五月頃だったと思うが、十年ほど前、「群像」に発表した『ノルウェイの森』論を収録したいという申し出をいただいたので承諾した。出来あがったのがこの本である。
村上春樹の作品は研究者・読者双方の謎解き意欲を刺激するらしく、夥しい批評や論文が書かれ、一定の部数がはけるということで、さまざまな本が出ている。本書を第三巻とする『村上春樹スタディーズ』は全五巻構成で、この20年間に書かれた代表的な論考を作品別に集大成している(雑誌・紀要に発表後、単行本に収録されたものが大半を占める)。
この巻には『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』と二冊の短編集について書かれた文章が集められている。以前、読んだことのある川村湊、竹田青嗣、千石英世、川本三郎諸氏の批評は今読んでも刺激的だし、「たけくらべ」と『ノルウェイの森』を比較した三枝和子氏の文章はいろいろ考えさせられた。セシル・モレル氏の報告はフランス人はこう読むのかと興味深かった。松岡和子氏の書評もおもしろい。
先行研究がこういう形で総覧できるのはありがたいが、読みごたえのある文章は作品発表後、数年以内に書かれたものばかりで、それ以降のものは感心しなかった。村上春樹の本格的な研究はまだはじまっていないということだろう。
巻頭に『ノルウェイの森』の学生寮のモデルとされる和敬塾の写真が入っていて、御丁寧に旗竿まで写っているが、これは余計だろう。あの学生寮は作品の中にしかないのである。
副題に「不完全性定理と神の存在論」とあり、おやと思った。不完全性定理はいいとして、ゲーデルに「神の存在論」とはどうしたわけか。
本書によると、晩年のゲーデルは神の存在証明に凝っていたそうである。1970年にはゲーデルのノートから存在証明を書き写した論理学者が自分のセミナーで紹介したために「ゲーデルの神がかり」の噂がひろがり、この問題にふれるのはタブーになったという事情があるらしい。
「神の存在論」はさておき、内容を紹介しよう。
第一章は不完全性定理をパズルを使って解説しているが、どこかで読んだような話で、かったるかった。第二章からは知られざるゲーデルの生涯と思想が紹介されていて、実におもしろい。天才に奇行はつきものだが、奇人は奇人を知るのか、プリンストンに移ってからはアインシュタインと意気投合し、毎日いっしょに散歩していたという。
ゲーデル夫人のアデルはウィーンのナイトクラブ「夜の蝶」の踊り子だったそうで、今風にいえばキャパクラ嬢になるだろうか。最後まで仲むつまじかったというから、世間知らずの学者が悪い女にだまされたというわけではなかったらしいが、周囲はそうは見なかった。プリンストンに移ってからはアデルは教授の夫人方から総すかんを食い、ゲーデルの孤立をいっそう深める結果となった。
ゲーデルはチェコ生まれのドイツ人だったが、ユダヤ人や共産主義者の多かったウィーン学団の一員だったためにナチスの排斥にあい、危ういところでアメリカに亡命している(シベリア経由で、横浜から太平洋を渡った)。アメリカ市民権をとるにあたり、ゲーデルはアメリカ憲法を勉強しはじめ、合法的に独裁国家にする方法を発見したと言いだした。判事の面接でゲーデルがアメリカ憲法は独裁を許すとぶちはじめたので、保証人として立ち会ったアインシュタインはあわてて話題をそらした。
さて、神の存在証明であるが、アンセルムスの証明を様相論理学の手法で精密化したものだそうで、証明の全文が訳されているが、さっぱりわからなかった。著者の解説によると、アンセルムスやデカルトの証明の域を出るものではないそうだが、数少ない理解者をあいついで喪った晩年のゲーデルの孤独を思うべきなのかもしれない。
原著は1958年に出て、不完全性定理の第一次ブームをおこした有名な本だという。最初の邦訳は『数学から超数学へ』という題で1968年に出版され、以来、ロングセラーをつづけていたのを、今年、改訳し、原題のGödel's Proofに近い題名に直して再上梓したということである。「超数学」という訳語はひっかかるが、メタ数学という意味であって、算術に関する言明を算術化するというゲーデルの証明の核心にかかわる表現だから、昨今流行の「超」とは違う。
人間的なエピソードは一切なく、20世紀初頭の数学界の状況から、ゲーデルの証明へ一直線に突き進んでいく簡にして要をえた記述に爽快感があった。わたしのような門外漢は自分で紙に式を書き写し、計算しながらでなくてはついていけないが、たとえ話やパズルではなく、ゲーデルの思考の道筋を実際に案内してもらったという充実感がある。さすが長く読みつがれてきた本である。
フェルマーの定理の証明をめぐる人間ドラマを描いた本である。数学史のおさらいがかなりの分量を占めていて、ガロアの生涯など面白く書いてあるのだが、ガロアの群論の解説はまったくない。こういう本も珍らしいが、これはこれで本として成立していると思う。
フェルマーの定理の証明についても、ワイルズがニック・カッツの協力で密かに仕事を進め、ケンブリッジでの1993年6月の最初の発表後、証明に穴があることが判明し、その穴を最終的に解決するまでの人間ドラマに主眼を置いていて、証明の内容についてはたとえ話が出てくる程度である。はじめから理解できるとは思っていないが、こういう割り切り方をされると寂しい。
ヴェイユ(シモーヌの兄)が悪役になっていて、日本通のヴェイユをかばった書評が多かったが、本書によると、谷山=ヴェイユ予想が谷村=志村予想と改称される経緯で、国際的にヴェイユの責任を追及する動きがあったようである。ブルバキ派と反ブルバキ派の対立があったのかなどという印象をもったが、実際はどうだったのか。
ほんのさわりだけ紹介されている谷村=志村予想は想像力を刺激する。どうもリズムと形の同一性を見抜いたということらしい。このあたりを素人向けに書いた本はないものか。
佐藤春夫は直接には生田長江の弟子だが、新詩社の詩文で文学開眼し、與謝野鐡幹・晶子にも直接指導を受けている。「明星」はすでに廃刊していたが、後継の「スバル」が最初の発表の場となった。佐藤にとって、與謝野晶子は文学上の恩人なのである。
本書は還暦をすぎた佐藤が若い日に出会った先師を偲んで書いた、伝記とも小説ともつかない作品だが、女学校を終わったばかりの鳳晶子が、以前漢学を教わった私塾に「長恨歌」を習いに訪れる書きだしに、目をみはった。なんというみずみずしさだろう。鐡幹との出会いで歌に目覚めた晶子が、山川登美子の助けで鐡幹と結ばれるまではこの作品の読みどころで、「文学の香気」とか「名匠の腕」などという言葉を思わず信じたくなる。「明星」にどうしても勝てなかった新聲社がピエロになって、二人のロマンスを引きたてているのはご愛敬だ(新聲社とは現在の新潮社)。
だが、後半は名匠の腕にためらいが見える。妻の名声に嫉妬した鐡幹が、不幸な結婚に傷ついた山川登美子と通じ、彼女の早すぎた死の後、あろうことか晶子に告白してしまうのだ。佐藤は山川登美子と会ったことはないはずだが、一時は晶子と並び称せられた彼女を作品を通じて敬愛していて、悪役にすることもならず、当事者同様、困っている風である。佐藤は小説家としては性格がよすぎるのだろう。
與謝野夫妻は離婚の危機を外遊で乗り越える。有名人としては別居もならず、晶子は夫をパリに留学させるのだが、すぐに恋しくなって、後を追う。ここを描く佐藤の筆はふたたび瑞々しさを取りもどし、晶子とともにヨーロッパを楽しんでいる。
佐藤春夫の訳詩集三集をあつめる。日本の近代詩はフランス象徴詩の翻訳に養われたが、これは『海潮音』、『珊瑚集』、『月下の一群』といった単なる翻訳の域を越え、独自の表現となりえた詞花集をえたことが大きい。上田敏、永井荷風の弟子にあたり、堀口大學の親友である佐藤は師友の集にならって漢詩を撰んだ。『車塵集』である。
日本の漢詩の受容には『唐詩選』より『三体詩』を好むというように、著しい偏りがあるといわれているが、「支那歴朝名媛本詩鈔」と題された本集こそ偏りの最たるもので、正統の詞華集にはまず採られない婦女子の小品を集めている。名前のみ伝わる宋代の女性の「蝶を咏める」を引こう。
かろき翅のおしろいや
黄にこそにほへ新ごろも
みやびは誰か及ぶべき
花を臥戸にふたり寝るとは
こまやかさと愉楽。大正ロココの粋といえるだろう。
『玉笛譜』は続篇で、盛唐の大家の作もはいっているが、王維では
山ひそやかに人見えで
ただ人声のひびくのみ
林の奥に入日さし
青苔の上を照したる
と、ほとんど「西班牙犬の家」の世界である。
「木蘭詩」はおやおやと思った。昨年公開されたディズニー・アニメ『ムーラン』の原作なのである。『ムーラン』に便乗していろいろな文章が書かれたが、佐藤春夫の訳があったと指摘したものはなかったように思う。自分の不勉強を棚上げしていうが、せっかくの名訳を埋もれさせてはもったいない。
「ほるとがる文」は西欧近代小説の成立に影響をあたえたといわれるポルトガル尼僧の恋文の翻訳である。ルイ14世の時代、ポルトガルの独立を、フランスは兵をおくって援助した。フランス軍士官が当地の尼僧と恋仲になり、士官の帰国後、尼僧は切々たる手紙を書き送った。士官は恋文を勲章のように思い、友人に見せて自慢したところ、評判になり、とうとう本にしてしまった。あきれた男だが、この無神経な行為のおかげで、フランスの書簡の文体が革新され、近代心理小説の礎となった。
という経緯はおもしろいが、文学史上有名な作品の例にもれず、この作の新しさも今では当り前になってしまっている。
GNUのストールマンを筆頭に、今を時めくLinuxのトーバルズ、Apacheのベーレンドルフ、シグナスのティーマン、『伽藍とバザール』のレイモンドと、オープンソース界の大立て者13名に同じ条件で文章を書かせたにぎやかな本である。よくぞここまで集めたと思うが、一筋縄ではいかない面々だけに、言っていることはばらばらで、なにがオープンソースなのか、余計わからなくなるというのが正直なところだ。
しかし、暇つぶしと割り切って読む分にはなかなかおもしろい。なにしろ、出口王仁三郎と中山みきと池田大作と庭野日敬と麻原彰晃が一堂に会したような本なのである。一癖も二癖もある教祖たちの人柄がわかって、実に興味深い。
Perl教開祖のラリー・ウォールが「実は、あなたの脳はPerlをプログラミングするようにできているのである」と書いていたり、Red Hatのヤングがブランドの効用について「ハインツ社がケチャップ市場の80%を占めているのは、同社のケチャップこそケチャップだと消費者に思いこませることに成功したからである」と書いていたり、笑える箇所があちこちにある。
真面目な話題でも、オープンソースでは避けて通れないライセンス問題について、当事者の考えを直接知ることができるのは便利だし、BSDライセンスやGPL、MPL等の誕生した経緯と比較も読んで損はない。
GNU宣言はユーザーサポートで収益をうるビジネスモデルと読めるというティーマンの指摘にはなるほどと思った。GNU宣言をはじめて読んだ時、いかがわしさを感じたのだが、その理由がようやくわかったような気がする。
トーバルズとタネンバウムの有名なマイクロカーネル論争のメールが巻末に一括して訳してあるのもありがたい。今となっては爆笑ものだが、タネンバウムはトーバルズに対し、「1991年の今どきに、モノシリックなカーネルを設計することは根本的に間違いなのです。あなたは、私の生徒でないことに感謝した方がいいでしょう。そんな設計では進級できないでしょうから :-)」とこき下ろしている。
キケロの評伝ではななく、伝統の一部となっているキケロ――テクストとしてのキケロ――を主題とした本である。最初の章でペトラルカのキケロ書簡集の写本発見を語り、「舞台の上のキケロ」と題した第三章で、シェークスピアからイプセンにいたる芝居に登場したキケロに紙数をさくのも、キケロ的伝統に光をあてるためだ。中国の学問が孔子の語録を根柢においているように、ヨーロッパの学問はキケロの弁論を礎としているのだ。
クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』や、バルトの『旧修辞学』で、キケロが重要だというのは頭の隅にあったが、ここまで巨大な存在だったとは知らなかった。
日本ではキケロが無視されてきたのみならず、キケロを根幹とするヨーロッパ文化の正統が等閑にふされ、19世紀ドイツで生まれた偏頗なヨーロッパ像が幅をきかせていたと著者は批判する。
ドイツの影響もあるだろうが、日本人は中国詩でもフランス詩でも正統には無関心で、『三体詩』やボードレールのような異端を好む傾向がある。詩は美意識の問題で、なにを好もうと勝手だが、ヨーロッパの学問の根本にかかわる問題に無知ではまずいだろう。ヨーロッパ理解の歪みに気づかせてくれる本である。
シチリアはマフィアのルーツというイメージが強いので、ヴィスコンティの『山猫』を見た時は戸惑いをおぼえた。なぜ、辺境の貧しい島に、こんなに爛熟した貴族文化があるのか。なぜ、貴族が「山猫」なのか、と。
本書を読んで、疑問が解けた。「山猫」貴族は11世紀に傭兵としてやってきて、いくたの戦いの末にこの地に王国を築いたノルマン人の末裔だったのだ。
11世紀のシチリアはアラブの支配下にあり、イランの高度なサイフォン式灌漑施設が整備され、果実や穀物がたわわに稔る豊かな島だった。イタリア半島の踵からつま先にかけてはビザンチン帝国の勢力圏で、多数のギリシア人が居住し、カトリックを奉ずるイタリア人と対峙していた。ノルマン人は三大勢力のバランスの上に王権を確立し、イスラム教、東方正教会、カトリックという三大の文化が共存する、驚くべき王国を150年にわたって維持した。古代ギリシアの古典が、この地でアラビア語やギリシア語から訳され、12世紀ルネサンスの原動力となった。
ノルマン王朝直系の断絶でシチリア王位は神聖ローマ帝国皇帝を出すホーエンシュタウフェン家に移る。フリードリッヒ二世の治世の間はよかったが、没後、アンジュー家に支配が移ると、アラブ人を強制移住させ灌漑設備は崩壊し、王国の繁栄はあっけなく終わる。ヴィスコンティの『山猫』は中世の繁栄の余香をとどめていたのである。
実に興味深いが、この分量では食いたりない。もっと詳しい本が読みたい。
滅びつつあった恐龍にとどめをさした6万5000年前の隕石衝突の解明に日本人がいどむ話である。
隕石の衝突地点はユカタン半島のチチュルブ付近と比定されている。地の利でいえば日本は不利なはずだが、地球の裏側からやってきたことが日本チームにチャンスをもたらした。アメリカ人研究者が立ち入ることのできないキューバを調査し、津波の存在を証明する地層を発見したという。
6万5000年前のキューバは衝突地点にごく近い海底だった。衝突後の降灰が降り積もってできたK-T境界層は遠く離れたヨーロッパでは厚さ数センチ、近いメキシコ湾岸でも数メートル程度だが、日本チームはハバナ近郊で厚さ180メートルにおよぶ堆積を発見する。しかも、下方ほど粗い粒、上方ほど細かい粒になっており、衝突後の津波で舞い上がった海底の泥が沈殿したと考えられている。
隕石が大気圏を貫いた際の衝撃で大気が高温になり、窒素と酸素が化合して(!)、大量の一酸化窒素が発生したという話を読むと、頭がくらくらしてくる。
白亜紀までのプレートの移動速度は今よりも速かったという。移動速度が衝突を境に遅くなったのは衝突のショックでマントル対流に変化が起きたのではないかという説もあるそうだ。
ペリー来航から明治19年までの30年間を描いた歴史小説である。藤村は1930年代に本書を書いているから、現在にスライドさせると、関東大震災前から朝鮮戦争前までの期間を描いたことになる。近いだけでなく、自分の父親と、馬籠の本陣だった生家の盛衰を描いている。歴史は歴史でも、地続きの歴史なのだ。
本書の舞台はほとんど馬籠だが、中山道の宿場だけに、関東に降嫁する皇女和宮の行列も通れば、水戸天狗党、長州征伐で敗退した幕府軍、新政府の東征軍も通る。幕府の権威の失墜とともに助郷の不参が多くなり、宿役人だった主人公は封建秩序の崩れを目のあたりにする。
庄屋層には平田国学に心を寄せる者が多かった。平田国学は廃仏毀釈の元凶であり、狂信的な運動という印象が広まっているが、古代回帰は中世的な支配関係を御破算にするという革新性をふくんでいたことを忘れてはならない。木曾と伊那谷は平田国学の金城湯池で、京都を追われた勤王の志士の避難所となっていた。
だが、薩長新政府の権力奪取が一旦なると、「御一新」は「御維新」と言い換えられ、勤王庄屋たちの期待はことごとく裏切られていく。官軍の行進を物見遊山にながめていた下々の者の目の方が確かだったのである。主人公は真っ正直に理想を信じたがために、悲劇的な結末にいたる。勤王と佐幕と正反対だが、新撰組を応援した多摩の庄屋の運命に通ずるものがある。
大昔、丸谷才一の文章に教えられて、冨山房百科文庫から出ていた全三巻の『茶話』を読みかけたことがある。二ページか三ページのコラムを集めた本なので、電車の中などでちびちび読んでいるうちに、中巻と下巻がどこかにいってしまい、途中でやめてしまった。
冨山房版は書店で見つからなかったので、最近、岩波文庫にはいった著者自選本で読んでみたが、こんなに面白い本だったのかと、目を見張った。とんがった文章をありがたがっていた頃にはわからなかったが、これは至芸である。八〇年以上前に書かれた時事的な文章なのに、すこしも古びておらず、新鮮という印象すら受ける。
ネタは英語雑誌の一口話や江戸期の随筆からとっていても、語り口はやわらかく、洗練をきわめていて、戸板康二の『ちょっといい話』にはこういうお手本があったのかと納得した。
口当りがいいのでさらっと読んでしまうが、乃木希典の書簡を女中がほしがる話などは危険な内容であろう。こういう文章が自選集にまではいったということは大正リベラリズムを抜きにしては考えにくいのではないか。
『茶話』の連載からもってきた文章もはいっているようだが、やや遅れて書いた随筆を集めたのではないかという気がする。最初と最後の部分は『茶話』とはずいぶん印象がちがうのである。
岩波文庫版『茶話』は自選本なので、ことさらそうした篇を集めたのかもしれないが、欧米の偉人の話柄が多く、人生訓といえなくもない文章が散見する(当時はそうした需要があったのだろう)。ところが、本書の諸篇は植物や昆虫、小動物にふれて、自分の内面をのぞきこむ体の文章が多い。食にかかわる話題も目につき、自然を見て楽しむというより、舌で味わおうとしているけしきも見える。
だが、旺盛な食欲のせいというわけではなさそうだ。食いしん坊だから、海老を見ても、新芽を見ても、食べ物に見えてくるという単純明快な話ではなく、味覚・嗅覚を手がかりに、生きる意欲を必至にかきたてようとしている風で、それゆえ、読むすすむにつれて切なくなってくるのである。
こういう枯淡の境地に落ちつくのが、日本の随筆なのだろうか。
原弘を筆頭に、戦後のブックデザインをリードした11人の装幀家の仕事を紹介した本である。冒頭のカラー口絵のほかにも、多数の書影がおさめられているが、懐かしい本がかなりある。
今日、本の売行は装幀の出来の良し悪しに左右されるところが大きいが、1960年代まではそうではなかった。詩集や特装本を別にすると、装幀は編集者が担当することが多かったという。
ところが、安保世代の中から、自己主張の強い装幀をおこなうデザイナーがあらわれてくる。1970年前後の造反有理の風潮の中で、工作舎の本に代表されるような、とんがった装幀をまとった、とんがった本が増えてくる。この過程で装幀が認知され、世の中の保守化と出版界の商業主義が進んだ後も、独立のジャンルとして存在感を増していると著者は要約している。
装丁という裏方の仕事に光をあて、データを集めた点は評価したいが、流行まで政治的にこじつける左翼小児症的発想と、いちいち力こぶをいれる全共闘世代特有の文章は疲れる。
芹沢光治良は海外生活で身につけたモダニストの面と、土俗的な宗教家としての面があるが、この作品は前者で、中国革命にかかわったフランス人を主人公に、理想に裏切られた人間の虚しさを描いている。
ジャックはアナーキスト一家の三代目。ピアニストを目指していたが、第一次大戦で指に負傷し、自暴自棄になるが、アナーキズムの研究家、コルネリッサン夫人に励まされ、社会学者として再出発する。二人は愛しあうようになり、夫人は夫を捨てて彼と暮しはじめる。二人の家は中国人留学生のたまり場になるが、その縁で、ジャックは中国の大学に招かれ、来るべき革命のために社会科学を講ずることになる。
ジャックはコルネリッサン夫人を捨てて、中国と中国人の教え子を愛するようになるが、夫人は苦悩の末に彼を許し、自分の財産を彼と彼の妻に遺す。
夫人を裏切ったジャックは、しかし、中国に裏切られる。革命後の共産党政権は財産を没収した上に、国外追放にする。混血の娘は彼を父親とは認めようとしない。
コルネリッサン夫人は愚かな愛を選んだがために人生の意味を見いだし、ジャックは思想を選んだがために。徒労のうちに生涯を終えることが暗示されている。
1961年の作品なので、ここで終わっているが、ジャックの娘は文革を無事に乗り切ったのだろうか。外国のスパイとしてリンチで殺された可能性はかなりある。
四巻本の密教論集の第二巻で、チベットとネパールの密教をあつかう。
本書には15人の筆者による16本の論文がおさめられている。ゲルク派とツォンカパが中心だが、従来、一般向けにはあまり紹介されてこなかったサキャ派と、チベット密教の亞流視されていたカトマンドゥ盆地のネワール密教に比較的多くの紙幅がさいている。ある論文でサキャ派の祖師の「赤の御二方」と「白の御二方」が逆になっていたので、著者にメールで問い合わせたところ、うっかりミスだという返事があったが、正誤表を自分のサイトに載せるでもなく、それきりだった。クロスチェックの効きにくい分野だけに、誤りの放置はまずいと思う。
序論で編者は仏教、特に密教が滅びつつあると力説しており、滅びる前に記録しておかなければという危機感が伝わってくる。中国共産党がチベットでおこなっている蛮行はいよいよ過激化し、外国に出た難民も厳しい状況におかれている。弾圧のないネパールでも仏教離れが進み、観光スポットで有名な目玉寺の維持すら難しくなっているという。
こうした状況がある以上、研究者としての危機感はわかるけれども、密教はそんなにヤワではないだろうという気もする。
アマゾンでは毎日、四国の面積に匹敵する原生林が失われ、毎年、一つの部族が滅びているという。部族が滅びるということはその部族が伝承してきた薬草の知識が失われることでもある。
著者は民族植物学者で、先住民の間で伝承されている薬草の知識を記録するために、20年以上、フィールドワークをつづけているが、本書は民族植物学との出会いから最初のアマゾン行、研究者として独り立ちして、単身で調査におもむき、ついには先住民に利益還元するための事業を起すまでを語っている。
上下二冊の本だが、文字通り巻をおくあたわずで、一気に読んだ。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読んだ時、構造主義の開祖のナイーブさに意外な印象をもったが、本書の著者はさらにナイーブで、先住民の文化を破壊している伝道団や先住民と敵対関係にある開拓農民と昵懇になり、彼らの立場をおもんばかるようになるあたりの素直さなど、感動ものである(悪い意味ではなく)。
読了した翌日、テレビ朝日の『宇宙船地球号』で「薬草の宝庫アマゾン」が放映されたが、著者のプロトキンが出演しているではないか。彼を最初にジャングルに案内したマルーンのフレデリックや、通訳兼案内役をつとめてくれたカマインジャ、彼らの住む村々までが登場したので、不思議な気分になった。
先住民に利益を還元するためにシャーマン製薬(!)という会社を作ったという最後の章の記述に抵抗をおぼえたが、TVに映しだされたカマインジャのすっかり西洋化した光景を見て、著者の選択はやむをえなかったのかもしれないと思うようになった。
谷崎潤一郎を論じた文章の白眉『谷崎文学と肯定の欲望』の五年後に、全集の月報に連載した原稿をまとめた本である。出版まで十年以上かかっているが、拾遺的な内容なので、時間をおいたということかもしれない。『肯定の欲望』を越える見解が述べられているわけではないが、同書はずっと品切がつづいているので、貴重な一冊といえる。
文学史上有名な佐藤春夫との「夫人譲渡事件」を、「肯定の欲望」の観点から解釈したくだりは説得力がある。谷崎は自分には失恋が創作の原動力になるどころか、筆の勢いをそいでしまうことがわかっていたので、夫人を奪われたのではなく、谷崎自身が親友のためを思って自ら譲渡したという形を作らざるをえなかったというわけだ。もちろん、男の面子云々より深いレベルでの話である。
松子夫人との結婚にいたる経緯も「肯定の欲望」の見地から見直されていて興味深い。
辛亥革命の3年前、紹興で蜂起しようとして斬首された秋瑾の伝記である。
秋瑾は中国では女士、女侠、烈女と呼ばれている。日本留学中、なみいる男子学生を前に、演台に日本刀を突きたて、祖国に帰って裏切る者があったら、この刀で殺してやるとタンカを切ったというが、言葉にたがわぬ直情径行の行動派で、蜂起が発覚した後も、アジトの大通学校に踏みとどまり、死を選んだ。碇豊長氏のページで氏と肖像写真を見ることができるが、女傑にふさわしい凜々しい顔だちである。
抜身の刃のような女傑の生涯を、武田は時に茶化し、時にあきれ、時に讃歎しながら描いていく。悲劇にしようと思えば、いくらでも盛りあげることのできる主題を、阿Q的な視点というのだろうか、革命もなにも知っちゃいない中国民衆の芒洋たる眼差しで相対化するところに、武田の面目がある。これを仏教的とか、無常と呼ぶのは違う気がする。
中国の革命運動に秘密結社はつきもので、天安門事件の時にも、学生を逃すために幇が動いたと言われたが、辛亥革命は幇なしにはありえなかったわけで、本書にも革命党派と秘密結社の骨がらみの関係が垣間見えている。孫文の同盟会がフリーメイソンさながらの、おどろおどろしい入会儀式をおこなっていて、秋瑾も日本で儀式に参加してメンバーになった。今日の日本の感覚ではうかがいしれない闇が中国革命にはある。
秋瑾ほど進んだ女性が纒足だったというのも、今日的感覚ではぎくりとする部分である。こうした異和をも呑みこんで、武田の文章は悠々と流れていく。
表題もさることながら、内容も挑発的である。まず、移植用心臓弁と血管の加工・販売でトップに立つアメリカのクライオライフ社の躍進ぶりを紹介した後、フィリピンとインドの臓器売買の実態を報告する。著者はジャーナリストではなく、法学者なので、ルポルタージュ風に書いているとはいえ、学問的な冷静な筆致を失わない。それでも十分に神経を逆なでしてくれるのである。
フィリピンの場合、ある死刑囚が1975年に減刑嘆願をねらって腎臓を提供したのが最初だというが、なしくずし的に臓器売買になだれこみ、著者が調査した1992年では5万ペソ(250万円)とTV、扇風機などの電気製品が相場だったという。フィリピンの刑務所には本格的な工場や農場が併設されており、囚人は家族に仕送りするのが普通だそうで、腎臓を売ってえた金は家族にわたるという。
これに対して、インドの場合は一般の人間が自発的に臓器を売っている。最下層の貧しい人々が生活のためにやむなく売るのかと思いきや、最下層では栄養状態が悪いので商品価値がないので、一応、食べるに困らない人たちが、生活のレベルアップをはかって売るケースが多いという。客は中東や東南アジアからの外国人が多いが、ほとんどは中産階級で、腎臓透析を一生つづけるよりも安くあがるという理由から移植を選ぶそうだ。フィリピンと違って、妙に明るい印象を受けた。読んでいるうちに感覚がずれてきたのだろうか。
後半では著者の専門である法律の見地から臓器移植を考察しているが、ここが一番挑発的な内容をふくんでいる。内蔵に所有権を設定できるかという議論にはじまり、内蔵公共資源説などという飛んでもない学説まで登場する。中国では、この考え方にもとづいて死刑囚を強制的にドナーにしているという。しかし、先日、アメリカで、ドナーが白人にのみ臓器を提供すると条件をつけたことが問題になったが、こういう暴論を防ぐには臓器公共資源説という別の暴論が必要なのかもしれない。
これだけでもたくさんという気分なのだが、最後に付論として、臓器移植=カンニバリズム説を展開している。著者はカンニバリズムだから臓器移植は許されないと言っているわけではなく、移植医療の本質がカンニバリズムであることを直視しなければ、きちんとした議論ができないと指摘している。
プロトキンの『シャーマンの弟子になった民族植物学者の話』に、赤道直下に住むティリオ族が氷河期のベーリング海峡横断をおもわせる伝承を伝えているという記述があり、前から気になっていたこの本を読むことにした。
アメリカ北東部に勢力をはったイロコイ連邦(インディアンの部族連合)は、1810年、伝統的な宗教からキリスト教に改宗することを決めるが、オナイダ族の語部であるツィリコマーという女性は古い伝承を守るために、先祖伝来のワンパムベルトを持ちだして逃亡する。著者のアンダーウッドはツィリコマーの子孫にあたり、オナイダ族が伝えてきた氷河期の北米大陸移住にさかのぼる物語を文字にしたのが本書だという。
わくわくする話だが、いざ読んでみると、疑問点が目につく。
本書によれば、オナイダ族の先祖は氷河期の終わりに、朝鮮半島の付根のあたりに住んでいたが、地震と津波で故地を失い、わずかな生き残りだけで新天地を目指した。海没しかけたベーリング陸橋をわたった時は乳飲子をいれても52名まで減っていたという。それはいいのだが、まったく氷が出てこないのは妙な話で、一族は軽装で移動している風である。
真ん中あたりに、さらに古い伝承として、乾燥のために森がなくなり、サバンナに出ていったというチンパンジーから人類が分かれる当時の記憶が語られるが(いわゆる「イースト・サイド・ストーリー」だ)、その一方、アクア説への言及がみられる。
ポリネシアの周海民族が登場するかと思えば、アトランティス伝説の元になったとされるサントリーニ島から脱出した巨石民族との出会いもある。どこかで読んだような話が次々と登場してくるのは吹き寄せの趣向か。核になる伝承はあるのかもしれないが、『東日流外三郡誌』の北米版という疑いをぬぐいきれない。
モンゴロイドはコーカソイド(白人)からわかれてアジアで進化したらしいが、氷河期にアメリカ大陸にわたる一方、マレー半島の先にあったスンダ大陸からニューギニア、オーストラリア、ミクロネシアに拡がり、太平洋経由で南アメリカに達していたらしい。環太平洋火山帯はモンゴロイド・ベルトでもあるのだ。
本書は『一万年の旅路』の訳者の星川淳氏が、モンゴロイドの足跡を追って、アラスカからロッキー山脈東麓を南下してアメリカ中西部に出て、西海岸にいたった紀行で、各地のインディアンの生活の現状と、新しい動きを紹介している(ネイティブ・アメリカンという呼称があるが、本人たちが「インディアン」と自らを呼んでいるそうだから、インディアンでよいだろう)。
おもしろい話が多いが、『GEO』というビジュアル系の雑誌の連載なので、読物としては物足りない。写真についた長めのキャプションと割りきった方がよく、文章を読みたければ、同時期に刊行された『環太平洋インナーネット』を読むべきだ。