昔、安東次男の『与謝蕪村』に感動し、蕪村関係の本を片端から読んだことがあるが、見落としていた。これは傑作である。
蕪村は蕉風傍流の俳人として長らく軽視されてきたが、正岡子規が写生の先駆者として持ちあげたことから、にわかに注目されるようになった。だが、子規の評価は「単なる写生にすぎない」という誤解を増幅させることにもなった。萩原は根岸派流の蕪村観に挑戦し、蕪村を新体詩の先駆者と呼び、その若々しいポエジイの実体を明らかにしようとする。
アフォリズムの達人だけあって、引用したくなるような章句がそこここに光っている。批評の醍醐味である。
読了して、ちょっと単純化しすぎているのではないかという思いが残らないではない。そう感じるのは安東次男の『与謝蕪村』の影響かもしれない。あの名著を読み直したくなった。
清岡卓行が編纂した岩波文庫オリジナルの作品集で、三部にわかれている。第一部には「猫町」など短編小説風の作品、第二部には散文詩とアフォリズム、第三部には「猫町」と重なるところの大きいエッセイをおさめている。いずれも後期の作で、末尾には後期の萩原を論じた長めの解説を付している。
一部で評判のよくない後期作品を再評価しようという心意気かもしれない。こういいう角度から切りとった萩原はなかなかに新鮮でもある。
しかし、『氷島』と較べると、わかりやすすぎるのではないかという気がする。
完結した長編としては林芙美子最後の作品で、世評が高いが、確かにこれは読みごたえがある。
大東亞戦争では日本人は皆ひどい目に遭ったことになっていて、特に外地では悲惨をきわめたというが、中にはいい目を見た人間もいたはずである。この作品の主人公のゆき子と富岡はいい目を見た口で、ゆき子は十人並みの容貌のタイピスト、富岡は農林省の技官という堅実というか、地味な人生を送っていたが、軍属として仏領インドシナに派遣され、フランス人の残した豪華な施設に暮らし、アバンチュールを楽しんだばかりに、戦後の混乱期に身をもちくずすことになる。
焼跡闇市時代のささくれた世相の中で、転落していく男女とその周辺の人間模様を容赦なく描ききっていて、実にこくがある。職人芸的な巧さももちろんあるが、ゆき子を衝きうごかすたまらない寂しさや肌恋しさ、虚無感が生々しく描かれていて、時代感覚が変調を来たす。傑作だという証明である。
富岡はどうしようもない男なのだが、そういう男の心情も理解できるように描かれている。ここまで書けるとは著者は男女関係で高い月謝を払ったのだろう。
ゆき子を高峰秀子が演じた成瀬巳喜男の映画が有名である。まだ見ていないが、十人並みの扁平な顔の女が外地でもてたという点がキモになっているのだから、高峰秀子では美人すぎるのではないか。永作博美主演で、ベトナム・ロケをちゃんとやってリメイクすれば、おもしろくなるような気がする。
ゴッシックの大聖堂を通して、千年にわたるヨーロッパ精神史をまるごと描きだそうという欲ばりな本である。わずか230ページの新書という制約を考えると無謀な試みというしかないが、条件つきながら、かなりの程度成功していると思う。
目のつけ所がよかったのである。カトリックの大伽藍の建立された場所が異教の聖地だったことはよく知られているが、異教の影響はゴッシクという様式の本質にもおよんでいた。ゴッシック聖堂の林立する柱と荘厳なドーム、薄暗い堂内と目も絢なステンドグラスは都市に再現された聖なる森だったし、そうした大聖堂が聖母マリアにささげられたのは(ノートルダムと呼ばれた聖堂はパリだけではない)、地母神信仰の余映のゆえだった。「ゴシック様式」とはゴート人の様式という意味だが、厳密な意味でのゴート人は関係しなかったものの、ゲルマンの森が生んだ様式であることは間違いない。
異教という背景をもつ以上、ギリシア・ローマとキリスト教の継承を表看板とするヨーロッパ文明の建前と相いれないことは言うまでもない。実際、ゴシックは古典主義時代と宗教改革時代に受難の季節をむかえる。伽藍は打ち捨てられ、略奪や狂信者の破壊の対象となる。
だが、18世紀にはいり、国民国家への胎動がはじまると、反古典主義、反キリスト教のシンボルとして、にわかに再評価されることになる。ゴシック・ロマンスは言うにおよばず、エッフェル塔までがゴッシク復活の一翼を担っていたのだ。
後半はかなり駆け足なのだが、ホッケの『迷宮としての世界』とユイスマンスの『大伽藍』が流行した1970年代半ばにに学生時代を送った人間としては実に楽しく読めた。懐かしかった、といった方がいいかもしれない(著者もわたしと同じ世代のようである)。
だが、ホッケやユイスマンスを知らない人には本書は説明不足で、論旨についていきにくいかもしれない。論理の飛躍と思う人もいるだろうが、そうではない。請けあうが、ゴシック関連の書籍を読んでから本書を読み直せば、著者がまっとうなことを書いているとわかると思う。
久しぶりにジジェクの本を最後まで読んだ。ヒッチコックやSFを使ってラカンを説明しようという趣向はおもしろいのだが、ワンパターンのところがあって、途中で論旨がわかってしまうのだ。翻訳の日本語のせいかもしれないが、最後まで読ませるほど魅力的な文章ではない(原文は知らないが)。
今回、最後まで読んだのは付録として最後に付された論考がおもしろかったからだ。映画の濡れ場論、シューマン論、カントの道徳論の三篇だが、本論よりはるかにおもしろい(特にシューマン論は秀逸である)。ジジェクはこのくらいの長さの論文が一番うまいと思う。
いろいろややこしいことを書いているが、要は鷗外の「かのやうに」の論と同じで、全能の指導者がいないからこそ、全能の指導者がいるようにふるまうしかない政治的人間の悲しい習性をついている。
わたしは政治的人間ではないので、バーカと言うしかないのだが、中心を消して、末梢的な襞の連続だけで展開していくシューマンの音楽には未来の思想のイメージが潜んでいるのかもしれない。
『鉛筆代わりのパソコン術』の続篇で、今回もライセンス付きのQXエディタが付録のCD-ROMにはいっている。
QXのレジスト料は3000円だから、ライセンス分だけでもお買い得なのだが、本書はQXを高級エディタの代表として位置づけ、他に初級エディタとしてNotepad Plus、中級エディタとしてMKEditorを取りあげ、CD-ROMに収録している(どちらも無料ソフト)。
それだけではない。QXのヘビーユーザーたちはマクロや使い方のヒントを自分のWWWページで公開しているが、それがCD-ROMにまるごと収録されているのだ(本書のために作られ、このCD-ROMでしか読めないページもかなりある)。これ一冊でQXの全貌がわかるようになっており、繰り返しになるが、電話料金と手間を考えると、本書はお買い得である。
さて、Wordに代表されるワープロよりもエディタを使おうという著者の主張にわたしは基本的に賛成なのだが、エディタの優位性として、データが普遍性のあるテキストファイルとして残せる点を上げていることについては異論がある。前著の時点だったら、著者の言うとおりだったが、現在は前提条件が一変しているからだ。
XMLというか、もっと広く、マークアップ言語のためである。
ワープロに限らず、文字の大きさ指定とか書体指定、位置指定といった文字の属性は、従来、制御文字によって指定されてきた。制御文字のはいったデータは独自形式のバイナリ・ファイルになり、そのデータを作成したソフトでしか開けない(同じソフトでも、バージョンが違うと開けなかったり、開けても表示がおかしくなることがある)。独自形式ファイルはテキスト・ファイルのような普遍性がないのだ。
だが、HTMLの普及がこの状況を変えた。HTMLは制御文字の代わりにタグを使って属性を指定する。大きな文字にするなら<BIG>と</BIG>ではさむというように、タグはすべて通常の文字である。つまり、HTMLデータはテキスト・ファイルである。HTMLのもとになったSGML、SGMLを発展させたXMLなどでも同様である。Office2000は全面的にマークアップ文書に対応したし、一太郎ARKもその方向に進んでいる。バイナリの独自ファイル形式ではなく、マークアップ・テキストでデータを共有化していこうとしているのである(詳しくは拙著『電脳社会の日本語』の「マークアップ文書は紙を越える」を参照)。
QXは文字の大きさを指定したり、ルビをつけたりといったワープロ並みの表現力をもっているが、その指定は制御文字ではなく、独自のタグでおこなっている。
Word2000のタグは独自の部分が多いとはいえ、HTMLを拡張した形態をとっているので、Netscapeで読みこんでもある程度はレイアウトが再現できる。一方、QXのタグは{と}を基本としており、SGML-HTML-XMLの流れからはずれているので、将来的に不安である。自分の文章を確実に残そうと思うなら、QXよりもWord2000を使った方が有利という状況が生まれているのである。
QXも独自タグをやめて、SGML-HTML-XMLの流れに棹さす時期に来ているのではあるまいか。
追記: 紹介した本は古くなってしまったが、鐸木能光氏は2005年に『そんなパソコンファイルでは仕事ができない!』と『パソコンで文章がうまくなる!』を上梓している。
学生を叱咤するとともに、年寄りを激励する本である。脳の機能は特定の期間に刺激を受けないと発達しないとする「感受性期」説で若者を脅し、アインシュタインの脳を例に年配者にドスを効かす。脳科学を使った二正面作戦である。
理系・文系の分断が、日本では大学の教養過程の崩壊のためにいっそう深刻な事態になっているとし、後半は文系学生のための現代科学入門を目指している。
著者の学生時代の話とか、内側から見た東大仏文とか飽きさせない。特に目を引いたのはヴァレリーをあつかった第四回である。立花が「カイエ」を手がかりに解説しているように、ヴァレリーはコギトを否定的にとらえている。しかし、小林秀雄はそれを表現の上だけの逆説と受けとってしまった。
小林秀雄はヴァレリーの構造主義的な突きつめた認識を単なる逆説と勘違いしている場面が多々ある。芥川龍之介の悪影響だと思うが、大正から昭和にかけての物書きには鬼面人を驚かすような逆説を弄することで何事かを語ったような錯覚が蔓延していたのである。
山本七平の最後の本である。「禁忌」というとものものしいが、実際は聖書学の啓蒙書で、平明で含蓄豊かな語り口はさすがである。
著者は聖書の世界を現代人に引きよせるために、二本の補助線を用意している。具体的にはアレキサンドリアでギリシア語に訳された「七十人訳」と、ヘレニズム知識人のためにヨセフスが書いた『ユダヤ古代誌』で、欧米文化を通してわれわれが接する聖書のイメージはこの二つのギリシア語の著作に由来しているのだという。ヘレニズム化した聖書を通俗的なものとか、不純なものとして排除する行き方もあるだろうが、著者はヘレニズム的な変形に丁寧につきあって、オリジナルのヘブライズムの世界と、そこから出てきた原始キリスト教の世界を浮彫にしている。
『ヨブ記』はギリシア悲劇の影響で、『雅歌』は遊牧民の祝婚歌がもとになって生まれたという見方が有力だそうで、著者は戯曲風に訳した『ヨブ記』と『雅歌』を披露しているが、どちらもみごとな日本語になっており、作品としての新たな魅力を引き出している。近代小説として再構成した「ヨセフ物語」もおもしろい。ヘレニズム時代にヨセフスがやったことを、著者は現代においてやろうとしたのかもしれない。
キリスト者だった人にこういうことを言っていいのかどうかわからないが、山本七平はいい意味で「俗」な人だったと思う。脇が甘かったにせよ、ヲタク学者の「贋ユダヤ人」という批判は著者の語り口と人間的幅の広さの前には意味をなさない。
樋口一葉の伝記だが、思いがけない説を柱としている。明治27年のはじめ、一葉はおかしな行動をとりはじめる。下谷竜泉寺町の荒物と駄菓子をあつかう店をたたんで本郷に移ったかと思うと、一面識もない占い師のところに女相場師になりたいと相談に行き、逆に妾にならないかともちかけられると断っている。この直後から「奇跡の期間」がはじまり、結核で倒れるまでの十四ヶ月間に文学史上に残る傑作を次々と書きあげているのである。
著者によると、この変転の陰には従兄の「業病」があった。
「業病」とはハンセン氏病のことである。ハンセン氏病は当時は遺伝病と考えられていたから、一葉一家は絶望状態に陥るが、女家長である彼女は絶望を突き抜け、「世のなかのあらゆることが、何ほどのことやあらん
」と思える「自由の境地
」にいたったというのだ。
彼女が斎藤緑雨を信頼し、没後の全集編纂をまかせたのも、彼だけが彼女の作品の暗さを見抜き、「『にごりえ』以後の作品は、みな、<泣きての後の冷笑>といふ結論
」に到達していたからだとする。
この説が一葉研究史の上でどういう位置を占めるのか、不勉強にして知らないが、一葉の明治27年の転機をかなりよく説明していることは間違いない。もちろん、一葉の作品がこれですべて解けたと考えるのは早計であるが。
樋口一葉はようやく名前の売れだした明治29年5月に、他人名義で『通俗書簡文』という手紙の文例集を出版している。担当編集者が無名時代の泉鏡花だったということもあって、題名だけは有名であるが、ゴーストライターとして書いた実用書ということもあり、読んだ人はあまりいないのではないか。
他人名義とはいえ、一葉にとっては生前刊行できた唯一の単行本で、経済的にありがたかったらしいが(二葉亭四迷も、エスぺラント語の教本が生前一番売れた本だったという)、上梓後半年で不帰の人となったことを考えると、才能の無駄遣いのような気がしてならなかった。奇跡の14ヶ月間のうちの3ヶ月くらいはこの本に費やしていたはずで、もし、この本がなければ「たけくらべ」くらいの長さの小説が一本か二本書けたかもしれないのである。
本書は一葉全集の場所ふさぎの感のある『通俗書簡文』を現代の読者向けに紹介した本である。まず一葉の書いた文例を掲げ、それに解説と感想をくわえて、現代ではわかりにくくなった時代背景や当時の風俗を説明する。
書簡文とはいっても郵便で送った手紙はすくなく、ほとんどは進物につけたりして使いの者に届けさせた挨拶である。この本を書いていた頃の一葉は貧民街を転々としていて、こういう書簡を書けるような生活はしていなかったはずだが、萩の舎という上流の令嬢が集まる歌塾で代稽古をまかされていたから、上流夫人の生活はよく知っていたのである。
才能の無駄遣いかどうかはともかくとして、これはこれで立派に一葉の作品になっていると思った。編者は短編小説のような趣向と評しているが、まったくその通りで、一葉はかなり楽しんで書いていたような気がする。
用件本位の殺気立った電子メールが常態となった今日ではまったく実用性はないだけに、こういう典雅な文例集が「実用書」として通用していた時代があったことに感慨をおぼえる。
関川夏央は『秋の舞姫』をはじめとする、明治の作家の評伝漫画の原作を書いているが、本書はその活字による集大成とでも呼ぶべき本で、二葉亭四迷を中心に明治の作家群像を描いている。
伊藤整などの先行研究によりかかっている部分が多いが、尾崎紅葉でも、國木田獨步でも、島崎藤村でもなく、まして鷗外・漱石でもなく、二葉亭を中心にすえた点は著者の創見と言っていい。
本書は二葉亭のロシア行のための送別会の場面からはじまる。この会にはそのまま文学全集が出来そうな錚々たる面々が出席しているが、二葉亭と面識があったのは坪内逍遥など数人に限られ、大部分の作家は初対面だったという。
二葉亭は近代小説の文体の創始者として誰もが一目置いていたが、硯友社はもちろん、自然主義派や文學界派、スバル派ともまったく交際がなかったのだ。文学サークルの外にいたが、誰もが気にしていた二葉亭を座標軸にすることで、本書は文壇の形成期を総体として描くことに成功しているのである。
もう一つ、矛盾の塊というしかない二葉亭の人物のおもしろさがある。文章の一字一句が気になってしょうがないというあたり、彼はまぎれもなく文学者なのだが、文学を男子一生の仕事とは考えず、貧民救済の事業を起こそうとしたり、大陸浪人になって国策に奔走しようとしたり、エスぺラント語を広めようとしたり、実業家になろうとしたり、右往左往する。実業の才も政治家の才もなかったが、教師の才と事務屋の才はかなりあり、それなりの成果を上げるが、どうにも腰が落ちつかず、せっかく得たポストを簡単に投げ捨ててしまう。最後は文学の才を買われて、朝日新聞にひろわれるのだが、本人は小説を書かせられるのが嫌でしょうがなかったのでだ。
二葉亭は不本意にも日本の近代文学の礎石をすえてしまったわけで、神様は随分いたずらをするものだと思った。
明治20年から22年にかけて三回にわけて発表された日本最初の近代小説で、第三篇で中断している。
文庫で200頁ほどの作品だが、第一篇、第二篇、第三篇と文体が変わっている。第一篇は文飾の多い戯作調で、主人公を戯画化して滑稽小説のようだが、第二篇では締まってきて、第三篇ともなると完全に近代小説の文体になる。心理分析が深くなり、人物像に厚みが出てきている。この三年間の試行錯誤の中から、近代日本語散文が誕生した。
主人公の文三は静岡に移った旧幕臣の息子で、父の没後、東京の叔父の家にやっかいになるが、幸い給費生になり、卒業後は下っ端とはいえ役所に就職している。生活が安定してきたので静岡から母親を引きとり、従妹のお勢と所帯をもつ方向で動いていたが、役所で人員整理があり、失業してしまう。
叔母は手のひらをかえしたように邪険にあたるようになり、お勢との仲を裂こうとしだす。お勢も文三の同僚で世渡りのうまい本田になびくようになる。文三は一人悶々と悩み、癇癪をおこし事態は悪い方へ、悪い方へと動いていく。
この時連発される語が「不条理」である。「不条理」は実存主義の専売特許鵜のようだったが、もともとは「形而上」同様、朱子学用語だった。朱子学がすたれた後、実存主義で復活するまでの間に、二葉亭が「不条理」を使っていたとは意外だった。
文三は二葉亭の分身のように言われているが、現実の二葉亭は国事に奔走する幕末の志士にあこがれていて、仕事に飽きてくると自分から辞職し、ばたばた動きまわっては新しい仕事につくというパターンをくりかえした。文三よりはるかに行動的な人間だったのである。
文三のように何も行動せず、頭の中で悲憤慷慨するだけの人物像はロシア文学の影響だろうが、以後、近代日本小説の主人公の典型となった。二葉亭がロシア文学ではなく英文学かフランス文学を学んでいたら、日本の小説の歴史は変わっていたのかもしれない。
分類からいえば「戦記」だが、もうちょっと懐の深い本である。ハルハ河をはさんだ日露両軍の戦闘を追いながら、関東軍と東京の大本営の応酬を織りまぜ、さらにスターリンとヒトラーの息詰まる駆引を描いている。著者は国境をめぐる局地戦を世界的な展望のもとに置きなおそうとしているのだ。
この試みは成功していて、「政治の延長」としての戦争の一つの典型に立ち会うことになる。傑作、といっていいと思う。
ノモンハンといえば、今日のキャリア官僚にあたる高級参謀が空想的な作戦をたてて損害を大きくしたあげく、敗北の責任をノンキャリアの現場指揮官に押しつけた醜聞が有名である。本書にも辻政信をはじめとする参謀の恥知らずな行状が描かれているが、世界的な視野で見ると、辻政信程度は小悪党にすぎず、スターリンやヒトラーのような大悪党の足元にもおよばない小者にすぎなかったことがわかる。
こういう小悪党が徒党を組み、互いにかばいあって既得権を守っていたのは旧軍だけではない。60年前の国境紛争で欠陥の明らかになった官僚機構は1945年の敗戦をやりすごし、今日にまで生きのびている。なんともうんざりしてくる。
日本の降伏のちょうど一週間前にあたる1945年8月9日、ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して日本に宣戦し、満洲に三方面から侵入した。ソ連軍の怒濤の進撃の前に関東軍はなすすべもなく、丸裸で取り残された開拓団に対してソ連軍の略奪、暴行があいつぎ、避難民の集団自決が各所でおこった。
1945年夏の満洲の悲劇はいろいろな人がとりあげてきたが、著者は『ノモンハンの夏』で成果をあげた戦記と国際政治を組みあわせて立体的に俯瞰する手法で描きだそうとしている。ただし、『ノモンハンの夏』ほどうまくはいっていない。
ノモンハンが局地戦だったのに対し、ソ連軍の満洲侵攻は主な前線でも三つある国家規模の電撃戦で、この長さに収まりきらないということもあるが、この頃にはヒトラーもチャーチルも退場し、スターリンの独り舞台になっていて、駆引といえるほどの駆引がなかったこともあるだろう。
意外だったのは、ノモンハンの敗戦の衝撃によって、日本の指導層にソ連迎合論が蔓延したという指摘である。軍国主義=国家社会主義にソ連と共通点があるのはわかっていたが、さらにソ連に対する恐怖があったと考えると、日ソ不可侵条約や戦争末期のソ連期待論がよくわかる。
関東軍首脳の無能ぶりと自分の家族だけを救おうとした破廉恥ぶりは類書に書かれているとおりだが、本書では関東軍にもソ連軍侵攻を予測して中央に情報を上げた部隊や、絶望的な状況で一歩も引かず進撃を遅らせた部隊があったことを記録している。
昭和史を動かしたキーマンを半藤一利、利根川裕、檜山良昭、保坂正康ら、七人の評論家・小説家が語った論集で、意外におもしろかった。
キーマンに焦点をあてた本でありながら、個人の力よりも、個人をとりまく集団に目を注いだ論考が多い。これは歴史を見る上で重要な視点であって、特に日本の近代史は集団の病理に注目しなければなにもわからない。
梅津が去り、東条が去ると、今度は武藤が出てくる。幹部の首をすげかえれば、それで陸軍が政府に屈するという単純なことではない。陸軍将校団の総意として、梅津や東条や武藤が押しあげられてくるのです。この将校団の総意に反するようなことがあれば、石原莞爾のように、急速に人気を失って、中央からはずれていくのです。
石原莞爾が活躍する架空戦記がいろいろ書かれているようだが、そんな単純な話ではなかったのである。
そうした中で、松岡洋佑の異彩ぶりは際だつが、彼はアメリカに留学したとはいえ、オレゴン大学という地方大学の出身で、そのことが彼の「個性」を決定したという見方は説得力がある。
ただし、すべてがおもしろいわけではない。2篇、ゴミがあったが、7篇中、5篇はおもしろいわけで、率は高い。
王朝文化を尊重してきた伝統的和歌を真っ向から否定し、新しい時代の新しい価値観を説いたマニフェスト、「歌よみに与ふる書」を中心に、子規の歌論をまとめた本である。
「歌よみに与ふる書」は書簡体の体裁をとり、1898年2月12日から同3月4日まで、子規自身が禄をはんでいた陸羯南の新聞『日本』に十回連載したもので、返書という形で読者からの反響に答えている。
丸谷才一が指摘したように、「歌よみに与ふる書」は和歌の革新にとどまらず、日本近代文学の基本的性格(伝統否定と写実の重視)を決定したわけだが、実物を読んでみて、国学者流の和歌の否定から、伝統尊重という文学的態度そのものの変更へ論を飛躍させる手際に舌を巻いた。子規という人はアジテーターとして一流である。
万葉集と実朝を持ち上げることで、伝統尊重という敵の武器を奪いとるあたりも、みごととしか言いようがない。これでは伝統派はもう逃げ場がないではないか。
みごとではあるが、こういう派手な論争は百年に一度しかできないのではないか、という気がした。
子規は1896年以降、腰椎カリエスで寝たきりの生活にはいるが、原稿を執筆し、『日本』の俳句欄の選者をつとめ、根岸短歌会・俳句会を主宰するなど、重篤の病人にしては活発に文学活動をつづけていた。だが、1900年には病状の悪化で短歌会・俳句会が開けなくなり、翌々年には死をむかえることになる。
本書は1901年1月から7月にかけて『日本』に連載された随筆をまとめたもので、この後、『仰臥漫録』、『病牀六尺』と死の二日前まで執筆をつづけることになる。病状によるものか、長さは不揃いで、出来不出来もあるのだが、最後まで憎まれ口をたたくあたり、さすがである。
『明星』十一号の発行の遅れたのを廃刊になったと伝えた人があり、途中で訂正しているが、いよいよ届くと、「相変わらず勿体なきほどの善き紙を用ゐたり」と紙質をもちあげた後、落合直文の和歌をねちねちと批評する。このあたり、結社をやった人ならではなのだろう。
おりから流行していた漢字廃止論についての言及もある。漢字廃止には与しないもののの、「しゃ」「しゅ」のような拗音を一文字であらわせるような新しい仮名を作るべきだと主張している。ただの思いつきだろう。この随筆にはただの思いつきが多い。
金魚鉢の金魚がいっぺんに死んでしまったとか、死にかけの動物を安楽死させる兎の夢とか、蚊に悩まされる話とか、珠玉のような文章もすくなくない。おりにふれて読みかえしたい本である。
子規が野球好きだった話は有名だが、この本は一冊まるまる子規と野球のかかわりを書いた本である。著者は子規も籍をおいた東大野球部で監督をつとめたことがあるよし。
子規はサウスポーの名ピッチャーで、カーブを投げた最初期の一人だったとか、「子規」の前に「野球」を号にしていたとか(中馬庚が「野球」という訳語を発案する前だそうである)、高浜虚子や河東碧梧桐との出会いが野球だったとか、知られざるエピソードがいろいろ出てくるし、子規や弟子たちが書いた野球関連の文章をまるまる引用している。写真も豊富である。
長年、こつこつ集めた資料を集大成した労は多としたいが、通して読む本としてはまとまりが悪い。初期野球史の中に子規を立たせるには作家的な想像力が必要なのだろう。
この世界では超有名なサイトの内容を活字にした本である。サイトの存在は以前から知ってはいたが、膨大な量のテキストがあるので、読むのを尻込みしていた(このところ、寄る年波で、目の疲れがひどいのだ)。今回、必要があって読んだのだが、半端でなくおもしろかった。
現役風俗嬢(ずっとやめていたが、最近、またはじめたらしい)の菜摘さんが、親元を離れるために、女流エロ漫画家の内弟子になるところから、波乱万丈の「性的冒険」がはじまる。キャバクラを振りだしに、ヘルス、ピンサロ、ヘルス、ソープ、イメクラ……と遍歴を重ねる。風俗トライアスロンにして、平成のピカレスク・ロマンである。
ライターの聞書ではなく、菜摘さん御本人が書いているので、切口がいちいち新鮮である。文章の生きもいい。永沢光雄の『AV女優』と同じような意味で、後世に残る本かもしれない。
追記:菜摘ひかるさんは2002年11月4日、29才の若さで亡くなられた。natsu.netは今のところ、友人の手で維持されているようである。合掌。(2003年5月15日)
こちらも有名なサイト(すでに閉鎖されている)から生まれた本である。副題に「現役風俗嬢舞子のウサ晴らし」とあって、ソープ嬢の著者が日々蓄積してきた鬱憤をパソコンに向かって吐きだしているのだが、自分自身を客観化できているので、単なる愚痴で終わらず、自立したエッセイとなっている。
同趣向のサイトは多いが、舞子さんの筆は際立っている。本になるのは当然のことだ。
菜摘さんは表現者として真面目な人だと思うが、舞子さんは生活者として真面目な人らしい。仕事として接しているだけなのに、恋愛感情を求めてくる客や読者が絶えず、サイト閉鎖もそれが原因になっているらしいが、彼女の真面目さが勘違い男を引きつけてしまうのかもしれない(オヤジは保守的なのである)。
これだけ筆の立つ人が、一冊で終わってしまうのはもったいない。
この人もインターネットの有名人で、本書の出版を機に、オフの世界でも一気にメジャーになった。やはり必要があって手にとったのだが、スパイスが効いていて、最後まで一気に読ませる力をもっている。刺激的な題材をあれもこれも詰めこみすぎたところが新人らしいと言えなくもないが(その分、味が薄くなったのは否めない)、最後の最後まではらはらさせて、楽しませてくれる。
一種のイニシエーション小説なのだが、一人の導師について深くはいっていくのではなく、学生時代の奇人変人と再会して、試行錯誤していく。ちょっとディックがかってもいる。
「コンセント」が何の隠喩かは途中でわかるが、結末はまさかこういう終わり方はしないよなと思っていた終わり方で、笑ってしまった(女性読者はしかめっ面をするところだろうが)。アメノウズメ的なおおらかな笑いを誘うのが救いだ。
「自発的トランス」というアイデアが気になっているのだが、なにか根拠となる学説があるのだろうか。
未完に終わった『存在と時間』のあるべき姿を復元しようというコロンブスの卵のような試みであるが、わかりやすいので驚いた。20世紀の哲学書の中でも最難関の『存在と時間』がこんなにわかりやすくていいのかとあわてるくらい、わかりやすい。
こんなことが可能になったのはナトルプ報告をはじめとする『存在と時間』執筆前後の未刊原稿が公刊され、同書のプランが実証的に明らかにできるようになったからだが、著者のハイデガー理解が深まり、若い日のハイデガーの思索の道筋が見えてきたことも大きいだろう(著者には確かに見えていると思う)。
「転回」の評価は通説とはかなり異なっている。通説では「転回」以前と以後は断絶していると考えるが、著者は連続しているとし、ただし、哲学史の理解についてだけは違いがあるとする。「転回」以前のハイデガーはプラトンを境に西洋哲学史は断絶したと見ていたが、「転回」以後、プラトン以降もプラトニズムを覆して存在にもどろうとする散発的な試みがあったと考えるようになったという。ハイデガーがドイツ観念論を評価したのも、この観点からだった。
ハイデガーといえばニーチェ、ニーチェといえばプラトニズムの転倒ということになっているが、ニーチェ評価はドイツ観念論の読み直しの文脈で理解されるべきらしい。ドイツ観念論がこんな広がりをもっていたのである。
『ハイデガー『存在と時間』の構築』に先立って書かれたハイデガー入門だが、こちらも徹底してわかりやすい。本当に深く理解していなければ、こういう文章は書けない。
著者はその昔、メルロ=ポンティの『眼と精神』の紹介者として注目され、その後も現象学関係の論著が多かったが、実は哲学を志した時からハイデガーにいれこんでいたそうで、なまじのハイデガー学者より年季が入っているのである。
ハイデガーの生涯にもふれていて、ハイデガーが人間としていかに嫌な奴だったかを縷々書いているが、それだけ思いいれがあるということだ。『存在と時間』の晦渋な文体をはっきり「奇怪」と断じていて、第一次大戦後の終末待望的な雰囲気があのような「黙示録的文体」を生んだとする条は説得力がある。この晦渋な文体が同時代人から喝采されて受けいれられると、ハイデガーは意図して晦渋な文章を書くようになり、自己神秘化をはじめるようになったと推測しているが、ハイデガーというのはそういう奴だったのである。
ナチスとの関係についても、思想の根本に立ち入った見解を示していて、西欧形而上学の行きづまりを乗り越える「文化革命」を企図していたハイデガーが、ナチズムの理念に共鳴したという見方は鋭い。ドイツ観念論の再評価がからんできて、どきどきした。
木田元の『ハイデガーの思想』と『ハイデガー『存在と時間』の構築』に言及されていたシェリングの『人間的自由の本質』を読みといたハイデガーの講義録で、木田自身が翻訳にあたっている。
著述では難解をもってなるハイデガーだが、講義はわかりやすいと定評がある。わたしが最初に講義録を読んだのは白水社から『ニーチェ』が出た時だが、すらすら読めるので狐につままれたような気がしたものだ。こちらは元が元なので、『ニーチェ』ほどはわかりやすくない。
ハイデガーがとりあげたのは主に『人間的自由の本質』の前書と序論で、全体の2/3の分量を費やし、ほぼ逐条的に解説している。『人間的自由の本質』は悪を論じた本として有名だが、ハイデガーの講義は悪の問題にはいる前の段階を重視しており、自由と決定論の対立を掘りさげていき、「意欲こそが根源存在である」という認識の意義を明らかにしている。
シェリングは同一性の哲学ということになっていて、闇夜の黒牛などと揶揄されたが、ハイデガーはそんな大雑把な理解を一蹴する。シェリングの同一性を「である」という繋辞を手がかりに明らかにし、存在了解へと話を繋げていく手際はみごとというしかない。
シェリングの仕事のうち、もっとも有名な本で、大昔、岩波文庫で読み、わけがわからないながら、興奮した憶えがある。岩波文庫は品切なので、『世界の名著』のシェリングで読みかえしてみた。
『世界の名著』は原注・訳注が同じ見開きにレイアウトしてあるのが売りだったが、続篇になってから訳注が巻末にまわされた。この巻も訳注が後ろに来ているが、本書の場合、訳注は絶対に読む必要がある。ゆきとどいている上に、ハイデガーの『シェリング講義』を参照しているからだ。訳文も岩波文庫よりこなれているのではないか。
奇々怪々なシェリング語は訳注のおかげでかなり理解できるようになった。「自由と哲学体系の関連」などと書かれてもピンと来ないが、自由と決定論の対立を問題にしているのだといわれれば、なるほどと思う。
もっとも、ベーメ的というか、オカルトすれすれの迫力は相変わらずで、後半はやはりわからない。
思いつきだが、シェリングという人はキリスト教神学の縛りをゲーム的にかいくぐって、書きたいことを書こうとしたのではないか。この本は哲学版シューティングゲームなのかもしれない。
途中で放りだしていた本だが、シェリング論なので、この機会に最後まで読んでみた。
シェリングでも邦訳のない『世代』を中心に後期思想を論じていて、わけがわからなかったが、『シェリング講義』など周辺知識を吸収した上で読み直してみると論旨はたどれたような気がする。
ハイデガーは「である」という繋辞に注目したが、ジジェクは接続詞の「と」に注目してヘーゲル弁証法との違いを明らかにしようとしているらしい。ドゥルーズの「と」がヒントになっているのだろう。
おまけのように「ラカンと量子力学」という論文がはいっているが、これはいつものジジェク節でまたかという感じ。
回虫博士の本である。著者の研究のあらましは今まで雑誌やテレビで断片的に知っていたが、本を読もうとは思わなかった。寄生虫学が免疫やアレルギーにおよぶ拡がりをもっており、昨今の病的な「清潔」志向の風潮に警鐘をならす重要な仕事であることはわかっていたが、気持の悪い写真や話が出てくるだろうと思うと、手にとる気になれなかったのだ。
本書は医学生や看護学生向けに書かれた入門書で、寄生虫学の重要性を啓蒙するだけでなく、「おもしろさ」をアピールして、後継者をリクルートしようという意図がうかがえる(寄生虫学は、著者の活躍にもかかわらず、目下危機に直面しているらしい)。
素人は『笑うカイチュウ』あたりを読んだ方がよかったかもしれないが、寄生虫が宿主の免疫系を操作する機序にまで踏みこんでいて、進化の不思議を思った。
杖に蛇が巻きついたアスクレピオスのシンボル(カドゥケウス)が、メジナ虫(潰瘍を作り、産卵のたびに外に出てくるそうな。写真あり)を棒に巻きつけて引きだす治療をかたどったという説を紹介しているが、これは我田引水。アスクレピオスはアラビア半島ではなく、地中海一帯で信仰された治癒神で、死後、天にあげられて蛇使い座になったといわれているように、もともと蛇神だったのだ。
『論座』1997年9/10月号から2000年1月号まで、「犯罪季評」として連載された別役実と宮崎学の対談である。別役実は犯罪ウォッチャー的なところがあって、時代の節目節目におもしろい本を出しているが、本書もその一冊だ。
表題は「17歳のバタフライナイフ」だが、少年犯罪で章立てされているのは酒鬼薔薇事件ぐらい。他に池袋と山口の通り魔事件が言及されているが、メインは長引く不況とIT革命で追いつめられた中高年の犯罪である。
今日の混乱の背景には社会主義の凋落があるという点で、両氏の意見は一致しているようである。いくつか目についた発言を引こう。
宮崎 僕は何年か前、オウムではない新興系宗教に入ってる若い子たちと議論する機会があったんです。そのとき感じたのが、「この子たちの感性は、六〇年代前半の労働組合青年婦人部にいた活動家と同じだな」ということ。みんなすごくまじめで、ビラづくりとかいろんな肉体労働を群れてやる。そういうことに喜びを見いだしているんですね。労組の青年婦人部とか昔の学生運動でも、肉体作業の喜びって、あったじゃないですか。だから、新興宗教に入る若者を生む土壌は、ある面で、労働運動とか学生運動の挫折にあったという気がする。世の中がおかしい、変えたいと思うような純粋な気持の受け皿がないから、結局、宗教に向かってしまうんじゃないかな。
別に目新しい意見ではない。マルクス主義が宗教だったわけで、世のため人のために飛んだり跳ねたりしたい人種の群れる場所が変わったというだけの話だからだ。
だが、警察腐敗も社会主義総崩れに原因があるという説は宮崎氏の独擅場である。
宮崎 六〇年代、七〇年代、学生運動が盛んだった時期を経て、その後、現在につづく運動の退潮期を迎えます。すると警察内部では、いかに仕事をしたかという、評価のメルクマールがなくなってきてしまう。
そのために、ものすごい勢いで試験制度を導入する。そうなりますと、例えば、留置場の係みたいに、一晩中、本を読んでいるやつがいる。こういうのが、時間的にいって勉強できるわけです。どんどん上にあがっていってしまう。現場の殺人などの捜査やっている警察官は、事件に振り回される。そうなってくると、出世するのと出世しないのとが、くっきりと分かれてくる。
社会主義に希望を見ていたこの世代は、ソ連崩壊で外堀を埋められ、今、IT革命で内堀も埋められようとしている。
別役 僕らの世代までは、日本人の生き方のモデルは、「二宮金次郎」だったんです。コツコツまじめにやって、組織に忠誠を尽くす。それがバブル崩壊とともに必要とされなくなった。そのショックは大きかったですね。ただまじめにやるんじゃなくて、ふだん怠けていても、いいアイデアさえ出せばいい。これからは「三年寝太郎」型の時代だと言われたとき、僕らの世代は、本質的な不安を感じました。
二宮金次郎を引きあいに出しているが、これは単なる日本的勤労観の問題ではない。日本的勤労観と結びつくかたちで、団塊世代の価値観を支えてきた労働価値説の破綻が誰の目にも明らかになったということである。
別役 被害者意識にしても、どうこの意識を定着していいかわからない。僕はね、被害者意識がうまく作動しないのは、左翼イデオロギーがなくなっちゃったからだと思う。なにがよかったかといえば、左翼イデオロギーは、被害者意識を正当化してくれた点です。被害者は常に歴史的に正しいという立場を、暗黙のうちに支持してくれた。それがなくなると、被害者意識は単なる妄想になってしまう。
若者が妙な宗教に走るのも、警察が腐敗したのも、社会に瀰漫した曖昧模糊とした不満の受皿がなくなったのも、すべて社会主義が破産したためということになるだろうか。
これはこれで説得力のある見方なのだが、花粉症もアレルギーも耐性菌も、すべて寄生虫を撲滅したために起こったという回虫博士の説と妙に似ている。大阪ではヤクザをつぶしたために、中国人マフィアがはいりこんできて、かえって怖い街になったという話が出てくるが、社会の健康のためには、ヤクザだけでなく社会主義も必要なのかもしれない。
村上龍は『ラブ&ポップ』の英訳をネット販売するにあたり、現実の女子高生の声を載せようとインタビューをおこなったが、本書はそれをまとめた本である。22組51名の女子高生が登場しているが、『ラブ&ポップ』から一年半がたっていて、東京では援助交際はとっくに下火だという。
村上は「当たり前のことだけど一人一人違っていた
」と多様性を強調していているけれども、一気に読んだせいか、不分明なノイズの固まりという気がした。後で、この前の女の子は鈍い、オバサンみたいだった、終わった後すごく疲れたと評しているインタビューがあったが、その回を読みかえしても、特にどうこうという印象はなかった。
「彼女たちの話の「総体」が読まれるべき」ということで、「編集」の手は加えていないというが、テープおこしした原稿そのままということはあるまい。話の流れをいじらなかったということだろう。
父親がバブル崩壊王になって、よそに子供を作ったとか、多くの女子高に「赤毛届け」や「癖毛届け」という申告制度があるとか、マスコミ受けしそうなネタがいろいろ出てくるが、ごく当たり前のことのように淡々と語られている。こういう世界もあるのである。
よくも悪くも「軽井沢小説」である。「結核小説」、「芸術家小説」と言ってもいい。こういう作品がおもしろいのは十代のうちだけだろうという意地の悪い予断をもって手にとったのだが、意外におもしろく読めた。
「美しい村」は婚約者との出会いを、「風立ちぬ」は彼女との死別を描いているが、前者はプルースト的であり、後者はリルケ的である。影響が透けて見えるものの、洗練された感覚が間然するところがない。ここまでくれば、模倣とはいえないだろう。
病死と自殺という違いはあるけれども、「風立ちぬ」と『ノルウェイの森』にはかなり共通点がありそうな気がした。そのうち考えてみよう。