映画ファイル   July - September 1999

加藤弘一
1999年 6月までの映画ファイル
1999年10月からの映画ファイル

July 1999

*[01* 題 名<] レッド・バイオリン
*[01* 原 題<] The Red Violin
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] カナダ
*[05* 監 督<] ジラール,フランソワ
*[08* 出 演<]ジャクソン,サミュエル
*[09*    <]グラツィオーリ,イレーネ
*[10*    <]コンツェ,クリストフ
*[11*    <]ビドー,ジャン=リュック
*[12*    <]セッチ,カルロ
*[13*    <]スカッキ,グレタ
*[14*    <]フレミング,ジェイソン
*[15*    <]チャン,シルビア

 レッド・バイオリンと呼ばれる呪われた名器の300年を描いた歴史絵巻で、五話からなる。

 第一話はクレモナ。バイオリン工房の親方の妻が臨月をむかえて、親方は生まれてくる子供のために精魂こめてバイオリンを作っている。妻は老女中にタロットで子供の運命を占わせるが、不吉なカードが五枚でる。はたして彼女は出産時に落命する。悲劇の幕開けだが、五枚のカードはバイオリンの運命を予告していた。

 第二話はオーストリア山中の修道院。孤児の少年(クリストフ・コンツェ)がレッド・バイオリンを弾いてめきめき上達する。慈善で指導にきた音楽家は少年の才能に驚き、ウィーンに連れていく。少年は王宮デビューのために特訓を受けるが、オーディション当日、心臓発作で急死する。彼はバイオリンとともに修道院の墓地に葬られる。

 第三話は英国。バイオリンは墓を荒らしたジプシーの手にわたり、各地を転々とする。若い作曲家がオックスフォード近郊で野営していたジプシー女の弾いていたレッド・バイオリンにほれこみ、高額で買いとる。彼には女流作家の恋人(スカッキ)がいた。作曲家は彼女がロシアに取材旅行に出ている間、浮気をしていたが、帰ってきた彼女に同衾しているところを見られてしまう。彼女は 別の女と同衾していた。彼女は銃で作曲家を撃つが、弾はレッド・バイオリンの竿を傷つける。

 第四話は中国。作曲家の中国人召使は破損したレッド・バイオリンをもらって帰国。上海に着いた早々、古道具屋に売り、西洋音楽を学ぶ少女のものになる。

 時は流れて文革期。少女は大人になって娘(シルヴィア・チャン)を産み、その娘も成長して党の下級幹部になっている。外国文化排撃の嵐の中、西洋音楽を教えていた音楽教師が集会でつるし上げられ、楽譜と楽器が火に投じられていく。弾圧側の娘は母から受け継いだレッド・バイオリンを守るために、皮肉にも音楽教師に託すことになる。それを受けいれる音楽教師の凄み。

 第五話は現代のモントリオール。中国政府所蔵の古楽器をオークションにかけることになり、鑑定士(ジャクソン)がニューヨークから呼ばれる。彼は赤いバイオリンが伝説のレッド・バイオリンではないかと直感し、ついにニスの分析でバイオリンの秘密をつきとめる。オークション会場にはレッド・バイオリンに関係した人びとの子孫が世界中から集まり、値がどんどん上がっていく。ついに250万ドルで落札されるが、バイオリンの魔力にとりつかれたのか、鑑定士がある犯罪をおかし、また新たなドラマのはじまりを暗示して終わる。

 重厚な映像と演奏で見ごたえがあった。第二話の天才少年は本当のバイオリニストだそうで、有望株らしい。中国編のデモ行進は狭い通りばかりで、引きのショットがなかったが、一番面白かった。

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*[01* 題 名<] 菊次郎の夏
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 北野武
*[08* 出 演<]ビートたけし
*[09*    <]関口雄介
*[10*    <]岸本加代子
*[11*    <]吉行和子
*[12*    <]細川ふみえ
*[13*    <]麿赤兒

 ほのぼの路線に転じたとか、祖母と二人だけで暮らしている男の子を母親のところに送っていくロードムービーだとか、いろいろ伝えられていたので、見にいくのが億劫だったが、先入観はいい意味で裏切られた。ほのぼの路線には違いないが、疑似親子にも、べたべたした人情話にもなっていなかった。

 夏休みになって友達はみんな家族旅行に出たのに、正男はどこにも連れていってもらえない。宅急便の判子を探そうとして、母親の住所を見つけた正男は所持金二千円で愛知県の母親に会いにいこうと家出するが、悪がきにカツアゲされているところを岸本加代子に助けられる。岸本は駄目亭主の菊次郎に正男を母親のところに連れていくようにいい、五万円わたす。

 五万円は競輪場で全部使ってしまうが、正男の予想で大穴をあてる。菊次郎は正男を天才少年と持ちあげ、翌日、全額つぎこむが、すべてはずれてオケラに。こういうだらしない男には親近感をおぼえる。

 正男をいたずらしようとした麿赤兒からカツアゲし、仕方なく愛知県へ向かう。高級観光ホテルで豪遊して、またオケラになり、細川ふみえの車でヒッチハイクして、バスの来ないバス停に置き去りにされたり、バンで日本中を放浪しているヒッピー青年(今村ねずみ)に救われたりして、やっと母親の家を見つけると、母親は再婚していたという予想どおりの展開。

 気おちした正男のために、暇をもてあましたバイカー二人組(グレート義太夫と井出らっきょ)を子分にして、キャンプをはじめる(ここは長すぎる)。

 菊次郎は最後まで悪がきのままで、視線の高さが子供と変わらない。現実の浅草がどうかは知らないが、この映画の中の浅草は、菊次郎のような困った大人が生きていられる町に描かれている。

*[01* 題 名<] 輝きの海
*[01* 原 題<] Swept from the Sea
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] キドロン,ビーバン
*[05* 原 作<] コンラッド,ジョセフ
*[08* 出 演<]ワイズ,レイチェル
*[09*    <]ペレーズ,ヴァンサン
*[10*    <]マッケラン,イアン
*[11*    <]ベイツ,キャシー
*[12*    <]アクランド,ジョス

 コンラッドの「エイミー・フォスター」の映画化である。骨格のしっかりした重厚な作品で「日蔭の二人」に通じるものがある。「日蔭の二人」のジュードは身分不相応な学問へのあこがれのために破滅するが、こちらの主人公、ヤンコ(ペレーズ)は外国語が破滅の原因になる。

 ヤンコはウクライナの山奥の生まれで、一族の支援でアメリカに移民することになるが、船はコーンウォール沖で遭難。彼だけが海岸に流れ着く。ヤンコは農家に助けを求めるが、泥まみれでわけのわからない言葉を叫ぶ彼を、農家の主人は気違いか知恵遅れの放浪者と決めつけ、家畜小屋に閉じこめてしまう。

 女中のエイミー(ワイズ)は家畜小屋にいき、ヤンコの世話を焼く。見られる姿になったヤンコは裕福な農家に引きとられ、下男になる。同家に遊びに来たケネディ医師は彼がチェスができることに気がつき、知恵遅れではなく、難破で漂着したロシア人であることをつきとめる。ケネディ医師は彼に英語を教え、話し相手にする。

 エイミーは貧農のフォスター家の長女だったが、舅が息子の嫁を手籠めにして産ませた子供だった。出生の事情が事情なので、両親からうとまれ、村人からも距離を置かれていた。彼女は海だけが友達で、漂着物を拾っては秘密の洞窟に集めていた。

 英語が喋れるようになったヤンコはエイミーに交際を申しこみ、二人は周囲の反対を押しきって結婚する。エイミーが最後に勤めたスウォファー家の車椅子の行かず後家(ベイツ)は、二人を祝福し、岬のはずれの土地と小屋を贈る。

 赤ん坊が生まれ、幸福な日々が訪れたかに思えたが、ヤンコは胸を病んでしまう。嵐の夜、熱にうなされたヤンコはロシア語で水をもとめるが、言葉のわからないエイミーは赤ん坊に危害をくわえるのではないかと勘違いし、風雨をついて助けを呼びにいく。その間にヤンコはケネディ医師に看取られて死ぬ。

 荒々しい海と、レイチェル・ワイズの野生美に感嘆。海を見つめる彼女の表情は荘厳ですらあって、女中の役でも気高くなる。セクシーな役、コミカルな役、オバカな役と、なんでも出来るだけに、器用貧乏にならないかと心配だが、この映画は彼女の代表作として後世に残るだろう。

 井伏鱒二の漂民ものを読むと、アメリカでもロシアでも、救助した日本人は国費で日本に送りかえしているが、ヤンコのあつかいはずいぶん違う。日本人が優遇されたのは国交を開こうという下心だったのか。

*[01* 題 名<] ビッグ・リボウスキ
*[01* 原 題<] The big Lebowski
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] コーエン,ジョエル
*[08* 出 演<]ブリッジス,ジェフ
*[09*    <]グッドマン,ジョン
*[10*    <]ブシェーミ,スティーブン
*[11*    <]ムーア,ジュリアン

 荒野をタンブルウィードが転がっていくオープニングにかぶせて、デュードこと伝説の英雄リボウスキを懐かしむナレーションがかぶさる。デュードが故郷を離れて住んだ街の夜景が崖の下に広がるが、実は現代のロスアンジェルス。

 デュードは伝説の英雄どころか、麻原みたいにむさ苦しく太った髭面男で(なんとジェフ・ブリッジス!)、だらしない半ズボン姿でスーパーにいっては、牛乳パックをその場で盗み飲みして腹の足しにしている。

 部屋にもどると、二人組のヤクザが待ちかまえていて、女房の借りた金を返せとナイフで脅し、絨毯に放尿する。デュードは無職で、女房なんかいないと抗弁し、二人組もやっと人違いに気がつく。リボウスキはリボウスキでも、大金持ちのリボウスキの方だったのだ。

 ボーリング仲間に事件を愚痴ったことから妙なことになる。ベトナム戦争帰りのウォルターは絨毯を大金持ちのリボウスキに弁償させろとたきつけ、デュードはもう一人のリボウスキの邸を訪ねる。大金持ちのリボウスキは足の障害を克服して財産を築いた立志伝中の人物で、無職のデュードを物乞いあつかいし、滔々と説教する。デュードは勝手に絨毯を失敬して帰ってくるが、数日後、秘書から秘密の用件で呼ばれる。元ポルノ女優のリボウスキの後妻が誘拐されたので、身の代金をもっていってほしいというのだ。

 これにウォルターとリボウスキの先妻の娘の自称芸術家がからみ、話はこんぐらがって、チャンドラー的様相を帯びてくる。

 麻薬でラリるシーンではデュードは美女が立ち並ぶボーリングのレーンをロケットのように進んでいくかと思えば、リボウスキの娘が金ぴかのバイキングの格好(ポスター!)で立ちはだかる。オフビートな感覚とおやじのエネルギーが渦まいた映画である。

*[01* 題 名<] プリンス・オブ・エジプト
*[01* 原 題<] Prince of Egypt
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<]ウェルズ,サイモン
*[05*    <]チャップマン,ブレンダ
*[05*    <]ヒックナー,スティーブ
*[08* 出 演<]キルマー,ヴァル
*[09*    <]ファイファー,ミシェル
*[10*    <]ファインズ,レイフ
*[11*    <]ブロック,サンドラ
*[12*    <]ゴールドプラム,ジェフ

 「出エジプト記」のアニメ化。絵も脚本もSFXも主題歌もよくできているのだが、題材が日本人向きでないのか、空いていた。

 河に流されたモーセ(キルマー)がファラオの妃に拾われ、皇太子ラメセス(ファインズ)の弟王子として育てられる。兄弟の葛藤を柱にし、父を嗣いでファラオになったラメセスの弟に対する愛憎がユダヤ人追撃を決断させたという現代風の味付けは「十戒」を踏襲している。

 砂漠の民の娘、ツィッポラ(ファイファー)を逃がしてやったことから、町で実の姉のミリアム(ブロック)と出会い、自分がユダヤ人であることを知り、快活な王子の生活から一転してアイデンティティ・クライシスに陥るという展開。砂漠からもどったモーセはビザンチン的な憂い顔になっている。紅海を横断するシーンの迫力は前評判通り。

 なかなかおもしろかったが、絵で見ると生々しくて、ユダヤ教はいっぱしのカルト宗教ではないかと思った。

*[01* 題 名<] スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス
*[01* 原 題<] Star Wars episode 1 The Phantom Menace
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ルーカス,ジョージ
*[08* 出 演<]ニーソン,リーアム
*[09*    <]マクレガー,ユアン
*[10*    <]ポートマン,ナタリー
*[11*    <]ロイド,ジェイク
*[12*    <]アウグスト,ペルニラ

 16年ぶりの「スターウォーズ」だが、前評判のわりには空いていた。

 予算を投入しただけに、セットも衣装もSFXも豪華だし、環境の違う惑星が三つも出てくる。中盤のロッドレースは映画としてはいらなかったんじゃないかと思うが、早速ゲームになっているところをみると、メディアミックスの必要から入れたのか。

 最近のスピルバーグ作品でも感じることだが、ヨーロッパ系の芸達者をそろえているにしては、俳優を活かせていない。「スターウォーズ」で人間ドラマを見たいとも思わないが、アウグスト・ペルニラまでひっぱり出しているのだから、もっと使い方を考えればいいのに。

 あれもこれも詰めこみすぎて、まとまりが悪くなっているが、細部に凝った映画だから、噛めば噛むほど味が出るのかもしれない。もう一度、見るつもりはないが。

August 1999

*[01* 題 名<] アイズ・ワイド・シャット
*[01* 原 題<] Eyes wide shut
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] キュブリック,スタンリー
*[05* 原 作<] シュニッツラー
*[08* 出 演<]クルーズ,トム
*[09*    <]キッドマン,ニコール
*[10*    <]ポラック,シドニー

 世紀末のウィーンを舞台にしたシュニッツラーの短編が原作だそうだ。ニューヨークの開業医の話にしてあるが、妻が海軍士官と関係したり、秘密結社の仮面舞踏会にまぎれこんだりは原作そのままだという。現代のニューヨークに海軍士官や秘密結社は無理があるが、不思議に納得してしまった。もちろん、画像の力には違いないが、それだけではないだろう。

 眼鏡のニコール・キッドマンが便器に腰かけていたり、身仕度を整えたり、ベビーシッターに愛想を使ったりする日常を点描した後に、ゴージャスな夜会の場面が来る。夫のトム・クルーズは開業医だが、こういう場所に来ると、所詮、日銭を稼ぐ労働者にすぎず、本当の上流社会の人間ではないことがはっきりする。実際、夜会の最中だというのに、邸の主人(シドニー・ポラック)に呼ばれて、麻薬で死にかけた愛人の介抱をさせられるし、医学校を中退した友人はしがないピアノ弾きになっている。

 こういうかっちりした階級差の描き方は、アメリカ映画のテイストではない。

 妻から不倫(願望?)を告白され、もやもやした気持ちをもてあました夫は、クリスマスに向かう街をさまよい歩くが、身分を証明するために医師免許をあちこちで見せるが、それが妙に貧乏くさく、医者は労働者だったんだなと思った。こうしたアメリカ映画とは思えない階級差の感覚が、秘密結社や仮面舞踏会にリアリティをあたえているのだろう。

 自分の身代わりになった仮面の美女のその後を探ろうと、夫はあれこれ動きまわるが、所詮、一介の開業医にはどうにもならない。この無力感を妻とともに確認した時、映画は終わる。個人が無手勝流で動きまわって、悪の組織に一泡吹かせるというのがアメリカの活劇の常套パターンで、トム・クルーズはそういう映画にばかり出ていたが、この映画では個人ではどうにもならない階級社会が描かれていて、この夫婦は大人になったなという妙な充実感があった。

*[01* 題 名<] ファイアー・ライト
*[01* 原 題<] Firelight
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ニコルソン,ウィリアム
*[08* 出 演<]マルソー,ソフィー
*[09*    <]ディレイン,スティーブン
*[10*    <]アンダーソン,ケビン
*[11*    <]アックランド,ジョス
*[12*    <]ウィリアムズ,リア

 ファイアーライトとは暖炉の灯りという意味で、照明を消して、暖炉の灯りだけになると、世の中のしがらみを離れて、本当のことがいえるとヒロインのエリザベスが娘に語ることから。

 1837年と字幕が出て、代理母の品定めの場面からはじまる。子供のいない貴族が世継ぎを生ませるためにガバネスを物色している。父親の負債を払うために志願したエリザベスに、衝立の蔭の貴族はほかに方法はないのかと取次の夫人を介して尋ねる。エリザベスは直接聞いてほしいと貴族に言い、結婚すると一生縛られるが、この仕事なら短期間で済むからと答える。取次の夫人は生意気な答えを危ぶむが、貴族は彼女を選ぶ。

 現代女性風の受け答えで、時代にそぐわない感じがしたが、海辺のホテルでは画面に引きこまれた。寒色系のしめやかな映像が美しく、抑制の効いた演出が物語を丁寧に進めていく。

 ホテルで二人は三日間だけ床をともにする。貴族の男はチャールズといい、最初は一目を気にしているが、しだいに親近感をおぼえ、二人で海岸を散歩するようになる。十ヶ月後、エリザベスは無事女の子を出産する。

 七年後、チャールズの住むカントリーハウスにエリザベスは娘のガバネスとしてあらわれる。彼女が生んだ娘はバスケットに入れられて玄関に捨てられていたのを養女にしたということにして養育されていたが、使用人からは陰口をきかれ、チャールズは羊の品種改良に夢中で、娘は猫っかわいがりするだけなので、手のつけられない問題児に育ち、一年で七人もガバネスが替わっている。

 エリザベスが娘と再会する場面が美しい。彼女は池の中の島に建てた東屋で一人で秘密の時間を過ごすのが日課だが、ボートでもどってくる彼女を、エリザベスは汚れたガラス窓越しに見つめるのだ。

 チャールズは新しいガバネスがエリザベスだとわかると、すぐに辞めさせようとするが、ガバネスには家がないので、次の雇い主が決まるまで最低一ヶ月は邸に置かなければならなくなる。

 チャールズには結婚直後、落馬して植物状態になった妻がいる。カントリーハウスは妻の妹が切り盛りしていて、行かず後家になっている。チャールズの父親は快楽主義者で、盛大にパーティを開いたり、若い女をとっかえひっかえし、莫大な負債を作っている。

 息苦しいカントリーハウスで、エリザベスはわがまま放題に育った娘をしつけ直そうと孤軍奮闘する。

 中盤まではいいのだが、後半が薄っぺらになる。チャールズとエリザベスは愛しあうようになり、娘はそれを知ってもあっさり受けいれる。父の負債のためにチャールズは邸を手放さなければならなくなり、植物状態の妻の寝室の窓を一夜開けはなち、死なせてしまう。

 チャールズとの結婚を望んでいた妻の妹は、彼がエリザベスを愛していると知ると、黙って身を引く。邸を手放したチャールズはエリザベスと娘を連れ、馬車を連ねて新しい生活に出発する。

 結局、脚本の問題になるが、映像と演出がすばらしいだけに、すべてヒロインの願望がかなったという結末は惜しまれる。

*[01* 題 名<] バベットの晩餐会
*[01* 原 題<] Babettes gaestebud
*[02* 製作年<] 1987
*[03*   国<] デンマーク
*[05* 監 督<] クリステンセン,ボー
*[05* 原 作<] ディーネセン,アイザック
*[08* 出 演<]オードラン,ステファーヌ
*[09*    <]キュア,ボディル
*[10*    <]フェザースピール,ビアギッテ
*[11*    <]ラフォン,ジャン=フィリップ

 ディーネセンの中編の映画化。封切時に見た時はフランス中華思想と、禁欲がちがちのプロテスタントの両方をからかった映画かと思ったが、それだけではなかった。

 パリ・コンミューンに参加したためにフランスにいられなくなったバベットがユトランド半島の海辺の寒村にやってくる。そこは教祖的な牧師を中心に信者が集まってできた村で、みな質素で禁欲的な生活を送っていた。バベットが頼ったのは老嬢になっていた牧師の二人の娘で、彼女は女中として住みこむようになる。

 バベットはわずかな給金で宝くじを買うのを楽しみにしていたが、牧師の生誕百年際が近づいた頃、巨額の賞金があたる。バベットは金がはいったので村を出ていくと思われていたが、バベットは老嬢たちに賞金を使って牧師の百年祭に村人を招待したいと申しでる。

 実はバベットはパリでは有名なシェフだったのだ。彼女は町に出て、海亀など、村人が見たこともない珍らしい食材を集めてくる。いよいよ晩餐の日、バベットは腕によりをかけて芸術的な料理を作りあげる。

 年をとって諍いの絶えなくなった信者たちはバベットの料理の美味しさに驚き、これは罪ではないかと顔を見あわせるが、しだいに幸福感にひたされていく。表情の変化はほほえましいし、最後に互いに許しあう姿は胸を打つ。この映画は晩餐の場面につきるといってよい。つましい老姉妹は尊敬をこめて描かれているし、料理の解説役となる老将軍の最後の演説は感動的だ。フランス中華思想と偏狭なプロテスタンティズムに対する諷刺はもちろんあるけれども、それだけではなく、この映画はもっと深いところまで届いている。

 バベットの賞金は一生安楽に暮らせるだけの金額ということだが、最後に彼女のレストランの十二人分の代金にあたると言っていた。七月王政時代のパリのレストランはそんなに高かったのだろうか。

*[01* 題 名<] 踊れトスカーナ
*[01* 原 題<] Il ciclone
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] イタリア
*[05* 監 督<] ピエラッチョーニ,レオナルド
*[08* 出 演<]ピエラッチョーニ,レオナルド
*[09*    <]フォルテーザ,ロレーナ
*[10*    <]エンリーキ,バルバラ
*[11*    <]フォルコーニ,セルジオ
*[12*    <]エストラーダ,ナタリア

 三宅裕司ばりのオヤジギャグ連発の映画なのだが、好感がもてた。フィレンツェ郊外の田舎町が舞台で、町の四割の商店と契約し、オートバイで駆けまわる会計士の家に、農園ホテルと間違えてフラメンコ舞踊団の一座が転がりこんでくる。主人公は一座の花形のカテリーナ(フォルテーザ)に一目ぼれしてしまう。フィレンツェのホテルに追いかけていくと、マドリッドからカテリーナの狩猟好きの恋人がやってくるが、一旦は引き下がったものの、もう一度チャレンジして、ついにハッピーエンドに持ちこむ。

 一途な惚れこみ方が、一面のヒマワリ畑とあいまって、ほほえましく、見え見えのダサい作りにもかかわらず、最後まで飽きさせない。

 レズの妹のセルバジャ(エンリーキ)、神の絵ばかり描く農夫の弟(チェッケリーニ)、主人公と以前関係のあった色情狂の女と、変な脇役をそろえるのはお約束だが、舞踊団のケバいモデル顔の女たちの人柄がよく、ほのぼのとした映画に仕上がっている。

*[01* 題 名<] ヤジャマン
*[01* 原 題<]
*[02* 製作年<] 1993
*[03*   国<] インド
*[05* 監 督<] ウダヤクマール
*[08* 出 演<]ラジニカーント
*[09*    <]ミーナ
*[10*    <]ナポレオン

 副題は「踊るマハラジャ2」だが、主演の二人が同じという以外共通点はない――ということは知っていたが、ここまでひどいとは。銀座シネパトスで封切したわけがわかった。まあ、これがインド映画のレベルで、「踊るマハラジャ」は例外だったんだろう。

 「ヤジャマン」とは「ご主人様」という意味で、ラジニカーント演ずるワーナワラーヤンは水道や道路の敷設に力を注ぎ、庶民からしたわれている有力者。選挙で買収をたくらむ悪い有力者(ナポレオン)がいて、言うことを聞かない村人の家を焼き討ちしたり、いろいろ悪事をはたらくが、主人公は悪を懲らしめ、最後に財産を捨てて、行者になって去っていく。

 ミーナは主人公と結婚する従妹だが、若くして死に、あまり美しくない侍女を後添えにと言い残す。

 色が安っぽく、全体にピンボケ気味なのだが、元からそうだったのか。

*[01* 題 名<] エントラップメント
*[01* 原 題<] Entrapment
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] アミエル,ジョン
*[08* 出 演<]コネリー,ショーン
*[09*    <]ジョーンズ,キャサリン・ゼタ
*[10*    <]レイムス,ビング
*[11*    <]パットン,ウィル
*[12*    <]チェイキン,モーリー

 ハイテク泥棒の話で、保険会社がらみの騙しあいで観客を引っぱる作りだが、ストーリーそのものには魅力はなく、主演二人とハイテク機材とお城やマレーシアの下町のアンバランス、ラストのギンギラギンの高層ビルという道具立てのおもしろさで興味をつないだ。要するに予算相応のおもしろさということだ。

 ショーン・コネリーは例によって例のごとしで安心感のみ。キャサリン・ゼタ・ジョーンズはこの映画の最大の売りで、赤外線ビームを張りめぐらした展示室で猫のように身をくねらせてみごとだが、ショーン・コネリーを手玉にとる美女という面では貫禄負け。

 ラストシーンにマレーシアの鉄道の高架駅を使っているのは変。単なる駅ではないか。ひょっとしたら、「ひまわり」の再会シーンの背景がソ連の原発になったように、マレーシア政府にゴマをすったのか。

*[01* 題 名<] ホーホケキョとなりの山田くん
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 高畑勲
*[05* 原 作<] いしいひさいち
*[08* 出 演<]益岡徹
*[09*    <]朝丘雪路
*[10*    <]荒木雅子
*[11*    <]宇野なおみ
*[12*    <]矢野顕子

 悪い評判ばかり聞いていたが、おもしろかった。しかも、時間がたつにつれ、印象が深まってくる。

 四コママンガを長編化しただけに、エピソードの積み重ねの形をとっているが、最初のいくつかのエピソードの後に父親と母親の結婚式のシーン(なぜか現在の年齢で、子供もいる)がはいり、人生の大変さをを教えるミヤコ蝶々のスピーチにあわせて、茶の間が蝸牛の殻になったり、空を飛んだり、帆船になったり、筏になったり、遊んでいる。このシーンは、終わりに近い後輩の結婚式のシーンと照応していて、スピーチに立った父親は原稿と間違えて買い物リストをもっていったために、やけくそで思いつきのスピーチをはじめ、それが高畑監督訳の「ケ・セラセラ」にあわせてイメージで遊ぶミュージカル・シーンにつながっていく。

 テーマソングに矢野顕子を起用したのは正解で、骨のないぐにゃぐにゃの歌声がこの映画の基調になっている。「環境にやさしいジブリ」というレッテルから脱却したいということだろうが、成功していると思う。

September 1999

*[01* 題 名<] クンドゥン
*[01* 原 題<] Kundun
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] スコセッシ,マーチン
*[08* 出 演<]ツゥアロン,テンジン・トゥタブ
*[09*    <]ギャルポ,テンチョー
*[10*    <]カンサル,ツェワン・ミギュル
*[11*    <]プンツォク,ソナム
*[12*    <]リン,ロバート

 第一四世ダライ・ラマの発見からインド亡命までの半生を描いた映画だが、アメリカ資本にもかかわらず、淡々と作られていて、「ミラレパの十万歌」を思わせる古拙な風格がある。

 後半は「セブン・イヤーズ・イン・チベット」と重なり(映写室は出てくるが、ハラーは登場しない)、チベット侵寇がテーマになり、その気になればいくらでもドラマチックに盛りあげられるし、英国代表部という形で欧米人を出すことも不可能ではないのに、節度を守っている(全編、チベット人と中国人、インド人だけで、欧米人が出てこないのもすごい)。

 ここに描かれるダライ・ラマは、「ミラレパの十万歌」のミラレパと同じで、決して生まれながらに悟った生き仏ではなく、迷いながら仏の道を実践する求道者である。中国共産党との交渉では、一旦は彼らの申し出を信じるが、裏切られることではじめて真相を知る。

 北京に招かれるくだりは、中国側のプロパガンダ映画、「ダライ・ラマ」と事実関係は同じだが、毛沢東が別れ際に、それまでの寛容な見せかけをかなぐりすて、宗教は阿片だと言い放つ場面は、当然のことながら、こちらにしか出てこない。ダライ・ラマ側の証言だけだが、まあ、あんなものだったのだろう。

 「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でダライ・ラマを演じた青年といい、こちらの青年といい、チベット人には深い精神性を宿した顔の若者がいる。昭和天皇の半生記を映画にしたとして、演じられる役者が日本にいるだろうか。

*[01* 題 名<] 白猫・黒猫
*[01* 原 題<] CRNA MACKA, BELI MACOR
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] ユーゴ
*[05* 監 督<] クストリッツア,エミール
*[08* 出 演<]セエヴェルジャン,バイラム
*[09*    <]アイディーニ,フロリアン
*[10*    <]カティチ,ブランカ
*[11*    <]アジョヴィッチ,リュビッツァ
*[12*    <]スレイマーニ,サブリー

 引退を伝えられていたクストリッツァが、けたたましいジプシー音楽とともに返ってきた。復帰第一作というほど間があいてはいないが、この作品ははじめてのコメディだそうで、かなり勝手が違う。コメディというなら、クストリッツァの映画はすべてコメディなのだが、今までたっぷりしこまれていた毒が今回はないのだ。その分、物足りない気がするが、野太い幸福感が横溢してもいる。

 海のように広大なドナウ川にロシア船がはいってくる。ぐうたら親父のマトゥコは息子のザーレを連れて、小舟で取引にいくが、せっかく交換した冷蔵庫は川に落とすわ、石油は贋物だわで、大損する。

 懲りないマトゥコは石油輸送列車の情報を入手し、強奪の計画を練る。父親の無二の親友のゴッドファーザーの邸に出かけ、父親を死んだことにして、香典代わりに強奪の資金をもらうものの、大仕掛けの計画には足りないし、度胸もないので、新興マフィアのダダンを仲間に引きいれる。しかし、ダダンの方が何枚も上手で、失敗をマトゥコのせいにし、小人のために嫁にいき遅れた末妹のアフロディタをザーレと結婚させろと強要する。

 ザーレは居酒屋の娘のイダに夢中になっている。イダは年上で、ザーレを子供あつかいしているが、まんざらではない(イダの祖母は「ジプシーの時」のお婆ちゃんをやったオバサンが再登場)。ザーレの祖父は呪文を唱えて仮死状態にはいり、結婚を阻止しようとするが、ダダンは死を伏せて、式を強行する。だが、アフロディタの方はお仕着せの結婚に不満で、式の最中に逃げだしてしまう。

 アヒルの群が右往左往し、白猫と黒猫が交尾し、ドナウ川は悠々と流れ、ジプシー音楽は物悲しく、陽気で、いつもながらのクストリッツァの世界である。

*[01* 題 名<] マトリックス
*[01* 原 題<] Matrix
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ウォシャウスキー,ラリー
*[05*    <] ウォシャウスキー,アンディー
*[08* 出 演<]リーブス,キアヌ
*[09*    <]モス,キャリー=アン
*[10*    <]フィッシュバーン,ローレンス
*[11*    <]ウィービング,ヒューゴ
*[12*    <]パントリアーノ,ジョー

 「バウンド」のスタッフが予算をふんだんに使って作った映画だけのことはあるが、女優が好みじゃないので、もう一度見たいとは思わない。

 SFX一辺倒ではなく、カンフー・アクションをとりこんだ着眼が光っている。サイバーパンク対肉体ではなく、ここに登場する身体は「ヴァーチャファイター」をなぞっているが、反射神経に還元される身体とはなにか。鐘下辰男の「tatsuya」でも感じたが、世界同時進行的に身体感覚がコンピュータ・ゲーム化しているのではないだろうか。この映画を材料に身体論が展開できるかもしれない。

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*[01* 題 名<] エリザベス
*[01* 原 題<] Elisabeth
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] カプール,シェカール
*[05* 監 督<] カプール,シェカール
*[08* 出 演<]ブランシェット,ケイト
*[09*    <]ファインズ,ジョセフ
*[10*    <]アッテンボロー,リチャード
*[11*    <]ラッシュ,ジェフリー
*[12*    <]アルダン,ファニー

 評判が芳しくなかったが、確かにこれは駄目だ。

 姉でカトリック教徒のメアリーはプロテスタントのエリザベスを迫害し、暗殺の危険が迫るが、メアリーが死ぬと、あっさり女王に就任。このあたりのドラマがまったく描けていない。その後も、ストーリーをなぞるだけ。

 セットと衣装と、エリザベス役のケイト・ブランシェットだけはすばらしかった。

*[01* 題 名<] オースティン・パワーズ・デラックス
*[01* 原 題<] Austin Powers The Spy who shagged me
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ローチ,ジェイ
*[08* 出 演<]マイヤーズ,マイク
*[09*    <]グラハム,ヘザー
*[10*    <]ロウ,ロブ
*[11*    <]スターリング,ミンディ
*[12*    <]トロイヤー,ヴァーン

 第一作にはおよばないが、おもしろかった。ドクターはクローン技術で1/8のミニー・イーブルを作り、タイムトンネルで1969年の英国に。国防省のスコットランド系衛兵に、デブのスパイ(マイク・マイヤーズの扮装)がまぎれこんでいて、オースティンのモジョ(精力の素)を抜きとってしまう。

 1999年のオースティンは不能になって、あわてて1969年にもどるという展開。CIA派遣の女スパイが今回のヒロイン。ドクターは火山島の秘密基地でモジョを一口のみ、たちまち発情。オランウータンのようなオバサンとことをいたし、ジュニアが生まれるという秘話が明らかになる。

 ラストは地球と恋人、どちらを助けるかで地球をとるが、過去に帰れば同時に助けられると気がつき、10分前の自分と二人で大活躍。

 ミニー・イーブルといい、分身ナルシズムがテーマなのだろうか。

*[01* 題 名<] 運動靴と赤い金魚
*[01* 原 題<]
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] イラン
*[05* 監 督<] マジディ,マジッド
*[08* 出 演<]ハシェミアン,ミル=ファロク
*[09*    <]セッデキ,バハレ
*[10*    <]ナージ,アミル
*[11*    <]サラバンディ,フェレシュテ
*[12*    <]ジャファール=モハマディ,ナフィセ

 「一杯のかけそば」級にあざとい話なのだが、傑作であることは間違いない。脚本が実によくできているし、子供たちがすばらしいのだ。水彩画のような繊細な色彩も目を見張る。キアロスタミの映画でも感じたが、イラン映画の中間色は本当に美しい。

 靴屋のオヤジが桃色の女の子の靴を糸でかがって修繕している場面からはじまる。主人公のアリがお金を払って、靴を受けとり、八百屋に回る。ジャガイモを買おうとするが、つけが溜まっているらしく、小さいジャガイモしか売ってくれない。アリは靴をいれた黒いポリ袋を木箱の間に押しこみ、ジャガイモをよりわけはじめる。そこへ屑屋の爺さんがやってきて、空箱を乗せる時に靴を盗む。

 アリは妹の靴がなくなったことに気がつき、探そうとして木箱を崩し、八百屋に追い払われる。妹のザーラは学校にいけなくなると怒るが、母親に言いつけても、給料日までは買ってもらえないのはわかっているので、アリが靴をなくしたことは黙っている。両親の前で、子供たちがノートにアラビア文字を書いて筆談する場面がある。

 「一杯のかけそば」ならぬ「一足の運動靴」がはじまるが、朝礼の時、周りの女の子の靴をつい見てしまうザーラは、自分の靴をはいている下級生を発見する。下校時間、下級生を追いかけて家を突きとめ、兄と様子を見にいくが、盲人の父が物売に出るところを見て、なにもいえなくなる。

 子供たちの父親はトルコ系という設定で、プログラムによると、イランではトルコ系は貧しいが、頑固で、宗教心が厚いという(「りんご」の母親もトルコ系という設定だった)。父親は会社で給仕をやっていて、モスクでもお茶を淹れる奉仕をしている。モスクから預かってきた砂糖の固まりを小さく砕いている場面で、家族でお茶を飲もうとして砂糖がないとわかっても、預かり物の砂糖には手を出さない。モスクの集会の場面では、父親はお茶を淹れながら、「聖者の墓を誰が護る」という説教に涙をすすりあげる。これがシーア派というものか。

 庭師がいいアルバイトになると聞きつけ、アリといっしょに高級住宅地にいくが、インターフォンごしに庭師だと言おうとしても、父親はインターフォンの経験がないらしく、しどろもどろになる。息子の方がはきはき答え、父親は「おまえはすごいな」と感心する。祖父と二人だけで暮らしている孤独な男の子の家で仕事ができ、割増をもらって、ほくほく顔で帰るが、途中、自転車のブレーキ故障で怪我をし、運動靴がまた遠くなる。

 こうして、「走れメロス」ばりのラストになるのだが、マラソンの場面はともかく、中庭の丸い池に腫れた足をいれると、金魚が寄ってくるシーンは悪くない。

Copyright 1999 Kato Koiti
This page was created on Aug11 1999; Updated on Oct10 1999.
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