エキゾチックな函館とその近郊の漁師町を舞台にした、二代にわたるメロドラマである。谷村志穂の原作はかなりおもしろかったが、映画は薄っぺらで単調だ。
原作では、母の薫(伊東美咲)の時代が1957年、娘の美輝(ミムラ)の時代が1977年に設定されていたが、映画では1987年と2003年に移されている。原作は美輝と左翼運動の闘士の恋愛に1/3のページをさいていたが、映画では娘の物語は母の物語を縁どる額縁程度に短縮されている。この部分は出来がよくなかったので、縮めたのは正解だと思うが、30年ずらした方はまずかった。満州の影が消え、義弟の広次は北洋漁船の船員から鉄工所の工員に変わり、漁村の生活と函館の生活の距離が縮まってしまった。
ヒロインの薫をただただ美しく描くというメロドラマの弱さを、原作は戦後史の厚みと、漁村の厳しい生活でカバーしていたが、映画には豊かになった後の日本しか出てこないので、安普請の骨組があらわになってしまった。
伊東美咲が売りの映画だが、CMほど美しくは撮れていないし、もう一つの売りになったと思われる南茅部の荒ぶる海もまったく出てこない。この映画の写真集も出ているが、期待しない方がよさそうだ。
下北沢の「劇」小劇場で、安部公房の「友達」(青年座)を見てきた。感想は「演劇ファイル」に書くが、今、下北沢では、創立50周年をむかえた青年座が「5劇場同時公演」をやっていて、街灯にはコバルトブルーのバナーがさがり、ちょっとしたお祭り騒ぎなのだ(11月25日から12月5日まで)。
どの公演もチケットは完売だそうで、「劇」小劇場でも、当日券組が狭い歩道に列を作っていた。前売を買っていたので、すぐにはいれたが、入れこみには時間がかかった。通路やかぶりつきだけではおさまりきらず、最後は二階の照明室にまで客をいれていた。多分、並んだ人はどうにかはいれたのではないかと思う。
客席は半分以上が若い女性で、安部公房ファンとおぼしいオヤジは小さくなっている。周りの会話が耳にはいってくるが、5つの公演すべてを見ようという人がかなりいるらしい。
斜め前に派手な着物で厚化粧の中年女性がすわった。「あ、李礼仙!」と思ったが、周りが無反応だったところを見ると、人違いだったのだろう。髪に斜めに挿した白い象牙の簪がいかにも李礼仙的だったが、李礼仙を気取った彼女のファンだったのかもしれない。
5劇場同時公演は、なかなか大きな役の回ってこない若手に、チャンスをあたえようという意味もあるのだろうと推測する。「友達」にも、はじめて大きな役をやったと思われる若手が何人か出ていたが、ベテランとの力の差が歴然としていた。役者は場数を踏んではじめて成長する部分があるから、こういう機会は必要なのだが、ベストメンバーの「友達」を見たかった気がする。
梁石日の原作を崔洋一が映画化した作品だが、これはすごい。今年の日本映画のベスト1にしてもいい。
最近は韓国ブームで、「微笑みの貴公子」に中年女性が群がっているが、ついこの間まで、韓国人といえば、この映画の主人公、金俊平のようなイメージだった。
映画は金俊平(ビートたけし)が済州島から船で大阪に向かう場面からはじまる。甲板には日本で一旗あげようという朝鮮人たちが鈴なりになり、彼方に大阪の工業地帯が姿をあらわすと、みな歓声を上げ、太鼓を打ち鳴らして日本到着を祝う。鄭大均『在日・強制連行の神話』に書かれているように、これが本当のところだったのだろう。
金俊平の生き方は凄まじい。戦時中、二人の子供のいる妻の英姫(鈴木京香)をほったらかして姿をくらましていたが、戦争が終わるとひょっこり帰ってきて、レイプ同然に英姫を犯す。「この男、凶暴につき」とはこの男のことで、ドメスティック・バイオレンスなどという生易しいものではない。仕事もパワフルで、長屋をぶち抜いて勝手に蒲鉾工場を作り、工場が軌道に乗りだすと、妻の住む長屋の向かいに戦争未亡人の清子(中村優子)を引っぱりこんで、高利貸しをはじめる。
原作(未読)は父と子の相克がテーマだそうだが、映画ではビートたけしの存在感が圧倒的で、長男は単なる語り手にとどまっている。これはこれでかまわない。
俊平は家族と工場の従業員に絶対の家父長として君臨するが、清子には優しく、彼女が脳腫瘍になると手術を受けさせ、頭を丸刈りにされた無残な姿でもどってくると、みずから盥で湯あみさせてやる。もっとも、そのすぐ後で、別の女(濱田マリ)を引っぱりこみ、清子の介護をさせながら、ぼこぼこ子供を産ませるのであるが。
この後も、ひどい話が次から次へとつづき、悲惨さにおいては、同じ移民ものの「アンジェラの灰」といい勝負だ。しかし、じめじめと暗い「アンジェラの灰」とは対照的に、からっとして、明るい。どうもこの放埒なまでの楽天性が朝鮮民族の美質らしいが、感情過多の韓国映画とはテイストがまったく違う。表現の抑制と含羞のたたずまいからいって、これはまぎれもなく日本映画の伝統の中でつくられた作品である。
晩年の俊平はいよいよ金に対する執着を強めるが、最後の最後になって、全財産を投げだして北朝鮮に「帰国」する。俊平は済州島出身であり、本当の祖国は韓国のはずだが、多くの半島出身者のように、「地上楽園」の方を「祖国」に選んだのだ。
だが、俊平は巨額の資産をまるごと寄付したにもかかわらず、「祖国」に裏切られる。山奥で極貧生活を余儀なくされ、帰国の3年後、誘拐同然に北朝鮮に同行した息子に看取られて息を引きとる。臨終の俊平の脳裏によみがえったのが、船から遠望した大阪の煙突群だったのは皮肉というほかない。
いささか気になるのは、俊平が寄付した財産だ。現金7千万円に自動製版機、印刷機、トラック各5台と、中規模の印刷工場が開けるだけの物財をもって「祖国」に錦を飾ったわけだが、11月30日から12月2日にかけて夕刊フジに連載された加藤昭氏の「衝撃拉致全貌」というレポートの第二回に、拉致事件首謀者に巨額の報酬が支払われたという証言が出てくるが、それがちょうど俊平が「帰国」した時期に重なっているのだ。
拉致の報酬は裏社会でかなり前からささやかれていて、地村夫妻の拉致では3000万円支払われたという話まであったという。元工作員は、加藤氏の取材にこう答えている。
「3000万円は初耳だが、田中実さんを拉致した韓龍大が『報酬として現金1000万円を万景峰号の船内で受け取った』のは工作員中までは有名な話だ」
25年前の1000万円は大変な金額だが、その出所は俊平のような成功した在日朝鮮人だったという。
「初めは(本国から)少し出たが、その後、『すべて現地調達せよ』という指令が出された。幸か不幸か、70年代の日本は総連系の商工人が多数存在し、中でもパチンコや不動産でボロもうけしている連中が山ほどいた。そうした商工人は『祖国のために寄付せよ』といわれれば、喜んで大金を差し出したし、朝銀も拉致工作の資金と知りつつ、巨額資金を流した」
朝銀が拉致に使われるのを承知の上で資金を流したという話が事実だとしたら、日本政府の朝銀支援はなんだったのか?
脱走罪などに問われ、禁固刑に服していたジェンキンス氏が昨日釈放され、今日、曽我ひとみさんと二人の娘さんとともに、佐渡にはいった。本当によかったと思う(Sankei Web、asahi.com)。
今にして思えば、曽我さん一家がこうして佐渡の土を踏むことができたのは、針の穴を通るより難しいことだった。
香港の英字紙やTIMEの記事によって、北朝鮮側は口ではジェンキンス氏の自由意志にまかせると言っておきながら、裏では間違った情報を植えつけ、脅迫し、家電製品や自家用車をちらつかせたりして、北朝鮮出国をはばんでいたことがあきらかになった。平壌の病院でおこなった会見も、案の定、北のヤラセだった。
もし、外務省が最初にお膳立てしたように、再会の地が北京だったら、曽我さんは間違いなく北朝鮮に連れもどされていただろうし、仮病でジャカルタ出発を早めなかったら、やはり連れもどされていた公算が高い。
もちろん、2002年秋の北のいう「一時帰国」時に、国民が応援して足止めしたことが決定的だった。あの時、北朝鮮にもどっていたら、蓮池さんも、地村さんも、曽我さんも、寺越さん方式で、家族が平壌詣でをしなければならなくなっていただろう。
あの時、筑紫哲也氏など、左翼言論人は五人を北に帰せの一点張りだったが、その理由の一つに、五人は平壌で恵まれた生活を送っているという北側の宣伝があげられていた。
TIMEの記事を読むとわかるが、北朝鮮の規準で恵まれていただけで、実際は悲惨な生活だった。監視下におかれているのはもちろんだが、物質的にも恵まれていたとは言いにくい。暖房はお粗末で、しょっちゅう停電し、冬は家の中でも五重に重ね着し、庭で野菜を作り、鶏を育てて飢えをしのいだ。ラジオでBBCやボイス・オブ・アメリカを聞いたり、密輸品の英語の小説を読むことはできたが、ビデオテープに興味をもつと、遠回しに脅された。
娘二人がスパイにされるのではないかという危惧については、蓮池透氏が自分の甥や姪についてはそのようなことはなかったと疑問を呈しているが、TIMEのインタビューを読むと、北朝鮮当局者はわざわざレバノンから配偶者となる女性を拉致してきて、脱走米兵と結婚させ、執拗に子作りを勧めている。子孫を残せと勧めるのは、北側にすれば、将軍様のありがたいお慈悲のつもりかもしれないが、北朝鮮の外の人間、特に欧米人にとっては、薄気味悪く感じるのは当然だし、ドレスノクら、他の脱走米兵の子供たちの利用のされ方も見ているはずである。日本人拉致被害者の子供と、欧米人の風貌をもった脱走米兵の子供では、扱いが違って当然ではないだろうか。
ジェンキンス氏の今回のインタビューがTIMEというメジャーな雑誌に載った影響は大きいと思う。アメリカの世論は金正日体制の延命を許さないだろう。
国会図書館が2006年度から、資料収集の範囲をネット著作物にも拡大し、Webページをロボットで収集保存していくことになった(NIKKEI NET)。いちいち承諾をもらっていたら大変なことになるので、承諾なしでネット著作物を保存できるよう、著作権法の改正もおこなわれるという。
これだけWebサイトが増え、ネット専門のライターも出てきているというのに、これまで収集していなかった方がおかしかったのだ。国会図書館がネット著作物の収集と保存に乗りだすことは、なにはともあれ、よろこびたいが、なぜ2006年度からなのか。その間にも、ページはどんどん消えていく。ネット著作物は紙媒体と違い、一度消えたら、完全に消滅してしまうのだ。2006年などと、まだるっこしいことを言っていていいのか。このままでは、ネット黎明期の歴史が一次資料でたどれなくなってしまう。
開始時期以外にも問題は多い。
たとえば、当面はjpドメイン限定で、他のファースト・ドメインに広げるかどうかは検討待ちだということ。comドメインや netドメイン、orgドメインで運営している日本語のサイトはすくなくないのに、検討してからというのはどういうことか。horagai.comはともかくとして、asahi.comあたりも対象外なのだろうか。
日本語のページかどうかは文字コードか、タグのlang属性で判別できる。jpドメイン限定などとケチなことはいわず、日本語で記述されているすべてのページを収集保存すべきだ。
また、収集期間を1〜3月に限定するというのも、理解に苦しむ。年に一回、3ヶ月かけて巡回するということらしいが、悪い冗談というほかはない。
archive.orgは民間の運営ながら、日本語のサイトも含めて、数ヶ月おきに収集・保存しているのである。archive.orgが現にやっていることが、なぜ日本の国会図書館にできないのか。データ・ストレージのコストはどんどん下がっているのだから、現在の条件で枠を決めないでほしい。
著作権法の改正については、サイト運営者側に保存を拒否する権利があたえられるようになるらしいが、それではネット文化の保存にならないのではないか。拒否されても、とりあえず保存しておき、ページの公開から百年間、閲覧を凍結するというような方式でなければ、ネット文化の重要な一面が失われるのではないか。
この問題については、今後もとりあげていきたい。
北朝鮮側が提出した横田めぐみさんの「遺骨」が贋物であり、4人の別人の骨であることが、DNA鑑定で確定した。また、2年前にはDNA鑑定ができなかった松木薫さんの「遺骨」も、4人の別人の骨を混ぜたものであることが判明した(Infoseek)。
DNA鑑定は科学捜査研究所で核DNAの鑑定を、帝京大でミトコンドリアDNAの鑑定をおこなったという(Mainichi INTERACTIVE)。核DNAは細胞中に一組しかないが、ミトコンドリアDNAは数百組存在する。ミトコンドリアDNAの方が残りやすいが、ミトコンドリアは卵子でしか伝わらないので(精子のミトコンドリアは分解されてしまう)、母子間の鑑定にしか使えない(ブライアン・サイクス『イブの七人の娘』参照)。もし、父親のDNAしかないなら、科捜研方式で鑑定しなければならないが、今回の場合、臍の緒から採取した、めぐみさん本人のDNAがあるので、ミトコンドリア方式で十分なのである。
ZAKZAKに「北の“うそ”暴いた決め手はミトコンドリア 高度な技術で「鑑定不能」を覆す」という解説記事が掲載された。(Dec14 2004)
夫と称する人物が、土葬して二年半後に掘りだし、自分で火葬したというヨタ話が出てきた時点で「遺骨」が贋物なのは明白だったが、科学的に確認された事実は重い。北朝鮮は松木薫さんの「遺骨」のDNA鑑定が不能だったので、今回もごまかせると思ったのだろう。最先端の科学は日進月歩なのに、北朝鮮のような国で暮らしていると、そんなこともわからなくなってしまうわけだ。
2日に開かれた衆議院拉致問題特別委員会で、民主党の西村真悟衆院議員議員は、曽我ひとみさんの拉致を手引きした日本人は今も佐渡の真野町に住んでおり、曽我さんはその人物を町で見かけたと知人にもらしていると発言したが、佐渡市長は、西村発言を否定する曽我さん直筆の声明を公開し、佐渡のイメージが悪くなると、西村発言を議事録から削除することをもとめた。3日になって西村氏は「行き違い」があったことを認め、削除に同意した(asahi.com、Sankei Web)。
曽我さんがジェンキンス氏とともに、一家で佐渡に帰ろうとしていたタイミングで、あのような発言をするのは軽率だったが、だからといって、西村発言を根も葉もない話と片づけることはできない。
今日発売の週刊新潮には「曽我ひとみさん拉致の「日本人協力者」と題する、ひどく生々しい記事が載っているが、西村氏は曽我さんの立場を考え、伝聞ということにして削除の応じたものの、実際は昨年11月末に、曽我さん本人に直接確認していたという。そもそも曽我さんの拉致に「現地請負業者
」が関与していたことは、北朝鮮側が認めていることである。久米裕さんと原敕晁さんのケースでは、拉致にかかわった在日朝鮮人――朝鮮学校の校長、在日商工団体理事長など、在日社会の大物――が警察によって特定されているのに、なぜ曽我さんのケースでは「現地請負業者
」があきらかになっていないのか。
記事によると、警察によって「現地請負業者
」の正体は、すでにつきとめられているという。
その人物は、40年近く前に佐渡にわたってきて、会社を起こした在日朝鮮人で、国籍を問わず面倒見がよく、人望があり、朝鮮総連支部を開設する際には幹部に就任している。曽我さんの父親は、当時から借金が多く、なにかとその創業者の世話になっていた。
拉致された日は、自宅にもどる途中、その創業者の会社に出入りする人物にずっと後をつけられ、気持ち悪く思っていたところに、いきなり背後から3人の男に襲われ、袋にいれられた。北朝鮮へ運ばれる船の中では、日本語を話せる女性から、その会社の名前を出されたうえで、「あなたの父親のことはよく知っている
」という意味のことを言われたという。
曽我さんが町で見かけたというのは、拉致直前に後をつけていた男で、それ以来、精神的ストレスは大変なものらしい。
これだけのことがあっても、拉致は政府レベルの問題になっているので、現地の警察は本格的な捜査に乗りだせない状況だというから、あきれる。
帰国直後の一昨年11月にも、曽我さんの実家の近くで、深夜、銃声とおぼしい「不審音」が発生し、警察が動いていたのだそうである。
帰国した5人の口が重い背景には、こうした有形無形の圧力があるのかもしれない。
ここで気になるのは、西村発言を予期していたかのように、RENKの李英和氏が、拉致は新米工作員の度胸試しのためにおこなわれたという新説を語りはじめたことである(わたしがこの話を知ったのは、12月4日朝の「ワッツ!?ニッポン」だったが、12月10日発売のSAPIOにも同趣旨の記事が掲載されている)。
李英和氏は1991年に、在日朝鮮人として、はじめて平壌に長期留学したが、監視員なしではじめて平壌の街を歩くことを許可された日、指導教授から日本人拉致被害者が平壌に住んでいることと、拉致が日本に確かに上陸したことを証明するためにおこなわれたことを明かされ、拉致被害者らしい人物を見かけても、決して目で追ったり、目を合わせてはいけないと注意を受けたという。
度胸試し説が事実なら、拉致はまったく行きあたりばったりにおこなわれたことになる。国内の協力者などは幻というわけだ。
横田めぐみさんは、曽我ひとみさんに、待ち伏せされて拉致されたと話していたことがあきらかとなった(Sankei Web)。
これまで、北朝鮮は日本政府に対し、13歳だった横田めぐみさんに、工作員の顔を見られたので、仕方なく連れてきたと説明してきた。しかし、拉致地点が海岸ではなく町中だったこと、拉致の前に不審者が女の子を物色していたことなどから、この説明にはかねてから疑問がもたれていた。これで、横田めぐみさんの拉致を準備した人間がいた可能性がいよいよ高くなった。(Dec14 2004)
李英和氏とRENKの活動は評価するし、敬意をはらうが、この話に関しては眉に唾をつけざるをえない。1991年に知っていたというのに、ずっと黙っていて、なぜ、この時期にあきらかにしたのか。
いわゆる「大町ルート」上の拉致の疑いの濃厚な多くの事件、とりわけ千葉県海上町のメロン栽培の名人の失踪事件など、拉致組織の存在をうかがわせる事例は枚挙にいとまがないし、西村発言と前後して夕刊フジに掲載された加藤昭氏の「衝撃拉致全貌」という連載(12月3日の項参照)では、すくなくとも200を越える工作班が組織され、千人から二千人が拉致に協力していたという恐るべき実態が語られている。
注目すべきは次の条だ。
「日本人拉致は当初、あまり対象者を調べずに行われたが、北に連れて行っても利用価値が低い人物も含まれていた。そこで途中から、工作班が中心となって対象者を数ヶ月にわたって徹底的に身辺調査するようになった。」
別の元工作員は、被害者の身辺調査と拉致の準備は日本国内の多数の補助工作員が、実際の拉致と輸送は北から潜入した謀略関係5機関の工作員が担当するという役割分担が決まっていたと語る。
李英和氏は金正日政権を批判していても、在日朝鮮人社会全体を敵に回しているわけではないだろう。RENKの活動も、在日朝鮮人の中の金正日政権に批判的な人々の支援を受けているものと思われる。
そうであれば、在日朝鮮人社会の存続を根本から揺るがしかねない問題については、火消しにまわったとしても不思議はないし、そのことで責めようとは思わない。もちろん、李英和氏が指導教授から聞かされたた話が、最初から事実ではなかったという可能性もあるが。
いずれにせよ、拉致協力者の存在は、触れれば火傷しかねない、おそろしく危険な問題なのだ。だが、最終的には、拉致協力者網の全貌をあきらかにしなければ、この国の将来に大変な禍根を残す。その意味で、拉致は拉致被害者だけの問題ではないのだ。
「たそがれ清兵衛」がすばらしかったので期待したが、気の抜けた二番煎じでしかない。
武士の時代の終わる幕末を舞台にしたこと、男所帯で風采のあがらぬ下級武士を主人公にしたこと、民家に立てこもった使い手の討っ手に抜擢され、悩みながら対決の場におもむくことと、パターンが同じなのだ。もっと違う原作を選べばよかったのに、あれでは好演した永瀬正敏が気の毒だ。
枝葉の部分ではすこしづつ変えているが、その変え方が小手先でこねくり回したという感じがする。正攻法で、ばっさり斬った前作にははるかに及ばない。
緒形拳に悪家老を演じさせたのはよかったが、狭間弥市郎(小澤征悦)の妻を高島礼子にしたのはミスキャストだった。夫を救うために悪家老に身をまかせ、裏切られるという重要な役なのだが、大年増の高島では哀れさは生まれない。ここは宮沢りえを使うべきだ。
第三作をつくるなら、もう幕末ものや上位討ちものはやめた方がいい。藤沢周平にはもっと別の作品もあるはずだ。
日本ラカン協会の第4回シンポジュウムを聴講してきた。「生成するセクシュアリティ」というテーマで、若森栄樹、原和之、保科正章の三氏が登壇したが、どの講演もおもしろかった。
若森栄樹氏はカフカの「掟のまえ」を題材に、フロイトのユーモア論を読み解いていったが、後半は柄谷行人氏の『』批判だった。
柄谷批判としては興味深かったが、ラカン理解の肝であるforclusion(排除、締めだし)の新解釈には戸惑った。フランス現代思想をやっている人にありがちの「アンチ」癖で、通説をひっくりかえしてみたかったのかなとも思ったが、あるいはレトリックではなく、forclusionをサルトルの「無」に近いものとして捉えているのかもしれない。ラカンの新解釈というより、若森氏独自の哲学といった方がいいだろう。
はたして質疑応答では、この点に質問が集中した。特に精神医学畑の先生方の追求が激しく、「forclusionを受けていない人(ラカン理論では分裂病者のこと)がよくそういうことをいう」と、罵倒に近い批判まで飛びだした。
つづく原和之氏の発表は、初期のセミネールを手がかりに、フロイトの幼児性欲論を再検討したもので、思い切り単純化すると、大他者=母親説といっていいだろうと思う。原氏には『ラカン 哲学空間のエクソダス』という野心的な本があるが、同書の他者論の背景がわかったような気がした。
最後の保科正章氏は精神科医で、今年、精神分析のクリニックを開業したばかりだという。そのまま雑誌に掲載できるような十分推敲された原稿を読みあげるフランス人の講演スタイルで、実に颯爽としている。
みずからラカニアンを名乗るだけに、内容は正統ラカン派そのもの、これぞ本場の味である。まだ著書はないようだが、この人の本はぜひ読んでみたい。
本当の精神分析は、社会適応を目指す自我心理学とも、癒しに向かう対象関係論とも異なるというのはよくわかるし、その線で突っ走ってほしいと期待するが、日本の患者はそれで満足するのだろうか。まだ開業したばかりということだが、何年かしたら、ぜひ、その点について聞きたいと思う。
クリス・ヴァン・オールズバーグの絵本を映画化した作品。童心を失いかけた少年が、ポーラー・エキスプレスの旅に招かれ、北極のサンタクロースの国に行くというメルヘンだが、リアルなタッチの絵柄だし、俳優の動きをモーション・キャプチャで抽出し、CGで再現するという、リアルさにこだわった作り方をしている。
女の子の切符が風に飛ばされ、紆余曲折の末に列車にもどってくるシーケンスなど、これみよがしに技術を誇示しているが、リアルさを目指そうとすればするほど、嘘臭くなっている。なんでもできるつもりが、なにもできないという結果に終わっている。
サンタクロースの大群にしても、正攻法で描くと、白けるだけだ。ティム・バートンの「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」の足元にもおよばない。
字幕版で見たが、トム・ハンクスの饒舌が耳障り。
「天空の城ラピュタ」の線をねらった娯楽作のつもりらしいが、ストーリーがぎくしゃくして、娯楽作になっていない。失速すれすれの低空非行がつづき、王室づき魔女が登場する場面でやっと調子が出てくるが、そのあと、また失速。ダイアナ・ウィン ジョーンズの原作がどうなっているのか知らないが、軍国主義批判に力をいれすぎて、支離滅裂になったような気がする。
キャラクターには魅力がないが、「動く城」はおもしろい。レヴィ=ストロース風にいえば、魔法は時計のような冷たい機械の世界に属するが、「動く城」は火の精のエネルギーで動く内燃機関=熱い機械なのだ。原作は未読だが、予定調和的な冷たい機械の世界が、「動く城」の動力によって揺るがされ、また元にもどるという構造をとっているのではないかと推測する。
原作を読まずに、あてずっぽうで書くが、宮崎駿は蒸気文明の戦争を導入したために、冷たい機械の世界にもどりきれなくしてしまったのではないか。
ここで思いだすのは、やはり「ラピュタ」の影響の濃厚な大友克洋監督の「スチーム・ボーイ」だ。超高圧蒸気を閉じこめた球体は内燃機関の極致のようでいて、実は最初に蓄積されたエネルギーだけで動くという点において、時計のゼンマイと変わるところがない。あの作品のそらぞらしさは、ゼンマイ仕掛けで動いている蒸気機関車の玩具のそらぞらしさだ。
「SFは絵だ
」という名文句があるが、まさにSF画でなりたっているのが,この作品だ。
冒頭の、エンパイアステートビルに繋留される飛行船の図にゾクゾクした。「天空の城ラピュタ」風の、もといフライシャー風の巨大ロボットが、隊列を組んで、ニューヨークの街路を行進する場面には総毛立った。
きわめつけは、プロペラで浮揚する空中空母の図である。しかも、その艦長がアイパッチをしたアンジェリーナ・ジョリーなのだ。
ヒーローは飛行帽で決めたジュード・ロウ。ヒロインのスーパーマンの恋人風の女流記者はグゥイネス・パルトロウ。こんなアホ映画、よく出てくれたと思うし、よく資金が集まったものだと思う。
惜しむらくは、ラストに空中空母を越える絵が用意されていなかったこと。ヒマラヤに舞台が移ってからは、竜頭蛇尾になってしまった。せっかくすごい絵でうならせたのだから、最後も決めてほしかった。
14日、Googleはスタンフォード大、ハーバード大、ミシガン大、オックスフォード大の各大学図書館とニューヨーク公立図書館の蔵書の一部を電子化し、ネット上で本文を検索できるようにすると発表した(Press Release、ITメディア、Wired)。
このプログラムは「Google to Digitally Scan Library Books」と呼ばれ、10月にはじまったGoogle Printが基礎となっているが、Google Printが在庫のある書籍に限られるのに対し、絶版となった書籍や紹介がないと閲覧できない稀覯書も対象としている。
検索で引っかかった書籍は画像として提供され、検索語はGoogleキャッシュのように、黄色で強調表示される(サンプル)。著作権の切れた本は全文が読めるが、著作権の有効な本の場合は、ページ全体を表示するモードと、複数ページにわたって検索語を含む段落を抽出表示するモードの二つがある。サンプルを見ればわかるように、オンライン書店へのリンクや、その本が借りられる図書館へのリンクもある。まさに、こんなサービスがあったらいいなと思っていたとおりのサービスだ。
ITメディアの記事の次の条は興味深い。
GoogleのSusan Wojcickiによると、同社自体がスタンフォード大学の図書館にあった蔵書をデジタル化するプロジェクトから誕生したという。そして、創業メンバーは検索可能な巨大図書インデックスの作成を以前から計画してきたが、今ようやく図書館と協力しながら大量の蔵書をスキャンしていくだけの技術とリソースが整ったと同氏は述べる。
Googleが登場した際、ストイックな扉ページが新鮮だったが、なるほど、凡百のIT企業と違って、創業者の志が高かったのだ。
大学図書館には日本語の書籍も多数架蔵されているはずだが、英語の書籍ですら、すべてが電子化されるわけではないらしいので、期待しない方がいいだろう。日本版の「Google to Digitally Scan Library Books」となると、何十年先になるやら。
国会図書館の「近代デジタルライブラリ」は、公開にこぎつけるまでに、著作権の確認に大変な手間がかかったそうだが、なにも全文をオンライン公開する必要はない。検索して、当該箇所の前後が出てくるだけでも、十分に役立つのだ。全部読む必要があるなら、所蔵している図書館を訪ねればいい。重要なのは、そういう箇所をふくむ書籍がこの世に存在しているという情報なのである。国会図書館は杓子定規の全文公開にこだわらず、利用者がなにを求めているかに敏感であってほしい。
最初は「午後の五時」のメイキングとして、サミラの妹で13歳になるハナが家庭用のビデオで撮影をはじめたものだったが、途中から独立したドキュメンタリーになった。映画の撮影のはじまる前のキャスティングの苦労が描かれている。はっきりいって、本篇の「午後の五時」よりもおもしろかった。
サミラとハナの姉妹は来日時、「徹子の部屋」に出演している。サミラはこの映画のとおりの、才走った、キツネ顔の美女だが、ハナは大人しく、素直そうな、たぬき顔の女の子で、姉と違い、緊張や警戒心を起こさせることはなさそうだ。
13歳の素直そうな女の子が家庭用ビデオで撮影しているだけなので、被写体は無防備に地の表情を見せる。宗教的戒律や部族の掟が色濃く残っている現在のアフガニスタンでは、ハナのキャラクターはすこぶる大きな意味をもつ。現在のアフガニスタンには職業俳優は存在せず、素人に出演交渉するしかないが、ほとんどの人が映画とわかると尻ごみし、出演を渋りだしたからだ。
「イン・ディス・ワールド」などを見ると、アフガン人は田舎者あつかいされているが、文明の十字路でもまれてきただけに、田舎者は田舎者でも、すれていて、曲者ぞろいらしい。このドキュメンタリーを見ると、特にその観を深くする。
最初に出てくる、父親役候補のオヤジ。馬車をあつかえることが出演の条件だが、なかなかうまくならないと思ったら、自分は
ヒロインのノクエ候補の女性は、映画出演にかなり乗り気になるが、途中から婚約者がどうのこうのとごねだす。言っていることがコロコロ変わるので、婚約者は口実だろう。
ノクエを演じることになるアゲレ・レザイも、契約までにはすったもんだがあった。彼女は三人の子持ちなので、一ヶ月半の間、朝から晩まで拘束されるのは無理だというのだ。アフガン女性にしてはインテリの彼女ですら、こうなのである。
最後に赤ん坊役の父親が登場する。彼は貧しい難民で、金がはいるなら息子を出演させたいと考えているが、赤ん坊が殺されるのではないかと心配してスタッフに何度も確かめる。確かに、映画には赤ん坊が死ぬシーンはあるが、この父親、すこしおかしいのではないか。
一ヶ所、「アフガン零年」のセディク・バルマク監督が現地コーディネーターのような役割で顔を出している。バルマク監督はサミラ組のクルーを借りて「アフガン零年」を撮っているので、「午後の五時」の製作を手伝っていたのだろう。
タリバン後のアフガニスタンを舞台にした女性映画。「りんご」のほのぼのとしたタッチは影をひそめ、洗練とスタイルへの意志が前面に出てきている。題名の「午後の五時」はロルカの詩から。
ヒロインのノクレは父と嫂のレイノマ、その子供の四人で、爆撃で破壊された廃屋で暮らしている。兄はずっとパキスタンに出稼にいき、不在。
タリバンがいなくなり、女性も学校に通えるようになったが、ノクレの父はタリバンの教えに影響された、敬虔なイスラム教徒なので、コーラン学校しか許さず、学校まで馬車で送り迎えしている。しかし、ノクレはコーラン学校の脇を抜けて、白いハイヒールに履きかえ、普通の女学校に通っている。
女学校は活気があり、アフガニスタンの大統領になりたいと公言する元気のいい同級生もいる。ノクレはカタコトの英語で外国人兵士に話しかけ、難民の青年と自転車の二人乗りをする。父の知らないところで、ノクエは彼女なりに青春を謳歌している。
だが、悲劇は密やかに訪れていた。兄がパキスタンで亡くなっていたのだ。父は訃報を自分一人の胸に秘め、深夜、廃墟の中をロバと歩きまわりながら、どうしたらいいのか、どうしたらいいのかと、ロバに語りかける。ノクエは父の言葉を聞いてしまう。
絶望した父は、息子の死を秘したまま、一家を連れてカンダハールに向かう。砂漠を横断中、孫が乳を飲まなくなり、夜間の冷えこみで体温が低下していく。父は唯一の財産である馬車を燃やし、その熱で孫をあたためる。翌朝、一家は再び旅をはじめる。ノクエはロルカの詩を呟きながら、砂漠を歩く。
悪条件の中で、これだけ美的に洗練された映画を撮ったのはすごいが、ヒロイン以外が芝居ができていない素人なので、ドラマとしての厚みが不足している。ちょっと惜しい。
ゴビ砂漠で羊を放牧するモンゴル人一家の話である。
駱駝の出産シーズンの最後に白い駱駝が産まれる。初産の上に難産だったので、母駱駝が子供の面倒をみるか危惧していたが、はたして乳を飲ますことさえ拒む始末。他の子駱駝はたっぷり乳をもらって立派に育っているのに、白い子駱駝は栄養不良ですぐにへたりこむ。角を哺乳瓶にして乳を飲ませるが、角ではうまく飲めない。物悲しい鳴き声が哀れだ。
そこで母駱駝の気持ちをなごませる儀式をやることになり、県庁のある町まで幼い兄弟二人が馬頭琴の名人を呼びにいく。それぞれ駱駝にまたがって、ちょっとした冒険旅行なのである。町が近くなると、砂漠に電柱の列があらわれたり、大きなパラボラアンテナで衛星TVを受信しているパオがあったりする。兄の方は落ち着いているが、弟には県庁の町で目にするものはすべて珍らしい。
馬頭琴の名人であるが、芸術学校で民族音楽を教えている先生なのである。翌日、バイク二人乗りで一家のパオにやってくるが、公務員がお呪いのようなことをやっているわけだ。
儀式ではまず一家の嫁がいい喉を披露し、馬頭琴が嫋々たる旋律をからめていく。馬頭琴は二胡の兄貴分のような楽器だが、二胡とちがってごつい。母駱駝の目に涙があふれだし、乳を吸いにきた子駱駝をうけいれて、めでたし、めでたし。
この映画、どのように撮ったのだろう。母駱駝の産道から、白い前肢と首が飛びだしている映像があったから、あの母駱駝の子供であることは間違いない。ドキュメンタリー的に撮ったにしても、きちんとカット割りしてある以上、あくまで劇映画だろう。不思議だ。
ドイツでドキュメンタリー映画の勉強をしたモンゴル人監督がドイツ人の仲間とともに撮っているそうで、技術的に洗練された作品である。音は5.1チャンネルを駆使し、後ろのスピーカーを効果的に使っている。DVDでも楽しめるはずである。
昨年の今頃、東京都写真美術館ホールで開かれた第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバルで見ているが、プロジェクタ上映だったために、画質がひどかった。その後、同じ東京都写真美術館ホールで一般公開されたり、UPLINKファクトリーで上映されたりしたが、いずれもプロジェクタ上映だったので見なかった。
今回、新文芸座でようやくフィルム版を見ることができた。映像美を売りにした作品ではないが、画質・音質とも段違いにいい。プロジェクタ上映は本当にひどかった。
一年たって見直して、映画として第一級であることを再確認した。アフガン戦争後の混乱の中で、これほど抑制した、凝縮度の高い作品を作りあげた監督に拍手を送りたい。
横田めぐみさんの「遺骨」が贋物だと証明されたことについて、各方面の反響が伝わってきた。
米下院外交委員会のハイド委員長(共和党)は、遺骨が贋物という報を聞き、「文明社会の理解を超えた残酷な行為
」と非難したという(Mainichi INTERACTIVE)。小泉首相の気の抜けた反応とは大違いだ。
統一日報によると、在日社会は拉致を認めた平壌宣言時に匹敵する衝撃を受けたそうである。
また在日社会にも再び大きな衝撃が走った。特に朝鮮総連では一般同胞だけでなく幹部からの不満が強く中央指導部もあわてている。
幹部たちは「1度ならず2度までも共和国がわれわれにショックを与えた。国はわれわれ在日同胞のことを考えてくれているのだろうか」(朝鮮大学校教員)。「前回の拉致謝罪もわれわれの頭越しで行われ、今回も蚊帳の外に置かれた。こんなやり方では同胞や日本国民との信頼回復は難しい。ため息が出る」(中央幹部)。「地域で必死の思いで立て直してきた日本の方々との信頼関係がまた崩れていく。同胞からは抗議されるし、やってられない」(支部幹部)などと憤懣をぶちまけていた。
一方、一般同胞の反応は「あのような詐欺的方法で物事が解決できると思っている金正日は本当に異常だ」(東京・足立区居住)などと憤りを通り越してあきれていた。
あきれるのは結構だが、在日朝鮮人は朝鮮総聯と北朝鮮にさんざん騙されてきたというのに、土葬した遺体を夫自身が二年後に掘りだして火葬したというヨタ話を信じていたのだろうか。
興味深いのは、これまで伏せられていた、めぐみさんに関する情報が表に出てくるようになったことだs。
まず、「淑姫」と呼ばれる女性工作員の日本人化教育に従事させられていたことを地村富貴枝さんが明らかにした。「淑姫」は金賢姫とともに訓練を受けた女性工作員で、高橋慶子という偽造パスポートで東南アジアを往来していた金淑姫とみられている。このあたりの話は、元工作員の証言とも合致するという(ZAKZAK)
北朝鮮側は、めぐみさんの拉致はたまたま工作員の顔を見られたからだと、偶然であることを強調していたが、曽我ひとみさんによると、空地で待ち伏せされて拉致されたとめぐみさんが語っていたという。また、脱北した元在日朝鮮人で、日本の国会で証言したことのある李昌成氏は、1995年10月ごろ、平壌の外貨ショップの前で、めぐみさんかもしれない女性から、日本に手紙を出すように頼まれたと語っている(手紙は李氏の知人が噴出したということで、めぐみさんだという確証はない)。
このあたりはまだ信憑性が高いが、中には奇怪な情報もある。
その一つが、「めぐみさん昨年極秘治療か、都内の精神科医が平壌へ 拘禁10年以上かなり不安定」というZAKZAKの記事。
同様の記事はFridayの先週号にも載っていたが、2003年7月に、オウムの精神鑑定を担当したこともある精神科医が、自民党某大物代議士とともに、韓国経由で北朝鮮にはいり、軟禁状態におかれているめぐみさんを診察したというもの。精神科医は、めぐみさんの不安定な精神状態は、北朝鮮の体制に対する異和感に原因があり、日本にもどれば治ると診断したという。
Fridayは精神科医の話だけだったが、ZAKZAKの記事では、公安当局が精神科に接触し、経歴や北との関係など、基礎的な調査を終えているとしている。
事実だとしたらとんでもない話であるが、どうやらガセらしい。有田芳生氏によると、めぐみさんを診察したというのは精神科医の「妄想」であり、それは精神科医の周辺を取材すればわかることだという(「酔醒漫録」の12月23日の項)。
もう一つは、やはりZAKZAKの「めぐみさん、平成9年に北が帰国打診していた 橋龍内閣、日本人妻と思い違い、頓挫 」という記事。奇怪なことは奇怪だが、妙にリアリティがある。
あらましはこうだ。1997年2月、橋本首相(当時)と親しい朝鮮総聯幹部(故人)が訪朝したところ、金正日の片腕といわれていた故金容淳書記から、次のような話を橋本首相に伝えてくれと頼まれた。
「1つのフィクションとして聞いてください。自らの意思で共和国に来た日本人の若い女性がいました。共和国の若い男性と結婚して子供もでき、幸せな結婚生活を送っていました」
「ところが、残念ながら夫婦関係が破綻(はたん)してしまいました。それ以来、彼女は毎日『日本に帰りたい、日本に帰りたい』といい、泣いて暮らしています。こういう女性ならば、いつでも帰します」
報告を受けた橋本首相とその周辺は「自らの意思で共和国に来た
」というので、帰国運動で北朝鮮にわたった日本人妻と早とちりし、黙殺してしまった。
ところが、最近になって、当時の関係者は、あれはめぐみさんのことではなかったかと、思いいたったという。
「当時、日本人拉致を認めていなかった北としては、めぐみさんをそのまま帰国させるわけには行かず、『1つのフィクション』とシグナルを送ることで、アンダーグラウンド(水面下)での帰国の可能性を示唆していたとみられる」
1997年といえば、拉致問題がようやくマスコミでとりあげられるようになった時期である。あのタイミングで、運動のシンボルになりつつあっためぐみさんを極秘裏に帰国させ、拉致問題の終息をはかるというシナリオは、北朝鮮にとって冒険だが、大きな利益があった。そして、もし、その通りになっていたら、拉致問題は中途半端に終息していたかもしれない。
もちろん、まだ確証はないけれども、この話が事実だとして、なぜ、1997年時点では帰国させてよいと考えていたのに、2002年の平壌宣言時点では「死亡」ということにしたのだろうか?
推測になるが、実力者といわれていた金容淳書記が三号庁舎内の権力闘争で失脚し、対日交渉の担当者が交代したためではないか。極秘に帰国させるなどというリスクをともなう案は、担当者に実力と胆力がないと進言できない。並の小役人なら、保身を考えて、自分にとって安全な案を選ぶはずだ。
北朝鮮は遺骨は贋物という日本の鑑定結果に対して、「極右勢力のシナリオ」と破れかぶれの反論をしているが、これも小役人の保身と考えると、説明がつく。日本の世論など眼中になく、金正日をいかに納得させるかに必死なのだろう。
金正日はスタンドプレーが好きなようだから、今回の事態をまねいた担当者を収容所送りにして、あっと驚く奇手をくりだしてこないとも限らない。しかし、中途半端な解決で手を打ってはならない。そもそも、北朝鮮などと国交を結ぶ必要はないのだから。
Dec08でふれたように、国会図書館は2006年度からWeb収集・保存事業をはじめるが、それに先立ち、インターネット資源選択的蓄積実験事業(Web Archiving Project)(略称WARP)の公開がはじまっている。
国会図書館のWebアーカイビングは納本制度の一環としておこなわれることになっており、WARPは納本制度審議会でWebアーカイビングを審議するための参考に供するという意味あいもあるらしい。
追記: WARPが「納本制度」の一環としておこなわれるというのは間違いだった。納本制度審議会が検討していたのは事実だったが、答申は「ネットワーク系電子出版物」は納本制度にはなじまないと結論していた。詳しくはFeb28 2005参照。(Feb28 2005)
WARPのページを御覧になればわかるように、現在、「電子雑誌コレクション」、「政府機関ウェブコレクション」、「協力機関ウェブコレクション」という三つの部門が公開されているが、「政府機関ウェブコレクション」と「協力機関ウェブコレクション」は単なるリンク集にすぎず、収集・保存をおこなっているのは「電子雑誌コレクション」だけである。
電子雑誌と聞くと、メールマガジンを連想する人が多いと思うが、「電子雑誌コレクション」が対象としている電子雑誌はWebとして公開されているコンテンツに限られている。事業の紹介から引く。
雑誌が電子化され、紙では刊行されなくなった場合、 国立国会図書館は収集・保存することができませんでした。 本事業では、ウェブ上の電子雑誌を技術的に可能な範囲で収集し、 国立国会図書館において蓄積・保存する実験を行います。 なお、ここでいう電子雑誌とは 「同一のタイトルのもとに、終期を予定せず、巻次・年月次等の表示を伴って、 継続的に発行される電子情報」 を指します。 紙媒体から電子媒体に切り替わった電子雑誌のみならず、 当初から電子媒体のみで創刊された電子雑誌にも対応いたします。
「巻次・年月次等の表示を伴って
」とあるように、紙の雑誌の発想で構成されているサイトに限定されている。収集されたサイトについては書誌情報(出版者、資源識別子(URLのこと)、日本10進分類法の分類、巻号、資源タイプ(雑誌、Web等))、収集年月日が掲示されている。収集年月日をクリックすると、その時点におけるサイトの内容を閲覧することができるが、画像が抜けているなど、このまま本番とはいくまい。
archive.orgの場合は個々のページ単位で収集しており、URLを入力すると、当該ページの過去のバージョンが出てくるが、国会図書館の場合はサイト単位で収集・保存されているので、あるページの過去の姿を知るためには、トップメニューからたどらなければならない。
[WARPの手続き]によると、収集する場合は、サイト管理者に書面で許諾を求めることになっている。「WARP における収集の仕組みについて」では、収集開始時間を指定することができるとあるけれども、収集は回線がすいている深夜にやればいいことであって、時間指定に意味があるとは思えない。
それよりもむしろ、ここは20年後に公開可、ここは100年後に公開可、ここは即公開可と、ページごとに、公開時期を指定できる仕組を作るべきだ。
そもそもWebアーカイビング事業で即公開する必要はない。重要なのは収集し、後世に保存しておくことであって、著作権処理の見地からいっても、公開は数十年後の方がいいと思うのだ。
まったく予備知識なしで見たが、傑作ではないか。こういう作品に出会えるのだから、二本立てはありがたい。
この映画はハービー・ピーカーという私小説マンガの原作を書いているオヤジの半生記である。
ハーピーのことは知らなかったが、「アメリカン・スプレンダー」というアンダーグラウンド作品を毎年上梓していて、カルト的な人気があるという。日本でいうとつげ義春にあたりに相当するだろうか。TVのトーク番組などにも出ているので、アメリカではかなり有名らしい。日本でも、この映画の公開を機に「アメリカン・スプレンダー」の日本版が出版されたという。
60代になったピーカー御大と、若い頃を演じる俳優のポール・ジアマッティ、本人をモデルにした実際のマンガのキャラクター、ジアマッティをモデルにしたアニメのキャラクターがいりみだれて登場するので面食らったが、私小説マンガの原作者を主人公にした映画だということさえわかれば、流れに乗っていける。
最初はうだつのあがらぬ中年オタクの愚痴かと思ったが、ジョイスというオタク仲間の伴侶をえて、ぎくしゃくした結婚生活をはじめるあたりから話に厚みが出てきて、癌の闘病生活をジョイスに支えられながら、マンガ化するくだりでは人生を感じた。アメリカにもこういうマンガがあったのである。
麻薬シンジケートを取材中、凶弾に倒れた、アイルランドの女性ジャーナリストを描いた実話もの。ヒロインのヴェロニカはケイト・ブランシェット。
麻薬にジャーナリストの殉職という重いテーマをあつかっているが、ジェリー・ブラッカイマー作品だけに、軽快なテンポで進んでいく。何重にも煙幕をはって隠れている本当のボスをやっとつきとめるが、シンジケート側の脅しもエスカレートしていく。自宅に銃弾を撃ちこむなどは序の口。クリスマスの夜には玄関で太ももを撃ち抜かれ、ボスに直撃インタビューを敢行すると、殴る蹴るの暴行を受け、夜中に息子をレイプすると脅迫電話をかけてくる。調査はあと一歩のところで決定的な証拠がつかめず、壁にぶつかるが、そこでヴェロニカはあっけなく殺されてしまう。
これで終りなのかと茫然としていると、彼女の死を契機に世論が沸騰し、不正に取得した財産の没収を可能にする憲法改正がおこなわれ、麻薬シンジケートは壊滅、めでたし、めでたしとなる。
ヴェロニカは真紅のスポーツカーを疾走させ、脅しをものともせず、火の玉のように麻薬シンジケートにぶつかっていくが、本当は傷つきやすい繊細な女性で、脅迫電話に縮みあがり、恐怖のあまり嘔吐してしまう。自分が怖がっているとは、絶対に他言しないでくれと夫に懇願する姿が痛ましい。
ヴェロニカ一人にスポットライトをあてた描き方で、ケイト・ブランシェットがかっこいい。彼女以外は簡略に描いているが、これは意図してやっているのだろう。
今年公開された映画のベスト10を選んでみた。
今年は日本映画が充実していたので、ベスト10にした。
見ごたえのある作品が多かったが、前評判の高い作品にハズレが目立った。『ハウルの動く城』、『スチームボーイ』、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』、『隠し剣 鬼の爪』、『半落ち』、『海猫』、『赤い月』、『g@me』、『華氏911』、『ブラザーフッド』等々、全部ゴミである。
28日、スーザン・ソンタグ女史がニューヨークで亡くなった。71歳だった(Sankei Web)。
18歳でシカゴ大を卒業し、ハーバード大で修士号を取得。1961年から2年間、構造主義勃興前夜のパリに留学し、帰国後、ロラン・バルト直伝の犀利な批評を次々と発表して注目を集め、その成果をまとめた『反解釈』はベストセラーとなった。
その後も『ラディカルな意志のスタイル』や『土星の徴しの下に』のような目の覚めるような評論集を刊行した。
若い頃は、ナタリー・ウッドそっくりの美貌を謳われたが、中年になって、癌におかされてからは、『隠喩としての病い』、『エイズとその隠喩』で、病者としての経験を省察した。善くも悪くも、1970年代ラディカリズムを体現しつづけた人だが、病いの後は人間的な懐が深くなったと思う。
Amazonで調べたところ、主要な本はだいたい入手可能なようである。この出版不況の時代に、彼女の本が継続して読まれていることはうれしい。どれか一冊ということなら、『反解釈』を読んでほしい。