は自ら離れていくか、離れていかない場合は孫文が謀殺した。謀殺できない場合は、独自政府を作って対抗した。40回以上革命を起こして失敗し、それでもあきらめなかったといえば聞こえはいいが、それだけ失敗するには本人にも問題があったと疑った方がいい。振りまわされた国民はたまったものではない。すくなくとも、北洋軍閥は世にいわれているようなならず者集団ではなく、留学経験のある立憲主義者や官僚が中核を担っていたそうだ。
最初は驚いたが、孫文=ヤクザと考えれば、中国革命にまつわる不可解な話がきれいに説明できる。多分、これが正解なのだ。台湾には孫文の負の遺産が妙な形で残っているのかもしれない。
テレビ朝日の「緊急SP!!世界を股にかけた女スパイ金賢姫」を見た。
大韓航空機爆破は韓国の自作自演だとにおわせる前宣伝をしていたし、大和田獏が司会ということからいって、Dec27でふれた前科のある「ワイドスクランブル」のスタッフが作ったらしく、これは近来稀に見るトンデモ番組になりそうだと意地悪な期待をしていたのだが、意外にまともな内容で、すこしがっかりした。
この番組は二つの新しい事実をあきらかにしている。
第一はこれまで取材のできなかったミャンマーにはいり、アンダマン海沿岸で墜落を目撃したという多数の証言をえたこと。墜落後、機体の破片がいくつも漁船の網にかかっており、もはや大韓航空機の墜落は否定しようのない事実となった(韓国には墜落そのものを否定し、乗客は秘密の収容所に幽閉されていると考えている人たちがいるそうだし、日本にもこんな人がいる)。
ミャンマー軍事政権はもともと北朝鮮と関係が深く、1983年のラングーン事件で表向き断交したことになっていたが、実際は裏でつながっていたといわれている。アンダマン海沿岸に外国メディアの立入りをずっと拒んできたのは、北朝鮮に対する配慮と考えた方がいいだろうし、さらにいえば、時限爆弾はミャンマー領海上で爆発するようにセットされていた可能性がある。
同時に、韓国の調査の杜撰さも明らかになった。爆発物の量からいって、機体の破壊には時間がかかったと推定され、漁民の目撃証言もそれを裏づけているのに、韓国の公式報告書は空中爆発を起こし、機体は一瞬で空中分解したとしている。
ブラックボックスを回収しようとしなかったことも、世界的な常識からいえば理解できない。番組に匿名で登場した安企部の関係者は「金がなかった」と語っていて、案外、それが真相かもしれないが、結果として謀略疑惑の余地を残し、今日にいたるまで禍根を残している。
第二は、金賢姫逮捕から自白にいたる経緯を第三者的視点から明らかにした点である。
これまでは韓国側発表と金賢姫の手記にもとづき、彼女はみずから青酸カプセル入り煙草を口にふくんで自殺を図ったとされていたが、逮捕に立ちあった日本の外務事務官の砂川昌順氏(『極秘指令〜金賢姫拘束の真相』という著書がある。かなりおもしろそう)やバーレーンの空港警備員、救急隊員によると、実際は自殺をためらっており、共犯の金勝一から青酸カプセル入り煙草を押しつけられ、口に運んだところを取り押さえられたという。体を何度も海老のようにそらせ、警備員が跳ね飛ばされそうになったというが、薬物の作用ではなく(青酸なら即死)、ヒステリー反応だったのだろう。彼女は救急車の中でも暴れて、救急隊員は抑えこむのに苦労しており、極度の興奮状態にあったことがうかがえる。
バーレーンからの護送以来、5年間、彼女と起居をともにした元安企部女性職員の証言も興味深かった。手の内をあけすけに喋ってしまうのは、韓国の国民性なのだろう(国民性の違いは大きいと思う。韓国・朝鮮の本を読んでいると、大雑把というか、無知というか、日本人的常識では理解に苦しむことが多い)。
小説『背後』騒動以来、行方のわからなくなっている金賢姫に取材クルーは接触を試みようとする。金賢姫は安企部を退職した夫とともに、夫の実家の近くで日本料理店を開くが、うまくいかずに閉店。結局、国家情報院(安企部)に保護される生活にもどらざるをえなくなっていた。
平壌外国語大学時代から彼女を知っている康明道氏(金日成の従弟で、姜成山元首相の娘婿。著書に『北朝鮮の最高機密』)の伝手で会おうとするが、国家情報院の壁は厚く、取材はかなわなかった。
あれだけの事件だから、当然、すべてが明らかになるにはもっと時間がかかるだろう。この番組のおかげで矛盾点がいくつか解決され、荒唐無稽な自作自演説がとどめを刺された点は評価していい。
読売新聞社は、最新ニュースの見出しと、「Yahoo! ニュース」の当該記事へのリンクを提供するライントピックスを著作権侵害で訴えていたが、東京地裁は見出しは著作物にあたらないとして請求を棄却した(判決速報)。この判決以降、読売ON-LINE(以下、YOL)の「著作権について」は、著作権保護の対象から「見出し」をはずしている。
Jan15でふれたように、読売ON-LINEは記事への直接リンクを禁止するなど、リンクの原理を無視した無理のある制限をおこなってきた。業界ではライントピックスは「小判鮫商法」と反発がすくなくないが、読売だけが訴訟を起こしたのは、インターネットに対する読売側の無理解があると思う。
さて、「真紀奈’s レポート」によると、「ほとんどの学説では見出しの著作物性は否定しています
」ということで、今回の判決は予想の範囲だが、念のために、著作物性の判断に関して判決文を見てみよう。
証拠(甲1(枝番号の表記は省略する。),乙29)及び弁論の全趣旨によれば,①YOL見出しは,その性質上,簡潔な表現により,報道の対象となるニュース記事の内容を読者に伝えるために表記されるものであり,表現の選択の幅は広いとはいえないこと,②YOL見出しは25字という字数の制限の中で作成され,多くは20字未満の字数で構成されており,この点からも選択の幅は広いとはいえないこと,③YOL見出しは,YOL記事中の言葉をそのまま用いたり,これを短縮した表現やごく短い修飾語を付加したものにすぎないことが認められ,これらの事実に照らすならば,YOL見出しは,YOL記事で記載された事実を抜きだして記述したものと解すべきであり,著作権法10条2項所定の「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」(著作権法10条2項)に該当するものと認められる。
以上を総合すると,原告の挙げる具体的なYOL見出しはいずれも創作的表現とは認められないこと,また,本件全証拠によるもYOL見出しが,YOL記事で記載された事実と離れて格別の工夫が凝らされた表現が用いられていると認めることはできないから,YOL見出しは著作物であるとはいえない。
確かにその通りに違いないが、見出しに上手下手があるのは事実だし、25字以内だから創作的表現でないなどといわれると、では17字の俳句はどうなんだとつっこみたくなる。
しかし、見出しが著作物になってしまい、歌詞のようにいちいち著作権料を払い、©を表示しなければならなくなったら、ひどく不自由なことになる。
読売新聞側は控訴しており、最高裁までいくだろう。徹底的に議論した方がいい。
「クラシック曲:ジャズバンド演奏に作曲家抗議 CD出荷停止に」という記事がMainichi INTERACTIVEに出ている。
クラシック曲をジャズやポップスでアレンジする試みは『スイッチト・オン・バッハ』以来、たくさんあって、人気を博しているが、元の曲が著作権の切れた過去の名曲ではなく、現代音楽だったことから、作曲者側が「編曲権と同一性保持権を侵害する」としてCD販売停止、演奏禁止を求めたもの。
音楽の根幹にかかわる問題なのだが、被告側が「片思いでした
」と請求内容を全面的に認めたため、原告は歌絵を取り下げ、示談になったもの。中途半端な結論は出してほしくなかったのだが。
このところ、大手プロバイダのblog参入がつづき、Mainichi INTERACTIVEにまで「ブログ:国内で急成長 各社、サービスを強化」という記事が出た。
この記事では blogを次のように説明している。
ホームページと同じ情報サイトで、見かけは変わらないが、特別な知識がなくても簡単にページを作れるのが特徴。
ホームページが登場した時の説明そっくりだが、要はホームページでも難しいと感じる人が多かったということだろう。
ITmediaの「ポータルが今、ブログを目指す理由」はブームの背景にはプロバイダの苦しい台所事情があると指摘している。ADSLで料金はぎりぎりまで下がってしまい、といってブロードバンド・コンテンツはまだ商売にならない。新たな儲け口はblogくらいしか見あたらないというわけだ。
blogそのものは無料だし、容量追加などのオプション料金もたかがしれているが、blogはテキスト・ベースなのでサーチエンジンにひろわれやすく、アクセス増が期待できる。アクセスが増えればポータルの広告媒体としての価値が上がるというわけだ。皮算用通りにいくかどうか怪しいが、バスに乗り遅れまいとするのは日本企業の本能だから、現在のようなブームになってしまう。
おもしろいのはblogをオンデマンド印刷で紙の本にするサービスが出てきたことだ。book it!がそれで、「はてな」を本にする「はてなダイアリーブック」もbook it!のOEMだという。
料金はレイアウト(PDF化)が800円、印刷料がページ8円だから、100ページの本が1600円でできる計算である(PDF入稿すれば800円)。従来の自費出版の1/100か1/1000の費用ですむ。
これまでにも有田芳生氏や秦恒平氏のように、プロの書き手がネット日記を私家版として出版する例はあったが、オンデマンド印刷のおかげで、素人にも紙の出版に手が届くようになった意義は大きい。
絶版本のオンデマンド出版はさっぱりらしいが(版面が汚い!)、blogがオンデマンド出版普及の導火線になるかもしれない。blogは文化になるのだろうか。
吉野家は牛丼休止後、客が激減し、売上が2割以上落ちこみ、利益は2/3に減ってしまったという(東京新聞)。
Mainichi INTERACTIVEによると、2月の販売実績は、松屋、すき家が前年同月比プラス。なか卯は売上が減っているものの、下げ幅はマイナス3.5%にとどまっているから、吉野家だけが大幅減益におちいっているわけだ。
「『牛丼の吉野家』という強みが、いまは弱みになっている
」という専門家のコメントが載っているが、ブランドイメージは関係ないと思う。単に代替メニューがまずかっただけである。
他のチェーンは無難な豚丼に転換したが、吉野家は牛丼のイメージが壊れるとかなんとか理屈をこねて、豚以外の丼を売りだしたが、味がひどかったのだ。
マーボー丼とカレー丼を食べたが、マーボー丼はご飯の上に電子レンジで温めたとおぼしい賽の目の豆腐を載せ、上から麻婆風ソースをかけただけだった。豆腐は炒めていないので水っぽく、味もしみていない。最悪なのは麻婆風ソースで、化学調味料過剰のため、口の中に嫌な後味が何時間も残ってしまった。カレー丼はややましだったが、化学調味料過剰は同じで、やはり嫌な後味が残った。こんなもの、一度で懲り懲りである。
吉野家が当初の方針を変え、豚丼をメインにしたのは正解だと思う。絶賛するblogがあったので食べてみたところ、かなりよかった。これなら飽きがこないだろう。
IT Proに「ICタグは仕事を奪う? 労働者による“打ち壊し”が発生」という記事が出ている。
RFIDの実験中、ある倉庫で故障が相次いだ。調べたところ、仕事を奪われることを怖れた労働者がハンマーでRFIDをたたき壊していたというもの。いつかは起こると思っていたが、すでに現実になっていたとは。
日本でも書籍流通の分野でRFIDの実証実験がはじまっているが、故意に壊さなくても、RFIDの破損率はかなり高いらしい。
「市販の書籍にタグを付けた理由」によると、慶應義塾大学 政策・メディア研究科村井研究室が『インターネットの不思議、探検隊!』(村井純著,太郎次郎社エディタス刊)の初版6000部に試験的に手作業でRFIDを装着し、返本されてきた2,109冊をしらべたところ、破損率は9.8%におよんだという。当初、本を積みあげた圧力が原因と見られていたが、詳しい分析の結果、否定されている。原因の特定はこれからの課題である。
10%は論外だが、スーパーの買い物かごをレジの上に乗せると、瞬時に清算が済むという使い方では、たとえ1%でも問題だ。
RFIDの応答はアルミ箔で遮蔽できるといわれているが、「RFIDによるレジ一括精算、実用化のネックはポテトチップス」によると、アルミパックのポテトチップスが買い物かごの中にはいっただけで、読みとりに影響が出てしまうという。
RFIDはプライバシーの問題もさることながら、機械的信頼性の問題も残っているのである。
最後になったが、「日本のベンダー、ICタグの標準化で国際的孤立の瀬戸際に」という記事も見逃せない。こんなことは最初から懸念されていたことなのだ。旧郵政省の責任は大きい。
26日、総務省は2002年度の政治資金収支報告書と政党交付金使途等報告書をhttp://www.seijishikin.soumu.go.jp/で公開した。
2001年度分までは報告書の要旨しかネット公開されておらず、内訳はわからなかったが、今回から「組織活動費」が「会議費」、「旅費」、「印刷代」など項目別に掲載され、支出した相手先や日時まで知ることができるようになった。
昨年2月の片山前総務相の公約が実現したわけで、一応、進歩なのであるが、保存と印刷ができないようにするために、ベンチャーウェーブ社の開発したUCV形式という独自形式を使っており、閲覧するには専用のプラグインをインストールする必要がある。プラグインはWindows限定で、MacintoshやLinuxでは閲覧できない。
PDF形式にすれば、閲覧する方も妙なプラグインをインストールする手間がかからないし、MacintoshやLinuxのユーザーも閲覧できるのに、なぜ、わざわざ独自形式にしたのだろうか。税金の無駄遣いではないのか。
印刷はできないことになっているのだが、スラッシュドット・ジャパンの「印刷できない(と主張している)政治資金収支報告書、WEBで公開」で話題になっているように、キーボードのPrintScreenキーを押すという原始的な印刷法で印刷できてしまうのである。IT国家だ、eガバメントだと騒いでいても、なにをかいわんやだ。
独自形式をとった役所特有の事情については、「霞が関官僚日記」の2004-03-29-Monの項に突っこんだ話が載っている。
情報システム担当でないので技術的なことはよく分からないが、役人の通常の思考パターンからしていくつか原因が考えられる。一つには「あまり公開したくない」という心理が働いている、もう一つには「システム利用者のことをあまり考えず、システム屋さんが提案するものを十分審査する能力を持たず、結局『いいなり』的にシステムを採用している」、ついでに言うと「予算を消化しなければならない」ということがあるのではないか。
さらに言うならば、今ある手続きをそのまま情報システム化しようとするので、融通が利かなくなっている面もある。これが今回「専用ビューワー」を用意した最大の理由だろう*1。政治資金収支報告書の内容なんて、csvでダウンロードできればその後の集計や比較の作業も楽で一番いいのだが、政治資金規正法によれば「提出された報告書を公開する」という建前になっているので、コンピュータで扱いやすい性質のデータに加工して公開することができない。提出する報告書の書式及び記載すべき事項については総務省令で定められているが、基本的には紙媒体を想定した書式になっており、実際に提出は紙で行われるだろうから、それをそのまま取り込んだイメージ形式でしか公表できない。「閲覧」は認められていても「複写」は認められていないからコピーもできない(と主張する)。IT導入が効果を上げるためには仕事のやり方も変えなければならない、という鉄則が守られていない。この報告書のネットによる公表は、「ネットで公表する」ということが目的であって、政治資金の透明度を高めるとかそういうことが目的ではない。(ん?待てよ、手続き電子化の関係でこれも電子提出ができるようになるのかな?)
最後の「この報告書のネットによる公表は、「ネットで公表する」ということが目的であって、政治資金の透明度を高めるとかそういうことが目的ではない
」という条は笑えるが、これが正直なところなのだろう。
追記: 総務省はようやく印刷可能なことに気づいたと、4月2日付のMainichi INTERACTIVEが伝えている。記事から引く。
同課は、実際に印刷した人がどのくらいいるかは分からないうえ、利便性を考慮して情報公開はそのまま続けるという。しかし、「プリントアウトは閲覧の対象外で問題がある」と、印刷を認めない立場は変えず、「メーカーと協力して何らかの対策をとるつもり」と話している。
なぜ印刷禁止にこだわるのかというと、政治資金収支報告書は閲覧だけなら誰でもできるが、コピーなど写しをとるためには情報公開法にもとづいて請求しなければならないとなっているからだ。
馬鹿馬鹿しいとしかいいようがないが、印刷を不可能にする小細工をするために、また税金が無駄遣いされるわけだ。(Apr06 2004)
数日前、asahi.comで「あごの筋肉減り脳が大容量に ヒト進化過程で突然変異か」という記事を見かけたが、Hotwiredによると、「最も初期の人類がチンパンジーなどと共通の祖先から枝分かれするきっかけとなった遺伝子
」かもしれないということで、大論争になっているという。
ヒト以外の霊長類は、チンパンジーもふくめて、頭頂と顎をつなぐ強大な咀嚼筋をもっていて、脳の巨大化が阻まれているが、240万年前に強い咀嚼筋を作れない突然変異が生じ、その系統からヒトが誕生したというわけだ。
咀嚼筋が弱いと、固い食べ物が噛みくだけなくなり、たちまち淘汰されてしまうが、この時期、石器を使うホモ・ハビリス(器用なヒト)があらわれており、肉食獣の食べ残しの骨を叩き割って、中の髄を吸うようになっていたらしい。石器が使えるなら、咀嚼筋が他の霊長類の1/10でも、生き残っていける。
しかし、咀嚼筋を弱くする突然変異から、石器が使えるくらいに脳が巨大化するもう一つの突然変異が起こるまでにはタイムラグがある。石器が使えなければ、咀嚼筋の弱い個体は生きのびられないのである。そこで、こういう反論が出てくる。
ジョージ・ワシントン大学の人類学者、バーナード・ウッド教授は、「この突然変異が単独で起こったとしたら、その個体のダーウィン適応度[自然淘汰に対する有利・不利の程度を表わす尺度]は下がってしまっただろう。歯と顎を小さくし、脳の体積を増加させる突然変異が同時に起こったのでない限り、この突然変異が定着することはなかったはずだ。そんなことが起きる確率が、どれだけあるだろうか?」と、疑問を投げかけている。
もっともな批判だと思う。咀嚼筋弱体化説は魅力的だが、原因と結果をとりちがえているのだ。
ここまではまっとうな議論の紹介だが、以下は妄想に属する。
わたしはアクア説のファンなので、このニュースもアクア説の視点から見てしまう。
アクア説とは初期の人類は水辺で進化したとする説で、「からしら萬朝報」や「目から鱗の」に手際よくまとめられている。本格的に知りたい人はエレイン・モーガンの『人類の起源論争』や『人は海辺で進化した』をお読みになるとよい。批判的な意見としては鳥類学者の和田岳氏の書評がある。
モーガンの説によると、670万年前の海面上昇でエチオピア北部のダナキル山地がアフリカ大陸から切りはなされて群島化し、そこに棲むラマピテクスの一群が海辺の生活に適応するように進化した結果、ヒトがうまれたという。
モーガンは海辺説だが、それではヒトが食物の豊富な海辺を離れた理由が説明できないとして、陸水説をとる人もいる。大地溝帯にできた湖沼で水棲適応した後、乾燥化で干あがり、嫌でも水辺を離れざるをえなかったというわけだ。おもしろいと思うが、これではアクア説の重要な物証であるヒヒ抗体が説明できない。
海辺にせよ、湖沼にせよ、アクア説が正しいなら、最初期のヒトは魚介類という比較的軟らかい蛋白食を主食にしていたことになる。脳が巨大化するもう一つの突然変異が起こるまで、咀嚼筋の弱い系統にとっては、サバンナ地帯や森とサバンナのモザイク地帯よりも、水辺の方が有利だったことはいうまでもない。
サバンナ説に立つと、
咀嚼筋弱体化 → 絶滅(→ 脳巨大化 → 石器使用 → 軟らかい食物)
となって、突然変異した系統は脳が巨大化する前に絶滅してしまうが、アクア説なら、
軟らかい魚貝食 → 咀嚼筋弱体化 → 脳巨大化 → 石器使用 → 内陸部に進出
となる。咀嚼筋弱体説はアクア説の補強材料になると思うのだが、どうだろうか。
今月の「DVDファイル」ではナスターシャ・キンスキーの主演作を5本とりあげた。これまでに「マリアの恋人」、「恋の病」」、「悪魔の性キャサリン」、「愛と死の天使」、「めぐり逢う大地」、「パリ、テキサス」をとりあげているので、11本になる。
11本のうち、US版が3本、UK版が1本あるが、そのうち「悪魔の性キャサリン」と「めぐり逢う大地」は日本版が出た。
日本で9本もDVDが出ているのかなどと驚いてはいけない。5月には「ナスターシャ・キンスキー・コレクション DVD-BOX debut篇」が、6月にはmellow篇が発売されるのである(BOXに収録される「時の翼にのって」、「哀愁のトロイメライ」、「危険な年頃」などは単体でもリリースされる)。彼女のDVD BOXは、今のところ、日本でしか発売されていない。
まだとりあげていない国内既発売作品には以下のものがある。
最後の「クリチャー・フィーチャーズ DVDボックス」は1950年代のB級ホラーをリメイクしたTVシリーズだそうで、5本のうち、ナスターシャ・キンスキーが出演しているのは「怪奇異星物体」だけだが(オリジナルは「原子怪獣と裸女」)、Amazonで関連付けられているDVDは「危険な年頃」と「愛と死の天使」である。
「ホテル・ニューハンプシャー」はアーヴィング原作で、ジョディ・フォスター、ロブ・ロウ、ボー・ブリッジスと有名どころが顔をそろえているが、こちらもAmazonで関連づけられているのは「ロスト・サン」と「マリアの恋人」だ。
「テス」や「レボリューション」のような、欧米でもDVD化されていない作品がいち早く出て、その後も出演作がコンスタントにリリースされていることからすると、日本にはナスターシャ・キンスキーのDVDなら必ず買うという熱烈なファンがかなりの規模で存在するらしい(もうちょっと層が厚ければ、劇場公開されるのだろうが)。
うれしいことに、日本にはnastassja-kinski.jpという総本山的なファン・サイトがある。海外インタビューなど、ファン垂涎のコンテンツがつまっていて、独自ドメインをとっているだけのことはある。他にコアラ氏や、matsumo氏のページが充実している。
DVD化されること自体はありがたいが、問題はクォリティである。「テス」も「レボリューション」もVHS3倍速並みの画質・音質だし、特典は皆無だった。UK版の「パリ・テキサス」の超絶的なクォリティと充実した特典から較べると、あまりにも見劣りする。
未見だが、国内版「ワン・フロム・ザ・ハート」の画質もひどいらしい(NASTASSIA KINSKI.JPの画質比較参照。あまりの違いに唖然とする)。彼女の出演作に限らず、DVDの国内版・国外版の画質差は大きい場合が多いのだが、この作品のUS版は撮影監督のヴィットリオ・ストラート自身が監修してデジタル化しているというから、クォリティ的にははじめから勝負にならない。
しかも、US版は2枚組で、コッポラ自身の音声解説がつくのに対し、国内版は1枚で特典は予告編くらいしかない。とどめは値段である。国内版が定価4700円なのに対し、US版は29.99ドル(約3150円)。ここまで差があると、国内ユーザーを馬鹿にするなと言いたくなる。
国内DVDはリージョンとNTSC/PALという壁に守られているので、こういうことになってしまうのだろう。実は秋葉原の裏通りで売っている安いリージョン・フリーのプレイヤーを買ってくれば、非関税障壁は簡単に破れてしまうのだが(秋葉原にいかなくても、これで大丈夫らしい。カスタマーレビュー参照)。
US版で、間もなく「テス」が出るそうなので、これは絶対に買おうと思っている。
やはりUS版だが、フランスのTV局が製作した「危険な関係」のミニ・シリーズも気になっている(フランス語版、英字幕付)。
フリアーズ版でグレン・クローズがやった腹悪いメルトイユ侯爵夫人がカトリーヌ・ドヌーブ、ユマ・サーマンがやったうぶなお嬢様がリリー・ソビエツキー、マルコヴィッチがやった悪党ヴァルモン子爵がにルパート・エヴェレット。ナスターシャ・キンスキーはミシェル・ファイファーがやった敬虔なトゥールベル夫人で、他にダニエル・ダリューとアンドレイ・ズラウスキーが出演している。
豪華キャストだが、ジャケットからすると、コスチューム・プレイではなく、現代に翻案しているようだし、Amazonのカスタマーレビューは☆一つで、「ドヌーヴは老けすぎ、メルトイユ侯爵夫人は無理」と酷評されている。IMDBでも、
Oh Lord, this was really bad! You think with all those marvellous actresses and actors and this brilliant story, nothing can go wrong, but - they marred it completely.
とボロクソ。相当ひどいらしいが、270分もあるので、注文してしまった。リージョン・フリーのDVDプレイヤーを守っていない方は、英字幕つきのVHS版が出ているが、200分の短縮版になる。