NHKは「よど号と拉致」というドキュメンタリーの前編・後編を5月31日、6月1日に放映した。
「ハイジャック犯 妻たちの実像」と題された前篇では、警察庁外事課がソウル五輪を前に作成した、よど号グループの妻たちの日本での詳細な活動記録をもとに、彼女たちが接触した関係者や住んだ住居、勤務した職場を取材し、北朝鮮の秘密工作にかかわっていたさまを浮彫りにした。警察庁はこの時点で、拉致の一部をつかんでいたのである。
後編の「北朝鮮 大物工作員の暗躍」では、よど号グループの世話係をつとめたキム・ユーチョルのヨーロッパでの足どりを、西側・東側の情報機関の記録をもとにたどり、よど号グループとその妻たちが、彼の指揮のもとに日本人拉致をおこなっていた事実を明らかにした。
驚いたのは有本恵子さんがモスクワ便に乗せられる直前の写真が、西側情報機関によって撮影されていたことである。北朝鮮はラングーン事件や大韓航空機爆破事件の前から、ヨーロッパで拉致未遂や麻薬の密輸をおこなっており、西側情報機関のみならず東側情報機関も神経をとがらせ、北朝鮮工作員の動向を逐一監視していたのだ。
番組では、ザブレブに秘密工作の拠点を作るために、旧ユーゴスラビアと北朝鮮がおこなった秘密交渉のもようを記録した文書や、東ドイツの秘密警察、シュタージに残っていたキム・ユーチョルのファイルを探しだし、さらには秘密交渉にあたった外交官や工作員と接触した関係者の証言までを、生々しく映しだした。
これまで闇につつまれていた拉致事件だが、その筋の人間の間では闇でもなんでもなく、周知の事実だったのである。
江戸開府400年を記念して開かれた東京新聞と漢字文化振興会主催の「漢字文化――江戸に学ぶ」をのぞいてきた。昨今の漢字ブームを反映してか、600人収用のホールに立見の出る盛況だった。
プログラムはまず、徳川記念財団理事長徳川恒孝氏の講演、「徳川時代と現代」からはじまる。徳川300年の太平が近代日本の発展を準備したという趣旨だが、欧米の日本通といわれる人の間でも、日本の近世史はまったく知られていないという話が耳新しかった。
徳川氏は海外勤務の長いサラリーマンだったそうで、商談で話題に詰まると、同行した人がこの人は第18代将軍だとふるのだが、Shogunという言葉は島田楊子主演の映画で知られているものの、江戸時代の知識がまったくないので、かえって戸惑わせてしまうという。
戦前は明治維新をもちあげる必要から江戸時代が貶められ、戦後はマルクス主義一辺倒がつづいて貧農史観が広まり、日本人自身が江戸時代を恥ずかしい時代のように思いこみ、外国に伝えようとしてこなかったからではないかと語っていた。確かにそうだろう。
次にNHKの漢詩講座の石川忠久氏。石川氏は旗本の家の生まれだそうで、徳川御宗家を前座にするとは畏れ多いと前置してから本題の江戸漢詩の話にはいる。
江戸時代の文化は1700年前後をピークとする元禄期と、1800年前後をピークとする文化文政期という二つの峰があり、元禄期が中国の詩を忠実になぞろうとしたのに対し、文化文政期になると自由自在に文字をあやつれるようになって、パロディなど日本独自の遊びの要素をいれるようになったという展開を、実作を名調子で朗誦しながら語った。魯迅の黄鶴楼のパロディが、日本留学時代に親しんだ狂詩の影響だったという指摘がおもしろかった。
内容もさることながら、御両人とも語り口が洒脱で含蓄が深い。江戸文化の粋が人間の形をして演壇に立っているという印象である。
休憩後、神津カンナ氏がくわわってパネル・ディスカッションがはじまる。進行役がボソボソつぶやく新聞記者だったので、スムーズに話がつながったわけではないが、話題一つ一つは興味深いものだった。
神津氏は国立国語研究所の活動に参加していて、若者の語彙が著しくすくなくなっていると指摘していた。親に説教される事態を表現するのに、30年前の調査では「お目玉をくらう」、「小言をいわれる」、「油をしぼられる」とたくさん出てきたのに対し、最近の調査では「怒られる」、「説教される」くらいだそうである。
語彙が貧弱だと、他人に伝達できないのはもちろん、自分で自分の感情を客観的にとらえることができなくなる。「チョームカツク」の世界である。徳川三百年の爛熟で、日本全体に分厚くゆきわたった言語文化が危機に瀕しているという指摘は重要である。
徳川恒孝氏について検索したところ、「系図で見る近現代史」というページに、こんなエピソードがあった。
皇太子ご夫妻に平成13年12月1日に誕生した女児・敬宮(としのみや)愛子さまの文運と健康を祈り、その六日後の12月7日に「浴湯(よくとう)の儀」が行われました。平安時代の古装束をまとい、旧大名家が行うことが慣例となっている鳴弦役を務めたのがこの徳川恒孝氏と加賀前田家18代当主・前田利祐(としやす)氏(宮内庁委嘱掌典)。
実は、このお二人、日本郵船の本社で一時期、机を並べた先輩後輩の間柄で、当時のある上司は「徳川と前田の当主を使うのは豊臣秀吉以来、おれが初めてだ」と「徳川」「前田」と大声で呼んではご満悦だったらしい。
この気持ちよ〜くわかりますよね。
テレビ東京の「ガイアの夜明け」で北朝鮮をとりあげていた。経済ドキュメンタリーという分野を切り開きつつある番組だけに、北朝鮮最大の商社で日本を担当する李徹龍氏を一年間追いながら、北朝鮮経済の現状をレポートするという切口がおもしろい。外貨稼ぎにつながるという思惑で許可されたのか、はじめて紹介される映像が多かった。
李氏が手がけているのは、日本の紳士服メーカーからのスーツの委託加工である。中国だと一着あたり5900円かかるが、北朝鮮だと5100円でできるのだそうである。工場を「戦闘場」と呼んでいるのは笑ったが、マスゲームの得意なお国柄なので、品質はある程度のレベルに達しているのだろう。
李氏は日本の繊維業界相手の仕事を7年もやっているのに、ユニクロの存在を知らなかった。日本からビジネスマンを招いたイベントのもようも映していたが、双方の情報ギャップが大きすぎて、商談にはいる前の段階でつまづいていた。かの国の情報鎖国はここまで徹底していた。
乱心刺繍という朝鮮伝統の技術に目をつけた京都の和服メーカーから引合いがあり、新規ビジネスがうまく動きだすかが番組の山場になったが、合間に挿入される現状レポートも興味深かった。
まず、羅先市経済特区の現在である。北朝鮮は1991年、中国・ロシアと国境を接した羅先市を経済特区に指定し、ゴールデン・トライアングルと鳴物入りで売りだしたが、10年間で300億ドルの外資を呼びこむはずが、まだ2億ドルしか投資がないという。
投資が進まないのは、インフラ整備が駄目だからだ。外資が来ないからインフラを整備できないと担当者はこぼしていたが、今頃になって卵が先か、ニワトリが先かの議論をしているようでは先は見えている。
火力発電所がちらと映ったが、李佑泓氏の著書にある通り、電信柱の列があった。低圧送電をいまだにやっているのだろうか。
香港資本の高級ホテルがポツンとあったが、観光客の姿はなく、中国で禁止されているカジノ目当てに中国人が訪れる程度。党中央と特別なつながりのあるらしい「地元有力者」を取材していたが、社長は日本製電気製品が一通りそろっていると自慢していたが、どんなビジネスをしているかは最後まで明かさない(ナレーションでは裏ビジネスを示唆していた)。
昨年7月に断行した経済改革も、伝えられるとおり、無残な失敗に終っていた。配給制度を廃止する代りに、闇にながれていた商品を国営商店にもどそうと、公定価格と給料をあげたのだが、闇価格が10倍高騰しただけで、国営商店はあいかわらずがらんどうである(本当に何もないのだ)。商品が増えないのに、給料を十倍に上げれば、インフレになるのは当たり前なのだが、マルクス経済学で頭脳を破壊されていると、こういう不条理なことをやってしまうのだろう。
視覚障碍者のためのポータル・サイト、www.eyelink.jpが正式にオープンした。多くの有益なサイトに混じって、拙サイトの作家事典もリンクしていただいている。うれしいことである。
視覚に障碍があるのにホームページが閲覧できるのかと疑問をもつ方がいるかもしれないが、パソコン通信の時代から、コンピュータ・ネットワークは、障碍をもつ方々にとって、社会とつながる重要な回路となっていた。画面の文字を読みあげてる常駐ソフトがいくつも無償公開されていて、それを組みこんでおけば、晴眼者に近いレベルでコミュニケーションできたのだ。大手ネットには、必ず視覚障碍者のためのBBSがあったものである。
だが、WindowsとWWWの時代になると、事情が変った。c:\>jxwとコマンドを打ちこむのではなく、アイコンや、リンクをはってある語句(通常、下線で区別される)にマウス・カーソルをあわせ、クリックするだけでよいWindowsやWWWの操作法は、晴眼者にとってはわかりやすいけれども、障碍をもつ方にとってはかえって新たな障壁となったのだ。
幸い、大手メーカーや有志によって音声ブラウザが開発された。授業で紹介する必要から、一時、IBMのホームページ・リーダーの試用版をパソコンにいれていたが、地の文は男の声、リンクの張ってある語句は女性の声で読みあげるように工夫されていて、ネット・サーフィンとまではいかないものの、リンク先に飛べるようになった。
ただし、実際に使ってみるとわかるが、決して使いやすいものではない。恐ろしく使いにくい、といった方が正確だろう。
そこで、すこしでもスムーズにページを閲覧してもらえるように、W3CはWAIというガイドラインを定めている。アクセシビリティを高めるノウハウを公開した個人のページや、企業のページもある。
アクセシビリティを高めるといっても、要はW3C勧告の通りに正しいhtmlを書けばいいのであるが、現状ではこれが意外に難しい。ホームページ作成ソフトはなにかといってはtableタグを使い、表組レイアウトにしてしまうからだ。アクセシビリティの観点からは表組レイアウトは最悪である(もちろん、拙サイトでは使っていない)。
と、わかった風なことを書いているが、実は拙サイトは視覚障碍者の方々にとって、一つ問題を残している。WAIは意識しているし、W3C勧告もほぼ満たしているはずだが、JIS基本漢字にない文字を「森鷗外」のように、文字参照で出しているのがネックになっているのだ。現在の音声ブラウザはどれもシフトJISで内部処理をおこなっているらしく、「森鷗外」が「モリ ソト」になるというように、文字参照の漢字は読み飛ばされてしまうのである。
すこしでも類推が効くように、文字参照を使った固有名詞には「
責任転嫁といわれればそれまでだが、本質的な解決には音声ブラウザがユニコードに対応することが必要である。不況の影響か、これまでアクセシリビティに熱心だった企業が、音声ブラウザの開発から手を引いてしまった例もあるという。しかし、障碍をもっている方々にとって、WWWは社会につながるかけがえのない手段である。音声ブラウザが一日も早くユニコードに対応することを願う。
有事関連3法の影で、とんでもない法案が通ろうとしている。その名を「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律案」、通称「出会い系サイト規制法案」という。
出会い系サイトで横行する援助交際――児童売買春――をとりしまろうという趣旨だが、問題は援助交際をにおわせる書きこみをしただけで、捜査や処罰の対象になってしまうことだ。金銭の授受でも、現実の接触でもなく、単なる書きこみが犯罪だというのだから、なりすましで簡単に冤罪が発生する。
Mainichi INTERACTIVEの記事から引こう。
特に「なりすまし」の問題は大きい。同法案の第6条では18歳以上の大人に対して「児童を性交の相手方として誘引する」だけでなく、「対償を示して児童を異性交際の相手方となるよう誘引する」ことを禁じている。実際に買春したかや、援助交際をしたかは関係ない。書き込みだけで、処罰(100万円以下の罰金)される。書き込みの連絡先として、誰かの電子メールアドレスや携帯電話番号を登録、記入しただけでも、その誰かが捜査対象になる可能性がある。
マスコミは有事関連3法で騒いでいるが、はっきりいって、こちらの法案の方が後々の影響力が大きいと思う。あるのかどうかわからない「有事」よりも、警察に日常的にここまでフリーハンドの権限をあたえる方がはるかに危険である。
もちろん、メールアドレスや携帯番号を騙られる程度なら、有罪にならないだろうが、捜査の対象になってパソコンや携帯電話、プロバイダのログを押収されてしまう。しかも、職場で使っているパソコンを席を立っている隙に使われたり、携帯電話を他人に使われたりしたら、冤罪の証明はきわめて難しくなる。
この危険は谷垣国家公安委員長も認めている。再び、Mainichi INTERACTIVEから引く。
谷垣国家公安委員長は3日、岡崎委員の質問に対し、「なりすましは他の犯罪でもありうるが、インターネットの場合は(なりすましが)より想定され、また捜査もなかなか難しい」と懸念を表明した。その上で、捜査の手順について「不正誘引の書き込みについて、サーバーを特定し、通信記録を差し押さえ、端末を特定する。端末を実際に利用した者を特定するために、端末の契約者や利用時間を特定することになる」と説明。さらに「被疑者の特定に困難さがあることについては、配慮が必要だ。他人になりすまして書き込みをするケースに対して、より慎重な捜査手法を確立していかなければならない」と述べ、えん罪の防止に現状では「慎重な捜査」しか手立てがないことを明らかにした。
冤罪防止には「慎重な捜査」しか手立てがないということは、すべては警察の胸先三寸だということだ。
「利用時間を特定」というのは、アリバイを指しているのだろうが、書きこみがされた時刻に、パソコンのある場所とは別の場所にいたことが証明できたとしても、時間をずらして自動的に書きこみをするぐらいは簡単にできるから、アリバイとして認められるとは考えにくい。自分の機械を書きこみに使われてしまったら、万事休すである。
100万円以下の罰金は、奇しくも個人情報保護法案に違反した公務員と同額である。援助交際をにおわせた書きこみをするのと、住民の個人情報を漏洩するのが同じとは恐れいる。
あきれたことに、警察は「インターネット異性紹介事業」の健全育成(笑)の観点から、「ガイドライン」を準備しているという。パチンコ業界を天下り先にしたように、出会い系サイトの利権化を目論んでいるのだろうか。
この無茶苦茶な法案は5月15日に衆議院を通過し、間もなく参議院でも可決されようとしているのに、毎日新聞以外、とりあげているところはないようだ。マスコミのコンピュータに対する無知がここまでひどかったとは。
「月刊現代」に朝鮮人民軍元幹部のインタビューの続編が掲載された。6月号では「脱北将軍」と呼ばれていたが、今回、安永哲という仮名と「人民軍出身の脱北者では最高クラスの佐官」であることが明らかにされた。
今回の証言でも疑問の箇所がないわけではない(元幹部は都合よく、横田めぐみさんの夫の知りあいだったりする)。あくまで彼を保護下においている機関の意図を忖度しながら読まなければならないが、証言の生々しさという点では前回をしのいでいる。
以下、内容をざっと紹介しよう。
北朝鮮は過去30年近くにわたって、多くの国々から総計数百人を拉致した。一昨年時点で生存している日本人拉致被害者は108人にのぼり、6グループにわかれる。
横田めぐみさんは第2グループ、蓮池さんら帰国した5名は第4グループに属していた。不適応の第5グループは政治犯収容所で炭鉱労働をやらされていたが、騒動を起したため、首謀者らが処刑され、残りは北部の別の収容所に移送された。
気になるのは次の条だ。
拉致された日本人のうち、厳重監視区域に住む人々は、結婚して子供が生まれても、物心がついた頃には、夫、妻、子供が全員別居させられ、子供には徹底した思想教育が施されます。横田めぐみさん一家も同様だったようです。
現在15歳という金ヘギョンさんは、日本メディアとのインタビューで、「5〜6歳の時、入院中のお母さんが亡くなったとお父さんから聞きました」と答えています。これは、幼少時から母親と隔離されて育ち、朝鮮労働党の命じるままに父親が「母親は死亡した」と説明しているため、そのまま信じ込んでいるのでしょう。
北朝鮮は拉致してきた外国人を計画的に北朝鮮人と結婚させ、生まれた子供を両親から引きはなして育て、成人すると工作員として親の出身国に潜入させるとしている。
こうした拉致被害者二世の工作員が、世界各地に200名もいるとなると、眉に唾をつけたくなるが、そうしたケースがあったとしても不思議はない。
次の部分も見すごせない。
日本政府がどうしても5人を送還しないというなら、金正日はこの件に関して日本に謝罪と倍賞を要求するでしょう。逆に言えば、日本政府がこの件に関して謝罪と倍賞を行うなら、金正日の性格からみて、北朝鮮に残されている5人の家族全員を日本へ送ることも十分あり得ると思います。
要するに、日本は北朝鮮に金を出せということである。一応、「断固たる外交を行うべきです」という言葉で結んであるが、元幹部の後ろに控える機関の本音はこのあたりにあるのかもしれない。
1年3ヶ月ぶりに早稲田松竹に映画を見にいった。
早稲田松竹はもとは松竹系の封切館だったが、大学に通っていた時に名画座に転向し、今でも年に10回以上いっている。ここの二本立てのおかげで、ノーマークの傑作に何本もめぐりあうことができた。
昨年3月に、突然、休館した時はがっくりした。早稲田松竹復活プロジェクトができたりしたが、まず無理だろうとあきらめていた。しかし、今年1月、奇跡の再オープンをとげた。すぐにいこうと思ったが、見た映画がつづき、これはという番組の時には新文芸座の見逃せない特集がぶつかったりして、5ヶ月たってしまった。
今頃出かけるようでは、偉そうなことはいえないのだが、改装以来なじみの客席にかけると、肩の力がゆるんだ。
高田馬場駅も1年近く降りていなかった。数年前までは、映画以外に、古書店街で本探しをすることもあったが、この頃は必要な本はネットで探せる。ネット経由だと多少割高だが、あるのかないのかわからない本を探し歩く時間を考えると、結果的に安くあがる。
街は1年くらいでは変らない思ったが、今晩の「出没! アド街ック天国」でたまたま高田馬場をとりあげていて、ベスト30のうち、はじめて聞く名前が半分以上あった。
日本点字図書館くらいは知っていたが、つまみかんざし博物館や仮説社は存在すらしなかった。仮説社は番組では科学オモチャの店のような紹介をしていたが、ホームページを見ると出版もやっているらしく、かなり怪しげである。今度、のぞいてみよう。
万景峰号が新潟来航を中止した。勝谷誠彦氏の「校門で持ち物検査やっているのを見て引き返すツッパリ
」というコメントには笑った。
朝鮮総聯側はただちに抗議の談話を出した。「善隣友好関係の樹立を確約した朝・日平壌宣言にも反する
」そうだが、プルトニュウム抽出を公言し、非公式とはいえ核保有宣言をしている「祖国」をどう考えているのだろうか。
帰りの重油をロシアがまわしてくれなかったからだというトホホな見方もあるが、将軍様がその気になれば、軍の備蓄燃料を使い回すこともできたのだから、やはり、日本側が今までの特例扱いをやめ、厳格な検査をおこなう姿勢を示したことが大きいだろう。
いくつかサイトをのぞいてみたが、神浦元彰氏のコメント(6月9日の項)がおもしろい。「今までのように、万景峰号に外交特権とか、治外法権とか、日本側への激しい抗議とかが通用しなくなったから寄港を中止した
」と指摘し、日本からの物資が止まる影響をこう分析する。
ここで問題になるのは、北朝鮮が市民生活に直結した関連の修理部品を入手できなくなったことである。例えば、電力(火力発電所、送電所、変電所など)の故障部品、交通(地下鉄、航空機、バス、鉄道など)の故障部品、輸送(貨物船など)、通信(電話局、テレビ局など)の故障が直らなくなる。具体的には、食肉や魚などの生鮮食料を貯蔵する冷凍倉庫が、停電や冷凍機の故障で機能しなくなると、肉や魚が腐って保存ができない。平壌などに生鮮食糧を運ぶ交通・輸送手段も麻痺することになる。まさに深刻な事態が発生するのである。
もう北朝鮮の弾道ミサイルの開発や、核兵器の開発などで万景峰号を結びつけることは無理なのである。しかし万景峰号が新潟に来ることはないだろう。厳格な荷物検査を行えば、どのような修理部品を購入したかで、北朝鮮の生活レベル(国家戦略情報レベル)が詳細にわかるからである。独裁者の国で、そのような姿を曝すことは許されない。
今回の積荷については、税関で一品一品検査したようだが、年間1400隻来航するといわれる貨物船に対しても、同様の検査をおこなうかどうかが鍵になるだろう。ロシアなど、他にもルートがあるとはいえ、SARS騒動にくわえて日本ルートも使えなくなると、金正日体制の崩壊は思いのほか早い。
海上保安庁の巡視船と交戦の末、自沈した北朝鮮工作船が「船の科学館で公開され、長蛇の列ができているそうだが、矢野達寛氏が写真入りの詳細なレポートをアップロードしている。発見された大量の武器が展示されているのは既報のとおりだが、防水加工された枕崎近辺の地図や、船名を偽装するためのプレート、宮崎の「明成丸」と書かれた浮き輪もならべられているそうだ。一般見学者は内部までは見ることはできず、「日本に潜入している北朝鮮の工作員が破壊しに来るんじゃないかと警備員がピリピリ
」しているとのこと。
北朝鮮とは関係ないが、人民网日本語版に「ホンダ車 野生動物園のトラに噛まれる」という記事が載っていた。「バンパーの端は鋭利な刃物で襲われたような三角形の透かし模様ができ、えぐり取られた部分には歯型がはっきりと残っていた
」そうだが、保険はおりないらしい。
『諸君』の北朝鮮特集がおもしろい。
まず、桜井淳氏の「北の核保有は「実力」か「虚勢」か」。細かい議論は省くが、北朝鮮の核施設と技術レベル、IAEAの査察結果からすると、北がもつプルトニュウムは1kg程度だろうと推定する。原子爆弾を作るにはこの4倍は必要なので、核保有は「虚勢」だという。
ただ、桜井氏は絶対にないとまでは言っていない。ソ連崩壊時にブラック・マーケットに流れた闇プルトニュウムを入手している可能性が排除しきれないからだ。
再処理については、本格的に開始した証拠はないとしている。再処理をはじめると、クリプトンのような放射性物質や熱が出るので、必ずわかるそうだ。
兵頭二十八氏の「「北朝鮮後」の大混乱に備えよ!」は、北が暴発したらソウルが火の海になるという説を「与太話」と一蹴する。北は数千の大砲・自走砲・ロケット砲・ミサイルをソウルに向けており、一時間に50万発の砲弾を打ちこむことができるとされているが、実際はほとんどの火器は射程が足りないという。
非武装地帯からソウルまで最短で30km、予想攻撃主軸に沿うと50km以上あって、通常の砲では無理である。改造自走砲に特殊砲弾を装填すればどうにか届くが、改造自走砲は二個大隊しかないうえに、改造しているので、連射に耐えない。改造自走砲がどこにあるかはおおよそ見当がついているので、初弾を発射した時点で対砲レーダーがとらえ、精密誘導爆弾で終わりである。
高価なノドンは空港破壊用と見るのが常識だそうで、他にソウルに届くのはロケット砲と短距離ミサイルだが、破壊力は知れているし、ハイテク兵器によってすぐにつぶされる。
兵頭氏は北には戦争能力は残っていないと断言し、日本は暴発よりも、金正日態勢崩壊後を心配するべきだとしている。
北が崩壊すると、どうなるのか? 兵頭氏の描く近未来図を引いておく。
おそらく金王朝終焉後の北朝鮮は、暫定的に「禁治産者国」として韓国政府職員の統治を受ける。そして、第二次大戦前のワイマール時代にドイツ領でありながらドイツ軍の駐留をベルサイユ条約が禁じていたラインラントのように、可及的長期間、平和緩衝地帯として非武装化されるのだろう。……中略……
鴨緑江の南岸には、韓国警察の国境警備組織が展開し、中朝国境は南側から完全に遮断されなければならないだろう。
またやむをえぬこととして、三八度線は、しばらくは、無断では誰も越えられない鉄条網を残したままだろう。ただし管理されたゲートの数は、いまの一箇所から、十数箇所に増えるだろう。
北朝鮮というより、韓国の話題だが、西尾幹二氏の「他者としての朝鮮半島」がすごい。一年前に読んでいたらマンガと受けとっただろうが、韓国関係の本を多少読んでいるので、今は根拠のある議論だということがわかる。
ここでとりあげるには大きすぎる問題なので、西尾氏と金完燮氏の対談本『日韓大討論』の感想を書く時に紹介しよう。
ZDNetの「レッシグ教授、米著作権法への挑戦を語る」という記事は著作権とパブリック・ドメインの関係を考える上で、重要なヒントになる。
戦うサイバー法学者ことレッシング氏は『CODE』の著者で、サイバー著作権問題やプライバシー問題で多くの提言をおこなってきたが、今回は「著作権保有者が著作権の有効期限を延長するには、50年ごとに1ドル支払わなくてはならない」ようにしようと提案し、ネット上で署名活動をはじめている。
アメリカの著作権保護期間は以前は28年間で、更新の申請があれば、さらに28年延長されたが、1976年の改正で更新が不要になり、保護期間は個人は死後50年、企業は著作権登録後75年になった。1998年には20年延長され、個人70年、企業95年になった。
著作権延長ではディズニーなど、大企業が熱心なロビー活動をおこなっていて、一部ではミッキーマウスの著作権が切れそうになると、保護期間が延長されるといわれている(ミッキーの誕生は1928年で、1998年のがなければ今年、保護期間が終わるはずだった)。
著作権延長には、著作権が切れてバブリック・ドメインになった作品をネット上で公開するグループが反対していて、20年延長は違憲だという訴訟を起したが、今年1月、連邦最高裁は合憲という判決をくだした。
レッシング氏は保護期間を延長しても商業的価値をもつ作品は2%にすぎず、その2%の保護のために、98%の作品のパブリック・ドメイン化が阻まれるのはおかしいとし、有料更新制を提案している。ちなみに、1973年時点で、28年を越える保護期間の更新を申請したのは15%だったという。
日本でも国会図書館が「近代デジタルライブラリー」として、明治期刊行図書の公開をはじめているが、著作権が判明しないために公開できない図書が多数あり、「著作者情報公開調査」をおこなっている。
著作者はプロの作家ばかりではない。国会図書館の田屋氏のインタビュー「電子図書館の胎動」をお読みになればわかるように、戦前は投稿雑誌が盛んで、一点あたり数百人の著作者のある雑誌がざらにあるという。プロならばまだ調べようがあるが、アマチュアとなると絶望的である。
今の感覚では、投稿雑誌というと軽く見られがちだが、「明星」や「文庫」だって投稿雑誌だったのである。永井荷風のような大家まで含めて、多くの作家が投稿から創作活動をはじめており、田山花袋のように投稿雑誌の編集長をつとめた人もいる。投稿雑誌は文学史的に重要な資料なのである。
商業的価値をもつのは2%というレッシング氏の数字がなにを根拠にしたのか、いまひとつわからないし、今後、電子出版の普及で2%が5〜6%になる可能性もないではないが、更新制(有料にするかどうかはともかく)は日本でも一考慮に値するだろう。
「ほら貝」の創刊半年目にあたる1996年3月以来、お世話になってきたcounter.digits社のアクセス・カウンターが無反応になっている。
counter.digits社はカウンター・サービスの老舗だが、とりこぼしが多いらしく、以前、同じプロバイダーに加入している方が提供してくださったカウンターと併用していた頃は、counter.digits社の方が1〜2割ほどすくない数字が出て、差がどんどんひらいていった。
これまでにもカウンターが無反応におちいることは何度かあったので、復活する可能性はあるのだが、レンタル・サーバー会社がサービスで提供するカウンターがあるので、今日から貼りつけてみた。記録に残っている最後のアクセス数は241,817だが、切りのいいところで、240,000からカウントを再開することにした。
アクセスログがとれるので、カウンターのような不十分な情報は気にしていないつもりだったが、無反応がつづくと、なんとなく落ちつかない。
最近読んだ東浩紀&大澤真幸の『自由を考える』に、かつては「自分が見られているかもしれない不安」が問題だったが、今は「自分が見られていないかもしれない不安」が問題になっているという一節があった。カウンターの無反応が気になるのは「自分が見られていないかもしれない不安」のためであったか。
「自分が見られていないかもしれない不安」という指摘は言いえて妙だし、国家権力が個人の生活を監視し、自由を奪うという旧来のパターンの議論が意味をなくしたのも事実だろう。しかし、だからといって「自分が見られていないかもしれない不安」が解消されたわけではない。両氏は役人を買いかぶっておられるようだが、実際の国家権力はもっと泥臭いものだ。
今月の「月刊現代」に河原ノリエ氏の「「個人情報保護法」論議の忘れもの」という文章がある。「個人情報保護法」はメディア規制という一点がクローズアップされてしまい、「ああ、またなんでも反対左翼が騒いでいるよ」という印象を残したが、本当の問題点は、本格化しつつあるデータベース社会において、個人情報収集の有用性と保護のバランスをどうとったらよいかにあったと指摘し、今、懸念されるべきものとして、200億円の予算で開始されるオーダーメード医療のための30万人遺伝子バンクを例にあげている(今日の読売新聞13面にも同じ著者の提言あり)。
『自由を考える』でも指摘されていたが、今、必要なのは、旧来の左翼概念に代わる新しい概念を発明することなのだ。
紀伊国屋本店裏のアドホック店で自由価格本のフェアをやっていた。
こういうフェアは実用書が多いものだが、意外にも怪しげなタイトルが目白押しで、ひと抱え買ってしまった。
これだけ買っても、3千円ちょっとなのだから、ありがたいといえばありがたいが、ダレルの『予兆の島』以外は、積ん読で終わりそうである。
積ん読でおわるといっても、もちろん、本の価値とは別で、たまたまわたしの興味の中心から、はずれているというにすぎない。
以前なら、この種の本は「ゾッキ本」と呼ばれ、古書店にひっそりおかれたものだが、再販制論議の妥協として「自由価格本」というジャンルが生まれ、「B」という判子を捺すか、赤線を小口に引くかした上で、普通の書店にならぶようになった。ゾッキ時代はマイナーな出版社だけだったが、自由価格本になってからは、メジャーなところも流すようになった。
新刊で見た時は買わなかった本なので、結局、積ん読を増やす結果になっている。しかし、いい買物をさせてもらっているのも事実である。
では、おまえは再販制を支持するのかと聞かれたら、即答はしかねる。最初から自由価格という状態はまずいと思うが、発売から一定期間がたち、不良在庫化した本なら、裁断処分より自由価格本として流れる方がいいのではないか、程度のことしか言えない。
日経夕刊の人物紹介コラム「人間発見」は今週、「ユーモアの妙薬」というタイトルで小松左京をとりあげていた。
小松左京が学生時代、モリ・ミノル名義でSFマンガを描いていたのは有名だが、マンガをやめたのは手塚治虫にはかなわないと思ったのと、マンガごときを男子一生の仕事にする気になれなかったからだそうである。SFにも同じような偏見をいだいていたが、『SFマガジン』創刊号に載ったシェクリイを読んで、こんなに立派な作品もあるのかと見直し、第一回『SFマガジン』コンテストのために「地には平和」を書いたという。
モリ・ミノル時代のマンガを封印していたのも、マンガは京大出身者にふさわしくないと思っていたからである。周囲の説得に根負けして、マンガの復刻を承諾すると、なくなっていたはずの原画の束を夫人がどこかからとりだしたというエピソードはユーモラスで、ほっとするけれども。
小松左京の作品はワセダ・ミステリ・クラブの「アステロイド」に「母殺し」を書いたのを境に、まったく読まなくなってしまった。
まとまった作家論を書いて、自分の中で区切がついたということもあるが、小松左京はあの頃から未来評論家になってしまい、小説に急速に魅力がなくなっていったことが大きい。公式サイトの作品リストでも、1970年代後半から小説の数が激減している。
小松左京は還暦を期に評論家としての仕事を縮小し、小説に回帰していたそうである。
そのことは日経の連載の前に、『立花隆秘書日記』で知った。著者の佐々木千賀子氏は、立花の秘書になる前、小松左京の秘書だったが、事務所を縮小して小説に専念したいという小松の意向で、職を辞したというのだ。
うっかりしていたが、最近は小松左京ルネサンスとでもいうべき情況になっているらしい。オンデマンド出版の『小松左京全集』が出ているのは知っていたが、松本零士の肝煎で『モリ・ミノル漫画全集』が復刻され、『小松左京マガジン』という個人誌まで出ていた。『日本沈没』も近々DVD化される。
20年ごしで書きつがれている『虚無回廊』をそのうち読んでみようと思う。
西尾幹二氏が「インターネット日録」で掲示板の書きこみに苦言を呈し(6月12日の項)、その方面で話題になっている。
西尾氏の「インターネット日録」は氏の思想に共鳴する「西尾幹二勝手連」が製作しているページで、西尾氏からFAXで送られてきた原稿を管理人氏がパソコンで打ちこみ、掲載するという手順で運営されている。昨年7月以来、不定期に更新されており、来月には最初の10ヶ月分をまとめた本が徳間書店から刊行されるという。
この単行本化について「ちょっとみっともない感じがします
」と掲示板に書いた人がいて、西尾氏がカチンときたわけだ。
掲示板での揶揄や批判はこれまでにもあったと思うのだが、今回、問題になったのは、次のような事情かららしい。
一昨日から自分のパソコンでハンドルネームの自由な書きこみを見つけて、読むことができるようになった。今までは管理人Bさんにファクスで、限られたものを任意に送ってもらっていたのである。パソコンで辛うじて文字は打てるが、まだ不自由で、メールもできない。やっと特定の板を読めるようになっただけだ。
「ハンドルネームの自由な書きこみ」とは、掲示板の書きこみのことである。WWW閲覧環境がようやく手にはいり、管理人氏のフィルタリングなしに自分に関する書きこみを読み、びっくりしたらしい。
わたしは西尾氏が昨年の7月来「日録」をネット上で公開しているのに、この6月10日時点までWWW閲覧環境をもっていなかったことの方に驚いたが、まあ、お年を考えると仕方ないかもしれない。
西尾氏は当初、「ハンドルネーム」で書かれる掲示板の書きこみそのものを「気侭なお喋り」と批判していたが、それに対する掲示板上の反応を見て、翌13日には「ペンネームとハンドルネームは原理的に同質であると考えることに十分に理がある
」と理解を示し、こう書いている。
この点で非常に意味深い分析をしているのは、「正気煥発」掲示板の管理人さんの「インターネットが生み出す新しい世界」である。この方は、これまでに考えられなかった人間関係がインターネットによって切り拓かれたことへのよろこびを訴えている。
今までの社会生活で得られたのとはまったく違う人間関係の世界がインターネットによって目の前に広がった。それは「言葉だけで自分を表現し、言葉だけから相手を判断してできあがる人間関係」である。
このことは私のような文章上の自己表現を職業にしている者は毎日実行し、判断し、避けることのできない世界であるが、文章上の自己表現を仕事にしない一般の市民生活者は、インターネットによって初めて革命的な経験をしつつあるといえるのであろう。
大筋はその通りだろうが、微妙にずれていて、次のような苦言となる。
インターネットの書き込みの、ハンドルネームの書き手たち同士が、自分の知識と思想のすべてをさらけ出し、四つに組んで、論争し合ったことがあるだろうか。えんえんと一年かけてでも論争し合う根気を示した人がいるだろうか。
ネット上のバトルを多少経験してきた人間としては苦笑を浮べるしかないが、これが50代以上の物書きの平均的な認識だということも事実だろう。
「日録」の読者の反応は冷静である。「感想掲示板」の6月14日付書きこみを引こう。
西尾先生が“馴れ合い”を警戒するのは常に“系譜学的立場”を貫いて来られただけに良く、理解出来ることです。
まだ“バトル”をご覧になったことが無いせいからかもしれません。
わたしは議論が出来ない、といわれている日本人にようやく、そう言う文化が定着しつつあるのかもしれない、と思いますけど、まあ、悪質な人はトコトン悪質ですからねぇ・・(西尾先生のように)短気な方は“してやられる”危険性もあるのです。
さて、発端となった「アル中流・乱暴」氏の書きこみであるが、リンクが張ってないので検索したところ、「新・正気煥発掲示板」で見つかった。
西尾氏は作業を人に頼んで「日録」をネット上で公開しているのですから、インターネットを見くびるのは自己矛盾です。しかし、今度それを本にして出すという話。それはインターネットに葬るのは勿体ないというお考えの現れかもしれません。私に言わせれば、ちょっとみっともない感じがします。……中略……このスタイルの本が今後沢山出て来るとは思えません。インターネットの情報伝達と、パソコンによる記憶等の能力には限界が見えないと言ってよいほどのものですから、本にする必要性は本来ないばかりではなく、本にすることのバカバカしさがいずれ広く認識されていくだろうと思います。
この書きこみも、現状認識がずれている。「アル中流・乱暴」氏は、ランボーをもじっていることからも察せられるように、西尾氏とは10歳違いのオジサンだそうである。パソコンというオモチャを知って、舞いあがっている状態だろうか。
今回の騒動は過渡期にありがちの笑い話の類だが、ここまでインターネットが浸透してきたという指標にはなる。
読者年齢60代以上の「諸君!」のような雑誌まで、ネット上の話題を紹介する「麹町電網測候所」という連載をはじまった。ネットをめぐる情況が地滑り的に変りつつある。
テレビ朝日の「新☆得するテレビ」で飯島愛がビックカメラの話をしていた。彼女はビックカメラ渋谷東口店の常連で、いくと専属の店員をしたがえて各階を何時間も見て歩き、ごっそり買物をするのだそうである。
彼女はポイントをずっと貯めていて、ポイント残高1位だよ、きっとと自慢していた。
番組では彼女専属の店員に取材し、実際は何位かを調べたところ、762位だった。ちなみに、ビックカメラのポイント会員は1500万人、1位は150万ポイントを貯めているということだった。
150万ポイントということは1500万円である。オーディオ・マニアかと思ったが、ヨドバシならともかく、ビックカメラではオーディオ・マニアということはないだろう。
その詮索はおくとして、ポイント・カードのシステムがどうなっているのかと気になった。アフターサービスの必要から、これまでの買物履歴も当然、保存されているだろう。ビックカメラではDVDくらいしか買わないが、自分の買ったDVDのリストが残っているかと思うと、あまりいい気持はしない。
買物の履歴管理という点ではAmazon.comの方が進んでいる。Amazon.comにはこれまで買ったり、調べたりした商品の履歴から、お勧め商品を表示するシステムがあるが、これが妙につぼにはまっているのである。最近はいらなくなった商品をAmazon.comを通して売りにだせるようになっていて、のぞくたびに、
加藤弘一さん、¥ xx,xxx で商品が売れます!
Amazon.co.jpで購入した商品を出品しませんか?
などという、お節介なメッセージが表示される。
『マイノリティ・リポート』に、歩行者の網膜パターンを読みとり、その人向けの広告を表示するシステムが登場したが、Amazon.comでは、にたようなことを実際にやっているわけである。
オフラインの店舗でも、ポイント・カードをRFID化し、店内に設置した液晶案内板と連動させれば、個人向け広告はすぐにでも可能だろう。世の中はどんどんうざったくなっていく。
NHKスペシャル「文明の道」の第三回「ガンダーラ・仏教飛翔の地」は大乗仏教のルーツをとりあげていた。
仏教は本来、偶像崇拝を禁じる宗教だった。仏像が作られるようになったのは大乗仏教が興ってからで、仏像のルーツと大乗仏教のルーツは重なるという考え方が有力である。
仏像のルーツにはマトゥーラ説とガンダーラ説があったが、ガンダーラの西にあたるアフガニスタンのハッダ遺跡で、ヘラクレスやアレクサンドロス大王を脇侍としてしたがえた最初期の仏像が発見されていた。アフガン内戦で実物は行方不明だそうだが、残っている写真を見ると、ヘレニズム彫刻そのものである。
当時、このあたりはカニシカ王で知られるクシャン帝国の領土だった。クシャン族はもともとウズベキスタンのあたりにいたイラン系遊牧民で、ゾロアスター教を奉じ、王族の立像を尊ぶ風習を持っていた。仏教はシルクロード交易で巨万の富をえていた彼らに布教する過程で、タブーだった仏像を作り、火の儀礼をとりいれたのではないかという。
番組ではガンダーラ最大の僧院、ラトガト寺の遺跡に残る幾重にも作りこまれた仏塔とともに、バーミヤンで数年前に発見された最古の大乗経典の断簡を紹介していた。なぜ大乗経典と断定できるかというと、大乗仏教特有の「六波羅密」という語が見つかったからだ。
六波羅密とは
大乗仏教の起源については、仏塔を崇拝する在家信者の団体が起源だとする平川彰説が有名だが、ショペンは『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』で平川説を否定し、大乗の時代とされていた紀元前後から5世紀にかけての時代には大乗教団など影も形もなく、辺境地帯で散発的に大乗教典が書かれていたにすぎなかったとした。最新の研究では平川説の方が優勢なのだろうか。
今日のインターネット隆盛のきっかけを作ったMosaicは1993年4月22日に誕生した。今年はMosaic10周年にあたる。
10周年をあてこんだわけでもないだろうが、最近、ブラウザ関係のニュースがあいついでいる。
最大のニュースはマイクロソフトとAOLが手打をしたことだ。「MSとAOL、“両勝ち”で和解」にうまく要約されているように、両社はもともと得意とする分野が違うから、この和解は長続きするだろう。他のニュースはこの和解にともなう余震にすぎない。
手打がまとまった以上、Netscapeの存在理由はなくなった。AOLは今後7年間、会員にInternetExplorerを無償配布する権利を獲得したのだ。
「Netscapeはもう終わりなのか」によると、AOLのCEOであるパーソンズ氏はNetscapeを傘下におきつづけると言明する一方で、「AOLクライアントにおける(Microsoftの)ブラウザのライセンスを拡大した。その理由は、率直に言って、同社のブラウザがたいへん優れているからだ
」とも語っている。
CEOからこんなことを言われてはNetscapeも哀れだが、同情する気にはなれない。NetscapeはNN4という極悪ブラウザを出した過去があるからだ。
かつての栄光の日々については「MSがブラウザ戦争で失ったもの、得たもの」が詳しいが、この記事はNetscape最大の汚点であるNN4については触れていない。NN4はIEに急追撃されている時期にリリースされた。NN4のスタイルシートの「独自解釈」は、IEではきちんと表示できないページを増やし、追撃を振りきるための窮余の策だったのではないかと思っている。
NetscapeはNN4の延長で開発していたNN5を放棄し、まったく新しく、W3C勧告に忠実なNN6の開発に取りかかったが、NN6のリリースは遅れに遅れ、ユーザーをどんどん失っていった。やっと出たNN6は異常に重くて使い物にならず、Netscapeを応援していた反MS派を幻滅させた。自業自得というしかない。
困ったのは、判官びいきかなにか知らないが、NN4に固執するユーザーが少数ながら残ったことだ(NN6からNN4にもどしたという書きこみを、あちこちで目にしたことがある)。NN4はW3C勧告を無視していたので、IEやNN6向けに調整したスタイルシートでは、レイアウトがぐちゃぐちゃになった。スタイルシートの普及が進まない理由の一つに、NN4によって出鼻をくじかれたことがあると思うが、どうだろうか。NN4を使いつづけたユーザーも困ったものであるが、あの腐れブラウザを小手先の手直しだけで出しつづけたNetscapeは倒産に値する。
マイクロソフトは現金なもので、早くも「Mac用IEの開発停止」を発表した。「どうなる、MSのブラウザ計画?」によると、IEの単体提供打ちきりもほのめかしているようだ。Netscapeはすでに脅威でなくなっていたとはいえ、やはり目の上のコブだったのだろう。
もちろん、Mozillaプロジェクトは残っているし、OperaやSafariといった対抗馬もあることはある。しかし、IEの天下を脅かすことはあるまい。
他の問題だったら、ここでマイクロソフトの強引な商法を批判し、対抗馬をもちあげるという選択肢もあるが、ブラウザに関してはそんな気分になれない。MozillaやOperaはIEより劣っているからだ。
と書くと、目を剥いて怒りだす人がいるかもしれない。
確かに、MozillaはW3C勧告に厳密にしたがっているし、OperaはIEよりも速いかもしれない。しかし、その差は微々たるものだ。
そのような微細な違いよりも、IEがルビタグやスタイルシートの縦書に対応していることの方が重要だとわたしは考える。MozillaやOperaはIEに挑戦するつもりなら、最低限、ルビタグと縦書に対応すべきだ。その上で、すでにW3C勧告の固まっている傍点に対応するなら、応援してもよい。しかし、そのくらいのこともできないで、IEに挑戦しようというのは怠慢というしかない。
追記:6月27日、WaSPは「IE無料公開の終了がWeb標準の終わりではない」という声明を発し、IEがOSの一部に取りこまれることによって、W3C標準から逸脱していくのではないかという懸念を表明した。IEがW3C標準を守っていない例として、CSS2では属性によって対象セレクタを限定できなければならないのに、そうなっていないなど、5項目をあげている。
WaSPの危惧はもっともだが、標準からはずれているからといって、NN4のようにまともに表示できないほどはずれているならともかく、現状程度の逸脱で、ユーザーがIEから別のブラウザに乗り換えるということはありえない。他のブラウザはルビも縦書もサポートしていない現状では、特にそれが言える。IEよりも格段にすぐれたブラウザが登場しない限り、IEに標準を守れといってもゴマメの歯ぎしりでしかない。(Jun30 2003)
Japaninternet.comのニュース・サイトに、Geocitiesなど、無料WWWページ・サービスの利用者のアンケート結果が載っている。
ホームページの更新は、「月に2〜3回」が36%と最も多く、「週に2〜3回」が18%を占めた。一方、「ほとんど更新していない」という人も22%を占める。ホームページを運営する理由は、「趣味のため」という人が80%にのぼり、「友達を作るため」「更新が楽しい」という理由を大きく上回った。
予想の範囲の結果だが、2000年に同社がおこなったアンケート結果とくらべると、若干変化が見られる。2000年がどうだったかというと、
開設した動機について、6割のユーザーが「無料で開設できたこと」をあげている。
次いで、「作ってみたかったから」という理由をあげるユーザーも半数を超え、「趣味のため」等、目的を持って始めたユーザーは、それほど多くないという傾向が現れた。
2001年の結果でも、「作ってみたかった」組が半数を占めていた。この二年間に、試しに作ってみるかという人が淘汰され、なんらかの目的意識をもって作る人の割合が増えたといってよいようだ。
満足している理由として、「簡単で、使いやすいから」と答えた人が多いそうなのだが、プロバイダの提供するWWWページ・サービスと比較した上で判断しているのだろうか。
最近、無料ホームページ・サービスがどういう段取になっているか調べる必要があり、Geocitiesに登録してみたのだが、附属ツールは自由がきかない上に面倒くさく、「簡単で、使いやすい」とは思えなかった。
ホームページを作るなら、WindowsにおまけでついてくるFrontPageで作り、プロバイダの提供するスペースにアップロードする方がよい。
文化庁が「国語に関する世論調査」の結果を発表した。この調査は毎年実施されているが、今年も1月に全国の16歳以上の男女3000名を対象におこなわれた。
「役不足」のような慣用語を逆の意味で覚えこんでいる人が8割いたとか、カタカナ語の理解率が低いといった結果は新聞で報道されている通りだが、気になったのは読書に関する回答である。1/3の人がまったく本を読んでいないというのだ。
しかも、これには地域差・年代差が大きいという。asahi.comから引く。
「全く読まない」の割合を地域別にみると、高かったのは四国(59.8%)、東北(48.5%)、九州(47.4%)だった。低かったのは関東(28.6%)と近畿(34.3%)などだ。
都市の規模が大きい方が、全く読まない人が少ないという傾向も出た。東京都区部(18.3%)、政令指定市(31.1%)に対し、人口10万人未満の小都市は41.8%、町村は48.0%だった。
年代別では、1冊も読んでいないのは60歳以上の47.3%から40〜49歳の26.0%までの幅があった。
文化庁は「手軽に本が買える書店が近くにあるかどうかや、通勤に電車を使って気軽に本を開くことが出来るかどうか、といった要素の違いも考えられる。働き盛りの世代は、仕事で読んだ本を含めている可能性があるかもしれない
」と分析している。
本と接するチャンスがすくないだけが原因なら、ネット書店の普及で改善する可能性があるが、知的好奇心の方はどうなのだろう。
と心配するのは、地方ほど、週刊誌の売上がすくないといわれているからだ。コンビニは津々浦々までゆきわたっているので、週刊誌に関しては地方も都会も接する機会に差はないはずだが、人口あたりの売上差が相当あるのだそうである。
週刊誌なんか本のうちにはいらないという人がいるかもしれないが、週刊誌は知的好奇心を刺激してくれ、軽く見る方が間違っている。週刊誌の売上は知的好奇心の指標になるのではないかと考えているのだが、どうだろうか。
「ニュース・ステーション」が黄長燁氏の北朝鮮問題についての緊急提言を放映した。1997年に家族を犠牲にして韓国に亡命したものの、太陽政策への転換によって発言を封じられてきただけに、日本のTVを通して敢えて日本語で熱情をこめて語りかけた。
黄氏は金正日政権を武力を使わずに崩壊させるシナリオを示した。
核問題は小国の核武装の是非に抵触するので、国際的な合意がえにくい。自国民を餓死させているという誰も反対できない問題で、道徳的に打撃をあたえるのが一番効果的だ。
中国・ロシアにとって、北朝鮮は負担になっているが、北朝鮮が崩壊すると、アメリカの影響下にある韓国と直接国境を接することになると危惧している。金正日政権崩壊後、旧北朝鮮地域を緩衝地帯にするという保証をあたえれば、説得は不可能ではない。
経済封鎖をするのではなく、北朝鮮が自ら閉じこもっているという形にもっていく。食糧援助には、国民に経済活動の自由をあたえるという条件をつける。わずかでも自由が増えれば、外部の情報がはいっていき、崩壊が早まる。
脱北しても安全が保証され、食べていけるとわかれば、金正日政権は一気に崩壊する。
最後の脱北者村が決定打となるが、大義名分として道徳問題の重要性に注目するあたり、イデオロギー担当書記として重用された人だけのことはある。
今日は北朝鮮はミサイルに搭載可能な小型核弾頭を数発保有しているというアメリカ情報が新聞各紙の見出しに踊った。北朝鮮崩壊前に、迎撃ミサイル構想に日本を引きこむための情報操作という見方もあり、一概に鵜のみにはできない。
アメリカ情報の真偽はともかく、黄長燁氏は北朝鮮の暴発はありえないと断言する。金正日は臆病なので、負けるとわかっている戦争には踏み切れないというのだ。金正日政権の内部にいただけでなく、金正日を個人教授した人だけに、この発言には重みがある。
日本は北朝鮮船籍の船に対し、これまでお目こぼししてきた
例によって反対する人がいるだろうが、北朝鮮船籍の船があいついで座礁して放置され、撤去費用が地元自治体の負担になっている現実がある以上、北朝鮮座礁船の撤去費用を募金でまかなうくらいのことをした上でなければ、説得力はない。
追記:黄氏の武力を使わずに金正日政権を内部崩壊させるシナリオの要旨が『黄元書記「幻の証言」全文』として「アエラ」6月30日号に掲載された。アメリカ議会の証言のための草稿だったそうだが、一読の価値がある。(Jun25)
今年のカンヌ映画祭でアフガニスタンから初出品された映画、『アフガン零年 OSAMA』がカメラ・ドール賞新人賞など三部門で受賞したが、その撮影の日々を追ったドキュメンタリーが「マリナ」としてNHK特集で放映された。
マリナとはヒロインのオサマを演じた12歳の少女の名前で、父親がタリバンの拷問で歩けなくなってしまったので、弟と物乞いをして一家の暮しを支えていた。カメラ・テストの模様を映していたが、唄を歌えといわれて歌ったのが、ロシア兵の首を切れという軍歌だった。こんな歌しか知らないのだろう。
マリナは楽しい場面でもなかなか笑えないのだが、タリバン幹部のヒヒ爺と結婚式をあげる場面では、生まれてはじめて化粧をしてもらい、ようやく笑みを見せた。しかし、結婚式とはいっても、3人目か4人目の妻で、態のいい妾である。悲しみを表現しなければならない場面なので、監督は空爆で死んだ姉のことを思いださせる。みるみる泣き顔になっていくマリナ。
当初、ハッピーエンドで終えるはずだったが、マルバク監督はマリナと接するうちに考えを変え、希望を表現した場面をすべてカットして、結末も牢獄の中で縄跳をするマリナに差し替えたという。どんな作品になっているのだろう。
マリナは家族が半年間、暮らせるだけのギャラをもらったというが、多分、10万円かそこらだろう。それでもアフガニスタンでは大金で、彼女は物乞いをやめて、学校に通えるようになった。
今年になって『カンダハール』、『砂漠のカフェ』、『少女の髪どめ』と、アフガン難民自身がアフガン難民を演じたイラン映画をつづけて見たが、番組中に挿入された 『アフガン・零年 OSAMA』の映像は、イラン人監督の洗練された作品とは肌あいが違った。張りつめた、胸をえぐるようなマリナの瞳が脳裏に焼きついた。
検索してみたのだが、意外というか、当然というか、アメリカのサイトにはほとんど情報がなかった。BBCなど、ヨーロッパ圏が多いのは予想通りだったが、インドもかなりあった。今のアフガニスタンで映画が撮れること自体、不思議だったのだが、ヒンドゥスタン・タイムスによると、イランのモフセン・マフマルバフ監督が資金・技術・スタッフの面で全面的に支援したということである。
「マリナ」は23日深夜(24日00:15)、再放送される。ぜひご覧あれ。
追記:その後、NHKスペシャルのサイトに載った情報によると、『アフガン・零年 OSAMA』は12月に開催される「NHKアジア・フィルム・フェスティバル」で上映後、来年1月、NHKハイビジョンで放映される。劇場上映は未定とのこと。NHK資本がはいっていたということか。(Jun23 2003)
『アフガン・零年:オサマ』を「NHKアジア・フィルム・フェスティバル」で見た。詳しくはDec16の項。(Dec16 2003)
日経新聞の「中外時評」というコラムに「悲惨な文化行政の貧困 民間子ども図書館が語るもの」という文章が載っている。
また図書館批判かと思ったが、前半で紹介されているイトーヨーカ堂の子ども図書館には興味を引かれた。
イトーヨーカ堂の本社サイトにある『環境・社会活動報告』の「社会的側面」から紹介を引こう。
どなたでもご利用いただける
「子ども図書館」より身近な場所で、いつでも気軽に良書と出会える機会を増やし、「子どもたちが本当に面白い本と出会い、本を読むことが好きになって欲しい」と願ってスタート。現在11店舗の店内に「子ども図書館」を開設しています。蔵書は絵本、ものがたりを中心に1館当たり約8,000冊で、すべて児童図書の専門家が選定したものばかりです。各館とも専門の司書が運営に当たっており、読書の相談を受けるほか、お話会、工作会などを随時開催して、好評を得ています。図書の貸し出しに当たっては、年齢、住んでいる地域などにかかわりなく、簡単な登録でどなたでも無料でご利用いただけます。
- 1978年スタート
- 2001年度貸し出し実績:33万冊
- 累計貸し出し冊数2002年2月末日現在:811万冊
わが町にもイトーヨーカ堂があるが、子ども図書館は設置されていないので、こんなことをやっていたとは知らなかった。
秋田では、閉館を予告したところ、署名運動がおきたというから、地域の人々に愛されているのだろう。
成功の理由をコラム子はこう解説する。
"繁盛"の秘密は運営を委託されている出版社、童話屋の方針にある。例えばここには漫画がない。田中和雄社長によると、蔵書に「良い本」を選ぶことが出発点だ。「子どもの欲しがる本」を基準にしてはいけないというのだ。
次に、それらを子どもたちが読みたくなるように並べる。絵本は背の低い書棚に表紙が見えるように置く。背表紙だけでは子どもは中身を判別できない。
そして最も大切なのが本当子どもの間をつなぐ司書である。安城店で絵本を読むおねえさんは萩田玲子さん。司書の資格を持つ童話屋の社員だ。
ここから、アメリカは違うという比較論になる。情報スーパーハイウェイ構想の中でも図書館は重要な地位を占めていたこと、司書は高度な専門家とされ、児童図書担当者は教育にかかわる特別職として尊敬されていることを指摘し、
小学校へのパソコン導入を喧伝する自治体が、その一方で図書館の統廃合を進めるという薄っぺらな情報教育。貸し出し冊数の実績をつくるためにやたらに児童コーナーの漫画を増やす子ども不在の公立図書館。
と、日本の現状を批判する。
子供の活字離れを嘆く前に、するべきことがあるはずだという趣旨には同感だが、大人向けの本だって状況は同じである。
Mainichi INTERACTIVEの「若者がテレビ離れ、年配者はネットに関心」という記事によると、
今後接触時間を増やしたいメディアはネットが34%とトップで、新聞が16%、雑誌とテレビ各6%、ラジオ4%の順。ネット希望は若者よりも年配者の方が高く、50代男性43%、50代女性39%、60歳以上男性37%などとなっている。
ということだが、日本のサイトにどれだけの情報があるというのか。
アメリカのサイトと較べると、日本のサイトは絶望的に貧弱だが、その本当の原因は、公立図書館の貧しい現状に象徴されているような、情報に対する無理解があるだろう。問題の根は深いのである。
追記:童話屋の田中氏を検索したところ、『葉っぱのフレディ』の翻訳を批判したページを見つけた。
「読者よ怒れ!」という表題通りのヒステリックな告発なのだが、細かく読んでみると、揚げ足とりとばかりはいえない内容で、確かに翻訳に問題はあるようである(参考:種村エイ子「『葉っぱのフレディ』をめぐって」)。
もちろん、翻訳者・紹介者としての能力と、組織者としての能力は別であって、田中氏の活動を感情的に全否定する態度はいただけないが。
Jun05の項でとりあげた「出会い系サイト規制法案」は6日、参議院で可決され、一部は9月から施行される。
風営法直後の歌舞伎町のように影響が出ていると思いきや、「裏インターネット事件簿」によると、そんなことはなく、今まで以上に盛りあがっていて、業者は規制法対策よりも、プロ対策に頭を悩ましているという。
ここでいうプロとは、デリヘル(出張ヘルス)などの風俗業者のことである。ピンク・チラシの規制が強化されたので、素人女性を装った投稿で客を呼びこもうとしているのだ。デリヘル以外にもポルノ用品の通販業者や、会員の横どりを狙う同業者の投稿が多数あり、運営側はこうしたメッセージを削除するのに忙しいという。
6月21日付の「出会い系サイト運営の意外な裏事情」によると、出会い系サイトの女性のメッセージは70%がサクラ、25%がプロ、5%が素人女性という内訳である。
5%素人がいるといっても、その8割は援助交際目的で、いわばセミプロだ(美人局などもここにはいる?)。無償の交際をもとめる女性は2割(全体の1%)。
サンプル数がすくないので、一般化できるかどうかは難しいところだが、これが実態だとしたら、よく言われているように、出会い系サイトはテレクラのメール版にすぎないことになる。新しい、それもメッセージを書きこんだだけで逮捕するような危険な法律を作るよりも、風営法の改正で対処できたはずである。
それとも、風営法の中途半端な改正でテレクラから出会い系に客を流し、「出会い系サイト規制法」を新たな法律として通すための環境を準備したのか。
改正風営法には「出会い系サイトについて速やかな規制のための法的措置を講ずる」という付帯決議がついていたことからすると、「北の系2003」の「出会い系サイト規制論の前提とは何か」にあるように、警察は「自作自演の消防士=マッチポンプ
」を演じたのか。
国会議員のネットに対する無知につけこんで、警察はまんまとサウロンの指輪を手にいれたらしい。
国立博物館で開かれている「鎌倉――禅の源流」展を見た。
この展覧会は鎌倉五山の筆頭、建長寺の創建750年を記念して開かれたもので、入場するとまず、北条時頼のおなじみの坐像がむかえてくれる。時頼が鎌倉に招いた蘭渓道隆関係の展示がつづき、次いで、時宗が師事した無学祖元関係の展示になる。
無学祖元は先年、NHKの大河ドラマで筒井康隆が演じたが、座禅の最中、蒙古兵が寺に乱入し、あわや斬首されようとした経験をもつ。
乾坤孤筇を卓つるに地なし。
喜び得たり人空、法また法。
珍重す大元三尺の剣。
電光影裏に春風を斬る。
この気迫に、さしもの元軍も退散したという。
禅寺だけに渋いお宝ばかりだ。彫刻はあくまでリアル、書はごつごつした楷書だが、よくよく見ていくと、エキゾチックなものが多い。最後のコーナーでは唐風の彫刻を集めていて、大仰な表情や装束がユーモラスだ。
そういえば、けんちん汁(建長汁)は建長寺がルーツだった。野菜を油で炒めて汁物にするというレシピは、当時としてはたいそうハイカラだったろう。
時頼が蘭渓道隆に建長寺を創建させたのは、京都に対して東国を文化的に独立させるためだったといわれている。奥州藤原氏のように京都の真似をしていては負けてしまうので、中国文化を直接とりいれて、優位に立とうとしたわけだ。
どうも仏教は政治の道具にされることが多いような気がする。
中国を訪問中のインドのバジパイ首相が包括協力宣言に署名し、チベットが中国の領土であることを認めたというニュースがはいってきた。中国はインドと敵対するパキスタンと緊密な関係を結んでいて、米朝国交樹立を準備したキッシンジャーの訪中もパキスタンが仲介したといわれている。ところが、9.11以降、アメリカがパキスタンと急接近したので、インドは中国との関係を改善しなければならなくなったのだろう。
これだけでも驚きだが、人民网日本語版には大変なことが書いてある。
インドは、西蔵(チベット)自治区が中華人民共和国の領土の一部であると認め、チベット人がインドで反中国の政治活動をすることを認めないことを重ねて表明する。
「反中国の政治活動」を認めないといったら、ダラムサラはどうなるのか!?
ダライ・ラマ法王日本代表部やチベット亡命政府の公式サイトには、このニュースはまだ載っていない。これから載るにしても、軒先を借りているインド政府に批判的なことは書けないのではないか。
マイクロソフトはAOLと手打をしたと思ったら、今度はサーチエンジンに進出して、Googleとドンパチはじめるらしい(ZDNetの「MSの次の標的はGoogle?」参照)。
ログを調べたところ、
131.107.137.47 - - [18/Jun/2003:14:02:24 +0900] "GET / xxxx" xxx xxxx "-" "MSNBOT/0.1 (http://search.msn.com/msnbot.htm)"
と、早くもページを収集に来ていた。
単なるMSNの強化だったらGoogleの優位は動かないが、マイクロソフトのことだから、Windowsのデスクトップと連携させるぐらいはやるだろう。それどころか、こんな観測もある。
その後Microsoftは、MSNポータルの検索エンジンを、次期Windows(コードネームLonghorn)で計画されている新しいファイル技術と連携させることも可能だ。その結果、デスクトップPCからインターネットに至るまで広範をカバーするパワフルな技術が登場し、Web最強の検索エンジンとしてのGoogle追い落としにつながる可能性がある。
ZDNetはNetscape追い落しの手法との類似性を指摘しているが、サーチエンジンはOSの不可欠な一部だとでも言いだすのだろうか。
もっとも、長続きするかどうかは怪しいものである。
あの会社は、本業のOSではWindowsCEのようにしぶとく粘るけれども、それ以外の分野では、鳴物入りで参入しても、儲からないとわかると、さっさと撤退したり、業務を縮小したりしてきたからだ。
AOLとの手打は日銭商売としてのMSNを見限ったからだが、ビル・ゲイツが来日してまで盛りあげたXboxも早くもリストラ・モードにはいっている。BizTechの「マイクロソフト、社長退任の陰でゲーム事業の34人指名解雇」によると、リストラの仕方がなかなかである。
リストラ対象者のパソコンには、「荷物をまとめて会議室に集まれ」というメールが届いていた。該当する34人にとって長い1日の始まりだ。半信半疑のまま指定された会議室に向かうと、エレベーターや非常階段には警備員が配置されている。監視役の社員の同行なしではトイレにも行けないという物々しさ。「これじゃ、まるで犯罪者じゃないか」。ある社員は不安よりも込み上げてくる怒りを抑える方が大変だったと証言する。
おいしいことを言って引き抜いてきたのだろうが、マイクロソフトという会社は、こういう喰い散らかしをさんざんやってきた。
記事によると、阿多親市前社長は本社のやり口に抵抗したという。これまでのMSKKは「米国に次ぐ世界第2位の市場として「自治権」を認められてきた
」そうだが、IT産業に先が見えてきて、そうも言っていられなくなったのだろう。
日本がアメリカの属国にすぎないという事実は、経済が好調なうちはカモフラージュされて来たが、これからはいろいろな分野で、こんな風に、むきだしの形で突きつけられるのではないか。
Mainichi INTERACTIVEの「オープンソースOSの調査研究会開催へ」によると、総務省は電子政府・電子自治体にオープンソースOSへの導入を検討するために「セキュアOSに関する調査研究会」を立ちあげるという。
このあたりの噂はちらほらはいってくるのだが、総務省の中でも旧郵政省系人脈に某オープン仕様OS(オープンソースにあらず)の信者がいて、折伏に奔走しているとかなんとか。御苦労なことである。
OSがどうなろうと関心はないのであるが、中国のGB18030を独自文字コードともちあげ、日本も負けずに独自文字コードを使うべきだという主張が自称IT通の政治家の間に浸透しつつあるなどと聞くと、オヤオヤと思う。ISO/IEC 10646の漢字統合が金科玉条のものだという誤解もいまだに健在である。セキュリティだけではOSを入れ替える動機として説得力が弱いので、文字コードの不備をあげつらおうというわけであろう。
昨年出した『図解雑学 文字コード』には、そのあたりの誤解が生じないように、GB18030の背景と漢字統合のその後を書いておいたのだが、どうせ読んではいないのだろう。
文字コードにかかわる顔ぶれが、ここに来て、かなり入れかわりつつある。関係者の交代はこれまでにも何度かあったが、そのたびに共有の知識がリセットされ、またABCからはじめるという回り道を繰りかえしてきた。
規格書や技術文書は残るから、ゼロになることはないだろうと思う人がいるかもしれないが、文字コードは入り組んだ経緯を知らないと本当のところはわからないし、重要な事実が婉曲な表現で書かれたり、関係者の胸の中にしまわれたままになることが多い。
すこしでも共有の知識が伝わるように、本を書いたり、関係者のインタビューを公開したりしてきたのだが、無駄だったのかもしれない。
実はしばらく前、住基ネットの統一文字コードについて、抱腹絶倒の情報がはいってきた。本当にそうなっているのかどうかはまだ確認していない(統一文字コードのお馬鹿ぶりを考えると十分ありうる話であるが)。
この情報を放置しているのは、徒労感を覚えているからだ。読んでほしい層に読まれることはないだろうし、住基ネットを文字コードやセキュリティで批判しても、結局、電子政府を強力にする結果をまねくだけだからだ。セキュリティの場合は放っておくとまずいが、文字コードの場合はトラブルが起こるのを待った方がいいのではないかと考えている。
このところ、「さくら出版原稿流出事件」(「まんだらけ原稿流出事件」)でネットは大騒ぎだが、とうとう新聞やラジオでもとりあげられるようになった(たとえば、asahi.com)。
事件の経緯は「羊羹記」がよくまとまっているが、事件発覚のきっかけとなった渡辺やよい氏の日記と、その要約版が臨場感があってお勧めである。主要サイトを網羅したリンク集も役に立つ。
簡単に紹介すると、絶版漫画の復刻版を出していたさくら出版が昨年末倒産し、その直後、同社に預けられていた大量の原画がまんだらけに持ちこまれ、販売されていたというもの。
倒産した出版社に対して、漫画家は債権者になるが、破産の通告はなかったという。印税未払いにくわえて、原画まで古本屋に売られてしまったのだから、怒るのは当然だが、現時点では流出が経営者の詐取なのか、社員の横領なのか、それとも第三者による窃盗なのかは判明していない。
まんだらけに対して不信感が広がっているのは、古川社長の発言もさることながら、まんだらけでは過去にも類似の事件が起きており、不自然な量の原稿がもちこまれた場合は、マンガジャパンという漫画家の団体に連絡するという約束ができていたのに、今回、まったく連絡がなかったことが大きいようである(弘兼憲史氏分だけで2600ページ、全体で4000ページもあったというのだから、常識的に考えれば、約束がなくても連絡すべきだったろう)。
追記:ZAKZAKによると、弘兼憲史氏とまんだらけは、原画を無償で弘兼氏に返還するという条件で和解したという。ただし、2600ページの原画の半分はすでに売れてしまっており、作品は散逸したままである。まんだらけは元をとったということか。
弘兼氏以外の3件の訴訟は継続中。(Dec21 2003)
本が売れなくなっているのに、お宝市場ばかりが過熱しているという状況は文学も同じである。いや、文学の方が本の売れない度合がひどいから、お宝市場の突出ぶりは一層際立っている。
作品を愛するあまり、お宝がほしいというコアな読者しかいなくなったのか、作品そっちのけで、お宝収集を自己目的化したファンが増えたのかはわからない。お宝探しにエネルギーを使うくらいなら、同時代作品や、影響をあたえた作品に関心をもってもらいたいのだが。
25日、俳優の名古屋章が亡くなった。新聞の見出しは申しあわせたように「名脇役・名古屋章さん逝く」という調子だったが、TVはともかく、舞台では主役をはった人だった。
先年、伊藤俊人が亡くなった時、やはり「名脇役」という見出しが踊り、盟友の三谷幸喜が「脇役という俳優はいない。『脇役』もできる、優れた俳優
」とマスコミに抗議したことがある。
伊藤の舞台は見たことがないので、なんとも言えないが、名古屋の場合は間違いなく「『脇役』もできる、優れた俳優」だった。
名古屋の舞台をはじめて見たのは、1983年のこまつ座の「雨」だった。
彼が演じたのは主役の屑拾いの男で、自分と瓜二つの顔をした紅花問屋の主人が行方不明と知り、記憶喪失を装ってまんまと入れかわってしまう。なにもかもうまくいったので、小心な小悪党はどんどん大胆になっていき、恐喝をはたらこうとした昔の仲間を手にかけるまでになるが、本当の悪党は別にいて、小悪党はその掌の上で踊らされていただけという哀しいどんでん返しがつく。下世話なギャグで笑わせる前半もよかったが、必然の歯車につぶされていく後半の悲劇が痛切だった。名古屋はこの演技で芸術祭優秀賞をとっている。
木冬社の「エレジー」の再演では、初演で宇野重吉がやった役を演じたが、戯曲の設定変更に無理があり、舞台としての出来はいまいちだった。初演通りの設定だったら、いい芝居を見せてくれていたはずである。
主役ではないが、主役級の役では「すててこてこてこ」の円朝、「おもろい女」の飯塚部隊長の演技も忘れられない。
惜しいのは今年4月の、新国立劇場「マッチ売りの少女」である。名古屋の降板で、富司純子の相手役をおよそ釣りあわない若い俳優がやり、お粗末な出来で終わった。名古屋と富司純子の共演が実現していたら、と思う。
TBSの『世界ウルルン滞在記』で「やっと行けた!大秘境スペシャル」として、ブラジルの
野村祐香が王宮に住みこみ、王に侍女として仕えるムスタン王国編も興味深かったが、黒田勇樹が孤立部族の中にはいっていくブラジル編には目を見張った。というのも、1週間前にNHKが「隔絶された人々 イゾラド」という題名で、沢木耕太郎が別の孤立部族と接触するドキュメンタリーを放映していたからだ。
アマゾン奥地には文明との接触を避けている部族が確認されているだけで45あり、
ブラジル政府は
沢木耕太郎が訪れたジャヴァリ地区はまさに武力封鎖している地区で、数年前、開拓民との間で4人の死者の出る流血事件が起きたというだけあって、画面から緊迫感がひしひしと伝わってきた。
番組後半では二人しかいない部族を紹介していた。生き残ったアウレとアウラは、発見された時は成年に達していたが、子供の頃、部族が突発的な出来事で全滅したらしく、狩りの仕方すら知らなかったという。
狩りができないのに、二人は矢の作り方は知っていて、FUNAIの保護下におかれて以来、使うあてのない矢をずっと作りつづけている。天井にしまってある膨大な矢の束を映しだしていたが、細工が実に巧緻で、二人の生まれた部族が高度な文化をもっていたことがわかる。
沢木とNHKが取材に来たことで、アウレとアウラは神経過敏になり、一時、森の中に姿を隠してしまう。先住民との接触は難しい。
「ウルルン」で黒田勇樹が訪れたのは流血沙汰こそ起きていないものの、別の問題をかかえている地区だった。
もともと、その地区には二つの
これまでにもインディオ村滞在記を放映してきた「ウルルン」はFUNAIから評価され、特別の許可をもらって、この難しい地区を訪れることになった。
なにが起こるのかと固唾を飲んで見ていると、黒田は思いのほか、あっさりとけこんでしまい、二時間後にはアクンツ族と同じように裸になり、ヤシの前垂をつけてもらっていた。
アクンツ語の単語もどんどんわかるようになり、四日目には、部族の娘が彼のためにハンモックを手作りするまでに親しくなっていた。長年、面倒をみているFUNAIのスタッフですら、アクンツ語はわからないというのに、この調子だと、一ヶ月もあればアクンツ語で会話ができるようになったかもしれない。レヴィ=ストロースがこの番組を見たら、なんと言うであろうか。
沢木の訪れた地区とは事情が違うにしても、黒田という若い俳優のコミュニケーション力には驚くべきものがある。こういう才能をもった若者を生み出せたのだから、日本という国も捨てたものではないのかもしれない。
ペンクラブの新生電子メディア委員会の第一回会合があった。
電子メディア委員会はできてから6年たつが、電子文藝館の増補管理にあたる専門の委員会が別にできたので、今回、メンバーが半分以上かわり、ほとんど新しい委員会となった。
初顔合せなので、具体的な議題はなかったが、アメリカの陪審員制度を取材してきた人が、住基ネット論議でよく言及される社会保険番号(Social Security Number)の実態を報告してくれた。陪審員は映画やTVではおもしろそうに描かれているが、実際はなり手がすくなく、召喚状を出しても1/4程度しか応じないそうである。
社会保険番号はホームレスや不法移民を除いてほとんどのアメリカ人がもっているといわれているが、カバーしているのは8割台だという。公民権運動で登録者が広がった選挙登録をしている人も同じようなものらしい。
社会保険番号をもっていない人が低所得層に多いのは事実だが、富豪といえるような富裕層にもいるというのは意外だった。高級住宅地では陪審員を確保するために、犬の登録簿を使っているところもあるというのだから、笑ってしまう。
日本(とその旧植民地)は電子化以前に、世界でも稀な網羅的な戸籍制度と住民登録制度をもっていることに注意しておく必要があったのだ。
大江健三郎の『同時代ゲーム』は、巧妙に戸籍制度をすりぬけた山奥の村の物語だったが、ああいう設定は日本(とその旧植民地)以外では成立しにくいのではないか。