エディトリアル   Mar - May 2003

加藤弘一 Dec 2002までのエディトリアル
Jun 2003からのエディトリアル
Mar27

 消費税法が改悪されようとしている。今回は税率据置で消費税の表示方式のみの変更のため、あまり話題なっていない。他人事のように思っていたが、ビイング・ネット・プレスという出版社の編集部コラムを見てはっとした。引用許可をいただいたので、要点を下に引く。

・消費税法が改定され、内税方式になると、現在の、定価=○○○円+税 という表示は違法となり、出版社は、例えば、○○○円(うち消費税○○円) といった表示に、カバー、売上げカード等を作り直さなければならなくなる。……(略)……

・我々零細出版では、月10冊そこそこしか注文がこない本もあるが、売れ行きは月10冊そこそこでも、数多くの書店が根気強く本を棚に展示して、売れるのを待ってくれているのである。しかし、月10数冊の売れ行きしかない本を、何万もかけてカバー、売上げカードを印刷し直すより、絶版にした方がよい、という判断になる。カバーと売上げカードを1500部作り直すとなると、6万円ほどはかかる。もし作り直す必要がなければ、月々10数冊の売上げでも、わずかな利益を生んでいたのに、である。損を覚悟でカバーを作り直すかどうかは、ひとえに出版者の使命感だけである。が、使命感だけでは会社は維持できない。……(略)……

・もちろんシールを貼るという方法もある。カバーを作り直す費用を考えれば、それしかあるまい。シールにすれば格段に安くはなる。しかしそれさえも、印刷とシールを貼る人手と費用はかかるのである。一時的に嵩む出費を考えれば、印刷費や貼り直す手間をかけるぐらいなら再出荷をやめようという判断も成り立つ。1989年の消費税導入時や、97年の税率引き上げ時の出版界の混乱を体験している者にとって、こんな無駄な労力は思い出すだけでもばかばかしい。89年の消費税導入の際に使われた費用は、出版社で1社平均3623万円だという(3月18日付「読売新聞」)。

 消費税が見えにくくなることで、税率引きあげが安易におこなわれるようになるのは目に見えている。今後、政府は消費税を小刻みに上げていくだろう。消費税率引きあげのたびに読みたい本が消えていくのだ。また、

 住基ネットで新たな利権を作る一方、こういう姑息なことを企んでいるのだから、霞ヶ関に巣くう利権亡者は油断も隙もない。

Apr10

 一昨日、国際交流基金のハンガリー映画祭で、7時間半の伝説の映画、「サタンタンゴ」の一挙上映を見てきた。上映後のトークまでいれると8時間半だ。休憩は上映中15分のが2回、トークとの間に1回はいっただけ。おまけに平らな床に折畳の椅子という最悪の条件である。予算の関係か、字幕は焼きこみではなく、スクリーンの右脇の短冊のような字幕専用スクリーンに映写する形式で、目を大きく左右に動かさなければならない。第二部では映画と字幕のタイミングがずれてしまい、最初から上映し直すというハプニングがあった。

 ハンガリーでこの映画を上映すると、客が出たりはいったりして、おちおち見ていられないということだったが、日本でハンガリー映画祭に足を運ぶような人は重度の映画中毒だから、途中で席を立つ人はなく休憩時に帰った人も一割程度で、みな熱心に見ていた。実際、すばらしかった。

 トークまで見たのがたたったのか、昨日は筋肉痛と頭痛と吐き気で、一日使いものにならなかった。夕方、頭痛がおさまり、TVをつけるとバグダッド市民がアメリカ軍に歓呼の声をあげ、略奪に走りまわっていた。さすがバグダットの民だ。

 独裁政権が倒れ、戦火が峠を越したのは結構なことだが、アメリカの一極支配が強まると、息苦しくなる。「サタンタンゴ」後のトークでも、中沢新一氏が「これからは全世界が東欧化して、世界中で東欧ジョークが流行るんじゃないか」と言っていた。

 東欧ジョークというのは、

「ソ連は友好国、兄弟国どっちだろう?」
「兄弟国だ。友達は選べるが、兄弟は選べない」

という類の屈折したジョークだ。

 イラクの戦況をめぐっては中東問題専門家や軍事評論家がさまざまに憶測を重ねていたが、現時点でふりかえってみると、バグダッド市街戦でベトナム化するという大合唱の中、市街戦はないと主張しつづけた神浦元彰氏の予測が一番当たっていた。

 アメリカ軍がこんなに早く大統領宮殿にはいるところまでは神浦氏も読みきっていなかったが、これは補給路の伸びきったアメリカ軍先鋒をたたこうとして、バグダッド北部に温存していた共和国防衛隊三個師団を南下させたところ、逆に壊滅させられるというイラク側の失態があったかららしい。

 神浦氏には『北朝鮮消滅』という近著がある。数年前、北朝鮮崩壊論や暴発論が世を騒がせたが、この本は軍事的視点から北朝鮮の「脅威」など存在しないこと、むしろ心配すべきは北朝鮮消滅後の極東情勢であることを説いている。数年前に北朝鮮崩壊・暴発論が流行した時には、否定する側にまわった重村智計氏も、昨年新版の出た『最新・北朝鮮データブック』では、政変がありうるとニュアンスを変えている。平壌で銅像が倒される日は遠くはないかもしれない。

 バグダッド陥落記念というわけではないが、昨年のNov23の項に部分的に引用した「月刊ほら貝」の記事を、オリジナル通りにした。今のうちに載せておかないと、ニュースバリューがなくなってしまいかねないということもある(笑)。

May11

 ご覧のように、若干模様替えをして、blog的趣向をとりいれることにした。

 もともと軽い気持ではじめたサイトだが、つづけるうちに重くなり、更新が億劫になってきた。軽く書けるコーナーのつもりで「映画ファイル」と「読書ファイル」をはじめたが、いつの間にか重厚長大になってしまった。先週、昨年7〜9月分の読書ファイルを追加したが、読書ファイルは3ヶ月分、映画ファイルは12ヶ月分残っている。

 blogについてはずっと気になっていて、いずれblog風に小回りのきくコーナーを作ろうと考えていたが、「ウェブログに見る日米個人サイトコミュニティ事情」を読んで、急にその気になった。

 blogはネット上の膨大な情報を選別してくれるわけで、blogなしの生活は考えられないが、関心の持ち方が違うので、どうしてもいくつか巡回することになる。「ほら貝」なりの選別を重宝する人もいるだろう。

 ちょうど今日は創刊7年半にあたる。この機会にblog風に改装した「エディトリアル」を巻頭にもってくることにした。スタイルシートをいじったついでに、「演劇ファイル」、「映画ファイル」、「DVDファイル」のレイアウトをすこし変えた。枠で囲んであるが、tableタグは使っていない。念のため。

 いつまでつづくかわからないが、当分はこの形式でやってみようと思う。

May12

 松下電器が今秋、発売を予定している読書用専用端末、ΣBookについて、Mainichi Interactiveに詳しい報道が出た。

 コンテンツを鈴木雄介氏が社長をつとめるイーブックイニシアティブジャパンが用意するというので、ある程度予想していたが、ΣBookはブック・オン・デマンドとよく似ている。ブック・オン・デマンドについては、5年前に「電子書籍の衝撃」という表題で、本サイトにインタビューを掲載させていただいている。

 上のインタビューで、鈴木氏は「専用端末は空箱で出すつもりはないんです。電子手帳というか、電子システム手帳の機能をつけます」と語っておられたが、ΣBookも

「うちが今さらPDAを出しても目立たないでしょう」。松下の読書用端末の担当者の1人はその狙いをこう語る。読書用専用端末が売れるという確信よりも、新たな市場で先行してブランド確立を狙ったようだ。

とあるように、PDA(電子手帳)としても売るらしい。

 電子書籍は鳴物入りで登場した割りには低空飛行がつづいているが、電源を切っても画面表示されつづける記憶型液晶が実用化されたり、重い画像コンテンツでも実用速度でダウンロードできるブロードバンドが普及しており、5年前よりは有利な条件がそろいつつあるのは事実だ。

 しかし、本命は量産効果があがりやすい電子ペーパーを使った製品ではないか、という気がする。

 おもしろいと思ったのは、

 さらに、出版業界でささやかれ、松下も期待を隠さないのが、中国政府による電子書籍と読書用端末活用の検討だ。背景には、12億以上の人口を抱え、急速な経済発展に伴って紙不足が深刻になっている中国の事情がある。仮に中国の教育現場の一部ででも読書用端末が採用されれば、市場が急拡大して価格が下がり、普及を後押しする可能性もある。

という条である。

 電子書籍は途上国の方が普及しやすいと見る人はすくなくなく、「アジアの多言語処理」を担当していただいたユネスコ・アジア文化センターの人も同じ意見だった。ひょっとしたら、携帯電話のようなことになるかもしれない。

May13

 「小さな中国のお針子」を見た。1971〜4年の3年間、山奥の村に下放された二人の青年が、当時、禁書のあつかいだった西洋の小説を密かに入手し、労働の合間に読みふける話で、原作者でもある載思杰ダイ・シージェ監督の体験がはいっているという。

 下放をあつかった映画は「シュウシュウの季節」、「子供たちの王様」など、何本か見ているが(「初恋のきた道」もそうか?)、いずれも都会しか知らなかったインテリ青年が、僻地の素朴な人情にふれて人間的に成長するという、中国政府推薦といってよいようなストーリーだった(実際には推薦どころか、あの手この手で妨害しているらしいが)。

 ところが「小さな中国のお針子」では、主人公の二人の下放青年は素朴な人情にふれてもまったく変らず、むしろ圧倒的な文化の力で村人に影響をあたえる。その代表が、「小さなお針子」と呼ばれるヒロインの少女である。彼女は二人の青年が読みきかせるバルザックに刺激され、深圳に出てしまうのだ。

 下放青年の生活も、従来の映画とはずいぶん違う。苛酷な肉体労働を強制されるのは同じだが、村長以下、全員文盲の村で、字が読めるという優位性を活かして、したたかに立ちまわる(フランスの公式サイトにある戴監督のインタビューによると、ほぼ事実にもとづいているという)。

 戴監督はインタビューで文革の10年間は無駄だったと言い切っている。文革も社会主義の理念も完全に間違っていたというのはその通りだが、「文化」をここまでためらいなく誇示されると、鼻白んでしまう。西洋文学をかけがえのない宝として発見する二人の主人公はちょっとうらやましかったけれども。

May14

 テレビ東京の特別ドラマ「北朝鮮拉致 めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」を見た。

 北朝鮮関係では、日本テレビがよど号ハイジャック事件と大韓航空機爆破事件をみごとにドラマ化していたが、拉致事件は現在進行中の上、経緯が細部までよく知られていることもあって、ドラマ化は難しいだろうと思っていた。

 はたして後半は事件の展開をなぞるだけに終わったが、前半はよかった。めぐみさんの失跡後10年間は、まさか13歳の女の子が工作員に拉致されるなどとは誰も思わず、竹下景子と加藤剛の演ずる横田夫妻は五里霧中の中、あてもなく捜しまわるしかなかった。「外国の情報機関」による拉致の疑いが出てきても、五里霧中の状況は変らない。事件の輪郭が見えてきたのは、脱北工作員の証言が出た1997年以降で、失跡から20年がたっていた。

 後半に描かれる出来事はあらましは知っていたが、絵にして見せられると、衝撃度が違う。外務省の飯倉公館に家族が集められ、長時間待たされたあげく、外務省高官から「死亡を確認した」と引導をわたされる場面では怒りがこみあげてきた。外務省高官は家族に「確認するのに時間がかかった」とはっきり言っていた。関係者がすべて実名で登場する以上、裏をとっているはずで、外務省高官は確かにこういう台詞を吐いたのだろう。実際は「確認」など、なにもしていなかったのに。むごい話である。

 政府やマスコミが拉致問題から目を背けてきたのは、日本の植民地支配に対する罪悪感が一番大きな原因となっているだろう。日本には朝鮮人を「強制連行」した過去があるのだから、拉致ぐらいでとやかくいえないという、おなじみの論理である。

 そもそもこの論理自体おかしいのだが、中には感情論としてはわかるという人もいるかもしれない。しかし、呉善花氏の『生活者の日本統治時代』や金完燮氏の『「親日派」のための弁明』、黄文雄氏の『日本が作った韓国』を読むと、罪悪感を感じなければならないようなことが本当にあったのかどうか、はなはだ疑わしくなる。

 「強制連行」とは実は「徴用」であり、「徴用」を「強制連行」と言いかえるようになったのは1960年代からだという。当時は冷戦まっただなかで、政治的意図から事実をねじ曲げる歴史学者がすくなくなく、朝鮮戦争は韓国からしかけたなどという出鱈目がまかり通っていた。「強制連行」という煽情的な表現を無批判に広めたために、「徴用」とはまったく次元の異なる「拉致」が許されるかのような心理的素地を生んだのだとしたら、歴史学者の罪は重い。

May15

 昨年、NTT-Xの提供するサーチエンジン、gooとまぎらわしい「goo.co.jp」の使用権をめぐる裁判がNTT-X側の勝訴となった。アメリカでは、有名企業・機関とまぎらわしいドメイン名を使って、来訪者をポルノサイトに誘導しようとした者に、罰金と2年から4年の禁固刑を科す法案が可決された。

 これで先に登録していても、不正な利用目的による場合はドメイン名が認められないという判例がほぼ定着したわけで、matsuzakaya.co.jp事件()のようなドメイン名紛争は今後、起きにくくなると思われるが、思いがけない死角があった。期限切れドメイン名である。

 ZDNetの「期限切れドメイン取得――その“けもの道”」によると、無効となったドメイン名で一儲けしようとする業者が出てきている。希望するドメイン名が空いたかどうか、常時監視し、空いたところですかさず取得してくれるサービスや、期限切れや削除されたドメイン名のリストを提供するサービスまであるという。

 もちろん、ドメイン名の有効利用自体は結構なことだが、レジストラ(ドメイン名登録業者)によっては、期限切れ後45日ないし80日の猶予期間が終わっても、お金になりそうなドメイン名をかかえこむところがあるらしい。

 はたしてそのケースに該当するのかどうかわからないが、前から気になっているドメインに、mai-mai.comがある。

 mai-mai.comは現役ソープ嬢、片桐舞子さんが開いていたサイトで、ソープランドのお客の生態と内情を描いた抱腹絶倒の日記が評判になり、後に『バブルの逆襲』という単行本として出版された。

 mai-mai.comは2000年春には閉鎖されたが、ブックマークにチェックをかけるとずっと生き残っていて、最低価格800ドルで売りに出されているのである。

 mai-mai.comは人気サイトだったから、今でも多数のリンクが張られたままになっていて、商品価値があるということだろうか(リンクが多いと、googleの検索で上位に出てくる)。ドル建てで英文ページしかないところを見ると、この競売は片桐舞子さんご自身の知らないところでおこなわれている可能性がある。

 万一、閉鎖されたドメイン名が、勝手に競売にかけられるようなことがあるとしたら、怖いことである。

 horagai.comはお陰様で多くのサイトからリンクしていただいていて、そのおかげで、googleで検索すると、拙サイトのページは比較的上位に出てくる。ということは、horagai.comというドメイン名には、なにがしかの商品価値があるということである。

 生きている限り、horagai.comは維持するつもりだが、もしわたしが頓死した場合、horagai.comは期限切れをむかえ、放出されることになる。

 先年亡くなった、菜摘ひかるさん(『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』)のnatsu.netは、菜摘さんの友人によって維持されているようである。ほっとする話だが、いつまでつづけることができるのだろうか。

 愛着のあるドメイン名を変な会社・団体にとられたり、レジストラに勝手に競売されたらと思うと、ゾッとしない。永代供養のようなシステムはないものだろうか。

 www.matsuzakaya.co.jpをデパートの松坂屋以外の企業が取得し、Matsuzakaya Internationalを名乗るポルノサイトを運営していた事件。www.matsuzakaya.co.jpは現在はデパートの松坂屋のサイトになっているが、www.matsuzakaya.comの方は韓国の企業が保有し、売りに出しているらしい。

May16

 某所で「コンピュータと文学」という授業をもたせていただいているのだが、学生に発表させたところ、「ある地域を除いて、日本ではすべての国民に戸籍をもつことが義務づけられている」と言いだし、目が点になった。

「ある地域」とはどこか尋ねると、横浜市だという。住基ネットと戸籍を混同していたのである。

 もし、「ある地域」がこのあたりだったなら、いい点をつけたところだ。

 戸籍の電子化は着々と進んでいるが、この公文書は紙らしい。

 というのは、数年前、某官庁から、ワープロで有名な某社に、ある漢字の異体字を出すにはどうしたらいいか、問い合せがあったそうなのである。ある漢字は手書きで書かれているから、こういう質問がきたのだろう。

 人名にそんな字を使っていいのか、気になるところだが、人名用漢字の制限は正式の法律ではなく、法務省の省令で決められているにすぎないから、某方面には適用されないのかもしれない。

 電子政府を云々する上で、これはかなり深刻な問題である。JISにないから、某書類を書きかえるというわけには、まさかいかないだろう。

 人名典拠であれば、統合すべき範囲の異体字でもISO 10646に比較的簡単にはいるようなので(某国の追加申請した文字は、もうちょっと粘ればはいったかもしれない)、国際的には問題ないのだが、問題は国内である。異体字は異体字アーキテクチャで出すという方針を貫くのかどうか、気になるところだ。

May17

 ケイト・ベッキンセール見たさにDVDで『パール・ハーバー』を見た。この映画は封切時から酷評されてきたが、実際、その通りの駄作だった。

 こんなアホな映画を相手にしてもしょうがないとは思うのだが、日本軍に珍妙な作戦会議をさせておきながら、メイキングで「史実」と「証言」に忠実に作ったとしつこく念押ししているので、どこまで忠実なのか、確かめておこうと思ったのだ。映画としての感想はDVDファイルを読んでいただきたい。

 確かめるといっても、手間はかからない。すでに多くの人がネット上で問題点を指摘しているので、ちょっと検索しただけで、欲しい情報がぞろぞろ出てきた。

 わたしが閲覧した範囲で、一番まとまっていたのは「東長崎機関」の大久保義信氏のコメントで、戦闘場面に関する限り、問題点はほぼ尽されている。

 映画の零戦は海に落ちた水兵や陸上の民間人、さらには救急車や病院にまで、執拗に機銃掃射を繰りかえし、日本人の野蛮性を強調しているが、大久保氏によると、

 実際は、艦艇や格納庫、飛行機など割り振られた目標を攻撃するのに「忙しくて」あんな事するヒマはなかったハズ。それに貧乏性の日本軍は、人間よりも兵器類を狙う傾向もあったし。あえて考えるなら、あの機銃掃射場面は、古い地図で目標選定をしてしまったがゆえに、教会やビアホールを攻撃しまくった史実の別表現なのか…なんてことはないな。

目標選定の間違いが原因の誤爆なら、ハイテク化されたイラク戦争でもアメリカ軍はさんざんやっている。

 政治的な部分については、「日刊イトイ新聞」の鈴木すずきち氏のコメントを読むといい。

フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(FDR)が
真珠湾攻撃の第一報を知らせる書類を渡されて
動揺のあまり書類を取り落とすシーンがある。

ここで私だけ大笑いしてしまい、
他のお客さんから顰蹙を買ってしまった。
FDRは暗号解読で事前に情報をつかんでいたんだし、
書類を取り落とすなんて、
そんなべたべたな動揺するはずないっつーの。

当時の合衆国世論が参戦に否定的だったのは
映画でもかいつまんで描写されている通りだが、
その世論を一気に日本憎しへと転換させるきっかけとして
うまくFDRに利用されたのが
パールハーバーへの卑怯な攻撃(Sneak Attack)だった。

 映画公開時のアメリカ・マスコミの冷静な反応を伝えてくれているのは、「商社マンに技あり」の泉幸男氏だ。「実写マンガ映画『パール・ハーバー』」では、零戦が看護婦を銃撃する場面に対する批判が紹介されている。

さすがにこのシーンは、Time 誌でも問題にされている。

Time 誌 の6月4日号の「実際には何が起きたのか」という記事で、真珠湾生存者協会の歴史家 Raymond Emory 氏(80歳)の発言が引用されている。

≪殺傷シーンが過剰だ。死亡した看護婦はいなかった。本隊に遅れて来襲する魚雷爆撃機などなかった。小規模爆発は映画ほど多くなかった。逆に、大規模な爆発は映画よりも多かった。≫

Time 誌には、当時の真珠湾の状況が航空写真風に図解されている。病院の南は石炭置き場、東は空き地、北と西は海だが艦船は1隻もいない。

攻撃されていない軍事標的が、まだまだ基地周辺に山ほど残っているのだ。何を好んで、貴重な弾薬を使って基地対岸の病院を爆撃したり、撃墜されるリスクを冒して看護婦に機銃掃射したりするだろうか。

こういう情報が家にいながらにして、すぐに閲覧できるのだから、いい加減な歴史映画は作りにくくなるものと期待したい。

May18

 北朝鮮情勢が微妙なところにきているようだ。

 先月、北朝鮮の核科学者と軍高官ら20名が米国へ亡命したと報じられたが、17日には、北朝鮮で弾道ミサイルの開発を担当していた科学者がワシントンで会見をおこない、ミサイルの部品の9割が日本製であること、外貨不足でミサイルの生産が停滞していることを明らかにした。李佑泓氏の『暗愚の共和国』によれば、北朝鮮はコークスや釘すら国内では生産できないそうだから、残りの1割も輸入と見た方がいい。ミサイル生産と核開発を阻止するには、経済的締めつけが利くのである。

 この会見のお膳立をしたフォラツェン氏(『北朝鮮を知りすぎた医者』)が、韓国政府は亡命者の口封じをし、安全を脅かしていると批判し、国際提訴も辞さないと声明したことも話題になった。

 同じ日、贋札と麻薬密輸を仕切っていた吉在京氏がアメリカに亡命をもとめたというニュースが流れたが、北朝鮮側は吉在京氏は数年前に死亡しているとして、亡命を否定している。

 北朝鮮が生きている人間を死んだことにした例は過去にもあったといわれているので、藪の中である。

追記: May19の項に書いたように、この記事は誤報であることが判明した。

 狐と狸の化かしあいであるが、先日話題になった『現代』の「脱北将軍の最高機密」というインタビュー記事にも情報操作がくわえられているようである。

 この記事はバンカーバスターでも破壊できない地下施設と、弱体化して攻撃能力を失った軍の実情をリアルに描写する一方、北朝鮮がアメリカを攻撃する核戦力をすでに保有しているという劇画的な主張もしている。「劇画的」とあえていうのは、次のような信じがたい内容だからだ。

 「脱北将軍」氏は韓国当局の保護下にあるわけで、この証言も当局の承認のもとにおこなわれたはずである。盧武鉉政権の意向が反映していると考えなければならない。

 「脱北将軍」氏の証言は、北朝鮮にはもはや侵略能力はないが、バンカーバスターでも破壊できない地下施設と核攻撃能力がある、つまり、北朝鮮と戦争をしてはいけない、太陽政策が最善だと信じさせようとしているのである。

 だが、いくら太陽政策に固執しても、SARSがはいれば、北朝鮮の崩壊は時間の問題だ。神浦元彰氏のサイトの5月9日の条には、こうある。

 もしSARSが北朝鮮国内に感染したら、食糧不足や医薬品(医療機器)不足で、それこそ壊滅的な打撃を受けることに気がついた。それも食料不足で体力の衰えた国民には、65歳以上の死亡率が襲う危険性が高い。中国とはけた違いの死者がでる可能性がある。
 ちょうど北朝鮮では、今、食糧を求めて春の大移動が始まっている。もし北朝鮮での感染が確認されると、一気に感染が国内全域に及ぶことは必至である。平壌への伝染を恐れて平壌周辺を閉鎖したり、国内感染の広がりを押さえるために地方の交通を遮断すれば、食糧不足とSARSの恐怖で国民の不満は一気に高まっていく。
 北朝鮮からの難民を防止する中国軍も、SARSの感染を恐れて中朝国境を越える難民には銃撃を加える可能性がある。

65歳以上の死亡率」とは50%である。

May19

 昨日紹介した金正日総書記の秘書室副部長、吉在京氏の亡命説は誤報だったことが判明した。韓国の新聞、中央日報の記者が今年2月に撮影した、北朝鮮の国立墓地にあたる「愛国烈士陵」の200枚の写真の中に、吉在京氏の墓碑があったことが確認されたというのだ。詳しくはMainichi InteractiveSankei Webを参照されたい。

 吉在京氏亡命説は「ソウルの外交筋」から流れたそうだが、アメリカは亡命したかどうか確認を避けるという見方があったので、北朝鮮側がいくら死亡していたといっても、墓石の写真という証拠がなかったら、狼少年の状態がつづいたはずだ。北朝鮮の情報をうるために、墓石の写真を撮っていたというのはすごいことである。

 また、北朝鮮は日本のことを「倭」と呼ぶようにしたという冗談のようなニュースもはいってきた。「日本反動層が主張しているように他国の国号を慣習どおりに使うなら、われわれが公式言語生活で使う『日本』という単語は『倭』(日本を軽蔑する言葉)に変わる」のだそうである。

 将軍さまは「北朝鮮」という通称が気にいらないらしいが、「韓国」や「イギリス」、「アメリカ」、「イラン」だって通称なのである。韓国を「韓国、大韓民国」、イギリスを「イギリス、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」と呼ばないのに、北朝鮮だけを特別あつかいしてきたことの方がおかしいと思うのだが。

 ディズニーのホームビデオ部門であるブエナビスタ社は返却の必要のない特別なディスクによるDVDレンタルを、この8月にもはじめるという。

 ZDNetによると、EZ-Dとよばれるこのディスクは、パッケージの封を切った時点では赤色だが、酸素に触れると被膜が黒く変化していき、48時間後にはDVDレーザーが通らなくなる。EZ-Dは「48時間で自己消滅するディスク」なのだ。

 つまり、レンタルといっても、実際は48時間限定の使い捨てDVDと考えた方がいい。

追記:ED-Zは8月に発売されたが、結果はNov21を参照。

 数年前の映画なら1500円で見ることができるようになったし、500円玉一枚で買えるワンコインDVDも出てきた。しかし、買って後悔するDVDは結構あるし、マイナーな会社から出ているマニアックな作品は廉価版になるどころか、初回生産で打ちきりになることが多い。レンタルDVDが増えてくれるなら、それに越したことはない。

 気になるのは、使い捨てとなると在庫をもたなければならなくなることだ。この方式でレンタルされるのは、メジャーな作品だけということにならなければよいのだが。

 もう一つ、電子書籍に応用されるかどうかも気になるところだ。一年間しか使えない(毎年、買い直さなければならない)百科事典や辞書なんて、いかにも出てきそうである。

May20

 昨日、日本ペンクラブ電子文藝館委員会の初顔合せをかねた第一回会合があった。

 日本のデジタル・ライブラリでは青空文庫が有名だが、一部を除いて著作権の切れた作品を選ばざるをえないので、どうしても半世紀以上昔の作品が中心になる。

 電子文藝館は現役の詩人(Poet)、編集者・エッセイスト(Editor & Essayst)、小説家(Novelist)の団体である日本ペンクラブの会員が、これぞという自作をもちよって公開しているデジタル・ライブラリで、最近発表された生きのいい作品が多い。

 もちろん、古い作品もある。日本ペンクラブは1935年11月26日、島崎藤村によって創立された沿革をもち、会長の名前だけをあげても、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成、芹沢光治良、中村光夫、石川達三、高橋健二、井上靖、遠藤周作、大岡信、尾崎秀樹、梅原猛、井上ひさしと、文壇・言論界をリードしてきた方々がならび、その代表作が一堂に会しているのである。

 また、ペンの会員ではなかったが、近代文学・近代思想を語る上で欠かすことのできない方々の作品は「招待席」というコーナーに納めさせていただいている。委員諸氏が知恵をあわせて選んだ作品なので、壮観というほかはない。一度、目次をながめてほしい。

 この3月まで、電子文藝館の運営は電子メディア委員会が担当していたが、規模が大きくなってきたこと、会員間の認知度が高まり、掲載希望の申し出が増えている状況を踏まえ、電子文藝館専門の委員会が独立することになった。

 委員の総数も以前の倍になった。これだけの方々が、ボランタリー・ワークへの参加を快諾してくださったのは、秦恒平委員長の御努力と、電子メディアの重要性が会員の間に広く知られるようになった結果だろう。

 実は立ちあげ時には考えもしなかった問題ももちあがっているのだが、これはこれで電子文藝館の存在が大きくなった証拠ではないかと考えている。

 委員会の末席を汚すだけなのに、こんなことを書くのはおこがましいが、どうか電子文藝館の今後の展開に注目していただきたいと思う。

May21

 レコード店のワゴン・セールを漁っていたところ、ヴィッキーのベストアルバムを見つけた。別にファンというわけではなかったが、懐かしさから手にとると、19曲のうち、日本語版が7曲もはいっていた(AMAZONで探すとベスト版は何種類も出ている)。「恋は水色」のヒットの後、日本語で吹きこんだ曲がいくつかあったのは知っていたが、7曲もあったとは(もっとある?)。

 懐かしさ半分、珍しさ半分で買ってみたが、たどたどしい日本語はご愛敬としても、こんなに太い声だったのかと驚いた。ヴィッキーが忘れられた後、「恋は水色」はポール・モーリアがアレンジしたインストルメンタル版が街に流れつづけたので、あのキラキラした印象が記憶の中でヴィッキー本人と混ざってしまったのかもしれない。

 この機会に検索したら、公式サイトが見つかった。ドイツ版公式ページもあって、こちらの方が充実している。どうもドイツを本拠にしていた期間が長かったらしい。

 フランス人とばかり思いこんでいたが、レアンドロスという姓とコルフ島で生まれたことからすると、ギリシア人らしく、ユーロヴィジョンのコンテストにはルクセンブルク代表として出場したという。もともとコスモポリタンな人なので、日本語で歌うことにも抵抗がなかったのだろうか。

 記憶の中のヴィッキー像とはずいぶん違うのであるが、アルバムの中では「悲しき天使」が聞かせた。太い声で、ど演歌に近い歌い方だが、ここまで自分流に歌うと、迫ってくるものがある。

May21

 メリー・ホプキンの『悲しき天使』は多くの歌手がカバーしているが、どれも感情がこもりすぎているような気がする。メリー・ホプキンの『悲しき天使』は空気の中に溶けていきそうな、綿菓子のような声で淡々と歌い、感情があらわでないだけに、訴えるものが深い。

 今はベスト版が出ているし、「Postcard」もCDで復刻されていて、簡単に入手できる。ポップ調の曲もあるけれども、メリー・ホプキンの本領は妖精ボイスを活かしたフォーク調の曲で、ケルトの歌姫というなら彼女を忘れてはいけないと思う。『ロード・オブ・ザ・リング』はエンヤが主題歌を担当していたが、もう20年早く作られていたら、メリー・ホプキンが選ばれてもよかったろう。

 この機会に彼女に関するページを探したら、熱心なファンのページがたくさん見つかった。日本ではDays氏のページが充実していて、海外の主要なサイトにはここから飛べる。手際よくまとまっているのは英語よろず屋ポール氏のページで、『世界の民謡・童謡 ソングブックの「花の季節」では、曲の来歴と別歌詞の「花の季節」の関係が解説されていて、MIDIでメロディーを聞くこともできる。

 海外ではNew Mary Hopkin Friendly Societyが老舗で、ウェールズ在住の人が運営しているだけに情報量がすごい。写真が多いのはBrian's Mary Hopkin Pageで、主宰者はアップル関係のコレクターだそうである。今や『ロード・オブ・ザ・リング』の国となったニュージーランドにはMary Hopin International Siteがある。新しいサイトのようだが、最近の活動をカバーしている。BBCのウェールズ版サイトには彼女の紹介ページがある。ウェールズにとってメリー・ホプキンは、奄美大島にとっての元ちとせのようなものなのだろう。

May23

 朝鮮日報日本語版に「民間ネットにも「掲示板実名制」導入へ」という記事が載った。Yahooなど、民間が提供している掲示板に書きこむにも、自分の実名と住民登録番号が必要になるというのだが、すこし解説が必要だろう。

 日本では掲示板への書きこみはもちろん、無料メールサービスや無料ホームページ、無料掲示板、無料日記サイト、無料ニュースサイトの申し込み、メーリング・リストへの参加、メールマガジンの購読等々に実名は必要ない。住所氏名を書かせるところもあるが、出鱈目でも大丈夫である。

 ところが、韓国では以前から住民登録番号を書かないと、申しこめないところが多かった。

 住民登録番号とは、冷戦のさなかの1968年、北朝鮮からのスパイを防止するために、全国民につけられた13桁の番号(当初は12桁)で、日常生活のさまざまな場面でこの番号が使われている。日本の住基ネット番号の先輩と思えばいい。

 住民登録番号はクレジットカード番号や住基ネット番号と同じように、入力ミスをチェックするために、ある式によって生成されるので、出鱈目に13桁の番号を入力しただけでははねられる公算が高い。そこで、贋の住民登録番号を生成するソフトやサービスが重宝されてきた(このサイトをよく探すと、住民登録番号生成のcgiが見つかる)。

 贋の番号というと悪いことをしているような印象があるが、日本から韓国のメールマガジンを購読したり、無料ニュースサイトを読むには贋の番号のお世話になる必要がある(「韓国インターネット事情」によると、韓国在住の外国人はネット上の申しこみには外国人登録番号を使う)。

 政府・公的機関のサイトでは、贋番号による書きこみを防止するために、実名も書かせ、住民登録番号と一致するかどうかチェックするようになっていた。それを民間の提供する掲示板にも拡大しようというわけだ。

 情報通信部は15日、ダウムコミュニケーション、YAHOOコリア、NHN、ネオウィズの社長と懇談会を行い、インターネット実名制の民間への拡大と青少年専用電子メール制度などを積極的に進めることにしたと、16日明らかにした。

 掲示板実名制とは、インターネットの掲示板に書き込みをする時、住民番号を照会して本人であるかどうかを確認するもので、情報通信部など15の部処で実施している。これにより筆名(または仮名)で書き込みをし、それが名誉毀損など法的問題につながった場合でも身元確認が可能となる。

 日本の住基ネット番号も、いずれこのような使われ方をするのだろうか。

 ネット上のプライバシー関連では、HotWiredの「中国、SARSの噂を流布した携帯メッセージ発信者を取締り」という記事も見逃せない。

 中国当局が、SARS(重症急性呼吸器症候群)に関する噂を携帯電話のテキスト・メッセージで流布する行為の取締りを行なったと、業界情報筋が伝えている。その際、政府に対する脅威を探り出し、未然に抑えることを目的とする追跡システムが使用されたという。

 このシステムは、昨年11月の中国共産党最高指導部の新旧交替に先だって導入されたもので、チャイナ・モバイル社とチャイナ・ユニコム(中国連合通信)社のネットワークを通じて1時間当たり100件以上のテキスト・メッセージを送信したユーザーを特定できる、と情報筋は述べた。

 パケットを検閲するシステムのようだが、SARSに関する流言飛語をメールしたというので、すでに十数人の容疑者が逮捕されているという。

 中国は政治は依然として社会主義だから、「政府に対する脅威を探り出し、未然に抑えることを目的とする追跡システム」は当然あるだろう。今回のSARS騒動をきっかけに、それが表面化したわけである。

May24

 SARSとほぼ同一のコロナウィルスがハクビシンから発見されたというニュースが流れた。ハクビシンはタヌキとよく似た野生動物で、鼻の真ん中が白いので「白鼻心」と呼ばれ、「中国南部や台湾などに生息しており、広東省の野生動物を扱うレストランでは定番メニュー」だそうである。その後、市場で売られているタヌキ、アナグマからもSARS類似のウィルスが発見された

 野生動物が感染源だとしたら、感染者を隔離しただけでは新たな感染を防ぐことができない。実際、広西チワン族自治区で「野生動物を運搬していた男性の発病を発端に、計5人が感染、1人が死亡したケース」が見つかっている。

 動物からの感染となれば、山内一也氏の「人獣共通感染症講義」である。週一回の更新なので、ハクビシン説はまだだが、NHK教育テレビの「視点・論点」で4月15日に話した内容のオリジナル原稿が第143回講義として掲載されている。この時点ではSARSの情報が限られていたので、新興感染症(エマージング感染症)一般の解説にとどまるが、外堀から攻めていく視点はかえって新鮮である。

 第144回講義は、ハノイに駐在し、WHO感染症専門家としてラオス、カンボジア、ベトナムの感染症対策に従事していたカルロ・ウルバーニ医師の功績を紹介している。ベトナムがいち早くSARSを制圧できたのはウルバーニ医師の力によるところが大きく、ウィルスの特定も彼がWHOに送った検体が決め手になったという。SARSは多くの医療関係者の生命を奪ったが、ウルバーニ医師も3月29日にSARSで帰らぬ人となった。

 うるわしい話のある一方、19日に開幕したWHO総会では、SARS拡大防止の国際協力が議題だったにもかかわらず、中国は台湾のオブザーバー参加を妨害するという暴挙に出た。自分の国が火元になっていて、これはないだろう。

 台湾はかねてからWHO加盟を申請していて、日本の支持を要請するために、4月2日に台湾医会連盟のミッションが来日したというが、日本はどこまで期待にこたえることができたのだろうか。

 台湾に対するこの手の嫌がらせは、中国は昔からやっていた。文字コードでも、台湾のCNS 11643がISOの国際登録簿になかなか登録されず、エスケープシーケンスに混乱が生じたのは中国の反対があったからだといわれている。所詮、社会主義者のやることである。

May25

 これまでメジャーの独壇場だったDVDの廉価版に、マイナー系のメーカーが参戦しはじめた。

 たとえば、ハピネット(旧ビーム)は、7月24日から期間限定で、DVD30タイトルを2800円で再発売する。

 ハピネットはビーム時代から画質がいいという評判は聞かないし、『デュラス愛の最終章』を『愛人/ラマン最終章』というまぎらわしい題名でだす困った会社であるが、ミニシアター系のいい作品を押さえている。

 果たして、ラインアップには食指の動きそうなタイトルが多い。目についたものを上げると――

 『テス』はいうまでもなくナスターシャ・キンスキーの代表作だが、『レボリューション めぐり逢い』は彼女とアル・パチーノが共演した歴史大作で、『炎のランナー』のヒュー・ハドソンが監督している。IMDbの評価が著しく低いのが気になるが(なんと4.3!)、この値段なら、はずれてもいいかなと思う。

 マイナー系とはいえないが、ポニー・キャニオンが来月発売する廉価版も見逃せない。高止まりの観のある邦画がやっと安くなったのである。こちらもめぼしいところをあげると――

 こんなことを書いていると、デフレをよろこぶとはけしからんと苦情が来そうであるが、今回のデフレは通常のデフレではないという説がある。

 最近、『100年デフレ』という恐ろしい本を読んだ。交通の発達などによって複数の経済圏が一体化すると価格の平準化が起こり、一方ではデフレに、他方ではインフレになるという説である。日本と中国は距離的には近かったが、中国の政治体制のために経済的に隔離されていた。ところが改革解放によって経済交流が活発化し、中国製品が日本になだれこむだけでなく、日本企業が中国で生産するようになった。その結果、日本では物価が下がり、中国では物価が上がっている。これは通常のインフレ・デフレではなく、拡大した経済圏における価格調整なので、価格が平準化するまでは止めようがないというのである。

 本書で例としてあげている19世紀のデフレは金本位制の問題だったと反撥する人もいるが、貨幣供給量で説明のつく通常のデフレではなく、隣接経済圏の融合という数百年に一度の出来事が起こっているのだから、批判は説得力がない。そういう誤解をまねきかねない「100年デフレ」という表題はまずかったかもしれない。

May26

 新文芸座で24日から「タルコフスキー&ミハルコフ傑作選」がはじまった。

 最初のプログラムの『ノスタルジア』と『惑星ソラリス』を見たが、すばらしかった。どちらも過去に何度か見たことがあるのだが、今回が一番よかった。再見して底の割れる映画が多い中、タルコフスキーは見れば見るほどよさがわかってくる希有な作品なのだ。

 『ノスタルジア』は、昨秋、イメージ・フォーラムでやった「アンドレイ・タルコフスキー映画祭」の際のニュー・プリントを使っているのか、フィルムの状態がよかった。『惑星ソラリス』はフィルムの変り目は傷が目立ったが、中間部分は悪くない。彩度が高くなったり、低くなったりしたが、元からああだったのか……憶えていない。クライテリオン版のDVDを買ってあるので、そのうち確認してみよう。

 『惑星ソラリス』上映前に、来月封切のソダーバーグ版『ソラリス』の予告編をちゃっかり流していたが、ここに来てDVDが出たり特集上映が組まれたりしたのはソダーバーグ版のおかげだろう。コアなファンからはぼろくそに言われているが、IMDbの評価は現在6.5と決して低くない(タルコフスキー版は7.5で、外国映画としては高い方)。

 1977年の初公開時、SF関係者の間に、日本版『惑星ソラリス』は短縮版で、オリジナルは8時間あるという噂が流れたことがある。短縮版だけならありそうな話だが、オリジナルが8時間となると本当かなと思った。その噂によると、原作の邦訳『ソラリスの陽の下に』は半分に縮めた抄訳で、8時間版の『ソラリス』はカットなしの原作を忠実に映画化しているというのだ。

 しかし、IMDbでも165分となっているから、8時間説はもちろん、短縮版説も成りたたない。SF関係者お得意の与太話だったのだろう。そういえば、ケン・ラッセルが『結晶世界』を撮っているなどというデマも流れていた。

 『ノスタルジア』はこれまで、もう一つピンと来』はこれまで、もう一つピンと来なかったのだが、今回、ようやく流れに乗ることができた。この作品に熱烈なファンの多いのもうなづける。ネット上にはnostarlghia.comというみごとなファンサイトがある。日本でも安立清史氏による「タルコフスキーへの旅」というページがあり、ロケのおこなれたサンガルガノ大聖堂の廃墟を紹介している。

May27

 池袋のジュンク堂をのぞいたところ、3階で現代教養文庫の半額セールをやっていた。

 現代教養文庫は昨年倒産した社会思想社の看板シリーズで、『菊と刀』で有名だったが、小栗虫太郎、橘外男、久生十蘭、夢野久作らの選集、黄表紙・川柳などの江戸もの、マイナーな翻訳物をラインアップしていた。

 普通、出版社が倒産すると書店は一斉に返本し(もたもたしていると返本できなくなり書店の不良在庫になる)、その出版社の痕跡はあとかたもなくなるものだが、社会思想社の場合は倒産直後からBook1stや紀伊国屋、ジュンク堂などで半額フェアをやっていた。

 多分一度返品された本を管財人から買切りの自由価格本として仕入れたのだろうが、倒産して一年近くたってもフェアが催されるのは細く長く売れるの路線に徹した現代教養文庫ならではのことだろう。

 二度と再刊されないであろう本が多いのでフェアのたびに買っていたが(半額なので一抱え買っても知れたものである)、今回は『ビーグル号の艦長』、『エピソード占星術』、『シャルルマーニュ伝説』、『仮面』の4冊をもとめた。

 この中で気になったのはメラーシュの『ビーグル号の艦長』だ。ビーグル号はダーウィンに進化論の着想をあたえた航海で有名だが、ダーウィンが乗り組んでいた当時の艦長、フィッツ・ロイの伝記を書いた奇特な人がいたのである。

 ビーグル号に博物学者を乗せようと言いだしたのはフィッツ・ロイ艦長だそうだが、わざわざ伝記を書くほどの人なのだろうか。つん読で終わりそうである。

 同じコーナーで中公文庫の半額フェアもやっていたが、こちらはめぼしいものは残っていなかった。先月のぞいた時は『折口信夫全集』や『日本の詩歌』の端本があっていい買物をした。

 半額セールはありがたいが、これだけの本が書店から永久に消えてしまうのかと思うと薄ら寒いものを感じる。

May28

 長野県本人確認情報保護審議会は、県下の27自治体で、住基ネットとインターネットが物理的に接続しており、早急に分離することは困難として、住基ネットからの離脱を勧告する中間報告を発表した。

 この問題は以前から指摘されていたが、実地調査によって確認された意義は大きい。総務省の住基ネットシステム調査委員会の12日の報告でも、全国の自治体の一割はセキュリティに不安をもっていることが明らかになっている。

 しかし、本当に危ないのは不安を自覚していない自治体である。

 中でもOS管理については不十分な自治体が目立った。ログオン失敗履歴を記録しているかは56.6%、パスワードの有効期限を設定しているかは51.4%が不十分と答えた。また、数が少ないとはいえ、システム管理者を任命しているで4.3%、アクセス管理規定を作成しているで15.0%が不十分と答え、セキュリティー意識の低い市町村のあることが浮き彫りとなった。

多少とも知識のある人は、上の一節を読んで嘆息するだろう。長野県だけの問題ではないのである。

 総務省側は「いたずらに不安をあおることは極めて遺憾だ。住基ネットは極めて安全なシステムであり、これまでも何も問題は生じていない」と言い訳しているが、12日の報告を忘れたのだろうか。

 日弁連住基ネット自治体アンケート結果を見ると(特に「トラブルの内容」と「自由な意見」の項)、いかに危なっかしいか、よくわかる。

 8月に公布がはじまる住基カードにしても、22日の報道によると、売物の多機能を盛りこむのは群馬県では二つの市だけで、それ以外の自治体は住民票番号しかいれないそうである。他の都道府県でも似たようなものだろう。

May29

 住基ネット接続を見あわせている杉並区では、区長の諮問機関、「住民基本台帳ネットワークシステム調査会議」が、住基ネット参加を住民自身が判断する選択制の導入も視野にいれるように答申している

 今月12〜23日に杉並区が実施した区民アンケートによると、参加した方がよいが9%、参加しない方がよいが67%、選択制にした方がよいが14%だった。杉並区は住基ネットで本人確認をおこなうパスポートや年金の申請では、住民票を無料で発行するなど、区民の不利益にならないような対策をとっているが、9%にせよ、参加を希望する住民がいる以上、選択制は一応考慮に値するだろう。

 選択制は横浜市が粘り強い交渉の末に総務省に認めさせた方式であるが、自治体は依然として住基ネット維持費を負担しつづけなければならず、住基ネット利権が生き残る点は忘れないようにしよう。

 総務省側は不完全ながら、アクセスログの開示を準備しているそうである。

 地方自治情報センターは、新たなアクセスログが生成されるごとに、住民の居住地の都道府県に、そのログを住基ネットで送信する。同センターは、ログを送信後、そのログを直ちに消去する。都道府県は、送信されたログを一定期間保存し、各々の個人情報保護条例に従って開示する。

 住基情報は市町村サーバー、都道府県サーバー、全国サーバーの三つに重複して保存されているが、上でいうアクセスログは全国サーバーのアクセスログであろう。全国民の住民票データがおさめられている全国サーバーは、なぜか、一財団法人にすぎない地方自治情報センターが管理している。

 不思議なことに、セキュリティを理由に、開示されるのが「総務省」「○○県」など、検索した省庁名と「恩給事務」のような利用目的に限られるという。部署を開示したからといって、セキュリティが危うくなるとは思えないのだが。

 疑わしいアクセスがあった場合は、都道府県は操作した人間のIDをふくむ、より詳細なアクセスログの開示をもとめることができるが、どの部署かわからければ、疑わしいアクセスだという根拠にはなりにくいのではないか。根拠薄弱という理由で、詳細なログの開示が拒否される事例が起きそうである。

 そもそも住民票を管理する責任は市町村にある。管理責任をもつ市町村が、住民票にどんなアクセスがあったかを知ることができず、都道府県に問い合せなければならなかったり、詳細なログを見せてもらうために、都道府県を通じて、地方自治情報センターにお伺いをたてなければならないというのはどういうことか。全国サーバーなどという、本来あってはならないものを作るから、こういうことになるのである。

 また、住基ネットには過剰な検索機能が組みこまれていて、ワイルドカード検索と同じことができるのだが(「不明」という選択肢まである)、住民票の中をのぞかなくても、検索画面に出てきただけで、同居家族がいるかなど、かなりのことがわかる。検索に引っかかっただけの場合も開示すべきだと思うが、そのあたりはどうなっているのだろうか。

May30

 アメリカは沖縄に駐留する2万人の米海兵隊のうち、1万5千人をオーストラリアに移駐させることを検討しているという。

 日本国内の感覚だと、よりによって北朝鮮情勢が緊迫している今、なぜと思うところだが、神浦元彰氏はこうコメントしている。

 これは冷戦時代の米軍配置の転換と、対テロ・米軍シフトから出てくる構想である。……中略……私が驚いたのは、北朝鮮の独裁支配体制が崩壊していないのに撤退を公表したことである。あくまで公表するのは北朝鮮・崩壊後といういうのが私の考えだった。

 それだけ米軍の対テロへの再編が急がれるのと、北朝鮮の軍事的な脅威が格段に低下したことの表明だと思う。

 実際に移転するのは北朝鮮が崩壊してからだろうが、この時期に崩壊後の展望をリークするというのは、どんな思惑からかと勘ぐりたくなる。

 おりしも、韓国の朴寛用国会議長は都内の日本記者クラブでの講演で、「ブッシュ大統領は来年に大統領選を控え、早くこの問題を解決したいと考えている。今秋ごろから北朝鮮に対する圧力が加えられると思う」と述べている。

 ZAKZAKには「金正日、酒池肉林しつつ「実は超弱気」」という記事が出たが、産経グループだけに容赦がない。

 超弱気の裏返しが結局、米国との直接対話を原則としていた北が折れ、先月下旬の米中朝3カ国協議に引きずり出されたというわけである。
 日朝関係筋は「3カ国協議に格下の外務省副局長を派遣し、原則論のみを披瀝(ひれき)するなど精一杯の抵抗こそ試みてはいるが、米国を恐れている態度はミエミエだった」と振り返る。

 この記事には、公安筋の情報として、SARSがすでに北朝鮮にはいっているという条がある。もし事実だとしたら、金正日体制崩壊は目前である。

 30日に、特定失踪者問題調査会は、新たに家族が公表に同意した失跡者61人の実名と写真を公開した。「拉致の可能性を完全に否定できないケース」という断りがあるが、何人かの人は北朝鮮にいるかもしれない。

 日本人・朝鮮人にかかわりなく、北朝鮮の独裁体制のもとでの暮しを余儀なくされている方々がSARS禍にあわないことを祈る。

May31

 NHKの「地球に好奇心」で「天空に浮かぶ棺」を見た。

 揚子江上流域には、川を見おろす絶壁の中腹に、舟に見立てた棺を宙吊りにする懸崖葬けんがいそうという文化があって、今でも奥地にいくと棺がそのまま残っている。番組では中国調査探検学会の調査を軸に、懸崖葬の担い手と見られる僰人ぼうじんという民族の謎をさぐっている。

 僰人は戦国期には揚子江河口域を本拠とする海洋民族だったが、時代を下るにつれて揚子江上流域に追われていった。漁業から農業に生業を変えたが、海の民族だった誇りを忘れないために、懸崖葬の風習と銅鼓という儀式用の楽器をもちつづけた。

 蜀の棧道のように崖の横腹に腕木を刺して、その上に棺を載せる方式が多いが、自然の洞窟を利用したり、棺がちょうどおさまる穴をうがったり、状況にあわせて工夫している。川床から数十メートル、時には百数十メートルという高所、それも風雨を避けるために、岩棚の張りだした下を選ぶことが多いので、棺にたどりつくまでが大変である。調査隊は竹で大がかりな足場を組んでいたが、僰人も同じようにしたのだろうか。

 僰人は団結心が強く、阿姓の王のもとに武力で漢族に抵抗しつづけた。正史にたびたび登場したが、1574年、最後の王阿大がついに明朝に滅ぼされた。王族は「何」と姓を変えて今につづいていて、番組には現在の子孫が登場したが、まったく普通の田舎のオヤジである。先祖を誇りに思うと語っていたが、僰 人悬 棺の一族と呼ばれるのはあまり喜んでいない風だった。

 水文で有名な水族もかつて揚子江河口域にいた海の民族で、僰人同様、銅鼓を伝承しており、文革中には先祖伝来の銅鼓を土に埋めて守ったそうである。番組の最後に、先祖の墓の前で銅鼓を実演していたが、鈍い響きが尾を引き、玄妙な音色だった。

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