陸上自衛隊旭川駐屯地で隊旗授与式のおこなわれた今日、NHKスペシャルで「陸上自衛隊 イラク派遣」が放映された。副題に「ある部隊の4ヶ月」とあるように、福島駐屯地の第44普通科連隊に昨秋から継続的に取材したもの。普通科は歩兵にあたり、イラクに派遣された場合、警備というもっとも危険な任務を担当する。
福島の第44普通科連隊は夏に交代要員として派遣されるといわれており、昨秋から至近距離の敵を想定した「まったく新しい訓練」を開始した。陸上自衛隊はこれまで100メートル以上離れた敵を想定した訓練しかおこなっておらず、このような訓練ははじめてなのだそうだ(!)。ソ連が崩壊して15年もたつというのに、正規軍大部隊の上陸を想定した訓練一本槍だったというから、時代錯誤というかなんというか。
連隊長は
番組では至近距離の訓練の模様を紹介していた。まず教官チームが模範を見せ、次に一般隊員が四人一組になって真似をするという段取である。教官チームは事前に集中訓練をおこなったというが、どう見ても、オヤジの戦争ごっこにしか見えない。ハリウッドの戦争映画の方がはるかにサマになっている。訓練後の反省会では「これまでにない訓練なのでおもしみを感じました
」といった感想ばかりで、浮き浮きしていた。
もう一つ意外だったのは、平均年齢が高いこと。教官チームはもちろん、一般隊員も30代が中心で、40代もかなりまじっている風だった。中学生、高校生の子供をかかえている隊員もすくなくないだろう。
訓練を視察した第6師団長が教官チームに訓示する場面も映していた。師団長といったら将軍だが、平和ボケした顔で、せいぜい町役場の助役にしか見えない。連隊長はさらに軽く、課長といったところか。トップの顔を見ていると、自衛隊は軍隊ではなかったのだなぁとわかる。
先遣隊の佐藤隊長は古武士然とした風格のある顔をしているが(ファンクラブができたとか)、ゴラン高原のPKOを経験しており、特例中の特例らしい。
さすがに年が明けると、教官チームには緊張がただよってくるが、それでも「部下に人を殺させたくない」といっていた。指揮官がこれでは、とっさの反撃ができるかどうか。
発砲をためらうには法的な理由もある。イラク特措法では、作戦中にテロリストを射殺した場合であっても、日本の刑法が適用されることになっている。番組では幹部を対象としたイラク特措法の講習会の模様も映していたが、質疑は武器仕様基準の問題に集中していた。うかつに反撃すると、殺人罪に問われかねないのだから、当然である。
旭川の部隊はPKOを経験した精鋭だそうだが、問題は交代に送りこまれる部隊だ。本当にやばいのは交代後ではないか。
アートスフィアで『狂風記』を見た。全17ステージの5ステージ目で、一階席はほぼ満席、舞台上の席(この芝居はサーカス小屋の円形舞台をイメージしていて、舞台の裏にも客席がある)と二階席には若干空席があり、三階席にはかなり余裕があった。前から三列目で見たが、この芝居は後ろの席の方がよく、多分、二階席がベストだろう。
観客の8割は30代以上の女性で、市原悦子が登場すると一斉に拍手が起こった。「花組芝居」や「大駱駝艦」のファンもいたが、大半は市原ファンのようだった。
芝居の内容については「演劇ファイル」に書く予定だが、ここでは予想以上に出来がよかったとだけ言っておこう。石川淳の文章を俳優の肉声で聞く機会は貴重だし、『狂風記』が舞台にかかることはおそらく二度とないと思うので、石川淳に関心のある方はぜひ御覧になっておくことをお勧めする(2月11日まで)。
稽古中、台本を削りに削り、初日が開いた後まで削り、ようやく安定したそうで、原作を読んでいないとストーリーが追えないと思うが、それでも伝わるものは伝わるわけで、カーテンコールで拍手はしばらく鳴りやまなかった。終演後のトークショーには7割くらいの人が残った。
トークショーはヒメ役の市原悦子、新川眉子役で「花組芝居」の加納幸和、裾野老人役で「大駱駝艦」の若林淳の三名に、司会としてアートスフィアの広報部長がくわわった(若林の裾野老人は舞台化にあたって追加された狂言回し的な役で、『狂風記』の地の文を朗唱する)。
「花組芝居」の加納は洋装の女形は久しぶりで、難しいといっていた。和装の女形の演技術は歌舞伎の伝統の中で確立されているが、洋装の女形は過去の大女優の演技を参考に手探りするしかないそうだ。
「大駱駝艦」の若林も台詞のある役は久しぶりだと語っていた。台詞といっても、若林の場合は石川淳の文章をそのまま独白するだけなので、破綻はなかったが、「大駱駝艦」から参加している他の役者には普通の台詞があり、若干浮いていた。市原はこの芝居に対する愛情がわかったので、たどたどしくても、愛情をもって受けとめたという意味のことをいっていたが。
演出意図とか、石川淳解釈といった難しい話は一切なしで、現場の役者としての感想を語りあっていたが、もともととらえどころのない芝居なので、技術論に終始したのは正解だったと思う。
客席からの質問もなごやかなうちにすすんでいったが、最後に電波系の質問が混じった。この芝居は国連憲章の精神をテーマにしているのではないかなどと言いだしたオバサンがいたのだ。市原悦子は「いろいろな見方があっていいと思います」と、さらりと受け流していた。この人はなにをいっても、やわらかな印象になる。
Nov07とDec20でふれた文化審議会の「これからの時代に求められる国語力」についての答申が河村文部科学相に提出された(asahi.comと東京新聞)。
文化庁のサイトには答申も答申案も出ていないので、ニュースサイトの記事を頼りにするしかないが、発達段階に応じた日本語教育を提案している点が眼目のようである。乳児期は親が子どもに言葉をかけるようにし、幼児期には読み聞かせが大切で、日本語力の基礎となる家庭のコミュニケーションの時間を確保するため、テレビを消す時間をつくることが効果的と指摘。小学校では語彙を増やすことに重点を置き、従来の「心ぱい」「こっ折」といった交ぜ書き表記を改め、音読・暗唱を重視する。中学校以降は論理的思考力を育成する、というわけだ。
戦後の国語教育は部品組立主義という強烈な思いこみの上に築かれてきたのではないか。音読・暗唱を嫌い、読める字は書けなければならないとするあたり、言葉の自然な習得過程からはかけ離れている。
ちょっと考えればわかることだが、読めて書ける字よりも、読めるだけで書けない文字の方が桁違いに多く、それで用が足りている。
また、「心配」という熟語は、「心」と「配」という字を個別に認識してから脳の中で組み立てるのではなく、「心配」という一かたまりのパターンとして認知している。「配」という字がどういう意味かわからなくても、「心配」ならわかるということが当たり前にあるのであり、それで十分なのだ。なまじ「心ぱい」などと書かれるとかえってわからなくなる。
こういう当たり前の認識がようやくマスコミ内部にも浸透しつつあって、最近改訂された共同通信の『記者ハンドブック第9版』では、交ぜ書きを廃止した語が大幅に増えているという。
新聞に書評を書くと、交ぜ書きにしないといけない言葉のために行数が狂っていまい、原稿をわたしてから、数回メールのやりとりをしなくてはならない。交ぜ書き廃止語が増えてくれるのは、読者にとってはもちろん、物書きにとってもありがたいのである。
Mainichi INTERACTIVEに、公的個人認証制度がWindows限定であることを報じた記事が出ている。
最近、Wiredに「「新品マックG5をウィンドウズマシンに改造」レポート掲載で大騒動」という記事が載ったことでもわかるように、Macユーザーは被害者意識が強いから、なにかいうかもしれない。
Windows限定にしたのはコストがかかるから。同記事から引く。
総務省自治政策課によると、ソフト開発費用は国が担当するが、マックなど他のOS向けのソフトを開発すると費用が莫大になってしまい、負担になると分析。シェアの大部分をウィンドウズが占めていることもあり、ウィンドウズ対応のソフトしか作らなかった。他のOS向けソフト開発は「今後の課題」と認めながらも、具体的な計画は未定。
わたしは公的個人認証制度は不要と考えるが、総務省の言い分がおかしいことは指摘しておこう。「莫大」ということだが、せいぜい二倍か三倍になるくらいではないのか。要するにやる気がないということだろう。
やる気のなさは詰めの甘さにもあらわれている。総務省は対応ソフトを開発しさえすれば、非Windowsパソコンでも公的認証制度が使えるように考えているらしいが、文字コードの問題を見逃している。
Jan20で指摘したように、公的個人認証制度はWindowsの文字セットをもとにした1万3千字(JIS第1水準・第2水準+JIS補助漢字)の文字を使い、そこにない文字は別の文字に置き換えることになっている(当然、住基ネットに記録されている住所氏名と異なる場合が出てくる)。
MacはレガシーMacにも、MacOSⅩにも、JIS補助漢字は実装されていない。LinuxはEUC-JPなので、理論上はJIS補助漢字を実装可能だが、実際にJIS補助漢字に対応している機械はあまりないらしい。
本筋からずれるが、「民間の調査機関によると、ウィンドウズ以外のOSは昨年発売されたパソコンの3割近くを占めているとみられ
」とあるのは不可解。MacとLinuxは数パーセントづつのはずだ。なにを根拠にした数字だろう?
佐賀で他人の住基カードを不正取得した事件が発覚した。
ZAKZAKによると、昨年の9月2日、市内に住む50代の男性を騙った男が顔写真つき住基カードを申請した。男は免許証など身許を証明するものをもっていなかったので、市役所は住民票の住所に照会書を郵送したところ、同月16日に男は照会書持参で住基カードを受けとりに来た(郵便受けから盗んだ?)。
ところが、交付から4ヶ月半たった今月2日、問題の住基カードが落とし物として拾われ、本人に連絡したところ、住基カードを申請した事実はなく、しかも他人の顔写真が貼られていたので、不正取得と判明したもの。
住基カードには顔写真つきと顔写真なしの二種類がある(料金は変わらない)。写真つきの方は、運転免許や社員証をもっていない人のための写真つき身分証明書になるとPRされているが、そこにつけこんだ犯行といえよう。
犯人自身の写真が貼られていることからいって、単なるイタズラ目的とは考えにくい。交付から4ヶ月半もたっているが、その間、何に使われたのか。
このケースはたまたま犯人が落としたから発覚したが、同様の事件は他にもあるだろう。
写真つき住基カードは、なりすましによる不正取得の他に、引っ越し前の住基カードをそのまま持ちつづけることができるという問題がある。他市町村へ転出する場合は、住基カードを返さなければならないのだが、紛失したとか、自分で破棄したといえば大丈夫である。役所の窓口では失効したことがわかったしまうが、銀行やサラ金の窓口では失効したかどうかはわからない(詳しくは自治体情報政策研究所通信No.5参照)。
一部自治体では、こうしたケースを想定したのだろうか、写真つき住基カードの交付には慎重になっているらしい。
ペンクラブ電子メディア委員会の同僚委員の某氏が、最近、住基ネット調査の一環として、写真つき住基カードの交付を申しこんだところ、窓口係からなぜ写真つきを申請するのかと根掘り葉掘り聞かれた上、課長をまじえた三人がかりで、写真つきはやめた方がいいと説得されたという。課長まで出てきたとなると、なんらかの内規があるのだろう。ちなみに、人口百万の某々市で、写真つき住基カードを取得したのは某氏が第一号のよし。
写真をわたすと、10分ほどで住基カードができてきて、それから別室に通され、パスワードを自分で設定するようにいわれたという。パスワードといっても、4桁の数字である(笑)。総務省は本当にやる気がないのである。
高木浩光@茨城県つくば市氏の日記の1月31日の項に、公的個人認証証明書の交付を受けた体験が書かれているが、なかなか笑える。
体験記冒頭に黄緑色の怪しげな物体の写真がはりつけてあるが、住基カードにパスワードを設定する際に使う衝立だそうである。別室を用意する自治体もあるが、窓口カウンターでは、こういう大袈裟な衝立が必要なのだろう。
高木氏はすでに住基カードをもっておられるので、住基カードに公的個人認証アプリのインストールを受けてから、パスワードの設定という段取になる。
公的個人認証用パスワード設定は、例の衝立の影ではなく、壁際におかれた専用ブースの中でおこなうようになっている。ここですでに???である。
住基カードのパスワード設定も、このブース内でやればよさそうなものを、公的個人認証専用にするとはどういうことだろう。ブース内におかれているのは公的個人認証用の専用マシンということだが、Windows2000で動いているそうだから、住基カードのパスワード設定ができないはずはない。どうせ役所の縄張問題だろうと思うが、電子政府に縄張をもちこんだなら、無用なコストとトラブルが増えるだけだ。
高木氏によると、手引の説明に問題があり、公的個人認証の方のパスワードにはアルファベットが使えるのに、住基カードと同じように、4桁の数字のパスワードをつけてしまう人が続出するのではないかという。日記から引く。
これを読んでいるとますます数字4桁にしないといけないかのうように誤解してしまう人も少なくないのではなかろうか。「他人に容易に推測されるような番号」と言われた時点で、別の番号を考えなくてはという強迫観念に襲われてしまう。
次のような注意書きにすることはできたはずなのに、どうしてそれができないのだろうか。
できるだけアルファベットと数字を組み合わせて、8文字以上の他人に推測されにくいパスワードにしてください。ご自分の氏名やご家族やペットの名前などをローマ字表記にしただけなど、他人に推測されるような言葉は用いないようにしてください。
きっとこの利用者ガイドを書いた人たちも、4桁数字のパスワードを使っているんだろうなあと思った。
総務省はどうせ誰も使わないから、この程度でかまわないとタカをくくっているのだろう。
高木氏はRFIDのプライバシー問題について発言している人である。日経BPに「固定IDは"デジタル化された顔"――プライバシー問題の勘所」という記事があるが、日記の2月1日の項では、経済産業省が目下パブリックコメントを募集している「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン(案)」の混乱を批判している。
RFIDがどのように使われるかわからない段階で、先取り的にガイドラインを作ろうとすること自体は評価できるし、記述がある程度混乱するのはやむをえないのかもしれないが、アリバイ作りのガイドラインでは困るのである。
日経ITビジネス&ニュースにたまたま「図書館の本貸し出し簡単、ゲートくぐればOK――慶大が開発」という記事が出ていたが、悪用しようと思えば、いくらでも悪用できそうである。RFIDのプライバシー問題には注目していきたい。
NHK特集の「ドキュメント・エルサレム」を見た。2回シリーズで、1月31日に前篇「聖地での戦いはなぜ始まったのか」が放映され、今日は後編「聖地の平和はなぜ実現できないのか」である。
前篇ではリュミエール兄弟が撮影した19世紀末のエルサレムなど、珍らしい映像が多数紹介されていたが、番組の柱となるのはパレスチナ、イスラエル双方の和平派有力者――パレスチナ人のサリー・ヌセイベ氏とイスラエル人のメロン・ベンベニスティ氏――である。
ヌセイベ家はサラディンの聖地奪還以来、聖墳墓教会の鍵の管理をまかされている名家で、先代はパレスチナ解放運動の闘士だったが、現当主のサリー氏は、妥協もやむなしとする現実主義者である。PLOには距離をおいていたが、アラファトが平和路線に舵を切ると、PLO側の委員としてイスラエルとの交渉にあたり、クリントン調停に希望を託したものの、挫折を味わう。その後も、不可能とわかっている難民の帰還権(イスラエルが第一次中東戦争以降に奪った土地を難民の手にとりもどす権利)は放棄し、パレスチナ人の土地をこれ以上奪われないように協定を結ぼうと訴えてまわるが、集会ばかりか町でも裏切者と罵られていている。
ベンベニスティ氏の父親もシオニストで、アラビア語の地名をヘブライ語につけかえる仕事をした強硬派だったが、ベンベニスティ氏自身は第3次中東戦争後、新たに占領した東エルサレム地区の助役となり、パレスチナ人の生活向上に尽力したという。パレスチナ人よりの姿勢が批判され、辞任においこまれるが、その後もシャロン政権の入植政策の危険性を公然と指摘したという。シャロン政権は、将来のパレスチナ国家の領土にどんどん入植地を広げ、パレスチナ人の村が水道・電力などを入植地に依存するようにしむけているが、そんなことをしていたら紛争を永遠にかかえこむことになるというのだ。
シャロン政権はテロリストの侵入を防ぐためと称して、高さ8mのコンクリートの壁を万里の長城よろしく建設している。パレスチナ人をゲットーに閉じこめようというわけだ。壁によって農地を分断されたパレスチナ人の茫然とした表情を映していたが、こんなことをやっていて、イスラエルはナチスを批判できるのか。
イスラエルにこんな無茶ができるは、ネオコンと福音派がアメリカ政界に強い影響力を保持しているからだ。
ネオコンとイスラエルの関係は田中宇氏のサイトでよくとりあげられているが、福音派についてはよくわからなかった。驚いたことに、福音派の信者は、エルサレムをユダヤ人が支配するようになれば、イエス・キリストが再臨すると本気で信じているらしいのである(目がすわっていた)。
番組の最後に恐ろしい話が紹介されていた。イスラムの聖地である岩のドームを破壊し、跡地にソロモンの神殿を再建しようという動きがイスラエル右派にあり、福音派が後押しているというのだ。いくらシャロン政権でもそんな決定はくだせないだろうが、跳ね上がりの過激派が岩のドームを爆破するようなことが絶対にないとはいえないだろう。そんなことになったら、ハルマゲドンだが。
ジャネット・ジャクソンがスーパーボールのハーフタイムショーで乳房を露出した事件で、TiVoユーザーの間に不安が拡がっている。胸がポロリとした「決定的瞬間」は、他の場面よりも3倍も多く再生されていたとTiVo社が発表したからだ(CNETの「観ているつもりが見られてた」とITmediaの「ジャネット事件が知らしめたTiVoの監視力」)。
TiVoとはDVR(ハードディスク・レコーダー)のシステム名で、視聴者の好みを分析して、勝手に録画する機能を売りにしているが、どの番組のどんな場面を見たかまで筒抜けになっていたのである。
(TiVoについては、小林雅一氏の「メディア・パワーシフト」と小寺信良氏の「DVRの“事実上の標準”になるか――全米を虜にした「TiVo」の秘密」に詳しい。ソニーの「スゴ録」もTiVoのライセンスを受けているとか。)
TiVo社は視聴データの収集をおこなっていることは何年も前から契約書に明記していること、そして個々の視聴者を特定する情報は削除していることをあげ、問題ないとしているが、多くの人は薄気味悪いと感じるだろう。
視聴データ収集機能は本来必要ないはずだが、TiVo社も放送局も、この機能をはずしたくない理由がある。CNETから引く。
DVRを使えば、視聴者は簡単にCMをスキップしてしまえるため、これまでは放送局への潜在的脅威として脚光を浴びることが多かった。しかし放送局側では、視聴者の行動を追跡できるDVRのような機器の力に魅せられてもいる。視聴者が何を観たかといった情報は、マーケティングキャンペーンやその他の効率を改善するために利用できる貴重なものだからだ。
個人は特定できないことになっているが、その気になれば個人別視聴履歴は蓄積できるだろう。これが「売物になるデータ」であることは、言うまでもない。
ニュースサイトを拾い読みしていくと、時々、理解に苦しむ記事にぶつかる。たとえば、ITmediaの「アジア語のハンディキャップ解消する画期的技術」。
香港のCulturecom Holdingsという会社の開発したV-Dragon(飛龍處理器)というCPUをとりあげているのだが、記事にはこうある。
この技術を開発したチュー・ボン・フー氏は、アジア文字を2進法のコード(チップのトランジスタを動かす0と1の値)を制御する位置に置く方法を見出した。チップ内に組み込まれた命令は英語で書かれているため、アジア言語の入出力には翻訳のためのレイヤーを置かなくてはならない。
この新技術を使うと、英語の代わりにアジア言語を使ってソフトを書くことができると、Culturecomのチーフ・ストラテジスト、ベンジャミン・ロウ氏は説明する。アジア市場向けのデジタルデバイスに、アジア言語と英語を翻訳するコンポーネントを組み込む必要はなくなるだろう。
「英語の代わりにアジア言語を使ってソフトを書くことができる
」とは、どういう意味だろうか? 昔、日本語でプログラムが書けることを売りにしたMindというプログラミング言語があったが(ユーザー・サイトによると、今もあるらしい)、日本語構文はプログラミング言語のレベルの話であって、CPUは関係ないはずだ。それとも、CPUの命令セットが中国語風になっているということだろうか? 最近はアセンブラすら使われていないというのに、そんなことにどんな意味があるのか?
元の記事はWall Street Journalなので読めないのだが、ITmediaにはV-Dragonをあつかったロイターの記事が載っていた。こちらには、
ソフトとCPUが別々になっている従来のWintelシステムとは違って、CulturecomのCPUには、中国語対応機能とLinuxが組み込まれている。
とあって、言いたいことがおぼろげながら見えてきた。CPU内のROMにLinuxのシステムを組みこみ、ついでに中国語処理のルーチンもいれたということらしい。
しかし、最初の記事はこうつづける。
翻訳プロセスを飛ばすことで、デジタル製品の処理速度は向上するだろう。ただし、今のチップは非常に高速なので、その違いに気付くユーザーはほとんどいないだろうが。だがチュー氏らCulturecomのスタッフは、この成果はもっと大きな影響を及ぼすと考えている。この技術は英文字圏の国家に恩恵を与えている制約から、マイクロチップを解放するからだ。
やはりわからない。専門家の解説希望!
午後1時55分頃、秋葉原のヤマギワ・ソフト館1階エレベータ付近から出火し、4階までの300坪が燃えた(ITmedia)。幸い、死傷者が出なかったのは秋葉明神の御利益か。
最近、ASCII24に「アキバで閉店相次ぐ!今、電気街で何が起こっているのか?」という記事が載ったが、ASOBIT CITYやPC ISLANDS(元のサトームセン本館)の閉店が決まったところへ、この惨事である。
この数年、秋葉原はアニメとゲームの街になったいわれているが、実態はアダルト・アニメとアダルト・ゲームの街である。
駅前のビルでは大人のオモチャをずらりとならべて販売しているし、某家電量販店は1階こそ大型TVをおいてあるが、2階以上はアダルトDVDの専門店になっていたりする。裏通りともなれば、不景気なパソコン・ショップを尻目に、同人誌関係やアダルト関係の店が怪しげなフェロモンを放っている。コスプレ居酒屋が近々オープンするそうだし、風俗店はすでにあるらしい。
家電の街からパソコンの街に変わったように、アダルトに舵を切ったのだろうが、だからといって、秋葉原がすべてピンク一色に染まってしまうわけではないだろう。パソコン・ショップ全盛時代も、家電量販店は健在だったし、パーツ屋やオーディオ専門店も淘汰を生きのびたところがある。
今、生き残っているパーツ屋やオーディオ専門店は固定客をもっているから、これからも大丈夫だろうし、パソコン・ショップも同じように残るところは残るだろう。
秋葉原へいくと大っぴらにいえなくなる時代がいずれ来るのだろうか。困ったものだ。
CNNに「ディズニー・ワールドでセグウェイ禁止、障害者抗議」という記事が載っている。セグウェイはパーキンソン病や多発性硬化症、脊髄損傷などで歩けなくなった人に車椅子代わりとして重宝がられているというのだ。
障害の程度にもよるが、立った姿勢を維持できる人には電動車椅子よりもセグウェイの方が小回りがきくだろう。こういう用途はセグウェイ社も想定していなかったそうである。
先日、公道でセグウェイを走らせたとして、輸入会社社長が書類送検される事件があった(Mainichi INTERACTIVE)。道路交通法ではセグウェイは自動二輪車というあつかいなので、公道を走るにはバックミラーや方向指示器、ライト、ナンバープレイトが必要だが、そんなものをつけたら、かえって危険である。
しかし、電動車椅子というあつかいにすれば、バックミラーも、方向指示器も、ライトも、ナンバープレイトも必要なくなる。もしアメリカから圧力がかかったら、役人は電動車椅子の特例という形でおさめるんじゃないか。
頭が働かず、朝からTVをぼーっと見ていた。
まず、「スーパーモーニング」で鳥越俊太郎氏のイラク・レポートを見た。一週間の日程で、バグダッド、フセインの故郷、拘束時に隠れていた穴、さらにはサマワにまで足を伸ばしていた。
ニュースで流れる映像は自爆テロの現場や爆撃で破壊された建物ばかりなので、バグダッド全体が廃墟になっているような印象があったが、意外にも車の窓から映しだされる街並はほとんど無傷だった。露店には野菜や果物が山盛りになっていたし、店の中には日本のスーパーマーケットなみに商品がぎっしりならんでいる。シャンプーのDoveまであったのは笑ったが、焼跡闇市時代の東京とは似ても似つかない光景である。ピンポイント爆撃は誤爆が多かったにせよ、絨毯爆撃とは違うのだ。
フセインの隠れていた穴はコンクリートでふさがれるという報道があったが、鳥越氏が訪れた時点ではまだ健在で、警備しているアメリカ軍の分隊は「日本人はお前たちがはじめてだ。お前たちのスクープだぞ」と囃していた。穴の周囲は木々が茂っていて、密告がなかったら絶対にわからないだろう。鳥越氏は実際に穴の中にはいったが、中は狭く、横たわるのがせいいっぱいだった。普段は穴の前の小屋で暮らしていて、隠れるのは緊急時だけだったらしい。結局、フセインは身内に売られたのである。
「スーパーモーニング」終了後、「民教協スペシャル」として「流転 追放の高麗人と日本のメロディー」というドキュメンタリーが放映された。スターリンによって中央アジアに強制移住させられたコリョサラムと呼ばれるの朝鮮族を、在日韓国人作家の姜信子氏が訪れるというもの。
朝鮮族は農業技術をもっていたので、労働英雄の勲章を受けた人がすくなくなかったが、テッコンドーの稽古をしている場面も映った。よそ者として生きのびるには武術を身につけるしかなかったわけだ。ヤクザまがいの顔役も登場した。
おもしろいのは、彼らが「美しき天然」のメロディーを伝承していることだ。一世は日本の歌だということを知っているが、二世や三世は朝鮮の伝統的な歌だと思いこんでいた。
一世の中には日本語をおぼえている人もすくなくない。樺太から連れてこられたキム・キヨコさんという老女は、二十数年前に手にいれた週刊新潮を大事にとっていて、夫婦で何百回と読んだという。取材クルーが「日本のうた」という唱歌集をわたすと、夫といっしょに日本語で歌を歌いはじめた。「日本人がやることと、ロシア人がやることは全然違うから」という言葉がすべてを語っていた。
ソ連崩壊後、民族主義が台頭し、少数民族は排斥されるようになった。ウズベキスタンではトルコ系住民の虐殺があり、アルメニア人も標的になったという噂が流れた時は、朝鮮族の間に動揺が拡がったという。多くの少数民族が故地に帰ったが、中にはチェチェン人のようにまたもどってくるグループもある。迫害されても、内戦よりはましだというわけである。
姜氏は朝鮮族二世から「日本に住んでいるのに、どうして韓国籍なのか?」と聞かれ、「日本と韓国の関係は複雑だから」と言葉を濁していた。苛烈な歴史を生きてきた彼らの前で、まさか「自分の居場所が見つからない」なんて甘ったれたことは言えないだろう。
11時半からは「ワイドスクランブル」。山本晋也監督が脱北者報道で独走しているアジアプレスの石丸次郎氏にインタビューしていた。
石丸氏は1990年頃から北朝鮮を取材しようとしたが、現地では監視が厳しく、取材はできないに等しい。1993年に中国の朝鮮族を訪れたところ、北朝鮮をボロクソにいう人ばかりで驚く。そのうち、北朝鮮から出張で来ているという人と知りあい、親しくなったところ、脱北者だと打ち明けられ、本当の内情を聞くことができた。それが脱北者(石丸氏は「北朝鮮難民」という言い方をしていたが)に興味をもったきっかけだという。
「ユウコの憂国日記」によると、山本監督は普段は北朝鮮擁護に熱心だそうだが、事実の重みの前には黙りこむしかなく、しまいに「平壌の取材は本当は怖かった」と言いだす始末。
昨年12月27日の放送では、
平壌の名所、それも予め設定されたコースをガイド(=監視員)と共に短時間回っただけで、北朝鮮の全てを知った気になってはしゃぐ山本。
北朝鮮側が予め設定した人たち(特権階級)としか話せないのに、「ピュアで良い人ばかり。私たちと同じ人間なんだ」と感激する山本。
金日成の銅像に花を供えて畏敬の念にとらわれる山本。
その花を買った時に日本円でお釣りが出て感心する山本。
軍事パレードが行われる例の広場を車で横切り感動する山本。
主体思想塔のてっぺんに昇って、「この街のどこかにソナちゃんが・・・」と切ない表情の山本。
と電波を飛ばしまくりだったそうだが、ここへ来て、「実は怖かった
」とはいい加減なものである。風俗レポーター時代は緊張感と反骨精神があったが、いつの間にか「文化人」になってしまったということか。
「徹子の部屋」には常盤貴子が出ていた。『赤い月』関連だが、『愛がなければ、生きられない No love, No life』という自分の本の宣伝もしていた。
定時ニュースは「最後の牛丼」を馬鹿の一つおぼえで流していた。ベストショットを撮るために、「最後の牛丼」を客の前におく場面を何度もやり直しさせている局まであった。マスコミ、お客、店側が「最後の牛丼」ごっこに興じているわけで、日本は天下太平である。
情報処理学会が「符号化文字基本集合 - 日本コア漢字」(IPSJ-TS 0007:2004)の公開レビューをおこなっている。
情報処理学会試行標準については拙著『図解雑学文字コード』230ページ以降でふれたが、動きの速いIT分野に対応するために、国際標準として成立する前の途中段階のものや標準のために役立つデータなどに学会がお墨付きをあたえることで、標準化を促進しようというものだ。今回の「日本コア漢字」をふくめて、五つの試行標準が公開されているが、そのうちの三つが文字コード関連である。
現在、ISO 10646は7万字余の漢字を収録しているが、ISO 10646実装を謳っていても、WindowsとMacOSでは搭載するグリフにかなりのずれがある(バージョンによっても、インストールしているフォントによっても違ってくる)。たとえば、「髙村薫」はWindowsでは表示されるが、大半のMacintoshでは表示されない(国際規格にはいっているのだから、いわゆる「機種依存文字」(システム外字)とは異なる)。
原則としては、規格にある漢字すべてのグリフを搭載すべきなのだが、ISO 10646の拡張Bには用途のきわめて限られる僻字や台湾の創作人名漢字が多数含まれている。すべての電子機器に全グリフを搭載することには強い異論があり、実用的なサブセットがもとめられている。
「日本コア漢字」はISO 10646の漢字セットから日本でよく使われる字を選んだ基本セットであり、将来的には、ここにふくまれる文字のグリフだけはすべての電子機器に搭載されることになるだろう。
選定にもちいられた資料は以下の六つである。
上掲の1〜3のうち、複数の資料に共通してあらわれる漢字を基本とし、それに「機能度が高いと判断される」漢字62字を追加して、4593字を選定している。いわゆるJIS幽霊漢字は排除されており、大雑把にいうと、JIS X 0208を2/3に絞りこんだ漢字セットである。
同じ趣旨の規格としては、東京学芸大の松岡榮志氏が提唱し、やはり学会試行標準となっているBUCS(Basic Subset of Coded Character Sets)(IPSJ-TS 0005:2002)がある。
「日本コア漢字」はBUCSにもとづくとされているが、漢字セットとしての方向性はまったく異なる。BUCSは下図を御覧になればわかるように、異体字をすべて基本字に包摂した純粋字種セットであり、最初期のユニコードよりもさらに過激な、原理主義的漢字セットだった。
それに対して、「日本コア漢字」は「鷗」と「鴎」を両方収録していることからわかるように、広く使われている異体字の存在を認めた現実主義的な漢字セットである。
現在、国立国語研究所と情報処理学会、日本規格協会の三者によって、電子政府のための漢字セットとフォントの整備が進められているが、BUCSを基礎にすると「龍」と「竜」が統合されており、異体字アーキテクチャに対応しない電子機器では字体が区別できなくなる怖れがあった。
「閒」と「瀆」も独立の文字としてはいっており、BUCSやJIS X 0208よりは使える規格になっているが、「食」偏と「益」はあいかわらずである。「蠟」もはいっていない。JIS X 0208の2/3の字種数ということを考えると、よく考えられた選定だと思うが、著者の意図通りの字体で表示するには機器が異体字アーキテクチャに対応している必要がある。
情報処理学会は「日本コア漢字」をIRGに提案するというから、将来的には「各国コア漢字」を集約した1万字程度の「国際コア漢字」をつくる意向らしい。
あくまで推測だが、将来の電子機器には「国際コア漢字」フォントの搭載が義務づけられ、そこにない異体字は異体字アーキテクチャで、ない字種は公共フォントの自動ダウンロードか、グリフ・サーバーからそのグリフを貼りつけるというような仕組で対応することになるのだろう。長い目で見れば、影響の大きな規格である。
徳島市で開かれた新聞労連学習会のネット事業分科会の模様をMainichi INTERACTIVEが伝えている。インターネットに対する新聞社の本音がわかっておもしろい(「新聞社のネット事業はどうなるか 「オールド&ニュー」メディアのあり方議論」)。
2003年1月時点で、日本新聞協会加盟80社のうち、名古屋タイムズを除く79社がWWWサイトを公開し、専従スタッフをはりつけているが、ほとんどの社では採算がとれていない。収益はバナー広告頼みだが、紙媒体の広告と抱きあわせのケースが多い。といって、「課金システムを作るのが大変なためと、有料化によってアクセス数が急減するおそれがある
」ために、有料化には二の足を踏んでいる。
サイトを充実させると、紙の新聞が売れなくなるという不安をもっている社は7割にのぼり、一度に掲載するニュースの本数に上限を設けたり、売物になりそうな記事はさわりしか載せないなど、なんらかの制限をおこなっている。当然、過去の記事を検索するサービスをおこなっている会社は少数にとどまる。
WWWサイトは単なるお荷物だが、日本の企業特有の横ならび意識から、やめるにやめられないといったところだろうか。Jan15でふれたが、記事への直接リンクを禁止する新聞社が多いのは、このあたりに理由がありそうだ。
『ネットは新聞を殺すのか』の著者で、国際社会経済研究所の青木日照主任研究員は分科会冒頭の講演で、blogや2ちゃんねるを例に、マスコミがニュースを独占する時代は終り、一般市民もニュース提供に関わる時代が到来すると警鐘を鳴らしたという。コンピュータがメインフレームからミニコン、パソコンへダウンサイジングしていったように、新聞業界も紙媒体としては減少していくそうなのだが、この部分は理解できない。
blogにせよ、2ちゃんねるにせよ、既報のニュースにコメントをつけているだけであって、あくまで二次情報にすぎない。体験記を除くと、自分で取材しているケースはほとんどないし、これからもないだろう(プロの執筆者が自分のサイトに文章を載せているケースは例外になるが、その場合も収入はオフ・メディアに依存している)。マスコミ報道の裏読みをするというメディアリテラシーのレベルを高めた意義は大きいが、データの提供は依然としてマスコミの独擅場であって、大騒ぎする必要などないのだ。
ただし、オピニオン・リーダーとしてのマスコミの役割は確実に侵食され、データマン的な役割に限定されていくだろう。blogや2ちゃんねるに対する過剰な危機感の裏側には、愚かな大衆はこれからもマスコミのエリートが啓蒙し、導いてやるのだという思い上がりがあるような気がする。
「世界ふしぎ発見!」で時節柄、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 消えた謎の王国を探せ!」をやった。レポーターはミステリーハンター歴188回の竹内海南江。
番組案内に蜃気楼云々とあったので、もしやと思ってチャンネルをあわせところ、トリブッチの『蜃気楼文明』と『蜃気楼の楽園』の話が主で、『ロード・オブ・ザ・リング』とはほとんど関係なかった(無理やりこじつけていたが)。
冒頭、ユトランド半島にあらわれる蜃気楼の映像に度肝を抜かれた。文字通りの「浮き島」で、細部までくっきり見えるのだ。こんな光景が眼前にあらわれたなら、古代人ならずとも、天上界の通路が開いたと思ってしまうだろう。
大半の取材はブルターニュでおこなわれていて、巨石文明は蜃気楼を別世界と信じた人びとによって作られたというトリブッチ説をなぞる形で進んでいく。ロクマリアケは、訳本にならって、ロクマリアと発音していた。
本を読んだ限りでは、おもしろい見方だなくらいだったが、絵で見せられると、格段に説得力が増してくる。ブルターニュと英国のストーン・サークルについては、トリブッチ説で当たりなのではないか。
海に沈んだ都、イスに関連して、パリ(Paris)は「イスに並ぶ都」(Par+Is)という意味だという俗説が紹介されていたが、ウィキペディアにある通り、Parisii(パリシー)族に由来するという説の方が信憑性が高い。ローマ時代はルテティアと呼ばれていて、辻邦夫の最高傑作、『背教者ユリアヌス』の主要な舞台の一つとなっている。
蜃気楼とは関係のない話題もあった。ゲルマン民族大移動との関連で、完全円形の城壁都市、ネルトリンゲンが紹介された。
14世紀の城壁が残っているのもすごいが、隕石クレーターの真上に作られた町で、周囲をクレーターの外輪山が囲んでいたのだ。市の宝物が隕石の衝突時にできたモルダヴァイトという石だというのも、へえ〜である。
隕石ついでに、NHKの「地球に乾杯」の「宇宙からの宝を探せ! − 世界をかける隕石ハンター−」も見てしまった。アメリカでは1995年以来、隕石ブームが起こっていて、一攫千金を夢見て、世界中に隕石ハンターが飛んでいるのだそうである。
番組では隕石ブームの立て役者であるダリル・ピット氏と、駆け出しハンターの二人を軸に、加熱する隕石バブルを紹介していた。隕石の最大の産地はサハラ砂漠で、モロッコからはいるが、一番有望な場所は政情不安のつづくアルジェリア側なので、通訳の他にボディガードを連れている。現地人から買いつけるのだが、海千山千のうさんくさいブローカーが暗躍し、駆け出しハンターはあやうく騙されそうになっていた。
ダリル・ピット氏の隕石ビジネスのはじまりはネット・オークションだったが、巨万の富を築く決め手になったのは火星の隕石だった。火星の隕石の破片を世界各地の博物館が所蔵する隕石と交換し、ヌコビエ・コレクションと呼ばれる世界的なコレクションを作りあげたが、隕石の値段が上がりすぎたために、研究に差し障りが出てきているそうだ。
NHK特集の「SARSと戦った男 ―医師ウルバニ 27日間の記録―」を見た。
WHOハノイ事務所のイタリア人医師、カルロ・ウルバニがSARS拡大阻止に尽力し、自身、SARSに感染して亡くなったことは早くから報道されていたが、この番組は事態の推移を刻々に追い、可能な限り当事者に語らせたドキュメンタリーで、手に汗にぎりながら見た。院内感染で医師・看護士がバタバタと倒れていき、効く薬がなにもないことがわかると、院内はパニックにおちいり、職場放棄して逃げだすスタッフもいた。SARSから回復した看護士たちの証言がまた生々しい。最初に筋肉痛が起こり、脱力感が高じて動けなくなってしまい、肺炎の段階になると呼吸が満足にできなくなるという。
SARSはハノイ以前に、中国の広東省で流行していたが、中国政府が秘密主義をとったために、北京に常駐しているWHOのアジア地区責任者は現地に赴くことはおろか、まったく情報がとれなかった。SARS情報は、ハノイから発信するウルバニのメールだけが頼りだった。WHOはいち早くSARSに対するグローバル・アラートを発したが、症状の記載はウルバニのメールに全面的に依存していた。
ベトナムは世界で最初にSARS制圧に成功して賞賛されたが(「Mainichi INTERACTIVE」など)、このドキュメンタリーをみると、ウルバニの進言はすぐに受けいれられたわけではなかった。保険省の高官はWHOとアメリカCDCの専門家の入国を拒みつづけたし、ハノイにSARSウィルスをもってきた中国系アメリカ人の出国も防げなかった(そのために、シンガポールでも感染が広がった)。困ったことに、感染が病院外へ広まるかどうかというタイミングで週末がきてしまった。保険省側はWHOに対し、週明けの3月10日まで協議を開かないと通告したが、ウルバニが強硬に申しいれた結果、9日に緊急協議が開かれた。保険省高官はあいかわらずインフルエンザという認識だったが、医官がウルバニに同調したので、WHOとアメリカCDCの専門家の入国を認め、防疫体制が動きだした。
ベトナムが果断な措置をとることができたのは、ウルバニという官僚主義からはみだしたWHO職員がたまたまハノイにいたからであって、もし彼が休暇でベトナムを離れていたり、他の国に赴任していたら、どうなっていたかわからない。
後知恵でああだこうだ言ってもしょうがないが、先進国対途上国という対立が背景に見え隠れしているという印象はどうしてもぬぐえない。新種のウィルスの疑いがあるので、WHOとアメリカCDCの専門家の入国を許可してくれという要請に対し、ベトナム保険省は「インフルエンザくらい、自分たちで対処できる」と拒否していた。SARSをもってきた当の中国系アメリカ人が、家族の要求でシンガポールの病院に強引に転院し、感染を拡大したのは、ベトナムの医療水準を軽んじていたからだろう。
今のところ、SARS禍はおさえこめているが、昨年、流行が本格化したのは3月後半からである。安心するのはまだ早い。
11日、俳優の高木均が亡くなった(東京新聞)。ムーミンパパ、トトロ、『銀河鉄道999』のナレーションで有名だったので、「声優」という肩書がついていたが、もともと文学座出身であり、文学座の分裂後、雲、円と移った正統派の演劇人である。
1987年以降に見た舞台はデータベース化してあるが、高木の出演作は9本見ていた(大きな役でなければ、他にもあるかもしれない)。そのうちの7本は別役実の芝居である。
清水邦夫の芝居には宇野重吉が似合ったが、別役の芝居には中村伸郎がはまった。これは民藝と円のカラーの違いでもあって、円のハイカラな大人のユーモアの中心にいたのが中村伸郎で、一角を支えていたのが高木だった。1980年代の円の舞台は本当にすばらしかった。
(円は岸田今日子、橋爪功、中谷昇、三谷昇とTVでも名の売れている役者が顔を並べているのに、劇団としてはあまり知られていない。渡辺謙の経歴を伝える外国の記事を読んでいたら、Madokaに所属していたという記述にぶつかった。間違った読み方を教えた日本人がいたのだろう。)
高木の出演作で最後に見たのは、昨年、新国立劇場小劇場で上演された「ゴロヴリョフ家の人々」だった。「ゴロヴリョフ家の人々」は裏「桜の園」とでもいうべきグロテスクな悲喜劇だが、高木の演じたイリヤはフィールスにあたる老僕で、嘘をつくと足踏みをはじめる癖があり、主人に問い詰められながら、足踏みをやめることができず、困り果てる顔がなんともユーモラスだった。
16日は愛情あふれる将軍様の62回目の御誕生日だったので(Sankei Web)、日本マスコミは久しぶりに将軍様の話題でもちきりだった。重病説が伝えられていたが、1月19日の中国共産党王家瑞対外連絡部長との夕食会ではワインの杯を重ねたそうだし、連日、軍を視察しているという報道もある。憎まれっ子、世にはばかるのたとえもあるように、将軍様がお元気なことはよろこばしいが、内情はいよいよ切羽詰まっているらしい。
将軍様の御誕生日を祝うために、16日の北朝鮮のTVは昼から放送をはじめたが、昨年や一昨年に流した映像の使いまわしが多かったという。金正日花の展示会場は今年の映像だったが、去年まで稼働していた噴水がとまっていたり、室内なのに参列者が全員、外套を着こんでいたりしていて、エネルギー不足の現実をさらけだしていた。あれだけ見栄っ張りの国がこういう映像を流すとは、来るところまで来てしまっているのだろう。
週刊誌では週刊文春・週刊新潮がそろって将軍様の記事を巻頭に載せているが、今回は週刊新潮の方がおもしろかった。
まず、週刊文春が2号つづけて伝えていた将軍様重病説は、情報流出ルートをつきとめるために将軍様が仕組んだ狂言にすぎないと一蹴。将軍様は中国による暗殺を怖れていて、目下、スパイ探しに躍起になっているのだそうだ。
デヴィ夫人が北朝鮮を極秘に訪問したという話があったが、週刊新潮によると仕掛人はミスターXで、自分が日本の政界に力をもっていることを将軍様に見せるために、デヴィ夫人を呼んだのだとか。将軍様は日本のBSを見ていて、なかなかの日本通だといわれているが、地上波の民放を見ていていないと、デヴィ夫人が芸能人だということまではわからないのかもしれない。
中国は暗殺はしないまでも、将軍様を見限る方向で動いていて、ミャンマー国境に近い南陽辺地区に亡命させる計画を進めているという。
金一族と南陽辺の関係は古く、1965年に金日成がスカルノと会談するためにインドネシアを訪問した帰り、南陽辺で静養して以来だという。大元帥様は風光明媚な南陽辺が気にいり、別荘を作ったそうで、金正男も成田から国外退去になった直後、南陽辺の別荘にいたらしい。
南陽辺地区は雲南の奥地なので警備がしやすく、北朝鮮と関係の深いミャンマーにも近いので、将軍様も受けいれやすいというわけだ。ミャンマーはラングーン爆弾テロ事件で北朝鮮と断交したと思っていたのだが、実は裏ではずっとつながっていたとか。ありそうな話ではある(そういえば、デヴィ夫人もスカルの以来のつきあいか)。
亡命の際、中朝国境の橋を使うとアメリカ軍に発見されるので、白頭山の麓を迂回していくルートが検討されているそうだ。ここまで具体的だと、逆に眉に唾をつけたくなる。
北朝鮮の体制保証などもう無理だから、将軍様に亡命していただくのが中国としては一番ありがたいのかもしれない。週刊新潮の記事がそのまま事実だとは思わないが、似たような計画は密かに動いていそうな気がする。
富士通がWebアクセシビリティを診断するツール群を無償公開した(ITmedia)。
ツール群はWWWページが視覚障碍者を考慮した作りになっているかどうかを診断するWebInspector、背景色と文字色の組みあわせが色弱者にとって適切かどうかを診断するColorSelector、色使い全般を診断するColorDoctorの三つから構成されており、「富士通アクセシビリティ・アシスタンス」のページからダウンロードできる。
WebInspectorは以前から評価が高かったそうだが、今回のVer.3ではスタイルシートに対応し、文章が音声ブラウザでちゃんと意味が伝わるように書かれているかどうかにまで踏みこんでいるという。
診断するページはローカル・ディスク上でも、ネット上でもよく、ローカル・ディスクの場合はフォルダー内のページををまるごとチェックするようになっている。
早速、WebInspectorとColorSelectorをインストールして拙サイトを診断してみたが、Javaなのでかなり時間がかかる。
ColorSelectorの方は、どのタイプの色弱でも問題はなかった。
WebInspectorの診断内容はHTML形式で吐きだされる。問題点は重要度に応じて四段階にわけて表示されるが、tableにcaptionがないとか、line-heightが1emでは駄目だとか(リストの場合、行間をあけないオプションを設けているが、それが引っかかった)、参考になる指摘はなかった。
拙サイトは以前からアクセシビリティを意識してきたし、文章も気をつけているので、この程度だったのかもしれない。一応、合格したのだと解釈しておこう。
このツールの診断にどれだけの実効性があるのかは使いこまないとわからないが、アクセシビリティに関心が集まるのはいいことである。
ITmediaの「Yahoo!、MSNに「Google打倒のチャンスあり」」という記事がおもしろい。
Googleは圧倒的なシェアを誇るだけでなく、他のサーチエンジンに先んじてToolbarやGoogle Adsenseなど、次々と新機軸を打ちだしていて磐石に見えるが、comScore Media Metrix社の調査によると、検索ユーザーの「忠誠度」は低く、他のサーチエンジンに「浮気」する傾向が強いのだそうだ。記事から引く。
ユーザーの検索エンジンに対する忠誠度を測るために、comScoreは12月のユーザーの検索回数の平均と、Google、Yahoo!、AOL、MSNで行われた検索回数のそれぞれの平均を比較した。調査対象ユーザーが行った検索の回数は平均28回。Googleユーザーが行った検索の回数は最もこの値に近く、およそ23回だった。Yahoo!とAOLユーザーの検索回数は平均16回、MSNは11回だった。
この結果は、ユーザーがよく代替の検索エンジンで検索結果を調べていることを示唆している。そしてYahoo!とMSNには、「ちょっと立ち寄った」検索ユーザーを熱心な支持者に変えるチャンスがある。
もともとGoogleの検索結果で満足していたし、Toolbarをいれて以来、Google一本槍になっていたので気がつかなかったが、現実はこうだったのだ。併用してもまったくコストはかからないのだから、検索語の組みあわせで頭をひねるより、他のサーチエンジンで探した方が手っとり早いということだろう。
ユーザーが浮気性となると、サーチエンジン側では引留策を考えなければならなくなる。ToolbarやNov08で紹介したDeskbarをユーザーに導入させることがまず考えられるが、次の段階として、検索結果のパーソナライズがある。
「ライオン」で検索すると、猛獣の「ライオン」と企業の「ライオン」がいっしょに引っかかるが、過去の閲覧履歴を調べることで、猛獣か企業か、どちらかに自動的に絞りこめるのである。便利は便利だが、「Googleを超える検索エンジンを求めて」で指摘されているように、検索語や閲覧の履歴はプライバシーがからむわけで、検索ユーザーの承諾が必要になる。となると、すでに個人にユーザーIDを発行しているYahooが有利になるというわけだ。
Nov25でふれたように、手っとり早く、ローカルマシンのWebキャッシュを使うという荒業もあるが、そうなるとMSNの独擅場だ。さて、Googleはどう出るだろう。
CNETに「オープンソースソフトを家電店が“自社開発”と偽って販売」という記事が出ているが、今どきこんなことがあるのかとあきれた。被害にあったmediawiz氏の「AXシリーズ抱き合わせ販売とwizdソフトウェアの2次的な商用利用問題について」を読んだところ、実際はもっとひどかった。
上記の両ソースによると、経緯はこうである。家電量販店の○○電気が、別の家電量販店が49800円で販売していたNECのAX10というHDDレコーダーを大量に買いこみ、別の会社のマルチメディア・プレイヤーとセット販売した。その際、AX10をマルチメディア・プレイヤー側からコントロールするためのフリーソフトウェアを開発者に断りなくバンドルした上に、単品として5000円で販売した。
これだけでも問題だが、フリーソフトウェアについていたドキュメント類を勝手に削除してフリーソフトウェアであることを隠し、
新世代のハードディスクレコーダーをメーカーと共同開発
○○電気 当社特製ソフトウェア 限定10セットのみ無料付属!
どこよりもいち早くホームネットワークで簡単どこでも録画が見れる。
と、あたかも自社開発であるかのように広告したというもの。
ここまででも十分あきれるのだが、この○○電気は「当店の開発企画のサポートメールアドレス」として、フリーソフトウェア作者のmediawiz氏のメールアドレスを本人の知らないうちに記載したというのだ。
当たり前の話だが、問題のフリーソフトウェアはNECのサポート外であり、しかも使いこなしが難しいらしく、○○電気からAX10のセットを購入したユーザーから質問や苦情、さらには返金要求まで、おびただしいメールが、何も事情を知らないmediawiz氏のもとに殺到した。
mediawiz氏は○○電気側に事情説明を求めたが、たらい回しされたあげく、「そんな事実はない
」という返事。店頭のポップ広告を映した画像を添付して再度メールを送ると、今度は「アルバイトが勝手に企画したことなのでわからない
」。やりとりをくりかえすうちに、
これで有名になったんだから良かったと思ったほうがいい、 ユーザーサポートの費用払ってやってもいい、その代わりソフトの権利はウチの会社でもらう。
(そんな問題じゃないだろ・・・・・、それに月1000円って提示も(苦笑))
所詮タダで配ってるソフトだから誰の著作権も何もない、ウチでつくってるといえばウチのもんだよ。
というようなことまで書いてきたとか。
おそらく、フリーソフトウェアについての誤解が○○電気側を強気に、mediawiz氏を弱気にしている。
いくらフリーソフトウェアと宣言していても、また、問題のソフトウェアがmediawiz氏の完全なオリジナルではないとしても(実際はオープンソース・ソフトウェアをmediawiz氏がAX10対応に改造したもの)、著作者人格権は歴然と残っている(日本の著作権法では、人格権は放棄できない)。
配布条件を無視してドキュメント類を削除し、自社開発であるかのように偽った以上、氏名表示権と同一性保持権を侵害しているのは明白だし、一連の経緯からいって、名誉毀損の疑いも濃厚である。訴訟を起こせば勝てると思うのだが、mediawiz氏はADSLもつながらない北海道の田舎に住んでいて、弁護士に簡単に相談できる状態にないという。泣き寝入りに追いこまれそうな雲行きらしいが、こんな無法な話を許していていいものか。
『文字符号の歴史』の著者で長岡技術科学大学教授の三上喜貴氏は、文字コードの不備のためにネット上で阻害されている少数言語の実態をあきらかにする「言語天文台プロジェクト」を開始し、20日と21日の2日間、同大にユネスコ関係者をまねいてワークショップをおこなったという(日経新聞2月19日)。
三上氏は通産省時代からISOの文字コード開発に参加しており、「言語間デジタル・ディバイド」や「イコール・ランゲージ・オポチュニティー」をいち早く発表して、デジタル時代における少数言語の危機を訴えてきた。「言語天文台プロジェクト」は調査を通じて国際的関心を喚起し、将来の文字コードの整備に役だてることを目標としており、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業の「社会技術研究プログラム(RISTEX)」に選ばれている。RISTEXの採択研究課題の概要から引く。
地球上には6000以上の言語があり、デジタルネットワーク上で不自由なく利用できる言語は一部に過ぎません。こうした「言語間デジタルデバイド」解消を目指して、ネットワーク上の多様な言語活動を継続的に観測する「言語天文台」を創設します。具体的には、デジタルな言語表現の基礎となる文字コードに着目し、WWW上のテキストを自動的に収集、判別して言語別活動量を推定するとともに、蓄積した関連基礎データを内外に提供します。また、UNESCO等と連携し、全ての言語・文字にアクセス機会を拡大するための方策を提言します。
文字コードのない言語はアルファベットに翻字したり、独自フォント(拙著の用語では「裏フォント」)を使って、無理矢理その言語の文字を表示するという手法で電子化されている。全世界のWWWページをクロールし、文字の配列パターンを調べれば、言語指定がなくても、どの言語か推定できるのである。絶滅しつつある言語の問題とも関連する重要な試みである。
「多言語テキスト処理はどこまで可能か」に書いたように、電子化テキストは「表示」できただけでは駄目で、削除、挿入、検索、置換といった「編集」ができなければならない。「裏フォント」方式では「表示」はどうにかできても、「編集」ができないのである。フォントがあればいいという問題ではなく、その言語の表記体系に即した文字コードを開発する必要があるのだ。
「言語天文台」の第1回調査結果は来年2月に、第2回調査結果は再来年2月に発表されるという。マスコミ発表は派手だが、実際には何もやっていない某プロジェクトと違い、三上研究室は着実な成果をあげてきた。「言語天文台」の活動に注目したい。
日本テレビの『ドキュメント'04』で「死刑 〜検証 見えざる極刑の実態〜」を見た。
刑務官の語る内情あり、裁判官の本音あり、被害者遺族の死刑反対論あり、賛成論ありで、とりとめのない内容だったが、死刑の重さを考えると、こういう作り方しかないのかもしれない。
死刑囚の生活と死刑の模様を描いた映画はアメリカではかなり作られていて、アカデミー賞に輝いた『デッドマン・ウォーキング』や『チョコレート』、カンヌ・グランプリの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のような傑作もある。日本でも大島渚の『絞首刑』のような作品が作られたことはあったが、最近はとんと聞かない。上記の作品を見ればわかるように、アメリカは死刑の執行を被害者遺族に公開しているのに対し、日本では被害者遺族にすら執行の事実を隠しているという事情が関係しているかもしれない。
しかし、小説には加賀乙彦の『宣告』がある。加賀は精神科医として拘置所に勤務した経験があり、一般向けノンフィクションの『死刑囚の記録』や、本名の小木貞孝名義の『死刑囚と無期囚の心理』を出版している。
今回の番組で刑務官が語った死刑執行の模様は『宣告』に書かれた通りだったが、死刑囚の日常生活はかなり違う。『宣告』はメッカ殺人事件の正田昭をモデルにしており、1960年代の死刑囚監房が舞台になっていた。
40年たてば変わって当然なのかもしれないが、食事面では昨年公開された『刑務所の中』そのままだったし、判決確定後に自由が増えると、エロ本でだらだら時間をつぶす死刑囚が多いそうである。『宣告』にも刑務官の見ている前でマスターベーションに耽る死刑囚が出てきたが、あくまで長期拘禁のために神経を病んだ結果であって、特別なケースだった。
今でも深く悔悟し、遺族と文通して、感動した遺族の方から死刑執行停止を上申するケースがすくなくないが、『宣告』の時代からくらべるとかなりだらけているという印象を受けた。
死刑廃止論者は、死刑の代わりに終身刑を提案しているが、何十年も独房にいれられ、エロ本漬けでだらだら一生を終わるというのも残酷だし、悔悟のきっかけもなくなってしまうだろう。正田昭の『黙想ノート』のような張りつめた真摯な思考は、死刑という冷厳な刑罰に直面したおかげではじめて可能になったと思うが、どうだろうか。
CNETによると、火星探査機着陸以来の1ヶ月半で、NASAのサイトは65億ページビューを記録したという。
火星探査機の特集ページは火星の写真だけでなく、科学読み物として充実しているが、立体画像のページはおやおやだった。NASAだからすごい技術を使っているのかと思ったら、こちらの画像を御覧になればわかるように、青と赤の眼鏡を使うローテク立体視だった。
一時、最初に着陸した探査機スピリットが操作不能におちいり、あわや観測中断かと騒がれたが、Hot Wiredによると、原因は不要ファイルの削除を忘れて、メモリ不足になったためだった。
パソコンを使いこんでファイルが増えていくと、「ハードディスクの領域不足」という警告が出ることがある。仮想メモリに使われているドライブの領域不足を放置していると、ソフトが不安定になったり、一部機能が使えなくなったり、ひどくなるとWindowsが立ちあがらなくなったりするが起こるが、それと同じことが起こったのである。こういうオバカな失敗をしてくれると、親近感がわく(笑)。
火星探査機を動かしているOSはWind Driver社のVxWORKSという市販のリアルタイムOSで、もともとはコッポラ監督のフィルム編集システム用に開発されたものだそうである。CPUはPowerPCの原型となったIBMのRAD6000プロセッサだそうで、いよいよ親近感がわく。民生品は広く使われているのでバグが十分とれており、独自開発するよりも信頼性が高いわけだ。
27日の麻原判決を前に、日本テレビが「緊急報道ドラマスペシャル オウムvs警察 史上最大の作戦」を放映した。假谷さん事件から地下鉄サリン事件、一斉捜査、麻原逮捕と時間順に追うが、ドラマの間に「実写」と断った実際の報道画像や関係者のインタビューをはさんでいる。
裁判中の事件なので、事実認定が争われている場面では「林郁夫証言による」というようにソースを明らかにし、番組の最後ではアナウンサーが特に問題になっている部分の弁護側・検察側の主張を紹介していた。
事件の経緯は活字でさんざん読んでいるが、警察側・オウム側双方の内部の動きを新証言をまじえて立体的に描いており、記憶をあらたにすることができた。ドラマとしての質ははじめから期待していないが、実録という点では見る価値があった。
有田芳生氏は「醒酔漫録」の24日の項で次のように評している。
日本テレビが放映した「オウムVS警察」を見る。よく出来ていた。ドラマのなかに何度も組み込まれた当時のニュース映像の迫力。それがなければまさに作り物に終わっていたはずだ。第6サティアン前で見張りに立つ信者が白のクルタ服を着ているシーンなど、事実誤認がいくつかあったことが惜しい。
クルタの色くらいしか「事実誤認」がないのなら、立派なものだ。
地下鉄サリン事件は、警察の一斉捜査を察知したオウム側が捜査を思いとどまらせるためにおこなったとされているが、事件直後、捜査一課長は捜査対象から最も危険な上九一色村施設をはずそうか、逡巡する場面が出てくる。結局、担当検事に叱咤されて、計画通り、一斉捜査に踏み切るのだが、突入部隊がもっていたカナリヤの籠はだてではなかったのである。
有田氏の「醒酔漫録」には2月5日あたりからオウム関係の記述が見えるが、読売新聞記者、三沢明彦氏の『捜査一課秘録』が紹介されている。全ページの6割がオウム関係だそうで、かなりおもしろそうである。
経済産業省産業技術環境局標準課情報電気標準化推進室はJIS X 0213の改正を発表した。
今回の改正は国語審議会が2000年12月8日に答申した表外漢字字体表とJIS規格票の例示字体のずれを解消するためにおこなわれたものだった。予定よりも一年以上遅れたが、それだけ調整が困難だったということだろう。
JIS規格票に掲出されているのはあくまで「例示字体」だから、まったく変更しないという選択肢もありえた。まったく変更しないか、JIS X 0208とJIS X 0213の両方を改正するのが筋なのだが、原案委員会内に呉越同舟的な動きがあり、JIS X 0208には手をつけず、JIS X 0213のみを改正することになったという。
ずれのある字は1022字あったが、最終的に168字の例示字体が変更され(右図)、10字が追加された。
JIS X 0213はシフトJISの符号表の空きにぎりぎりまで字を詰めこみ、外字の登録や将来的な拡張を困難にしてあったが、今回、追加せざるをえなくなったのは、「表外漢字字体表」の字体が別字としてISO 10646に登録されており、JISの側の例示字体を変更すると、ISO 10646との相互運用がさらに混乱することになるからである。問題の10字を下に示す。
問題はメーカーが対応するかだが、JIS X 0208が手つかずでJIS X 0213のみの改正であることからしても、対応する可能性は低いと思われる。要するに、何も変わらないだろう。
「Wikipedia」の総記事(全言語を合計)が50万件を突破した(ITmedia)。アクセス数はすでにBritanica.comを越えているという。
Wikipediaはフロリダ州の財団法人、Wikimedia Foundationが主宰する国際ボランティア百科事典で、現在、58言語の版があるが、記事数が一番多いのは英語版の21万件。日本語版は3位で3万3千件だが、意外にもカタルーニャ語版が5千件と健闘している(スペイン語版は1万5千件)。
Wikipediaは誰でも参加し、利用できる無償の百科事典だが、新しい記事を書いたり、既存の記事に加筆したり、訂正するにはユーザーIDを取得して、ログインすることが必要だ。ユーザーIDをとるのに必要なのは名前とメールアドレスだけで、名前は本名である必要はない。
偽名でもいいとなると、記述の信頼性と中立性が問題になるが、ITmediaによると、21万件の英語の記事のうち、中立性に問題があるとされているのは1%弱の2千件にすぎないという。
試しに「安部公房」を引いてみる。2004年2月26日時点の記述は以下の通りである。
安部 公房(あべ こうぼう、1924年3月7日 - 1993年1月22日)は、東京府北豊島郡(現東京都北区)生まれの小説家、SF作家、劇作家、演出家、脚本家、言語学者。本名は、あべ きみふさ(異説あり)。
幼少期を満州で過ごす。東京大学医学部卒。
肩書きが6もあるが、小説家とSF作家を分けるのはともかく、言語学者をくわえるのは不可解。晩年にクレオール問題に関心をもっていたと書けばいいことで、言語学者という肩書きは誤解をまねく。
この下に略歴と作品リストがつづくが、作品リストは事実上は単行本リストで、戯曲の項に「安部公房創作劇集」「安部公房戯曲全集」がはいっていたりする。本はすぐに絶版になるから、作品リストに統一すべきだ。
短いのでアラが出にくく、無難といえば無難である。一方、英語版の「Abe Kobo」は記述が充実している。
Abe Kobo (安部公房, March 7, 1924 - January 22, 1993) was a Japanese writer. He was born in Tokyo, grew up in Manchuria and graduated in 1948 with a medical degree from Tokyo Imperial University on the condition that he wouldn't practice. He published his first novel in 1948 and worked as an avant-garde novelist and playwright, but it wasn't until he published The Woman in the Dunes in 1960 that he won widespread international acclaim.
In the 1960s, he collaborated with Japanese director Hiroshi Teshigahara in adapting to film The Pitfall, The Woman in the Dunes, The Face of Another and The Ruined Map.
Abe's surreal and often nightmarish explorations of the individual in contemporary society earned him comparisons to Kafka and his influence extended well beyond Japan, particularly with the success of The Woman in the Dunes at the Cannes Film Festival.
日本語版は独自に書くより、これをそのまま訳した方がいいのではないか。日本人の名前を姓名の順にしている点も評価できるが、その一方、「Yukio Mishima」では名姓の順になっている。
名姓の順だけでなく、「Abe Kobo」のなめらかな文章と較べると、「Yukio Mishima」はひどく稚拙な日本人臭い英文で書かれており、内容も枝葉ばかりで要領をえない。おそらく、オバカな日本人が書いたのだろう。さわりを引いておく。
Mishima was the son of Azusa Hiraoka, deputy director of the Ministry of Fisheries in the Agriculture Ministry, and Shizue Hara. His early childhood was greatly influenced by his grandmother, Natsu. She separated Mishima from his family, and encouraged his interest in Kabuki theatre and in the idea of an elite past.
あくまで構築途上の百科事典であり、問題があれば誰でも訂正することができるというオープンな制度が記述の信頼性を担保している。そんなことでうまくいくのかと思わないでもないが、実際にうまくいっているわけで、Wikipediaは無視できない存在になっていくだろう。
麻原彰晃こと松本智智津夫に死刑判決がくだった(Mainichi INTERACTIVE)。
9年たち、危険性が薄れてきたということだろう、ここにきて、逮捕時や警察の内情に関する証言が表に出てくるようになった。浅間山荘事件の捜査関係者は数年前まで元過激派からの嫌がらせに悩まされつづけてきたというが、こんなに早く舞台裏の話があかされたということは、オウムの場合はそれほどでもないのだろう。
隠し部屋から出られるかと聞かれた麻原が「顔がでかくて出られません」と答えたというのには笑った。穴から引きずりだされた麻原は怯えていたとか、埃だらけのクルタでみすぼらしかったとか、いかにつまらない男だったかを強調する証言が多い。
実際、そうだったろうと思うが、だからといって、信者が信仰を捨てるとは考えにくい。
1994年頃のオウムは麻原をイエスになぞらえるようになった。イバラの冠を頭にのせ、十字架にかかる麻原の絵を表紙にした機関誌が発行された。
正統仏教を標榜する教団が十字架のイエスの意匠を借りるとは妙な話で、当時は終末論の表現と解釈されていたが、あれは案外、教祖逮捕と刑死を予感しての長期戦略だったのではないか。
キリスト教のユニークな点は、犯罪者として惨めに刑死した男を神としてあがめるところにある。戦国時代にキリスト教にはじめて接した日本人は、みな、そのことに驚いた。
キリスト教以前の神は超人的な能力をもった、超絶的な支配者だった。ところが、キリスト教は発想を逆転させ、無力でみじめに死んだ男を救世主とした。キリスト教が弾圧に強い理由はここにある。弾圧されればされるほど、受難のイエスに近づけることになり、信仰が深まるからだ。
麻原キリスト化のもう一つのポイントはなにも喋らないことである。喋らなければ、後世の神学者の解釈の幅が広がる。宗教としての生命が伸びるのだ。
麻原は十年もすれば死刑になるだろうが、それでオウムが終わることはなく、うっかりするとパウロのような男があらわれて、大々的に復活してしまうかもしれない。東京新聞に「ロシアに残るオウムの闇」という記事が出ているが、ロシアが復活オウムの揺籃地になる可能性は大きいだろう。
27日、歴史学者の網野善彦氏が亡くなった(Mainichi INTERACTIVE)。
網野氏がどんなに大きな仕事をしたかなどということは今さら書くまでもない。歴史教育はまだ網野史観をとりこむところまでいっていないらしいが、小説やアニメの世界では網野氏の著作群は重要なネタ元となっている。ここでは以前発表した「網野史観と歴史小説」という小文をリンクしておく。
網野氏は晩年に講談社『日本の歴史』(全26巻)と中央公論社『日本の中世』(全12巻)を監修するという大仕事をなしとげたが、一つ惜しいと思うのは西尾幹二氏との本格的な論争の前に逝ってしまったことだ。
『「日本」とは何か』は西尾氏の『国民の歴史』に対抗して書かれたといっていいと思うが、『国民の歴史』は中世の記述が薄かったので、正面からぶつかるところまではいかなかった。
「西尾幹二日録」の2月16日の項には、激烈な網野批判があり、これからがおもしろかったのだが。
TBSの「報道特集」の「北へ発信! 脱北女子アナ達のラジオ局」はおもしろかった。
脱北者の中には北朝鮮のマスコミ関係者や芸能関係者がいるが、彼らが集まって「自由北朝放送」というラジオ放送をはじめるというのだ。敬愛する将軍様の御誕生日である2月16日からネットラジオとして試験放送をはじめ、大元帥様の御誕生日にあたる4月15日から短波による本放送をおこなう。送信はアメリカのラジオ局が担当する。
北朝鮮のラジオはバリコンが固定されていて、国営放送以外聞けないのはご存知の通りである。一般の北朝鮮国民が聞けるのだろうかと心配になるが、実際は短波ラジオはかなり流入していて、外国の放送を聞いたことのある脱北者は多いのだ。
ただし、聞くことと納得することは別らしい。韓国政府の北向け放送は方言と放送文化が違う上に、プロパガンダ色が濃厚なため、北朝鮮の国民の心を動かすところまではいっていないという。
そこで脱北女子アナ、ノ・ユジンさん(仮名)の登場である。TVでおなじみの「敬愛する将軍様」という口調そのままに「自由、民主、統一」と大仰に朗唱していて、笑ってしまった。
ノ・ユジンさんは地方都市の芸術団の歌手だったが、芸術団の規定で二つの技術を身につけることになっており、アナウンス術の訓練も受けていた。訓練は国定の放送マニュアルにしたがっておこなわれ、「金日成」、「金正日」、「平壌」という語は尊厳と敬意をこめて、ゆっくり丁寧に発音しなければならないと指導されるそうである。
芸術団の日課も紹介された。朝7時に出勤し、8時半から発声練習、9時から6時まで訓練、その後に「総括」と称する反省会がおこなわれる。
脱北者の手記や証言にはよく「総括」が出てくる。すべての職場でおこなわれているらしいが、同僚を一人、毎日必ず批判しなければならないので、ネタに困り、でっち上げの批判をすることがすくなくないという。当然、同じ職場の人間どうし、疑心暗鬼になり、誰も信じられないという情況が生まれる。北朝鮮の体制がここまでもってきたのは「総括」のおかげだといっていい。
脱北者が自分の言葉で語る声が北朝鮮にとどいたら破壊力はすごいだろう。これはおもしろくなる。
追記: 金日成の誕生日にあたる4月20日、「自由北韓放送」は予定通り電波を発信しはじめた。「東京新聞」によると、同局のサイトには「ラジオを通じ、故郷(北朝鮮)の人たちに、あなたたちの人生は根底から間違っていると伝えたい」というメッセージが掲げられているという。健闘を祈りたい。(Apr21 2004)